家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

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本編を読む前に。
今回の話でカナちゃんの過去話を一旦終了し、時間軸を現在に戻していきます。
そして、この話の最後辺りに、当初より予定していたオリキャラ。最後の重要人物をチラッと登場させます。
このオリキャラは今作において重要な役割を背負っています。これで当初予定していたオリキャラはほぼ出尽くしました。
もしかしたら今後、必要に応じてキャラを考えるかもしれませんが、そこまで深く物語りに食い込むキャラは出ないと思います。
今回出るオリキャラの正体も、春明のように原作の設定と密接な関りがあるように考えています。その辺の考察を楽しみながら、どうぞお読みください。


第三十二幕 家長カナの過去 その④

「あの子が——カナちゃんが妖怪に!? それはどういうことなの、春明!?」

「…………」

 

 半妖の里。里の半妖たちが集う会合の場で、人間の女性——春菜は息子が放った不穏な言葉に声を荒げていた。

 

 ここは村長の家。里で一番の広さを持つ居間にて、里の住人たちは月一の会合のために集まっていた。そこへ急遽飛び込んできたのが、春菜の息子の春明と、その素行をチェックするために彼を監視していた富士天狗組の組員だった。

 春明は、大人たちが真剣に話し合っている場に堂々と割り込み、開口一番このように話を切り出してきた。

 

『あのカナってガキ……妖怪になりかけてるぞ』

 

 いきなりの爆弾発言に場の空気がシーンと静まり返る。真っ先に我を取り戻した春菜が先の質問を投げかけ、それをきっかけに、他の大人たちが一斉に騒ぎ出す。

 

「あの子が……妖怪に!?」

「おいおい、本当か?」

「いや……そもそも人間が妖怪になるって……どういうこと?」

 

 頭に疑問符を浮かべながら春明の発言の真意を推し量る大人たち。さらに詳細を説明するべく、春明は祖父の残した記録から自身が知った知識を照合し、現在のカナの身に起こっていることを説明し始めた。

 

 そもそも人間が妖怪になるという話は、それなりにメジャーで全国各地に多くの伝承として残されている。

 

 梅若丸の伝説。千年ほど前、梅若丸というやんごとなき家柄の少年が捩眼山という牛鬼の住まう山に行き別れた母を捜しに迷い込んだ。だが、既に母親は牛鬼に喰い殺され、その亡骸と梅若丸は牛鬼の口の中で再開する。

 彼は母を救えなかった無念、愛しい人を殺した妖怪への憎悪から自らも妖怪となって牛鬼を殺し、いつしか自分が牛鬼と呼ばれる『妖怪』となった。

 

 常州の弦殺師『首無』。江戸時代に義賊として名を馳せていた人間の男。彼は妖怪によって自分と仲間を惨殺され、その恨みを晴らすべく自らも『妖怪』となり、夜な夜な妖怪を殺して廻る『妖怪狩り』を行うようになった。

 

 他にも、妖怪となってしまった惚れた男を追いかけるため、自らも妖怪となった遊女——毛倡妓。

 子供を護る為、盗賊共を殺して業を深めてしまった破戒僧——青田坊など。

 

 そういった様々な例を引き合いに出しながら、春明はカナが妖怪化している経緯を語る。

 

「あいつの場合、後悔かな? 『なんで自分一人がいきのこってしまったんだろう』って強い後悔が、この富士の霊障にあてられて、あいつに人間を止めさせようとしてる」

「そ、そんな……」

 

 春明の説明に春菜は蒼白になる。まさか、そこまであの子の絶望が深いものだったとは。その想いを察してやれなかった自分を責め、カナが人間を止めようとしている事実に春菜は驚愕する。

 しかし、春菜が顔を曇らせる一方で、他の者たちはそこまで絶望的な表情をしていない。

 

「……そうか、あの子が妖怪にね……」

「けどよ、人間でも妖怪でも、あの子はあの子だろ?」

 

 半妖である彼らは、妖怪や人間といった考えに縛られない。そのどちらでも受け入れられる懐の深さをもっていた。その寛容さから、たとえカナが妖怪になろうとも、それはそれで受け入れると安易に考えていた。しかし——

 

「アホか……ことはそう単純じゃねぇんだよ」

 

 そんな楽観的な考えの彼らを馬鹿にするよう、春明はさらに説明を続ける。

 

 人間から妖怪となった場合、真っ先に懸念すべきは『暴走』だ。精神が人ではないものになって、人であった精神がまともなままでいられるわけがない。

 

 先の説明にもあった、梅若丸。

 母を殺された憎悪から妖怪となった彼は、その菩提を弔うため近隣の人里を襲い死体を積み上げた。その所業は数百年の月日が経ち、母の愛を忘れた頃になってようやく収まった。

 妖怪狩りの首無しも数百という妖怪を殺め、憎き敵をその手で討ち取ってようやく精神が生前に近いもので安定した。

 なかには妖怪となった直後でも、人間時の道徳や倫理観を強く持ち合わせている者もいるにはいるが、あのカナという少女の妖怪化しようとしている経緯を考えると、その線は望みが薄い。

 

「もし……あのガキが妖怪になったら、てあたり次第、目につくものを殺すだろうさ……。具体的に言えば、この里だ。それでおさまるとも思えねぇ。そのまま勢いにのって山を降りて人里にも手を出すだろうぜ。そうなれば……」

 

 と、春明が淡々とカナが妖怪になることの危険性を語っていると。

 

「——そうなれば……当然、我々も動かないわけにはいかない」

「ハク様!?」

 

 会合の場に、富士天狗組の若頭であるハクが姿を現した。どうやら春明の話は聞いていたらしい。彼の言葉の後を引き継ぐように、彼はカナが暴走した場合の対処法を語る。

 

「もしもあの娘が妖怪となり、この里、または近隣の人里を襲うのであれば、我々もこの地を管理する者として動かないわけにはいかない。最悪——あの娘の命を奪うことになるだろう」

「そっ、そんな!? 何とかならないのですか、ハク様!!」

 

 冷静に、冷酷に告げられたハクの言葉に、春菜が待ったをかける。

 

「あの子には何の罪もないんです! 理不尽に両親を奪われた被害者なんですよ!? それなのに、一人生き残ったことを悔いて妖怪になって、殺されるなんて――そんなの、うっ……」 

「…………済まない、わたしでは……どうすることも、できない」

 

 目に涙すら貯めて懇願する春菜に、ハクは返す言葉もなく謝罪を口にする。里の大人たちも皆、きまり悪げに顔をうつむかせる。

 あの少女——カナは悪くない。なのに殺されなければならない。そんな理不尽極まる現実にその場にいた大人たちは全員、罪悪感に押しつぶされそうになっていた。だが——

 

「はやとちりすんなって……何も手がないわけじゃない」

 

 そんな沈痛な面持ちの一同相手に、春明は一筋の光明が指し示す。少年のその言葉に、大人たちは一斉に顔を上げ、彼を見据えた。

 

「ほ、本当なの、春明!? まだ、何か方法があるの!?」

 

 皆を代表するように春菜が息子へと問い質し、春明は少しもったいぶったように残された手段を提示する。

 

「ああ。アイツはまだ完全に妖怪になったわけじゃない。そうなる一歩、二歩くらい手前だ。妖怪化が進行する前に俺が結界で外界との接触を遮断したからな。だが、それも時間の問題だ。あいつの命を奪わずに事態の収拾を図りたければ、方法はただ一つ。これ以上の進行が進む前に妖怪になること自体を防ぐ、これしかない」

「おお——!」

「…………それは、できるのか? あの娘が魔道に堕ちるのを防ぐことが?」

 

 きっぱりと断言する春明に一同が感嘆の声を上げる。だが口にするのは簡単と、ハクは春明の提案を訝しがるように疑惑の目を向ける。

 

「俺が思いつくかぎり方法は二つ。一つはあいつの精神を追い詰めている感情を取り除いてやること。簡単に言えば、あいつが抱いている後悔の念を取り除いてやることだ。だがこれは……」

「……無理よ、春明。そんなこと、一朝一夕でできるわけないわ」

 

 春明が出した方法のひとつ目を、春菜が首を振って否定する。

 カナを追い詰めている感情、あの子が一人生き残ってしまったという後悔を払拭してやること。だがこれは長い時間をかけ、あの子に寄り添い、癒していく心の傷だ。多くの時間と人々の優しさがあって初めて成り立つそれを、今すぐに取っ払ってしまおうなど、そんなおこがましいことができるとは春菜には思えない。

 

「……なら残された方法はあと一つだ」

 

 それは春明もわかっていた。あっさりと一つ目の手段を捨て、残ったもう一つの方法を提示する。

 

「あいつを人でなくそうとしている、その心身を侵している『霊障』の方をなんとか取っ払うことだ。根本的な解決にはならないが、即効性はある。心根の問題を解決しない限り、また同じようなことになるかもしれねぇが、今はそれでしのげるはずだ」

「? そ、そうなのか、なあ?」

「いや、俺に訊かれても……」

 

 霊障——半妖の里で平和な日々をおくる里の者たちでは、あまりピンとこないが、その霊障こそが、カナの身を人間から妖怪へと転じさせようとしている。

 かの梅若丸も、捩眼山の霊障にあてられて妖怪となった。ならばその霊障の方を取り除いてやれば、彼女が妖怪になろうとしている事実を覆すことができる。

 だが——

 

「まて! この富士の霊障を取り除くだと? それができるのは……まさか、お前っ!?」

 

 春明の提案に何故か狼狽するハク。彼は春明が言わんとしていることを理解しているのだろう。その考えを先読みし、珍しく戸惑いを口にする。

 

「この山の、この富士の山の霊障を自在にコントロール出来るのは、その地の支配者だけだ……つまり、それは……」

「ああ、そうだよ」

 

 言い淀むハクの代わりに、その先を引き継いで春明は口にする。

 その考えを実行に移すために必要となる、その人物の名を——

 

「この山の支配者。つまりは富士天狗組長——富士山太郎坊の力を借りる必要があるってわけだ」

 

 

 

×

 

 

 

 富士山は古くから日本人にとって、多くの信仰を集める霊山の一つだ。

 近代化が進む昨今、人々は霊や妖怪といった、人ならざるモノたちへの敬意を忘れようとしているが、それでも尚、未だ多くの人々に畏敬の念——『畏』を抱かせる富士の山。

 故に、その地に宿る霊的な磁場の力は他では類を見ないほどに大きく、人間の体、精神に与える影響も計り知れない。具体的に言うのであれば、人間を人ならざるモノに変えてしまえるほどに——。

 

 今まさに、家長カナという少女に訪れようとしている変化。彼女の心の闇につけこむようにこの地に溜まった負の念が、彼女を化け物に——妖怪に変えようとしている。

 それを押しとどめる最良の手段は、この富士の霊障、霊脈の支配権を有する大妖怪——富士山太郎坊の力を借り受けることだ。彼の力でカナの身に流れ込んでくる悪しき気の流れを断ち斬り、その精神を正常なモノへと戻す。

 だが——

 

「——断る」

「…………」

 

 富士天狗組の屋敷にて、太郎坊の声が鮮明に響き渡る。居間で彼と対面するハクは、顔色こそ変えなかったものの、その額からは一筋の汗が垂れ下がっていた。

 春明からカナの妖怪化を鎮める方法を提示されたハクであったが、その手段を実行に移すことは困難であると悟っていた。事実、こうして主である太郎坊に一通りの経緯を話し終え協力を頼みこんでみたが、案の定、すげなく断わられてしまった。

 

 もともと人間を毛嫌いしている太郎坊。ハクがカナを拾ったことは良しとした、お膝元である半妖の里に預けることまでは目を瞑った。

 だが、人間のために自らが力を行使することまでは許容しかねるらしく、彼女がどうなろうと知ったことではないとばかりに、口調を苦々しく吐き捨てていた

 

「なにゆえ、ワシが人間の小娘一人を救うためにわざわざ下山せねばならぬ。寝言は大概にせい、ハクよ」

「はっ……それは、仰るとおりではあります。ですが……」

 

 ハクはそんな主の言葉に同意しつつ、何とか重い腰を上げてもらおうと食い下がる。

 

「このまま、あの娘が妖怪となれば暴走する可能性が高いと、あの陰陽師の小僧の推察です。私も……無用な混乱を避けるためには、早いうちに手を打っておくことが最良であると考えます。何卒、ご再考を……」

「ほう……あれだけ罰するべきと息巻いておったのに、その陰陽師の考えに同意するか?」

 

 ハクが春明の考えに同調するかのように、カナへの助力を請う姿に太郎坊は眉をしかめながらため息を吐く。

 

「ふん、確かにこの富士山でそのような目に遭えば、魔道に堕ちてもおかしくはない。だが所詮は小娘。いかに妖怪になろうとも、たかが知れておるわ。……まさか、牛鬼のような大妖怪になれる素質があるわけでもあるまいしな……」

「はい? 牛鬼……?」

「いや、こちらの話だ。気にせんでいい」

 

 何やら自分自身に言い聞かせるような太郎坊の呟きに、ハクは思わず問い掛けるが、それを無視し、太郎坊はさらに投げやりに言葉を吐く。

 

「まあだが、確かに妖怪になって暴走でもされたら面倒だ。今のうちに討伐隊を編成しておけ。その小娘が妖怪となるようならば……お前たちの方で始末をつけておくがいい」

「……はっ…………畏まり、ました」

 

 それで話は終わりとばかりに、太郎坊はハクに背を向けゴロンと横になった。

 

 ハクの心境は些か複雑なものであった。

 ハクにとって太郎坊の言葉は絶対。主に始末しろと言われたのならば、そのようにするまで。だがあのとき、ハクは母親の亡骸に妙な仏心を出し、哀れと思ってカナを拾ってきた。

 しかしそのせいで、カナは余計な苦しみを背負い込み、人間を止めようとしている。

 もし、当初の思い付きどおりにあの場で殺しておけば、少なくともカナや、彼女と関わりを持った半妖の里の者たちが苦しみ悩む必要はなかった。

 自分は余計なことをしてしまったのではと、後悔の念が押し寄せてくる。

 

「では……直ちに編成の準備に入ります」

 

 だがそれでも、自分のやることに変わりはないと。ハクは太郎坊の命を実行に移すべく、カナ討伐のために部下たちに声を掛けようと、部屋を後にしようとした。

 すると——

 

『なんだぁ? ずいぶんと……つまらねぇ結論でおさまっちまったなぁ?』

「ん?」

「何者だっ!!」

 

 ハクでも、太郎坊のものでもない。その場に第三者の声が響き渡る。

 どこからともなく聞こえてくる声の出どころを探し、ハクが視線を彷徨わせると。

 

『こっちだこっち……』

「なっ、せ、背中に! いつの間に!?」

 

 真後ろ。背中から聞こえてきた声に、ハクが慌てて視線を向けると、背中に人型の護符がペタリと貼りつけられていた。その護符を慌てて剥がし、ハクは声を荒げる。

 

「春明! 貴様だな、どういうつもりだ!!」

『ふ~ん……ここが富士天狗組の屋敷か……』

 

 それは陰陽師が用いる護符。間違いなく春明の仕業である。

 

『それで……そこで偉そうにふんぞり返ってるのが太郎坊か? 随分と小柄なじじいなんだな』

「なっ!? く、口を慎め、小僧!」

 

 どうやら護符を通じ、こちらのことが見えているらしい。春明は平坦な口調で太郎坊への第一印象を口にし、そのあまりにも無礼な口ぶりに、ハクは春明を叱責する。

 

「まあ待て、ハクよ」

 

 しかし、当の本人はあまり気にしておらず、ゆっくりと起き上がる。興味深げにその護符を渡すよう、ハクに視線で促す。

 ハクは、何かしらの仕掛けが施されていないか調べ、問題がないことを確認し護符を太郎坊に手渡した。

 

「いかにも……ワシが富士山太郎坊、この富士天狗組の組長にして、この山の主である。貴様が春明だな? お前さんの悪評はわしの耳にも届いておる。随分とヤンチャしているようだが?」

『べつに……そうたいしたことをした覚えはないんだけどな……』

 

 双方、ジャブ代わりに軽く挨拶を済ませ、早速本題に入っていく。

 

「それで……何の用だ? まさかとは思うが、貴様もワシにあの小娘のために力を振るえなどと、つまらぬ冗談をぬかすわけではあるまいな、ん?」

 

 ギロリと睨みを効かせながら自分は腰を上げるつもりはないと、真っ先に予防線を張る太郎坊。それに対し、春明は答える。

 

『そのまさかだよ。耳までボケたかジジイ。しかし驚いだぜ。天狗共の頭は自分のケツを拭うことすらできない。責任をとることもできない、口だけの老いぼれ天狗だったとはな……』

「き、き、貴様ぁああ! なんだその口の利き方は!?」

 

 無礼を通り越し、もはや非礼極まる言動にハクの怒りが爆発するが、太郎坊はそれを手で制し、春明の話に耳を傾ける。

 

「わしの責任だと? いったい何の話だ?」

『なんだよ、本気で理解してねぇのか?』

 

 太郎坊の質問に呆れたような声の春明。声だけでも、やれやれと首を振っている造作が想像できる。

 

『あのカナってガキが妖怪になろうとしているのも、今の境遇になっちまったのも、元をただせばアンタたちが鉄鼠とかいう、はぐれ者を好き勝手させてたせいだろ? 自分のシマで起こった不祥事ってやつだ……違うか?』

「そ、それは……」

 

 ハクが怒りを引っ込め返す言葉を失う。確かに、あの鉄鼠を早々に始末しておけば例の事件は起きなかった。アレを始末するのにまごついた、自分たち富士天狗組の責任とも言える。

 

『その不祥事のせいで、一人のガキが半端に生き残っちまった。それでも、わざわざ拾ってこなきゃそこで野垂れ死んで終われていただろうに。中途半端に拾ってきて、一方的に人ん家に預けやがって。挙句の果てに、自分たちの手に負えなくなったから始末する……まるで、話に訊く外の世界の人間の政治家みたいだな……アンタたち」

「……小僧、よりにもよってこのワシを、人間共と一緒とほざきよるか!!」

 

 ここに来て、太郎坊が初めて怒りを口にし、額に青筋を浮かべる。

 人間を毛嫌いしている太郎坊に向かって、人間と同じとのたまう。

 たとえ、それが安い挑発だと理解していても、捨て置けない暴言である。

 

「……ふっ、よかろう。貴様の軽い挑発に乗ってやるぞ。首を洗って持っているが良い。直ぐにそちらに出向いてやる。覚悟しておけ!」

『ふん……早く来いよ、ジジイ』

 

 そこで通信を切ったのか。それっきり、護符から春明の声は聞こえなくなった。

 用済みとなったその護符を投げ捨て、太郎坊は立ち上がる。

 

「行くぞハク。支度をせよ!」

「よ、よろしかったのですか」

 

 人間のために力を使うことを嫌がっていた太郎坊が一変。意気揚々と出かける準備を始めてしまった。戸惑うハクだが、そんな彼の様子に太郎坊は口元をニヤリと吊り上げてみせる。

 

「構わん。己の分を弁えぬ小僧に力の差を見せつけてやるのも務め。里の者共にもわしの力を見せつけてやる、よい機会だ」

 

 気のせいか、ほんの少し楽しそうに笑みを浮かべながら。

 

「——この富士山太郎坊の力をな」

 

 

 

×

 

 

 

「おお!! 参られたぞ! ハク様と……あの方が、そうなのか?」

「わ、わからん、俺も初めて見る。……あの方が、富士山太郎坊……」

「富士天狗組の組長……この山の主か……」

 

 出迎えの準備をしていた半妖の里の者らは、森の向こうからやってくる二つの人影に、にわかに騒ぎ出していた。

 二つの人影のうち、一つは先ほども会合の場にいたハクであることは一目瞭然。だが、もう一人の小柄な老人——彼が富士山太郎坊であることを知るものは、この里の中でもほとんどいない。

 太郎坊はこの土地の長として君臨しているが、そのご尊顔を里の者たちが目にする機会は驚くほどない。基本、太郎坊は半妖の里とのやり取りなど、配下のものに一任している。

 山を降りて里に出向くことなどほとんどない。

 故に、見た目たんなる小柄な老人である太郎坊を、一目見て本物と断定することができなかった。しかし——

 

「なんだ貴様ら? わしの顔になにかついとるか……ん?」

「「「!!」」」

 

 一言。里の者たちが無遠慮な視線を送るのに対して、老人は一言だけ言葉を発した。

 声音、風貌、出で立ち。その老人には、それら全てに厚みがあった。里の者たちは一瞬で理解させられる。この老人こそ富士山太郎坊——自分たちが日々作物を捧げている、この里の守護者であると。

 

「ははぁ!! とんだ無礼を、申し訳ございませんでした!!」

 

 一瞬とはいえ、彼が本物かどうかを疑ってしまった者たちは一様に頭を下げ、太郎坊に対して敬意を示した。犬頭の村長も、春明の父親も、春菜も——。ただ一人、彼をここまで呼びつけた当の本人を除いて。

 

「ようやくきやがったか……勿体付けやがって、来るなら早く来いよな」

「は、春明……!」

 

 大人たちが一斉に頭を下げる中において、春明一人だけが不満そうな表情で太郎坊を出迎えていた。

 そんな無礼な息子を狐耳の父親が叱責しようとしたが、それに先んじて太郎坊が口を開く。

 

「構わん。それよりも、早速その妖怪になろうとしている小娘のところに案内せよ。あまり長居するつもりはない、さっさと済ませるぞ」

「は、はっ! 畏まりました。ではこちらへ……ご案内します」

 

 太郎坊の言葉に里を代表し、村長が先導する。そのあとをハクと太郎坊。そしてその後ろから春菜とその夫。そして春明が続く。

 

「お前たち……ついてくるつもりか? 春明はともかく、二人は……」

 

 ハクが眉を顰めた。春明がついてくるのはわかる。彼が結界を張っている以上、それを解くためには彼の力が必要だ。だが後の二人は特についてくる必要はない。他の里のものたちのように、この場に残ってもらった方がハクとしてはありがたかった。 

 しかし、夫婦は二人揃って首を振り、ついてくる決心を固めていた。

 

「ハク様……どうか見届けさせてください。一人の子を持つ親として、あの子の一番側にいた人間として……」

「私も、家族を守るのが一家の大黒柱としての責務ですから……」

「いや、しかしだな……」

 

 それでも尚、ハクは何かを口にしようとして二人の同伴を断ろうとした。 

 

「好きにせよ。時間が惜しい」

 

 だが、やはりそれを制し、太郎坊は先を歩く。

 今は一刻でも時間が惜しいとばかりに、彼は足を速めて村長を急かしていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ほう、ここか。なるほど……確かに不穏な空気が漏れ出ているようだが……よく抑え込んでいる。やるではないか、小僧」

 

 そうして、一行は春明がカナを結界で閉じ込めているという家の前までやってきた。一見すると普通と何も変わらぬ、ただの一軒家だ。だが辿り着いて瞬時に、太郎坊はその家の中に押し込まれているカナの不穏な空気を悟った。

 彼女が妖怪になろうとしている状態で、その身から放つどす黒い瘴気。

 春明が上手く抑え込んでいるおかげで、何とか保っている現状を理解する。

 

「能書きはいいから、とっとと準備しろジジイ」

 

 その状態を維持している陰陽術の腕を褒める太郎坊の言葉に、やはり礼節などなく、春明はつっけんどんに返す。 

 

「……だから口の利き方……いや、もういい……」 

 

 ハクはその口の利き方を窘めようとしたが、そろそろ諦めがついてきたのか深くは突っ込まなかった。

 

「ふん、準備などいつでも出来ておる……さっさと結界を解除しろ」

「わかったよ。じゃあ……始めるぞ」

 

 太郎坊の言葉に、春明はとうとう家の周囲に張り巡らせておいた結界を解いた。

 その結界はカナの妖怪化の進行を食い止め、誰も彼女に近づかないようにするためのもの。だが、カナの肉体から霊障を取っ払うためには、もっと彼女に近づく必要がある。太郎坊クラスの妖怪なら、力づくで結界を破ることもできただろうが、ここで無用な力の消費をさせるわけにはいかない。

 春明は太郎坊の言葉に素直に従い、家の結界を解き、刹那——家の扉が景気よくぶっ飛んだ。

 

「えっ?」

 

 まるで内側から、空気圧で押し出されたかのような勢いで飛ぶ木製の扉は、その直線状に立っていた春菜に向かって飛んできた。

 

「春菜!!」

 

 立ち尽くす妻を夫は庇うため、盾に成ろうと割り込む。そのまま吸い込まれるように扉が彼に直撃しかける。

 

「はっ!」

 

 だが、ハクが割って入り、扉を錫杖で粉々に打ち砕き事なきを得た。

 

「大丈夫か、二人とも?」

「あ、は、はい」

「ありがとうございます……」

 

 夫婦は揃って礼を述べるが、既にハクの視線は彼らには向いていない。

 

「…………ちっ」

「……来たな」

 

 春明も太郎坊も、家の中から這い出てくる少女の方に釘付けになっていた。

 

 

 

「——おとうさん……あかあさん……どこ…………どこにいるの……?」

 

 

 

 扉を吹きとばすほどに暴発しそうな妖気を内包した、怪物になりかけている少女。

 だが、そこに立っていたのは、一人寂しさに泣きじゃくる幼い女の子だった。

 恐ろし気な瘴気こそ纏ってはいるが、そこにいたのは涙で顔を腫らした、迷子の子供のように、父と母を捜す哀れな少女だけである。

 

「か、カナちゃん……」

 

 その姿に春菜は涙する。少女が恐ろしいからではない。あんな幼い少女が妖怪になりかけても、両親の愛を求めて虚ろな瞳を彷徨わせている。

 その姿が、あまりにも悲しすぎて。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 村長たちもハクも言葉が出てこなかった。その少女が涙に暮れる光景があまりにも痛ましくて。

 

「————ふん! これだから人間は度し難い」

 

 只一人、カナの痛ましい姿を視界に捉え、富士山太郎坊は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 彼は躊躇うことなく少女へと近づきながら、尚も気に入らなさそうに吐き捨てる。

 

「親しい者、愛しい者を失えばこうして容易く魔道に堕ちる。こんな貧相な小娘までもが、平気で闇との境界線を跨ぎ、我らの領分に足を踏み入れる」

 

 彼はカナから漏れ出している妖気をものともせず、彼女へとさらに距離を縮めていく。

 

「だがな人間。そこは我々の領分だ。闇は我々妖怪の潜む場所だ。貴様のように我を失った小娘が踏み入れるなど、百年早いわ!!」

 

 ひるむことなくカナの眼前まで迫り、仁王立ちしながら豪語する。

 

「早々に立ち去ってもらうぞ、その領域から! そして……とっとと日の当たる世界へと引き返すがいい! 人間!!」

 

 瞬間、太郎坊はこの地の支配者の権能を以ってして、カナの身を侵食している霊障を取り除いた。太郎坊の神通力で吹き荒れる突風が、カナの体から漏れ出していた妖気を吹き飛ばした。

 まさに一瞬――刹那の間に全てが終わった。だが、

 

「……おとうさん……おかあさん……おいて、いかないで……私も一緒に…………」

 

 憑き物が落ちた。彼女が纏っていた妖気もなくなった。

 だが、それで家長カナという少女の悲しみが消え去る訳ではない。

 彼女は先ほどと、まるで変わらない様子で視線を宙に彷徨わせ、父と母を求めてフラフラと歩いていき、太郎坊の横をすれ違う。

 

「——っつ!! カナちゃん!!」

 

 そのいたたまれない姿を見るに見かねて、春菜は飛び出していた。

 実際に問題こそなかったが、傍から見てまだ安全とはいい難い状況であっただろうに。

 それでも彼女はカナに向かって躊躇いなく駆け出していた。

 

「……あ…………」

 

 足元もおぼつかず歩くカナが、小石に躓き倒れかける。

 それをギリギリのところで、春菜が抱きとめる。

 

「カナちゃん……」 

 

 ギュッと、春菜は優しく、力強くカナの弱々しい体を抱きしめた。

 抱きしめられたカナの表情が一瞬、虚ろだったその目を大きく見開き、彼女の口から零れ落ちる愛しき者を呼ぶ言葉。

 

「……お母さん……ああ、温かい……」

 

 春菜の抱擁に母親の胸に抱かれる錯覚を抱きながら、カナはゆっくりと眠るようにその意識を閉じていった。

 

 

 

 

 

「……………………ふぃ……終わったか……親父……」

「ん? どうした、春明?」

「……しっぽ貸してくれ……疲れた」

 

 ことの成り行きを無事に見届け、春明は力を抜くように息をついた。全てが終わると、彼は父親の方へと歩み寄り、そのまま彼の尻尾に身を預けるように倒れ込んだ。

 

「えっ、お、おい春明……」

「………………」

 

 いきなり自身の尻尾を毛布にして寝っ転がる息子に戸惑うが、横になった途端、彼は穏やかに寝息を立てながら眠ってしまった。

 その年相応のあどけない表情に、父親として口元をほころばせる。

 

「どうやら……相当に疲れていたようですね……」

「無理もないだろう。家一帯を包み込む結界をずっと維持し続けていたのだ。何でもないような顔を装っていたが、所詮はまだ子供……その身には過ぎた力だ……よくやったものだ」

 

 ハクも、眠る春明の顔を覗き込みながら今回の彼の活躍を労う。

 今回の一件、一番の功労者は間違いなく春明だろう。彼が側にいたからこそ、カナの異変に気づけた。そして妖怪になろうとしている彼女の進行を遅らせるよう、陰陽術を行使し続けてくれた。

 最終的に太郎坊がカナを救ったが、人間嫌いの彼をその気にさせた春明の功績を忘れてはならない。

 

 ——今後は、少しくらい監視のレベルを下げてやるか。

 

 自分以外の全てなどどうてもいいと、春明のことを身勝手な子供だと思っていたハクだが、今回の一件で彼にもそれなりの人情があることがわかった。そこは両親の教育のおかげか。ほんの少し、この少年に対する風当たりを弱めてもいいだろうと、ハクは心の中でこの小さな陰陽師を認め始めていた。

 

「あの……ありがとうございます! 太郎坊様」

 

 そして、その少年を育てた女性は太郎坊に対して頭を下げ、感謝の意を示していた。

 眠るカナをその胸に抱く姿は、まさに実の親子のようである。

 

「……ふん、礼を言うのはまだ早いかもしれんぞ、人間よ」

「えっ?」

 

 だが人間嫌いの主は彼女からの礼に二コリともせず、当分の危機は去ったものの根本的な解決には至っていないことを教えてくれた。

 

「今回、ワシが施した処置はあくまで一時しのぎだ。この娘の心に闇がある限り、魔は何度でもこの娘をかどわかしにくるだろう」

 

 そう、カナの心根にある『両親の死』と『自身が生き残ってしまった負い目』がある限り、また同じようなことが繰り返される可能性があるのだ。

 

「言っておくが、こうして手を貸すのは今回だけだ……次は助けんからな」

 

 もし次も同じようなことがあっても自分は助けないと、太郎坊は冷たく突き放す。

 そう何度も人間のために力を貸してやるほど、自分は都合の良い存在ではないと念を押すように。

 

「…………大丈夫です」

 

 しかし、そんな太郎坊の忠告に、春菜は真っすぐ彼のことを見据えながら言い返す。

 

「もう二度と、こんなことが起きないように、私が責任をもってこの子を支えて見せます。確かに人間の心は弱いかもしれません。貴方様の仰るとおり、容易く魔道に堕ちるほどに……。けど、人はそれと同じくらい、その闇の中から這い上がっていける強さを持ち合わせています。…………私も、かつてはそうでした。人の世の全てに絶望して、この地に逃げてきた世捨て人です」

 

 自身の経験を交えながら、それでもと、春菜は強く瞳を輝かせる。

 

「けど、そんな私に……この里の人たちは手を差し伸べてくれました。そのおかげで私はこうして生きています。だから、今度は私の番です。私が……この子に手を差し伸べる。きっとこの子も、生きていく意味を見つけ出すことができる筈ですから……」

「……………………ふん、生意気な人間だな」

 

 春菜の言葉を聞き届けた太郎坊は、その顔に刻まれた皺をより一層深くしかめながら、春菜へと背を向ける。もう用は済んだとばかりに、振り返ることはなかったが、最後に一言だけ告げる。

 

「まっ……人の一生は短い。我ら妖怪からすれば刹那の時よ。……精々見届けてやるさ。その娘の行く先くらい……」

「——はいっ!! お任せください!!」

 

 その言葉を激励と受け取ったのだろう。春菜は立ち去る太郎坊に深々と頭を下げていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ……やれやれ。無駄な時間を費やしたわい……ああ、面倒だった」

「お見事です。太郎坊様。易々とあの娘の霊障を払ってしまわれるとは」

 

 屋敷に戻った太郎坊はこれ見よがしに背伸びをしながら、ドカッと居間のど真ん中に胡坐をかき、その活躍に感服したとばかりに若頭であるハクが主を称賛する。

 

「ふん。あの程度。ワシにとっては赤子の手を捻るようなものだ。いちいち労を労われるようなことでもないわ」

「はっ、そうですか……ですが、本当にありがとうございます、太郎坊様」

 

 太郎坊は口でそう言いつつも、その顔にはそれ相応の疲れが滲み出ていた。どうやら今回の件、それなりに力を消耗する事柄だったのだろう。そうまでして人間であるカナを助けてくれたことに、ハクは再度頭を下げる。

 

「よいよい……それよりもだ、ハクよ」

 

 ハクの感謝にうざったそうに手をひらひらさせる太郎坊だったが、彼は次の言葉を少しだけ言いにくそうに詰まらせる。

 

「その、なんだ……今後もあの小僧……春明の監視を続けていくのだろう?」

「? ええ、そのつもりですが……」

 

 何故ここで彼の話を持ってくるのかと、疑問に思いながらハクは主の次の言葉を待つ。

 

「……ことのついでだ。監視役にあの小僧と同じように娘の方にも気を配るように言っておけ。……今後あの、カナとかいう娘がどのような道程を進むのか……一応は見届けてやる」

「……はっ、畏まりました!!」

 

 あの主が、人間嫌いの太郎坊があの少女の顛末を見届けると言った。

 どうやら、あの春菜とかいう人間の言葉が心に引っかかったらしい。

 その僅かながらの心情の変化に驚くが、実のところハク自身も興味が湧いてきた。

 カナと春菜……そして春明といった、半妖の里に住まう彼らの行く末を——。

 

 その物語の先にある結末を見届けてみたいと、そう思っていた——。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ときに……ハクよ」

「はい、なんでしょう?」

 

 その後、いくつかのやり取りを経て、部屋を立ち去ろうとしたハクを太郎坊が呼び止める。

 主の顔には数分前にあった疲れも、人間への興味といった感情もなく。ただひたすら、太郎坊は険しい顔をしながら、ハクに問い尋ねる。

 

 

 

「例の鉄鼠の一件から大分経つが…………奴と共謀して凶行を働いた愚物共の足取りはまだ掴めんのか?」

「…………はっ、申し訳ありません。部下に探させて入るのですが……未だ手掛かりも掴めず」

 

 

 

 それは鉄鼠の事件についてだった。

 カナが両親を失い、多くの人間が殺されたあの忌まわしき事件。

 

 その首謀者である鉄鼠——そいつと一緒になって犯行に及んだ不埒者の足取りについて。

 

 そもそもな話、あの『霧』は鉄鼠の能力ではない。あの巨大で、醜く、暴れ回るしか能のない大ネズミにあんな繊細な霧を生み出す能力などない。あれは全く別の妖怪の仕業なのだ。

 少なくとも一匹、その霧の能力を使って人間をあの樹海に引きずり込み、鉄鼠に人間を襲わせていたものがいる筈。だがあれ以降、あの霧は全く発生する兆しもなく、人間への被害もぴったりと止んでいる。

 鉄鼠を討ち取った富士天狗組を恐れているのか、あるいはさらに深く地下に潜りこんだのか。いずれにせよ、あれだけの人間を無残に殺しておいて、何の罰も受けず、今ものうのうとほくそ笑んでいる輩がいることは間違いない。

 

「よいかハク。連中は我らのシマを土足で踏み荒らし、ワシらに畏れを抱く筈だった人間共を無用に害した不届き者だ。どれだけ時間がかかっても構わん。必ずや見つけ出し、報いを受けさせるのだ。この富士山太郎坊の名に賭けてなっ!!」

「はっ! 必ずや天誅を!」

 

 太郎坊は怒りを隠す様子もなくハクに命を下す。その指令を、ハクも相応の覚悟を以って受け取った。

 未だ顔も見えぬその不届き者どもに、必ずや天誅を下してみせると。

 それが死んだ人間たち、あの少女の両親にとっても弔いになるだろうと、信じて。

 

 

 

×

 

 

 

 太郎坊とハクが屋敷で話し合っていた、丁度その頃。

 

 富士の樹海。一週間前、鉄鼠によって悲劇の地となり、多くの人間たちが犠牲になった場所。だが、そこに腐乱する死体も、血に染まる地面もなかった。代わりにあったのは、積み上げられた石の山と、その側にそっと供えられた花々である。

 それは墓石だ。半妖の里の者たちはカナを預かる際、彼女の身に起きたことをハクから聞かされていた。それを聞き、わざわざこの場所まで赴き、野ざらしのままであった死体を綺麗に埋葬、墓を作って手厚く彼らの遺体を葬った。

 供えられた綺麗な花々は半妖の里の住人がそれぞれ、自主的に供えたもの。

 誰もが、鉄鼠に理不尽に殺された、顔も知らない人間たちの死を悼んでいた。

 

 そんな、死者たちが眠る静寂の地。彼らの死を見舞う以外の用事で容易く踏み入れてはいけない領域——。

 

 そんな神聖な場に今、一人の少年が足を踏み入れていた。

 

 人間でいうところの高校生くらいのその少年は、ずかずかとその地に足を踏み入れ、墓石に供えられていた花束を容赦なく踏みつけ、わざとらしく間延びした声で呟く。

 

「あ~あ~……鉄鼠のやつ、思ったより呆気なくやられちゃったな~~。もう少しくらい粘ってくれてもよかったんだけど……そう思うだろ、オンボノヤス?」

「キッ、キキッ!!」

 

 少年はそのように呼びかけながら、後ろを振り返る。すると、見るからに異形とも呼ぶべき、妖怪——オンボノヤスが猿のような鳴き声で少年の言葉に頷いていた。

 

 オンボノヤス。山の中で人間に出会うと霧を吐き出し吹きかける。その霧を掛けられた者はたちまち帰り道を失い、そのまま山の中で遭難し、野垂れ死んでしまうという。

 伝承では詳しい姿は伝えられていないが、今この場にいるオンボノヤスは、童謡でおなじみのアイアイのような見た目に、巨大な尻尾を生やしている。その尻尾からは絶えず白い霧が漏れ出してる。

 その霧こそ、鉄鼠の姿を覆い隠し、人々を死地へと引きずり込んだ魔の霧の正体である。

 

「それにしても退屈だよ。ここ数日は富士天狗組のせいで派手に動けなくなったからな~。まったく迷惑な話だよ……あと2、3回くらいは、人間共を使って遊べると思ってたのに……」

 

 そしてこの少年の姿をした妖怪こそ、今回の企てを起こした真の黒幕。

 オンボノヤスを使い人々を迷わせ、その霧の中へ鉄鼠を差し向けた張本人である。

 

 その少年の名前は————————

 

「捜しましたよ。こんなところで油を売っていたんですね。————さん」

 

 不意に、一人の男がその少年の傍らに歩み寄ってくる。

 柔和だが、人間らしい感情などほとんど感じられない不気味な男。

 その男へ意外そうな表情を浮かべて、少年は口を開く。

 

「おや? なんだ圓朝か……どしたの、こんなところまで。なんか用?」

 

 圓朝(えんちょう)、と呼ばれたその男は少年の疑問にややおどけた調子で言葉を紡いでいく。

 

「いえ、例の計画……ようやく形に入ったものですからね。一応、君にも声を掛けておこうと思いまして」

「ああ、例の……。何だっけ? 鏖地蔵の奴が地獄のあの人と一緒になって主導してるっていう、やつだっけ?」

「ええ……君も我々の『一部』なのですから、少しくらい協力してもらわないとね……」

 

 男の意味深な言葉に、少年は気が進まなそうに頭を掻く。

 

「う~ん……そう言われてもね……ボクの後釜はきっちりと仕事してるんでしょ? 今更、ボクが戻ったところで大して意味があるとは思えないけど?」

「柳田くんでは戦力になりませんよ。これは所詮、情報収集専門の非戦闘員。我々の一部でもないのですから……」

「おいおい……本人に言ってやるなよ? 血の涙を流して悔しがるから」

 

 圓朝の言葉にやれやれと首を振る少年、彼は少し頭を悩ませてから返事をする。

 

「ん~~……まっ、いっか。丁度退屈してたし。いいよ、手伝ってやる……いい退屈しのぎになりそうだ」

「相変わらずの気分屋ですね。ほんと、誰に似たんだか……」

 

 呆れたような圓朝の言葉。少年はそんな彼の台詞にすかさず言い返していた。

 

「そんな言い方は心外だな~。君だって人のこと言えた義理じゃないだろ?」

「…………」

 

 少年の言葉に、口を噤む圓朝。それにも構わず少年は語りかける。

 

「君は『口』として怪談を語りたいだけ。ボクは『耳』として人々の悲鳴を聞きたいだけ」

 

 自らの在り方、その存在意義をときながら——。

 

「己の欲望に忠実であれ……。それこそが、ボクたち――山ン本だろ?」

 

 

 




補足説明
 首無と毛倡妓
  二人が妖怪になる詳しい経緯はぬら孫公式小説『吉原綾取草子』に書かれます。
  何故か原作の一巻で首無が毛倡妓のことを姐さんと呼んでいましたが、実際は逆。
  首無の方が年上です。人間としても、妖怪としても。
  きっと、まだ設定が固まっていなかった時期なんだろうと。とりあえずスルー。

 妖怪化について
  今回の話。正直作者もノリと勢いで書いているのでよくわかってなかったりする。
  霊障とか、梅若丸の話あたりで出た単語をそれっぽく理由付けしてみた。
  霊障などの心霊現象の詳しい方。矛盾するところがあっても、どうかスル―で!

 オンボノヤス
  オリキャラですが、こちらは実際に伝承にある妖怪です。
  霧を舞台にしたかったので、なんかそれっぽい妖怪が欲しくて調べたところヒットしました。
  見た目については完全に作者の創作。オンボノヤスの『オ』は『尾』という意味があるらしいので、とりあえず尻尾をデカく。何となく猿っぽい感じが浮かんだので、アイアイを基本の姿にしました。
  日本ではおさるさんと陽気に歌われていますが、現地の人には悪魔扱いされているアイアイ。まさに、今回のような所業にぴったりの役どころだと思いました。

 謎の少年
  彼が今作における重要なオリキャラの一人です。  
  最後の会話文だけでも、正体がわかってしまいそうですが、そこはスルーでお願いします。
  名前は……ごめんなさい。まだはっきりとは決まっていません。 
  候補の名前はあるのですが、『彼ら』の名前の括りには『伝統文化に大きな足跡を残した江戸中期以降の人物』という縛りがあるそうなのです。ですが、作者の知識ではそれに当てはまるような人物を思い浮かべることができません。
  もし、よさげな名前があるのであれば教えてください。その名前を採用するかもしれませんので。
※感想欄へのアンケート回答は禁止事項と知りました。お手数ですが、活動報告やメッセージの方へお願いします。
 誠に申し訳ございません。


 さて、誠に勝手ながら、今回の話で今年の投稿は最後とさせていただきます。
 今年はホント……忙しくて。ぶちゃっけそこまで手が回らない……。

 次話は来年から――予告タイトル『邪魅の漂う家』。
 アニメ二期にすら省かれたエピソードですが、個人的には好きなのでやります。
 久しぶりに、清十字団の面子も登場させたいし。
 
 では、少し早いですが…………良いお年を!!


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