どうしてこうなったし。
「……」
自称便利屋「アンイーヴン」。その名を持つ建物はスラム街の一角にあり、人通りなど皆無だ。寧ろ訪れる目的以外の場合、決して寄り付かないだろう。
そこにポツンと建つ一軒家がその建物である。はたから見れば到底廃墟としか思えない。
そんな建物の内部は以外にも清掃はしっかりとされており、会社としての体裁は寸前のところで踏みとどまっていると言えるだろう。
広間の中央奥部に設置された長机には一人の黒髪の女性が座っており、手元のパソコンを動かして、何かを探るようにモニターを見ていた。
そんな彼女の傍では、一人の少年――紅裂百夜がビリヤード台へ座りながら、床へ立てた大剣の柄を弄んで暇をつぶしていた。
「で、まだ目を覚まさないのか」
女は、ソファに寝かせられた少女―水色だった髪は黒に染められていたが―は未だ目を覚ましておらず、寝息を立てていた。ちなみに髪を染めているのはギルバの仕業であり、彼女の変装の一環としてだ。色々と声を挙げたところで聞かない女であるから、何を言っても無駄出会える。
百夜が彼女を救出してから既に四時間ほど経過しているが、一向に目を覚ます気配が無い。
「さあね、本人にでも聞いてくれ」
「まぁ、そういうとは思ってたさ」
煙草を一本口に加えて、女は椅子から立ち上がり、少女の眼前へと歩いて来る。
彼女の着ている白のシャツはシンプルな服装故に艶めかしさを醸し出しているように思える。
「……でご本家の方は?」
「妹の存在を無かった事にするようだ。これで十七代目の襲名が決まったな。先代が突然の失踪と来ればさすがの更識とて焦るだろうよ」
「そいつは気持ちのいい話じゃないな」
「そうだな、近頃の外は本当に騒がしい。ここの仕事も増えるぞ、喜べ百夜。そしてジャンプしろ」
「だったら給料を増やしてほしいモンだぜ、ギルバ。後跳んでも銃弾くらいしか落ちねぇよ」
ギルバ――それは女の呼び名である。無論、それは偽名であり、彼女は日本人であることに百夜はうすうす気づいてはいたが何も言及はしていない。間違いなく、面倒事になるからである。
百夜がテレビに目を向ければ、そこには世界で初めてISを起動させた少年、織斑一夏の顔写真が映っていた。
「……ロクなもんじゃないぜ。少数派はどこにいても厄介事に出会うからな」
思わずそう呟く。
小さく、だが確かな溜息と共に、彼は腰を上げた。そして大剣を眼前に軽く放り投げ、右足で剣の先端を蹴り上げる。宙を舞う剣は彼の右手へと綺麗に収まり、その背中へと居場所を備えた。
「丁度か。起きたぞ」
「オーケー。んじゃ面接と行こうか」
「ここは……」
「ようこそ、ネームレス。アンイーヴンへ」
目を覚ました少女へ、ギルバは目線を合わせるように膝を曲げ彼女と目を合わせる。
途端、少女は少しだけ怯えた様子を出して周囲を見渡した。
「お前は誘拐されていた。それをウチのクソガキが助け出してここで保護したって訳さ」
女がクイと親指で示した先には、大剣を背中に構えた少年の姿があった。彼はどこか涼しげな表情で、少女を見ている。相手は刃物を持っていると言うのに、何故か恐怖は湧いてこなかった。
「これから私は……どうなるの」
「どうにもならない。お前が望めばここで住食を確保するし、家に帰りたいならすぐにここから立ち去ればいい」
女の言葉に少女――更識簪は帰ろうとも考えたが、すぐに思いとどまった。
今この場で帰ったところで、今までのように自分の居場所が出来る訳ではない。寧ろ誘拐されたことを一部の者から咎められる事すら否定できない。
姉と比べられる日々など、僅か数日で戻って来るではないか。
「私は……」
「悩むなら悩め。そして決意が付いたらまた言え。しばらくはここに泊まって行け」
少女の表情が曇る。
だがそれを掻き消すように、アンイーヴンの玄関の扉が開いた。それと同時に少年が背負っていた剣は、陽炎のように消えていった。
「らっしゃい。ご用件は?」
扉に立っていたのは息を切らせた壮年の男の姿だった。
「誘拐ねぇ……」
今時流行らない、と呟いて百夜は溜息を吐いた。
男からの要件は依頼である。誘拐された娘を救出してほしいと言う内容のだ。
実行犯は女尊男卑団体らしく、警察も迂闊に手が出せない――言わば独尊状態にある組織である。
確かにそれならば公の機関に協力を依頼したところでどうにもならないだろう。
「……それで、報酬の方は。相手は女尊男卑団体の連中です。これが何を言いたいかはお察しいただけるかと」
ギルバの言葉に男は顔を伏せる。
何でも一人娘のようで、母親は既に死去したらしい。それならば確かに大切な宝物だろう。
ふと百夜は男性の着用している服から何か見えているのに気が付いた。
「なぁ、親父さん。そいつは?」
「……昔の家族の写真だよ。今の私にとって慰めはこれしかない」
写真に映っているのは家族だろう。
男と女は朗らかに微笑んでおり、二人に挟まれて映った少女はさらに大きく笑っていた。
その姿が、百夜の心を打つ。彼の若い心を震わせた。
「……」
右の拳を力強く握りしめる。決断に時間など不要だった。
「……いいぜ、やるよ。報酬はいらない」
「本当か!?」
「おい、百夜……」
何かを言いかけたギルバを、百夜は視線だけで封殺する。
――怒りだ。彼の体と心の中を、燃え盛る怒りが渦巻いている。
「ギルバ。――オレはやるぜ。
「……仕方がない。またタダ働きか」
ギルバも呆れたように溜息を吐いて―だがどこか笑っている様子で―男に向き直った。
「報酬は不要、費用は全てこちらで賄います。そちらのご令嬢を救出した時には連絡を差し上げますので番号だけで結構です」
「……ありがとう、ありがとうございます!」
男性が退出するなり、早速百夜はコートの中から拳銃を取り出してメンテナンスを始めた。
煙草を口に加えたギルバが机に座り、ビリヤード台で銃を弄る百夜へ声を掛ける。
「まずは情報収集だが、お前の知っている情報は?」
「ないさ。精々、ISの台頭による女尊男卑くらいだ」
「生憎、私も同様だよ」
ふと、ギルバは簪が何かをモニターへ打ち込んでいるのが見えた。
一瞬、救出のメッセージでも送っているのかと思ったがよく見れば違う。モニターに表示されているのはブラウザで、そこには巨大な都市の一角が表示されていた。
「その団体が拠点にしている所って、この街だと思う」
彼女の言葉にギルバが加えていた煙草の先端が零れ落ちる。
そのままモニターを簪と共に覗き、少しだけ面白げな声を挙げた。
「……やるな。知っていたのか」
「うん、ちょっとだけ。だけど大まかな事は知らなかったから徹底的に調べ直した」
瞬間、ギルバの中で簪への評価が大きく跳ね上がった。
彼女は一見すると何の変哲も無いように見えるが、電子系統を使用した情報収集に置いては目覚ましい才能を秘めている可能性がある。
「……待て、今街と言ったか? 建物じゃなくて?」
「うん、その街は男性の立ち入りが禁じられてる。だから環境とかかなり酷いし、街の整備も全然なの。だけど」
「馬鹿が根城を捨てる訳が無い、か」
こくりと簪が頷いた。
もし彼女がいなければ、この場所の特定には数日がかかっていただろう。場所が判明したことに置いては彼女の成果と言うべきだ。
何故協力しているのかを問うかは事態が解決してからでいい。
「さて、問題は兵隊の数だが……」
「ハンドガン100丁、トカレフ」
響いた声は玄関からだった。
スーツを着た男がそこにいる。だがそれは先ほど依頼を出してきた男ではない。
温和そうな顔では無く、どこか鋭利な感覚を秘めた男だった。
「アサルトライフル50丁、AK-47。マシンガン200丁、MP5。
街中には車両が凡そ400台。囚われている目標は街の北側の民家の中。救助から脱出まではおよそ一時間。潜入自体は比較的容易と推測。兵士の質は皆、訓練不足であり世界各国と比べても遥かに見劣りしていると踏んでよい。そして無論の事それが所有するISは一切無し」
男は被っていた黒のシルクハットのつばを人差し指で軽く上げる。黒髪の男はどこかニヒルな笑みを見せた。襟首から漏れる黒髪が風に揺られる。
「さて、足りない情報は?」
「無い。悪いが、何もないぜジャック」
「そうか、それは僥倖だ」
ジャックと呼ばれた男は楽しげに笑う。
アンイーヴンを充満していた空気が冷たいモノへと変化していく。
「ほう、一人増えたか」
「まだ試験期間だ。……それよりもあの男にここを告げたのはお前だな」
「よくお分かりで、ギルバ」
ジャック――情報屋を名乗る謎の男であり、それ以外の素性は一切不明。百夜もギルバもこの男にだけはどうしても警戒心を緩めることは出来ない。
「お前の目的は相変わらず分からん」
「何、面白そうだから付き合うだけさ」
「……」
そう言ってジャックは立ち去って行った。その足元に書類の束が入ったファイルを残して。
あの男はいつもそうだ。火元に油を好き放題放り込むような男だ。
心の中に湧き上がる苛立ちを奥深くに閉じ込めて、百夜はメンテナンスを終えた銃のスライドを引いた。
「信用……出来るの」
「あぁ、人間性はともかくな。情報だけは確かだ」
ギルバの言葉に簪はどこか思案して、呟いた。
「私、どこかであの人を見たような気がする……」
「……人違いにしとけ」
銃をコートのホルスターに納めて、百夜はジャックが残したファイルを取り上げて机の上に並べる。
百夜が主に取り出したのは戦力を中心とした内容だった。
「……怖くないの」
「何がだ」
「だって、戦うんでしょ。それって……」
「怖くねぇさ。オレ達は警察に喧嘩売って生きてるようなヤツらだ。だったら手段何ていくらでも選んでやるよ」
そういって百夜は楽しげに笑った。