金の王女と銀の王子の大戦争   作:モンスター爺さん

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1戦目

 魔王。

 それは平和を乱す、人類の敵。

 単騎で一国を滅ぼし得るとされる八大幹部を従えて『ベルゼルグ』に幾度となく侵攻しては、人々を脅かし、挑んできた数多の勇者たちを返り討ちにしてきた。それも剣士であれば剣で、魔法であれば魔法で、相対した者らの得意分野で悉く潰してきた。

 そして、魔王には特殊な力があった。

 それは自らの傍に侍る魔族の力を増幅させるというもの。魔王がただその傍にいるだけで、貧弱なゴブリンでさえ中堅どころの冒険者グループと一端に渡り合える戦力になる。そう、魔王というのは集団ことでその真価を発揮する、正しく“魔王”なのだ。

 

 そんな完全無欠と思われた魔王にも悩みがあった。

 それは子宝に恵まれなかったことである。

 魔王たるものとして、その後継を作ることはとても重要。しかし交配の出来る魔族としても子を孕むことはなかなか叶わず、()()()()()()()()()

 そして、老年期に差し掛かった時、ようやく魔王の血筋を引くひとりの娘が生まれた。

 魔王は歳を取ってからできたその娘を大層可愛がり、自身の持つ力の大半をその子供に受け継がせた――

 

 ――だが、魔王は知らない。

 子供は娘だけなかったことを。その娘には腹違いの弟がいたことを。それも人間との間に生まれた混血児の息子がいたことを。

 

 

 ・

 

 

「ふふっ、いい子に眠っててくれるわね」

 

 光源は蝋燭の灯りのみの地下の牢獄は、だが優しく燃える魔法の熱に守られている。

 そんな温もりの結界の中で、女は、ひとつの新しい生命(いのち)を抱き上げていた。

 腕の中の身体は、儚いほどちっぽけで。手に掬い取った初雪のように、僅かにゆすっただけでも崩れてしまいそうな、危ういほどに繊細な手応え。

 弱々しくも懸命に、眠りながらも体温を維持し、ささやかな吐息が肌を撫でる。今はそれが限界。かすかな鼓動に、微笑まし気に女は頬を緩める。

 お産の憔悴からまだ立ち直れず、顔に蒼色が拭えないものの、そんな疲弊をかき消すほどの至福の色が、優しい眼差しを晴れやかなものにしている。

 そして、これは女の、蝋燭の灯火が消える間際の光なのだ――

 

「この先、きっと辛いだろうし、こんな母親に産み落とされたことを呪うでしょう。それでも、お母さんはあなたが愛しくて、誇らしいわ」

 

 精一杯の、慈しみを篭めて、眠る我が子の髪を梳く。

 愛らしいその嬰児は、女の金髪とは異なる色であって、それが先行きの暗雲を明示しているようだった。

 

 体力と魔力の残量を感覚的に把握して、今の女に、使える魔法はひとつ。

 それで、空間転移の魔法が一度は行使できるだろう。

 ただ、その『テレポート』の登録先にしているのは、強制転移用の火口を除けば、最果てのダンジョンと実家。

 中堅の冒険者では立ち寄れない高レベルのモンスターが跋扈する危険地帯に赤子を送り付けるなどできない。かといって、家とは勘当して、冒険者となった身で、こんな……忌み児の存在を許しはしない。

 だからといって、ここにいさせるわけにはいかない。

 となると、残された手段はひとつしかない。

 

「許して、とは言わないわ。だけど、生きて――人間として生きて」

 

 これから実行するのは、非常に運任せ。登録先以外のところへ飛ばす『ランダムテレポート』。

 まだ生まれて間もない赤子。

 しかし、才能がある。

 産まれた瞬間に感じたのだ。女と契約した力が、魔王軍に殺されまた新しく生まれ変わった彼らが、繋がっていた緒が切れた途端に、子供の方に移譲されてしまったのを。より大きな存在に引き寄せられたかのように。

 それはきっとこの子の潜在能力の高さによるもの。

 天才と謳われた自分以上に魔獣使いの名門たる一族の才能に恵まれ、そして、皮肉にもあの男の力を色濃く継いでいるのだろう。

 

「みんな、この子をお願いね」

 

 明かりに陰る足元に女はそう願う。応じるように赤子の影は蠢いて、それを見て、女は母としてしてやれる最後の口付けをふくよかな桜色の頬に落とした。

 そして、唇を接したまま詠唱を口ずさむ。

 どこに飛んでしまうかはわからない。

 だけど、せめて。この城から――この母から、とにかく遠い場所へ、さらにもしも叶うのなら、この子を育ててくれる優しい家の元に送り届けてほしい。

 

「――『テレポート』!」

 

 

 ・

 

 

 自分の中で一番古い記憶は暗闇だ。

 一筋の小さな光しかない冷たい闇。そして、すすり泣く女の声も一緒に覚えている。

 だけど、それが何なのかはわかりっこないことで、唯一解るのは己の生はよっぽどロクでもないのだろうと。

 しかしながら、不幸中の幸いなことに、自分は優しい人らに拾われたとは思っている。

 おかげで今日まで、捻くれながらも、健やかに育つことが叶った。この世に対する悪態は一日一度に控えるくらいに、それなりに生を謳歌している。しかしそれは現状に満足しているというわけでは決してなくて。

 

「――テリー!」

 

 家の庭に植えられた木に背を預けて微睡んでいると、今日も元気に自分を呼ぶ声。

 目を瞑っていても当てられるくらいに馴染みある気配が近づく。

 よし、ちょうどいいから、意思表明を伝えるとしよう。

 

「おはよう、レイン姉さん。それで、早速だけど、俺は剣士になるよ。最強の剣を手に入れて、最強の剣士になる。そのために今日からその最強の剣を探しに旅に出るから」

 

「何寝ぼけたことを言ってるの、テリー。お父さんもお母さんも私達の高い学費を支払うために大変なんだから、ちゃんと魔法学院に通わないとダメでしょう?」

 

 魔法学院。それはその名の通り、魔法を学ぶための、魔法の才ある者が集う学舎である。

 紅魔族なんていう一族の全員が『アークウィザード』とは格が劣るにしても、代々優秀な魔法使いを輩出してきた貴族の家の子息であることから、王都でもトップクラスにレベルの高い学院へ通わせてもらっている。ただし、それ相応に学費も高いし、そこに通っている連中が皆レベル高いとは口が裂けても言えない。

 

「残念だけど、レイン姉さん、何で俺がそんなところに通わないとダメなのかがわからないね。別に義務というわけじゃないし」

 

 と、この国でも需要の少ない魔法使いという職の、如何に将来有利に働くかというアドバンテージを一から言い聞かす説教が始まるかと思いきや、義姉は声を潜めた調子で、

 

「……もしかして、またいじめられるの心配しているの?」

 

「そんなことはない」

 

「だって、この前だってほら……」

 

 言い難そうに口ごもる義姉。だが、そんな今更なことをこちらは気にしていない。気に病ませてしまって、むしろ申し訳なく思う。

 

「レイン姉さんが心配することなんて何でもない。あんなレベルの低い連中のことなんかとっくの昔に相手になんかしていない」

 

「もうっ。それだから、テリーは友達ができないんです」

 

「生憎と、俺に友達なんて必要ない」

 

 姉弟というよりは、中々人に懐かない獣を少しずつ馴れさせていくようにあれこれ構う魔獣使いのよう。

 

「とにかく、一緒に学院に行きましょ。ほら」

 

 と差し出したその手を、鼻を鳴らして視線で払う。

 

「レイン姉さんと一緒に登校なんてごめんだね。恥ずかしいし、ひとりで行けよ。俺は後からゆっくり行くから」

 

「そういって、また学院を勝手にさぼる気なんでしょ」

 

 手を腰に当てて、お冠な義姉。でも、年頃的にそんなお手手繋いで登校なんてしたら余計に揶揄われる羽目になるし……迷惑をかける。

 説教する義姉だが、頑なにこちらも態度を変えないでいるとやがて根競べに負けた義姉は深く、将来は苦労人になることを伺わせそうな、溜息をついて、

 

「まったく、テリーには凄い資質があるのに。隣国で噂される『ドラゴンナイト』にだって負けないと思っているのに。どうしてこうなるのかなぁ。昔はもっと素直な子で、どこへ行くにも私の後をついていって可愛かったのに。どこで教育を間違ったのかしら?」

 

「余計なお世話だ。いちいちそんな昔の頃の話を持ち出してくると早く老けるぞ」

 

「本当に可愛げのない」

 

「ほら、もう行かないと遅刻するぞ。こんなところで素行を悪くしてたら卒業後の内定にも影響が出るんじゃないのか」

 

「こっちこそ余計なお世話ですっ! テリーもちゃんと学院に来るのよ!」

 

 卒業を間近に控え、忙しい義姉に時間的な余裕は他に比べてなく、後ろ髪を引かれつつも先へ行く。

 それを自分は見送って、姿が見えなくなったところで、また深く庭の樹に背中を預けた。

 

 義姉には悪いが、やはり魔法学院に行く必要がわからない。

 というのも、あそこで教える魔法程度ならわざわざ他人に教えを乞うほどのモノではないからだ。入院する前から、自分は中級魔法を習得しており、それに加え、一足先に学院に通っている義姉と共に魔導書を読み漁ってとってきた杵柄か、その魔力の扱いや、魔法使いの歴史や研究についての知識も一通り頭に入っている。これを言うと姉馬鹿(シスコン)かと思われるかもしれないが、義姉は学院の教師連中よりも人に教えるのが上手いと思う。

 なので、入院する際の試験では他とは頭二つ三つくらい圧倒的に飛び抜けた成績で首席合格し、自分が非常に優秀であることを理解している。

 が、そうなれば当然、嫉妬ややっかみが発生する、というのは自明の理であったりする。それも位の高い名家であるほどそれが強い。特別、その陰口や苛めを苦しいとは思わなかったが、煩わしいとは心底思わされた。どいつもこいつもこんなことに精を出して余程暇人なのだろうと思ってことは一度や二度ではない。

 

 そいつらを、手段を考えなければ蹴散らすことなど容易ではあったけれど、学院内での私闘は禁じられており、何より学院に通う子息にちょっとでも怪我でもさせれば家に迷惑をかける。相手によっては通っている義姉さえ巻き込まれかねない。

 応戦してこないと知るや否や助長していく仕打ちに対し、こちらの舌はそれ相応に達者になっていった。今や義姉も嘆くほどに可愛げのない毒舌に鍛えられてしまい、徹底的に相手の弱点を突き回しては、二度と関わらせないように容赦なく泣かせた。それがますます事態を悪化させていくのだとわかっていながら、実際この前停学になってしまうくらいの事態をやらかしておきながらも態度は一切変えたりしなかった。友人など作る必要がないし、学院に通う意義さえ見出せないのだから。

 

「――よし、決めた!」

 

 頭を覆う帽子を目深に被り直すと意を決して立ち上がる。

 ただし、向かう先は義姉の望む学院ではない。

 

「うん。やはり、レイン姉さんには悪いけど、気分が乗らない」

 

 拾ってもらった養子が言うのもなんだが、うちは貧乏貴族だ。家柄がそんなに偉いわけではない。

 それなのに、自分のような養子を抱えてしまっているのだからますます余裕がない。

 義姉も、付き合いで学院の友人とちょっとお高い洒落た喫茶店にいったときは、いつもお腹が痛いだとかなんとか言い訳つけて、お冷(みず)しか頼まない。

 だから、経済的に困窮しているというのに養子にまで気にかけている余裕などないと思うのだ。

 そんな学費があるんだったら、もっと流行の衣服を実の娘に買い与えてやるべきなのだ。なのに、義姉も、義父も義母も何にも文句は言わない。自分のことを家族として受け入れてくれている。貴族だけど人が良くて、おかげで損をしている家系だ。

 

 ――だから、剣士になる。

 もう学院で学べることなどは何もない。それに剣士になるなら、わざわざ高い金を払って高度な教育を受けて魔法を習得せずとも、剣一本あれば十分成り上がれる。

 幸い家のことは義姉がいるから大丈夫だ。学院では好成績を収め、卒業後の進路は、王族の子息の教育係に抜擢されるとか噂されている。夢は『店を貸し切って、皆に太っ腹にご馳走を奢る』というような、貴族子女ながら小市民な義姉であるが能力は優秀なのだ。

 義弟として、玉の輿に乗れそうな、金持ち(リッチ)な嫁ぎ先に行けることを密やかながら望んでいる。

 

「となると、俺がどれだけ本気かわかってもらう必要があるな」

 

 剣士になることを認めてもらうくらいの立派な剣が欲しいと思った。

 現時点で所有しているのといえば、腰に差したこのひのきの棒くらいしかないが、昔、義姉に読み聞かせてもらった騎士物語には木の枝で敵を倒した天才剣士がいるという。ならば、それに倣おう気持ちで、ひのきの棒を装備しているのだ。決して、お金がないからではない。

 しかしこんな棒切れで剣士を名乗ろうにもお遊戯だと笑われるのが関の山であるし、まだ魔法の杖だと言い張った方がましな代物。こんなのが家族を説得できる材料にはならない。

 

 そこで、あの噂だ。

 この『ベルゼルグ』の王都の王城には、何人たりとも鞘から抜くことのできない聖剣があるという。

 それは、なんとあのジャティス第一王子でさえ挑戦しても無理だった神器だそうだ。

 あれこそ最強を冠するに相応しい剣だ。

 あれの主に選定されたのなら、きっと両親も義姉も剣士になることを認めるに違いない。

 

「……それに、これで今度こそ家を追い出されても、構うものか」

 

 愚かな思い付きからの、半ば現実逃避じみた行いではあったものの、そのときはたとえ家を出ることになろうが、テリーは現状を脱したかった。

 

 

 ・

 

 

 この国の中心にある王都のさらに中心に栄える石造りの壮麗な城塞。

 完璧に整備されており、白亜の外壁には一片の瑕疵の汚れも見当たらない。王族のご先祖である聖剣の勇者が裸一貫、剣の才能でもってこの麗しの城国をこの地に構えた。

 

 城内の構造は、王城に勤務する義父からの仕事の話から大まかに予想がついている。

 だけど、実際に見たわけではない。

 おそらくは宝物庫にあるとは思われるが、聖剣の在処すらわからないので、今日はコッソリ下見に行くことにした。ちょうど今は国王軍が魔王軍との戦争に出ており、それも彼の第一王子の初陣を飾る戦だ。いつもより軍備に力が入っており、それでいつもより城内の兵は少なくなっている。

 だが、仮にも首都の王城。常に見張りをする警備兵で、子供ひとりの侵入をそう許すものではない。子供ひとりならば。

 

「スペディオ、ガルハート、グラブソン、ディアノーグ」

 

 テリーの足元の影より、白い仔犬、赤い雛鳥、黒い子猿、青い小竜が呼びかけに応じて現れる。

 彼らは、テリーの物心がつく前からずっとそばにいて、呼べばいつも足元の影から出てくる、危機となればいつだって味方をしてくれて守ってくれた大事な相棒。トランプなるカードゲームで思いついた名をそれぞれにつけている。

 

 テリーは、生まれつき、“魔獣に好かれやすい”という体質だった。

 おかげで、学院でも魔法使いよりも『魔獣使い』の才能があると言われているが、こいつらは断じて武器ではない。必要もないのに闘わせたくなどない。

 相棒たちにおんぶにだっこで力を手に入れるなどしたくはないし、意味がない。あくまでも独力で強くなることがテリーの目的だ。

 

「――命令は以上だ。頼んだぞみんな」

 

『ワン(キー)(ウキ)(ギャア)!』

 

 仔犬のスペディオが鋭敏な鼻を利かせて辺りに警戒してもらいながら、子猿のグラブソンに城塞を軽々と登って行ってもらって上に誰もいないことを確認させ、それから離れたところで小竜のディアノーグに警備兵の注意を逸らすよう、大きな物音を立ててもらってから、赤い雛鳥のガルハートの飛行を頼って、城塞の上まで運んでもらう。

 

 そして、警備兵が他所へ行っている間に、素早くテリーは駆け抜ける。鍵のかかっている扉があったが、それもすでに中級魔法スキルを習得しているテリーは解錠魔法『アンロック』で突破してしまう。まだ子供の小柄な身柄も、物陰に隠れるのに有利に働いて、何度か見回りの目から逃れた。

 

「何だ楽勝じゃないか。この調子なら聖剣もあっさり見つかってしまいそうだな。もっと真面目に働いたらどうなんだ、衛兵たち」

 

 相棒たちの助けがあったが、あっさりと侵入を果たしてしまう。魔王軍と戦争をしている王国であるのに、この城の警備の甘さには拍子抜けしてしまうくらいだ。

 

 そんな、誰にも見つからなかったことに調子に乗ったか、あるいは気が緩んだか。ある程度城内を歩き回ってから城の中庭に出て、草むらに身を潜めて相棒たちと小休止し、この暑苦しかった帽子を脱いだ時。テリーは鈴のなるような声をかけられた。

 

 

「ここで、一体何をしているのですか?」

 

 

 それに一瞬、目を奪われた。

 あでやかに翻るストレートの金髪、最高級の宝石みたいに好奇心を煌かせた碧の瞳。ほとんど年のころは変わらない。まだ七歳かそこらだろうに、あまりに完成され過ぎた貴族としての立ち振る舞い。

 美しいが、美しいというだけでなく、テリーは呆然と立ち尽くしたのだ。

 

(っ! しまった……!)

 

 迂闊にも、気づくのが遅れたのもあったが、今は顔を晒してしまっている。

 大きめの布の帽子で隠していたのは、氷結した水を思わせる銀髪。

 

 貴族の証である金髪とは真逆の色。勇者の血統とも言われる黒髪とも違う。

 ただ見たものに、冷たい印象を与える銀髪。この紫紺の目の色も相俟って、まるで魔族のようだと何人にも言われてきた。

 

 だから人目につかないようにしていたのだが、もう遅い。

 うわぁ、とそのお嬢様は自分をしげしげ見る。特に、髪と瞳を。

 

(………)

 

 今度こそ、突き刺されたように胸が痛んだ。

 何を言われるのも覚悟しているつもりでいた。魔族だろうが、なんだろうが、平然と演じられる自信があった。

 でも――このお嬢様に、この姿の少女に言われるのだけは――

 

 手遅れであるが急ぎ帽子をかぶり直す。

 

 だけど。

 

 そのお嬢様は、その時、キラキラした目でこういったのである。

 

「すっごく素敵です! その銀の髪と紫の瞳! まるで冬の国の王子様みたい!」

 

「―――!」

 

 それこそが、本当の魔法だった。

 何も特別な言葉じゃない。

 他の人にも同じようなお世辞は言われたはずで、その度テリーは口先だけお礼を返しながら、酷く冷めた自分を感じていた。他人がどう思おうが、自分の劣等感(コンプレックス)は変わらないと、皮肉な笑みを浮かべていたのだ。

 

「あ……」

 

 だから、不思議だった。

 この少女の姿で告げられると、どうしてこんなにも心を震わせてしまうのか、と。

 

 これに救われた、とは言わない。たったそれだけで救われるならば、もっとずっと前にあの暗闇は晴れていただろう。瞼の裏に染み付いた冷たい暗闇を、女のすすり泣く声を、とうの昔に忘れていただろう。だから救われた訳では無い。けれどそれでも、確かに少女の言葉は温かく、確かにこの心に染み入った。

 そして、テリーが少しいつもよりは浅めに帽子の位置を直したところで、あ、と少女は開いた口を戻し、

 

「えと、それで、あなたはここで何をしてるのですか?」

 

 これの返答は中々に困る。

 馬鹿正直に王城にある伝家の宝刀を抜きに来た、と話すことなどしない。かといって、良さげな言い訳がピンと思いつくこともなくて、

 

「それは……探検さ。いずれは家を出て冒険者になるつもりだから、その予行練習にここへお邪魔しに来たんだ」

 

「まあ、そうなのですか。勤勉なんですね」

 

 こんな強引な理由を、あっさりと信じる少女。それも今朝も義姉の手を焼かせていたサボり魔を指して真面目などとは随分とおかしい。

 よっぽどの世間知らずのようで、自分よりも年下の見た目からしてまだ学院にも通うような年齢ではないと思われる。事穏便に言い包められそうだとテリーは肩の力を少し抜いた。

 

「それで、俺の名はテリーだ。お嬢さんは何て名前なんだ?」

 

「ァ……イリスです」

 

「イリス、というのか」

 

「あ、いえ……。……はい、そうです」

 

 聞き覚えのない名前だ。だが、その金髪碧眼は貴族子女の証だろう。それも育ちの良さ(あと世間知らずさ)からして結構上流の。

 

「イリスはここで何をしに来たんだ?」

 

「それは、散歩です。新しい教育係の人が来るまではひとりで暇な時間が余ってて、それで中庭を散歩してるんです」

 

 ちらと相棒たちを見る。特にスペディオは人のウソに敏く、誤魔化しが一切通用しない。それがウソであるのなら一吠えするなどの反応を示すだろう。でも、ウソ発見器の魔道具よりも信用できる彼らは無反応。つまり、この少女は本当のことを話している。

 

 なるほど。

 どうやらここの警備の緩さを見る限り、この城は貴族の子女も出入りができるようだ。

 

「やれやれ」

 

「どうしたのです?」

 

「いや、何でもないさ」

 

 それで、どうするか。誰かを衛兵らを呼んだりする気配がないとはいえ、見つかってしまったからにはこれ以上の行動はできない。用がないのなら面倒なことになる前にとっとと出ていくべきなのだが、さっきから少女の目が自分の足元、寝転んでくつろいでいる魔獣らを興味津々に見つめている。

 

「この子たちは、モンスター、なのですよね?」

 

「俺の、大事な、相棒だ」

 

「ああ、失礼しました。ですが、あまり人を襲うようには見えないので」

 

「当然だ。こいつらは気高い。無闇に人を襲ったりなんかしないからな」

 

 モンスター呼ばわりされて、カチンときたが、普通、魔獣は外では人に害をなす存在だ。国から一歩も外に出たことのないお嬢様が恐れるのも無理はない。が、この少女の目には恐れの色はあんまりないようで、それよりも好奇心が大きく上回っているよう。

 そわそわとした熱視線を向けられて、相棒たちもむずがるような反応をする。これに根負けしたテリーは仕方がないので軽く紹介することにした。

 

「仔犬が、スペディオ。雛鳥が、ガルハート。子猿が、グラブソン。小竜が、ディアノーグだ。言っておくが、こいつらはまだ子供だけど結構強いぞ。王都にいる冒険者のパーティでも軽く捻れるくらいにな」

 

「はい、それはなんとなくわかります。この子たちは強いです」

 

「……でもまあ、さっきも言ったが狂暴じゃない。力加減もできるし、無理やりな接し方でもしなければ咬んだりしないさ」

 

「……触っても、構わないのですか」

 

「好きにしたらいい」

 

 相棒らも、この少女には一切の警戒を抱いていないようだった。余程心が綺麗なのだろう。恐る恐る手を伸ばしてくる少女に、仔犬のスペディオは、自らその指先にすり寄ってくる。

 

「うわぁ! この子たち、凄く可愛いです」

 

 それを皮切りに他の三体も少女の元に近づいて、一緒に戯れる。で、常に一緒である相棒たちがこんな調子なので、テリーはしぶしぶとまだこの中庭にいることにする。それで手持ち無沙汰になってしまったわけだが、未だに衛兵がここへ寄ってくる気配もないし、少女のことをじっと見つめているのもなんか恥ずかしい。

 テリーはじゃれ合う光景から顔を背けて、他に何か意識を向けさせる、暇つぶしできそうなものがないかと探し、腰の得物に気付く。

 

 ……そういえば、今日の日課がまだだったな。

 将来は最強の剣を振るうに相応しい剣士になるものとして、その努力も怠らない。義姉は『アークウィザード』になることを望んでいるみたいだが、『ソードマスター』か『ルーンナイト』になれるよう修行している。

 ちょうどいいので、ひのきの棒を剣に見立てての素振りを始める。

 すると、棒振りを始めたテリーの方へ、イリスは反応して、

 

「それは、剣術ですか。私もつい先日、ララティーナに教わりましたよ」

 

「ほう、心得があるのか。なら、ちょうどいい、手解きしてやろうか? 今時、女子でもある程度は戦えないとな」

 

 そこらへんに落ちていた木の枝を手に取って、少女の方には自らの得物であるひのきの棒を差し出す。

 気まぐれであるが、偶には相手がいるのもいいだろうと。

 

 そんな思い付きで、彼女との第一戦が始まったのだ。

 

 

 ・

 

 

 カン! と。

 テリーはあっさりと対峙したイリスが手にしていたひのきの棒を弾き上げる。

 我流ながらも停学の間ずっと剣を振るってきたのだ。今では魔法使いながらも護身術程度は収めている年上の義姉でさえ軽くあしらえる。

 

「おい」

 

 しかし、これは自分の実力によるものだけではない。

 相手の少女が剣を振るうのに遠慮している。こちらに合わせようとどこか縮こまった様子がしているのにテリーは気づいている。

 テリーは少し険のある声で、イリスに、

 

「本気でやらないと練習にならない。手を抜くな」

 

「ですが……」

 

 一体何を遠慮する必要がある。年下の娘に手加減をされるなんて、侮辱もいいとこだ。

 貴族の子女は野蛮なことを人の前では控えるのが正しい淑女の在り方などと教育されているのかもしれないが、魔獣の相棒にああも近寄っていくイリスがそんなことに当てはまるとは思えない。我慢して自分を抑え込んでいるみたいだが、本来の彼女はもっと奔放のはずだとテリーは直感する。

 

「それとも、お前が教わった剣はその程度のもんなのか。だとするなら、その剣を教えたとかいうララティーナというやつはきっと剣を振っても当たらないへなちょこな奴なんだな」

 

「む」

 

 少々毒を含んだ舌先で煽ってやれば、少女の目が険しくなる。その剣を取る構えにも縮こまるところは見られず、中々に堂が入ったものに。

 

「いいでしょう。そこまで仰るのなら、真剣に、お相手して差し上げます」

 

「ふっ、その気になったみたいだな。いいぜ、かかってきな。最強の剣捌き、見せてやるぜ!」

 

 

 ・

 

 

 ――コテンパンにされました。

 

 軽々と振るいながら唸りを上げるひのきの棒がこちらの木の枝を、先程やられたことをやり返すよう同じように、払い飛ばされて、続け様の一刀が顔面スレスレで寸止めされた。

 イリスの棒振りに反応できず、テリーはたらりと冷や汗をたらし、そのまま尻餅をつかされた。

 

「んなぁ……!!?」

 

 こ、こんな年下の女子に負けるなんて……!

 

「どうでしたか? 私の剣捌きは中々のものでしょう」

 

 ありえない。

 これはもう最強の剣どころの話ではない。年下の女子にコテンパンにされたというレッテルを剥がさなければ、いつまでたっても最強の剣士など名乗れやしないだろう。

 

「あ、あのー、先から反応がありませんが、大丈夫ですか? ……もしかして、やり過ぎて……その、申し訳」

「くっ、今日のところは覚えておけよ!」

 

 そうと決まれば、王城の聖剣になどこだわってる場合ではない。それ以前の問題だ。

 そこで視界の端に衛兵の姿を捉えるや、テリーはすぐに立ち、スペディオたちを呼び寄せる。そして、去り際にイリスの方を一瞥して、

 

「また明日、勝負だ! 次は絶対に俺が勝つ!」

 

「っ、はい! お待ちしてますね!」

 

 

 ・

 

 

 その日から、この一週間。王城に忍び入ってはイリスという貴族子女と剣で勝負するのが日課となった。

 当然、これにいい顔をしないのは義姉である。学院を無断でサボっているのがバレて、日に日に説教の時間が長くなっている。

 とはいえ、こちらも負けっ放しであるのは大問題であって、日々連敗記録更新中では学院に行くどころの話ではない。

 

『弟ばかりに構うと婚期が遅れるぞ。もうレイン姉さんは年頃の娘なのに浮いた話が一度もないなんて、魔法を学んでいる場合じゃないんじゃないか? 弟として心配だ』

 

 とこれがよほどクリティカルだったのか。あれから話しかけてこない。これは本格的にどうにかご機嫌取りしないとマズいかもしれない。けれども、自由に動けるのには好都合である。

 今日こそは勝利を飾って、義姉に何か贈り物でもしよう――

 

 

「はい、今日も私の勝ちですね」

 

「くっそぉぉぉぉぉ……」

 

 

 今日もダメだった。

 

「じゃあ、この子たちと遊んでも構いませんね?」

 

「くっ、ああ、構わない」

 

 何度か勝負をしている内に『挑戦を受けるのはいいですが、こちらにも何か褒美がないとやる気が出ない』と言うので、『勝ったら相棒達に好きに触れ合える』と取り決めてから一層剣に容赦がなくなった。

 今ではこいつらの引換券代わりにされている気さえする。ふざけるな。だが、ふざけているほどにこの娘は強いのだ。これは余程剣を教えたララティーナとやらの師事が良かったのか、もしくはイリスに途轍もない剣才があるのだろう。

 一度、ララティーナという剣士に剣をご教授願いたい。そうすれば、このイリスと同じ条件に立てるだろうか。いや、剣才の方はいかんともしがたいし……

 

「はい! 今日もあなた達の為にご飯をくすねてきました」

 

 で、相棒達の方もイリスに大変懐いており、四体それぞれに白毛牛の霜降り肉をご馳走してくれる太っ腹な彼女の元に尻尾を振ってすり寄っている。

 おかげで今では勝負の際にはイリスの方を応援しているまでである。おい、昨日、一個だけだけど奮発して骨付き肉をやっただろうが。うちではそんな高級食材だなんて誕生日とかの祝い事の時ぐらいにしか出せないけど、なんて薄情な奴らなんだ。

 

「はぁ、いいですね。いつも一緒だなんて、テリーが羨ましいです」

 

 話を聞くに、イリスはほとんど家族とは過ごせず、ひとりなのだそうだ。

 とても立派な兄がいるそうなのだが、妹に構っている時間がないそうで、今も遠いところへ出張しているらしい。

 とそんなことよりも、今日もまた負けてしまった。

 

「どうして、勝てないんだ? これはやはり、ひのきの棒であるのがいけないのか? やはり、ちゃんとした剣があれば俺も……」

 

「強い方は普通の剣でも十分にやっていけると思いますよ。逆に、あまり凄い剣を持つと、その剣の凄さに頼り過ぎて、そこに油断が生まれることがあるでしょう」

 

 敗北の要因について反省会を開いていると、イリスが相棒達を撫でるのをやめて、口を挟んできた。ごもっともなことを説かれたのだが、テリーはこれにムキになって反論する。

 

「そんなことはない! 俺は油断なんてしなかったし、絶対しない! だから、これは棒切れでは俺の実力を発揮できないということなんだ! この城にあるという聖剣さえ手にすればイリスなんて楽勝だ!」

 

「聖剣、ですか?」

 

「あ」

 

 つい口から出てしまった、目当てのことにハッと口に手をやるテリー。

 けれども、イリスは視線を左右に振り、その一往復分の間に何か考え事をすると、ひとつ、質問してきた。

 

「テリーはどうしてそんなに強くなりたいのですか?」

 

「なりたい、じゃない。俺は、強くならないといけないんだ」

 

「どうしてそれほど強くならないといけないのですか?」

 

 イリスの問いかけに、テリーの脳裏に過ったのは、停学になったあの事件。

 言い返すのも面倒になり、なんと言われても無反応を貫いていたこちらに、ついにあの愚物共は義姉、家のことまで取り上げ始めた。

 

『お前を養子にしている家は、随分な貧乏貴族だそうじゃないか。なのに、そんな底辺のお前の義姉が王家に仕えることになるなんて、これは悪魔に魂でも売り渡したんだろう? お前のような忌み児でも受け入れる家だそうだからな!』

 

 思い返すだに腹立たしい。いいや、腹立たしい、なんて一言では表現し切れない。ただその台詞は深く、強く、この胸に刻み込まれた。

 あの後のことははっきりと覚えていない。ただ気づいた時には、自分の目の前で、みっともなく『許してくれ』と泣き喚く男子生徒がいた。周囲の壁も天井も破壊され、暴言を吐いてくれた子息の取り巻きたちは皆呻きながら倒れ伏していた。それを見ても何とも思わなかった。同情の入る余地が一切ない。その後に更なる制裁を加えようとしたところで駆け付けた教員らに止められて、説教され、停学を言い渡されてしまったが、そこに罪悪感など欠片も抱かなかった。

 しかし、この日、自分は思い知って、後悔をした。

 相手に怪我をさせてしまったことがではない。自分という存在がいかに迷惑をかけてしまうことをだ。

 自分が弱いばかりに周りに迷惑をかけるのは、もうイヤなのだ。

 もしも、周りが手を出すのも恐れるような存在であったのなら、そんな事件は起こらなかったはずなのだ。そう、魔王のようなその名を聞けば誰もが震えがるような絶対強者であったのなら、あんな奴らはこちらに近づきもしなかったはずで――

 

 なんて、渋面に眉間のしわを深くする一連の出来事を思い返したが、それをこの世間知らずのお嬢様(イリス)に説明してやるほどテリーはお人好しではない。

 

「別に、そんなことどうでもいいだろ」

 

「そうですか。はい、わかりました」

 

 なのだが、踏み込んだ追及をしてきたわりに、イリスはあっさりと引いた。そんなに物分かりの良い娘だったろうか。

 そして、テリーに思わぬことを言ってきた。

 

「私、聖剣がこのお城のどこにあるか知っています」

 

「え、本当か!?」

 

「はい。この前、お兄様が挑戦しましたから」

 

 勝負の事ばかりに気を取られてしまっていたが、本来の目的は国宝の聖剣である。

 その在処をこのイリスは把握しているという。テリーはどこか飢えた、期待を含んだ目でイリスを見つめれば、ゆっくりと、頷き、

 

「テリーは少し、ここで待っててください。その『何とかカリバー』、持ってきますから」

 

「は?」

 

 

 ・

 

 

 場所を教えてくれる、もしくは案内してもらえると思っていたら、現物を持ってくるという。抜けないとはいえ仮にも国宝である神器の聖剣をそう持ち出せることができるというのだろうか。

 普通に考えられない。

 普通に考えれば、イリスが剣を狙う輩たる自分のことを衛兵たちに報せに行ったと考えるのが自然だろう。

 しかし、そんな事は思わなかった。

 これまでの付き合いで彼女にそんな自分を騙せるほどの腹芸ができるとは思えないのだ。だから、イリスは本気で、テリーの元に聖剣を持ってくる気でいる。

 

(大丈夫か?)

 

 もし見つかれば、イリスまで危うい立場になってしまうのではないか。

 そんな心配が過り、あと時計の秒針がもう一周すれば探しに行こう、と決めたところで、イリスが中庭に戻ってきた。その腕に煌びやかな装飾が成された黄金の聖剣を抱えて。

 

「はい、これが国宝の聖剣です!」

 

「お、おう」

 

 本当に、イリスは何者なんだろうか???

 お使いにでも頼まれたような気軽さで国宝を持ってこれたイリスの正体も気になるが、しかしこちらもあまり追及はされたくはないし、望んでいた機会が目前にある。この時のテリーに他所のことに気を回せる余裕はないほどに、その剣を納めた鞘の輝きに目を奪われていた。

 

「…………よし」

 

 意を決し、こちらへ向けてイリスが捧げ持つ聖剣の柄をテリーは掴

 

 

 バチンッ!! と。

 手が、弾かれた。

 

 

「「え――」」

 

 抜けなかったのではない。弾かれたのだ。持つことすらできない。そう、テリーは()()()()()()()()()

 思ってもみなかったこの事態に頭は呆然と、だけど掌にはじくじくと弾かれたときの火傷の痕からの痛みが、ありえぬ埒外の現実を思い知らせてくる。

 いいや、現実というのはテリーに泣き面に蜂とばかりに、理解させる間も与えず更なる事態に叩き落としてくる。

 

「突然、訳も話さず宝物庫から聖剣を持ち出されたかと思えば、これは一体どういうことかな?」

 

 

 ・

 

 

(――っ、まさかイリス、俺を嵌めたのか!)

 

 しかし、目を白黒させる彼女を見て、すぐにそれも思い直す。

 テリーが聖剣に拒まれたことも、そして、この壮年の男が近衛兵を引き連れているのも、思ってもみなかったことで、それだけがわかれば十分だ。

 

「おい! 何ボッとしてる!」

 

「え?」

 

 ここで捕まってしまえば、面倒なことになる。自分は、いい。元々が実の親にも捨てられた天涯孤独の身。義姉たちに迷惑をかける前に家と勘当でも何でもして、流離の剣士にでもなればいい。だけど、イリスは……滅法剣が強いが幼い少女は、ダメだ。あんなにも家族と離れ離れで寂しいと、家族と触れ合いたいと望む彼女を家と別れさせる真似はさせられない。

 

「俺が、ここは時間を稼ぐ!」

 

「え? あの、私は」

 

「いいから早く逃げろよ!」

 

 イリスを背に庇い、ひのきの棒を抜いたテリーに、ふむ、と先頭の男は片目を瞑り、そして、周りの配下たちが進言する。

 

「この小僧の相手は私達にお任せを。イグニス様は、アイリス様の保護を」

 

「いや……その必要はない。君達は下がってくれ。私ひとりで十分だ」

 

 そういって、男はひとり前に出た。

 舐めた真似を……! とテリーは頭に血が昇ったが、すぐにその思い上がりを正す。冷静にと自分で言い聞かせながら、テリーは己を奮い立たせんと強めの語気で、挑発を吹っ掛けた。

 

「おい、おっさん! その腰の剣を抜く気はないのか? それくらい、待ってやっても良いぞ」

 

「君は子供だ。子供相手に剣など必要ないよ」

 

「そうかよ」

 

 挑発はさらりと受け流されたテリーは、そこで一気に飛び掛かった。

 言われなくても、大人と子供。あらゆる面で圧倒的に劣るのはわかってる。だから、その油断を突く。子供だと侮る男に、テリーは全力でひのきの棒を振り下ろす。

 

「思いきりは良い。だけど、振り方がなってない。娘よりはマシとはいえ、そう雑に(けん)を扱うものではない」

 

 男は、テリーの一撃をその腕を盾にして受け止めた。

 ビクともしない。まるで刃が立たない。打ち込んだテリーの腕の方が痺れた。鎧籠手を着込んでいるわけでもないのに、なんて肉体の頑健さだ。

 しかし、テリーもここで終わりではない。

 

「それなら見せてやるぜ! 俺の魔法を! 『ライトニング』!」

 

 ひのきの棒を起点に、弾ける稲光。

 イリスとの勝負では禁じ手としてきた魔法を放つ。零距離での雷撃。魔法学院で教員連中も圧倒してみせたテリーの中級魔法。これはたとえモンスターが相手であってもひとたまりもない。

 よし。まずは頭のこの男を倒して、混乱している下っ端どもを続けて……というのはあまりに皮算用が過ぎたものであった。

 

「なっ……」

 

 テリーは目前の光景に目を瞠る。

 

「驚いた。その歳でこれほどの魔法が使えるなんてね」

 

 そこには服の袖が焼け焦がされたものの、依然とそこに立つ男の姿。

 

 ダスティネス・フォード・イグニス。

 今は既に現役を退いたとはいえ、“最高の騎士”と誉れ高い『クルセイダー』であり、国王の留守を任されるほどに信頼された『王家の盾』だ。

 

「だけど、もう危ない火遊びはおしまいだ」

 

 むんずと掴まったテリーの身体が、腕一本で持ち上げられ、そのまま思い切り真下に叩きつけられた。

 背中から打ち付けられた衝撃に、息が止まる。そこへ更に体重をかけて、地面に抑え込まれてしまう。

 

「どうして、君はこんな事をしたのかな?」

 

「俺、は……!」

 

 大の大人にのしかかって圧迫され、息苦しい。かとうじて、声が自然と漏れた。

 現状、抗弁など許される立場でないと知りながら、そうなるのを止められなかった。上を見上げることも叶わぬこの姿勢で、後頭部に冷たく見下ろしてくる眼光を感じても、テリーの闘志は萎えなかった。

 

「俺はもう、御免だ――! 弱いばっかりに理不尽に屈するなんて御免だ――! だから、俺は、強くならないといけないんだ――! それで、最強の剣士になれないっつうんなら――」

 

 土を爪で掘り込むように指を立てて掴み、そして、腕立て伏せの要領で起き上がろうともがく。

 

 

「――俺は、最強の魔王になってやる――!」

 

 

 この声に。

 応じる影。

 

「っ!!」

 

 イグニスは飛び跳ねて、組み伏せた少年から離れた。

 何故か? それは、影から現れたモンスター。戦場の第一線を引退して久しい『クルセイダー』に、尋常ならぬ悪寒を覚えさせるその存在。それが四体も、子供の傍に出現した。

 これにイグニスの騎士としての本能が反射的に腰の剣を抜かせようとした――それよりも早く、剣を鞘から抜き放った者がいた。

 

 

「――そこまでです! 双方、剣を納めなさい!」

 

 

 それは、黄金の鞘から解き放った、勝利を約束する輝きを放つ刀身を頭上に掲げ持つ、金髪碧眼の少女。

 その威容でもって、このあわや導火線に火が付きかけた、一触即発の場を平定してみせた。

 

「下がりなさい、イグニス」

 

 テリーは唖然とその光景を見やる。自分を拒んだその聖剣に選ばれた彼女は、自分を追い詰めた壮年の騎士にして大貴族の男へ、たった今、弁明を考えてる、そんなぎこちない口調ながらも言い聞かす。

 

「テリー――この方は、悪くはありません。私が、ただ……そう! この『何とかカリバー』を自慢したくて見せていただけです!」

 

「……そうでしたか。そういうことでしたら、こちらの出過ぎた真似でございました。しかし、アイリス王女、国宝をそんな無闇に持ち出すものではございませんよ」

 

「はい、反省します」

 

 無理のある言い訳だろうに、首肯してしまう国の重鎮。周りの兵士もそれに続いて、文句を言うものはひとりもいない。

 それだけ彼女は力がある立場なのだ。

 そう、この少女こそが――

 

「イリ、ス……?」

 

「イリスではありません。私は……ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリス、この『ベルゼルグ』の第一王女です」

 

 

 ・

 

 

 昨日から一夜明けて。

 心配をかけさせてしまった私は、あの後でイグニスから改めてお小言を頂いた。

 聖剣『何とかカリバー』は、この『ベルゼルグ』にとって象徴的な神器であり、儀典でもないのに人に見せびらかすものではないし、万が一にも奪われてしまうわけにはいかないもの。

 でも、あの時の私は、そんな悪いことをしても、彼の望みを叶えさせてあげたいと思った。

 あの時の彼の目、紫水晶(アメジスト)のような紫紺の瞳に邪な澱みなどなく、あるのは純粋な光。あんなにも必死に強くなりたい理由はけして彼自身の為ではないのだ。

 しかし、それがあんな思わぬ事態を招いてしまった。

 私を庇おうとした彼の行為は、私を人質に取ったと騎士たちに思われ、あの場にイグニスがいなかったのなら大変なことになっていたことだろう。大した怪我がなく事を上手く収められたのは幸いだったし、話を内々にまとめてくれイグニスには感謝だ。

 ……ただ、でも、彼に正体がバレてしまった。

 最初は、ちゃんと名乗り上げようとしたけれど最初の一声がやや詰まった形で相手に拾われて、それで勘違いされてしまった。

 でも、私はそれを良しとしてしまった。

 きっとその方が、ありのままの私を見てもらえると思ったから。

 イグニスさえも、第一王女である私に遠慮している。だからこそ、今回のワガママも受け入れてくれたのだけど、それが少し寂しく思う。

 

 王族と見ないで接してくれるのは、王族(かぞく)だけ。でも、いつも会えるわけではない。むしろ一緒にいれない日の方が多い。

 王族ではないけれど、王族と見ないで接してくれると期待して、結果としてそれは彼を騙す形となってしまった。

 

 正体が第一王女であると知った以上、他の者たちのように遠慮してしまうのだろう。あんな本気で勝負しに来ることは無くなってしまうのだろう。

 それが、私は、とても、寂しい。

 ひとりくらい、遠慮しないでくれる相手がいてほしかった――

 

 

「――待たせたな」

 

 

 待ち合わせしているわけでないけれどいつも会う時間帯を過ぎても、中庭でぼうっと呆けていたら、無遠慮な声がした。

 そこには、涼し気な銀髪を帽子の下から垣間見せる少年が、四体のお供を引き連れている。

 

「悪いな。今日こそは、とレイン姉さんに無理やり学院に連れられて、そこから抜け出すのに時間がかかって遅れてしまった」

 

 なんてことのないように、テリーが城に訪れていた。

 

「ああでも、イグニス様が話をつけてくれたのか、わざわざ面倒な侵入をしなくても通れるようにはなった。この中庭限定でだけど」

 

「どうして?」

 

 自然と口が問いを発した。

 彼の目的は国宝の聖剣であって、その聖剣に拒まれてしまった以上、この城にわざわざ訪れる理由はないはずで……あんな酷い目に遭わせてしまったのに、どうして、ここにいるのか。

 

「そんなの決まっている、アイリス」

 

 勝負する相手に遠慮など無用、と王女である私を呼び捨てる。そして、これから数年間にわたって繰り広げられる大戦争への、宣戦布告した。

 

「勝ち逃げなんて許さないし、勝つまで俺は諦めない。毎日だって、勝負を挑んでやるからな」

 

 負けられない理由が、ひとつ、増えた。

 

「はい! 今日も一緒に遊びましょう!」

 

「遊びじゃない、真剣勝負だ! 最初みたいに手を抜くなんて無礼な真似をしたら今度こそ絶交してやるからな!」

 

「ええ、本気で行きます!」

 

「……少しくらいは手加減してもいいんだぞ?」

 

 

 ・

 

 

 あれから三年の月日が経った。

 色々なことがあり、そして、アイリスとの日課(つきあい)は今日まで続いている(つまりは連敗状態から依然と脱していない)。

 それで驚いたことに、魔法学院を卒業した義姉の勤め先がこの王城、第一王女の教育係であった。これにアイリスから紹介されたときは、自分は驚き、そして、義姉も義姉で義弟が学院を抜け出して雇用主となる王女様と切った張った対決に勤しんでいだことを知り、仰天。アイリスに平身低頭、『口は悪いですが悪い子ではないんです! ですから、どうかお命だけは!』と涙ながらに助命を乞うた。あれほど必死な義姉を見たのは初めてであった。しかしながら、これに王女当人から勝負事に関しては遠慮をしない方が良いらしく、それに自身も自身で容赦なく打ち据えているから問題ないととてもお優しいお言葉を頂いた(これには『どうぞこの愚弟を存分にしばきあげて捻くれた性格を矯正してください』と義姉は自分を売った)。それからというものの、『きちんと学院で勉強して(やることやって)からでなければ、王女と勝負をする(あそぶ)のはダメ!』と教育係となった義姉が目を光らせるために真面目に学院に通う羽目になった。最初はこれに文句を言ったが、こればかりは義姉としての強権を働かせてきたし……それに、自分のためにああも土下座をさせてしまった後だけに約束するのを断ることはできなかった。とはいえ、『金輪際会うのを禁ずる』とまでは言わないから何だかんだで義弟に甘い義姉である。

 

 面倒なのは今目の前にいるこの義姉の同僚、アイリスのもうひとりのお側付きの方だ。

 

「貴君の赴任先が決まった」

 

 義姉の言いつけ通りに国営魔法学院ではきちんと勉学に励んで(とっとと七面倒な学院(しがらみ)から卒業したくて)飛び級を繰り返しては歴代最高点で最終試験の成績を修め、(あれこれと文句をつけてくる周囲を黙らせるために)二足草鞋ながらも剣技の方でもアレクセイ・バーネス・バルターの最年少騎士叙勲記録を更新してのけた。

 今では自分のことを隣国の最年少の『ドラゴンナイト』と同じように称えられたりもしている、若手の中でも最優秀な『魔法戦士(ルーンナイト)』である(それでも越えられない壁がある(勝てない相手がいる)わけだが)。

 当然、国の中心である王都、王城勤めになることが約束されている……と普通は思うのだが。

 

「これから『アクセル』に赴き、イグニス様の下で働くように」

 

 平然と地方に飛ばす命を降す、男物の白スーツを着込んだ男装の麗人。即戦力の人材を魔王城から最も離れたところに送り出すとは、ついに頭がおかしくなったのか。

 

「ついに頭がおかしくなったのか」

 

「おい、今、私に対し何を言ったテリー」

 

「失礼。クレア様は頭がおかしいんじゃないかと常々心配しておりまして、つい口が勝手に」

 

「本当に無礼だな貴様は! どうしてこんな礼儀のなっていない人間が騎士叙勲したのだ!」

 

「ご安心を。きちんと相手を見て言葉を選んでおりますので。クレア様以外の方にはこんな口はききませんとも。私なりに親しみを込めているのです」

 

「本来シンフォニア家の長子である私に舐めた口の利き方をすればお前のような人間は首が飛ぶんだぞ。そもそもアイリス様に対しても無礼な真似ばかりをするし、それを許してしまわれるからこうもつけあがるのだ。まったくあの礼儀正しいレインの弟とはとても思えん」

 

 そういうあんたこそ、過去にゴブリン討伐にドンブリ勘定で報酬を支払ったその金銭感覚でもって、貴族ながらも珍しく庶民的な義姉を困らせているくせに。無駄にプライドの高いせいで頭を下げたがらない同僚に代わって、財務担当の人間にペコペコ頭を下げさせたし、口の利き方を直したいのであればまずは義姉に頭を下げてからではないと。

 

「貴様のそういう態度が問題だから、駆け出し冒険者の街なんて言う僻地に飛ばされることになったのだ」

 

 成績は優秀だがこれまでの素行が不良であるために赴任先は王都王城ではなく、地方のアクセルへ、ということなのだろう。

 しかし、ひとつ疑問がある。

 

「クレア様、確かあそこの領地を治めているのはアルダープとか言う色んな意味で肥え太った貴族のはずでは?」

 

「イグニス様たっての希望でな。『アクセル』に送るのならぜひうちに預けてほしいとのことだ。ふふん、イグニス様にその捻じ曲がった性根を叩き直してもらうがいい」

 

 イグニス様は、三年前のやらかしで、どうにも頭が上がらないというか、であるからこそ、自分のような若造の上司に相応しいのだろう。

 

「残念だったな、アイリス様の側近になれなくて。まあ、私とレインがいる以上、何の心配はいらないわけだ」

 

「別にそんなことはありませんよ。どこへ送られようともお国のために誠心誠意奉公させていただきます」

 

 最初はジャティス第一王子のお側付きになれないことを不満がっていたくせに。

 それに何でも国王からの方針で、可愛い我が娘の傍につけるのは女人限定なのだそうだ。

 だから、端から期待などしていなかったが、しかしそれでも王城勤務から外されるとは……

 絶対にこれにはこの義姉の同僚も一枚噛んでいるだろう。

 

「ふんっ、素直じゃない奴め」

 

 と見せつけるように思いきり鼻を鳴らすと、こちらをジト目で睨み、

 

「……お前は一応レインの義弟だ。そして、アイリス様も気にかけていらっしゃる。もしも、何かあれば我がシンフォニア家の名前を出してもいいぞ」

 

「大貴族のクレア様に貸しを作ると畏れ多いので、そうならないように努めます」

 

「是非そうしろ。それと、手紙くらいは許可してやる」

 

「寛大な配慮、ありがとうございます」

 

「そう思うのならその態度を改めろ。精々死なないように達者でやれ」

 

 それを言うのなら、こちらの台詞だ。

 『アクセル』は魔王領から最も離れた、いわば安全地帯であって、この王都はこれまでも何度も魔王軍が侵攻を仕掛けられている。

 あまりそりの合わない相手であるが、義姉の同僚だ。今度王都を訪れた時のその嫌味を聞けないとなると、目覚めが悪くなる。

 

「ああ、それと財務担当者より節制に努めるようにと苦情を言われてな、レインからも勤務地(アクセル)へは貴様の自費で行くようにとのことだ。以上」

 

 ……これはひょっとして貴族の無駄遣いの影響で、こちらがワリを食わされていないか。

 

 

 ・

 

 

 うちは一般市民とほとんど変わらない貴族の中でも貧乏な方だ。

 要するに、数十万エリスを要する転送屋には頼れるほど金銭的余裕がないわけで、仕方なく『アルカンレティア』経由の馬車隊に用心棒として乗り込ませてもらうことにした。

 とても貴族様の移動手段とは思えないが、『テレポート』で飛ぶよりも、道中で手紙に書く話のネタを集めることができるはずだ。

 

(……現地につくまでは何とも言えないが、駆け出し街で胸躍るような冒険などないだろうし、王都にいるような顔が売れている有名な冒険者パーティもいないだろう。そういえば、『アクセル』にはレイン姉さんが憧れていた『氷の魔女』が隠遁していると噂で聞いたことがあったが)

 

 まあ、王都王城にはいないような愉快な連中のことでも記せば、多少は籠の鳥の慰めになるであろう。

 

 

「私は紅魔族随一の天才と呼ばれた『アークウィザード』です。モンスターが襲ってきても、大船に乗ったつもりでいてもらえば良いですよ!」

「ちょ、ちょっとちょっと、めぐみん! 護衛の人達がいるんだから任せておきなさいよ! めぐみんの魔法じゃ、かえって被害を増やすだけでしょ!?」

 

 

 奇遇にも、世間知らずのお姫様が食いつきそうな恰好のネタ(種族)・紅魔族と同じ馬車に乗り合わせていた。


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