池の縁から顔を半分だけ出して、周囲を見渡す。
人影はひとつ、秋葉蒼だけ。
ただし、中央広場のこうこうと焚かれたかがり火のせいで逆光となり、その表情をうかがい知ることは出来ない。
「見えなくたってわかるよ、絶対勝ち誇った表情で私を見下ろしているよ……」
ゆるせん……。
ぎゃふんと言わせてやる。
必ずやつを金の斧の池に引きずりこんで、ぶくぶくさせてやるんだから……。
「ほぉら、ナビー、仕返しは終りだよ、今度は大丈夫だから、あがっておいで」
と、秋葉が再度手を差し出す。
「もう騙されない」
そっぽを向く。
「ははは、疑り深いな、ナビーは」
そっぽを向くついでに後方の、エシュリンが隠れているだろう森の中に視線を移して、彼女の位置を確認する。
こっちから森の方角は順光になっていて、彼女、エシュリンの姿はすぐに視認することが出来た。
彼女は木の陰というより、下草の茂みの中にしゃがんで隠れている。
「うーん……」
私はエシュリンに手信号を送る。
自分と彼女の目に指二本を向け、そのあと人差し指で合図を出す。
「通じるかなぁ……」
でも、私の不安とは裏腹にエシュリンは満面の笑みでうなずき、森の奥に消えていく。
通じたみたい。
「次はどうしよう、ぶくぶく……、蒼をなんとかしたい、ぶくぶく……」
というか、寒い!
「ナビーが上がって来ないんじゃ、しょうがないか……」
と、秋葉が伸ばした手を引っ込めて立ち上がる。
そして、振り返り向こうを向く。
「うん? 諦めたのかな?」
よし、この隙に逃げよう、そして、浴衣を着てこよう、本当に風邪引きそうだから。
私は音を立てないように、平泳ぎで対岸に向かって泳ぎ出す。
「いや、待てよ、これはチャンスなんじゃないの?」
再度方向転換して、池の縁に向かう。
そして、また池の縁にちょこんと手をかけて周囲を見渡す。
「うーん……」
暗くて見えない……。
「あ、秋葉くん?」
と、きょろきょろ辺りを見渡しているとそんな声が聞こえてきた。
「あ、あれ? 鹿島さん? どうしたの?」
逆光でよく見えないけど、どうやらそれは女性班の鹿島美咲のようだった。
「どうしたもなにも……、秋葉くんが呼び出したんだよね?」
「いや、俺はなにも……」
「え? だってほら?」
と、鹿島が秋葉に紙切れを差し出して、それを見せる。
「あ……」
秋葉が小さく驚く。
鹿島美咲かぁ……。
どんな内容で誘いだしたんだっけぇ……。
「うーん……」
首をかしげて思い出そうとする……。
「うーん……」
でも、思い出せない。
「うん、それでね、秋葉くん、やっぱり何回言われても出来ない……、みんなの前で服を脱ぐなんて……」
池の縁にかけていた手が滑り落ちて、ばしゃんって音を立てた。
「え? 誰かいるの?」
やばい、びっくりして音立てちゃった。
「さ、さぁ、と、鳥かなんかじゃない?」
と、秋葉が動揺しながらも、ちらちらこっちを見ながら対処してくれる。
「そ、そう?」
「それより、そっかぁ……、出来ないのかぁ……、まぁ、出来ないなら、出来ないでいいよ、冗談だからさ、ははは、気にしないで……」
とか秋葉が言ってる……。
いや、その前にさっきクラスメイトには変なこと言ってない、ナビーにだけだよ、とか言ってなかったっけ?
「え? 冗談なの? あんなに真剣に話してくれたのに……?」
「ははは、冗談だよ、そんなの本気にしないで、鹿島さん、ははは……」
なんか、鹿島よりも、こっちを気にしながら言い訳してる。
うん、ウソなんだね。
あいつクラスのみんなにも同じようなことしてたんだね!
ゆるせん!
というより、寒い!
もう駄目だ!
私は音を立てないように、そーっと池から這い上がる。
そして、すけすけの水着を見られないように、ほふく前進で二人のうしろから忍び寄る。
「ひ、酷い……、真剣に悩んだのに……、いいです、このことはみぃちゃんや東園寺くん、人見くんに報告させてもらいます」
「ち、違うんだ、誤解だ、それだけはやめてくれ、そ、そう、冗談じゃないんだ、本気なんだ!」
なんか、口論ぽくなってる……。
最初は寒いから鹿島のうしろから抱き着いて、冷え冷えの手を襟元から差し込んであっためようと思ったけど……。
鹿島は秋葉の向こうで遠い。
「ほ、本気って、それじゃ余計……」
「そ、そうなんだよ、これは俺と君だけの秘密にしてほしいんだ」
ほふく前進で秋葉のすぐうしろまで来て、そのまま彼の背中を見上げる。
白いシャツ……。
それが風になびいてひらひらしてる……。
そして、あったかそうな背中が見える……。
「おお……」
口の中でつぶやく。
のそのそと彼の足を伝って登っていき、ベルトに手をかけ、そのまま冷えた手を秋葉の背中にぴたりと押し当てる。
「ひっ!?」
秋葉が変な奇声を発する。
「あ、秋葉くん!?」
「い、いや、なんでもないんだ!」
白いシャツに頭を入れてっと……。
お? ぶかぶかのシャツに見えたけど、結構キツキツだぞぉ?
「ひゅ、えう、はう!?」
「ど、どうしたの、秋葉くん!?」
くっ、狭い……。
ぴったり彼の背中に張りつきながらシャツの中に入っていく。
おお……。
シャツがキツキツでずり落ちない。
これは楽……。
「ぷはぁ……」
と、襟から顔を出して、大きく深呼吸をする。
彼の腰を両足で挟んでずり落ちないように身体を固定する。
そして腕も前にまわし、冷えた手を彼の胸あたりに押し付けて暖をとる。
あったかぁい……。
ぺたぺた、ぺたぺたと触りまくる。
おお、胸より、首元のほうがあったかいぞぉ。
「ひっ!? え、ひゃ!?」
「あ、秋葉くん、ホントにどうしたの!?」
「え、ちょ、ナ、ナ――」
と、私の名前を出そうとしたので、耳元に口を近づけて、
「めぇ……」
おっと、間違った、それはシウスだ。
「ねぇ、いいの、蒼? 前に私に言ってたこと、美咲に教えちゃうよ?」
と、囁いてやる。
「え……?」
「え、って、あれだよ、みんなの前で服脱いで、私はメス豚です、秋葉くんの奴隷ですって言うやつ」
「うぐ、やめてくれ、そんなことしたら、本当に東園寺たちに報告されてしまう……」
「ね、困るでしょ? だからね、私が蒼の背中に取り憑いていることは、みんなには内緒にしてて、そしたら、言わないでいてあげる」
「わ、わかった、ほんの出来心だったんだ、もう許してくれ……」
よし、取り引き成立。
これで、秋葉は私の意のままに動く。
「ね、ねぇ、秋葉くん、誰と話しているの……?」
「い、いや? 誰とも、ただの独り言……」
「そ、そんなことより、あ、秋葉くんのお腹、なんか、膨れてない? 服の中に何か入れてるの?」
「あ、ああ……、ちょっと寒くてね……、念入りに腹巻を巻いているんだ……」
と、秋葉が苦しい言い訳を繰り返す。
うーん、なんか、うまく抱き着けない……。
こう、腕を襟元から出して、首に抱き着くようにして……。
「ひっ!? なんか、秋葉くんの首から手生えてきたよ!?」
「え? いや、いや、そんなわけないだろ、ははは……」
と、秋葉が私の手を掴んでシャツの中に押し込もうとする。
だが、負けん!
彼の手を振りほどいて首に抱き着く。
「ははは、ははは……、こら、こら……」
さらに、秋葉がその腕を引き離して、尚もシャツの中に押し込もうとする。
「こ、怖い、なんなの……」
鹿島が後ずさっていく。
「あれ、鹿島さん?」
「それに秋葉も、二人で何やってんの?」
と、そんな声が聞こえてきた。
「お、おまえら……」
「山本くんに佐々木くん……」
それは、生活班の山本新一と佐々木智一だった。
「てか、なんなの、その服装、秋葉……、ひっ!?」
あ、やばい、山本と目が合っちゃった。
私はとっさにシャツの中に頭をひっこめる。
「な、なに、き、金髪でてるぞ!?」
「え? ははは、エクステっていうか、マフラーっていうか、まぁ、そういうやつ、オシャレだろ? ははは……」
と、秋葉が私の髪をなでる。
うーん……。
塗れた髪の毛が背中とかに張り付いて気持ち悪い。
水着もびしょぬれで不快……。
私は秋葉のシャツの中でもじもじする。
「ひ、ひぃい、お、おまえ、絶対シャツの中になんか隠してるだろ!?」
「ち、ち、違うって、誤解だから、ははは」
と、秋葉が私の腰のあたりを掴んで動きを止めようとする。
「やっほー、みんな、なにしてるの?」
「おお、奇遇だな、おまえらも池に用事あるのか?」
「お、なんだ、なんだ、みんな集まって」
と、さらに数人がやってくる。
「おお、みんな、なんか秋葉がおかしいんだよ」
「そう、そう、このお腹、見て……」
そっか、もう20時頃になるのか、待ち合わせの時間だね。