コロナといい、先日の大雨といい。今年は去年以上に試練の年になりそう。
だが、どんなに世間の情勢が不安定でも、自分は小説の投稿を続けていこうと思う。
自分に出来ること、したいことがこれだから。
さて、本編の方ですが!
短く切るか、それとも肝心なところまで長めに続けるかで迷ったんですが、とりあえず区切りの良い部分で一旦切ります。
次回こそ、次回こそ……『彼女』と羽衣狐を対面させてみたい!!
鵺の誕生。羽衣狐が鵺ヶ池より城上空へと浮上してくる——数分前。
弐条城の天守閣にて、家長カナと吉三郎。
大切な人を『殺された者』と『殺した者』。因縁の両者が対面していた。
「やっ! こんなところで会えるとは、奇遇だね……家長カナさん?」
「っ……お前っ!!」
憎い仇を前にカッと頭が熱くなるカナ。なりふり構わず飛び掛かろうと、ほとんど反射的に体が動きそうになった。
「お、お姉ちゃん……どうしたの?」
「あっ……」
だが、その胸に抱えている幼い少女の存在がカナの短気を押し留める。
その子を無事に安全な場所まで逃さなければという使命感が、カナに冷静さを取り戻させる。
「くっ…………悪いけど、今はアンタなんかに構ってる暇はないの。邪魔するなら!!」
冷静に思考した結果、カナはあくまで少女を逃すのが先だと決断。仇討ちには固執せず、吉三郎を退けることに専念しようと、改めて武器を握り直して相手の隙を窺う。
「へぇ~……なりふり構わず向かってくるかと思ってたけど、少しは大人になったのかな……ちっ!」
カナが平静さを取り戻したところ、吉三郎はつまらなさそうに舌打ちする。
あくまでもカナの怒り狂う姿が見たいのか。嘲るような言葉で彼女の精神に揺さぶりを掛けていく。
「けどさ……それって結局のところ、君にとって両親やあの犬ころの存在がその程度ってことなんじゃないの?」
「——っ!!」
「いや~なかなか、薄情な女ですな~! その身を引き換えにしてでも仇を討とうとか思わないわけ?」
「…………っ」
それに対して、カナは何も喋らないように必死に堪える。
口を開けば——それこそ、本当に抑えが効かなくなってしまうと危惧したから。
「お姉ちゃん……お口から血が出てるよ?」
少女がカナの口から流れ出る血に気付く。
それは固く口を結んだカナが、唇から血が滲むほど噛みしめて流れた血液だ。
それほどまでに悔しい。今この場で、吉三郎の相手をすることができない、ということが。
「大丈夫だよ……さっ、早く行こ」
カナはこれ以上少女に心配をかけまいと、必死に笑顔で取り繕う。
本当なら今すぐにでも、あの憎っくき男の体にこの怒りの刃を突き立てたかった。
両親の仇を、ハクの仇を取るために感情を爆発させたかった。そうすることができたのなら、どれだけ良かっただろう。
だが——カナの手の中には幼い少女の命が握られている。
文字通り、自分一人の命ではないのだ。
断腸の思いだが止むを得ず、カナはどうにかこの場を離脱出来ないかと、吉三郎から距離をとっていく。
「……やれやれ、本当に冷静さを取り戻しちゃったみたいだね。つまんない……」
吉三郎はそんなカナを視界から外し、彼女から興味を失くしていく。弐条城の方に意識を移し、ニンマリとした表情を浮かべていた。
「まっ……いいさ。ボクだって、今更君如きに構ってる暇はないんだ」
「……」
「もうすぐ始まるこの戦のクライマックスを、特等席で見届けなきゃならないんだからね!」
彼がそんなことを呟いたそのとき——いよいよ、城が崩れてしまいそうな勢いで振動を始める。
「なっ……! この揺れは?」
「おっ!? 始まる、始まるよ!!」
これまでにない勢いの揺れにカナが困惑し、吉三郎が興奮気味に叫ぶ。
どうやら、もう本当に時間が残されてなさそうだ。
——リクオくん……間に合わなかったの?
鵺復活の予兆。幼馴染のリクオは間に合わなかったのかと、カナは彼の安否が気になった。
果たして城の中でどのような戦いが繰り広げられているのか。今のカナにはそれを確かめる術も、時間もない。
「やれやれ……山ン本さん主導の計画であまり気乗りはしなかったけど。ここまで来たら、やっぱ最後まで見物しておきたいしね……」
「山ン本……?」
ふいに、吉三郎が何かを気に入らなさそうに呟いていた。その言葉に思わず耳を澄ましてしまうカナだが、同時にそこに吉三郎という妖怪の隙を見出した。
——今だ!!
少女を抱えている関係上、激しい戦いはできない。だからこそ、交戦を避けることのできるこのタイミングを逃すわけにはいかなかった。
「お姉ちゃん!?」
「しっかり、掴まっててね!!」
カナは神足の最大速度でその場から飛び去っていく。
念の為、吉三郎の攻撃——あの耳障りな音響攻撃を想定し、心構えをする。だが、彼がこちらに攻撃を加える素振りはない。
完全にカナのことなど眼中にないのか、逃げる彼女の方を振り返ることもなかった。
「くっ……!」
憎い仇に意識すらされない。そのことを屈辱に感じながらも、カナは急いでその場を離れていく。
早く安全な場所まで、少女を無事に避難させる。
それこそが今の自分の役割だと。自らに必死に言い聞かせることで、カナはこの場で吉三郎と戦う選択肢を回避していた。
「——さて、そろそろボクも避難しよっかな」
一応、逃げていくカナのことを意識していた吉三郎だが、特に追おうとも攻撃を加えようとも思わなかった。
彼はこれから始まるラストバトル。この千年魔京で繰り広げられることになる奴良組と京妖怪——奴良リクオと羽衣狐の戦いに夢中になっていたからだ。
あくまで観戦者を気取るべく、間も無く戦場となる弐条城からは彼も距離を置いていく。
「さあ、奴良リクオ……君にとって色々と因縁深い相手かも知れないけど……せいぜい派手に立ち回ってボクを楽しませてくれよ、ハッ、ハハハハハ!!」
リクオにとって、『羽衣狐』という存在がどういうものなのか。
それを正しく認識した上で、彼は口元に酷薄な笑みを浮かべ、静かにその場から立ち去って行った。
×
「——かつて、人と共に闇があった」
黒い球体と共に弐条城上空に浮上した美しい女——羽衣狐。
彼女はその場に集った京妖怪を始め、江戸や遠野から来た妖たち。その全てに語りかけるよう言葉を発していた。
「妾たち闇の化生は、常に人々の営みの傍に存在していた」
闇の化生である妖怪たち。現代文明が発展するにつれ人々は妖怪など信じず、自分たちの存在そのものを遠ざけるようになった。
だが、妖怪たちはいつだって人々のすぐ側に寄り添っていた。
人間も、常に妖たちに見られていることを意識し、決して自らの領分を侵さず、きっちりと棲み分けができていた。
昔は——確かに人と妖は共生していた筈なのだ。
「……けれど、人は美しいままに生きてはいけない」
羽衣狐の嘆くような声が聞くものの心を震わせる。
「やがて汚れ、醜悪な本性が心を占める。信じていたもの、愛していたものに何百年も裏切られ、妾はその度に絶望した」
人間の生き肝を喰らったり、無意味に殺したり。人間に対する残虐な行為が目立つ羽衣狐だが、彼女にだって人を愛していた時期があった。
人を愛したが故に、人との間に子供を——安倍晴明という最愛の一人息子を授かったのだから。
だが、そんな人間たちへと向けた愛情も——全て裏切られた。
愚かな人間は自重を忘れ、容易く闇の領分を侵すようになった。
不老不死などという、壮大な夢を見るようになった愚者が羽衣狐を殺し、その生き肝を材料に薬を作れと。他でもない彼女の息子である安倍晴明に命じたのだ。
それに心底絶望した晴明と羽衣狐。彼らはそのときから誓ったのだ。
「妾は、いつしかこの世を純粋なもので埋め尽くしとうなった」
彼女の口にする純粋なものとは——黒一色。闇の化生である自分たち妖怪のことである。
「それは黒く、どこまでも黒い。一点の汚れもない……純粋な黒」
妖は人間などとは違い、決して醜く堕落したりはしない。
いつまでも黒いままでいられる妖怪こそが、この世を統べるのにふさわしいと。
羽衣狐は長い時のなかで、いつしかそう考えるようになったのだ。
「この黒き髪、黒き眼。黒き衣の如く完全なる闇を……」
彼女の今の依代の姿も、その『全てを黒く染める』という、彼女の思想を反映していた。
彼女は生まれたままの姿から、黒き衣装を身に纏い、配下の京妖怪たちに毅然と命じる。
「さあ、守っておくれ。純然たる闇の下僕たちよ。我が愛しき子、晴明を……」
『——うぉぉおおおおおおおおおおおおお!!』
羽衣狐の願いに呼応するように、鬼童丸の敗北で一度は勢いを失いかけていた京妖怪たちが活気づく。
自分たちの主・羽衣狐。そして——産まれ落ちた真なる百鬼夜行の主、安倍晴明のために尽くそうと。
闇に息づくものたちが、一斉にそれを邪魔せんとする敵対者たち。
奴良組と花開院家に襲い掛かってきた。
——守れんかった……。
羽衣狐の登場により、京妖怪が勢いづく。
彼女が黒い球体・鵺と共に現れたことで、花開院ゆらは敗北感に打ちひしがれていた。
——京都を……鵺を止められへんかった……。
本当であれば鵺が産まれる前に、羽衣狐が出産で動けない状態のところを仕留める必要があったのだ。
だが、羽衣狐は無事出産を終え、万全の態勢で自分たちの前に顕現してしまう。
そして、京妖怪の宿願である鵺らしき物体——黒い球体も徐々にその姿を『巨大な赤ん坊』のようなものに変え、この世に産まれ落ちてしまった。
——じいちゃん、みんな……ごめん!!
ゆらは自身の不甲斐なさ、かの者の復活を止めることができなかったことを、この戦いで傷つき、犠牲になった祖父や仲間たちに心の中で詫びる。
自分たちがもっとしっかりしていればと、挫折感から彼女が膝を折ろうとしたところ——
「『守れ』ってのは……どういうことだ?」
「奴良くん……?」
「鵺ってのは、戦えねーのかい?」
奴良リクオが羽衣狐の発言に純粋な疑問を抱く。鵺の復活を目の当たりにして、彼はまだ諦めていない。
冷静に状況を見極め、まだチャンスがあるのではと。未だに戦意を滾らせ、前だけを向いている。
「そ……そーや! きっと守れってことは……まだ無理なんや!!」
ゆらの式神である秀元。
彼もゆらのように諦めムードを漂わせていたが、リクオの言葉に何かに気づいたように声を上げる。
「あの状態はまだ完全やない! 鵺は本来、人なんやから!!」
得体の知れないものとして伝わっているが、鵺の正体は安倍晴明だ。
彼は羽衣狐と人との間に生まれた半妖。力がどれだけ化け物じみていても、その姿が大きく人から外れることはない。
あの巨大な赤ん坊の姿は——彼の真の姿ではない。
「まだ止められる! その袮々切丸と……破軍さえ、あれば!!」
その言葉で、崩れ落ちようとしていたゆらの体に再び力が入る。
——止められる? わたしと……奴良くんなら!!
そう、まだだ。まだ終わってなどいない。鵺の復活がまだ完全でないなら止められる。
自分の『破軍』と、奴良リクオの『祢々切丸』なら。
今一度羽衣狐を倒し——鵺の復活を阻止することが。
ゆらの瞳に、再び希望の光が灯る。
だが、そうはさせまいと。
羽衣狐の「守っておくれ」という言葉に呼応した闇の化生どもが、リクオとゆらの進軍を阻止すべく動き出す。
「——!!」
鬼として、鬼童丸と共に羽衣狐たちの理想世界建設にその身を千年捧げてきた茨木童子が二人の背後から音もなく忍び寄る。
その刀——『仏斬挟』で大将の首を刈り取ろうと、容赦なく襲い掛かる。
「リクオ様を——守れ!!」
その動きを、茨木童子の相手をしていた首無が止める。
そして彼は仲間たちに自分たちの勝利の要である奴良リクオ、花開院ゆらを守れと叫んだ。
「——!!」
「——!!」
「——!!」
「——!!」
首無の言葉に鵺の誕生に気圧されていた、奴良組や遠野の面々がハッと表情を引き締め直す。
そうだ、まだ自分たちは終わってはいないと。
リクオたちに活路を開かせるため、道筋に立ち塞がる敵を打ち倒すべく畏を滾らせる。
「まーるたけえべすにおしおーいけー♪」
しかし京妖怪側も必死だ。駆け出そうとするリクオとゆらの眼前に巨大な敵が立ち塞がり、その進路を妨害する。
京都の通り名の唄を口ずさみながら現れたのは、幼女の姿をした狂骨。
彼女は巨大な骸骨——がしゃどくろの頭部に乗り、鵺ヶ池のあった地の底から這い上がってきた。
「羽衣狐様の積年の夢……やぶらせるわけにはいかない!!」
彼女にとって、正直鵺の復活など二の次。お姉様と敬愛する羽衣狐の夢を守ることこそ使命。
少女は全力で、その身を羽衣狐に捧げるのみであった。
「——ゆら! 上まで一気に行くぞ! しっかり、ついてこい!!」
そんな激しい京妖怪の抵抗にも屈せず、多くの仲間たちに守られながら、奴良リクオは羽衣狐に袮々切丸の刃を届かせるために走る。
だが、自分一人ではない。破軍の助けも必要だと、リクオは花開院ゆらを叱咤することも忘れない。
「ハァッ、ハァッ……!! わ、わかってる……!!」
リクオに遅れをとるまいと、息を切らせながらゆらも走る。
一度は諦めかけていた心をもう一度奮い立たせ、彼女はリクオの背中に必死に喰らいついていた。
——守るんや、京都を! それが……陰陽師の使命なんや!!
それこそ陰陽師が存在する意味。
狐の呪いに侵されて尚、先祖代々の血を絶やさずに守り続けてきた花開院家の血筋が成すべきこと。
ここでやらねばいつやるのだと。ゆらは再び、陰陽師としての使命感を総動員する。
全ては羽衣狐の打倒。
そして安倍晴明復活阻止のため、彼女は足を前に踏み出していた。
そう、これはゆらだけの問題ではない。
京妖怪との決着は——陰陽師・花開院家に関わるもの、すべての悲願でもある。
「————」
だからこそ、彼も動き出す。
ずっと気配を殺して機会を窺っていたのか、彼はその場に——羽衣狐のすぐ側に唐突に現れる。
「……なんじゃ、お前は」
その相手に羽衣狐は酷く不愉快そうであった。
もうすぐ始まる親子の再会、妖たちによる宴のような百鬼乱戦。
そこを、無粋そのものともいえる、人間如きに水を差されることとなったのだから。
『——羽衣狐。京都を守るため、お前を討つ!!』
そう叫んで姿を現した陰陽師は、花開院秋房。
妖刀作りの天才、既に一度は羽衣狐の配下にすら屈した筈の男。
禁術・憑鬼術に再び身を染めた『灰色』の陰陽師である。
×
「…………」
眼前の槍を構えた男相手に、羽衣狐は暫し考える。
『はて? この男は……誰だったか?』と——。
以前、螺旋の封印攻略の際。彼女は目の前の男と鹿金寺で一度対面したことがあった。
そのときは、その男の鬼のような執念に関心し、手駒としてこき使ってやろうと鏖地蔵にその肉体を操らせもしたが。
正直——その男のことはそれっきり、忘れていた。
『京都を破壊され、街を妖に跋扈され、このままでは花開院家は終われないのだ!!』
羽衣狐がその男のことを思い出せない間も、彼は何やら口上を垂れながら襲い掛かってくる。
「…………」
羽衣狐が思案に耽りながらも、彼女の九つの尻尾が彼の『敵意』に反応してオートで迎撃態勢をとる。
それが羽衣狐の尾の特性だ。並の相手であれば、彼女はわざわざ意識を向ける必要もなく、その尻尾だけで相手の首を刎ねることもできる。
『正義のために……この街のために……私はこの禁術に再び身を染める!!』
だが男は羽子狐の尻尾を無理やり押し除け、まるで痛みなど感じていないかのように突貫してくる。
さすがは手練れの陰陽師。少なくとも、自動迎撃だけで討ち取れる相手ではないらしい。男は羽衣狐の体に直接刃を届かせる場所まで肉薄する。
「ああ……またお前か」
その鬼気迫る勢い、正義などという戯言に羽衣狐はそこで彼が花開院秋房——かつて、自分を討ち取ろうと躍起になっていた陰陽師だと思い出す。
もしも、あのときのように時間が余っていれば羽衣狐も適当に相手をして遊んでやったかもしれない。
しかし、もう晴明完全復活の瞬間が差し迫っている状況。
また、彼女自身もひどく飽きやすく、少なくとも同じ『おもちゃ』で二度も遊ぶ趣味を羽衣狐は持ち合わせていなかった。
「飽きたおもちゃは——いらんぞ」
次の瞬間、自らの意思でほんの少し力を込めて羽衣狐は尻尾を振るう。
それだけで秋房の体は容易く貫かれ、その肉体に風穴が空く。
『ガハッ……グハッ!?』
どす黒い液体を吐き、苦悶の表情を浮かべる秋房。結局その刃どころか、流れ落ちる血の一滴すら、羽衣狐に届くことなく男は絶命する。
「玉砕覚悟か? 哀れな男だ。お前の出番はとっくに終わっていたのにのう?」
羽衣狐の顔に笑みが浮かぶ。
理想に燃えていた男が己の身の程を知らず、なんとか自分に一矢報いようと捨て身の体当たりで死んでいく。
そこだけを切り取れば、なかなか滑稽で面白い絵面だと。
その散り際だけは、羽衣狐も微笑みで見送る。
「——秋房義兄ちゃん!?」
階下から、その一部始終を見届けていた彼の仲間・破軍使いの少女が悲痛な叫び声を上げる。
羽衣狐の意識も、声を上げた少女の方に向けられる。
「……破軍使い」
そうだ。羽衣狐にとって並の人間など所詮敵ではない。
彼女が敵として認識する陰陽師など、四百年前に自分を討ち取ったぬらりひょんに手を貸した男・十三代目秀元。今や式神である彼を使役する破軍使いの少女・花開院ゆらくらいのものだ。
破軍使いだけは油断できぬと。羽衣狐の意識がそれを扱う少女の方へと向けられた——その瞬間。
『走れ 狂言』
どこからともなく響いてきた声とともに——秋房の体が液体となって崩れていく。
「なに? 水じゃと!?」
これには羽衣狐も虚を突かれた。
殺したと思った相手は水の塊、人間ではなかったのだ。その真っ黒い水は羽衣狐に張り付くようにまとわり付き、その全身を濡らしていく。
「——やはり秋房の戯言は効く」
してやったりとばかりの声を響かせ、男が一人その場に姿を現す。
その男の名は——花開院竜二。
羽衣狐に『早世』の呪いをかけられた、花開院家本家の長男である。
「——り、竜二兄ちゃん!?」
実の兄の登場にゆらも驚く。
いつの間にか別行動をとっていた兄が、まさかこのような形で参戦して来るとは。
喋る水の猛毒——式神・狂言。わざわざ秋房の姿でカモフラージュする狡猾さなど、どこまでも兄らしい手管に感心するしかない。
「ゆけ、魔魅流」
さらに竜二の策はそれで終わらなかった。彼は元の水に戻った狂言で羽衣狐の動きを封じ、その背後からもう一人の陰陽師・花開院魔魅流が仕掛ける。
「学べよ……魔魅流。水と雷」
これぞ式神融合、竜二の『水』と魔魅流の『雷』。完全に相手の虚を突いた二人のコンビネーションは、歴戦の強者である鬼童丸にすら通じた一撃である。
この攻撃で羽衣狐を討ち取るという意志の下、二人の決意の一撃が羽衣狐に直撃する——かに思われた。
「……クスっ」
「ぐっ!」
余裕の笑みを崩さぬまま、羽衣狐は尻尾で魔魅流を払い除ける。いかに虚を突いたとはいえ、相手はあの羽衣狐。そう簡単に倒せるわけもなく、軽く一蹴されてしまう。
「!! 魔魅流……」
「なんじゃ……お前は? 妾を騙そうとしたのかえ?」
魔魅流がダウンし、羽衣狐は竜二に目をつけた。至近距離で相まみえる、呪詛を『かけた者』と『かけられた者』。
羽衣狐は呪いをかけた秀元の子孫になどそこまで関心を持ってはいなかったが、自分を騙そうとした竜二の存在には目を引かれた。
「ウソをつく陰陽師か。今度はお前が楽しませてくれるのか?」
少なくとも、玉砕覚悟で突っ込んでくる秋房の偽物などよりは興味を抱かせてくれる。
ここから自分をどうやって楽しませてくれるのかと——暇つぶしの余興相手として、竜二に問い掛ける。
「……あん? 何言ってんだ」
しかし、羽衣狐同様。竜二もまた笑みを浮かべて彼女と向き合う。
その笑みが決して強がりなどではない。
企みが成功した——策士の『それ』であるということに。彼を見下していた羽衣狐が気付くことなかった。
「こっちは……お前と戦う気なんて毛頭ないんだが?」
「なに……?」
竜二の呟きに羽衣狐が疑問符を浮かべたそのとき——
「——羽衣狐様! うしろぉぉっ!!」
下から聞こえて来る、配下の少女の声に羽衣狐は後方を振り返っていた。
「——なっ? あ、あれは……!!」
最初にそれに気付いたのは、羽衣狐をお姉様と慕う狂骨であった。
距離がある場所から、主である羽衣狐のご尊顔をチラリと拝見しようと空を見上げたそのときに、彼女は気付いてしまった。
羽衣狐の後方。
その後ろの巨大な赤ん坊・『鵺』の上空に浮かぶ『封印の杭』の存在に——。
あれは陰陽師たちが京妖怪を都から退けるため、妖怪の妖気を利用した『螺旋の封印』を構築する際に使われる妖気の流れに蓋をする『栓』だ。
あの杭に押し込められれば最後。いかに強大な妖力を持つ者でも自力での復活は困難。がしゃどくろや土蜘蛛でさえ、何百年と地の底で埋まっていることとなったのだから。
その杭で、不完全な状態の鵺を封じようというのだ。あの陰陽師は——。
「!? 貴……様……」
狂骨の叫び声に杭の存在に気づいた羽衣狐。
咄嗟に竜二の行動を阻止しようと動き出す彼女だが、一歩遅かった。
「中央の地脈に巣食う妖よ。再び京より妖を排除する封印の礎となれ……滅!!」
既に羽衣狐が気付いた頃には詠唱が完成しており、振り下ろされた杭が——無防備な鵺に向かって振り下ろされていた。
「なっ…………せ、せいめい?」
杭が突き刺さったのか。土煙が上がり、鵺の姿は見えなくなってしまう。最愛の息子の復活、それをこんな破軍使いでもない陰陽師に阻止され、茫然と立ち尽くす羽衣狐。
そんな彼女に向かって、花開院竜二は冷酷に吐き捨てる。
「ふん、俺はお前がこちらに気を取られる、一瞬の間が欲しかっただけだ……」
「ば、馬鹿な……」
「そ、そんな……うそ……だろ?」
「やっ、やった!!」
「陰陽師のヤロー! 鵺を封印しやがった!!」
竜二の仕出かした所行に、敵味方問わずに驚きの声が上がる。
京妖怪からは当然、悲痛な叫び——。
奴良組からは称賛の声が——。
それぞれの陣営から両極端な感情が渦巻く。誰もがこの場における最大の焦点——『鵺の安否』に目がいき、戦いの手が止まる。
その場の全員が息を呑む中、立ち込めていた土煙が晴れ渡り——。
「——あっぶねぇ」
そこには差し迫る杭を押し除ける巨大な妖怪・土蜘蛛の姿があった。
彼の手によって、身動き出来ない状態の赤ん坊はしっかりと守られていた。
「つ、土蜘蛛!!」
「なっ……!?」
これによりさらに場が騒然となり、竜二は自らの策が破られたことに言葉を失う。
土蜘蛛は——リクオとの戦い以降、鵺が復活するまで「寝る」と吐き捨て、弐条城から距離を置いていた。
同じような高さの建物から、弐条城の全体を俯瞰して高みの見物を決め込んでいた彼だが、鵺の危機に慌てて駆けつけ、竜二の企みを阻止したのである。
別に彼は羽衣狐の味方でもなく、本当に余計な横槍を入れるつもりはなかったが、鵺が封じられるというなら話は別である。
土蜘蛛はもとより、鵺ともう一度やりあうために京妖怪に与していたのだ。その復活を阻止されることだけは、なんとしてでも防ぎたかった。
「羽衣狐さんよ、子供から目を離すなよ……母親だろ」
自身が手助けしなければ危うく鵺は封じられ、全てが台無しになっていたかもしれない。
土蜘蛛は鵺の復活を望むものとして、羽衣狐の迂闊さに呆れたため息を溢していた。
「——陰……陽師……!」
鵺が無事だったことに安堵するのも束の間。
羽衣狐は憎悪のこもった瞳で狼藉を働いた陰陽師・花開院竜二を睨みつける。
過去、これほどの怒りと憎しみを抱いたの四百年ぶり。宿願をぬらりひょんと秀元に阻止されたとき以来である。最愛の息子に手を出されたこともあり、羽衣狐のハラワタはかつてないほどに煮え滾っていた。
認めよう、この男は油断できない。
目の前の陰陽師は羽衣狐の手で殺す価値のある、憎むべき敵だと。
彼女は全力で竜二を葬り去ろうと、殺意の矛先を彼に向ける。
「ちっ……」
羽衣狐から完全に敵と認識されてしまった竜二。相手の油断を誘い、言葉巧みに他者を翻弄することを得意とする彼からすれば、かなり不本意な状況だ。
才能のない自分が、羽衣狐相手に一対一で真正面から戦って勝てるわけがないと。彼自身が誰よりも自覚している。
鵺の復活を阻止することこそ、彼の最大の秘策にして、最後の策だった。
既に万策つき、彼は成す術もなく羽衣狐に殺されようとしていた——その瞬間。
竜二の体を貫かんと迫る九尾の尻尾。
その全てを——無数の刃を持って、防ぐものが二人の間に割って入る。
「——逢いたかったぜ、羽衣狐」
「貴様……その顔っ……!!」
互いに至近距離で睨み合う、百鬼の大将たち。
それは互いに因縁を帯びた、宿命の会合でもあった。
奴良リクオ。
鏡花水月で周囲の目を晦ましながら、ついに羽衣狐のところまで駆け上がって来た。
彼にとって羽衣狐は父親・奴良鯉伴を殺した女。
また、人と妖怪との共存を望むリクオにとっても、決して相容れない思想を押し付けてくる相手だ。
羽衣狐。
彼女にとってリクオはあのぬらりひょんの孫。
自分たちの宿願を根本から台無しにし、今また同じ顔で自身の眼前に現れた。
視界に収めるだけでも不愉快な相手。何故、妖上位の世界を作ろうとしている自分たちの邪魔をするのか、それすらも理解できないような相手だ。
互いに相容れぬ敵同士。
四百年の因縁の果てに——ついに両者はこの千年魔京で激突する。
二人が————決して傷つけあってはいけない、間柄であることに気づかぬまま……。
次回予告タイトル(仮)
『四百年の因縁、三百年ぶりの再会』
あくまで仮タイトルですが、今回はそれだけを呟いて話を締めさせていただきます。