Fate/next hollow 衛宮家の人々 作:powder snow
フルール期間限定の特別ショートケーキ。
とても品のある甘さが忘れられない一品である。
例えるなら、口の中で溶けてしまうような純白の生クリームは淡雪のようで。土台のスポンジは弾力があり、しっかりとした触感を舌の上に伝えてくれる。更に主役である特大のイチゴは、その圧倒的なボリュームに加えて、酸味と甘さが絶妙なバランスで保たれているのだ。
本当に、珠玉のデザートと言って差し支えないと私は思う。
けれど期間限定の品……。
もう食べることは叶わない。
そう思っていたのに、その珠玉のショートケーキが今私の目の前に!?
「ライダー、ものは相談なのですが……」
「何ですか、セイバー?」
――ライダー。
今、私の目の前に座っている女性は、騎兵の英霊として召喚されたサーヴァント。彼女とは聖杯戦争の折りに幾度となく戦った……いや、殺しあった仲だ。
シロウの剣となった私と、或いはシロウの敵となってしまった私とも。いずれの場合でも、彼女とは文字通りの死闘を演じている。
好敵手、ライバルとと呼ぶべき相手なのかもしれない。
正直言ってしまえば、肌の合わない相手ではあった。けれど長身ながらスラリと伸びた女性らしい肢体や、滑らかで艶のある長い紫髪など、私が望んでも持ち得ないものを幾つも持っている相手でもある。
決して面と向かって口には出せないけれど、尊敬の念を抱いてもいた。
「……」
二の句を告げない私の姿に不審を抱いたのか、ライダーが小首を傾げている。
言い難い台詞ではあるが、ここは勇気を出して前に進みましょう。
「えっと、そこにあるフルールの期間限定特別ショートケーキですが」
「ああ、これですか」
「そう! それです。以前貴女は甘いものはあまり好みじゃないと言っていましたよね?」
「……ええ、まあ」
「そこで相談なのですが、食べないのならばその限定ケーキを私に譲って欲し――」
言葉の途中で私を制止するように、ライダーが右手を差し出した。それと同時に、彼女の瞳に怪しい光が点った気がする。
「――等価交換です、セイバー」
「等価交換? そ、そうですね。貴女の要求は当然です。では何を望みますかライダー? 私に出来ることなら何でも致しましょう」
「なんでも良いのですか?」
「その珠玉の一品と釣り合うと私が判断すれば、どんなことでも致しましょう」
「良い返事ですセイバー。実はですね……」
そこまで述べたライダーが、少し目線を外して言い淀んだ。
実直な彼女にしては珍しい光景である。
「遠慮など無用ですよライダー。ささ、早く等価交換の条件を言ってください」
ライダーの言葉の先を急かす。決して早くケーキが食べたいとか、そういうことではないですよ?
「――実は皆に秘密にしていたのですが、こう見えて私は速い乗り物が大好きなのです」
「それは知っています」
私の返事を聞いて、彼女の瞳が驚きに見開かれる。
心底驚いたという感じだ。
「……侮れませんね。士郎といい貴女といい、伊達に聖杯戦争を勝ち抜いていないということですか」
「褒められて悪い気はしませんが……それで、私は何を?」
「自転車です」
「自転車?」
「ええ。現在の私は衛宮家にある二台の自転車うち二号と呼ばれるものを使用しています。ですが……この、いくら踏んでものったりとしか進まない乗り物は私の性には合わない。しかしその点士郎の使用している一号は違います! アレならば私の願望を余すことなく満たしてくれることでしょうっ!」
どのような願望かは分らないが、ライダーはうっとりと悦に入っている。ちなみにライダーの言う一号とはクロスバイクで、二号はママチャリと呼ばれる自転車である。
この二つの違いが私にはよくわからないが、騎兵の英霊の目からすれば違うのだろう。
「そこでセイバーにお願いです。士郎に一号を使わせてくれるように頼んでくれませんか?」
「それならば自分で頼んだほうが早いのではないですかライダー?」
「それが……その、士郎はいくら私が頼んでも“うん”と言ってくれないのです。けれどセイバーの頼みごとなら士郎は聞いてくれるかもしれません」
「そういうものですか」
「はい。――お願いできますか、セイバー?」
ライダーの真摯な眼差し。
本当に一号を使いたいのだろう。だがお互い必要としているものがその先にあるのなら、この申し出を断る理由はない。
「わかりました。セイバーの名に懸けてシロウを説得してみせましょう。ライダーはケーキの確保をお願いします」
すっくと立ち上がった私は、その足で出口に向かって歩き出した。ちょうどその時、入れ代わるような形で大河が居間に入って来る。
「あ、セイバーちゃん。どうしたの? お出かけ?」
「はい、出陣です!」
そう。これは戦いなのです。
覚悟して欲しいシロウっ!
「どうだセイバー? 美味しいかな?」
「はい。このサータアンダギーというお菓子は実に美味しいですね。食感などドーナツに似ているようですが」
「揚げ菓子だからドーナツの一種で間違いない。沖縄の名産品なんだ」
「へえ、そうなのですね。これは私の中の定番おやつ十傑集に入り得る実力を持っていると言っても過言ではありません」
「はは。その物言いだと喜んでくれたみたいだな。良かった」
空になった湯のみにお茶を注ぎながら、シロウが穏やかに微笑んでいる。
何をしているのかといえば、実は彼の姿を探している時に逆に呼びとめられたのである。理由を訊いてみれば、なにやらお茶菓子の試作をしたから味見してほしいとのことで、こうしてシロウの部屋まで出向いてお茶を頂いているのだ。
「ふふっ。サータアンダギー、侮り難しですね」
菓子の甘みを味わった後に渋みのあるお茶をずずっといただく。
自然と頬が緩む心地。実に満ち足りたひととき。
って…………………………はっ!?
私はなにを穏やかにお茶会を開いているのだ。今は胸に抱いた大事な使命があったはず。
――恐るべき智謀ですシロウ。
危うくその姦計に乗って使命を忘れるところでした。
これは油断している訳にはいかない。一気に勝負を決めるとしましょう。
「――シロウ」
「ん、どうしたセイバー。真剣な顔をして。おかわりはないけど……」
「そうではありません。実はあなたが使っている自転車の一号のことなのですが」
「一号がどうかしたのか? セイバー使いたいのか?」
「いえ、私ではなくライダーにですね……」
何故だろう。ライダーの名前を出した途端にシロウの表情が苦いものに変わっていく。
自転車と彼女との間に何かあったのだろうか?
「……そうかセイバー。ライダーに頼まれたんだな?」
「い、いえ。決してそのようなことではなくてですね……客観的に見た意見といいますか……」
「いいって。わかってる。セイバー嘘つけないもんな」
「……」
「でもな、ライダーに一号は貸せない」
「それは何故でしょう? シロウが二号を使い、ライダーが一号を使う。それでもよいのではないですか?」
「あのな、セイバー」
彼がずいっと詰め寄ってくる。
シロウの真剣な表情に思わず面を喰らってしまった。
「ライダーが一号で町内を爆走してみろ。大騒ぎになるぞ。冬木の街に爆走娘現る!? とかって取材とか来かねない。……いや、この前なんか笑顔でパトカーの横を自転車を突っ切ってったし、街中で少し噂になってるんだ」
「噂に……」
「ああ。そういうの困るだろ?」
「……そう言われるとそういう気もしますが……」
「ライダーが自転車に乗ったら自制は期待できないからな。なら物理的にスピードの出ない二号で我慢してもらうしかない。そうだろセイバー?」
「……むむ」
シロウの言い分は至極真っ当です。
我々はサーヴァントであり、魔術師でもある。世間の注目を引くのは出来るだけ避けるべきなのは明白で……でもこのまま引き下がってしまうと、フルールの特別ショートケーキは手に入りません。
ここは心を鬼にする必要があるようですね。
私はコホンと咳払いを一つした後、改めてシロウの顔を覗きこんだ。
「シロウ。貴方がライダーに一号を貸せないというのなら私にも考えがある」
「考え……?」
「はい。もし承諾を頂けないというのであれば――私は今後、食事に関してリミッターを外させて頂きます!」
「ぶほっ!?」
何とまあ、盛大にお茶を吹きましたねシロウ……。
「ま、待てセイバー。まさか今まで“全力”じゃなかったのか!?」
「腹八分目と、日本のことわざにあります」
ことわざじゃないだろって突込みが入りましたが無視します。
「さあ、シロウ。どうしますか?」
「……その目、本気なんだな、セイバー」
「はい。私は“どちら”でも構いません」
ジリジリと後ずさるシロウを壁際まで追い詰めていく。
禁断の秘儀まで出したのですから、ここは勝負どころでしょう。彼が目を逸らしても、私の視線からは逃れられません。
そういう攻防が暫し続いた後、彼は大きく溜息を吐いた。
「……………………わかった。だけど一日だけだ。これ以上は譲れない」
熟考の末にシロウが白旗を上げる。
一日という期限付きではありますが、ライダーの願いには沿った形になります。けれど私のリミッター解除が、ライダーの町内爆走の危険よりも勝ったというのは少し面白くない。
面白くないですが……ここはまあ良しとするべきでしょう。
「わかりました。その方向でライダーと交渉してみることにしましょう。例え一日とはいえ一号が使えるのですから、彼女も満足してくれると思います」
すっくと立ち上がり拳を握りこむ。
さあ“戦利品”を頂きに参るとしましょうか。
居間に近づくと、ライダーが人目を忍ぶように、こっそりとふすまを閉めて出ていくのが見えた。
「何をしているのですか、ライダー?」
「セ、セイバーッ!?」
「ライダー。シロウには話を通しておきました。一日限定ですが一号を使って良いそうです」
「……それは、流石はセイバーですね……感心しました…」
うん? なにかおかしい。
願いが叶ったというのに彼女はあまり嬉しくはなさそうだ。けれど、そこはライダーなりの事情があるのかもしれない。ここはあまり深く詮索せず、約束の品を受け取ることにしましょうか。
「では、フルールの特別限定ショートケーキは頂きます」
ライダーから視線を切り、ぱっとふすまを開けた。
しかしそこにあったものは……!?
「あ、セイバーちゃん。おかえりー。もうこのケーキすっごい美味しいね。ほっぺた落ちそうだよう」
落ちそうなそのほっぺたに、生クリームをつけた大河の姿……。
「ラ、ラ、ライダー!? これはどういう――」
急いで振り返えるが、そこに既にライダーの姿はなく、一号の爆走する音だけが耳に届いていた。