「おはよ~、家長さん!」
「うん……おはよ。下平さん」
「? なんか元気ないね、どしたの?」
クラスメイトの下平と挨拶を交わしながら、浮世絵中学校までの朝の通学路を歩くカナ。下平の指摘通り、その声にはいまひとつ元気がなかった。
現在、カナの心はとある心配事で埋め尽くされていた。この浮世絵町を荒らしにやってきた余所者妖怪たち、いまだにその脅威は去っていない。しかし、そんなことを彼女に相談できる筈もなく、とりあえず当たり障りのない笑顔で場を誤魔化す。
「ううん、なんでもないよ。……あれ、そういえば下平さん今日は日直じゃなかったけ?」
「――やばっ! 忘れてた!!」
ふと、カナが思ったことを指摘すると、下平の顔が青くなる。どうやら完全に忘れていたらしい。血相を変えて先を急ぐ下平を、苦笑いでカナは見送る。
カナは彼女の後を追いかけるように、すこし歩を早めて学校まで歩き出す。あっという間に校門まで辿り着き、そのまま門を跨ごうとした――その瞬間、カナの足が止まる。
校門のすぐ側、着物とゴーグルをつけた見るからに怪しい男がしゃがみこんでいた。
おまけに、その男には首がなかったのだ。
――………。
一瞬、例の余所者妖怪かと身構えかけたが、どうもそんな感じには見えない。男は携帯電話で誰かと話しこんでいるようだ。カナはその場に留まりそっと聞き耳を立てる。
突然、校門で立ち止まった彼女に他の生徒たちが不思議そうな目を向けてくる。どうやら他の生徒には男の姿は見えていないようだった。
「四国の奴ら………襲われ……リクオ様を守るの………」
ひそひそと話しているため男の言葉の全てを聞くことはできなかったが、「リクオ様を守る」という部分は聞き取れたことで、カナはようやく男の正体を察する。
その男もまた、及川や倉田と同じリクオを守るために派遣された彼の護衛。そういえば、一昨日あたりから学校内を漂う妖気の数が増えたよう感じた。おそらく、そのときからすでに護衛の数を増やしていたのだろう。
とりあえず敵ではないことに安堵するカナに、不意に男が視線を向けてきた。
校門で不自然に立ち止まった彼女を不審に思ったのだろう。カナは男に怪しまれないよう自然に足を動かして校舎へと歩いていく。
校舎から校門までの道筋にあるスロープの上。中学校には完全に不釣合いなキャバクラ嬢風の女性が生徒たちを監視するように目を光らせていた。こちらからも特に敵意などは感じない。
校舎前。大柄の男子生徒――倉田が携帯電話で誰かと会話しながら仁王立ちしている。
彼の姿は他の生徒たちにも見えるようで、皆が彼を避けるように校舎へと入っていく。そんな彼に、カナは一応声をかける。
「おはよう。倉田くん」
「……ああ」
カナの挨拶に心ここにあらずといった様子で返事をする倉田。彼もまた敵勢力を警戒して神経を尖らせているのだろう。
それ以外の他の場所からも、ちらほらと妖気が発せられている。奴良組の厳重な警戒態勢に安堵感と若干の窮屈さを同時に感じる。自分まで監視されているような気分に、カナの気が多少滅入る。
――でも、これだけ厳重なら敵も手も出しにくいはず……。
それは半分以上カナの希望的観測だったが、あながち間違いでもなかった。
彼女は知らぬことだが、現在リクオの護衛についているのは六人。
いつもの二人、雪女の『つらら』に倉田こと奴良組特攻隊長の『青田坊』。
追加で派遣されたのは、同じく特攻隊長の『黒田坊』。
奴良組屈指の実力者である『首無』に、その相棒的存在である『毛倡妓』。
いつもはマイペースで飄々としているが、確かの強さを持つ『河童』。
奴良組の中でも、かなりの力を秘めた武闘派たち。
並みの妖怪なら、近づくことすら躊躇われるほどの強者ぞろいなのだ。
そんな彼らの監視網をくぐってまで、リクオに危害を加えるなどまともな妖怪ならまず考えない。
――むしろ、危ないのは夜かな……。
カナはひとり思案を続けながら校舎へ入り、下駄箱で靴を履き替える。魑魅魍魎が跋扈する逢魔が時以降こそ、妖怪たちの本領が発揮される。
日中、日の当たる場所では彼らもたいした悪事を働けないはずだと考える。
――とりあえず、学校が終わったら私も見回りでもしようかな……。
春明やゆらがしているように、市内をパトロールしてトラブルの種を未然に防ごうと意気込みながら、カナは教室まで一人歩く。それまでの間に過ごす、いつもどおりの日常を期待しながら。
しかし、この時点でカナも奴良組の妖怪たちもまだ気がつかなかった。
次なる刺客が、決してまともではなかったことを――。
敵の魔の手が、すぐ側まで忍び寄っていたことを――。
そして――カナは知る由もなかった。
今日、この日からカナの日常は一変する。
本当のことを何も知れずにいれた日々が、過去のものとなる。
家長カナという少女にとっての、試練の日々が、今日をきっかけに動き出すということに――。
×
――奴良リクオ……ぬらりひょんの孫。お前も学校に通っているのだな。
――妖怪が人に紛れるのは苦労するだろう?
――目立たぬよーに努力しているみたいだが……玉章は逆だった。あいつはスゴイ!
――あいつは人間の中でさえも、目立つ存在だった
――力でねじふせ、人間さえも支配した
――……それに比べて、オレは……。
――………………。
「ムカつくぜよ、奴良リクオ」
×
「はーい! 実力テスト返しますよ!」
4時間目の授業終了10分前。
横谷マナの声が教室中に響き渡り、それに対し、生徒たちが様々な反応を見せる。
予想通りのひどい結果に、苦虫を噛み潰したような顔になる者。
努力が報われ、喜びにひたる者
友人同士で競い合い、勝者と敗者を明確に反映させる者。
勝者は勝ち誇り、敗者は次こそはと意気込む。
そんな中、カナもまた己の成果が反映されている解答用紙をじっと眺める。
――う~ん、こんなもんかな。
低い点数ではないのだろうが、それなりに前もってテスト勉強していたカナからすれば決して満足できる結果ではない。ふと、彼女は隣の席のリクオのテスト結果が気になり、そちらへと目を向ける。
彼もまた、自分のテスト結果に納得していなかったのか、眉を顰めて解答用紙と睨みあっていた。
すると、そんな彼の周りにぞろぞろと男子生徒たちが集まってくる。
「奴良~~何点?」
「あ――」
「お――?」
「おいおい、みんな一緒じゃ~ん」
「当たり前だろ、リクオの写したんだから」
――写したって……。
男子生徒たちの発言に呆れ返るカナ。
人の解答を写して満足しきっている彼らもだが、それを許したリクオにもだ。
彼のことだから、いつもの親切の沿線上でやったことなのだろうが、こればかりは完全に親切の範囲を一脱しているように感じた。
ここはガツンと言っておくべきかと思い立ったカナ。だが、自分の視界の範囲に、リクオの解答用紙が見える。そのまま、身を乗りだし中身を覗き込む。
「どれ……あっ…」
カナは思わず声を上げた。
――私の一割増……。
自分の点数より、ちょうど一割高いリクオの点数になんともいえない微妙な気持ちになる。
「どーしたの、カナちゃん?」
いきなり声をあげたカナに、戸惑うリクオ。
「べ、べつにぃ……」
特に勝負を持ちかけていたわけでもないのだが、何故かちょっとした敗北感に包まれる。
素知らぬ顔で自分の答案をリクオから見えないよう、後ろ手に隠すのだが、カナの後ろを通りかかった島の手によってプリントがひったくられる。
「家長さんいーなぁ……オレより36点も上! オレなんてリクオの半分だし」
「ちょっと、島くん!?」
あわてて島の手から自身の用紙を奪い返すが、時既に遅し。
リクオは慌てるカナの様子に、無邪気の笑みを浮かべながら聞いてくる。
「カナちゃん 何点だった?」
「え~と…」
おもわず言葉に詰まる。別に後ろめたい気持ちがあるわけではないのだが、リクオの問いにすんなりと答えることができない。
「ねぇ、何点だった?」
そんな自分の気持ちにも気づかず、何食わぬ顔で質問を続けるリクオ。
カナは、ものすごく悔しくなってしまった。
――次はリクオくんに負けない!!
今朝もしたような意気込み、拳をギュっと握り締め、そう心に誓うカナだったが――
×
――何、普通に人間と…ふれあってんだ? 妖怪の総大将……。
――そいつぁ、人間の友達か?
――俺にはいなかったぞ、友人などいなかった。
――妖怪であることが、自分を苦しめたっていうのに
――ん? あの女は――
――オレを、ひっぱたいた女じゃねぇか!!
×
瞬間――自分に向けられた怒りと憎悪の視線にカナの背筋に冷たいものが走った。
――え?
驚きのあまり、咄嗟に椅子を倒しながら立ち上がる。そんなカナの突然の行動に、クラスの何人かが何事かと目を向けてきた。
「カナちゃん?」
リクオもまた、そんな自分を不審そうに見てくる。だが、今のカナにリクオのことは見えていない。
視線の先――教室の後方・出入口の扉へと振り向く。
だが、カナが振り向いたときには、既にそこには誰もいなかった。
――今……確かに?
確かに感じた。抑えきれないほどの憎しみの視線を――
「――っ!!」
まだ授業中だったが、それにも構わずカナは駆け出す。廊下へのドアを勢い良く開け放つ。
「わっ!! い、家長……さん?」
扉を開けた先に、及川つららが困惑の表情で立っていた。
つららの手には風呂敷の包まれた弁当が握られている。おそらく次のお昼の弁当をリクオに届けにきたのだろう。
いつもならここで「なんで及川さんがリクオくんのお弁当を持ってくるのかな?」と、悪戯心にリクオを問いただしたりして、困らせたりするのだが、カナがこのとき問いただしたのは、それとはまったく別のことだった。
「及川さん! 今ここに誰かいなかった?」
視線の主がつららである可能性はないと思う。
確かにつららは、ときどきカナに対して敵意のこもった目を向けてくるが、あんな冷たい憎しみの視線ではない。カナのただならぬ様子に、戸惑いながらもつららは答える。
「え~と、サボりの生徒かしら? わか――リクオくんたちの教室を覗いてましたけど……」
「その人どっち行った!!」
「え? そこの階段からどっかに行ってしまいましたけど……」
つららの返答を聞くや、カナは階段まで駆け出す。
下か上かで一瞬迷ったが、とりあえず下へと足を向け一気に駆け下りる。
どれくらい走っただろう。
既に授業も終わり、多くの生徒たちが廊下を歩き出していた。そんな生徒たちの波をかき分けて、カナはひたすら走り続ける。
だが、先ほどのような憎しみの視線を向けられることはなく、特に怪しい人物も見当たらない。
校舎を飛び出し、裏庭に来たあたりで一度息を吐くカナ。汗だくになりながら、呼吸を整えて辺りを見回す。
特に代わり映えのない、いつもどおりの昼休みだ。
――気のせい、だったのかな?
釈然としないものを感じつつも、カナは教室に戻ろうと歩き始めたところで彼女は声をかけられた。
「カナちゃん? どうしたのよ、こんなところで?」
「あっ……凜子先輩」
一つ上の先輩――白神凜子が心配そうに自分を見ている。
「先輩こそ、どうしたんですか?」
「私? 私はひいおじーちゃんにお供え物を届けに行ってたところだけど……」
凜子の曽祖父は裏庭に住まう、土地神白蛇。家族想いの彼女はその白蛇にお供え物をしに、よくこの裏庭を訪れる。
もっとも、最近は清十字団に入ったり、委員会に入ったりなど、なにかと忙しい毎日を送っているためか自然と訪れる回数が減っているらしい。曽祖父の白蛇は、そんな凜子の生活の変化に嬉しいやら寂しいやら、何かと複雑な気持ちになっているとのことだった。
「……先輩、今日誰か怪しい人見かけませんでしたか?」
「怪しい人?」
「はい。なんか、こう……不思議な雰囲気の人とか?」
カナはとりあえず凜子に尋ねてみることにした。彼女を不安にさせないよう、オブラートに包んで。凜子はひとしきり考え込み、やがてなにか思い出したのか答えを口にする。
「……そういえば、今朝クラスの子たちが制服違いの人を見かけたって騒いでたけど……」
「制服違い、ですか?」
「ええ、でもすぐどっかにいなくなったらしいから、多分気のせいじゃないかしら?」
制服違いの生徒と聞き、カナの脳裏に一昨日の夕方の帰り道での光景が浮かび上がる。
下校途中のリクオに絡んできた、あの青年たち。
彼らも、どこぞの高校あるいは中学校の制服を着ていた。
カナの背筋に、嫌な予感が走った。
――まさか!?
「カナちゃん、大丈夫?」
「えっ?」
「なんか顔色悪いけど」
カナの顔色の変化を機敏に読み取ったのか、凛子は心配そうに覗き込んでくる。
そんな凜子にどう話すべきかと一瞬迷ったカナだったが、とりあえず事情を話される彼女には教えておこうと思い立ち、口を開きかける。
「実は――」
だが、その言葉がカナの後ろからかけられて声によって、途中で遮断される。
「おい! カナ……ん、白神も一緒か」
「土御門くん?」
「……兄さん」
そこに立っていたのは陰陽師――土御門春明。彼は二人の顔を一瞥するとすぐに踵を返し、林の奥へと歩いていく。
「ちょういい……二人とも、ちょっと付き合え」
彼女たちを二人を、人目の付かない林の奥へと誘った。
×
「――危険な妖怪が学校に!?」
春明の話に、凜子の表情が驚きに染まる。
カナもその話を聞いて、先ほど感じた寒気が気のせいではなかったと確信する。だが、そんな二人の反応に、やや途切れ途切れに言葉を紡ぐ春明。
「いや、それがはっきりしねぇんだよ。さっきから探ってるんだが……どうにも奴良組の連中の妖気が邪魔してて断定できねえ……」
彼にしては珍しく自信なさげな様子だった。
春明は陰陽師として、それなりに高い探知能力を持っている。同じ陰陽師の花開院ゆらですら気づかないリクオやその護衛たちの妖気を察せるほどの探知能力だ。
その彼を持ってしても、気のせいと思わせるほど妖気を隠しきる妖怪が、この浮世絵中に紛れ込んでいるかもしれない。その現状に、ゾッとするカナ。
「……とりあえずお前ら、今日はもう学校ふけろ」
『え?』
「本当に敵が紛れ込んでたら面倒なことになりかねねぇ。その前に学校からずらかれ」
シッシと、二人の少女を追い払うジェスチャーをする春明。
彼なりに、二人を心配して言ってくれることなのだろうが、カナとしては「ハイそうですか」と言って帰れる状況ではない。
もし、本当に敵が紛れ込んでいるならば彼らの狙いは十中八九、奴良リクオだ。
幼馴染の命の危機に、自分だけ逃げ出すなどできなかったし、友人たち――いや、ひょっとしたら関係ない他の生徒にも、その被害が飛び火するかもしれない。何もせず、手をこまねいているわけにはいかない。
そんな一人熟考するカナの隣で、凜子が言いにくそうにおずおずと手をあげる。
「でも、私……次の生徒会選挙で司会進行の仕事しなきゃならないんだけど」
「は? 司会?」
「私、選挙管理委員会だから」
カナと出会った日から凜子は内気な自分を変えるため、様々なことに積極的になっていた。
選挙管理委員会に入ったのも、その一環だろう。
すると、凜子の発言に春明が思い出したように口を開く。
「………そういえば、オレも応援演説してくれって頼まれてな」
「え 兄さんが?」
「ああ、同じクラスの西野とかいうやつに……何だお前ら? その面は……」
『いや……別に……』
カナと凜子がぽかんと口を開いているのを見て、春明が不機嫌そうに顔を歪める。
二人が驚くのは無理もない。何故彼がというより、そんな頼みを良く引き受けたなと感心する。
普段の春明の生活態度を知っている彼女たちから見れば、彼がそんな頼みを聞くところなど、まったく想像ができなかった。
二人の少女は、妖怪の危機が迫っている事実を忘れたかのように、呆然と立ち尽くす。
×
――昼は仲良く…メシ食ってんのかよ、女と。
――お~お~……見せつけてくれるねぇ、妖怪なのに……。
――しかも、さっきとは別の女じゃねーか?
――…………あ? 生徒会選挙だぁ? さぼれよ、そんなくだらない行事……。
――なんで進んで人間の輪に加わろうとする。妖怪だろ?
――ハブられる、モンだろ……!?
×
『!!!』
「……どうしたの二人とも?」
突如発せられたその妖気に、感覚を尖らせていたカナと春明の二人が反応した。
妖気を感じ取る訓練を受けていない凜子が、そんな二人を不思議そうに見ている。
「兄さん、今の!?」
自身の感じ取ったものが間違いでないかを、春明に確認するカナ。
「ああ、間違いない……」
春明も、はっきりと断定して見せた。
その気が発せられた場所――屋上を見上げながら彼は答える。
「一瞬だが、確かに感じた。妖気だ……」
そこで一呼吸置いて春明は答える。いつも無表情の彼には珍しく、その頬に一筋の汗をたらしながら。
「奴良組の奴等じゃなぇ。敵意と殺気――憎しみのこもった妖気だ」
×
「まだだ、まだこんなもんじゃねぇ」
生徒会選挙の会場となる、体育館。
浮世絵中学の生徒500人が一堂に集まるその中に混じり、妖怪・犬神はひたすら憎しみを溜め込み続けていた。
「こんな憎しみや恨みじゃ足りねぇ……」
己が身の内に憎悪を滾らせる。かつて、あの男に対してしたように。
「あの時のオレは、もっと……玉章を恨んだんだよ!!」
積もり積もったその憎しみは、一気に解き放たれるその瞬間をひたすら待ち続けていた。
補足説明
犬神
玉章とホモホモしいやり取りをしてくれるお犬さん。
原作でカナちゃんのホッペを舐めるという、許し難し所業をなした野郎だが、キャラとしてはそんなに嫌いじゃない。なので次回からは彼視点の話も考えながら執筆していきます。
カナちゃんのテスト結果
答え合わせは、原作コミックス四巻の幕間にて。