ちょろちょろ、ちょろちょろ、と。
足元を茶色の生物が動き回る。
小さな手と足を必死に動かして僕の気を引こうとしているこの生物の名はレティ。又の名を絶対強者、轟竜ティガレックスという……のだが、うちのティガレックスは子犬ほどの大きさしか無いので威厳は全くと言っていいほどない。
「ぐおー!」
小さいけれど立派な爪で床をしっかりと捉え、腹に力を込めて鳴く。本来なら人程度軽く吹き飛ばせる威力を誇るらしいそれは、レティがやってもただただ可愛いだけだった。というか。
「こら。鳴くのはいいけど、フローリングに爪を立てるのはやめなさい」
「ぐお!」
「ん? ああ、お腹が減ったのかい? ちょっと待っててね、すぐ用意するから」
可愛らしくぐおぐおと鳴くレティの頭を軽く撫でて、朝食の準備をする。
「レティー、おいでー」
扉の前で肉焼きセットを片手に、レティを呼ぶ。
そうすればレティはすごい勢いでこちらに向かってくる。この瞬間だけはいつも凄みがあるなあと思いつつ、扉を開けて外へ出る。
まだ春先なこともあって、日差しも柔らかく風も気持ちいい。
「ぐお!」
まあレティには関係なさそうだね。肉しか目に映ってないなこの子。
「よいしょ。はい、危ないから離れててねー」
肉焼きセットを組み立て、火をつける。
そこに生肉を乗せて、後は流れる音楽と共に肉を回転させるだけ。単純な作業故、純粋な肉焼きの技量が求められるこれは、しかし僕にとってはあまりにも容易い。
ちらりとレティを見ると、火を消してしまいそうなほど鼻息が荒かった。まだ焼けてないから、もう少し待とうね。
そうしてしばらく回し続け、僕は完璧なタイミングで肉を持ち上げる。
「上手に焼けました──ってね。はい、お待たせレティ」
お皿に乗せて差し出せば、待ってましたと言わんばかりにすさまじい勢いでガツガツと肉に食らい付く。ブルファンゴか君は。
肉焼きをさせたら右に出るものはいないと言われていた僕にかかれば、この程度朝飯前だ。
小さな口で一生懸命頬張る姿を見て、無性に撫で回したい衝動に襲われる。うーん可愛い。レティは世界一可愛いねえ。
「お、ハルくん。今日もやってるねえ」
「おはようございます。レティったらあれ以来すっかりハマっちゃったみたいで、最近は毎朝こうですよ」
「ははは、いいじゃないか。元気なのはいいことだ」
「少し元気すぎる気もしますけどね」
なにかと世話を焼いてくれるおじいさんにあはは、と笑いかける僕の手の甲に、ざらりとした感覚が伝わる。目線を下げると、そこにはこんがり肉を食べ切ったレティが遊んでとばかりに頭を擦り付けている光景が。なにこれ可愛い。
「中々どうして、やんちゃみたいだね」
「ええ。けどそこも、レティの可愛いところですよ」
そう言って、僕はレティの頭を優しく撫でた。
■
「レティ、ダメだよ?」
「ぐあ! ぐお!」
「可愛く鳴いてもダメなものはダメ」
「ぐおおん!」
悲痛な鳴き声を上げるレティを無理矢理抱き抱え、僕は足を踏み出した。より一層暴れだすレティだが、いくらモンスターとはいえこの体格では非力。僕でも抑えることができる。
さて、これからなにを行うのかと言えば──うん、ただの入浴なんだけど、レティってばお風呂が嫌いなのか毎回こうして抵抗してくる。
僕としては泥まみれの状態で家の中を走り回ってほしくないので、涙を呑んでレティを洗っているのだ。しくしく。
興奮すると体を地面に擦りつける癖を無くしてくれたらもっと楽になるんだけどね。
観念したのか力無く体を投げ出すレティの体を、念入りに洗う。使用するのは、主にアプトノスなんかに使われている鱗の汚れを落とすブラシだ。レティの鱗はアプトノスくらいの硬度らしいので、比較的柔らかめのブラシを選んでいる。
「うわー、派手に汚れてるね。レティ、左手上げて」
「ぐ」
ひょい、とレティの左手を掴んで、払うようにブラシで汚れを落としていく。なんだかんだレティもそれが心地良いのか、初めはあれだけ嫌がっていたのにすごく安らかな表情を浮かべている。ブラシは好きだけどシャワーは嫌いなのだろう。
続けて右手、頭、胴体、足、お腹、尻尾までブラシをかけたら、水で纏めて洗い流す。温度はレティのリクエストに応えて暖かめに調整している。
「はーいちょっと持ち上げるよー」
「ぐおっ」
背中側から水をかけて、しっかりとお腹の汚れも落とす。うーん、いつ見ても可愛いお腹だ。ぷにぷにしたい。よっぽど機嫌が良いときじゃないと怒られるからやらないけども。
「うん。綺麗になった」
タオルでしっかり水気を拭き取り、ぺかーと輝く鱗を見せつけるように上体を持ち上げるレティ。
あ、こら。だから爪を立てるのはやめなさい。
「ぐお……」
くそう、愛らしさ故になにも言えなくなる自分が憎らしい。
「ほら、隣のおじいさんからお高い霜降り肉もらったから、一緒に食べようか」
「! ぐおっ!」
おおっと現金な子だ。霜降り肉と聞いた途端に目が輝きだした。というか近い近い痛い爪がめり込んでる!
「ぐおお! ぐお!」
「はいはい。そんなに急がなくても、お肉は逃げませんよー」
レティのおねだりに弱い僕は、早速肉焼きセットを組み立て始めたのだった。
「こらー! それ僕の肉!」
「ぐおお!」
けど、僕の分まで食べるのはやめてほしかったなあ!