「――つーまーんーなーいー!!」
静かな執務室に叫び声が響いて、俺は書類から目を上げた。
最近酷使していて疲れ気味の目尻を揉みつつ、首を傾げて問う。
「…………すまん、聞いてなかった。何だって? もう一度言ってくれ」
「つまんないって言ったのー! もう、指揮官ってば」
ぷう、と可愛らしく頬を膨らませて、声の主――レナウン級巡洋戦艦2番艦、レパルスは不満そうに言った。
栗色の柔らかそうな髪が、窓から差し込む陽射しを浴びてさらりと揺れる。
「アウトドア系の私にさあー、こんなに書類仕事させてさー。退屈だよ! 外に出て遊びたいー」
「無茶言わないでくれ、この忙しいときに」
文句を言う本日の秘書艦は、こちらの言葉に対して秘書艦用の執務机に積まれたファイルの束を指差し、
「だってさー、おかしくない!? この前は指揮官、そろそろ溜まってた仕事が片付くから一緒に外回りを頼むって言ってたじゃん! だから私、指揮官と一緒に色々見て回れると思って、今日は楽しみにしてたのに。全然違うじゃーん! なんでこんなに書類の山があるのー!?」
「仕方ないだろう、統合参謀本部からねじ込みがあったんだから。臨時の大規模作戦があるとなれば、臨時の書類が山ほど出てくるのは当然じゃないか? 戦力強化と艦隊の再編、新しく許可の下りた開発項目や兵装の評価。明石が泊地工廠宛の上からの依頼をしくじったらしいから、そのぶんの始末書と報告書に補填措置も必要だ。残念だが外回りはキャンセルだな」
「殺生なあー! 私を書類で沈める気なのかー!?」
「そんなわけないだろうが……」
呆れてみせれば、ふん! と小さく口をとがらせてそっぽを向く。
かと思えば、次の瞬間には机に勢いよく突っ伏した。
そのまま上体は机の上に寝かせて、器用に椅子を前後に揺らす。
年代ものの椅子はぎいぎいと控えめに抗議の声を上げていた。
「むむむむむ。秘書艦にしてくれたのはいいけどさ、私はあんまり書類整理とか、事務連絡とか、得意じゃないんだよ? 外回りができないならミッションに行ったり、小さい子たちの面倒を見たり、あとはお届け物とか? そういうのがいいー」
「と言ってもなあ、さっきも言ったが今は大規模作戦の準備中で、戦闘行為も含めて目立った活動は制限する時期だからなあ」
「じゃあ海上哨戒とか委託とかはー? 私、どっちも自信あるけど」
「海上哨戒はレナウンがやってくれてる。委託組はもう出発済み。長時間の奴ばかり受注したからな、しばらく枠は空けられないぞ」
「ええー……じゃあじゃあ、気分転換に散歩に行こうよ! 指揮官もさあ、座ってばっかりだと肩こるでしょ」
「それじゃあ仕事が終わらないだろう。ほら、もう少し頑張ってくれ」
「うへええぇぇえー」
今度は口をへの字に曲げて、へなへなとした動きで起き上がった。
そのまま眉をひそめたような微妙な表情で、机の隅に積まれた書類を眺めている。
手に持ったペンを書類の上に滑らせて、サイン欄やチェック項目にペン先を――近づけはするものの、手が進んでいない。
先ほどまでは、不得意と言うわりに手早く書類を片付けていたように思うのだが……
「そんなに嫌なのか、秘書艦業務」
「え、いや、べつに秘書艦が嫌ってわけじゃないからね!?」
彼女との付き合いは非常に長いが、秘書艦としての仕事を与えた回数はそれほど多くない。
人にも艦にも向き不向きがある。特に彼女は体を動かすのが得意で、僚艦とのコミュニケーションも上手い。前線で体を張ってくれるタイプだ。
あまり適性のない仕事をさせるわけにもいかないし、と思い声をかけると、今度はびくっと肩を竦めて慌てだした。
わたわたと落ち着きなく両手を振って、強い否定の意を伝えてくる。
何かと忙しい少女である。
「えっと、秘書艦の仕事は楽しいし指揮官の傍にいるのも楽しいけど、そう、こういう机仕事にはちょっと苦手意識がね? ほら私って、姉妹とかロイヤルの仲間と比べてがさつだし、落ち着きないし、整理整頓とかあんまりする方でもないし、こういう業務にはもっと得意な子がいるだろうなーって思っちゃって……」
「む……いやまあ確かにレパルスはあまり、もの静かというイメージはないが」
「で、でしょー? だからこう、自分でも頑張ってはいるんだけど、だんだん気が散ってきちゃうというか、憂鬱になってきちゃうという、か……あはは……」
言っていて自分で落ち込んできたのか、語尾が少しずつ下がっていく。
カラ笑いというのだろうか、いつも浮かべている笑みにも心なしか陰りが見えた。
「うん……ごめんね指揮官、とっても忙しいのに騒いで邪魔しちゃって……もっと頑張ってみるよ。私、こんなだけど、指揮官の期待には応えたいし……」
「ふうむ」
何やら落ち込んでいるレパルス。普段は快活で元気いっぱいな彼女だが、たまにこうして急に塞ぎ込むことがある。
姉妹や同郷の仲間たちの話をしているときの彼女は、大抵の場合は嬉しそうだったり自慢げだったりするのだが、時折彼女らと自分を比較して落ち込んでしまうようだ。俺からしてみれば、彼女は姉妹らと比べて特に劣っているようには見えないし、彼女にしかない魅力というものが確かにあると思う。しかし、彼女自身にとってはそうではないらしい。
人には気分の優れないときがあるものだし、彼女にもそうした浮き沈みがあるだろうが――しかしまあ、いつもの向日葵のような笑みが翳っているのはよろしくない。
艦隊最古参の彼女は、いつだって皆の先頭に立って眩しい笑顔を見せていたものだ。俺はそれをずっと眺めてきた。
うん、よし。決めた。ここはひとつ、
「――よし、レパルス。この書類が終わったら散歩に行くぞ」
「ふえっ!?」
どんよりと俯いて机に向かっていたレパルスが驚いて顔を上げた。
ハトが豆鉄砲を喰らったような、というべきだろうか。表情豊かな娘である。正直、俺の気まぐれ程度でそう驚くこともないと思うのだが。
「え、だって指揮官、さっきは忙しいって……それに書類もほんとにたくさんあるし……」
「ああ、まあな。しかし肩がこってきたからな! 散歩に行ってリフレッシュしたいな!」
「わ、私なら大丈夫だよ? ちゃんと頑張るから……指揮官の役に立つから、別に指揮官の負担になるようなことは……」
「んんー? 何のことかな? 俺はただ! 急に! 散歩に行ったり工廠の状態を確認したり学園のグラウンドを軽く走ったりしたくなっただけだからな! レパルスが気に病むようなことは何もないからな!」
全力ですっとぼける。仕事!? 知らんな! 俺だって必要だからやっているだけで、口実があればサボりたいさ! 部下のメンタルケアと休憩を兼ねればいいんだろう!? お安い御用だ管理職を舐めるなよ! 勤怠管理は俺の仕事だぞ!!
適当に嘯いてみせるこちらを見つめるレパルスの瞳が潤んでいる。ちょっと正視しづらい。常から笑顔の彼女であるだけに、こういう表情をされると何か罪悪感がある。
「よし行くぞ。待ってろレパルス、すぐ終わる。明石のバカがこしらえた失敗装備の始末書さえでっち上げればすぐにでも外に――!?」
「――ありがと、指揮官」
レパルスの薄い蒼色をした大粒の瞳から目を逸らして、机の上の最後の書類に取り掛かり――口を動かしながらも書類に意識を向けたところで、サイン用の万年筆を握る手が止まった。
肩から背中にかけて、指揮官用の椅子の背もたれがない部分に、温かく柔らかい感触がある。
甘いようでいて爽やかな夏めいた香りがふわりと漂い、首筋にくすぐったくもさらりとした感触があって、二の腕には白手袋に包まれた細い腕が添えられていて――そこまで考えて初めて、それらがレパルスのものだと気付いた。
抱き着くというか、縋りつくというか、そんな姿勢。つい先ほどまで横手の机に居たはずなのに、一瞬で背中側に移動するとは流石快速の巡洋戦艦――などと、余計な思考が脳裏をよぎる。
「ごめんね、気を遣わせちゃって。すっごく嬉しい。私なんかのために」
「……、構わないよ。レパルスには世話になっているし、色々と迷惑もかけてきた」
「あはは。そんなこと言ったらさ、私の方こそ指揮官に迷惑かけすぎじゃないかな?」
「そんなことはないさ」
耳元で囁かれる、どこか熱を含んだ小さな声。湿っぽい吐息が耳にかかる距離。こちらが机に向かって上体を傾けているせいか、椅子に座っているにも関わらず背中に触れる2つの膨らみ。
彼女の表情が見えないのがまた悩ましい。
ともすれば妙な方向に向きそうになる思考を無理やり立て直す。
「レパルス、君は我が艦隊では最古参の一人だ。いつだって君は先陣を切り、苦境にあっては仲間を励まし、皆の支えになってくれた。君の笑顔は皆の、艦隊すべての宝物だ」
考えを言葉にしながら、そういえばこういったことをしっかりと彼女に伝えたことはなかったな、と思う。
艦隊運営、国際情勢の変化、次々と襲い来る敵――そういったものにかまけていて、この泊地がとても小さかった頃から献身的に尽くしてくれた彼女のことを、今までしっかりと労わってやれなかった。
これでは指揮官失格だ。彼女の無邪気な不平に呆れている場合ではなかった。
「俺もまた君に助けられた。君に支えられた。君の言葉が、君の行動が、君の笑顔が、俺と艦隊が前に進むための原動力のひとつだった」
感謝というのは、評価というのは、口にしなければ伝わらないものなのだ。
レパルスのような、心の奥底に不安を抱えて、それでもなお花が咲くように笑うことができる者には――なおのこと、しっかりと伝えなければ。
「君が笑っていてくれることが俺の喜びだ。いつも本当に助かっているんだ。ありがとう。だからそんなに、自分のことを卑下しないでくれ」
実際には、彼女にはそれほど自覚はないのかもしれないし、偽りない本心でもあるのだろうけれど。
いつも明るい彼女が私なんか、と呟く姿は――あまり、快いものではない。
こちらの腕にかかった彼女の細腕が、心なしか震えたような気がした。
「レパルスはありのままでいい。俺はそんな君がいいんだ。秘書艦としてもよくやってくれている。多少苦手だっていいじゃないか、俺だって書類仕事は嫌で嫌で仕方ないさ。こうして机に向かっていたって、やる気なんてそうそう起きないよ。君のように隣で一緒に頑張ってくれる秘書艦がいるから、こちらも努力できるんだ。だから」
言葉を切り、振り向く。ちょっとばかり勇気が要ったが――レパルスの揺れる瞳と、真正面から向き合った。
「……だから、なに?」
普段とは打って変わって弱弱しい、しかしどこか期待するように、レパルスの震える声が訊く。
その落差に、それが意味するところに、俺は息を飲み――
「だから…………あー、なんだ。これからもよろしく、かな?」
「――ふふっ、なにそれ」
「仕方がないだろ、こんな至近距離で……いざ見つめ合ったら緊張して、何を言おうとしてたか忘れちまった」
「え、ええー?」
いや本当に。何かすごく大事なことを言おうとしていたんですよ? しかしながらレパルスのまつ毛長いなあとか、吸い込まれそうな青い瞳だなあとか、普段からくっついてきたりじゃれたり小突きあったりしてるけど真正面からこんな距離で顔を合わせたことはなかったなあとか、そういう邪念いや断じて邪ではないから雑念そうです雑念が、すべてを流し去っていったわけでして。
しかし――これは言わなければいけないことなのだ。彼女を傷つけたくはないからあまり深く立ち入るつもりもないが、それでも大事な部下にして戦友である彼女の、姉妹や僚艦へのコンプレックスじみた不安からなる自己不信は、どこか痛々しく辛いものなのだ。
本人にとって、それはどうしても気になってしまうものかもしれないが――しかし、気にしなくともいいのだと、君はそのままでいいのだと、仮にも指揮官である俺が伝えなければならないのだから。
ああでもないこうでもない。俺が言葉もなくただ慌てていると、その雰囲気を感じたのか――レパルスは嬉しそうに微笑んだ。
照れているのか、その頬には赤みが差している。
「いいよ、大丈夫。指揮官の言いたいこと、しっかり伝わったし」
「ほ、本当か? あんなに支離滅裂なうえ、一番大事な部分はまだ……」
「へーき。私、ずっと自信がなくて、それでもみんなのためにって振る舞ってきたけど……指揮官に勇気をもらったもの」
ありがとね、と耳元で囁き声がして。
次の瞬間にはよいしょ、という掛け声と共に、温かな感触がするりと背中から離れていった。
名残惜しいな――という気持ちを理性の全力でもって封じる。いや本当に名残惜しいですけどこれは雑念通り越して完全に煩悩ですから滅却。彼女は大事な部下です。ノーモア煩悩、セクハラ駄目絶体、指揮官たるもの如何なる時も理知的であれ。けっして本能やら欲求やら溢れるリビドーやらに身を任せてはいけないのです! レパルスの無邪気な笑顔をお前は踏みにじるのか! よし滅却完了。
危ないところだった、と静かに深呼吸をしていると、執務机に戻ったレパルスが悪戯っぽく微笑んだ。
「ね、じゃあさ、その書類を片付けた後、どこに行く? 指揮官の気分転換になるところ」
「うん……? いや、急には思いつかないが……」
元は落ち込んだレパルスを連れ出すための方便だからね、自分のことは特に考えてなかったな。
はてどうしようか。明石に開発失敗でスッた資材の自腹補填を命じる書類を書き上げながら考える。
こういう時は……ふむ。
「レパルス、何かいい案はないか? 気分転換」
「んー? だったらさー、ちょうどもうすぐ3時じゃない? ヴェスタルさんのところに行こうよ。大講堂の駆逐艦たちのために、おやつを作ってくれてるはずだからさ。おすそ分けしてもらおう。それからグラウンドの周りをちょっと散歩して、購買部を見て回って、最後に浜辺! これでどう?」
「お、良い感じだな。採用」
「やたっ」
よしっ、とユニオン艦のように拳を握って喜ぶ彼女を見ていると、少しばかりの勇気を出した甲斐もあったと思える。
これからは、折に触れて彼女にも、彼女以外の艦にも、感謝の気持ちを言葉にして伝えていかねばならない。
それは指揮官としての責務であり、また人としてすべきことだ。
そう決意して――ふと、レパルスの蒼の双眸と視線が合った。
「……ね、指揮官」
「……何だ、レパルス」
「気分転換の散歩コース、さ。ちょっと長めになってるから。けっこう時間、かかると思うから……」
そこで一旦言葉を切って、輝くようなウィンクで――左の指を銃の形にして、こちらに向けて撃つそぶりと共に。
「さっきの言葉のつづき。――聞かせてよね、しーきーかーん♪」
午後の陽射しに照らされて、彼女はそう言って笑うのだった。
レパルス可愛い……可愛くない? 結婚したい……
レパルスすき