なかなか更新が図らず済みません。一応、気分転換に小説を書くことを辞めるつもりはありませんが、更新自体は亀の歩みになりそうです。どうかご了承下さい。
さて、今回の話で色々と設定が明らかになりますが、全て当初から予定していた通りです。詳細については後々の話で語っていきます。何か気になるようなことがあれば感想欄でご質問ください。可能な範囲で答えさせていただきます。
また今回の話は実際の土地の名前などを採用していますが、作者自身はその土地に行ったことはなく、完全にネットの知識からです。位置関係などに矛盾が生じるかもしれませんが気にせず突っ込まないでいただけるとありがたいです。
それではどうぞ。
夏休みシーズンの真っ只中。多くの観光客が電車に揺られ、目的地へと向かっていく。
季節相応のラフな格好をした子連れの親子や、登山服を着た団体客など、様々な様相をした人々が電車内で入り乱れているが、そんな中、少女が一人ポツンと座席に腰掛けていた。
麦わら帽子に白いワンピースと、夏らしいといえばらしい格好だが、どこか少女の雰囲気が儚げだったこともあり、何人かの人間は近くを通り過ぎるたび、彼女の方をチラリと盗み見ていく。
「お嬢ちゃん、観光かい?」
「もしかして、一人? 親御さんは?」
少女のことが妙に気になっていたのか、一組の男女——登山服を着た老夫婦が彼女に声を掛ける。孫にも近い年頃の少女に対し、二人は優しく問い尋ねる。
彼らが気になったのには理由があった。電車は既に終着駅へと向かっており、アナウンスが目的地への到着を静かに告げている。
『次は——河口湖駅~河口湖駅~』
富士山に一番近いとされる鉄道——富士急行線。その終点である河口湖駅——そこが少女と乗客たちの目的地だ。
老夫婦はこの季節になると富士山五合目まで赴き、そこを適当に散策するのを毎年の楽しみにしている。そこへ向かうまでのルートはその都度気まぐれに変えており、今年は河口湖駅から出ているバスに乗って、富士山五合目まで行くつもりだった。
河口湖駅からはその他にも多くのバスが出ており、その内の一つには樹海近くまで向かうものもある。
富士の樹海——言わずと知れた自殺の名所である。
老夫婦はこれまでの人生経験において、富士周辺で何度かそういった空気を持った若者に遭遇したことがあった。その少女がそのような分かりやすいオーラを放っていたわけではないが、一人でいることや、ラフすぎる格好、少ない手荷物などから、あるいはそうではないかと疑いを持ってしまった。
もしそうであれば止めてやらねばと、それなりの決意から声を掛けた次第だ。もっとも——
「……ええ。私一人です。里帰りなんです! 駅に迎えが来ている筈ですから、ご心配なく!」
老夫婦の問いに笑顔で答える少女。それは死に場所を探している人間の表情ではなかった。少女からはっきりとした答えが返ってきたことにホッと胸を撫で下ろす老夫婦ではあったが、なんとなく少女のことが気になったため、電車が駅に着いてからもそれとなく彼女のことを目で追うことにした。
この季節、河口湖駅には多くの観光客が溢れかえっている。だが、白いワンピース姿はそれなりに目立っていたため捜すのに苦労はない。老夫婦は人の波と共に駅を出た少女が、キョロキョロと周囲を見渡している姿を見つける。迎えとやらを待っているのだろうか、少しソワソワした様子の少女にもう一度声を掛けてみようかと、二人が思ったそのときだ。
「——お~い、カナちゃん! こっち、こっち!」
少女のものと思われる名前を叫びながら、一人の若い男が大きく手を振っていた。大勢の人々が行き交っている中で名前を呼ばれる恥ずかしさがあったのか、ほんのりと頬を染める少女。だが、その男性の顔を見るやパアッと表情を輝かせ、少女は彼の元へと駆け足で向かっていく。
どうやら迎えとやらと合流できたようだ。老夫婦は今度こそ、完全に少女の道行に一切の不安を失くし、自分たちの目的である富士山観光を楽しむため、路線バスに乗り込みその場を去っていった。
×
「ん? どうかしたの、カナちゃん? あの老夫婦……知り合い?」
「いえ……ちょっと声を掛けられただけです。大丈夫ですよ、栄一さん」
白ワンピの少女——家長カナは電車の中で自分に話しかけてくれた老夫婦の方へと視線を送り続けていた。すると、彼女を駅まで迎えに来ていた青年——栄一がカナに声を掛ける。
栄一は一見すると普通の人間の好青年だが、こう見えてれっきとした幽霊——妖怪である。彼は生前は
大正の初め、彼はとある人間の女性と恋に落ちた。絵のモデルとして興味を持った
だが当時の時代が、二人が結ばれるのを良しとしなかった。栄一は無名の絵描きである一方、美緒は子爵家の令嬢——所謂『華族』という上流階級のお嬢様だったのだ。美緒の両親は二人が付き合うことを絶対に許さないどころか、栄一を殺し二人の恋路を無理やり終わらせようとしたのだ。
崖から突き落とされ栄一は一度死んだ。しかし、美緒を諦めきれない想いから彼は人間を辞め、幽霊となって帝都の街を彷徨うようになった。
不幸中の幸いか、彼は生前とほとんど変わらない穏やかな青年のまま妖怪として過ごすことができた。そして紆余曲折の末、美緒を家から連れ出し彼女と結ばれることに成功したのだ。
美緒と結ばれた栄一はその後、帝都を離れて関西の知り合いの家に身を寄せた。しかし人間である美緒だけならば何も問題はなかったのだが、妖怪である栄一はそうもいかない。何年経っても歳をとらない栄一を不気味がり、人間たちは徐々に彼の存在を拒絶するようになった。
人間の社会に居場所がないと悟った栄一は、美緒と共に人間社会へ別れを告げる。そして、知り合いの妖怪に教えてもらい、二人は妖怪も人間も差別しない理想郷―—半妖の里へと身を寄せるようになった。
人間である美緒はその地で天寿を全う。一人残された栄一も、里の住人としてそこで余生を過ごすこととなり、今に至っている。
「それじゃあ行こうか、半妖の里に。みんな、首を長くしてカナちゃんを待っているよ」
「は、はい……お願いします」
栄一はカナと合流すると早速彼女を連れ立って半島の里へと向かうため、富士の樹海近くへと向かう路線バスに乗り込んでいく。
「それにしても……立派になったね、カナちゃん。背も伸びてるみたいで、すっごく見違えたよ!」
「栄一さんはあんまり変わっていませんね。昔と同じで優しい笑顔……とても安心します」
栄一は純粋な妖怪だが、見た目がほとんど人間であったこともあってか、まだ心が癒えていなかったカナの面倒を見る機会が多々あった。人当たりも良く、性格も穏やかであるため彼女のリハビリに最適な人材だったのだ。
そういうこともあり、カナも彼相手であれば気兼ねなくおしゃべりができ、こうして里までの案内役を務めてもらうことになった。
「帝都……いや、東京での暮らしはどう? ボクが生きていた時代とはだいぶ様変わりしたって聞くからね」
「そうですね……あっ、でも栄一さんに教えてもらったあの老舗の和菓子屋さん。まだ残ってましたよ! ほら、お土産! せっかくだから買ってきちゃいました!」
「ホントに!? いや、嬉しいな~。どれどれ? さっそく一口…………うん! これこれ! 懐かしいな~」
路線バスに揺らされながら二人は隣り合って座席に座る。その間、カナと栄一は再会を噛みしめるように言葉を交わす。数年、顔を合わせなかっただけあってか、話題には事欠かない。
「——そういえば……春明くんは? カナちゃんが戻るとは連絡を受けたけど……一緒じゃないんだね?」
そうして、いくらか会話を楽しんだ後、栄一が春明に関して話を振った。するとカナの表情が露骨に曇り彼女は顔を俯かせてしまった。
「……兄さんは、帰ってきません。今回の帰郷にもあまりいい顔をされませんでした…………」
「? そうなのかい。彼も、たまには里帰りすればいいのに……春菜さん、寂しがるだろうなぁ~」
カナの表情の変化にあまりピンと来ていないのか。栄一は純粋に春明も一緒ではないことに残念がっていた。
妖怪であるという理由から、春明が子供の頃はよく陰陽術の実験台にされたこともある栄一だが、彼自身それに怒りを覚えていない。栄一は基本的におおらかな人柄であり、誰かを強く憎んだり、恨んだりするような人物ではない。自分を殺した人間にすら殺意すら抱かず、彼はただ愛しい人だけのことを想っていたほどだ。
「それに兄さんには……頼み事もありましたから、浮世絵町に残って貰いました」
栄一の呟きに対して、カナはそのように答える。彼女のその言葉に栄一は疑問符を浮かべた。
「頼み事? それって……いったい――?」
その頼み事とやらを詳しく問い尋ねようとした栄一。だが丁度そのタイミングでバスが目的地についたことをアナウンスが告げる。
『次は——富岳風穴~富岳風穴~』
「あっ、着いたみたいですね。行きましょう、栄一さん」
「ん? ああ、そうだね……」
バスも停車したので、カナは話を切り上げ早々に下車していく。栄一も先の質問を喉の奥に引っ込め、カナに遅れないよう彼女の後をついていった。
×
二人が下りた『富岳風穴』は富士周辺でも有名な観光スポットの一つ。青木ヶ原樹海の緑に囲まれた洞窟。平均気温は三度と夏場でも涼しいため、昭和初期までは蚕の卵の貯蔵にも使われていた天然の冷蔵庫である。
すぐ近くには森の駅『風穴』という大きな売店が設置されており、山梨県、静岡県の銘菓やワイン、地酒などのお土産が売られている。またフードコーナーも併設しており、富士宮焼きそばや、吉田うどんなどのご当地グルメをその場でも楽しめる。
隣り合うような場所には『鳴沢氷穴』というもう一つの洞窟もあり、一年を通して多くの観光客がひっきりなしに訪れる。
そのため、カナと栄一の二人はなに不自由なく周囲の人混みに紛れ、富士の樹海へと近づくことができた。もし、カナ一人が歩いていれば流石に巡回している警備員に制止させられていただろう。自殺者と勘違いされて。
「それじゃ……行こう。準備はいいかい、カナちゃん?」
「……はい…………お願いします」
カナと栄一の二人はさりげなく整備されたコースから離れ、富士の樹海――青木ヶ原の緑の中を黙々と歩いていった。バスの中ではお喋りに興じていたカナも流石に緊張してかここに来てだんまりになっている。
——春菜さん……怒ってないかな。やっぱり、戻ってくるべきじゃなかった?
本来であれば心休まる里帰り。だが、カナは緊張を隠し切れず心臓の鼓動を高鳴らせていた。
あの日——半妖の里を旅立つ際、カナは春菜から「生半可な気持ちでは帰って来てはいけない」と言われている。
決して逃げ出すためではないとはいえ、果たして春菜は自分の帰郷を許してくれるだろうか。もしかしたら、その場で帰れと言われはしないだろうかと、カナの胸中が不安で覆われていく。
「…………大丈夫だよ、カナちゃん」
「えっ?」
今度はカナの不安がわかりやすく表情に出ていたのだろう。栄一は彼女にやんわりと優しく声を掛けた。
「みんな、君が返ってくるのを心待ちにしているんだ。だからこうしてボクが迎えに寄越されたわけなんだし。もっと堂々としていればいいよ思うよ?」
「はい……ありがとうございます」
「さっ、遅れないようについておいで! ボクの持っているこのお守りがないと、道に迷っちゃうからね!」
そう言いながら栄一は懐のポケットからお守りを一つ、取り出して見せる。一見すると何の変哲もないお守りだが、これには『道しるべ』のまじないがかけられている。
何せここは富士の樹海。何の考えもなく闇雲に歩けばあっという間に迷子になり、最悪そのまま野垂れ死んでしまう。このお守りはそれを防ぐため、常に絶えず半妖の里への帰り道を指し示してくれるものなのだ。
逆にこれがなければ故郷といえども、カナですら半妖の里を見つけ出すことはできないだろう
カナはこのお守りを持たされず里を旅立ったため、それを持参した栄一が迎えに来た——という訳なのだ。
「——さあ! そろそろ到着だ!」
そして、日が傾き始めた頃、ようやく栄一の役割が終わろうとしていた。彼の手に握られていたお守りが一際眩しく輝き始め、目的地——半妖の里へ到着したことを知らせていたのだ。
「——っ! こ、ここは……」
一瞬、何かトンネルのようなものをくぐった感覚がカナを襲う。思わず目を瞑ってしまい、次の瞬間目を開くと——瞳に懐かしい風景が映し出される。
都会では見ることが少なくなった、古き良き日本家屋が立ち並ぶ村。緑に囲まれた中、人の手によって育てられた畑が規則正しく実っている。そして、仕事が終わったのだろう。半妖たちがのほほんとお茶を片手に一服している光景が広がっていた。
「ん? おお、カナ! カナじゃないか!!」
休憩をとっていた里の住人達はカナと栄一を見つけるや、カナの来訪を心から歓迎し、我先にと彼女の側まで駆け寄ってくる。
「な~に! 帰って来たのか? 手紙に書いてあったとおりだな!!」
「よく戻って来た!」
「いやぁ、大きくなって……やっぱ人間は成長が早いなぁ~」
カナは、数年経った後も彼らがこうして自分のことを覚えいてくれて、あの頃と何一つ変わらぬ笑顔で自分を受け入れてくれて、そんな彼らの存在に心から嬉しくなってくる。
「みんな、ありがとう……ほんとにありがとう……ぐすっ」
思わず涙ぐむカナ。そんな彼女に里の皆はより一層はしゃぐように笑いあう。
「なんだ、なんだ? ちっとは大きくなったと思ったが、泣き虫なのは変わんねぇな~」
「寂しかったんなら、今からでもここで暮らすか? ははは!!」
そう言ってカナをからかう半妖たち。あの頃から大分背丈が伸びてはいても、里の住人たちにとってはまだまだ一人前には程遠いとばかりに、彼女を子供扱いする。
カナはそんな扱いを受けることにどうにもこそばゆい、恥ずかしような、嬉しいような気持ちに顔を赤くする。
「——カナ」
そんな意地らしく照れるカナに対し、この半妖の里に住む、ただ一人の人間が歩み寄ってきた。
「——っ!! は、春菜さん……」
心の準備をしてきたつもりであったが、いざ本人を目の前にすると動揺してしまう。あの頃より少し歳をとったような気もするが、その容姿、美しさに大きな変化は見られない。
カナにとって、この里にいる誰よりも近しい人、親しい人。育ての親とも呼べる女性——春菜。彼女がすぐそこに立っていたのだ。
「春菜さん……わたし、帰ってきちゃいました。約束、守れずにごめんなさい!!」
カナは先だって春菜が何かを言う前に勢いよく頭を下げる。そんな彼女の謝罪に、周囲がシーンと静まり返った。
約束——生半可な気持ちで帰って来てはいけないという、旅立つ前に春菜とカナが交わしたもの。カナの旅立ちを見送った全員が知っているため、みんなが固唾を呑んで両者のやり取りに注目する。
他の皆はたとえカナが人間社会に疲れて逃げ帰ってきたとしても、優しく彼女を迎えるつもりでいた。だが、春菜は同じ人間として、誰よりも彼女のことを想うが故に、カナには厳しく接してきた。
もしもカナが逃げ場所として半妖の里に戻ってくるようなら、容赦なく追い返すかもしれない。そんな考えがその場にいた全員の脳裏によぎる。
だが——
「………………ふっ」
春菜はカナの顔を見るや、口元を綻ばせる。
そして、そっとカナの頭に触れながら、優しく彼女に微笑みかけていた。
「おかえりなさい…………カナ」
「! うん、ただいま!!」
春菜にそう語りかけられ、ようやくカナは満面の笑顔で故郷の地を踏みしめることができた。
×
「——そうか、春明のやつ……外でもそんな横暴な無茶を続けているのか……」
「そうなの! わたしがいくら言っても聞きもしないんだから!」
すっかり夜も更けたため、カナは懐かしい我が家同然な春菜の家に泊まることになった。久しぶりに春菜の手料理をご馳走になりながら、彼女と狐耳の夫に浮世絵町に残っている春明の素行を愚痴っていた。
春明はカナの現在の生活状況を報せる為、定期的に半妖の里と連絡を取ることになっている。だがその報告も事務的なやり取りで終わらせているらしく、自分のことなどはほとんど記さないらしい。
そのため、実の息子がどのような生活を送っているのか、春菜たちは全く知らずにいた。
カナは春明の素行の悪さや、浮世絵町の妖怪たちにどれほどの横暴を働いているのか、ここぞとばかりに二人にチクっていく。
「まったく、しょうがないわね……あの子。今度帰ってきたら、少し強めに説教しようかしら……」
春菜はカナの報告を受け、次に春明が里に戻る機会があればいつもより厳しく叱りつけることを心に誓うのだった。
「それはそうとだ……カナは、その……どうして戻って来たんだい?」
「えっ?」
そうして食事を終え、その場の空気が程よく柔らかくなった頃合いに一家の大黒柱がカナに問いかける。
「いや! 別に戻ってきちゃいけないとか! そういうことじゃないんだ!」
カナに誤解を与えないようにと、狐の耳をピクピクと震わせ、慎重に言葉を選びながら彼は口を開く
「カナの元気な顔が見れたのは嬉しい……本当さ! けど、君は春菜と約束をしただろ? その約束も半ばの状態で逃げ帰ってくるほど、君は弱い子じゃない……何か理由があるんだろ?」
「……………………」
何故戻って来たのか。それはカナを強い子だと信じているからこそ、出てきた疑問だ。春菜もそのことはずっと気になっていたのか、夫の言葉に同意するように黙ってカナからの返答を待っていた。
「……力に、なってあげたい子がいるんだ」
やがて、カナは静かに語り出した。里に戻って来た理由——その目的を。
邪魅騒動の後——家長カナは奴良リクオの百鬼夜行に入ることを決意した。
あの日、浮世絵町に戻って来た自分を最初に受け入れてくれた大切な幼馴染である彼を護る為に。
彼の力になりたい。彼の夢を応援してあげたいと、率直にその想いを二人に聞かせる。
だが、今のままでは彼の力になどなれはしない。
カナの力量、人間でしかない彼女の力など、所詮は護身術止まりだ。
今のままでは百鬼夜行戦のような大きな戦いにでも巻き込まれれば、ひとたまりもなく飲まれるだろう。
リクオはカナの力ではなく、その志を認めてくれたが、それでも無力なまま彼の隣に立つことはできない。
だから——自分は今より強くなるために、修行を積むために半妖の里に戻って来た。
非力な人間でしかない自分がどれだけ修行を積んでも、きっとたかが知れているだろう。
だが、カナには心当たりがあった。今よりも自分を強くしてくれる存在に。
その者の名前こそ——大天狗富士山太郎坊だ。
カナに『神足』という過ぎた神通力の制御方法を教えてくれた師匠。
しかし、より過酷な戦いにその身を投じるリクオを護る為に、その力を有効に役立てたいとカナは決心した。
そのために、カナはこの富士の山頂にそびえ立つ富士天狗組の門を叩こうと思い立った。
太郎坊にその封印を解いてもらい、その神通力の制御方法をしっかりと学びたい。
そのために、彼女は約束を破ってでもこの地に足を踏み入れる必要があったのだ。
「…………カナ、それは君が危険な目に会うってことじゃないか! そんなの、納得できる筈がないだろ!」
全ての話を聞き届けるや、尻尾を逆立てて憤慨するように声を荒げる、春菜の夫。
リクオという少年の存在については、前のお目付け役であるハクから報せを受けていたため、彼らも知ってはいた。カナにとって大切な友人であるということも、妖怪の総大将・ぬらりひょんの孫であることも。
彼女の育ての親として、カナの居場所を与えてくれたことには感謝していた。だが、そんな彼の力になりたいとカナは危険な世界へ自ら首を突っ込もうとしていることは、到底許容できる話ではなかった
「でも……もう決めたことだから」
しかし、どれだけ強く反対してもカナは頑なだった。既に決意を固めているのだろうか、その瞳が揺らぐことがない。
「っつ!! 母さん! 母さんからも何か言ってくれ!!」
業を煮やし彼は、妻である春菜に同意を求めるように声を掛ける。しかし、春菜は感情に任せて口走るような真似はせず、瞳を閉じて長い思考に入っていた。
そして、ようやく瞳が開かれたと思いきや、春菜は静かにカナに問いかける。
「カナ……それは、誰かに強要されたことじゃない……カナ自身が決めたことなのね?」
「うん……私が、決めたことだから」
真っ直ぐに見つめてくる春菜の視線に、カナは逸らすことなく真っ直ぐ見つめ返す。
「そう……なら私から言うべきことはないわ……貴方の好きなようにしてみなさい」
「母さん!?」
まさかの春菜の答えに夫である彼は悲鳴に近い叫び声を上げる。そんな取り乱す夫を落ち着かせるように春菜はそっと彼に寄り添った。
「ねぇ、アナタ……あの日、何もかも全てを失くして抜け殻だったこの子が護りたい、助けたいと思えるほど誰かの力になりたいと願えるようになったのよ。どんなに危険でも、私はその意思を尊重したいわ」
「し、しかし……」
「勿論、自分のことをおろそかにしちゃ駄目よ? 友達を護ることも大事だけど、自分の身もしっかりと守りなさい。約束……できるかしら?」
「……うん、約束する」
春菜にそのように諭されカナは暫し沈黙するも、力強く頷く。
「…………………よろしい」
素直に頷くのを見届け、春菜は大きく息を吐いた。
「それじゃあ、明日は太郎坊様の元へ尋ねるのでしょ? あまり夜更かししないで、早く寝なさい……」
「わかった……おやすみなさい」
そして、明日に備えて早く休むように告げ、カナは大人しく就寝の準備に入った。
「——あれで、本当に良かったのか?」
カナが居間から立ち去り、二人きりになった夫婦。夫は未だに妻である春菜の判断に顔を曇らせていた。
「妖怪任侠世界に首を突っ込めば、多かれ少なかれ危険な目に遭うことになる……ボクは、あの子にそんな危ない橋を渡って貰いたくないよ」
彼らは本当の親のようにカナの身に降りかかる危険を危惧していた。その心配は女の子ということもあってか、実の息子である春明以上かもしれない。だが——
「分かってるわ……私も、出来ればあの子には平穏無事な日々を過ごして欲しいと思ってる……けどね」
心配すると同時に、同じ女性だから共感できる部分も母親である春菜は持ち合わせていた。
「その平穏な日常をふいにしても、護りたいと思える誰かに出会えた……」
春菜は半妖である夫を見つめながら呟いていた。
「カナ……きっと貴方も、素敵な誰かに巡り合えたのね」
×
「よし……!」
翌朝。
カナは早朝に目覚め、富士の山頂付近を目指して飛翔していた。既に春菜たちには朝の挨拶を済ませ、服装もいつもの巫女装束に着替えている。
目的地である富士天狗組の屋敷は富士山周辺、断崖絶壁の上。通常であれば、人間の目では視認する事すらできない結界内にある。
「ふぅ…………」
カナは空高く舞い上がった後、空中で一時制止する。そして精神を研ぎ澄ませるため深呼吸をし、天狗妖怪たちの総本山である屋敷の場所を妖気を感じ取ることで探知することにした。
自分が天狗組へ赴くことは既に村長を通して太郎坊に伝わってはいるが、カナも半妖の里の者たちも屋敷のある正確な場所を知らない。天狗組からの返信には「自力で見つけ出せ」とあった。おそらく、その程度のことも出来ない輩には足を踏み入れる資格すらないということだろう。
「——見つけた!」
しかし、今のカナにはその程度障害にすらならない。あっさりと天狗組の屋敷の場所を看破し、彼女は目的地へひとっ飛び。無事屋敷まで辿り着き、その門を勢いよく叩きながら叫ぶ。
「たのもー……で、いいのかな?」
「——よく来たな……まあ、楽にせよ」
「はい…………」
屋敷の門を潜ったカナは、そのまま案内役に奥へと通され、目的の人物――富士山太郎坊と面会する。彼は居間でキセルを吹かせてカナを待ち構えていた。楽にせよと尊大に言い放ち、どこかぶっきらぼうな様子でこちらを見据える姿はあの頃、神足の制御方法を教えてもらっていた頃とほとんど変わりない。
カナの幼少期の記憶にあるそのままの太郎坊で、内心ほっと安堵する。だが、すぐに表情を引き締め、カナは単刀直入に話を切り出した。
「此度は面会の許可を頂きありがとうございます。早速ではありますが、先にお伝えしましたとおり。太郎坊様には稽古を付けていただきたく、こちらに足を運ばせていただきました。どうか――あの日の続きを。私に『神足』の次なる神通力の制御法をご教授していただきたい」
「………………」
沈黙。カナの要件を直に聞いた太郎坊は特に返事をすることなく暫しの間を空ける。カナはその間、大人しく待っていた。ややあって、太郎坊は重苦しく口を開き始める。
「話は既に聞き及んでいる。お主の事情も、ぬらりひょんの孫の事情も……全て組の者に事前調査させておいた。色々と大変な事態に直面しているらしいのう……うん?」
「はっ……恐縮です」
特に感情を見せることなく淡々と語る太郎坊に、カナはとりあえず当たり障りのない返事をする。こちらを労う言葉を掛ける太郎坊ではあるが、その表情に変化はなく、考えを読むことができない。
カナは多少の不安を覚えながらも、黙って太郎坊の言葉を待つことに徹する。
すると、彼はどこか意地の悪い笑みを浮かべ、カナにあることを告げてきた。
「だがなカナよ……単純に力が欲しいと言うなら、何も神通力など身に付ける必要はない。それよりももっといい方法がお前にはあるではないか」
「え?」
頭を下げていたカナは太郎坊の言葉に思わず彼を見る。すると太郎坊は懐から何か、黒い球体のようなものを取り出し、カナに見せつけてみせた。
「これなるはワシがあの日、お前の内側より取り出した『瘴気』の塊だ。これをお前の肉体に戻せば、お前は今よりも強大な力を手に入れることができるだろう…………そう、妖怪として」
あの日。そう、カナが妖怪化の危機を襲ったときのことだ。そのとき太郎坊が綺麗さっぱり払ったと思われていた瘴気。その塊を提示しながら、まるで悪魔の取引でも持ち掛けるように太郎坊は囁いた。
「妖怪はいいぞ……人間などとは比べようもなく強く、そして寿命も長い。なにより妖怪になれば例の、お前が力になってやりたい小僧といつまでも一緒にいられる。人間と妖怪という違いで、死に別れることもなくな——」
「————それは駄目だよ、おじいちゃん」
だがしかし——言葉を重ねて誘惑しようとした太郎坊の話を、一刀両断にカナは断ち斬った。
「私は人間だよ? 確かにリクオくんの力になりたいけど、その一線を越えることはできないんだ」
先ほどまでの畏まった言葉を止め、カナはまるで親しい祖父にでもするような口調で語りかける。
「それに、ここで人間を辞めたら——最後まで私を守ってくれたハクに……顔向けができないよ」
「……………」
「ハクは……最後まで私が人間として普通に生きることを望んでた。リクオくんの側にいれば、その普通とは程遠い生活になっちゃうかもしれない。けど、それでも——人間であることを辞めたくはないの」
カナの真っ直ぐな返事と瞳に、太郎坊は返す言葉を失っていた。彼は手中に収めていた黒い瘴気の塊をぐしゃりと握りつぶし、決まり悪げに視線を外す。
「……戯れが過ぎたな。妖怪になれるうんねんは冗談だ。こんなもの、今この場でワシが練り上げたただの妖気の塊でしかない。だが——もしも貴様が何の考えもなしにそれに縋る様であれば、容赦なくその首を刎ねていたであろう。命拾いしたな」
「え……あ、そうなんですか、はははっ……」
どうやら自分は試されていたらしい。一つ解答を間違えていれば命がなかったことにカナは苦笑いを浮かべる。そんな彼女を尻目に、再びキセルを吹かし始める太郎坊。彼はどこか遠くを見つめながら、過去を思い出すように呟いていた。
「それにしてもハクか……あやつが死んで、まだ一年も経っていないのに……まるで数百年……経過したかのような気分だぞ」
「…………ごめんなさい。私のせいで……」
太郎坊の呟きに今度はカナが居心地を悪くする番だった。自分のせいで亡くなってしまった彼の死を謝罪しながら、カナはその当時のことを思い返していた。
今年の初め。カナがまだ小学生だった頃。
あの日、自分を庇って亡くなったハク。そして——その命を奪った仇敵のことを。
補足説明
間宮栄一と美緒
公式小説『帝都恋物語』からの出演。
片方は人間として天寿を全うし、もう片方は妖怪として生き続けている。
人間と妖怪の恋路の行きつく先をわかりやすく表現したくて出してみました。
あくまでゲスト出演なので、今後は多分登場しないと思う。
カナの神通力について。
カナの神通力は空を飛ぶ『神足』を含めて全部で六つです。
何故その数なのかは一応は秘密。
まあ、検索したら一発で出てきますが、知らないふりでお願いします。
次回から再び過去編へ。
ようやく例の『吐き気を催す邪悪』な奴を出すことができます。
名前も既に決まりました。次回までどうかお楽しみに。