森の中はうす暗く、明かりはすぐに届かなくなる。
暗くなるにつれ、それに合わせて走る速度を緩めていく。
秋葉が呼吸を整えつつ、周囲も見渡し現在地を確認する。
私も同じようにあたりを見渡し位置を確認しようとする。
枝打ちされた木々の割合とわずかに差し込む明かり、それを目安にして広場からの距離を推し量る。
もちろん、下草の量と地面の固さ、乾き具合によってもある程度それらを推察することが可能だ。
「で、エシュリンはどこにいるんだ、ナビー?」
秋葉蒼が尋ねてくる。
「うーん、わかんない……、たぶん、このあたりだと思うけど……」
周囲を見渡しながら質問に答える。
「これ以上奥には行ってないと思う」
この先は下草だらけ、尖った枝だらけ、しかも踏み固めてないからぬかるんでいて歩きにくい。
さらに下草や枝のせいで広場の明かりも届かず暗闇に包まれている。
なので、エシュリンがひとりで奥のほうまで行くことは考えづらい。
「うーん……」
「少し探してみるか……」
と、秋葉が注意深くあたりを警戒しながら歩きだす。
「というか、ナビー、いい加減シャツの中から出てくれないか?」
「いや」
シャツの中に首をひっこめて彼の背中にしがみ付く。
「い、いやって、ナビーもいやだろ、いつもまでも俺の背中にいるの?」
「やだ!」
と、力強く否定する。
「ナビーがいいなら、いいけど、俺もいやじゃないし……」
「うん」
出たくても出られないんだよね、水着がすけすけだから。
そして、しばらく歩くと、
「本当はこういうの危ないんだけどな……、道に迷う原因になる……」
と、秋葉が足を止めてつぶやく。
「うん?」
もぞもぞと彼の背中をよじ登って前方を見る。
「ああ……」
そこは少しひらけた場所だった。
でも、完全に木を伐採したわけではなく、何本かの木はそのまま生い茂り、また、伐採したばかりであろう木材も無造作に置かれていた。
「星明かり、月明かりに照らされて、遠くから見るとラグナロク広場のように明るく見える……」
確かに危ないね。
勘違いから方向感覚も狂う。
「もしかして、エシュリン、方向を見失って森の奥のほうに行っちゃったのかな……?」
「どうだろうな……」
彼女に限ってそんなわけないか……。
なにしろエシュリンは現地の人間、こういった深い森には慣れているはず。
私たちはひらけた場所に足を踏み入れる。
「お?」
なんか木の枝にひらひらとした被服のようなものがかけてあるぞ。
その被服のようなものの柄は白地に水玉模様……。
「あれは!」
私の浴衣だ!
さらに、よく見ると浴衣の下にはちゃんとピンクの鼻緒の下駄まで置いてある!
おお、やっと着替えられる。
塗れた水着を脱いで浴衣に着替えたい。
「よし、蒼、あそこに向かって!」
と、腕を出して浴衣の方角を指し示す。
「しっ!」
でも、秋葉に制止される。
「うん……?」
「誰か来た、隠れろ」
秋葉は数歩下がって下草の裏に身を隠す。
しゃがんであたりを警戒していると、ザッザッ、と云う足音が聞えてきた。
「本当に来た」
いつも思うけど、こいつの索敵能力って凄まじいよね……。
「それで、誰、追手?」
「おそらく……」
私は目を細めてその相手を確かめようとする。
森の奥、暗がりの中からランタンを携えてその人物は出てきた。
星明りに照らされたその姿は……。
綺麗に整えた黒い髪と銀縁のメガネ、その奥の鋭い目と聡明そうな瞳。
身長はそれほど高くないが、細身でバランスの取れた肢体を持つ男性。
「人見か……」
そう、それは参謀班の人見彰吾だった。
「彰吾……、金の斧の池にはいなかったよね、見回りかな?」
「こんなところを……? 俺たちを探しに来たんじゃないのか?」
「うーん、どっちだろ、彰吾なら、みんなが迷子にならないように見回り役を買って出そうな気もするんだけど……」
「ええ? あの人見が? そんなイメージじゃないな……」
と、私たちはひそひそと話し合う。
そして、人見が広場の中央に進み出て手にしたランタンをかざしてあたりを見渡す。
明かりがこちらに向けられたので、私たちは茂みに身を隠す。
「誰もいないか……」
人見が小さくつぶやく。
やっぱり見回りだね。
私たちは、そっと茂みから顔を出して、人見の行動を見守りつつ、彼が立ち去るのを待つ……、けど……、
「うん? なんだ、これは?」
人見が何かを発見したみたい。
彼がランタンをかざして見上げる先には……。
「服……?」
そう、私の浴衣だ。
人見が近くの切り株にランタンを置き、そして、私の浴衣に手を伸ばす。
「こ、これは……、浴衣か……、帯もある……」
私の浴衣を手に取り、まじまじと見つめる。
そして、そのまま私の浴衣を口元に持っていく……。
「くん、くんくん……」
と、匂いを嗅ぎ始める……。
「こ、これは……」
少し離して、再度、私の浴衣をまじまじと見つめる。
「くんくん、くんくん……」
そして、また匂いを嗅ぐ。
な、なんていうか、親の顔よりよく見た光景だよね……。
「何をやっているんだ、あいつ……?」
秋葉が怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「くんくん、くんくん……」
と、人見は夢中で私の浴衣の匂いを嗅いでいる……。
「くんくん、くんくん、くんくん……」
……。
これは、ひどいわ……。
「くんくん、くんくん……」
許せん、こらしめてやる。
「蒼、チャンスよ、立って」
と、小声で耳打ちする。
「チャンス?」
「そう、チャンス、彼を倒す大チャンスよ」
「ナビー、本気か? やつは強いぞ」
「物理的に戦うのならね……、でも、これから行うのは心理戦、彰吾の心を折る戦いよ、蒼、私の指示に従って」
「わかった、どうすればいい?」
「まずは、彼が私の浴衣に夢中になっている隙を付いてうしろから気付かれないように近づいて、その先の指示は追って出すから」
「わかった」
と、静かに立ち上がり、茂みから出で広場の中に入っていく。
「そーっとね」
「おうさ」
私たちはそっと、彼の背後から忍び寄る。
「くんくん、くんくん……」
彼は夢中で私の浴衣の匂いを嗅ぎ続けている……。
「そっと、そっとね……」
「お、おう……」
慎重に、音を立てずに歩いていく……。
「くんくん、くんくん……」
くんくんは私の浴衣に顔をうずめて匂いを嗅いでいる……。
「くんくん、くんくん……」
匂いを嗅ぐのに夢中で全くの無防備に見える……。
「じゃぁ、蒼、彼の後ろから手で目隠ししてみて」
「え、目隠し……?」
「そう、目隠しよ、私じゃ届かないから」
私は秋葉の背中、シャツの中にいるので手を伸ばしても届かない。
「目隠ししたら、あとは何もしなくていいから、交渉は私がする」
「わ、わかった……」
そーっと、近づき、秋葉が人見の前に腕をまわして、その目元を両手で押さえる。
「くん……?」
くんくんが動きを止める。
そして、私は身を乗りだし、彼の耳元に顔を近づけて言ってやる、
「めぇ……」
と。
おっと、間違った、それはシウスだ。
「ねぇ……、彰吾……、私、誰だと思う……?」
と、言ってやる。
「く、くん……、い、いや……」
匂いを嗅いでいた私の浴衣をゆっくりと下ろす。
「わかるよね、彰吾……?」
「ふっ……、さぁな、誰だろうなぁ……」
人見がかすかに笑うと、目隠ししている秋葉の手に自分の手を上から重ねる。
「わからないなぁ……」
と、おもむろに秋葉の手を掴む。
「この手は誰のかなぁ……」
秋葉の手を掴み、そのまま口元に持って行き、唇をつける。
「うーん、誰のかわからないなぁ……、味はどうなんだろうなぁ……」
とか、言い出して秋葉の手の甲をぺろぺろとなめだした。
「ちょっと酸味があるかなぁ……、どれ、こっちは……」
今度は秋葉の指をしゃぶりだす……。
「おお、酸味に加えて塩気もあるな、あと少しだけとろみも……」
こ、これ、どうすればいいんだろ……?
「でも、この味には覚えがある……、そう、この味は……、ナビー、キミだね……?」
と、秋葉の手を口から離して、ゆっくりと振り返る。
そして、秋葉と人見、二人の目が合う。
「い、いや、それ、俺の手だぜ、人見……」
「いっぎゃあああああああ!?」
よっぽど驚いたのか、人見がぴょーんと飛び跳ねて、そのまま腰を抜かして地面にへたり込む。
「ああああ、ああ、ああき、あき、秋葉かぁああああ!?」
驚愕の表情で秋葉を見上げる。
「ああ、残念だけどな……」
「なな、な、なんで、秋葉が、ナビーはどうした、ナビーの声だっただろ!?」
「いや、それがな、なんか、ごめんな……」
「そ、それに、なんだ、その服は、伸びきっているじゃないか、何か入っているのか、その腹に!?」
と、秋葉の腹のあたりを指差して叫ぶ。
「いや、なんでもないぜ、ナビーなんていない」
秋葉が少し笑いを含んだ声で答える。
「じゃぁ、なんなんだ、それはぁあ!?」
「いや、気にするなよ、人見……」
と、秋葉が人見のもとに歩いていく。
「それよりさぁ、あの人見彰吾さんにこんな趣味があるとは思わなかったなぁ……、あ、思い出したぜ、前の露天風呂攻防戦の時、その時もナビーの風呂を覗きたいとか言ってたよな? みんなは冗談としか受け取ってなかったけど、まさか、本気だったとはなぁ、いやぁ、まいった……」
そして、人見がへたり込んでいる前にしゃがみ視線を合わせる。
「う、うぐ、そ、それは……」
「そこでさ……、ちょっと相談なんだが、取引しないか、人見……?」
秋葉が人見の肩に手を置き、ニヤリと笑う。
「取引?」
「ああ、そうさ、ちょっともみ消して欲しい案件があるんだ、実は……」
なんか、秋葉が人見を脅迫してるんだけど……。