「よっと」
深夜――百夜は目標である少女を抱えて街の車庫を目指していた。
黒いコートと帽子、そして赤いサングラスで変装している以上一見ではバレないだろう。
民家の二階へ壁を蹴って飛び上がり、窓枠から侵入。そして少女を説得し、何とか少女の救出まではうまくいったところである。後はただ脱出するだけ。
問題は車庫に行くまで、どれだけ上手く見つからないかである。救出地点から車庫まではおよそ一キロ。そこから鉄橋までは三十キロ程ある。
夜明けまでに脱出し切らなければマズい。アンイーヴンの情報が外部に漏れてしまうとかなり厄介なのだ。
『そろそろ車庫が見えてくると思う……』
『見張りはいないだろうよ。いたとしてもお前なら造作も無いだろ?』
「あぁ、やれるさ」
作戦のオペレーターはギルバと簪の二人。特に簪の情報提供は的確であるため、任務自体は比較的楽になっていた。
現在、百夜は車庫に忍び込んだところであり―とは言ってもどうどう空いているシャッターから入っただけだが―内容自体は何ともまぁ、拍子抜けなモノだった。
『……貴方達が潜り込ませたバイクは車庫の出口から近い所にある。まだ使われてはいないみたい』
『一応ここからのリモートコントロールも可能だがどうする?』
「オレがやる。手繰り探りで何とかなるだろ」
『あぁ、お前なら失敗しても大丈夫だろうよ』
インカムの奥から聞こえて来た声に思わず笑いが零れる。
信頼の裏返しと呼ぶべきか。彼女は本当に素直ではない。
それは百夜も同じではあるが。
「アレか」
複数並ぶ車両の中で見覚えのあるバイクを見つける。赤と黒のカラーリングが施された大型二輪。
ギルバが改造し、百夜が彼流にアレンジした一品。
それは人外の化け物である。扱えるのは間違いなく百夜だけだろう。強化型のエンジンに防弾防熱防刃タイヤと防弾オイルタンクなど、必要となるのは彼だけだ。
「行くか。捕まってろよ」
コクリと頷いた少女の姿に、満足げに頷いてから百夜は持っていたキーを差す。
少女が激戦に晒されぬよう、彼の体とハンドルの間に挟んで飛ばされぬよう、百夜の体と少女の体をバンドで固定する。これで彼女が飛ばされる事は無くなった。
「ギルバ、行くぜ」
『あぁ、連中に目覚めと言うのを教えてやれ』
アクセルを吹かし、バイクを急発進させ百夜は拳銃を片手に夜の町を駆け抜けるべくバイクを疾走させた。
「さぁて、ついてこれるかい?」
「……どうした?」
コンピューター機器を使用して、ギルバと簪の二人は百夜へのオペレートを行っていた。途中までは簪こそ普通だったが、百夜がバイクで車庫を出た時から突然様子がおかしくなったのだ。
「私……これ以上は無理だよ」
「……理由を聞く。何故だ?」
簪は眼鏡を外し、微かに潤む目を隠すようにして、ギルバから目を逸らす。
煙草を吹かしたまま、ギルバは彼女から目を外さない。
「……電子機器なら得意だけど、作戦とか私やった事ないし。それに……私は無能だから」
「……姉との比較か」
コクリと簪は頷いた。
分からない話でも無い。ギルバにも妹や弟がいる。彼女自身はその家族に比べて優れていると賞賛された部類だった。故に嫌悪していた。家族の事を、その苦労を知らぬ者達が家族を愚弄するなど、ギルバにとっては許せなかった。
だからこそ彼女はそこを責めない。それは簪自身の問題だ。だとすればギルバにしてやれるのはその弱い心を変えてやるくらいか。
煙草を灰皿に押し付け、ギルバは簪の腕を力ずくで外させた。
「放して……!」
「聞け。つまりお前はこう言いたいのか。“無能だからしていけない”と」
「……それ以外に何があるの」
簪の強い目線に思わず口元が緩んだ。
尻すぼみするかと思えば、途端に鋭い眼差しになる。窮鼠と言う言葉が相応だ。
腐っても更識の者という事である。やはり自分の見立ては間違ってなかったとギルバは僅かに歓喜した。
「無能だから出来ない? 馬鹿を言え。無能だろうが有能だろうが関係ない。そんなのは優越感に浸りたいド阿呆が考えた机上の空論だ」
簪の口から息が漏れる。
ギルバは簪の腕を放し、再び百夜をオペレートすべく機器と対面する。
「お前に出来る事はある。そしてそれが目の前にある。だからやれ。失敗は私がカバーしてやる。
運命を変えたいならまず心を変えろ」
簪はしばらく黙り込んでいたが、やがてギルバと同じように機器と向き合った。
その様子にギルバは満足げに頷く。
「それでいい。人間はな、何か一つを極めればそれだけで世界と戦えるんだ。私もアイツも、その極めた物が表では意味を為さなかった。だがそれでもこうして生きている。
だからお前は目の前にあるモノを極めろ。人を支え、導く力を極めて世界と戦え」
「……うん!」
街の形状は川に囲まれた所謂閉鎖都市である。アクセス手段は四方にある鉄橋以外に無し。そして鉄橋は夜になると一つを除き全て跳ね上がり、さらに困難になる。
街中は整備状態が最悪であり、逃走経路は選んだ方が無難であり相手側は無論それを知らない。おまけに複雑に入り組んでいるため、敵側ですら場所を把握できていない。
以上が百夜の知る情報である。
「ここまで歓迎とはね!」
バイクのアクセルを最大まで回し、左手に握った拳銃の先は彼を追跡する集団へと向けられていた。
「殺せ! 男だ!」
背後から体を掠める銃弾に舌打ちし反撃とばかしに引金を絞る。狙いは黒のセダンのフロントガラスであり、無論頭部を狙った一発だ。
そしてフロントガラスと共に派手な脳漿をぶちまけて運転手は仰け反り、セダンの車体が横転し、併走していたバイクを巻き込みながら電柱へと激突する。
こんな事を百夜は幾度も繰り返していた。だと言うのに敵は一向に減らない。
「コイツで少しはマシか」
追っ手はおよそ三十。だがここから次々と増えて来ると考えてもいい。
エンジンを限界まで捻り、百夜はスライドを口に加え顎の力で勢いよく引いた。ヘルメットすらしていないため、風圧が凄まじく弾丸の軌道には確実に影響が出る。
『そら、急げよ百夜。もうすぐ鉄橋だ』
『……鉄橋、敵はどれくらい?』
「分かんね。見た限りじゃハーレムには困らないだろうぜ。どいつもこいつも不細工な面してるがな!」
敵の数はネズミ算に増えつつあり、これは完全に予測していなかった。妄信に浸った馬鹿程恐ろしい物は無い。
視界の片隅に赤い鉄の柱――鉄橋が見えた。だが果たしてここまで振り切れるか。
『百夜。その鉄橋、かなり古いよ。何か衝撃を与えれば壊せるかもしれない』
簪の言葉に百夜は僅かな沈黙の後口笛を吹く。
以前の彼女ならば思いもつかなかった作戦だ。ギルバが何か助言でも与えたのかもしれない。
『振り切るならそれが最適だろうな。だがもし失敗すれば』
「分かってるさ」
鉄橋に差し掛かる。瞬間、百夜は銃を左右に乱射した。左腕をすさまじい速度で動かし、視線をあちらこちらへ回し、次々と発砲していく。
百夜の拳銃による衝撃――それを受けた鉄橋は次々と倒れていく。衝撃で支柱が折れたのだ。そしてそれは鉄橋を塞ぐようにして畳むように倒れていった。
背後を見て、百夜は僅かに舌打ちする。
「……ちっ、悪運だけは強いか」
その支柱の倒壊を突破してきている車両が数台。やはり失敗は付き物か、と笑う。
百夜は背中に大剣を展開し、インカムへと通信を繋げた。
「後は任せる。オレはちょいと灸を据えて来るぜ」
『片付いたらこっちに戻ってこい。依頼主に連絡する』
「あいよ」
ベルトを取り外し、いつの間にやら気絶している少女とバイクが離れないようにして百夜はシートを蹴り上げて着地する。操縦者を失ったバイクは外部からの操作で無人機械となって疾走を続けていた。
リモートコントロール――今、あのバイクを遠隔操作しているのはギルバである。彼女の腕ならば何の心配も無いだろう。
振り返れば、そこには車両から直接銃を構える者、そして降りて百夜へ構える者など実に様々だった。数と武器だけは一流だと息を吐く。
「子供風情が舐めた真似をする……!」
気づいていないなと百夜は呆れた息を吐く。
そもそもこんな時間帯に鉄橋を倒す程の威力を持つ拳銃と大剣を携え、街中を駆ける少年など一体どこにいるというのか。だが夢は夢のままで終わらせてやった方が幸福だろう。
「まぁ、一応聞いておくが何で誘拐なんて御大層な真似をした?」
「そんなのあの娘の幸せのために決まっているでしょ!」
女の一人が叫ぶ。その表情が錯乱の色を浮かべている事に本人は気づいていない。
先を促すか迷ったが、こういう手合いは勝手に喋ってくれると判断し百夜はバイクのアクセルを何度も捻っていた右手で拳銃を掴む。
「父子家庭なんて今の時世では地獄よ! 私達があの娘を育てれば、あんなみすぼらしい環境よりも数倍マシだわ!」
「……それは、あの少女自身が言っていた事かい」
「そんな事は聞くまでも無いわ。私達の手にかかればあの娘はいつか私達に幸福を――」
「――そこまで聞いてねぇよドブス」
銃声が響く。喋っていた女は頭部を吹き飛ばされ、残された体だけが地面に膝を着いた。
それは魔法や奇跡が起きたわけでもない。ただ百夜が発砲しただけ。彼は銃口を女達に向けたまま、低く冷たい声で言葉を発した。彼の踏み出した足音が夜の闇を切る。
「妄想を現実に持ち込むんじゃねぇよ、間抜けが」
怠惰な動きで拳銃の引金を何度も絞り、女達を撃ち抜いていく。
それには何の躊躇も迷いも無い。ただ殺すと言う事を繰り返すだけだった。
一通りを撃ち終えてから、百夜は改めて息を吐く。
「夢を見るにはちょいと時間が少なかったか」
足がすくむ残党に対して、百夜は何の手心も加えようとはしなかった。否、するだけ無駄だ。だから殺す。それが彼の出した答えだった。
銃を指先で回しながら、ゆっくりと歩いていく。彼の体を掠める銃弾に、何一つ恐れた様子無く百夜は女達をサングラス越しに見渡す。
「長く寝ぼけて来たんだ。だがそれぐらいじゃ足りねぇだろうな。まだまだ呆けていたいだろう」
そうして彼は両手の拳銃を眼前へと突き付けた。不気味に微笑みながら、彼は引金へと指を掛けた。
「――良い夢を」