Fate/next hollow 衛宮家の人々 作:powder snow
「それじゃあ、士郎。私達は学校へ行って来るから、無理しないでゆっくり休んでなさい」
「先輩。お昼ごはんにお粥さんを用意してありますから、食べれるようなら食べちゃってくださいね」
「……ああ。ありがとう、遠坂。それに桜も」
俺は布団に横になりながら、制服姿の遠坂と桜が部屋を出て行くのを眺めていた。二人は出る前に一度だけ俺を振り返ると、じゃあねと手を振ってからふすまを閉めた。
「……ごほっ。ごほっ……うぅー」
何をしているのかと言えば、ここは俺の部屋であり、現在は寝巻き姿で布団にくるまっている状態なのである。実は数年ぶりぶ風邪を引いてしまったようで、こうして寝込んでいるのだ。
めっきり寒くなってきたこの季節に土蔵で夜を明かしたのがまずかったらしい。
「……ちょっと、目眩がする……な」
軽く寝返りをうつ。頭痛よりも身体のだるさが堪える。寒気も酷くて迂闊に歩くことすらままならない。ふと動かした視線が、半分開いているふすまを捉えた。
さっき遠坂が閉めたはずなんだけどと目を凝らすと、開いたふすまの影からひょこっと二つの頭が覗いているではないか。目に映るのは金砂のような髪の毛と、しっとりと艶やかな紫の長髪。
セイバーとライダーだった。
彼女達は不安げな表情を浮かべながら、じーっと俺のことを見つめている。藤ねえは早朝会議で家を出ているし、遠坂と桜が学校に出発すれば、この家に在宅している人物は俺と彼女達だけになってしまう。
「……どうしたんだ二人共? 何か……あったのか?」
声をかけられたのが意外だったのか、二人とも一瞬頭を引っ込めてしまった。それでもしばらくするとすーっと頭がふすまから出てくる。そしてまたじーっと俺を見つめるのだ。
ちょっと恥ずかしいような、居たたまれないような、表現し難い感覚が身を包み込む。けれどこのままでは埒が開かないので、セイバーとライダーに部屋の中に入って来るように促した。
「シロウ、その、あの……大丈夫……ですか?」
先に部屋に入って来たのはセイバーだった。彼女は言葉を選びながら、ゆっくりと近付いてくる。
「……ああ。さっき薬も飲んだし、ゆっくり休んでいれば大丈夫だと思う」
「そうでしたか。けれど夜分遅くまで土蔵に篭もっているからそうなるのですよ。それでなくてもあなたは無茶ばかりするのですから、身体は労ってください」
微かに安堵の溜息を吐いてから、セイバーが枕元に腰を降ろした。
「そうですね。士郎は無理をしすぎます。ですから風邪を引いた時くらいはゆっくりと養生してください」
ライダーも廊下から部屋に入ってきて、セイバーの隣に腰を降ろした。
「ん……そうだな。けっこう強めの薬だったし、すぐ……眠くなると思うんだけど……」
「ええ。安心して眠ってください。シロウの眠りを妨げる不届き者が現れても、私が撃退してみせますから!」
ぐっと握り拳を作って見せるセイバー。
何でか彼女は大張り切りの様子で、気合に満ち溢れていた。しかも張り切っているのはセイバーだけじゃなく、普段冷静なライダーまでもが
「セイバー一人では心許ないでしょう。私も微力ながら力添えします。誰であろうと邪魔はさせません」
と力説するほどである。
本当なら心強いはずの言葉に、若干の不安を感じてしまうのはきっと体調が悪いせいだろう。それに本当に強い薬だったらしく、強烈な睡魔が襲ってきている。
思考が……うまく回らない。
「……じゃあ、何かあったら……起こしてくれ。お昼は……出前を取ってくれていいから……さ」
「はい。ごゆっくりお休みください、シロウ」
「士郎、ゆっくりと休んでください」
「……ありがとう、セイバー、ライダー」
俺は彼女達の声を聞きながら、深い眠りへと落ちていった。
――チッチッチと、時計の音だけが室内に響いている。
セイバーとライダーは、互いに身を乗り出すようにして衛宮士郎の寝顔を覗き込んでいた。士郎の呼吸は笛のような音を奏でていて、とても苦しそうである。そんな彼の姿は、普段元気な分だけ彼女達の胸を締め付けた。
「――そうです、セイバー。冷蔵庫に冷えぴたシートがありましたね。取ってきていただけますか?」
はたと思い出したとばかりに、ライダーがぽんっと手を打った。それを聞いたセイバーは、士郎からライダーへと視線を移し、再び士郎へと視線を戻す。
彼の眉根は苦しそうに寄っている。
「わかりました。すぐに取ってきます」
ふすまを開いて台所へ。
ライダーは部屋を出るセイバーを見送ってから、寝ている士郎の面へと右手を伸ばしていった。
冷蔵庫を開いてすぐに目的の物を発見する。青い箱に入っている食べ物ではない物体なので一目瞭然である。しかし一応確認の為にと手に取ってみた。
「ええっと……高い冷却効果が10時間持続します。ピタッとはれて肌にやさしく7種類の植物成分(ハーブ成分)配合。 大きさもロングタイプとなっているため額にしっかりと貼れます……ええ、これで間違いないようですね」
中身は7枚と十分な量を確保。
後はこれを一刻も早く彼の元へ届けるだけ。
だけれど、若干心が逸る。
彼の苦しそうな表情。荒い呼吸の音。ほてった身体。そのどれもが心を乱すのだ。常に冷静に行動しようと心がけているが、こればかりは抑制が利かない。
私も……まだまだ修行不足か。
新たに心構えを構築し、自身を強く律しようと心に決めて――――そんなものは、部屋に入った瞬間に見事に吹き飛んでしまった。
「ラ、ラ、ライダー! あな、貴女は一体何をしているのですかっっ!?」
あろうことか、寝ているシロウにライダーが覆い被さっていたのだ。
「は、早くシロウから離れなさいっ!」
「……何を慌てているのですかセイバー? 私は士郎の熱を確かめていただけですよ?」
そう言ってライダーが半身を起こす。
確かに彼女の言う通り、ライダーはシロウの額に右手を添えているだけだった。左手を自身の額に当てているので、熱を計っている“だけ”に見えなくもない。
ですが――
「本当に熱を計っていただけですか、ライダー?」
「しつこいですね。マスターを案じる気持ちは理解しますが、もう少し私を信用してください」
「……そう言われると……むう」
冷静に考えれば、病床のシロウをライダーが“襲う”などありえない。冷えぴたシートを取ってくるように言ったのも彼女だし、純粋にシロウを心配しての行動なのか。
でも何だかとっても気分がよろしくない。
面白くないと言い換えても良い。
「……とりあえずそこを退いてください。冷えぴたシートをシロウに張りますので」
押し込むようにして、ライダーとシロウの間に割って入る。
やはりシロウの表情は苦しげだった。私は少しでも楽になって欲しいと思いを込めて、彼の額にシートを貼り付ける。
ぺたぺた。
錯覚かもしれないけれど、それでシロウの表情が和らいだ気がした。
その時である。ピンポーンというチャイムの音が室内に鳴り響いたのは。
――チャイムとは来客を告げる鈴の音。
衛宮の家に誰かが尋ねて来たのだ。
「……ライダー。申し訳ないが出て来てくれますか?」
冷えぴたシートを指差し、手が離せないとの意思表示を示す。
本当は作業は終了していたのだが、再びライダーを残してシロウと二人きりにするのは、とてもよろしくないと思ったのだ。
「わかりました。たぶん新聞の勧誘でしょう。毎月この時期に現れるのです」
「新聞勧誘ですか。しかし衛宮の家は新聞を取らない主義なので、うまくあしらってください」
しつこく二社くらいが勧誘に来ていたのを思い出す。
ここで病人であるシロウの手を煩わせる訳にはいかない。絶対に。
「頼みましたよ、ライダー」
「任せてください、セイバー。勧誘など軽く追い返して早く戻って来ることにします。……士郎も心配ですからね」
ライダーはシロウに視線を落としてから、ふすまを開いて出ていった。
――騎乗の英霊、ライダー。
いつも冷静で凛として隙がなく、大人の女性というものを如実に感じさせる。
悔しいですが、彼女なら勧誘員など簡単にあしらってくれる事でしょう。
そして、待つこと十分。
部屋に戻って来たライダーは、両手いっぱいに試供品らしい洗剤を抱えていた。
「…………ライダー? 貴女、まさか?」
「ち、違いますよ、セイバー! これは……不可抗力と言いますか、どうしようもなかったと言うべきなのか……とにかく! 私はですね……」
「私は何ですか? 仕方なかったとでも言うつもりですか?」
「あ……う……」
ライダーが音もなく後退さった。彼女にしては珍しく焦った表情で、視線が右往左往している。
「で、ですから! 相手もプロなのです。押しても引かれ、引いたら押され。巧みな話術に導かれ、気が付いた時には……その……洗剤も差し出されていたし、わたしは……ですね……その…」
だんだんと小さくなっていくライダーは、部屋の片隅まで後退さっていた。
そこで彼女は正座を組んでしゅんと肩を落とす。
「……ごめんなさい」
その声はとてもか細く、囁きのように彼女の口から漏れていた。
「はあ。ライダー。私は貴女ならばとこの大任を任せたのです。こんな事になるなら私が赴くべきでした」
「……うぐ」
うなだれるライダーは、言い返すような事はせずに言われるがままになっている。そんな彼女の姿を見ていたらさすがに可哀想になってきた。
誰しも間違いはある。
時には許す心も必要だ。
「まあ、過ぎた事ですし、もうこの話は止めにしましょう」
生死を賭して戦った相手である。ここは敬意を払うべきあろう。
私は改めてライダーに声をかけようとして――再び鳴り響いたチャイムの音に身体を強張らせていた。
「……また来客ですか。今度は私が出ることにします。王として私は様々な者を相手にしてきました。その術を以ってすれば新聞勧誘を断るなど造作もない。ライダー。くれぐれもシロウの事はよろしく頼みますよ」
ライダーを残していくのは“嫌”なのだが、この場は仕方がない。
私は彼女に念を押してから、来客を迎える為に玄関へと足を向けた。
新聞などいらない。即刻帰れ。うん、完璧です。
この術を聞けばマーリンとて太鼓判を押してしまうに違いない。
私は秘策を胸に秘め、いざ玄関の扉を開き――
「おお! これは可愛らしい奥さんだ! えぇ? 奥さんじゃない? それは嘘でしょう。士郎君もこんな可愛らしい奥さんを貰えて羨ましい! いやいや三国一の幸せ者とはこの事です。ホント羨ましいです。あ、これ試供品の洗剤なんですが、実は今、新聞がですね――」
十分後。私は部屋へと戻って来た。
ふすまを開いた私の姿をライダーの視線が痛いほどに貫いている。
「…………セイバー? 貴女、まさか?」
「ち、違います、ライダー! これは……不可抗力と言いますか、どうしようもなかったと言うべきなのか……とにかく! 私はですね……」
私は両手一杯に洗剤を抱えている状態だった。
否! 否! 違います。
新聞勧誘員、侮りがたし。巧みな話術は本当でした。成す術も無く言いくるめられ気が付けばこの有様です。
「……セイバー?」
ああ、言わずとも彼女の瞳が全てを語っています。
私は洗剤を部屋の片隅に置いてから、ライダーの隣にすっと腰を降ろした。
もちろん正座を組んで。
「……申し訳、ありません……」
それ以外の言葉が口を吐くことは許されなかった。
日本には喧嘩両成敗という素晴らしいことわざがある。私とライダーは先程の悪夢はきっぱりと忘却する事でお互い納得し、新たなイベントである昼食へ挑むことにした。
「ここはやはり“ふ~ふ~”してから士郎に食べさせるべきでしょう」
「ふ~ふ~ですとっ!?」
ライダーがレンゲを持って、ふうっと息を吹きかける真似をしている。
時刻は十二時を回った頃合。
シロウに昼食を食べて貰おうと、朝に桜が作っていたおかゆを部屋まで持って来ていた。ただ温め直したおかゆさんは陶器の鍋に収められたおかげでとても熱く、病人が食すのには適さない。かといって冷えたおかゆさんより温かい方が身体には良いはずだ。
思案した結果に導き出されたのが“ふ~ふ~”である。
「では私が士郎に食べさせますので、彼を起こしてくださいますか、セイバー?」
「なっ! 待って欲しいライダー。何故貴女がシロウに食べさせると決定しているのですか? 私は異論を挟む」
「背格好の問題です。貴女より私の方が士郎に食べさせ易いでしょう」
「身長差なら私よりライダーの方があるのでは? その理論なら私の方が適任です」
「体格の小さい貴女では士郎を支えにくいのは明白です。やはり私が適任ですね」
「屁理屈を捏ねないで欲しい。私でもシロウを支えるくらいは出来ます!」
「出来る出来ないではなく、貴女よりも私の方が適していると言っているのです。そこを履き違えないでくださいセイバー」
「ぐぬぬ……!」
バチバチと視線が火花を散らす。
お互いに譲らないとの強い意思が感じられた。
――仕方ありません。
ここは奥の手を出すべき時だ。私はそう直感した。
出来得るならば、この手だけは封印しておきたかった。けれどこうなっては止むを得ません。
私はそ~っと右手をライダーの頬に伸ばし、隙を突いて彼女のほっぺたを掴んだ。
そのまま横に引っ張ってライダーの頬を弄ぶ。
「にゃ、にゃにをしているのですか、セイバー!?」
ほっぺを摘まれているので、うまく喋れないらしい。
「ライダー。この手を離して欲しければ“ふーふー”する権利を私に譲りなさい」
「――くうっ! にゃんと卑劣にゃ……」
ライダーは悔しげに眉を潜めている。しかし彼女とて騎兵の英霊でありサーヴァント。
やられたままでは終わらなかった。
ライダーはおもむろに右手を伸ばすと、私のほっぺを摘み返したのだ。
「ラ、ライダーー! しょの手を今すぐに離しにゃさいっ!」
「フフフ。これで五分の条件ですにょ、セイバー……!」
互いに相手の頬を掴み、相手を睨み据えている。
一種の膠着状態が、この部屋に生み出されてしまった。
「――にゃらばっ!」
私は残った左手でライダーの頬を掴むべく伸ばして――それに合わせるようにライダーも左手を伸ばしてきた。
再び起こった膠着状態。
………フフフ。良いだろうライダー!
そうまでしてセイバーたる私と勝負したいと言うのならば受けて立つまでです。
私は意地の張り合いで、誰にも負けたことはないのだ!
「……後悔しますにょ、ライダー?」
「しょれはこちらの台詞です、セイバー」
『――フフフフフフフフフ』
決着は思いもよらぬ形で付いた。
「ただいまー。士郎、加減の方はどうかしら?」
ぼんやりとした意識の中で遠坂の声を聞いた気がした。
俺は身体を起こそうとして……まったくと言って良いほど動かないことに愕然とする。
まだ熱っぽいのもあるが、想像以上に薬が効いているのか指一本動かせない。何だかとっても身体が重いのだ。まるで身体の上に“何か”乗っかっているような感覚……。
「先輩。栄養のある物買って……きました……よ、って、あれれ?」
遠坂と桜が部屋に入って来た気配はする。
だけど、やっぱり身体は動かない。
「……え? え? 何があったの……かな?」
よほど酷い状態なのか、遠坂が絶句しているのがわかった。
もしかしたら俺はこのまま死ぬのかもしれない。まだ成さなくてはいけない事もあるのに。
「……ぐぅ……」
悔しさのためか、僅かに目尻に涙が浮かんだ。
爺さんの願い、叶えられない……かも……しれな……。
「……」
遠坂と桜が絶句した理由。
それは部屋の片隅に山と詰まれた謎の洗剤の存在と、部屋中にぶちまけられたおかゆの残骸を見た所為である。
ここで何が起こったのか。何が行われたのか。彼女達を以ってしても想像すら出来ない。更には衛宮士郎に折り重なるようにして眠るセイバーとライダーの姿は、もはや完全な想像の範疇外である。
いや語弊は訂正しておこう。
正確には、布団に折り重なるようにして“気絶している”セイバーとライダーの姿である。
とりあえず凛は、おかゆの残骸を片してから、この事態に深く関わっているであろう二人を叩き起こそうと心に決めた。