気になる所だが、ここは最後まで見届けることにするよ。
さて、今回の話ですが、白紙の状態から一日で書き上げました。
ずっと温めていたアイディアなだけに執筆もかなり捗りました!
いつもよりは少し短いかもしれませんが、どうぞ!!
「——はぁ~なんだろう……全然楽しくなかった……」
放課後。無人の公園で家長カナは一人、ブランコを漕ぎながら暮れる夕日に黄昏ていた。
いつもならばとっくに家に帰っていてもおかしくない時間帯だが、彼女はアパートにも戻らず、何をするでもなく近所の公園に留まっていた。
残り少ない貴重な小学校での時間。本当ならもっと皆といたい。日が落ちるまで少しでも長く友達と遊んでいたい。だが、先日ハクに言われたことが頭の隅に引っかかっており、心から皆との時間を楽しめないでいた。
『浮世絵中学に行くの……今からでも考え直さないか?』
『君は……妖怪の恐ろしさを甘く見てないか?」』
『それが自惚れだと言っているんだ!』
それらの言葉をリクオや他の友達の顔を見るたびに思い返してしまう。その結果、カナはいつもより早く帰宅の途についていた。
さりとて、アパートに帰る気にもなれない。アパートでは今頃、ハクが夕食の支度をしながら待っていることだろう。あれほどの喧嘩別れをした後だ。とてもではないが顔を合わせる気にもなれない。今朝だって朝食は一人自室で済ませ、そのまま学校に行ってしまった。
あれから時間が経ち、多少頭が冷えた今でも顔を合わせずらく、こうして公園で時間を潰す羽目になっていた。
「はぁ~……それにしても、昨日のハクはなんだか、らしくなかったなぁ……」
ふと、カナは昨日のハクの態度を思い返す。
以前より、ハクがリクオのことを快く思っていないことはカナも知っていた。それはカナを必要以上に妖怪の世界に巻き込まないため。半妖であり、妖怪の総大将——ぬらりひょんの孫にして奴良組の跡継ぎであるリクオの身に降りかかるであろう危険から、カナを遠ざけようとした親心であることも子供ながらに理解していた。
しかし、昨日のハクはどうにも直線的すぎた。いつもならもっと回りくどく説得するところ、あまりにも露骨に進路変更を進めてきた。最後の言い合いだってそうだ。あそこまで互いに感情を剥き出しにぶつけ合うことなど、これまでに一度としてなかった。
何かを焦っているのか。そこに妙な胸騒ぎを覚えるカナ。
「————ちょっと、聞いてみようかな……」
長い時間、公園のブランコに揺らされながら思案した結果、カナは思い切って本人に聞いてみることにした。昨日の気まずさはある。だがそれ以上に不安と好奇心がカナの足を動かしていた。何をそこまで焦っているのか、とにかく冷静になって聞いてみようと公園を後にしようとする。
だが、彼女が帰ろうと近くのベンチに置いていた荷物に手を伸ばそうとした――そのときだった。
「? なんだろう、冷たい……雨、かな?」
ふいに、カナの身体が違和感を感じ取った。
最初に感じたのは妙な寒気、そして湿っぽい冷たさだった。今の季節、雪こそまだ残ってはいたが、既に暖かい春風が吹き始めている。空も晴れているし、通り雨が降る前兆にしても何の前触れもなさすぎる。
その異変に首を傾げるカナであったが、次の瞬間―—その疑問が全く別の感情に変わり、彼女は凍り付く。
「————えっ?」
彼女を中心とした空間、公園全体に突如として――霧が立ち込め始めたのだ。真っ白く深い、どこまでも視界を遮ろうとする不自然なまでに濃い霧。
普通ならばただ戸惑うだけだろうが、カナは――その霧に、その感覚に覚えがあった。
あれはそう——彼女が全てを失った日。両親と多くの人々が無残にも殺されたあの地獄。
あの地獄に引きずり込まれる原因となった霧——眼前で起きている異変。
それが——まったく同じものだと、彼女は瞬時に確信する。
カナが戸惑っている間にも、霧はより深くなっていく。そして次の瞬間、ふいに巻き起こる風に全ての霧が洗い流されたと思いきや、彼女は見知らぬ建物の中に立っていた。
カナが立っていた場所。そこは今にも崩壊してしまいそうなほどにボロボロに崩れかけた、講堂のような空間だった。
夕日の光が僅かに差し込むだけで、室内の灯りなどはすべて壊れている真っ暗に近い空間。公園からこんな場所にいきなり移動させられ、普通ならオロオロと周囲の状況を確認しようものだが、カナはただただ呆然自失に立ち尽くしていた。
そんな彼女に向かって、人ならざる異形が声を掛けてくる。
「よお、人間の小娘……名前なんつったけ?」
「確か家長だったか? 奴良組の小僧と親しい人間だという話だが……」
襤褸を纏った数匹の屍妖怪——ガゴゼ組の生き残りである。
彼らは全員、廃寺にやってきた少年の指示でこの廃墟――旧校舎の体育館でカナの到来を待ち構えていた。
×
廃寺で少年の姿をした妖怪が屍妖怪たちにお願いした要求は一つ。
今日、この日、この場所にやってくるであろう人間の少女、『家長カナを殺せ』という至極簡単なことのみであった。聞くところによると、彼女はあの憎っくきリクオのクラスメイトであり、彼の幼馴染だという話だ。
リクオに頭目であるガゴゼを殺されたことで惨めな生活を送ることになった彼らにとって、まさに絶好の復讐対象。それを殺すお膳立てをしてやると言われ、気力を失っていた面子も瞳に活力を取り戻していた。
しかも、この仕事を完遂すれば自分たちの面倒を『少年の背後にある組織』が見てくれると言った。
復讐を果たせ、おまけに後ろ盾を得ることができるこの依頼。受けないという選択肢は端から存在しなかった。
ましてや相手は若い娘。殺せさえすれば後は好きにしていいと言われている。
「ふへへへ……久しぶりの人間の餓鬼、しかも女! もう待ちきれねぇぜ」
彼らは食事をお預けされた犬のように涎を垂らし、目の前の御馳走に向かって我先にと群がっていく。
「ふはははは!! 死ねぇっ!!」
四方からの同時攻撃。おまけに相手はただの人間。先の少年のように妖気を隠している様子も見受けられない以上、少女が自分たちの手から逃れることはできない。
欲望のままカナに向かって襲いかかる屍妖怪たち。彼らの頭にあるのはどれだけ多くの取り分——死肉を他の仲間より多く貪ることができるかという、ハイエナのような競争心のみ。
誰もが彼女が無抵抗に殺されることを疑いもしていなかった。
「——んで」
ぼそっと、何事かを少女が呟いた刹那——彼女は腕を横凪に振るう。勢いよく少女に向かっていった連中が全員、何かに阻まれるかのように弾かれた。
「なっ!? なんだぁ?」
衝撃に後方へと弾かれた屍妖怪の一人は、とっさに武器を構えたまま目を見張る。
彼が目を向けた先で少女は無傷で立っており、どこから取り出したのか、その手には一本の槍が握られていた。
「な、なんだありゃ!? あんなもの、いつのま…………に……?」
まさかの事態に困惑する屍妖怪たちだったが、一匹だけピクリとも動かない仲間が少女のすぐ側で立ち尽くしている。
「お、おい?」
その仲間に声を掛けるが時既に遅し。その仲間の身体がずるりと崩れ落ちた。
「や、殺られたのか? に、人間の小娘に?」
どうやら槍の一閃で致命の一撃を食らったらしい。畏を失い急速にその存在感を消し去っていく仲間の様子に呆気にとられる屍妖怪たち。
だがそんな彼らの都合など知ったことかと、少女——家長カナはその瞳を生き残りの妖怪たちへと向ける。
「んで……お前たちが——」
「ひぃっ!?」
「なっ、なんだってんだぁ!?」
少女に視線を向けられた屍妖怪たち、全員が凍り付く。
カナという少女の瞳、それは今まで彼らが見たこともないような人間の目だった。
これまで彼らにとって人間などただの餌。食料でしかなかった。好きなように貪り食らい、幾度となくその表情を絶望に染め上げてきた。
そんな餌に過ぎない人間が、その表情を絶望に染め上げるべき筈のちっぽけな人間が——
「なんで……お前たちがその霧に…………」
まるで、不動明王のような恐るべき憤怒の表情でこちらを睨みつけていた。
「ひぃっ!? な、なんだよ、お前……!? ただの人間じゃないのかよ!!」
それは屍妖怪たちにとって初めての経験だった。自分たちを恐れるだけの弱い人間を貪り食らう彼らにとって、自分たちより強く、マグマのようなグツグツとした怒りを向けてくる人間などで、会ったこともない未知の体験だったのだ。
そんな未知な状況、人間の少女に不覚にも『畏』を抱いてしまい立ち尽くす屍妖怪たち。足が竦んで動けないでいるそんな彼らに、家長カナは一切の容赦をしなかった
「答えろ!!」
カナは怒声を上げながら、ビクッと肩を震わす生き残りの屍妖怪へと槍を振りかぶっていた。
「何故!! お前たちがその霧を知っている!? 答えろぉおおおおおおおおおおおお!!」
×
「はぁはぁはぁ…………はっ、私……何を……?」
数分後。ガランとした講堂内に、カナの呼吸音だけが虚しく響き渡る。
先ほどの霧——あれは間違いなく、自分たちの乗るバスを死地へと導いた霧とまったく同種のものだった。そのことを理解した瞬間、カナの中で煮え滾っていたものが、沸騰するようにはじけ飛んだ。
目の前に出現した、あの霧を用いたと思われる妖怪たちに対して、未だかつてないほど怒りを——殺意をぶつけ、我を取り戻す頃には、屍妖怪たちのバラバラ死体が足元にできあがっていた。
「わたし……これ、私がやったんだ……わたしがこの妖怪たちを……殺し……っぐぅ」
初めて、妖怪を――命をその手に掛けたことを血まみれの手を見て実感する。胃の奥から気持ちの悪いものがこみ上げてくるのを必死に抑え込むも、カナはその場に崩れ落ちそうになる。
なんとか式神の槍を支えに踏ん張るも、彼女は自分がしたことの重みに耐え切れず、足元には滴が零れ落ちていた。
悪意を持って自分を殺そうとした妖怪たちではあるが、それでも命を奪ったという事実は変わらない。何よりもカナを震え上がらせたのは、そんな彼らの命を奪った自分自身をはっきりと思い出せないことだ。
怒りに身を任せた結果——彼女は無意識のうちに、彼らを殺め、無残にもその五体を引き裂いた。
これでは——あの鼠と、人間の死体をバラバラに引き裂いていたあのケダモノと何が違うのかと、そんな思いを抱いてしまう。
「わ、たし……わた、しは……」
動揺で震える手を見つめ続けるカナ。すると、そんな彼女の耳に微かな呻き声を聞こえてきた。
「うぅ……うぅ…………」
「!! い、生きてる」
彼女が振り返った先、最初の一撃を叩き込んで斬り伏せた屍妖怪がいた。希薄だが、未だその存在を保ち続ける彼にカナは急いで駆け寄る。
「し、しっかり、して!!」
「うっ……お、お前はいったい…………」
彼を抱き寄せるカナだが、相手の目には紛れもない恐怖の色が宿っていた。罪悪感を感じながらも、カナはどうしても問わなければならない問いかけをしていた。
「あの霧はいったい……ううん、その前に、どうして私を殺そうとしたんですか!?」
聞きたいことは他にあったが、とりあえず自分を落ち着かせる意味も含めて相手の真意がわかる質問から問いかける。カナの質問に対し、妖怪は息絶え絶えとしながらも答えてくれた。
「た、たのまれたんだ……お前を殺すように……奴良リクオの友人だっていう……お前を…………」
「誰に、誰に頼まれたんですか!?」
やはりリクオ関係かと胸の奥がずきりと痛んだカナだが、迷わずに質問を続ける。
「よ、妖怪だ…………人間の子供のような、妖怪……」
「人間の……子供?」
これまで幾度となく妖怪にかかわってきたカナだが、そんな妖怪には心当たりがない。何故そんな見ず知らずの相手に命を狙われるのかと疑心暗鬼に囚われるも、彼女はさらに問いかける。
「じゃあ、あの霧は!? あれは貴方たちの能力なんですか!?」
それこそ、カナが一番聞きたかったことかもしれない。あの日、自分たちを地獄へ引きずり込んだ魔の霧の正体。アレがなければ自分もここまで怒りを露にしなかっただろうと言い訳じみたこと考えながら、相手の返答をカナは待つ。
「あれは……おれたちの力じゃない。あれは……オンボノヤスとかいう……妖怪の力で……あの小僧が連れてきたんだ……」
「小僧? ……私を殺すように頼んだっていう子供の妖怪? そいつの名前は!?」
もはやなりふり構わず問いかけるカナに、最後の力を振り絞るように妖怪はその黒幕の名を口にしようとした。
「なまえ……なまえは————」
しかし、彼が何かを口にしようとした次の瞬間——
どこからともなく日本刀が飛来し、屍妖怪の目玉を抉り取る。
「ぎっゃぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「——っ!!」
断末魔。カナのすぐ目の前で絶叫を迸らせた屍妖怪は、恐怖に引きつった表情のまま息を引き取る。
「——あ~あ……結局はこのザマか~……人間の小娘相手にかすり傷一つ負わせられないなんて、堕ちたものだね、ガゴゼ会……」
声が——響き渡る。
すっかり日も暮れ、月の光が差し込む講堂内に、それは姿を現した。
「でもまあ、仕方ないよね~。近代以降、人間を襲うことでしか畏を得られなくなった意地汚い屍妖怪の集まりだ。今の弱体化した奴良組以上に、その力は全盛期からより遠のいているだろう、さっ!」
そんなことを呟きながら、姿を現したそいつは刀を手繰り寄せる動作をする。その動作により先ほど屍妖怪の顔面に投げつけられたボロボロの日本刀がその者の手元に戻っていく。
命を殺めた血まみれの得物を前に、それ——少年の姿をしたそいつに特に感じ入る様子はなかった。その表情からは一切の良心の呵責も、敵を仕留めたという達成感もない。
あるのはそう、人を小馬鹿にしたような嘲る微笑みだけ。端正な顔立ちなだけあって、逆にその表情がカナの背筋に寒気を感じさせる。
「あ、お前は……いったい?」
油断ならぬ態度で槍を構えるカナ。
「やぁ~、こんばんわ家長さん! こうして言葉を交わすのは、多分初めての筈だよね?」
警戒心を剥き出しにするカナとは対照的に、まるで数年来の友人に声を掛けるように、少年は親しみを込めてカナに挨拶する。
あくまで朗らかに、何一つ後ろめたい感情もなく言ってのけた。
「ぼくの名前は吉三郎。ああ、別に無理に覚えてもらう必要はないよ? だって、君はここで死ぬんだから、ふふふ」
×
「きち……さぶろう?」
窓から零れ落ちる月明かりが照らされる中、姿を現した黒幕の少年相手にカナは戸惑っていた。
全く聞き覚えのない名前、容姿の少年。自分よりいくらか年上、高校生くらいの背丈だが妖怪である以上見た目などほとんど意味を成さない。油断なく身構えながら、カナは問いを投げかける。
「お前は、何者だ……どうして、わたしを……殺そうとする?」
先ほど感情の赴くままに暴れ回って怒りを発散させていたおかげか、何とか冷静さを保っているカナは周囲の状況を観察する。
今自分がいる建物、初めて訪れる場所だが、構造からして小学校の体育館とそう違いはないように見える。おそらくどこかの使われなくなった廃校の体育館かなにかだろう。
——そういえば……浮世絵中学校の近くに使われなくなった旧校舎があるって聞いたことがあるけど……。
もしここがその廃校の内部なら、ここから逃げることはそう難しくない。一旦建物の外に非難してしまえば神足でアパートまで戻ることができる。目の前の少年に自分と同じような空を飛翔する能力があるか分からないが、おそらくは大丈夫だろうと、カナは逃走経路を頭の中で描く。
だがここから立ち去る前に——どうしても確かめておかなければならないことがある。
「何故って……? そんなの、君が奴良リクオの友人だからに決まってんじゃん~!」
先のカナの質問に何の躊躇もなく答える吉三郎。どうやらお喋りが好きなようでこちらが聞いてもいないことまでベラベラと喋り始めた。
「ほら、リクオ君てさ~奴良組の若頭候補だろう? それだけでも十分その首を狙う輩は多いし、その友達ってだけで恨みの対象になったりするんもんなんだよ? いやぁ~妖怪任侠の世界っておっかないよね~!」
「…………」
相手の話に沈黙を貫くカナ。
そんな彼女の態度に吉三郎はふざける調子を崩して何かを考え込む。
「ふ~ん…………奴良リクオの話で動じた様子がないね……やっぱり、君はある程度の知識を持っているわけだ。妖怪世界に関して。……いやぁ~よかったよ! こいつらを噛ませ犬代わりに使っておいて正解だったなぁ~」
そう呟きながら、吉三郎は屍妖怪たちの死体をぐりぐりと踏みつける。その行為に思わずカナはカッとなった。
「ちょっ! あなた何を…………噛ませ犬?」
だが相手の言葉にカナは怒りを一旦引っ込め、疑問符を浮かべる。そのカナの疑問に嬉しそうに吉三郎は答えた。
「そうそう、噛ませ犬! いや、ほら~君と一緒のアパートに住んでるあの白い髪の! 人間に擬態してるみたいだけど妖怪だろう、あいつ? そいつと一緒になって稽古みたいなことをしてるのは事前調査で知ってたんだけど、君の実力に関しては未知数だからね。戦力調査の代わりにこいつらをけしかけてみたんだけど……どうやら当たりだったみたいだねぇ~……いや~可愛い顔して、結構惨いことするね、君も!」
「っ——!!」
おそらく怒りに我を忘れて彼らを惨殺したことを言っているのだろう。咄嗟に言葉を返そうとするも、何も覚えていないだけに言い返すことができなかった。
しかし――
「いやぁ~それにしても本当に凄い暴れっぷりだったなぁ~————何をそんなに怒っていたのか知らないけど?」
「————————」
他人事のような吉三郎の言葉に、カナの頭の中が今一度真っ白になる。
——…………何、を……?
——怒っているのか……分からない……だって!?
ふつふつと、抑えていた感情が再び滾ってくる。
「おや、どうかしたかい? 顔色が悪いみたいだけど?」
本気で何も分からないと言わんばかりに小首を傾げる吉三郎。整った顔立ち故、どこか愛らしい動作だが、それすらも今のカナには憎らしいものに見えてならない。
カナは、何とか飛び出すことは堪えたものの、その口から怒りのままに怒号が吐き出されていた。
「何も知らないなんて言わせない!! お前がっ、お前が殺したんだろ!? お父さんをっ! お母さんをっ! 何の罪もない人々をっ!! お前が、あの鼠に殺させたんだろ!?」
あの霧——オンボノヤスとやらの能力。見間違えよう筈がない。あの日と同じ力で自分をこの廃墟に誘ったコイツが、あの事件と何も関係がないとは思えない。絶対に何かしらの形で関与している筈だと、カナは叫んでいた。
だが吉三郎はカナの怒り狂う様子に、きょとんと目を丸くするばかりだった。
「はぁ~殺させた? ボクが、誰を? いったい、何を言って————」
しかし、そこで押し黙り僅かな思考の後——
「君……………………………………………………………ひょっとして、あのときの生き残り?」
合点がいった様子で吉三郎は手をポンと叩いた。
「あ~そっか……そういえばいたね、一人! しぶとく生き残った人間の女の子が! いやぁ~懐かしいなぁ~! てっきり富士天狗組の連中に喰われたか、野垂れ死んだかしたと思ってたんだけど~!」
まるで、まるで、今思い出したとばかりに。実際、忘れていた事実を脳内から引っ張り出してきた吉三郎。彼は納得した様子でしきりに頷き、陽気に笑い声を上げていた。
だが——
「ははは……そうか、そうか……あの時の生き残りか。ははははは…………」
その笑い声が、唐突に鳴り止む。
そして、一瞬顔を伏せる吉三郎だったが、すぐにその視線をカナへと向け、その表情を不快そうに歪めた。
「あれ、なんだろう? ちょっと————許せないな」
そこには、先ほどまでの人を小馬鹿にしたような笑みも、嘲るような微笑もなかった。本当に、本当に不愉快そうに眉を顰め、吉三郎はカナを——あの日生き残った少女を視界に収める。
「なんだろう……この気持ち。人間でいうところの魚の骨が喉に引っかかった感じかな? イチゴの種が歯の隙間に引っかかったまま放置していた事実に気づいてしまった感じ? 本当なら君程度の存在がどこでどう生きようと知ったことじゃないけど、自分の手の平から零れ落ちた命があると思うと——ちょっと許せない気分になる」
腕を組み、偉そうにふんぞり返りながら吉三郎は宣言する。
「そういうわけで……今度こそ本当に死んでくれないかな? 君が生きていると、どうにもボクは不愉快でたまらないみたいだ」
おそらく、最初はカナを狙う別の目的があったのだろう。リクオに関係する理由からカナの命を欲した理由が。
だがそれを瞬時にどうでもいいものとして切り捨て、吉三郎はカナを殺すつもりだ。
あの日、殺しそこなった命を残しておくのは『不愉快』という、それだけの理由で。
一方のカナも、そろそろ我慢の限界だった。
「あなた……忘れてたの……? あれだけのことをしておいて、あれだけの人の命を奪っておいて……? わたしに指摘されるまで、そのことを…………忘れていたっていうの?」
カナの声は怒りで震えていた。
自分はあの日のことを、一日だって忘れたことはない。
今の幸せな生活に満足感を抱いていても、頭の片隅にはいつだってあの日の記憶がこびりついて剥がれない。
忘れることなんてできない。それでも自分は生きていくことを決めた。
その決意を、想いを、まるで軽く足蹴にされたような気分だ。
その屈辱に身を震わせるカナへ、まるで駄々っ子のように吉三郎は口を尖らせる。
「しょうがないじゃないか、だって————」
怒り心頭のカナに向かって、吉三郎――少年の姿をした悪魔は微笑みながら答えた。
「あんなもの——ぼくにとって他愛もない遊びの一つだったんだからさ……ふっふふふ」
「!! ——きち、三郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
補足説明
少年——吉三郎
元ネタは飯野吉三郎。明治~昭和初期頃に実在した、占い師、宗教家。
日本の伝統文化という括りから少し外れますが、『日本のラスプーチン』とまで呼ばれた人物。
ロシアの人に怒られそうですが、『ラスプーチン=悪い奴』というイメージが作者の中にあり、このキャラにぴったりと思いました。
多分……『シャドウハーツ』のせい。
以前少年の名前を応募させて頂き、鉄龍王さんのアイディアを採用させていただく形で名付けさせてもらいました。
鉄龍王さん、アイデアを提供していただき、本当にありがとうございました!!
旧校舎の体育館
カナがオンボノヤスの霧に誘われた場所。直ぐに空を飛んで逃げられないよう、屋根のある建物を使わせてもらいました。
アニメの一期。犬神がリクオたちと戦った場所です。