家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

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お久しぶりです。
前回の後書きにも話した仕事のゴタゴタですが――まだ片付いておりません(笑)
というか、今月はあと一回くらしか、多分休みが取れない始末。

色々と時間を見つけて何とか一話書き切りましたが、余裕がなくて見直しとかはほとんどしてません。誤字報告がありましたら、どんどん指摘してください。その都度直していきます。

前置きはこれくらいにして続きをどうぞ。


第三十七幕 家長カナの過去 その⑦

「そうか……とうとう決心がついたか。ふん……随分と待たせおったな、小娘め」

「ええ、本当に……」

 

 富士山頂上。富士山周辺を支配下に治める富士天狗組の屋敷にて。組長の太郎坊と若頭のハクは二人っきりで盃を酌み交わしていた。

 酒の肴として語っている話題は家長カナについて。彼女が半妖の里を旅立つ決意をしたと耳にした。

 お互い、特にこれと言って表情に変化がないようにも見えるが、それぞれ抱える思いは複雑なものだった。

 

 ハクはカナの直接の命の恩人として。両親の死からほとんど抜け殻状態だった彼女が無事立ち直り、外の世界に踏み出すと決めた。一度は両親の後を追わせてやるべきかと迷っただけに、感慨深いものがこみ上げてくる。

 太郎坊は人間嫌いではあるが、カナが妖怪に堕ちるのを防いだり、彼女の身に宿った神通力の制御方法を教えてやったりと何かと世話を焼いてきた。口では憎まれ口を叩きつつも、どこかその呟きに寂しさのようなものが僅かにだが感じ取れる。

 

 このように、直接的にカナの世話を見てきた半妖の里の者たちほどではないが、彼らも彼らなりにカナという少女に関わってきた。人並に彼女の旅たちに寂しさを感じれば、喜びも感じている。

 

「だが……よりにもよって浮世絵町とはな……」

 

 しかし、彼らは今、そういった個人的な感傷とは別の意味で頭を悩ませていた。

 カナの旅立ち、それ自体は以前から問題なく進めてきた。実際にカナが人間社会で暮らすために必要になる資金の見積もりや、成人するまでの世話役の選定、戸籍や住所録の偽造など(妖怪ヤクザらしく)。

 だが、ここに来て問題となったのは、カナが行きたいといった場所。彼女が住みたいと望んだ土地に問題があった。

 そこは、かつての家長カナの住まい。両親との想い出が残る土地。それだけでも大丈夫かと言いたくなるのだが、問題がさらに他にあった。

 

『浮世絵町』

 

 その町の名を知らぬ妖怪ヤクザはまずいないだろう。何故ならその町こそ、かの有名な妖怪任侠組織の本拠地。関東最大の勢力にして、かつて妖世界の頂点に君臨した『奴良組』が本家を構える町の名なのだから。

 

「ハクよ。確かあの町は今……?」

「ええ……奴良組の二代目が亡くなって以来、秩序が乱れていると聞きます」

 

 しかし、そんな栄華も過去のもの。今の奴良組はすっかり衰退しており、自分たちのシマの秩序すら守れない状態にある。

 原因は、奴良組二代目―—奴良鯉半の死。組の柱ともいうべき人物を失い、隠居した初代が代理で仕切っているそうだが、それも上手くいっていないとのこと。

 結果、はぐれ妖怪たちが好き勝手に暴れ回り、組内部でも不穏な動きがあると、奴良組と疎遠になった筈の富士天狗組の耳にも入ってきている。

 

「……ふん、ぬらりひょんもすっかり老いたものだ、ざまあない。昔のあやつならこの程度の混乱、鶴の一声で黙らせていただろうに……いや、昔の話をしても致し方あるまい」

 

 太郎坊はかつての頭へ辛辣な言葉を吐きつつ、目の前の問題に向き直る。

 浮世絵町の秩序は先のような事情もあってか、妖怪的な視点から見れば実に危うい。そんな地にカナを住まわせていいものかと、彼らは真剣に悩んでいた。

 

「しかし、本人の強い希望ですからね。それを蔑ろにしては、また駄々を言いかねません。本人がその気になっている内に、話を進めた方がよろしいかと」

 

 当初は半妖の里を出ること自体を拒んでいたカナが、手のひらを返すように強く浮世絵町に行くことを望んでいるのだ。一応、他に住みやすい土地をいくつか候補として挙げているのだが、カナは頑なに自身の気持ちを曲げようとしない。

 いったいどういった事情からか理解しかねるが、そんな彼女の決意を折ることがハクたちにはできなかった。

 ならばいっそのこと、このまま話を進めた方がいいと、ハクは太郎坊に具申する。すると――

 

「ふん……だからか? だからこそ――自分が護衛にと? そこまでしてやる必要があるのか、ハクよ?」

「………………」

 

 気に食わない様子で鼻を鳴らす太郎坊の言葉にハクが黙る。

 浮世絵町が危険な土地だというのならば、それに見合う護衛を派遣すればいいだけのこと。並大抵の妖怪にも負けない、強い護衛―—天狗組若頭であるハクをカナと共に行かせる。それが導き出された答えだった。

 

「はい。私ならば家事も教えられます。それに……最初からそのつもりでしたし」

 

 そう、実のところ。行き先が浮世絵町であろうとなかろうと、ハクは最初からそのつもりだった。カナが成人するまでの間、誰か一人。天狗組から護衛を派遣することは半妖の里とも話し合った事案。

 そしてその護衛には他でもない、ハク自らが出向くと自身で宣言していた。

 

「それがあの日、あの少女の命を救った自分の責務です。せめて成人……十三歳になるまでは私がしっかりと面倒を見てきます。共に行くことができない、春菜殿の代わりに……」

 

 妖怪の成人年齢である十三歳は、人間的に言えばまだまだお子様だが、妖怪であればもう立派な大人だ。せめてそれまでの間くらい、彼女の生活と命を護ろうと。ハクはあの日カナを救った責任感から、そう考えるようになっていた。

 

「ご心配なく。十三になってからは、後任に任せるつもりです。暫しの間暇をいただくことになりますが、どうかご容赦のほどを……」

「……ふん、まあ良かろう。たがが数年だ。あと腐れがないよう、しっかり面倒を見てやれ」

 

 組の若頭であるハクが不在になることに太郎坊は少しご機嫌ナナメであったが、所詮は数年。妖怪からすれば大した時間ではないと、納得することにした。

 

 その代わり、今はこうして二人っきりで盃を酌み交わそう。

 暫しの間、組を留守にするその分だけ、共に過ごす時間を大切にするために。

 

 

 

×

 

 

 

 そして――――家長カナが半妖の里から、人間社会へと旅立つための準備期間である一ヶ月は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

 

 

「……まさか、自分でここにこれる日が来るなんて思ってもなかったよ」

 

 旅立ちの日の早朝。霧深い森の中に家長カナの姿があった。彼女の周囲にはいくつもの石の山が積み上げられており、そのうちの二つに向かってカナは膝を折って両手を合わせていた。

 

「ここに眠ってるんだよね……おとうさん、おかあさん」

 

 そこはカナの両親を始め、多くの人間たちが鉄鼠によって犠牲になったかつての悲劇の地である。積まれた石の山一つ一つが犠牲になった人間の墓石。隣り合うように並べられている両親の墓石に、カナは鎮魂の祈りを捧げていたのだ。

 

 カナがここに来るのは今日が初めてだったりする

 元気になったあとも、両親の死に折り合いを付けることができなかったカナは、ここに来ることを意図的に避けてきた。しかし、半妖の里から旅立てば、ここにはそう簡単に戻って来れなくなる。ひょっとしたらこれが最初で最後の墓参りになるかもしれないと、彼女は覚悟を決めてこの地に足を踏み入れていた。

 だが、あまりに長く居座りすぎるとそれはそれで辛くなる。ここに来てからまだ三十分と経っていないが、早々に顔を上げ、カナは立ち上がった。

 

「それじゃあ、行ってくるね……」

 

 墓石代わりに両親の位牌を大事に握り締めながら、彼女はその地に背を向けて歩き始めた。

 

 

 

 

「―—もういいのか? 一応、まだ時間はある。もっとゆっくりしていってもいいんだぞ?」

 

 墓参りを終えたカナを出迎えるため、森の出口に白狼天狗のハクが人間形態で待機していた。真正の妖怪である彼は『妖怪の姿』と『狼の姿』――そして『人間の姿』の三つを器用に使い分けることができる。

 人間時、彼は白髪の男性――二十代前半から、後半の若い姿をしている。その若さで髪が真っ白というのは中々目立ってはいるが、人間社会に紛れるのであればこれで十分だろう。まだ人里ではないが、今後はこの姿でいることが多くなるだろうと、今から人間に溶け込めるようハクも努力していた。

 

「は、はい……大丈夫です。そ、そろそろ行きましょうか……ハク様」

「ふっ、そう固くなるな。ハクと気安く呼んでもらって構わないさ。今日から君が成人するまでの間は、私が君の保護者となる。よろしく頼むよ、カナ」

 

 緊張した様子のカナに、楽にするようやんわりと声を掛けるハクだが、二人のやり取りはまだぎこちない。

 

 二人が正式に顔合わせをしたのは半月前だ。ハクはカナのことを勿論知っていたが、カナはハクのことをよく覚えてはいない。実際に命を救われたり、心身喪失状態のときに何度か会ってはいる筈だが、あまりピンときてはいない様子だった。

 そのため半月の間、ハクはカナの住んでいる春菜の家に通いつめて彼女との距離を縮めようと努力した。そのおかげか、最初の頃よりは慣れ親しんだが、やはりまだ春菜たちのようにはいかない。

 だがいつまでもあーだこーだと言ってもいられない。これ以上の距離感は実際に共に暮らして縮めていくしかない。ハクはそれを今後の課題とし、次に進むことにした。

 

「それじゃあ、皆のところに挨拶に行こう……ついてきなさい」

「は、はい! よ、よろしくお願いします!!」

 

 戸惑うカナを促し、ハクは次の目的地へと向かっていく。

 

 

 

 次に二人が向かったのは半妖の里だった。既に旅立ちの準備を済ませたカナを見送ろうと、そこには里中の半妖たちが集まっていた。当然、その中には春菜とその夫の姿もある。

 

「春菜さん……兄さんは?」

「それが……今朝からどっか行ってしまったみたいで、小屋の方にもいないのよ……」

「あいつめ! こんなときくらい、素直に顔を見せればいいものを!」

 

 しかしその大勢の中に、春明の姿が見えないことにカナは肩を落とす。一応、春菜たちも探し回ったようだが見つけることができず、仕方なく息子抜きで戻って来たらしい。

 カナは寂しい気持ちになりながらも、気持ちを素早く切り替え、その場にいる皆に向かって声を張り上げる。

 

「みんな! お見送りありがとう! わたし……この里で暮らせて……よかったって思ってる! 辛いことが沢山あったけど……みんなと一緒だったから立ち直れた……みんなが……そばに、ぐすっ、いてぐれたがら……わ、わだしは――」

 

 だが別れの挨拶を笑顔で済ませようとして――失敗する。

 カナの脳裏に蘇る思い出の数々。込み上げてくる想いを塞き止めようと必死に堪えるも、涙が止めどなく零れ落ちてくる。

 

「お、おいおい、泣くなよ」

「そうだよ、こっちまで……悲しくなってくるだろ、ぐすっ……」

 

 すると、カナの感情に引っ張られるように周囲の人々がもらい泣きする。きっと笑顔で彼女の旅立ちを見送ろうと決めていたのだろう。表情を崩すまいと必死に堪えているようだが、それも上手くいかず涙声があちこちから漏れ出してくる。

 そんな中、瞳を潤ませつつカナに歩み寄る春菜。彼女も他の人たちのように今にも泣きそうになる表情を必死に抑えながら、カナと顔を突き合わせる。

 

「いい、カナ? 貴方は覚悟を決めて旅立つんだから。辛い思いを沢山することになったとしても、決して生半可な気持ちで、逃げ出すために帰ってきては駄目よ……」

 

 最後まで厳しい言葉でカナを送り出す。全てはこの子のためだと心を鬼にして。だが――

 

「…………どうしても……駄目?」

「―—っ!」

 

 涙を拭いながらもカナは上目遣いに尋ねる。一ヶ月の予備期間の間に覚悟を決めたとはいえ、やはりまだまだ未成熟な子供のまま。いざという時に頼れる人がいないと思ってしまうと、どうしても不安が残る。

 カナの心情を察し、春菜の瞳が動揺で揺れる。やはり甘さを完全には捨てきれないのだろう。

 

「そ、そうね………………じゃあ、こうしましょう!」

 

 暫く沈黙を貫いていたが、やがて何かを思いついたのか、カナの頭を撫でながら春菜は少女に言い聞かせる。

 

「もしも、外の世界で『いい人』が見つかったら、その人と一緒に里に戻ってきなさい……」

「…………いい人?」

 

 春菜の言っていることの意味がよく分からず、カナが小首を傾げる。そんな少女の無垢な様子が面白くて、春菜はクスッと笑みを溢す。

 

「ええ……貴方がずっと一緒にいたい。その人と添い遂げたいと想えるような素敵な人と巡り会えたなら、その人を連れて戻ってきなさい。私たちのところにじゃなくて……貴方の御両親の墓前に報告をしに、ねっ?」

「? ……よくわからないけど、わかった!」

 

 春菜の言っていることの意味を完全に理解しきれなかったが、カナは元気よく頷いた。いざとなれば戻って来てもいいという。その希望を胸に少女は改めて旅立つ気持ちを固める。

 

「―—時間だ……そろそろ行こうか?」

 

 新品の腕時計を見ながら、カナと里の者たちとの別れをすぐ側で静観していたハクが告げる。目的地である浮世絵町まで、人間が利用する公共機関を利用することになっている。里の中では曖昧になっていた時間の概念に急かされる形で、カナは里の者たちとの別れを促されることになる。

 

「うん……それじゃあ、行ってくるね、皆!!」

 

 不安を完全に拭いきれはしなかったが、涙はしっかりとふき取ったカナ。彼女は笑顔で手を振りながら、力強い足取りで里を後にしていった。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 暫くの間、ハクとカナは黙々と森の中を歩いていた。

 まだ互いに距離感を掴めない両者の歩きはバラバラ。一応、ハクがカナに気を遣う形で歩幅を縮めてはいるが、それでもハクの方が一歩前に出る形で森の中を突っ切っていく。

 

「……もう少ししたら樹海を抜ける。心の準備をしておきなさい」

「は、はい!」

 

 ハクがそのようにカナに声を掛ける。森を抜ければ人間の作った道路に出る。そこからさらに歩いていくとバス停があり、そこからバスで駅へと向かい、電車を乗り継ぎ東京――目的地である浮世絵町まで行く手筈だ。

 ハクは妖怪としての脚力を使えば文明の利器に頼る必要もないし、カナも神足で空を飛ぶことができる。しかし、そんなことをすれば間違いなく人間の目に留まって騒ぎになる。今後の生活のため、人の世に慣れるためにも彼らは大人しく普通の人間のような手順で目的地まで行くことになった。

 やがて、森の出口が見えてきたところで、ふと前を歩いていたハクの足が止まる。

 

「どうしました?」

「アレは……」

 

 後ろを歩いていたカナは立ち止まったハクに駆け寄りながら、その視線の先へと目を向ける。

 二人の前方。樹海と人間の作った道路を隔てるようなガードレールに、一人の人間の少年が腰かけていた。後ろ姿だけでも、二人にはその少年が誰なのかわかった。

 

「兄さん!?」

「……よお、奇遇だな」

 

 春明だ。まるでここで会ったのが偶然であるかのように振る舞う。里で姿を見せなかったが、まさかこんなところで待ち構えていたとは思いもよらず、カナは驚きながらも喜びを口にしていた。

 

「見送りに来てくれたんだ!!」

「別に……散歩してただけだ、そのついでだよ……暇だったし……」

 

 ぶっきらぼうな表情。顔色一つ変えないため、素で口にしているのか、照れ隠しなのかイマイチ判別できない。だが、わざわざ来てくれたということは、彼なりにカナの旅立ちに思うところがあるようだ。

 

「ほれ……これやるよ」

 

 春明はガードレールから降りると、カナのもとまで近寄り、一枚の護符を握らせる。

 

「……なに、これ?」

 

 いきなり手渡されたそれが何を意味する物か分からず、カナは疑問符を浮かべる。彼女の疑問に対し、春明は答えた。

 

「その護符にあれだ。空を飛ぶ感じで力を込めてみろ」

「? わかった」

 

 取りあえず言われた通り、神足を使う要領で握りしめた護符に力を込めるカナ。すると次の瞬間、ペラペラな護符は光を放ち、細長い得物―—『槍』へと姿を変えた。

 

「こ、これは!?」

 

 突然、自身の手中に収められた武器の存在に驚くカナだが、春明は淡々と武器の詳細を説明する。

 

「俺が作った式神の槍だ。もう一度同じ要領で念じれば元の護符に戻る。……外の世界は色々と物騒って聞くからな。護身用だ、持ってけ……じゃあ、俺そろそろ帰るわ」

 

 そうして、一方的な説明を終えるや、そのまま春明は森の中へと入っていく。

 

「あっ、に、兄さん! ありがとう! それと、行ってくるね!!」

 

 カナは慌てて槍を護符へと戻し、背を向けて歩き出した春明に向かってお礼と、分かれの挨拶を述べる。彼女の言葉に春明は振り返りも返事もしなかったが、黙って片手をあげ、ひらひらと手を振った。

 春明の姿が見えなくなり、ポツリとハクが呟く。

 

「あいつも素直じゃないな……さて、今度こそ――行くか!」

「はい!!」

 

 ハクの言葉に元気よく返事をし、カナはガードレールを跨ぎ人の世界へと新たなる一歩を踏み出す。

 

 

 かくして、家長カナは第二の故郷と呼ぶべき半妖の里から旅立った。

 巣立ちを迎えた、若鳥のように――。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが……浮世絵町……」

 

 旅立ちから数時間後。日がすっかり傾いた頃になってようやくカナたちは目的地――浮世絵町へと辿り着いた。

 道中での移動は特にこれといった問題も起こらなかった。ハクはあらかじめ人間社会について予習をしておいたし、カナ自身も幼少期は人の世界に暮らしていたのだ。バスに乗ったり電車に揺られたり、視界を埋め尽くすような人混みに目を見張ったりしたが、それほど大きな混乱にはつながらなかった。

 

 しかし、そうして問題なく浮世絵町に辿り着いた今になって、カナにある違和感が襲いかかる。

 

 ―—なんだろう……? 私はこの町を知っている筈なのに…………なのに……

 

 半妖の里の皆は、カナがかつての故郷に戻ることで両親との幸福だった過去を思い出し、再びトラウマが蘇ることを危惧していた。だが、実際に故郷を目の当たりにしてカナが抱いた気持ちは逆だった。

 

 彼女は――何一つ思い出せなかった。

 

 両親との想い出も、この地で過ごした筈の幼少期の記憶も――何一つ。 

 まるで、この地に最初から自分の存在などなかったのではと、考えてしまうほど。

 懐かしさなど欠片も抱くことができなかった。

 

「……さて、そろそろ行こうか」

 

 カナの心情を果たしてどこまで理解できているか定かではないが、ハクは呆ける彼女を促し先を歩いていく。

 

 

 

 

「―—ここが、今日から君と私が住むことになる家――アパートだ」

 

 駅から歩いて数分のところにその住居は建っていた。新しくもないが、古すぎない。外観もどこにでもある様相の日本式、二階建ての集合住宅を前にカナは目を丸くする。

 

「立派な家ですね……え? こんな大きな家に住むんですか?」

 

 半妖の里では寧ろ二階建ての建物の方が珍しく、家の面積だって小さい。こんな大きな家に住んでいいのかとカナは驚きを口にしている。

 

「断わっておくが……ここはアパート、集合住宅と呼ばれる建物だ。以前の君がどんな住まいだったかは知らないが、この建物の全てが私たちの物になるわけではないよ……ほら、見たまえ」

 

 カナの疑問にすんなりと答えながらハクは指を差す。すると、一階のドアから腰を曲げた老人が顔を出してきた。

 

「いてて……おや? 新しい同居人かね?」

 

 老人はカナたちがアパートを見ている視線に気づいたのか、そのように声を掛けてくる。

 

「あ、あの……わ、わたしは……その……………」

 

 突然声を掛けられてしどろもどろになるカナ。そんな彼女に代わって、ハクが老人の質問に答える。

 

「ええ! わたしとこの子、二人がここでお世話になります。どうかよろしくお願いします」

「ああ、そうかい、そうかい……こちらこそよろしく! いや~若い人が増えて嬉しいねぇ~!」

 

 完璧に人間に擬態したハクの挨拶に、老人は嬉しそうに笑顔で答え、そのまま夕暮れ時の散歩に出かけていく。老人が立ち去った後、ハクは溜息を吐きながらカナに注意する。

 

「ああいった感じで、一つの部屋ごとに人が一人、或いは複数で住んでいるのが集合住宅の特徴だ。今後は人間同士のご近所付き合いとやらも増えるだろう。馴れ合えとまでは言わないが、あの程度の受け答えはできるようにならなくては困ることになるぞ……気を付けなさい」

「は、はい……ごめんなさい」

 

 自身のミスを責められカナは恐縮する。何気にあの老人がカナにとってこちら側に戻ってきてからの初めての会話相手だったりする。

 

「ふっ……まあ、少しずつ慣れていけばいいさ」

 

 落ち込むカナに素早くハクはフォローを入れながら、彼はアパートの間取りを確認する。

 

「ええと……私が二階で、君の部屋が一階だから……あそこが君の家ということになるね」

 

 そう呟きながら、ハクは先ほど出てきた老人の二つ隣の部屋を指し示す。そこでふと、カナは素朴な疑問を浮かべる。

 

「あれ? ハク……さんと、一緒の部屋じゃないんですか?」

 

 彼の口ぶりから察するにどうやら自分と彼は別々の部屋であるようだ。そのことに不安を覚えたのかカナは表情を曇らせている。

 

「大丈夫さ。何かあればすぐにでも駆けつけられるよう、すぐ上の階を押さえている。……だが、基本は一人暮らしだ。君自身の成長の為にも、その方がいいだろうし、私などといつも一緒では気も休まらないだろうからね」

「そ、そうなんですか……」

 

 薄く微笑みを浮かべながらハクはそのように説明する。確かに未だ距離感が掴めないハクと同じ部屋で過ごすのは少し気が滅入るかもしれないが、一人っきりというのもそれはそれで不安だった。

 

「さて、取りあえず先に夕食にしよう。今から作るから、君はその間に自分の部屋の確認を。大体の物は揃えたつもりだが、何か不備があれば夕食後にでも教えてくれ」

「あ、は、はい」

 

 そうして、カナとハクはその場で解散となり、二人は各々の部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

「―—ふぅ……ここが私の新しい家……か…………はぁ……」

 

 自身の新しい住まいにつき、カナは大きく深呼吸をし、全身から力を抜いた。

 里を出てからずっと緊張状態が続いていたのか。ハクの考えた通り、一人っきりになることでようやく落ち着くことができた。用意されていた新品のベッドに顔を埋め、そのまま転がって仰向けになり部屋の天井を見つめる。

 

「…………知らない天井だ……わたし……ほんとに浮世絵町に戻って来たんだ………………みんな……どうしてるかな」

 

 見慣れぬ天井に、里から遥か遠くの地にきたことを改めて実感させられる。早くも郷愁の念を抱き始めるカナだったがその想いを無理やり押し殺し、彼女はこの町について考えることにした。

 

「浮世絵町……鯉さんの故郷……わたしの故郷でもある町…………けど…………」

 

 駅についてからアパートに向かうまでの間も、カナはずっと町の中を見渡していた。だが見慣れた景色などそこには何一つなく、ここが本当に昔自分が住んでいた土地なのか疑問を覚えてしまう。

 

 ――ひょっとしたら、自分の存在など最初からこの町にいなかったのではないかと?

 ――両親との想い出など初めからなかったのでは?

 ―—自分の居場所など……ここにはないのではないか?

 

 一度脳裏を過った不安は際限なく膨れ上がりカナの不安を煽っていく。

 

「いや……駄目駄目! 弱気になっちゃ! たとえそうだとしても……約束を守らないと! 鯉さんとの約束を……」

 

 だが、カナは湧き上がる不安を払拭しようと、あの不思議な泉での鯉さんとのやり取りを思い出す。

 幻のような出会いだが、あの時のやり取りは鮮明に思い出せる。

 この町で過ごしたかもしれない、不確かな幼少期の記憶などよりは信用できる。

 

「名前もわからない。けど、きっと見つけてみせるから!」

 

 誰もいない部屋で一人、カナは決意を口にする。

 

 しかし、それは覚悟を決めたからではない。

 逃げ出してしまいそうになる自分を、必死に繋ぎ止めようとするために他ならない。

 この浮世絵町に対して疎外感を感じている今――カナを支えているのはあの日、鯉さんと交わした約束だけ。

 

 それだけが、崩れ落ちそうになるカナの身体を立ち上がらせていた。

 

 

 

×

 

 

 

「―—さあ、いよいよこの時がやってきたな……準備はいいか?」

「…………はい」

 

 あれから数日後。まずは人間社会に慣れるためと無難に日常生活を過ごしてきたカナとハク。やはり未だにこの生活に慣れない様子で四苦八苦しているカナだったが、それにも構わずこの日がとうとうやってきてしまった。

 

「ほら、ごらん……ここが今日から君が通うことになる浮世絵小学校だ」

 

 ハクに言われるがままにカナが顔を上げる。そこには里ではまず建てることは不可能だろう、巨大な建造物がそびえ立っていた。その建物の門をくぐり、カナと同年代の少年少女が吸い込まれるようにその建造物へと足を踏み入れている。

 

 ここは浮世絵町に住まう多くの子供たちが通うことになる小学校―—浮世絵小学校である。

 

 人間社会で暮らす以上、集団行動を学ぶ必要がある。しかし、これだけはいかに腕の立つ、頭の良いハクであってもそう簡単に教えることができない。知識だけを詰め込んでも、実際に経験しなければそれを己の血肉とすることができないのだ。 

 だからこその集団行動、だからこその小学校への入学という厳しいハードルをカナは越えなければならなかった。

 

「うっ……」

 

 もっとも、校門の前でさっそくカナは口元を抑えてしまっている。

『学校』とは所謂一つの隔絶された空間である。アパートでの近所づきあいや、渋滞電車に揺らされるなどといった日常生活とは別種の緊張感が伴っている。

 そのプレッシャーに当てられたのだろう、胃の辺りを抑えるカナにハクも気遣いを見せる。

 

「大丈夫か? 気分が悪いようなら、日を改めてでも……」

「い、いえ……大丈夫です」

 

 しかし、そんな気遣いにも甘えることなくカナは正面の校舎を見据える。この程度のことで挫けるようでは春菜に怒られてしまうと、自身を鼓舞し背筋をピンと伸ばした。

 

「―—あの家長カナさんですか?」

 

 そうしていると、カナたちに向かって一人の若い女性が声を掛けてきた。その問いにカナが頷いて返事をすると、女性は安堵したようにほっと胸を撫で下ろす。

 

「ああ、よかった。時間通りですね。お話は既に聞いております。カナさんの担任を務めることになった佐藤です。よろしくお願いしますね、家長さん」

「えっ、あっ、はい……」

 

 佐藤と名乗った見知らぬ女性が自身の名を呼んできたことにカナは僅かに警戒心を抱く。そんな彼女を安心させようと、軽く頭を撫でながらハクはカナに耳打ちする。

 

「大丈夫……諸々の手続きはすべて済ませてある。あとはこの女性の後についていけば問題はない筈だ。それじゃあ、後のことはよろしくお願いします、佐藤先生」

「ええ、お任せください」

 

 どうやら二人は既に面識があるようだ。淀みなくカナを佐藤に任せ、ハクはその場を立ち去っていく。

 

「それじゃあ、行きましょう、家長さん。クラスの方に案内するわ」

「……はい、おねがいします」

 

 去り行くハクの背中を寂しい瞳で見送りながら、カナは佐藤に促されるままその後をついていく。

 

 

 

 既知の人物全員と別れ、正真正銘一人となったカナ。クラスに向かう道中、見知らぬ他人が好奇な目を向けてくる。

 

 この時点で、既にカナの気力は七割方持っていかれていた。

 この場から早く立ち去りたい。アパートのベッドに顔を埋めていたい。里に――帰りたい。そういった思いで頭が一杯だった。

 けれども、まだ約束が果たされていない。里の皆の願いからも逃げ出すことはできないと、必死に自分に言い聞かせてなんとか堪えていた。

 

「は~い、皆さん! 席に着いてください!!」

 

 やがて、カナが通うことになるクラスに着いたようだ。佐藤が教室で騒いでいた子供たちを宥める。皆、それなりに聞きわけがよかったらしく、大人しく席に着いていくが、目ざとくカナの存在に気づいた一人の児童が声を上げた。

 

「先生~!! その子誰ですか!?」

「―—っ」

 

 見知らぬ男の子に指を差され、思わずビクッとなるカナ。そんな無遠慮な男子生徒の行動を制止し、佐藤はカナの肩にそっと手を置く。

 

「はいはい、ちゃんと紹介しますから……それじゃあ家長さん、お願いできるかな?」

「はい……」

 

 担任である彼女に促され、カナは一歩前に出て名乗りを口にする。

 

「い、家長カナです……よろしくお願いします」

 

 あまりにも小さい、消え入りそうなカナの声に教室内はシーンと静まり返る。あるいはカナが名前以外のことを話すのを期待していたのか。沈黙はしばらく続いたが、待ちきれなくなった子供たちがざわざわと騒ぎ出す。

 

「えっ、それだけ?」

「自己紹介短っ!!」

 

 彼らの反応に何かやってしまったのかと。カナは恥ずかしそうに視線を下げる。そんなカナをフォローするように、佐藤は子供たちを落ち着かせた。

 

「はいはい、静かに。……家長さんはご両親の仕事の都合でこの浮世絵町に引っ越してきました。皆さん、仲良くしてあげて下さいね!」

『はぁ~い!』

 

 どうやらそういう事になっているらしいカナの事情を告げ、佐藤はクラス全員に言う。担任の言葉を素直に受け取る子供たちだったが、やはり不安を拭いきれないカナは顔を俯かせたままだった。

 

「家長さん、あちらの席に……」

「はい……」

 

 佐藤に席に着くように促されてもカナの顔色に変化はない。

 暗い表情のまま、おぼつかない足取りで指し示された自分の席へと歩いていく。

 そうして、自身の席まで辿り着いたカナ。脱力しきった様子で、寄りかかるように椅子にもたれかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―—あれ? カナちゃん?」

「…………?」

 

 不意に、誰かがカナの横合いから彼女の名を呼ぶ。

 それはたった今自己紹介を済ませた相手を思い付きで呼びつけるような、そんな軽々しいものではなかった。

 もっと昔から、それなりにカナに対して親しみを持っているものだけが出せる響き。

 その声の響きに奇妙な懐かしさを覚え、カナは振り返る。

 

「やっぱり、カナちゃんだよね!?」 

 

 すると、そこには一人の少年が瞳を輝かせカナのことを見つめていた。

 人懐っこい笑み。全身から活力を漲らせる元気な男の子。

 その少年を見た瞬間――この町の想い出など何一つ思い出せず曇っていたカナの顔色に明確な変化が生まれる。目をこれでもかと見開き、その少年の笑顔を瞳にしかと焼き付ける。

 しかし、あと一歩といったところで肝心の少年の名前が思い出せない。そうしてカナが固まっていると、少年は不安げな表情でカナに問いかける。

 

「あれ? ひょっとして忘れちゃった? ボクだよ! ほら、一緒の幼稚園に通ってた、リクオだよ!?」

「リクオ……リクオ………………ぬら、リクオ……くん?」

 

 そこでようやくカナは思い出した、その少年のことを。その少年の、奴良リクオの名前を――。

 

「ああよかった! 久しぶりだね、元気だった?」

 

 リクオはカナが自分のことを覚えていてくれたことに安堵してか、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 実際のところ、カナはリクオのことなど綺麗さっぱり忘れていた。

 あの凄惨な事件から、目まぐるしいスピードでカナの周囲の環境は変化していったのだ。正直、同じ幼稚園で数ヶ月程度しか過ごしていない相手のことなど、思い返す余裕すらなかった。

 だが、リクオの方はカナのことを忘れてはいなかったらしい。ある日突然いなくなったカナとの数年ぶりの再会を、彼は心からの笑顔で歓迎する。

 

「ほんと、急に幼稚園にこなくなったからビックリしたよ! 他の子たちに聞いても、みんな知らないって言うし……やっぱりあれかな? お父さんの仕事の都合とか、そういうの? なら仕方ないよね……」

 

 リクオはカナが今の今までどこで何をしていたのか、詳しいことを聞こうとはしなかった。ただ笑顔で、カナともう一度出会えた事実に喜びを口にする。

 

「けど、ほんと……また会えて嬉しいよ!! これからも、よろしくねっ!!」

「―—————————っ!!」

 

 そんなリクオの言葉を聞いた瞬間――カナの中で抑え込んでいた感情が一気にあふれ出した。

 

 ずっと、両親の死を引きずっていた。

 ずっと、後悔していた。自分一人が生き残ってしまったことを。

 傍から見れば立ち直ったと思われた今でも、そんな気持ちが心の奥底で燻っていた。

 だがこの日、カナは本当の意味で自分が生きていて良かったと―—心から生存を喜ぶことができた。

 

 自分のことを覚えていてくれた人がいて。

 自分ともう一度会えて嬉しいと言ってくれる人が、この浮世絵町にいて――。

 

「う……うぁ~ああん!」

 

 はちきれんばかりの想いがあふれ出し、嬉しさのあまりカナは泣き出してしまった。

 思えば――両親が亡くなったときですら、ここまで感情を露に涙したことはなかったかもしれない。

 自分が生きていることを心から喜ぶことで、カナはようやく泣き崩れることができた。

 

「ちょっ、ちょ!! ど、どうしたのカナちゃん!?」

 

 唐突に泣き出したカナを前にリクオが慌てふためく。何故泣くのか。カナの事情を知らぬリクオにはサッパリ自体が呑み込めないでいる。

 

「先生~! リクオくんが転校生泣かせてます~」

「何をやってるの、リクオくん!!?」

「えっ、ち、違います! ボ、ボクは何も……か、カナちゃん!?」

 

 すると、みんながカナのことを心配し、カナを泣かせた(と思われている)リクオに非難の目を向ける。

 

「大丈夫、家長さん?」

「おなかでも、痛いの?」

「リクオ、おめぇ~女子を泣かせるなんて最低だぞ~」

「だからボクじゃないよ! カナちゃん、ねぇ、カナちゃん!?」

 

 自分のことを心配してくれるクラスメイトたちに、カナのうれし涙はさらに加速する。先ほどまで、カナには他の人間が少しだけ怖いモノに見えていた。

 

 でも今は違う。

 

 困っているカナに手を差し伸べてくれるクラスメイトたちの存在が、今のカナにはとても暖かいものに感じられる。

 

 この人たちとなら、リクオとなら、やっていける。

 この浮世絵町で――生きていくことができると。

 

 

 

 カナの胸には確かな希望が芽生え始めていた。

 

 




ちょっと考える余裕がないので、今回は補足説明は無し。

一応、今回の話で回想を一旦区切ります。再び時間軸を現代に戻し、また過去編へ。
それで追想編を終了。次の章へと進める予定です。

次回の投稿は三月以降です。すいませんがそれまでお待ちください。

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