英雄の半身と弟子の交換転生 〜英雄輔翼伝〜 作:ゆうき あゆむ
キルヒアイス、ラインハルト、アンネローゼ、3人の幸せな日々は長続きしなかった。
ある日、いつもの様にキルヒアイスとラインハルトが、冒険という名のオーディン探検から帰って来ると、ミューゼル家の門扉の前に黒塗りの高級車が停まっていたのだ。
宮内省の行政官の乗る公用車だった。その行政官は、2人が帰ってくるのと同時に新無憂宮へと帰宮した。
それを見た2人は、どうしようもない胸騒ぎを覚えて急いでミューゼル家に入って行った。
「お父様、姉上!」
玄関を入るなり、ラインハルトはいきなり叫んでいた。
「お父様! 何をなさっているのです!」
玄関で叫んだ後、リビングに入ったラインハルトは、隠せないほどの怒りを込めて、もう一度叫んだ。
目の前でボトルから直接ウィスキーを飲んでいる父の姿を見たのだった。
「セバスティアン様、アンネローゼ様、あの車は、何だったのですか?」
怒気を全身から溢れさせ、あまりの怒りに言葉を発せなくなっているラインハルト代わり、キルヒアイスが聞いた。
「ジーク、ラインハルト…、仕方がないのよ…。」
応えたのはアンネローゼだったが、アンネローゼの答えは、答えにならない答えだった。
ただ、帝国に生を受けた2人には、それだけでおおよその予想はついた。
「アンネローゼが、後宮に入る事になった…。」
飲みかけのウィスキーボトルを持ったセバスティアンが、この世全ての不幸を背負ったかのような背中を向けたまま誰に言うでもなく、2人の予想を肯定するかの様に呟いた。
セバスティアンの呟く背中は、実はラインハルトの記憶には無いが、アンネローゼには過去に一回だけ見た事がある背中だった。
セバスティアンの妻であり、アンネローゼとラインハルトの母、クラリベルが事故で死んで、その事故の詳細を警察から聞いた時に見たのと同じ背中だったのだ。
何も言えないアンネローゼは、悲しみと申し訳なさに支配された表情を、昔、一度だけ見たが、一番見たくなかった父の背中に向けていた。
今の銀河帝国皇帝に逆らうことは、一族の死を意味する。すなわち、帝国で暮らしている限り、いかなる者、大貴族であっても断る事は死ぬ以外、不可能なのだ。
ましてや下級貴族のセバスティアンにとって、自分の娘であるアンネローゼは自分の手の届かない、自分にとっては死んだも同然になったと感じているのであった。
「お父様!」
「お父様は、姉上を売ったのですね!」
「貴方…、いや、貴様は、我が子を売ったんだ!」
しかし、母の死が己の記憶に無い位に幼かった彼にとっては関係無かった。
ましてや10歳のラインハルトにとって、後宮に上がる事について知ってはいても理解したくないと感じる、まだ感情を理性でコントロール出来ない年齢である。
ラインハルトは、我を忘れてセバスティアンにこれ以上も無い侮蔑を含めて詰め寄った。
セバスティアンは言い訳などは一言も発せず、未だこの場にいる全ての者の発言を拒絶するかのように背を向けたままだった。彼は、ラインハルトにとっては姉が母代わりであり、まだまだ母を必要とする年頃の母性の対象を奪い取ってしまった一端は自分にあることを後悔しているかの様であった。
帝国にあっては決して、その様な後悔を感じる必要が無いと知っているが、その後悔ゆえに、ラインハルトの怒りを自らの身に受ける覚悟を持っているのだと、100年の記憶に裏付けされた人生経験を持つキルヒアイスは思った。
「ラインハルト、仕方がないのよ…。」
「それに、この方法が良いの…。」
困窮している我が家、皇帝からの誘いを断れる術のない事実、それら全てを理解しているアンネローゼは、手がつけられないほど怒りに身を震わせているラインハルトに対して、努めて冷静に、そして諭すように語りかけていた。
ただ、そのアンネローゼ自身も、未だ15歳である。自らの身に起こった事を全て受け止められるほど成熟しているわけでは無い。その身体は、これからの自分に待ち受ける未来を想像して小刻みに震えていた。
姉が家からいなくなる事実、そんな姉のどこか我慢している姿を見てしまった事、心の何処かでは信じていた父に対しての落胆から、ラインハルトは自室に駆け込み引きこもってしまった。
「ジーク、これからラインハルトを止められるのは貴方だけになるわね…。」
「改めて、ラインハルトをお願い。」
「貴方の言う事なら、ラインハルトも聞くと思うから…。」
「もう、貴方にしか、頼めないの…。」
自室に引きこもったラインハルトを横目に追いながら、薄っすらと濡らした瞳を閉じて、アンネローゼは意識してなのか無意識なのか、ラインハルトの今後をキルヒアイスに託す様に彼に頭を下げていた。
その日、前世の記憶で、その概要は知っていたものの、実際に目の当たりにした、あまりの衝撃にそのまま帰宅したキルヒアイスは自身も憤りを感じていた。しかし、その前に、ラインハルトのこの怒気こそが前世で獅子帝となる由縁となった事を改めて思い知った。
前世でのキルヒアイスが、どれほどラインハルトの為に
数日後、アンネローゼはフリードリヒ4世からグリューネワルト伯爵夫人の称号を賜り、寵妃として後宮に入る事になった。
その日が来るまで、アンネローゼとセバスティアンは輿入れの準備を、ラインハルトは相変わらず引きこもりの日々であった。ただ、輿入れ当日、睨むようにアンネローゼを乗せて走り去る黒塗りの車を睨みつけるラインハルトの姿があった。同じ様に見送りに来ていたキルヒアイスが久しぶりに顔を合わせたラインハルトは、以前とは顔つきや雰囲気が変わっていた。
その雰囲気は常に怒りを身に纏い、触れるものは皆、焼き尽くさんとするような覇気とも言うべき風格を10歳の少年ながら身に纏うようになっており、その表情は、遠くを真っ直ぐに見据える、凛とした顔つきで在った。
「キルヒアイス!」
「俺は、姉上を取り戻す!」
ラインハルトは、『ライン』の意味する『純粋』と『ハルト』の意味する『心』という、名前の示す通り『純粋な心』を、姉を皇帝から取り戻す事へと向け決意したのであった。
輿入れするアンネローゼの後ろ姿を追ったその翌朝、突然、ミューゼル家は引っ越した。
アンネローゼの輿入れと同時に、ミューゼル家は引っ越し準備を進めていたのだった。『少しでもアンネローゼの過ごした、その雰囲気が残るその家で暮らしたくない。』そんな思いが伝わる、夜逃げの様な引っ越しであった。
ここ数ヶ月、常にミューゼル家の2人と3人で過ごしていたキルヒアイスは、空虚な日々を過ごしていた。
そんな空虚な数日が過ぎたある日、目の前に帝国幼年学校の制服を着たラインハルトが現れた。
「キルヒアイス、一緒に幼年学校に行こう!」
ラインハルトは、そこで、一呼吸置き、幼年学校に誘う理由を語り始めた。
「俺は考えた。姉上を取り戻し、この銀河を手に入れる。」
「ゴールデンバウムも、人類の開闢以来、常に皇帝であったわけでは無いはずだ。」
「そうであれば、ルドルフに可能であったのだから俺にも可能だろう。」
「キルヒアイス、俺についてきてくれ!」
「そして、姉上を取り戻し、一緒に銀河を手に入れよう。」
そう言って手を差し出して、ラインハルトは突然の別れの前と変わらぬ、怒気を携えた覇気を宿した蒼氷色の瞳を真っ直ぐにキルヒアイスに向けて来た。
キルヒアイスは数ヶ月前に決意した気持ちを確認するように、頷きながら差し出されたその手を握り返した。そして、次の瞬間には跪き、今まで『様』をつけた事がなかったラインハルトに『様』をつけて最上級の気持ちで応えた。
「ラインハルト様、このキルヒアイス、常に共をさせていただきます。」
「ただ、お耳に痛いであろう諫言をお聞かせする事があるかと思いますが、全てはラインハルト様の覇業のためでございます。」
「お供させて頂くのにつきまして、願わくば、あえて諫言する事をお許しを頂ければと思いますので、慎んでお願い申し上げます。」
その姿を見て口上を聞いたラインハルトは、すぐにキルヒアイスを引き起こした。
「キルヒアイス、今まで通りで頼む。」
「俺は、お前が友だからこそ迎えにきたのだ。」
「もう一度言う、お前は俺の臣下では無い、同じ志を持った友なのだ。俺と一緒に、幼年学校に行ってくれ。」
ラインハルトは、そこまで言うと頭を下げた。
キルヒアイスは恥じた。前世でのユリアンとしての記憶と現世でのキルヒアイスの記憶が、自然とラインハルトへの臣下の礼をとったのであるが、前世でのキルヒアイスの墓標はラインハルトによる『我が友』のみである。
前世の記憶での墓標の事を失念していたキルヒアイスは、改めて引き上げられた時に握られた手を強く握り返し、深々と頭を下げた。
顔を上げたキルヒアイスからは、迷いのない真っ直ぐな視線がラインハルトに向けられ、2人はお互いに『友』として、揺るぎない友情を誓うのであった。
その夜、キルヒアイスは父母に幼年学校への入学許可をもらう為、その事を伝えた。
『帝国男児であれば致し方無し。』と言った父からは、言葉の裏から厳しくも温かい感情を感じた。『無理はしないで、いつでも帰ってらっしゃい。』と言った母からは、包み込む温かさを改めて感じたのであった。
その後、本来、平民は入学する事が出来ない帝国幼年学校で、平民であるキルヒアイスが入学する為に用意された、ラインハルトの伝手によるグリューネワルト伯爵夫人の幼年学校入学の為の推薦状をキルヒアイスは携え、ラインハルトと共に心の決めた決意を実現させるために、幼年学校の門を潜ったのであった。
決意、了
次回、雌伏
幼年学校に入学したキルヒアイスとラインハルト、2人の運命の歯車は、ゆっくりではあるが音を立てながら回り始めている。
未来のため、2人は幼年学校では力を溜める。