けど、思いのほか執筆が捗ってしまって……ほとんど丸一日で書き進めてしまった。
今回の回、タイトルでは〈件〉と未来を予言するのでお馴染みの例の怪談の名前を出していますが……件は最後の最後にしか出てきません。
件の予言に到るまでの間……その間のお話をどうか楽しんでください。
この回を境に、彼らの日常は…………
「——てめぇら……緊急の呼び出しでありながらも応じてくれたこと……まずは礼を言っておく」
関東妖怪任侠総元締め・奴良組の本家。
既に時刻は夜となっており、『妖怪』の姿となった奴良リクオが大広間に集まった面々へと挨拶を口にする。
夜遅くでありながらも、奴良組の本家には多くの幹部たちが勢揃いしていた。
リクオの側近であるつららや首無、黒田坊や青田坊は勿論。リクオの義兄弟である鴆も、幹部としては日が浅い猩影も。相談役である木魚達磨や、武闘派筆頭の牛鬼。一ツ目入道や、三ツ目八面、算盤坊などのその他大勢。そのほとんどが勢揃いしている。
加えて、その末席には——
「…………」
巫女装束姿の家長カナも混じっている。彼女は瞑想でもしているのか、静かに目を閉じて正座している。
既に正月の段階で奴良組の面子に挨拶を済ませていたこともあり、さも当たり前のように奴良組の総会に参加している。その姿に面白くない顔をする幹部も多いが、特にこれといった文句は口にしてこない。
今更、人間である彼女が一人紛れ込んでいたところで問題ではないのか。とりあえず話は進んでいく。
「地下鉄少女の事件は聞いておろう。また新たな妖怪が〈生まれ〉つつある」
司会の進行役は本家お目付役のカラス天狗が務める。彼はさっそく、幹部たちへ今日の緊急総会の本題を口にする。
〈地下鉄の少女〉——それはリクオやカナのクラスメイトたちを巻き込んだ都市伝説の名である。
この怪談によって、鳥居と巻はあと一歩のところでその命を散らせるところだった。黒田坊が駆けつけていなかったら、今頃は手遅れになっていたことだろう。
しかもだ。その〈地下鉄の少女〉以外にも、彼らはここ数週間でいくつかの都市伝説に出くわしている。
リクオと猩影が打ち倒した——〈切り裂きとおりゃんせ〉。
カナやつららが遭遇した——〈雲外鏡〉。
さらに京都の方ではゆらが——〈~~村〉という怪異を成仏させたとか。
全国的に〈怪談〉というやつが流行り始めているのだ。この現代に合わせた、都市伝説という形で——。
その事実に古株の幹部連中が眉を顰める。
「怪談が……〈産まれている〉……だと?」
「何だと? 奴らは一度滅んだ筈であろう」
「ただの残党ではないのか?」
何人かが楽観的な疑問を浮かべるも、カラス天狗がそんな甘い考えを一蹴する。
「——いや、〈新作怪談〉じゃ」
彼のその言葉にざわめきが徐々に大きくなっていく。
「では……やはり〈百物語〉……まさか!?」
「いやしかし……今怪談から妖を産むことが出来る奴がいるということ……」
「そ、それは奴のことか!」
「奴が復活!? 信じられんな……」
事情を知っている幹部らはそれがどういう事実かを認識し始めたのか、危機感を募らせるように動揺を大きくしていく。
「おい待て待て、何だよその百物語ってのは。分かってる奴だけで話を進めんじゃねぇよ!」
一方の若い面子。鴆などは彼らの動揺が理解できずにいる。蚊帳の外に置かれていることが面白くないのか、突っかかるように百物語とは何なのかを尋ねる。
「フン、若造が……」
「なんだと、こらぁ!!」
そんな無知な若造たちを古株の幹部が小馬鹿にする様に鼻で笑い、それに対してますます鴆が苛立ちを募らせる一幕があった。
こういった面での情報共有は未だに満足に出来ていないようだ。これは今後の課題だろう。
「……百物語」
そんな中、家長カナも百物語という単語に反応し、閉じていた瞼をそっと開いていた。しかし発言は控え、会議の進行を妖怪たちに任せていく。
「では……私めが」
百物語について口を開いたのは、相談役の木魚達磨だった。
彼が奴良組と百物語、その二つの組の間で起こった『抗争』について語って聞かせていく。
三百年ほど前。
江戸で勢力を拡大させていた『百物語組』。その首魁である『山ン本五郎左衛門』と奴良組との間では激しい抗争があった。
しかし、その戦いは四百年前にぬらりひょんが京妖怪との間で起こしたような抗争とは全くの別物。
奴良組は——山ン本五郎左衛門という存在と最後の決戦時までは『直接』戦う機会すら満足に与えてもらえなかったのだ
そもそも、あの頃の山ン本はただの人間だった。
江戸の大富豪として巨万の富を得た謎の巨漢。人間離れした見た目こそしていたが、一応はただの人間だった。
だが、山ン本は〈怪談〉というものを上手いこと利用した。怪談を人々に語らせることで——江戸の街そのものを〈妖〉たちの産卵場所としたのだ。
彼の姑息な手口により、江戸の町中には〈創作妖怪〉たちが溢れた。その数は怪談を語る人の口の数だけ爆発的に増えていき、その勢いは奴良組の規模を遥かに凌駕していった。
あまりにも増えすぎる妖怪たちを前に、奴良組の精鋭たちですらも後手に回らざるを得なかったのだ。
元凶である山ン本自身は厄介な結界の中に閉じこもっていたため、その中へ入り込むのにもだいぶ苦労したという。
「——ですが、二代目……鯉伴様は山ン本を追い詰めることに成功しました。奴の本拠地を叩き……奴の野望を阻止することに成功したのです」
しかしそこをどうにか解決し、鯉伴は山ン本の懐へと潜り込んだ。一度潜り込んでしまえばあとは簡単だ。奴良組の勢力を持って一気に敵本拠地を壊滅。
山ン本本人を追い詰め、彼は最後——屋敷の窓から転落する、『自滅』という形で人としての生を終えようとしていた。
『——こ、こんなところで……い、いやじゃ……わしは……仏になるんじゃ……』
だがそこで山ン本は諦めなかった。
『——滅びはせぬ……この身が消えても……ワシは全ての畏を手にするのだ……』
たとえ死しても、全ての畏を手にしたい。
人でありながらもそんな野望を抱いた彼は——自らを〈怪談〉とする形で生き延びようとしたのだ。
『——恨めしや 奴良鯉伴』
それこそが——魔王・山ン本五郎左衛門誕生の瞬間である。
自らが妖怪となり、彼は奴良組を滅ぼすまでは決して滅びない。そんな『怪物』となったのである。
「まあ……それでも鯉伴様が山ン本に遅れをとるようなことはありませんでした。妖怪となって暴れ回る奴を辛くも退治し、江戸の平穏は守られたのです」
妖怪となった魔王・山ン本五郎左衛門にも鯉伴は負けはしなかった。仲間たちと協力して江戸の平和を守り、無事この問題は解決されたと木魚達磨は事の顛末を締め括る。
「だが……奴は復活した……この現代に」
しかしそこで百物語は終わらなかった。連中はその後も地下に潜り、奴良組の知らないところでずっと力を蓄えてきたのだろう。
そして、今になって奴らの『一部』とやらが暗躍し、多くの悪行をこなしている。
リクオの父が『左目』の策略によって命を落としたように——。
カナの両親が『耳』の遊びによって無惨に殺されたように——。
山吹乙女が『地獄の本体』の発想によって、その魂を弄ばれたように——。
彼らは様々な事件の裏側で糸を引いている。
今、この瞬間にも——。
×
「……ただいま戻りましたよ。圓潮師匠」
東京都江東区・深川。かつて山ン本の巨大な屋敷があったその場所の一画に、
そこでは噺家たちが〈怪談〉を語り、何も知らないお客たちに『恐怖』を伝播させていた。その恐怖は『畏』となり、全て彼らの力となって帰ってくる。
そう、この場所を拠点にする——『百物語組』の力へと。
「やあ、柳田。よく来たね、待ってたよ」
地下鉄の少女の最後を見届け、帰還した柳田。彼を出迎えたのは青蛙亭一番の噺家・圓潮である。彼は山ン本の『口』であり、柳田からは師匠と呼ばれ慕われていた。
「地下鉄の少女の件は残念だったね。あたしも、あれは傑作になると思ったんだが……」
圓潮は〈地下鉄の少女〉が未完になってしまったことをひどく残念がっていた。それは百物語組の一員としてではなく、純粋に「あの怪談はあたしも語ってみたかったね……」と、噺家としての無念であった。
「済みません、裏切り者の黒田坊の奴に台無しにされてしまって……」
それを気にしたように柳田が圓潮に謝る。
彼の口からは黒田坊の名前が話題に上がり、一見すると冷静そうな柳田の表情が『裏切り者』というその事実を前に歪んでいく。
そう、奴良組特攻隊長の黒田坊。彼は過去——百物語組に在籍していた経歴を持っていた。
山ン本五郎左衛門から邪魔者を闇に葬る暗殺者として重用され、かなりの高待遇、幹部として迎え入れられていた筈なのだ。
もっとも、それは黒田坊自身の意思ではない。
彼はあくまでも山ン本に騙され、誑かされ——『茶釜』の力で操られていただけに過ぎない。彼からすれば仲間と認識されるだけ迷惑な話である。
この茶釜というものがまた厄介であり、何を隠そう『百鬼夜行の絵が彫られた』この茶釜こそが山ン本の力の源だった。
怪談を語ることによって集まる畏、それを溶かした込んだこの茶が飲む人間を狂わせる。人々が怪談を語るようになったのも、ひとえにこの茶を飲みたいが故だ。怪談を語れば語るほどに畏は茶釜に集まっていき、その茶の味が人々から正気を奪っていく。
その様子はさながら、麻薬が街全体を蝕んでいくかのようだ。奴良組が百物語組との抗争に押されていたのも、その勢いを止めることができなかったのが要因でもある。
「へぇ~、そうなのかい。だが今となってはどうでもいいことだよ」
柳田が黒田坊への嫌悪感を露わにする中、圓潮は特に彼に関してこれといった感想を抱くことはない。
何故なら彼ら山ン本の『一部』たちが産まれたのは、黒田坊とやらが裏切る直前だからだ。
彼らからすれば黒田坊など、特に面識もない一人の妖怪に過ぎず、別のどこで何をしていようが構いはしない。
それは——口以外の者たちにとっても同じことである。
「——そうか。あの子……未完成のままで終わってしまったか……」
圓潮と同じく、地下鉄の少女が未完になってしまったことを残念がっている男が一人。褐色肌のその絵師は部屋の奥で蹲っている。彼こそ、誰よりも地下鉄少女の誕生に貢献した怪談の描き手。
山ン本の『腕』——名を
「——けっ! やり方がまどろっこしいんじゃねぇの? もっと派手に……ドバァッ、って暴れようぜ!!」
怪談を広めるという手段そのものをまどろっこしいと、大男が異議を唱える。巨大なハンマーを担いだ、見るからに言動も頭も悪そうな組一番の暴れ者。
山ン本の『骨』——名を
「——雷電。ボクたちの存在そのものが怪談なんだよ? そこを否定しちゃったら駄目でしょ……」
雷電の脳筋ぶりを呆れたように、女形の格好をした青年がため息を吐く。歌舞伎役者のような立ち振る舞いの、演じることに生き甲斐を持っている役者。
山ン本の『面の皮』——名を
三者三様、それぞれ違った価値観を持った妖怪だが、その大元は同じだ。
彼らは山ン本五郎左衛門が魔王となる際に分離した『百』の肉片、その一部。彼らはこの三百年もの間、百物語組の幹部としてずっと地下で力を蓄え続けてきた。
「まあまあ、皆さん。お喋りはそこまでにして、そろそろ本題に入りましょう」
そんな雑多な妖たちをまとめるのが、口である圓潮の役割である。
口の上手い彼が皆をまとめ、彼らを一つの目標に向かって誘導していく。
今日は、その意思を再確認するために幹部たち全員を集めた。
彼らの頭である『脳』の名の元に声を掛けたのだから、そこには一同が勢揃いしている——筈であった。
「……おや? 吉三郎くんの姿が見えませんが?」
だがそこで圓潮は気づいてしまう。全員を呼んだ筈なのに、約一名ほど見当たらない人物がいる。
山ン本の『耳』である少年——吉三郎だ。彼はどこだと、圓潮は部屋の中を見渡す。
すると——
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
吉三郎の名前を出した瞬間、バラバラの性質を秘めている幹部たち全員が一斉に沈黙する。誰も彼もが微妙な表情で固まり、顔を顰めている。
「おや? どうかしましたか、皆さん?」
その反応に圓潮が問い掛けた。
するとそれぞれの口からは、吉三郎に対する不満や愚痴などが飛び交ってくる。
「俺、あいつ苦手だな……筆も乗らないのに、いつも面倒な注文ばかり押し付けてくる……」
鏡斎の口からは気怠げながらも愚痴が零れる。妖怪を産み出す彼の腕を見込んで吉三郎はいつも無理難題を吹っかけてくるとのこと。実に迷惑そうな顔をしている。
「あの野郎! 人が寝ている間に、勝手に体を削ってくるんだぜ!? 信じられるか!?」
雷電は率直な怒りを口にする。なんでも自分が寝ている間に、吉三郎は雷電の骨を削り取り、何かしらの武器を製造しているらしい。あまりの無礼な行いに、かなりご立腹である。
「ボクは彼から皮の製作をいくつか頼まれたよ。何に使うかは知らないけど……いつもいつも納期をギリギリで指定してくるんだよね」
珠三郎はそれほど不満を抱えてはいないが、いつも注文が強引だと呆れていた。幹部の中でもまだ吉三郎とそこまで険悪ではないようだが、他の面子の気持ちが分かるのか。しきりにうんうんと頷いている。
「師匠……ボクはあいつのことが嫌いです。いつも人のことを見下してくる!」
幹部の中では、特に柳田が吉三郎への嫌悪をはっきりと口にする。
彼は幹部の中で唯一、山ン本の一部ではない。山ン本が人間であった頃から仕えている一般の妖怪だ。柳田はそのことを密かに気にしており、常に疎外感を感じている。吉三郎はそんな柳田の気にしている部分を理解し、ピンポイントで弄ってくるという。
日頃の行いが悪すぎると——吉三郎は幹部たち、ほぼ全員から毛嫌いされていた。
「おやおや、相変わらずしょうがない人ですね……」
そんな幹部たちの意見を聞き、圓潮は無表情ながらも盛大にため息を吐く。
吉三郎が他の面子から疎まれていることは何となく察していたが、まさかここまで盛大に嫌われていたとは。その場の空気の悪さに、疲れたようにやれやれと首を振る。
「まっ……それでも彼が私たちの一部であることに変わりはありません。事が起きれば……便乗して彼も動くことになるでしょう」
だがそれでも、吉三郎という存在も山ン本の一部。己の欲望に忠実な生き物だ。
たとえこの場で説明を受けずとも——これから計画する『作戦』には必ず乗ってくる。
これから始まる百物語組が仕掛ける『大抗争』に絶対に便乗してくるだろうと。
圓潮は吉三郎ぬきでも話を進めていく。
「諸君、ようやく準備が整いそうだ。三百年間……よくぞ耐え忍んだ」
にっこりと、どこか貼り付けたような不気味な笑みを浮かべて——。
「ついに奴良組に反撃する機会を得た。例の〈予言〉広めた後……さっそく奴良組に仕掛けるよ」
「——これでこのシマの畏は……あたしたち〈百物語組〉のものです。フフフ……」
×
「…………」
夜半、奴良組本家の庭先には家長カナが一人で佇んでいた。
今回行われた奴良組の緊急総会。〈新作怪談〉に関する報告などが行われたが、結局のところ黒幕である百物語組への手掛かりを得ることは何もなかった。
とりあえず、奴良リクオが『百物語と山ン本についての調査』『各自警戒を強めるよう』といった指示を出し、総会はお開きとなった。
カナはその総会の後、特に何をするでもなく庭の夜桜に魅入っていた。
リクオのお気に入りの指定席だと聞くしだれ桜の木。まだ冬場だというの見事に美しく咲き誇っている。
「よお、カナちゃん……ちょっといいかい?」
「リクオくん……」
カナがそうしていると、奴良リクオが声を掛けてきた。昼間とは違い夜の姿。しかし、今のカナにどちらがどちらという区別はない。
リクオはリクオだ。昼であろうと、夜であろうとも彼女にとっては何も変わらない大切な幼馴染である。
「つららから聞いたぜ。雲外鏡の件、お手柄だったてな……」
リクオはカナが遭遇したという都市伝説——〈雲外鏡〉の話題を振る。
既にその件をつらら経由で聞いていたリクオ。彼はカナのおかげで一人の人間の少女が救われたと礼を述べる。
「ううん……お礼ならつららちゃんに言ってよ。彼女がいなかったら、多分あの子を助けることはできなかったから」
しかし、カナはリクオのお礼を謙虚に受け止める。
自分一人の手柄ではない。妖怪であるつららがいてくれたからこそ、雲外鏡を退治することができたのだと。
「ふっ、つららちゃんか……。だいぶ仲良くなってるみたいだな……」
リクオはそこでカナが雪女のことを「つらら」と気軽に名前呼びしたことに笑みを深める。リクオにとって大切な二人の少女。その二人が種族の垣根を越えて仲良くなるのは彼個人としても喜ばしいことであった。
「…………」
「…………」
その後も暫くの間、二人は肩を並べて静かに夜桜を眺めていく。
二人の間に会話こそなかったが、別にそんなもの特別必要ではない。
何もなくても互いに穏やかな時間を過ごすことができる。それだけで今のところは十分であると——。
「——若、お話中のところ申し訳ありません。少し宜しいでしょうか?」
「おう、どうした黒田坊?」
もっとも、そういう時間を作ることも今は難しい。振り向けば、黒田坊が少し申し訳なさそうにしながらもリクオへと声を掛けてきた。
きっと重要な要件なのだろう。リクオもそれに大将として応じていく。
「……あっ、もうこんな時間か……。それじゃ、わたしそろそろ家に帰らないといけないから……」
そこでカナはスマホの時計を確認し、既に夜が遅いことに気が付いた。これ以上長くは厄介になれないと、自分の家であるアパートへと戻ろうとした。
「待ちな、カナちゃん」
だがそこで、奴良リクオは鋭くカナを呼び止める。
「もう夜も遅いんだから、今日は泊まっていきな。部屋ならいっぱい余ってるし、気にすることはねぇよ……」
もうすぐ日付が変わろうとしている時間帯。さすがにこんな時間を夜中歩かせる訳にはいかないと。リクオはカナに奴良組の本家に泊まるように声を掛けていた。
そういった誘いは——初めてのことではない。
もう何度目になるか。カナが奴良組を頻繁に訪れるようになってから、幾度となく掛けた誘いである。
もはや互いに隠すことなどないのだから。何だったら——もうここに住めばいいのではないかと、リクオは密かにそんなことすら考えていた。
「う~ん……わたしとしてはそれでも構わないんだけど……けど、ごめんね」
しかし、こういったとき。カナがなんと言って断るか——既にお決まりとなっていた。
「——兄さんと約束してるから! 夜は絶対にアパートに戻るって……それじゃ、また明日ね!」
そう、カナはリクオの誘いを受けても奴良家に泊まることがなかった。
彼女が『兄』と慕う少年との約束。それにより、カナは今でも住んでいるアパートに帰ることになっている。
そんなカナの笑顔の返答に——。
「…………」
実に面白くなさそうな顰めっ面で、リクオはカナを見送るしかないでいた。
正月に奴良組へと正式な挨拶を済ませた家長カナ。
それをきっかけとして、彼女は頻繁に奴良組へと訪れるようになっていた。
ときには友人として、ときには富士天狗組の名代として。公私ともに、もはや奴良組の一員なのではないかと。本家勤めの妖怪たちなど、完全にカナの存在を当たり前のように受け入れ始めていた。
しかし、そこに待ったをかけた人物がいる。
カナの兄貴分、外様の陰陽師——土御門春明である。
春明は、カナが奴良組と接触を持つこと自体を露骨に嫌がっている。しかし、今更カナの奴良組への態度を変えることが難しいと悟ったのか。一つの条件の元、カナが奴良組に出入りすることを許した。
曰く——『必ずアパートには戻ってこい。奴良組に泊まることなど許さない』とのこと。
そういった約束をカナと交わしたのだ。
カナ自身は春明のことも信頼しているため、その約束を遵守することに何の躊躇いもない。
彼女はしっかりとその約束を守り、どんなに遅くなろうとも、ちゃんとアパートへと戻る暮らしを続けているのであった。
「……やれやれ、今日もちゃんと戻ってきたな」
カナと春明が暮らす小さなアパート。ここ最近、春明はカナがちゃんと家に帰ってくるまで起きているようになった。
彼女がしっかりと約束を守っているか。それをその目で見届けるまで安心して眠ることもできないと。
さながら、娘の外泊を許さないとする父親のような感じであろうか。
『……なあ、春明。この約束……あんま意味なくね?』
しかし、そういった春明の意固地な行動に彼の相棒であるお面の妖怪・面霊気のコンが危機感を抱いて呟く。
『カナのやつ……完全に開き直ってるっていうか、もう完全に通い妻って感じじゃん?』
「ああん!?」
面霊気の台詞に元から悪い目つきをさらに悪くする春明。並の相手であればその眼光に萎縮し、口を噤んでいたかもしれない。
しかし、面霊気にとってはそのくらいなら問題ない。彼女は春明の機嫌がさらに悪くなるであろう懸念を堂々と口にしていく。
『奴良組の連中も、もう何の違和感もなくあいつの存在を受け入れてるみたいだし……あんな約束、いつかは形骸化して……そのうち、あいつ……あの野郎と一線越えちまうじゃねぇの?』
ここで言う『一線を越える』というのが、どういう意味かは論じないでおこう。
とにかく、このままダラダラと約束だけを守らせても意味がないのではないかと。
面霊気は家長カナの身を心配し、春明に今後どうするかを尋ねていた。
「問題ねぇよ、そんなことは……」
その問題に対して、春明は表面上は冷静に思案を巡らせる。
特にこれといって感情を昂らせる様子を見せず、ただ淡々と——そうなった場合の『対処方法』を口にしていた。
「——そんときは……俺が奴良リクオをぶち殺せば済む話なんだからよ」
『…………』
ニコリともせずに呟かれた言葉に、それが冗談ではなく本気であると理解させられる。
体温など感じない筈の面霊気ですらも、思わず体全体が震えるような寒気を覚えていた。
×
「——鳥居さん! もう大丈夫なの!?」
「——ねぇねぇ、本当に地下鉄に閉じ込められてたの!?」
「——妖怪見たの!? どんなだった!?」
地下鉄少女の一件から数日が経過した。
浮世絵中学校のとあるクラスでは、一人の女子生徒が同級生たちから質問攻めに合っている。
その女子生徒は鳥居だった。地下のコインロッカーに閉じ込められ、幽霊少女のモデルとされてしまった少女。
どこから聞きつけたのか、彼女がその都市伝説に巻き込まれたという噂を耳にしたのだろう。久しぶりに登校してきた鳥居に対し、矢継ぎ早に質問を繰り出していく生徒たち。
「ううん!? 風邪よ、風邪!! 休んで心配かけてゴメンね!!」
ところが鳥居はその事実を誤魔化し、ただの風邪で学校を休んでいたと皆に説明する。事実とは異なる言い分だが、それによりどことなく興奮していたクラスメイトたちが落ち着きを取り戻していく。
中には不謹慎にも「なんだ……怪談のせいじゃないのか」などと、がっかりしている輩もいたが、大半の生徒たちは鳥居がただの風邪で「良かった……」と、安堵を口にしている。
「……鳥居、どうした? ウソついたりして……あんなヒドイ目にあったのに?」
鳥居の言葉が嘘であると知る巻は首を傾げる。
彼女も地下鉄少女に巻き込まれた立場であり、あの体験を頑なに人に語ろうとしない鳥居にどうしてと問いかける。
「だって……みんなが不安になるでしょ? 怪談が本当にあるって分かったらパニックになっちゃうよ」
鳥居は自分に起きたことをこれみよがしに語って聞かせるより、クラスの皆をパニックにさせないほうを選んだようだ。
人の気遣いができる優しい子だ。そんな鳥居の健気さに巻は感激。喜びの涙を流しながら、その豊満なバストを鳥居へと押し付けていく。
「アンタいい子!! いいよ!! わたしの胸の中で泣きなさい!!」
「ヒィッ! な、なにが!?」
もっとも、それはかえって鳥居を苦しめることになる。巻の『巨乳圧迫祭り』の餌食となり、鳥居は親友の胸の中で嬉し恥ずかし、もがき足掻いていくことになる。
「ははは……けど良かったね。巻さんも鳥居さんも、二人とも無事で……」
「そうね、本当に良かったわ」
「はは……そうだね」
そんな彼女たちの微笑ましい戯れ付き合いを、ちょっと離れたところからカナ、つらら、リクオの三人が見守っている。
ああいった何でもない光景こそ、カナやリクオが守りたいものだ。
今日も日常という平穏な日々を慈しみながら、一日一日を大事に過ごしていく一同。
しかーし!!
そんな微笑ましい平和をぶち壊すかのように、今日も奴が姿を見せる。
「やーやー!! みんな元気かな!! 今日もたっくさん、〈怪談〉の話が届いているよ!!」
「き、清継くん……」
数秒前の鳥居の決意を水泡に帰するかのように、嬉々として怪談話を持ち込んでくる妖怪大好きな清継くんだ。
相変わらずブレることのない彼のマイペース振りには、さすがのカナたちも苦笑いを浮かべるしかない。
「清継ぅうう……お前、ホンットに空気読めよな!! 鳥居はちょっと前までその怪談の被害に遭ってたんだぞ……」
巻など、清継のあまりの空気の読めなさに動揺と呆れでその身を震わしている。
本当にこの男はと、空いた口が塞がらないとはまさにこういうことを言うのだろう。
「はははっ!! バカだな、巻くん!! 危険を回避するためにも調べるんじゃないか!!」
けれど、清継には清継なりの主張がある。
怪談を調べるのは万が一その怪談に巻き込まれた際、何があろうとも冷静に対応できるようにするためだ。
決して、決して——怪談に襲われたところを憧れのあの人、『妖怪の主』に救われてお近づきになろうなどと、浮ついたことを考えているわけではない……と。
結局のところ、自分の願望が丸出しであることが否めない、いつも通りの清継であった。
「やはり……怪談はどんどん広がってますね」
そんな騒ぎを学校で過ごした、その放課後——。
浮世絵中学の屋上。つららは怪談が学校内にまで侵食していることに焦りを口にする。
あの後、清継以外からも色々と話を聞いたが、多くの生徒たちの間で〈都市伝説〉が話題となっているようだ。直接怪談の被害にあった鳥居一人が口を噤んだところで、焼け石に水。
怪談は徐々に、だが確実に皆の平穏な日々を蝕んでいる。それこそ——三百年前のように。
「これが百物語組のやり方……自分たちは姿を見せず、噂だけで皆の日常を壊していく……」
その陰険なやり口に、カナも悔しそうに歯噛みする。
決して直接的な戦闘が得意なカナではないが、これなら普通に襲い掛かってくる四国や京妖怪の方がまだマシだと感じる。
どこまでも卑劣なやり口だと——そんな卑怯な組に所属する『怨敵』への憎悪を、心の内側でさらに膨らませていく。
「こうやって、仲間を増やして勢力を拡大する。百物語……山ン本五郎左衛門……」
リクオも改めて先代が——奴良組の二代目であった自身の父が戦った敵の手強さを痛感していた。
このまま彼らを放置すれば、それこそ三百年前のように後手後手に回ってしまう。そうなる前に何としてでも対処しなければと、そのために彼は『仲間』の協力を強く仰いでいく。
「黒……百物語組中心メンバーの捜索を始めよう!! ボクのサポートをしてくれ!」
「はっ!! それは構いません……構いませんが……本当にその役目、拙僧が担っても良いのですか?」
その日、屋上には普段は学校に来ない黒田坊が姿を見せる。
彼をその場に呼び出したのはリクオだ。百物語組の大元を断つためにも、その幹部であるメンバーを捜索する必要性をリクオは感じていた。
そのために必要になるのが、一人でも多くの信頼できる仲間。つららや、カナ。そして——黒田坊のような。
しかし、リクオに頼られた黒田坊自身が少し不安げな様子を見せる。
「既にお聞きになさったように、拙僧かつては敵だった身。二代目の死に深く関わっている……あの百物語組の一員だったのです」
先日の緊急総会の席でのことだ。黒田坊がかつて百物語組に所属していた事実を、一ツ目入道がリクオにカミングアウトしてしまった。
内通者の存在を疑ったのだろう。一ツ目はその候補として真っ先に百物語と関わりの深い黒田坊に疑いの目を向けたのだ。
結局のところ、それは証拠など何もなかったため、ただの嫌がらせ程度で済んだ。
しかし、黒田坊の心にはリクオに対する負い目のようなものが僅かに芽生えてしまった。その負い目から、黒田坊は自分一人でこの一件を片付けようとさえ考えた。
それが自分なりの、ケジメだと信じて。
けれど——
「黒……過去はどうであれ関係ないよ、そんなことは」
そんな黒田坊に、リクオは笑顔で声を掛ける。
「確かに君は百物語組の一員だったのかもしれない……けど今は奴良組の……ボクたちの仲間だよ?」
どこまでも澄んだ瞳で、彼は黒田坊を真っ直ぐ見つめていた。
「君は父さんと、そしてこのボクとも盃を交わした。父さんが信じたように、ボクだって黒を信じる……それでいいんじゃないかな?」
「リクオ様……」
単純ながらも力強い言葉であった。主人のその言葉に、黒田坊はいくらか救われる思いであった。
「わたしも……黒田坊さんは信じられると思うよ! 鳥居さんや巻さんを、助けてくれたんだし!」
「まっ……今更あんたがリクオ様を裏切るわけないだろうし! 疑うだけ時間の無駄よ!」
無論、黒田坊を信じているのはリクオだけではない。
カナは友達を助けてくれたと彼に感謝していたし、つららだって同僚である彼を頼もしい存在として信じていた。
「カナ殿……雪女……」
暗殺者として、ただ都合よく使役されていた百物語時代とは違う。
確かな仲間としての絆を、二人の少女の言葉からも黒田坊は感じていた。
「よし!! じゃあ行こう!!」
こうして、もはや迷う必要はないと。リクオがその場にいる全員に号令を掛ける。
「うん!!」
「了解です、若!!」
彼の呼び掛けにカナもつららも頷いていく。さっそく百物語組の調査を始めようと、リクオと共に少女たちは進んでいく。
「ハッ!!」
黒田坊もその後に続く。もはや一片の迷いもない清々しい返事だ。
百物語組を見つけ出し、倒し。必ずや——リクオの、リクオたちの平穏な日常を守って見せると。
黒田坊は硬い決意を胸に、真っ直ぐ未来だけを見つめていた。
「——ヒェ……本当だ。本当に生まれた!」
「——こ、これが……く、件か……」
その日、ボクは△山県の使われなくなった酪農場へと訪れていた。
ボク以外にも、少ないながらも人が集まっており、みんなで〈
〈件〉——それがここ最近、ネットで騒がれている新しい都市伝説の名だ。
その妖怪は牛から生まれるが体は牛、頭は人間の顔をしているという。産まれてすぐに〈予言〉を口にすると言われ、自らの命をかけて放つその予言は絶対に外れない。
百パーセント的中するという話だ。
ボク個人としては、『妖怪の主にボクが再会できる!!』という未来を予言して欲しいものだが……まあ、さすがにそれは贅沢かと考え直す。
主にはいずれボク個人の力で会うことにするとして——今はとりあえず、件の言葉に耳を傾けていく。
「うわっ……た、立った……」
「静かに! 何か……言うぞ……!?」
ボクと同じ目的を持ってここまでやってきた人々が「しぃっ……」と静まり返る。
肝心の件が何を予言するか、その言葉を一字一句聞き漏らさまいとボクも聞き耳を立てていた。
『——聞ケ、人間ドモ』
件が口を開く。男かも女かも分からない。無機質な、それでいて変に耳元に残る響きの声音だった。
『近ク、コノ國ハ滅ビル』
「……っ!?」
その場にいた全員が衝撃で息を呑む。
滅びる……? 国が滅びるって? みんな死んでしまうということか!?
そのあまりに現実離れした予言に戸惑っているボクだったが……さらに放たれる言葉にボクは何も考えることが出来なくなってしまう。
だってその予言は、その口から出てくる者の名前は、名前は——。
『助カリタクバ……人ト妖ノ、闇ニ生マレタ呪ワレシ者……』
『——奴良組三代目、奴良リクオヲ……殺セ!』
このボク……清十字清継の良く知る相手。
ボクが友達だと思っている、クラスメイトの名前だったのだから——。
補足説明
件
未来を予言して、そして死んでしまう妖怪。
今では色んな作品で見かけるようになったけど、連載当時は結構マイナー?
この予言が……全てを狂わす鍵となる。
百物語組の幹部たち(吉三郎被害者の会)
百物語組の幹部たちだが、吉三郎から色々と悲惨な目に遭わされている一同。
腕である鏡斎は、手駒として妖怪をたくさん量産させられ。
骨である雷電が、体の骨を武器として加工されてしまい。
面の皮である珠三郎が、その皮を便利アイテムとして利用される。
一応、この辺りは伏線ですので、吉三郎の登場の際はご期待ください。
読者からも、敵からも、同僚からも嫌われていく耳クソ野郎……。
でも、本人は全く気にしていません!!