家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

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今回前書きは無し、ですが注意点を一つ。

今回の話は長く、場面も飛び飛びになるので少しわかりにくいところもあるかもしれません。どうかじっくりと読み進めて下さい。




第五十一幕 覆せぬ過去―されど約束は消えず

「………………………………………………………えっ? ここ…………どこ?」

 

 仏間の試練で自身のトラウマであるネズミたちの幻影を見せつけられていたカナ。彼女は先ほどまで心身ともに追い詰められ、発狂寸前であった。

 だがほんの刹那の間にも、ネズミたちが不快に体の上を這いずり回る感覚が消え去り、彼らの腐臭も、鳴き声もなくなっていた。

 カナはその異変に、恐る恐ると閉じていた目を開ける。すると彼女は全く見知らぬ場所に一人立っている現状に気づく。

 

 そこは白一色——自分以外のものなど何もない、ただひたすらに真っ白い地平線が広がっていた。

 

「……な、なにが起きたっていうの!?」

 

 ネズミたちが一斉に消え去ったことで心に余裕を取り戻しはしたが、いったい何が起きたのか理解が追い付かず、カナは混乱する。

 どこからどう見てもここが太郎坊の屋敷の中とも思えないし、富士山周辺のどこにもこのような場所はない。

 

「……ひょっとしてこれも試練の一部、なのかな?」

 

 全くの未知の空間にカナはハッとなる。この空間も仏像たちが見せている幻影。自分はまだ、先ほどの試練の延長線上にいるのではないのかと。

 ならばこの次がある筈だ。自分を試そうと、再びネズミの大群が襲いかかってくるかもしれない。カナは幻影を迎え撃つための態勢に入るが、槍を持つその手は心なしか震えていた。

 しかし、待てど暮らせど先ほどのような幻影たちがカナに迫ってくる様子はない。カナは暫くの間、緊張した面持ちで身構えていたが、何もないことに拍子抜けし、大きく息を吐いて気を緩め始めた。

 

 

 それを合図にするかのように、カナの周囲の視界が揺れる。

 

 

「な、今度はなに!?」

 

 目の前の景色がぐるりと暗転する。その強烈な気持ち悪さにとっさに目を閉じるカナ。すると、視界を閉ざした彼女の聴覚に、その言葉が届けられる。 

 

『ボクは立派な人になりたいな……何をするにも恥ずかしくない。皆を導いていける、そんな人に……』

「——えっ?」

 

 聞き覚えのありすぎるその声の響きに目を開く。カナの眼前には幼馴染の奴良リクオが立っていた。

 

「な、なんでリクオくんが……? あれ、ここって——」

 

 そこで改めて周囲に目を向けるカナ。彼女はそこが白い地平ではない、自分がまた別の場所に立たされていることに気づく。しかし、そこはカナの知っている場所でもあった。

 

「ここって……品子さんの……家?」

 

 そこはつい先日、清十字団の皆と休日に出かけた菅沼品子の屋敷。彼女の家の廊下であることに気づく。

 

『! お、覚えててくれたんだ……あんな子供の頃のことなんか……』

「——えっ、あれは……………わたし?」

 

 戸惑うカナを置き去りに、月明かりが照らす廊下でリクオと——『家長カナ』が会話を続けている。自分自身がリクオと会話を交わしている光景を彼女は『別の視点』から眺めさせられていた。

 

「……………………これは過去の記憶?」

 

 そこで展開されている会話・光景は実際にあった過去の出来事だった。

 リクオと交わした会話の内容を一字一句覚えていたカナはそのように確信できる。なにせ、自分はリクオとのこの会話をきっかけに、彼の百鬼夜行に入ることを決意した。

 いわば大事な分岐点。忘れる筈がなかった。

 

 

 再び景色が暗転する。

 

 

 瞬きする刹那の間に、カナはまた別の場所に立っていた。

 

『あの人………リクオ、くん……なの?』

 

 今度は浮世絵中学校の屋上。誰もいない青空の下、過去のカナが泣き崩れているのを、今の自分が見下ろしている。

 

「…………生徒会選挙の日だ。私が、初めてリクオくんの正体を知った日……」

 

 無力だと思っていた護るべき幼馴染の本当の姿を知ってしまった日の記憶。

 当然、その日のことも忘れてはいない。

 リクオの実力を知り、自分の無力を悟り、彼女はその日、涙が枯れんばかりの勢いで泣き続けていた。

 

 

 感傷に浸る間もなく、さらに景色が暗転する

 

 

『大丈夫?』

 

 星が綺麗に輝く夜空の下。巫女装束を纏った狐面の少女が人間の奴良リクオをお姫様抱っこしている光景。

 

 ——旧校舎。私が初めて……リクオくんの前で力を行使した場所だ……。

 

 当然、それは正体を隠すために面霊気・コンを被っている、家長カナ本人だ。

 初めて目にする狐面の少女に抱えられ、リクオは困惑気味の表情で顔を真っ赤にしている。

 

「これって……私の過去の記憶? ひょっとして……これがおじいちゃんの言ってた、宿命(しゅくみょう)……てやつなのかな?」

 

 次々と移り変わる映像。それらはどれも、過去に家長カナが体験した場面である。その事象を前に、カナはこれが仏の試練とは別の現象——六神通の一つ『宿命』によって引き起こされた現象と考える。

 

 宿命。それは六神通の一つ。順番的にカナが次に制御できるようになるべき四番目の神通力だ。

 しかし、その力は『実戦的ではない』という理由から太郎坊に習得を後回しにするよう言い渡されていたもの。

 

 宿命とは——『自分と他人の過去を知ることのできる力』だ。

 対象の記憶を読んで過去を見るのではない、本人ですら忘れている過去を直接知ることに、この力の神髄があると太郎坊は語っていた。

 あの仏間にカナ以外に過去を覗き見る相手などいなかった。ならば必然的に、これはカナ自身の過去の記憶であると思われる。

 

「……って、これってどうやったら戻れるんだろう!?」

 

 想い出のアルバムに目を通すような気持ちで、流れてくる過去の景色を眺めていたカナはふと我に返る。

 いったい、何をきっかけに宿命が発動してしまったかは分からないが、制御できない力をこのまま放置しておくわけにもいかない。カナはなんとかこの宿命を止めようと、その制御を試みる。

 だが、元より会得できていない神通力。どうすればいいかなど教えられてもおらず、カナはさらに移り替わる過去の映像に翻弄されることとなる。

 

 

 次なる暗転後にカナの目に飛び込んできたのは——最悪の過去。思い出したくない、忘れられない記憶だった。

 

 

『はははっ! いい……やっぱりいいもんだなぁ~……人間の悲鳴は——』

「——っ!?」

 

 場所は同じ旧校舎。だが、そのシチュエーションは大きく異なり、カナの感情を一気に昂らせる憎々しい相手の言葉が聞こえてきた。

 

「き、吉三郎っ——!!」

 

 自分から大切な人たちを奪った怨敵。その男の笑い声にカナは思わずその槍を突き出していた。

 しかし——

 

「——えっ!? す、すり抜けた……」

 

 吉三郎を貫こうとしたカナの槍は虚しく彼の体をすり抜ける。

 そう、これはただの過去——記憶の再現に過ぎない。 

 観測者である現在のカナにその事象を覆すことなどできず、彼女の存在など関係なく登場人物たちは過去の再現を行っていく。

 

『さあ、ボクに生きている意味を感じさせてくれ!!』

 

 空虚な瞳でそのようなことをほざきながら、吉三郎はハクの遺体にすがりついて泣き崩れるカナを殺そうと刀を振りかぶる。その切っ先は、寸前のところで春明によって阻止されて事なきを得るが、そんなものカナには何の救いにもならない。

 

「………………っ」

 

 まるで過去に見せつけられているようだ。ハクが死んだのはお前のせいだと——。

 

 

 再び記憶は暗転する。次にカナの眼前に映し出された記憶は、霧深く覆われた森の中だった。

 

 

「——あっ、あ……あ……!?」

 

 魂の奥底にこびりついていた絶望の記憶に、カナは愕然とする。それは始まりの記憶。今の家長カナという人間の生き方を決定づけたといっても過言ではない全ての源。

 

 霧に覆われた樹海の中、たくさんの人々が悲鳴を上げて逃げ回っている。巨大なネズミの妖怪・鉄鼠から——。

 自分たちを殺そうとする、死の影から——。

 

「や、やめてっ!! だめぇええええええええええ!!」

 

 恐怖に逃げ惑う人々を前に、カナは手を伸ばしていた。

 トラウマの元凶である鉄鼠が自分を睨みつけているようにも見えたが、正直そんなものに構っている余裕がなかった。誰でもいい、一人でもいい。その魔の手から誰かの命を救いたくて、カナは駆け出していた。

 だが全ては無駄だった。

 起こってしまった事象は変えられない。過去は覆せない。

 たとえ今のカナにどれだけの力があろうとも、彼女はそれを見ているだけしかできない。

 一人、また一人と。無残に殺されていく人々の嘆きに彼女は絶望するしかない。

 

「あっ……そんな、そんなのって……っ!」

 

 今のカナから見ても、それは凄惨な映像だった

 人間がぼろ屑のように引き裂かれ、生きたまま鉄鼠の餌として飲み込まれていく人もいる。

 正視に耐えかねる光景に咄嗟に目を逸らすカナ。

 しかし、大勢の人々の悲鳴の中から聞こえてきた、その懐かしい声音に彼女の視線が釘付けになる。

 

『カナ!! 手を放しちゃ駄目!!』

『母さん! カナ! 二人とも走れ!!』

「——っ!! お、おかさん……おとうさん……」

 

 カナが視線を向けた先に、幼いカナ。そして、そんな彼女の手を引っ張って走る、懐かしい両親の姿が見えた。

 この地獄から家族だけでも逃がそうと奮闘する父親。母親とカナを庇ってネズミの前に立ち塞がる。

 

「だ、だめっ! 駄目だよっ!!」

 

 だが、それがどのような結末を迎えるか、既に結果を知っているカナは父親に向かって叫ぶ。

 決して届かないと頭で理解していながらも、彼女は両親に向かって手を伸ばしていた。

 

 そして——予定調和の未来が訪れる。

 

 父親は鉄鼠によって呆気なく首を飛ばされ、母親はカナを庇って致命傷を負う。

 

「あ……ああ……」

 

 全ては過去。終わってしまったことだ。この後、最後の一人となったカナの下に救いの手が差し伸べられることになるが、もはやそこまで見せる価値もないと、過去の映像はそこでプツリと途切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けばカナは最初の出発点。白い地平の上で一人佇んでいた。

 

「——どういうつもりよ……!」

 

 俯きながらも、腹の底から唸るような声を上げるカナ。彼女は血が滲むほど拳を握り、目には涙を貯めて叫んでいた。

  

「今更こんなものを見せてっ!! 私が無力だって見せつけたいの!? あの頃から何も変わっていないって、そう言いたいわけ!?」  

 

 カナは過去の記憶をさまざまと見せつけた自身の神通力——宿命に対し、怒りを露にする。

 何故、こんなつらい記憶ばかり見せるのか。何故、こんな悲しい記憶ばかり呼び覚ますのか。

 誰もいない自分だけの空間で、彼女は『何故!?』と叫ばずにはいられなかった。

 勿論、返答などない。カナの叫びは虚しく白い地平の向こうへと溶けていく。

 

 

 そして——屈辱に身を震わすカナに構わず、さらに景色は暗転する。

 宿命は——さらに彼女に『何か』を見せようとする。

 

 

「やめてっ!! これ以上、私に何を見せようっていうの!?」

 

 自身の制御化から外れた神通力が、さらにカナの過去を遡る。

 カナはもうたくさんだと、目や耳を塞いでそれらの事象から目を逸らそうとする。

  

 そんな彼女にも構わず宿命はさらに過去、より過去へ——。

 その力は家長カナという少女が——この世に生を受ける以前まで遡ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 六神通『宿命』

 それは自分と他人の過去を知ることのできる力。

 ここで言う『過去』とは、何も現代に生きるカナ自身のことだけに留まらない。

 カナが生まれる前、彼女が彼女ではなかった時代。

 

 所謂——過去世。家長カナという人間の『前世』にまでその力は及ぼうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 目を閉じたままではあったが、景色が暗転する不快な感覚が消えたことでカナは場面が切り替ったことを悟る。 彼女は恐る恐る瞼を開き、眼前の光景をその瞳に焼き付ける。

 

「どこ、ここ?」

 

 これまで見てきた過去は全てカナに覚えがあるものばかりだった。家長カナという少女が今日まで歩んできた軌跡、全て忘れられない光景だった。

 だが、今彼女の眼前に広がる景色。それはカナがこれまでに見たこともない『視点』での光景だった。

 

 古い町並みが見える。現代の東京では見ることが少なくなったであろう建物。

 半妖の里で見られるような古い日本家屋が建ち並び、どこか郷愁を感じさせる下町情緒が漂っている。

 道を行き交っている人々の恰好も現代的ではなかった。

 男女問わず着物を着ており、男はちょんまげや、女性も髪をしっかりと短めに編んでいる。

 

 宿命で見ているその過去をカナは知らない。彼女はこのような街を歩いたこともなければ、あのような格好の人間と話したこともない。

 だが、人並にテレビなどを見るようになったカナは、それらの街並みや人々の恰好から、それがどういった時代の風景なのか察することはできていた。

 

「……これ、江戸時代……だよね?」

 

 そう、日本人であれば一度くらいは見たことがあるだろう。大河ドラマ、時代劇。そういった映像作品で描写されるであろう古き日本の風景。

 江戸時代——今から数百年以上も前の景色。それが宿命によって、カナの過去世として彼女の眼前に広がっていた。

 

「…………」

 

 それまで見せられた景色とまるで趣の異なる風景に言葉を失って固まるカナ。すると、そんな彼女の下に二人の少女が近寄り、声を掛けてきた。

 

『おーい! いつまでぼーっとしてんだよ、お花!』

『早く行かないと、寺子屋閉まっちゃうよ?』

 

「えっ? いや、わたしは……」

 

 話しかけられるとは思っていなかったため、カナは動揺で返す言葉を失う。彼女は自分に声を掛けてきた少女たちに目を向ける。

 その少女たちは、どこか見覚えのある容貌をしていた。一人は髪の長い、三白眼で元気いっぱいに笑う少女。もう一人は短い髪を後ろに束ねた猫目の少女。どちらも小学生低学年くらいの年代だろうか。

 

 ——なんだろう? どことなく……巻さんや、鳥居さんに似てるような気がする。

 

 その二人の特徴に、クラスメイトである巻と鳥居を思い出し、口元を緩めるカナ。だが次の瞬間、背後からカナの体を通り抜け、一人の少女がその少女らの下へと息を切らして駆けつけてきた。

 

『——ま、待って! 二人ともおいてかないでよ!!』

 

 どうやら少女たちはカナではなく、カナの後ろにいた少女に向かって声を掛けていたようだ。宿命が見せる過去の映像なのだから自分が介入できるわけもないかと、溜息を吐くカナだったが——。

 

「——っ!? あれは……わたし?」

 

 少女——お花と呼ばれている女の子の顔を目にした瞬間、カナの心臓がドクンと高鳴る。

 茶髪にまん丸な目。その少女は、幼い頃のカナと瓜二つ。まったく同じ顔をしていたのだ。

 

 鏡を見るまでもなく、カナは直感的に理解する。

 あれは自分だと。過去世の自分自身だと。

 

 今、眼前に広がっている景色はあの少女——お花を視点にした前世の記憶であると。

 

 

 

×

 

 

 

「そっか……宿命って自分の前世すら知ることができるんだっけ……だけど……」

 

 太郎坊に説明されていた宿命の能力の詳細を思い出しながらカナはポツリと呟く。自身の過去どころか過去世すら見通すその力に驚きながらも、彼女は首を傾げる。

 確かに人知を超えた力だろう。何百年前も昔の前世をこうやって見ることのできる宿命の神通力は、確かに驚愕すべき能力だろう。

 

 しかし、だからどうだというのか?

 

 過去を知ったからといって、今更その過去を変えることなどできない。ましてや前世の記憶など、いったい何の役に立つというのか。その力はあまりに実戦的ではない。

 太郎坊がカナに宿命の習得を後回しにさせていた理由を実感する。

 いったい、宿命はカナに何を見せようとしているのか?

 

 

 彼女がそうこう悩んでいる内に、さらに場面が切り替る。

 

 

『本当だよ!! 目撃者だって多数いるんだよ!?』

『お前ら! 清衛門(きよえもん)くんの言うことを信じられないのかよ~!?』

 

 こじんまりとした建物の中、子供たちが寄り集まりワイワイと賑わっている。

 先ほど少女たちが言っていた寺子屋。現代で言うところの学校といったところか。

 授業が終わり、既に多くの子供たちが帰宅を始める中、まだ建物に残って何やら雑談をしている面子が何人かいる。

 カナの前世であるお花ちゃんと巻や鳥居に似た女子。その女の子たち相手に教壇の前に立った男の子二人が、何やら妖怪の噂話を抗議しているようだが。

 

 ——何だか清継くんと島くん見たい。ふふ……。

 

 その男の子二人。得意げに妖怪について話す清衛門はまさに清継であり、その隣で清衛門を煽てる男の子がまさに島に見えた。

 その風景はさながら、自分たち清十字団の関係そのもの。カナは溜まらず笑みを溢す。きっと彼らもそれぞれが御先祖様なのだろうと、そのように思えてしまう。

 

 ——こんな頃から、私たちの関係が繋がってったんだ。けど……リクオくんは、いないか。

 

 前世から続く彼らとの腐れ縁に、カナの胸に嬉しいような恥ずかしいような微妙の気持ち湧いてくる。だが思わず周囲を見渡し、他に見知った子供がいないかを捜すカナは、そこにリクオに似た男の子がいないことに少しがっかりする。

 

 ——って……そんな偶然、あるわけもないか。

 

 幼馴染の彼とも前世からの繋がりがあるかもしれないと、おこがましい期待をした自分に少し自己嫌悪するカナ。

 

『ねぇ! 先生!! 山吹先生はどう思う!』

 

 カナが内心でショックを受けているのにも構わず子供たちは時を進めていく。

 鳥居に似た猫目の少女が、庭で花に水やりをしている大人の女性に声を掛けていた。この寺子屋の先生なのだろう。子供たちの呼びかけに、彼女は笑顔で振り返った。

 

『なぁに? そのお話?』

「——っ!」

 

 振り返ったその女性の容姿に、カナは思わず息を呑む。知り合いではない。どこかで見たことのあるような顔でもない。仮にもし一度で見たことがあれば、きっと忘れることはないだろう。

 

 そう思うほど、その女性はあまりにも美しかった。

 

 長い黒髪に綺麗な着物。立ち姿、花に水をやる所作一つをとっても気品がある。どこか儚げな印象があるにもかかわらず、その笑顔は陽だまりのように暖かく、子供たちを慈しむ瞳がとても——綺麗だった。

 同性のカナですら思わず見惚れてしまうような美しい女性。彼女は子供たちから山吹乙女(やまぶきおとめ)先生と慕われている様子だった。

  

『妖ですよ、妖!! その百足に噛まれると立ち待ち死んでしまうんですよ!!』

 

 妖怪の話をする清衛門は、乙女にもそのように得意げに講釈を続ける。

 

『あ……妖?』

 

 清衛門の話に、乙女はほんの少し動揺するような顔色を見せるがそれも一瞬。子供たちを怯えさせてはいけないと微笑みを浮かべ、清衛門にやんわりと注意する。

 

『清衛門くん、他の子たちが怖がるから、あんまりそういう話しをしちゃダメよ?』

『……はぁーい。わかりました、乙女先生』

 

 乙女に優しく注意を受け、渋々納得する清衛門。それをきっかけに話が終わり、子供たちはみんな帰路についていく。

 

『バイバイ、先生!!』

『また、明日ね!!』

 

 寺子屋の門をくぐり、元気よく手を振ってさよならの挨拶をするお花たちに、乙女も手を振って子供たちを見送る。

 

『ふふ……可愛いなぁ』

「…………??」

 

 カナはそこでふと違和感を覚える。これまで、宿命の見せる記憶はカナを視点にしていた。この過去世でも映像はカナの前世であるお花を視点に流れていた筈。

 だが、そのお花が寺子屋を去っていったにもかかわらず、カナの視点は寺子屋の方——山吹乙女に固定されている。まるで、彼女のことを見ていろと言わんばかりに、そこから新しい映像に切り替わる素振りもなかった。

 

『——山吹乙女様……おつとめご苦労様です!』

 

 すると、寺子屋の門の前で佇む乙女に、後ろから若い風貌の男が声を掛ける。その男は何もなかった場所から唐突に現れ——その首は宙に浮いていた。

 

『首無!? びっくりした……急に生首で出てこないでください!!』

 

 当然、驚く乙女。しかし、そのリアクションは普通の人間が生首の無い人間に出くわしたような反応ではなかった。首が浮いていること自体には疑問を持っておらず、子供たちが驚くだろうという理由からちゃんと首をおさめるよう、首と胴体をくっつける。

 

 ——あれ? この人……奴良組の!?

 

 カナもまた、その首無し男の登場に驚いていたが、彼女の反応も普通の人間のものではない。カナはその男の容姿に見覚えがあったのだ。

 少し若く、やや敬語に不慣れな様子を見受けられるが間違いない。

 彼はリクオの側近の一人。何度か彼の側で見かけたことのある妖怪——首無その人である。

 

 ——なんでここに? えっ、じゃあ……この先生もひょっとして妖怪?

 

 首無がこの時代から居たこと自体はさして驚くような内容でもないだろう。妖怪であるのだから、寿命は人間とは比較にならないほど長い。数百年と現代まで生きながらえていても、おかしくはない。

 問題は、彼が寺子屋の先生である乙女の前に堂々と現れたこと。彼女に対して敬語を使い、畏まった態度で接していることだ。 

 その二人の距離感から、カナは山吹乙女も妖怪——奴良組の一員ではないかと推察する。

 

『時に鯉伴様は来られませんでしたか!?』

 

 カナが考えごとをしている横で、首無は乙女に捜し人について尋ねている。鯉伴——と、カナには聞き覚えの無い人の名前だが、二人にとっては慣れ親しんだ人物なのだろう。

 

『鯉伴様? さぁ……どうして?』

『最近見ました? あの人?』

 

 口ぶりから、ここ数日は見かけていない様子。首無は困ったもんだと頭を悩ませていたが、乙女の方は特に悲観する様子もなく、ほんの少し頬を赤らめて笑いながら口にする。

 

『でもいつもそうだから、諦めてます』

『だってあの人は……「ぬらりひょんの子」ですもの!』

 

 乙女のその言葉にカナは目を見開く。

 

「ぬらりひょんの、子供!?」

 

 妖怪・ぬらりひょん。奴良組の総大将。あのひょきんな笑顔が特徴的な老人。

 カナの幼馴染である、奴良リクオの祖父。

 つまりそのぬらりひょんの子供ということは、リクオの——

 

 

 その途端、再び景色は暗転する。

 

 

『清衛門くん~、草むらは危ないよ?』

『そうだよ~、妖怪が出るんでしょ?』

 

 いいところで場面が切り替り、カナは顔を上げる。

 彼女の視線の先。先ほど寺子屋で妖怪について語っていた清衛門が草むらをかきわけていた。その様子を離れたところからお花たちが見ている。

 

『大丈夫さ! 来るならちょっと見てみたいくらいさ!』

 

 どうやら妖怪を捜しているらしい。そういうアクティブな所は前世から変わりないようだ。すると、清衛門は足元で蠢く何かに気が付き、足を止める。

 

『んっ? なに、これ……あっ!』

 

 次の瞬間、巨大な百足が数体、清衛門に向かって襲いかかる。百足は人の言葉で『まんば成るか』と呟いている。

 

「危ない!!」

『危ない!!』

 

 咄嗟に身を乗り出そうと叫ぶカナだが、その彼女の叫び声とシンクロするように先ほどの先生——山吹乙女が清衛門を抱きかかえ、横っ飛びに百足たちの襲撃を躱す。

 

『いたた……』

『先生!?』

『山吹乙女様!!』

 

 だが完璧に避け切ることができず、乙女は足を百足に噛まれた痛みに横たわる。子供たちが悲鳴を上げ、首無が助け舟を出そうと駆け出す。

 

『まんば成るか 足くう』

 

 その百足の正体は妖怪『まんば百足(むかで)』だ。全身が何匹もの百足で構成されている人型の妖怪。まんば百足は動けない乙女と清衛門に百足で出来た手足を伸ばし、さらに襲い掛かってくる。

 

「だめぇええ!!」

 

 カナはそれが前世の記憶だという事も忘れ、手を伸ばし叫んでいた。

 またか、また――自分には何もできないのかと。お花のときの過去を自分の事のように感じ、無力感に苛まれる。

 しかし、カナが手を伸ばすよりも早く、そして首無が武器である紐を振るうよりも先に——

 

 『彼』がその場に現れた。

 

 着流しを粋に着こなし、山吹乙女の黒髪と並び立つように漆黒な髪を風に靡かせるその男。

 彼は持っていた刀で容赦なくまんば百足を八つ裂きにし、怒りを押し殺すような静かな声音で吐き捨てる。

 

『てめぇは——誰の女に手ェ出してると思ってんだ?』

 

 自分を救ってくれたその男性に、乙女は呟く。

 

『あ……あなた』

 

 二人の言葉は、その男が山吹乙女の夫であること、二人が夫婦であることを教えてくれていた。

 

『鯉伴様! いったい、今までどこへ!?』

 

 バラバラになったまんば百足の身体を念のため紐で縛り上げながら、首無はその男性に声を掛けていた。

 どうやら、彼こそが先の乙女と首無の会話に出てきた鯉伴という男らしい。

 

 乙女の言葉を信じるならば、彼がぬらりひょんの子供ということになるが——。

 

 

 

×

 

 

 

「嘘……なんで……ここに……?」

 

 カナは呆然と立ち尽くす。

 前世の自分自身を知るよりも、友達の御先祖様と思しき人々を知るよりも、彼女にとってそれはより衝撃的な出会いだった。

 カナはその鯉伴という人物を知っていた。前世の記憶の中ではない、今生の世でカナは彼と出会っている。

 

「鯉……さん?」

 

 それは幼い頃。未だカナが半妖の里で燻っていた頃。とある異境の淵で出会った謎多き半妖の男性だ。

 カナが外の世界へと踏み出すきっかけをくれた人。彼の言葉がなければ彼女は人間の世界に——浮世絵町に戻ってくることもなかっただろう。

 もう二度と出会うこともないだろうと思っていたその恩人と、カナはこうして前世の記憶の中で再開することになる。

 しかし、彼の顔を見ることのできた喜びと同時に、カナの中で渦巻いていた疑問がより大きく膨らんでいく。

 

「えっと……ちょっと待ってよ。あの首無って人は奴良組で……乙女さんもその関係者? それで鯉さんと乙女さんが夫婦で……鯉さんがぬらりひょんの子供だから……」

 

 提示された情報量が多すぎる。一旦状況を整理しようと、カナはわかっていることを言葉にして考えを纏めようと試みる。

 そして熟考の末、とある一つの結論がカナの脳内からはじき出される。

 

「ぬらりひょんの子供……てことは、鯉さんが『リクオくんの父親』ってこと!?」

 

 明るみになる驚愕の事実にカナは口をパクパクさせる。

 カナはリクオの実家に何度か遊びに行ったことがあったが、その際、リクオの口から父親について紹介されたことはなかった。きっと事情があるのだろうと、カナも深く尋ねようとはしなかったが、まさか鯉さんがそうだったなど夢にも思わなかった。

 しかし、そこで別の疑問がわき上がる。

 

「でも……リクオくんのお母さんは若菜さんだよね……あの乙女って人は?」

 

 カナはリクオの母親・奴良若菜にも何度か挨拶をしたことがある。彼女は正真正銘、妖気のよの字も感じられない、ごく普通の人間だった。 

 彼女の血を引いているからこそ、奴良リクオは四分の一だけ妖怪な『半妖』なのだ。

 

「多分だけどあの感じ……乙女さんって妖怪だよね?」

 

 乙女の纏う雰囲気からカナは彼女が妖怪であると何となく気づいていた。もしリクオが妖怪である乙女と半妖である鯉伴との子供であるのならば、もっと妖怪の血が濃くてもおかしくはない。

 

「……前妻っていうやつかな? でも、妖怪なら寿命が……今の奴良組であんな人見かけなかったけど? う~ん、よくわかんないよ! 何がどうなってるの!?」

 

 気が付けばここが宿命の見せる過去だということを忘れ、カナは思考の泥沼に陥っていた。

 鯉伴や首無が何やら深刻そうな会話をし、その横で乙女が顔色を悪くしていたが、それすらカナの目にも耳にも入ってこなかった。

 

 

 だがここで、景色が暗転する。

 

 

「またっ!? 今度はどこ!?」

 

 もう何度目かも分からなくなってきた場面の切り替わりに、カナはいい加減ウンザリし始めていたが、鯉さんのときのように誰か知っている人が出てくるかもしれないと、仕方なく目の前の風景を見据える。

 カナが立っていた場所は寺子屋だった。そこでカナの前世であるお花。そして山吹乙女の二人だけが向かい合っていた。

 

『ねぇねぇ、乙女先生! 先生って、結婚してるんだよね? 旦那さんってどんな人なの?』

 

 二人っきりの空間で、お花は瞳を輝かせて問いかけていた。

 

『えっ? そ、そうね……いつもフラフラしてて、たまにどこで何をやってるのか分からないこともあるけど……とっても素敵な人よ。強くて、優しくて、この江戸の町のため、みんなが幸せになるように働いてくれているの』

 

 そのべた褒めぶりから、彼女がどれだけ夫である鯉伴のことを想っているかが分かるだろう。

 

『だから、私はあの人の帰る場所で在りたいの。あの人が目的を果たして家に戻って来れるよう。それが私の役目だから』

「……な、なんだかな」

 

 本当に、本当に幸せそうに語る乙女の初々しい表情。すぐ側で聞いているだけのカナの方が恥ずかしくなってしまうような熱愛ぶりだ。

 

『ふ~ん、なんだかあつあつだね! お幸せに! 乙女先生!!』

 

 前世のカナも同じようなことを想ったのだろう。頬をほんのりと朱に染めながら、彼女は乙女とその旦那の祝福を願った。

 さらに、お花は話し続ける。

 

『じゃあさ、乙女先生——赤ちゃんは? その人と乙女先生の間に、赤ちゃんはいないの!?』

「ぶぅっ!?」

 

 お花の無邪気な問い掛けに、カナは溜まらず噴き出す。

 

『おとっちゃんと、おかっちゃんが言ってたよ! 夫婦の仲が良いと赤ちゃんが出来るって! 何で仲が良いと赤ちゃんが出来るんだろう?』

「ちょっ、ちょっと!? 何てこと聞いてるのよ、前世の私!!」

 

 既に『そっち方面の知識』があるカナは、それを真正面に尋ねることがどれだけ恥ずかしいことか分かっていない前世の自分に動揺しまくる。

 子供なのだから仕方ないと思うが、そんなことを真正面に聞けば乙女さんを困らせるだけだと。声が届くならば今すぐ止めたい、その口を塞いでやりたいと思った。

 

 

 

 だが——。

 子供がどこから来るのかという、お花の無邪気な問い掛けに。赤面するでもなく、狼狽するでもなく——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『———————っ』

 

 山吹乙女はただただ悲しそうな、辛そうな表情で黙り込んでしまった。

 

「……?」

 

 そのときのカナにはその表情の意味が分からなかった。

 顔色を悪くする乙女に、お花は気遣いの言葉をかける。

 

『どうしたの、乙女先生? どこか痛いの?』

『——ううん……何でもない、何でもないのよ……お花ちゃん』

 

 自分を心配してくれるお花の言葉に、気丈に振る舞う乙女。目を擦って何事もなかったように振る舞うが、外側から見ていたカナには見えていた。

 

 乙女がその瞳から涙を流していたのが——。

 それをお花に悟られまいと、必死に笑顔を作っていたことを——。

 

「……なんだろう……なんか………………」

 

 涙の理由は分からない。乙女が何を隠したのかその心の奥まで知る由もない。

 だが悲しみを押し殺して作った乙女の精一杯の笑顔に、カナは胸を締め付けられるような想いであった。

 

『ねぇ……お花ちゃん。一つ、お願いがあるんだけど……』

『な~に、乙女先生?』

 

 ふと、何を思ったのか乙女はお花にそのように願い事を口にしていた。先生である彼女の頼みにお花は黙って耳を傾ける。

 

『私の旦那さん……鯉伴様っていうんだけど。いつかあの人と私の間に、子供が、ううん……』

 

 そこで一旦言葉を切り、乙女は迷いを振り払うかのように口にする。

 

『たとえ相手が私じゃなくても……あの人と、他の誰かとの間に……子供が生まれたら……』

 

 乙女の言葉は途切れ途切れだった。身を切るような痛みに耐えるように、彼女はその願い事を口にする。

 

『お花ちゃんが大人になった後でもいい。そのときは……仲良くしてあげてね。いつかきっと生まれてくる、その子と——』

『うん、いいよ!!』

 

 乙女の頼みを、幼いお花は二つ返事で引き受けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——ああ、ありがとう……お花ちゃん』

 

 お花の曇りのない返事に、乙女は寺子屋で先生をするときのようないつもの笑顔を浮かべる。

 

『……少しだけ…………決心がついたわ』

 

 ほんの少し、その笑顔には陰が混じっているような気がした。

 

 

 

×

 

 

 

「………………」

 

 カナの前世の記憶は、そこで途切れていた。

 そこから彼女は身体を引っ張られるような感覚で、過去から現世へと引き戻される。

 

 再び、宿命は家長カナとしての過去の映像を彼女に見せつける。

 気が付けば、カナは真っ暗な闇の中。鯉さんこと、奴良鯉伴と出会ったあの異境の淵に立たされていた。

 

『——カナちゃん。君さえよければでいい。あいつの友達に——』

『——わかった。わたし、その子と友達になりたい——』

 

 大分時系列が飛びはしたが、それがいつの出来事なのかカナははっきりと覚えていた。

 半妖の里を飛び出すことを決意した日。偶然出会った彼と、とある約束を交わした日だ。

 

「……そうか。そういうことだったんだ…………」

 

 幼いカナと鯉伴が桜の木の下で、例の約束——浮世絵町にいるという、彼の息子と友達になる約束を交わしていた。あの時は何も知らず、ただ鯉さんの要望に応えて上げたいという一心でカナは里を旅立つ決意をした。

 

 だが過去の、前世の記憶。お花と乙女との会話を見た後だと、全く別の意味合いが見えてくる。

 

 ——きっと……ずっと前から、決まっていた事なんだ。全て……。

 

 それまでは、ただの偶然だと思っていた。

 自分が浮世絵町に生を受けたのも。鉄鼠に両親を殺され全てを失ったことも。

 ハクに命を救われ、半妖の里で世話になるようになったのも。この異境の淵で鯉さんと出会ったのも。

 全てはただの偶然、仕方のないことだと思っていた。

 

 けど、ひょっとしたら——全ては必然。なるべくしてなったことなのかもしれない。

 過去の宿命が、運命が——あの日の約束を護らせようと、ここまで自分を導いてきたのかもしれない。

 

『どうやら、お別れの時間のようだ。ほら——』

 

 名残惜しそうに出口を指し示す鯉伴。その光に向かって記憶の中のカナは寂しそうに歩を進めていく。

 過去の記憶通りなら、ここで鯉さんの息子の名前を聞きそびれ、カナは約束の相手を見つけ出せないまま今日まで過ごすことになる。

 だけど今のカナなら、鯉の——奴良鯉伴の口からその名前を聞かずとも、それが誰なのか理解できてしまった。

 

 案の定、カナがいなくなった後。暗闇の中で一人、奴良鯉伴は呟く。

 その言葉が誰にも届かないと分かっていながらも、彼は大切そうにその名前を囁いていた。

 

 

『息子の名前は奴良リクオ……遠い昔、乙女と一緒になって考えた……大切な名前だよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……っ!! 戻って来た!!

 

 第四の神通力——宿命の効果が途切れたのか。カナは富士山太郎坊の屋敷。試練の間である仏間で自身の意識を取り戻す。

 絶え間なく襲いかかるネズミの幻影は健在で、尚もカナの精神をすり減らそうと彼女に襲いかかっている。

 しかし、そんなことには目も暮れず、カナは宿命によって見せられた記憶に想いを馳せる。

 

 ——そうだっ、私は約束したんだ!! 鯉さんと、乙女先生と!! 

 

 前世の記憶が混合しほんの少し、カナはお花としての意識を取り込んでいた。その影響なのか、彼女は奴良鯉伴と交わした約束だけでなく、お花として山吹乙女と交わした約束すら、自分の事のように感じていた。

 

 ——約束……私は守ったよ。リクオくんと友達に馴れた……けどっ!!

 

 正直なところ、カナは鯉さんと交わした約束ですら、少しの間置き去りにしていた。忘れていたわけではない。ただ、浮世絵町で暮らしていればいつか出会えるだろうと、後回しにしていたところがあった。

 目まぐるしく変化する日常があまりに忙しくて、それを言い訳に約束の相手を積極的に捜そうとしなかったのだ。

 

 でも違った。約束は既に果たされていたのだ。

 奴良リクオ。彼こそが鯉伴の息子であり、前世で山吹乙女と約束を交わした相手——。

 家長カナの魂が、数百年と待ち続けていた相手だったのだ。

 

 ——けどっ!! 

 

 だが、ここで過去のトラウマなどに屈すれば、自分は京都に行けなくなる!!

 ここぞという時に、彼の側にいることができなくなってしまう!!

 

 ——それじゃあ、意味がないよねっ! 約束は——守り続けなきゃ、駄目なんだよっ!!

 

 彼女は大切な友達を護るためにも、あの日交わした約束を嘘にしないためにも!!

 ここでネズミ如きに屈する訳にはいかなかった!!

 

 だから——

 

 

「こんなところでっ!! 躓いている訳には、行かないじゃない――――――――――!!」

 

 

 彼女は眼前に立ち塞がる幻影。過去のトラウマと真っ向から対峙すべく『覚悟』を決めたのだ。 

 

 

 

×

 

 

 

 夜明け。長い夜が終わり、富士山太郎坊は一人廊下を歩いていく。目的地は当然、カナを置き去りにした仏間。仏像たちが修行者に試練を与える場所だ。

 

「ふ、ふぁ~……少し飲み過ぎたわ……おまけに眠い」

 

 結局、彼はカナの事が気になって一睡もできず、ずっと酒をかっ食らって一晩を過ごした。なんとか眠気、酔いと格闘しながら千鳥足で仏間へと向かっていく。

 

「悲鳴は途中で止んでいたが、気を失ったか……それとも精神が崩壊したか……」

 

 屋敷中に響くようなカナの悲鳴が途中から途切れていたことから、太郎坊は結果を予測する。おそらく、どうしても京都に行きたかったのだろう。やせ我慢をして最後まで外には出なかったようだ。

 確かに部屋から一歩も出なければ、どのような状態になっていようと、部屋の中で一晩を過ごすというノルマはクリアしているように思える。

 

「だが、そのような体たらくでは、京都になど当然行かせられるわけもなかろう」

 

 しかし、もしもカナが気を失うような方法で一晩を部屋の中で過ごしたなら、太郎坊は約束を反故にしてでもカナを屋敷内に閉じ込めておくつもりだ。

 そのような脆い心の持ち主に、京妖怪の相手などさせる訳にはいかない。みっちりと鍛え直し、その甘い性根を叩き直してやるつもりだ。

 友達を助けに行けなかったと、カナに恨まれることになるかもしれないが、たとえそれでも太郎坊はあの少女をを見殺しにはしたくなかった。

 

 人間とはいえ、彼女は部下であるハクがその命を懸けて守った命なのだから。

 

「さて……どうなったことやら……」

 

 仏間の前まで辿り着き、太郎坊はそっと扉に手を添える。どうか廃人にだけはなってくれるなよと、願いを込めながら部屋の扉を開け放つ。

 

「——っ!? な、んだと……?」

 

 仏間に足を踏み入れ、太郎坊は思わず我が目を疑った。あれだけ回っていた酔いが一瞬にして覚める。

 

「…………………………」

 

 太郎坊の予想に反し、カナは気を失ってすら、廃人にすらなっていなかった。仏間の中央。仏像たちに囲まれながら、彼女は静かに座禅を組んでいたのだ。

 

 服装の乱れはおろか、呼吸の乱れすらない、完璧な姿勢で——。

 

「馬鹿な……」

 

 この結果は予想していなかったのか、太郎坊は戸惑う。

 彼が特に驚いたのはカナの変わりようだった。太郎坊はこれまでの修行から、カナにどの程度のことができるのか、その能力の限界や心の強さなど、冷静な観点から見極めていたつもりだった。

 しかし、今のカナはそういった太郎坊の予想を遥かに超えた領域で座禅に集中している。『男子三日会わざれば刮目して見よ』という諺があるが、たった一晩で——まるで何十年と修行をして徳を積んだ修行僧のようである。

 

「…………カナよ。お前は何を見た……いや——何を悟った?」

 

 たまらずそのように問いかける太郎坊に、カナは振り向きもせず、そのままの姿勢で答える。

 

「自分の成すべきこと。自分が、どうして今日まで生かされてきたのか。その意味を知りました」

「…………」

 

 一切の躊躇なく答えるカナ。

 とても十三歳の小娘とは思えぬ迷いのなさ。ある種の悟りを感じさせる一方、どこか危うさすら内包されているように、太郎坊には感じられた。

 だが太郎坊の危惧にも構わず、カナは立ち上がる。

 そして——もはやこの仏間での試練は終わったと、部屋の外へと歩き出していた。

 

 呆気にとられたまま、太郎坊はカナを黙って見送るしかなかった。

 彼女は出入り口で一旦振り返り、戸惑う太郎坊に笑顔で手を振った。

 

 

「それじゃあ……京都に行ってくるね、お爺ちゃん! ゆらちゃんも、リクオくんもきっと私が護って見せるから!!」

 

 

 

 




補足説明

 宿命――自身と他人の過去、前世を知る力。
 今回は前世の話という事で実際に原作に登場したカナたちの先祖らしき人々に登場してもらいました。彼らの描写は原作コミックス十八巻をお読みください。

 前世の登場人物
  お花 
   カナの前世。原作だと名前が出ないので、お花という名前は作者のオリジナルです。
  清衛門
   清継の先祖と思しき人。原作で唯一、彼だけが名前で呼ばれています。
  山吹乙女
   ここで多くは語りません。彼女の今後については、どうか続きをお待ちください。


 今回の話は自分的にも色々と挑戦してみた回でした。果たして読者の皆様にどのように受け取られるか少し不安ですが、今後ともよろしくお願いします。
 
 

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