両腕を上げて勢いよく滑り落ちる。
穴は垂直ではなく、わずかに傾斜がついている。
私は片膝を立てて、靴のかかとで速度を調整しながら落ちていく。
もう片方の足はピンと伸ばし、障害物の排除に努める。
そして、ほどなくして垂直からほぼ水平に変わり、落下の速度は落ちていく……。
やがて、何事もなく、私の身体は止まる……。
そこは、暗闇、ではない……。
私は立ち上がり、お尻についた埃を手で払いながら辺りを警戒する。
「クルビット……?」
小さく声を出してみる。
クルビットからの返答はない。
「予想通り、ここはただの穴ではなかったね……」
目が慣れて、周囲の状況がわかるようになってきた。
ここは様々なものが散乱している通路のような場所。
「ここは飛行船のデッキ……」
操縦室や客室がある場所。
地上にあるのはエンベロープ、気球部分だけ、デッキ部分は地下に埋もれていたのだ。
「うーん……」
光が届かない地下にも関わらず、通路はほんのり明るい。
床、壁、天井すべてに蛍光塗料でも塗ってあるかのように、うっすらと光っているのだ。
「うーん……」
鞄、書類、蝋燭台、割れた食器類……。
それらを慎重に避けながら先に進む。
壁に指をあて、少しなぞって、その指についた埃を見る。
「うーん……」
デッキ自体はしっかりしている……。
とても、100年前の建造物とは思えない。
「これは、まずい……」
思わず、そうつぶやいてしまう。
上のエンベロープみたいに完全に朽ち果てているのならば問題はないが、この地下のデッキは保存状態が良すぎる……。
そもそも、この飛行船は、私たちと同じく、別の世界からここにやってきた来訪者と云う可能性が極めて高い。
現地の人たちとの文明水準や使用する文字の違い、何より魔法の有無で簡単に推測できてしまう。
つまりは、何らかのアクシデントがあって、こっちの世界に来てしまったと……。
そこから、推測すると、私たちの旅客機と何らかの共通点が必ずあるはず……。
その共通点を突き止めれば、私たちが元の世界に帰る方法も自ずと見えてくる……。
そして、このデッキの保存状態の良さ……、ここで、どんなアクシデントがあったかを突き止めるのは容易なこと……。
「旅客機と飛行船、そして、墜落……、と云う共通点はあるけど、おそらく、それではない……」
壁にかけられた肖像画や風景画を観察しながら進む。
「共通点か……、おおよそ、想像がつく……」
みんなが元の世界に帰りたいと思う事は当然な事で、すぐに、ここを調べ始めるだろう……。
で、帰る方法がわかりました、と……。
その時、私はどうする?
一緒に日本に帰る?
私はハイジャック犯の武地京哉なんだよ? 帰れるわけないじゃん、帰ったら極刑は免れないよ。
「ふっ……」
自嘲してしまう。
「そうすると、みんなとは別々の道になるなぁ……」
その前に極刑なんかより、シウスたちを残して帰れるわけないよ。
そうだ、そうだ。
じゃぁ、エシュリンの村に身を寄せてひっそり暮らすか……。
まっ、そうは言っても、みんなは納得してくれないだろうね。
力ずくでも連れ戻そうとするよ。
その時、私は彼らと戦う事になる……。
「願わくば、それが遥か遠い未来の出来事でありますように……」
ふっ……。
くだらない……。
「帰りたいなら、帰ればいいよ、とにかく私は帰れない」
ここを破壊して証拠を全部なくしてしまってもいいけど、それはしない。
帰りたいなら自由にして、私はなんにも邪魔はしないから。
でも、手伝いはしない。
自力で頑張って。
まっ、そう簡単には帰れないと思うけどね。
「くるぅ……」
小さな鳴き声がした……。
「クルビット!」
そんな、くだらない未来の事を考えていてもしょうがない!
「クルビット、どこぉ!?」
まずは、クルビットの救出が先よ!
「くるぅ……」
私は声のするほうに走っていく。
「くるぅ……、くるぅ……」
ここか……。
崩れた瓦礫の向こう。
「クルビット、そこにいるの?」
私は通れそうな箇所を探して瓦礫の周辺を右往左往する。
「くるぅ……」
「もう大丈夫だよ、クルビット、怖くないから出ておいで」
と、通れそうな隙間を床付近に見つけて、しゃがんでその奥を覗き込む。
「くるぅ……」
「こっちにおいでぇ」
と、精一杯隙間の中に手を伸ばす。
「クルビット……」
「くるぅ……」
こない……。
もしかして、怪我でもしちゃった……?
「くっ……」
私は瓦礫の鉄骨などを掴んでその強度を確かめる。
崩れる可能性はあるけど……。
「行くしかない」
と、私は隙間に身体をねじ込んで、ほふく前進で前に進む。
お願いだから、崩れないでね……。
なるべく、鉄骨などの瓦礫に身体が触れないように慎重に前に進む。
「クルビット……」
そして、10メートルほど進むと、やっと出口に差し掛かる……。
「草……?」
背の低い、か細い草々が顔や腕に触れる。
私は急いで立ち上がって周囲を警戒する。
「ここは……?」
そこはドーム状になっている広場、ダンスホールとでも呼べばいいのか、精巧な木材の壁ときらびやかステンドグラスの丸い天井、直径30メートルほどの円形のホールになっていた。
床はびっしりと草で覆われている……。
そして、天井に穴があるのだろうか、そこから一本の光の筋が降り注いでいる……。
その、光の下には……。
「お花……」
私が大好きな、あの小さな白い鈴状のお花が咲いていた。
「なに、ここ……」
私はしゃがんでそのお花を見る……。
「うーん……」
と、鈴を指で弾くように、その小さなお花を揺らしてみる。
リーン。
と、音はしないけど、綺麗な鈴の音が鳴った気がした……。
カタン、コトン。
その時、ホールの片隅からそんな音がした。
私は視線をそちらに送る。
薄暗闇の中、誰かが屈んで何かをしていた。
カタン、コトン。
幾重にも入り組んだ鉄骨の山の中に腕を入れようとしている……。
カタン、コトン。
その人は……。
人ではない……。
薄いブラウンのフルプレートアーマーを着込んだような出で立ちだが、明らかに各部のバランスがおかしい……。
あんなに細いウエストの人なんていない、ウエストが小さな銀色のボール状になっている。
手足も関節がない、いや、あれは多関節だ、どこからでも曲がりそう……。
「くるぅ……」
入り組んだ鉄骨の山の中に小さな子犬の姿が見える。
「くるぅ……」
カタン、コトン。
子犬が別の場所に逃げるたびに、その人のような物が追い駆け、捕まえようとする。
「何やってんだ、てめぇ……」
私は頭にきて、そちらのほうに歩いていく。
すると、その人のような物ははじめて私に気付いたのか、動きを止め、顔だけをこちらに向ける。
バケツをかぶったようなフルフェイスのヘルム……、目はカメラのレンズのような赤く丸いのが二つ……。
顔にあるのはそれだけ……。
ギ、ギギ、ガガ……。
不快な、さび付いた鉄同士がこすれる音を響かせて、その人のような物が立ち上がる。
そして、そいつが私に向き直る。
身長は2メートルほど……。
薄いブラウンのフルプレートアーマーに覆われたその肢体は細くしなやか……。
「なんだろうなぁ……、これ?」
ギギ……。
そいつが一歩、私のほうに足を踏み出す。
「くるぅ! くるぅ!」
と、それを見た子犬、クルビットが足元の黄色のフリスビーをくわえ、鉄骨の山の中から頭を出して、そこから抜け出してこちらに走ってこようとする。
「待って、クルビット!」
私は手を出して、それを制止させる。
「クルビットはそこにいて、最初にこいつをやっつけるから」
「くるぅ……」
と、言葉を理解したのか、クルビットはまた鉄骨の山の中に頭を引っ込めて、足元にフリスビーを置く。
ギギ、ガガ……。
不快な音を轟かせながらにゆっくりと私のほうに歩いてくる……。
「あんた、人間じゃないよね? もしかして、ロボ?」
ギギギ、ガガガ……。
返事はない、ただ、ゆっくりとこちらに歩いてくるだけ……。
「ギーギー、ガーガーうるさいのよ、油くらいさしておけ、バカ」
ギギギ、ガガガ……。
まっ、大方、ヒンデンブルクの魔法ロボットかなんかなんでしょ?
ドラゴン・プレッシャーの性能を見ると、それくらいやりそうだよ、ここの連中は……。
「アポトレス、水晶の波紋、火晶の砂紋、風を纏え、
魔法で各関節を保護する。
「ゴッドハンド……」
そして、拳の強化、さらに足の膝から下にもそれで覆わせる……。
「じゃ、やろうか、ロボ?」
私は姿勢を低くして、最高速でやつとの間合いを詰める。