家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

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半沢直樹が見たい。

最近になってあのドラマのことが頭から離れない。けど、一期の方も二期の方も、当時は特に興味がなかったので目を通してなかった。
せめて、今後の二期の後半は目を通しつつも、何とか一期から見直す方法を探していこうと思う。
ブルーレイでも買ってこようかな……。

さて、今回の宿命編ですが、後半と銘打っていましたが少し予定が変わり、あと一話ほど追加するつもりです。
今回の話の内容が『山吹乙女の記憶』を中心にすることに変わりはありませんが、さらにあと一話、『〇〇たちの記憶』を追加する予定です。

〇〇たちが誰なのか、後書きで答え合わせします。


第八十五幕 宿命ー山吹乙女の記憶

『——君は……誰だい?』

『——わ、私の名前……ですか?』

 

 宿命・過去の映像の中で奴良鯉伴が山吹乙女に名を尋ねていた。

 そのあばら屋での出会いが初対面だったらしく、二人の距離感はまだぎこちない。

 

「鯉さん……乙女先生……」

 

 二人のその対面を、宿命の術者でもある家長カナが感慨深い眼差しで見つめている。二人の関係を知っているだけに、その出会いが彼女にはとても眩しいものに見えていた。

 

「…………」

 

 もう一人の傍観者である羽衣狐だが、彼女は意外にも眼前の場面に沈黙を貫いていた。

 彼女にとっては何の思い入れもない光景だが、興味がないわけではないようだ。

 

 自分と同じ顔をした女性と、憎きぬらりひょんの息子。

 その二人がいったいどのような関係になるのか、最後まで見届けるつもりだ。

 

 

 

 

『……ごめんなさい、私には貴方に教えられるような名前がないんです』

『何だって?』

『私……昔のこと、何も覚えていなくて……』

 

 鯉伴の問い掛けに山吹乙女である筈の女性は申し訳なさそうに頭を下げている。

 どうやら、この時点で彼女は『山吹乙女』とは呼ばれていなかったようだ。

 

『…………』

『…………』

 

 名称不明の謎の女性。そんな彼女と向かい合い、鯉伴にしては珍しく気まずげに立ち尽くしている。

 

『——お~い!! 先生、何してんだよ!!』

『——早く今日の授業始めてくれよ~!』

 

 すると、そんな二人のもどかしい沈黙を破るかのように陽気な声が響く。

 その声に振り返ると——そこには小さな妖たちがワラワラとあばら屋に屯っていた。

 

 鯉伴にも見覚えのない小妖怪たち。おそらく、はぐれものの妖たちだろう。

 

『ああ、はいはい、すぐ行きますから……』

 

 その小妖怪たちから『先生』と呼ばれたその女性は、そんな見るからに化け物な彼らに怯える様子もなく、彼らの下へと小走りで駆け寄っていく。あばら屋には机や椅子が申し訳ない程度に置かれており、そこに無秩序ながらも小妖怪たちが集まって座り込んでいた。

 

『それじゃ……この間の続きから——』

 

 すると、その女性は妖たち相手に何やら講義を始めていく。先ほど先生と呼ばれていたように、どうやらここで妖怪たち相手に学問を教えているようだ。

 

『ほう、おもしれぇことしてんな……あの娘さん』

 

 物珍しげな光景に鯉伴は好奇心を刺激され、ひっそりとその授業を見学していくことにした。

 

 

 

 

「……なんじゃ、あの娘。えらく珍妙な女じゃな……」

 

 その光景に対して、傍観者である羽衣狐も思わず呟く。

 小妖怪たち相手にあの娘は寺子屋を開き、学問——古歌や古文を教えている様子だ。これには千年以上の時を生きる大妖怪もびっくり。あんな小妖怪相手にそんなもの教えたところでどうなるのかと、思わず突っ込まずにいられないようだ。

 

「ふふ、先生ってば……この頃から先生なんて呼ばれてたんだ……」

 

 家長カナもこれには苦笑いだった。

 彼女自身、前世では乙女の寺子屋で色々と教わっていたが、まさかこんな頃から小妖怪たち相手に授業を行なっていたとは思いも寄らなかった。

 どうやら、乙女にとって『先生』という職種こそが天職だったのかも知れない。そんなことを呑気に考えるほどだ。

 

 

 だが、二人がそれぞれ感想を抱いている間にも、景色は暗転していく。

 

 

『——ほう、ってことはなにかい? アンタには……人間だった頃の記憶がないと?』

『はい、お恥ずかしいことですが……』

 

 雨が降り止み、授業も終わったのか。ひっそりと静まり返ったあばら屋で鯉伴と女性が二人っきりで話し込んでいた。そこで鯉伴は娘から事情を聞き、彼女が何者なのかを知る。

 

 妖怪たち相手に恐れず授業をしていたことから分かるよう、彼女は妖怪のようだ。だが、生前は確かに人間であったらしく、若く亡くなった未練から亡霊としてこの世を彷徨っているとのこと。

 即ち——『娘幽霊』の妖怪ということだ。

 生前はそれなりに裕福な武家屋敷の生まれとのことで、和歌や古歌に造詣が深いとのこと。

 しかし、自分が人間だったことまでは覚えているのだが、いったいどのような未練があったか、自分の名前と言った肝心なことは思い出せないらしい。

 

 彼女は気が付いたときには妖怪となっており、特に行く当てもなく彷徨い、このあばら屋に辿り着いたとのこと。

 

『なるほど……それで、こんな場所で寺子屋の真似事ってわけかい……面白いな、アンタ!』

 

 娘の境遇を聞き、失礼とも思ったが鯉伴は率直に面白いと感じていた。

 彼女はそのあばら屋で初めて自分と同じ妖である小妖怪たちに出会ったとのこと。彼女が小妖怪と知り合ったとき、彼らは人間たちに虐められて怪我をしていた。彼女はその傷を手当てしてやり、彼らの面倒を見てやった。

 そうこうしているうちに、彼女は小妖怪たちに懐かれ、次第に『先生』などと呼ばれるようになったらしい。

 

 それから——彼女はこのあばら屋で定期的に寺子屋を開くようになり、学問を教えるようになったという。

 

『なぁ……もしよければ、その寺子屋ってやつに今後は俺も参加させちゃくれねぇか?』

『えっ……?』

『アンタが妖怪相手にどんな授業をするのか……俺も聞いてみたいぜ』

 

 妖怪というのはわりと飽きっぽく、よっぽどの変わり者でなければ学問なんて小難しいもの長続きしない。実のところ鯉伴も子供の頃は勉学というやつが苦手で、よく先生役の目を眩ましては逃げ出したものだ。

 

 しかし、この娘の授業は受けてみたい。そう思わせる何かが——彼女にはあった。

 きっと、他の妖怪たちも同じ気持ちでこの娘を慕っているのだろう。

 

『え、ええ……構いません』

 

 鯉伴の提案に、少し戸惑いつつも娘は笑顔で答えた。

 その日から——鯉伴は足繁くそのあばら屋の化け物屋敷に通うようになっていく。

 

 

 そうして、場面が暗転していく。

 

 

 翌日も、その翌々日も。鯉伴は毎日のようにあばら屋で開かれるその娘の授業を受けていた。小妖怪の中に混じる、一人だけ大きな妖怪に最初こそ多くのものたちが戸惑っていた。だが鯉伴の飄々とした態度、和やかに場を盛り上げる彼の人柄に小妖怪たちも気を許していく。

 そして、娘も——鯉伴の人柄に自然と惹かれていき、二人は親睦を深めていった。

 

 

 だが、そんな楽しくて穏やかな日々も——ある日唐突に終わりを告げる。

 

 

『——酷ぇな……こりゃ…………』

 

 その日は出会ったときと同じように雨が降っていた。そして鯉伴もいつものようにあばら屋を訪れていた。

 

 ところがあばら屋が、あれだけ多くの妖たちで賑わっていた憩いの場所が——完膚なきまでに破壊されていたのだ。

 元々ボロボロで、かろうじて屋敷としてのを体裁を保っていた場所が、足を踏み入れることができないほどの廃墟と化していた。

 

『…………』

 

 その廃墟の前で、顔を伏せて立ち尽くす娘の姿があった。

 鯉伴はできるだけいつも通りに声を掛け、何があったのかを問いただす。

 

『——化け物屋敷はおっかないって……村の人たちが……』

 

 彼女の話によると、近くの村々に住む人間たちの手によって、あばら屋は解体されてしまったらしい。人間たち曰く『化け物たちが集まっていて気持ち悪い』とのことだ。

 どうやら、娘の開く寺子屋で小妖怪が集まっていたその光景に、人々は薄気味悪いものを感じていたらしい。

 元からこの場所が化け物屋敷として恐れられていたこともあり、下手に妖たちが集まって悪さをしないよう、彼らなりに先手を打ったというところだ。

 憩いの場所が失われ、小妖怪たちも散り散りになってしまったらしい。

 

『…………私の、せいで…………』

 

 娘は、それを自分のせいだと己自身を責めていた。

 自分が寺子屋などを開いて余計な騒ぎを起こしていたから、人間たちから目をつけられこの場所を失ったのだと。

 

『アンタのせいじゃねぇ……』

 

 だが鯉伴はそれを否定した。

 君のせいじゃないと娘に優しく寄り添い、彼女を慰めるようにそっとその頭を撫ででやる。

 

『う……う、うぅう……………!!』

 

 その優しさに堪えていたものが溢れ出す。

 彼女を鯉伴の胸で泣き崩れ、鯉伴も黙って娘を抱きとめる。

 

 

 

 

『なあ……アンタ、俺と一緒に来ないか?』

『えっ……?』

 

 鯉伴は娘が泣き止むのを待ち、意を決してその言葉を口にしていた。彼のまさかの言葉に娘は目を丸くしている。

 

『俺……自分でこんなこと言っといて何だが……今、結構緊張してる……』

 

 鯉伴という男は捉え所がなく、いつだって他者を振り回し、常に飄々としている。

 だがこのときの鯉伴にはそのような余裕がなく、彼は——真剣な眼差しで真っ直ぐに娘を見つめている。

 

『このまま……アンタとサヨナラなんてごめんだ。そうなるくらいなら……俺の下で一緒に暮らさないか? いや……もっとはっきり言った方がいいかもしれねぇな……』

 

 彼は、一度は無難な言葉で終わらせようとしたが、自分の気持ちに正直になり、男としての一世一代の大勝負に打って出る。

 

 

『俺はアンタが好きだ……俺と、結婚しちゃくれないか?』

『…………へっ? け、けっこんって……け、結婚ですか!?』

 

 

 一瞬、何を言われたのかも分からずに固まる娘。だがその言葉の意味を理解したことで、瞬時に顔を真っ赤に染めていく。

 

『そ、そんな……結婚なんて……私、自分が何者かも分からないのに……名前だって……』

 

 どうやら、彼女自身も鯉伴のことを好いているようで、彼からの告白には満更でもない様子。

 だが自分の正体が不明であること、名前もないことに負い目を感じているのか、その好意を素直に受け止められないでいる。

 

『名前……名前か。そうだな……』

 

 すると鯉伴は少し考え、やがて何かに目を止めそっとその名を呟く。

 

『山吹……ってのはどうだい』

『えっ? 山吹……あのお花の名前ですよね?』

 

 彼の口にした山吹というのは、このあばら屋の裏手に咲き誇っている美しい花々の名である。彼と一緒に周囲を散策したときなど、二人で一緒にその花を愛でたこともあったが。

 

『いつも思ってたよ、あの花の気品と美しさ。まるでアンタみたいだって……』

『そ、そんな、わたし……私なんて……』

 

 そんな台詞を堂々と口にする鯉伴に娘は恥ずかしそうに謙遜するが、もう鯉伴の目には彼女——山吹乙女しか見えていない。

 

『だから、アンタの名前は山吹だ……山吹乙女だ』

『山吹……乙女ですか?』

『ああ、山吹のように美しい女……ってことだ』

 

 山吹だけでは味気ないと思ったのか、乙女という可愛らしい名前をつけ、さらに距離を詰めていく鯉伴。

 ぬらりくらりと、掴み所がないのがぬらりひょんという妖怪の特性だが、このときの鯉伴の意思はもうきっぱりと決まっていた。

 

 後はその気持ちを全力でぶつけるだけだと、何度でも彼はその言葉を口にする。

 

『結婚してくれ、山吹乙女! 俺と……一緒になってくれないか?』

『……!!』

 

 これで、もう名前のない誰かではない。そう強調するよう、鯉伴は彼女の名前を堂々と告げる。

 娘は自分に『山吹乙女』という新たな名が付けられ、当然のように戸惑っている。

 

 だが、ついに観念したのか。

 恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに口元を緩め、鯉伴の申し出にゆっくりと頷く。

 

 

『は、はい……ふつつか者ですが、よろしくお願いします』

 

 

 こうして、その日から娘幽霊は山吹乙女となり——同時に、彼女は鯉伴の妻となった。

 

 

 

×

 

 

 

「なんとも強引な男じゃのう……」

「……そ、そうですね」

 

 男女が一緒になるという、恥ずかしくも微笑ましい現場を羽衣狐と家長カナの二人は見ていた。

 さすがに羽衣狐はそういったことに慣れているのか、率直に鯉伴という男の強引さに平然と呆れ、一方でカナは衝撃の告白現場に恥ずかしさからか顔を手で覆っている。

 未だに男女の、そういった感情の機微に無自覚な彼女にとって二人の馴れ初めは少し刺激が強すぎたのか。

 

 ——そ、それにしても……二人とも、とっても幸せそう……。

 

 しかし、指の隙間からしっかりと覗き見る光景からは、鯉伴と山吹乙女の仲睦まじい姿が見えていた。一緒になると決めた二人は互いに手を取り合い、微笑み合いながら共に帰り道を歩いていく。

 今後の二人の末長い幸せ、そんな未来が予見できる素晴らしい後ろ姿だ。しかし——

 

 ——……あれ? けど、鯉さんと乙女先生って……。

 

 カナはここで思い出す。

 二人の幸せな生活が——決して永遠ではないことを。理由は知らないがこの後、山吹乙女は鯉伴の元を去ってしまうことを。

 いったい、それがここから何年後の未来か知らないが、あれだけ幸せそうな二人がいずれは別れなければならない運命に、カナは胸を締め付けられる思いだった。

 

 ——いったい、どうしてだろう……。 

 

 

 カナが悲しい気持ちでそんな疑問を抱いている間にも、場面は暗転していく。

 

 

『親父。俺、この人と結婚しようと思うんだ』

『…………おい、待て!』

 

 山吹乙女を連れ、さっそく鯉伴は父親であるぬらりひょんに結婚を報告していた。

 息子がいきなり嫁を連れて来たことに、さすがのぬらりひょんも驚きを隠せない。あんな綺麗な娘をどこで拾ってきたと問い詰めるが、ぬらりくらりと父親の問いかけを鯉伴は躱していく。

 結局、これといった反対意見も出なかったため、奴良組の方からも正式に山吹乙女の嫁入りが認められ、名実共に二人は夫婦となっていく。

 

『乙女……』

『はい、あなた……』 

 

 結婚式、紋付羽織袴の鯉伴と白無垢の山吹乙女が皆の前で改めて誓いを立てていた。

 

 

 そして、さらに次々と場面が暗転していく。

 

 

『俺たちの子が次の魑魅魍魎の主になる。そのときのために、俺がこの組みをでっかくする!』

 

 妻を娶ったことでか、鯉伴はかつてないほどにやる気を漲らせていた。乙女という愛する人を得たことで、男としてさらに強くなり、奴良組の勢力をさらにさらに拡大していった。

 そうした中、鯉伴は多くの信頼できる仲間を獲得していく。

 

 

『——お前さん、青田坊ってんだって? 子供たちのために振るうその怪力……いいね、気に入ったよ』

 

 青面金剛のように逞しい怪力無双の青田坊。彼の怪力と人柄を見込み、奴良組の特攻隊長として彼を勧誘した。

 

『——河童か……そういや、ウチの組にはまだいなかったな。どうだい、一杯?』

 

 その辺の河原でのんびりしていた河童に声を掛け、お互いマイペースに杯を酌み交わした。

 

『——首無、俺たちは大事な仲間を守るために戦ってんだ。そっちの方が粋だと思わねぇか?』

 

 見当違いな強さを振りかざしていた首無に、彼は自分が得てきたものを諭すように伝えた。

 

『——紀乃、いや毛倡妓か。あのときの花魁かい……妖怪になってもいい女じゃねぇか!』

 

 首無と一緒に自分を頼ってきた彼女を、いい女が増えたと喜び歓迎した。

 

『——黒田坊、この杯を受けろ!! 奴を倒すために!!』

 

 異境の淵で強敵を倒すため、江戸を守るために黒田坊の力を借りたいと願い出る。

 

 

 様々な経緯にて、多くの仲間たちと杯を交わし、組をどんどん大きくしていった。

 それにより奴良組は関東最大の勢力となり、妖怪ヤクザの頂点へと君臨するようになったのである。

 

 その大躍進は勿論、奴良鯉伴という男の器が大きかったこともあるが、それ以上に彼を影ながら支えてくれる妻の存在が何よりもデカかっただろう。

 

『——あなた、おかえりなさい』

『——ああ、ただいま』

 

 自分の帰りを待ってくれる最愛の人がいるからこそ、鯉伴は前だけを見て突っ走っていける。

 どれだけ傷だらけになっても、どれだけ満身創痍でも。最後には山吹乙女が自分を受け入れてくれると信じていた。

 

 そうやって、二人の夫婦の絆は何十年と変わらず、続いていく。

 

 そう——まったく、変わることがなく。

 

 

 

 

 

 

「…………あれ? なんだろう?」

 

 それらの栄華の日々を漠然と眺めながら、家長カナは何か、どうしようもない『違和感』に襲われる。

 次から次へと流れてくる過去の記憶は、そのどれもが眩しいほどに輝いていた。愛すべき伴侶、信頼できる仲間。全てが満ち足り、何もかもが上手くいっている順風満帆な生活。

 鯉伴と乙女、奴良組とその全てに何の曇りもないように思われた。

 

 けど何故だろう、何だが——妙な胸騒ぎがする。

 これ以上——見てはいけない『何か』がその先にあるような、漠然とした不安。

 

 しかし、宿命にカナの意思が反映されることはない。

 未だにこの力を制御下に置いていない以上、宿命はカナの意思とは関係なく見せるべき過去を、伝えるべき過去をただ写していく。

 その先に——いったい、何が待ち受けていようとも。

 

 

 場面が暗転する。

 

 

『…………』

 

 奴良組の屋敷。暗い顔で山吹乙女が一人廊下を歩いている。それまでの幸せそうな表情とは一変し、どこか思い詰めた彼女の横顔。

 ふと、彼女は眼前の部屋の前で立ち止まっていた。僅かに襖の空いた部屋、ほんのり明かりが漏れ出るその部屋の中から、年寄り妖怪たちの深刻そうな声が聞こえる。

 

『後継ぎはいつになったら出来るのか……』

『……なんだかんだと、五十年経ちますな』

 

「あっ! そっか。子供……」

 

 彼らの言葉に、カナはそれまで感じていた違和感の正体に気付く。

 そう、子供だ。一組の男女が結ばれたのであれば、自然とその二人の子供が生まれてきてもおかしくはない。話を聞く限り、乙女が嫁いで既に五十年も経っているようだし、子供の一人や二人、いてもおかしくはない筈。

 

 けれど、今までのどの場面を振り返っても二人の息子や娘らしき子もおらず、妖怪である二人はまったく変わらない姿で長い時を過ごしていた。

 

「ふん……子供じゃと? そんなもの——できる筈がなかろう」

「えっ?」

 

 すると、その疑問に対して羽衣狐が口を開く。彼女はつまらなそう鼻を鳴らし、平然とその事実だけを口にする。 

 

「ぬらりひょんの一族には妾の呪いがかけられておる。奴らの血がいつか絶えるよう『子が成せない』という呪いがな……」

「なっ——!?」

 

 その事実が何気に初耳なカナは、羽衣狐の発言に絶句する。

 

 確かに先ほどの羽衣狐の過去を覗いた際、過去の彼女の口から『呪ってやる!』という怨嗟の声が響いていたが、まさかそれがここにきて効いてくるとは思ってもいなかった。

 自分の子が成せない。まだ子供なカナでも、それは女性として——とても辛いことなのではとショックを受ける。

 

「……? でも、鯉さんも、リクオくんも普通に……あれ?」

 

 しかし、そこで疑問が浮かび上がる。

 ぬらりひょんにも、その息子である鯉伴にちゃんと子供が、リクオがいる。ぬらりひょん一族に子が成せないというのなら彼らはいったい、この矛盾はいったい何だというのだろう。

 

「ふん、じゃが……やつらは人と交わることで妾の呪いを潜り抜けてきたようじゃ。まったく……どこまでもよめぬ血よ」

 

 口惜しいといった調子で吐き捨てる羽衣狐。彼女が考察するに、どうやら人間との間であれば子供もできるらしい。

 ぬらりひょんは珱姫と。鯉伴は若菜と。

 

 彼らは人間と一緒になることで、狐の呪いを回避してきた。

 

「じゃが、妖怪同士では絶対に子は成せんよ。この狐の呪いは……絶対に消えはしない!」

「そ、そんな……それじゃあ……乙女先生は!?」

 

 だが鯉伴と乙女の二人は妖怪同士だ。妖怪同士であれば、絶対に自分の呪いから逃れることはできないと羽衣狐は豪語する。

 カナはハッと我にかえり、映し出される山吹乙女の表情に注目していた。

 

『そう……私では、実を成すことができない……』

「!! お、乙女先生……」

 

 乙女の顔色に、カナは思わず言葉を失ってしまう。

 

 一人で佇む彼女はそれこそ、あばら屋が破壊されたときと同じ顔をしていた。

 そう、自分の居場所だった大切な場所を失ったあの時と、同じ絶望の表情を——。

 

 現代であれば子供のいない夫婦などたくさんいる。多様性が重んじられるこの時代、夫婦の在り方だって人それぞれ。

 だが、彼らがいた江戸時代など、まだまだ後継ぎを残すことが重要とされてきた。

 

 子供を産めない女性は、それだけで家から追い出されるという——そういったシビアな価値観が蔓延っていた時代でもある。

 

 勿論、鯉伴がそんなことで乙女を追い出したりはしないだろう。

 しかし、彼女は天下の奴良組に嫁いだ身。組としての後継者問題を解決するためにも、絶対に鯉伴との子供がいなければと周囲の幹部たちは焦っていた。

 その焦りが乙女にも伝わっていたのだろう。彼女は——とうとう、その決断を下す。

 

 

 場面が暗転する。

 

 

『……ごめんなさい、鯉伴様……』

 

 深夜。皆が寝静まった頃合いを見計らい、山吹乙女は奴良組の屋敷から姿を消した。

 その日、いつもよりも朝早くに起きた鯉伴が彼女の不在に気付くも時既に遅し。

 

『乙女……?』

 

 彼は山吹乙女が残していった八重咲きの山吹を一枝、その傍に添えてあった古歌に目を通す。

 

『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』

 

 それは、まさに今の山吹乙女の心情を表す歌であった。

 

『——どれだけ花を華やかに咲かせても、実を成すことができない』。

 

 どれだけ満ち足りていようと、子供の成せない自分では——彼を幸せにはできない。

 そのように感じてしまったからこそ、彼女は鯉伴の前から姿を消した。

 

『乙女……!!』

 

 その日、奴良鯉伴は人知れず、誰の目にも触れらぬところで一晩中泣き崩れていた。

 

 

 

 

 

 

 

「————————」

 

 家長カナは絶句する。

 鯉伴と乙女の悲しい別れ。あれだけ夫婦仲のよかった二人がどうして別れなければならなかったのか。何故山吹乙女が現代の奴良組にいないのか。

 その疑問の答えを得て——カナはその場にて崩れ落ちるしかなかった。

 

「そ、そんな……」

 

 彼女は愕然となる。

 狐の呪いのせいでぬらりひょんの血族は妖との間に子を成すことができない。だが山吹乙女はその事実を知らず、全て自分のせいだと嘆いた。子供ができないのは自分のせいだと、結局は自分一人で背負い込み、鯉伴のためを想って身を引いた。

 その悲壮な決意に、同じ女性としてカナは胸を打たれる。

 

 だが、それ以上に彼女の心中は——途方もない罪悪感でいっぱいになっていた。

 

 

「わたし……わたし……なんて、とんでもないことを!!」

 

 

 そう、彼女は思い出していたのだ。

 前回の宿命の際、自身の過去世であったお花という少女で山吹乙女と一緒に過ごしていた頃のことを。

 先生と慕っていた彼女と交わした——とある約束のことを。

 

 

 それを思い出させるように、宿命もその出来事を再び目の前で見せつけてくる。

 

 

『じゃあさ、乙女先生。赤ちゃんは?』

『その人と乙女先生の間に、赤ちゃんはいないの!?』

 

「!? あ……ああ……!!」

 

 いつかの寺子屋。二人っきりで向かい合うお花と山吹乙女。

 それは、無邪気な子供であったお花の疑問から始まった会話だった。

 

『夫婦の仲が良いと赤ちゃんが出来るって!』

『何で仲が良いと赤ちゃんが出来るんだろう?』

 

 まったく毒気のない問いかけの筈も、先の事実を知った今ならばその言葉がどれだけ乙女の心を抉っていたことか理解できてしまう。

 そのときのお花が——自分がどれだけ無自覚に酷いことを言っていたか。

 

「ち、違う……! わ、わたし……そんなつもりじゃ!!」

 

 今世のカナは言い訳するように首を振る。

 だが、今更悔やんだところで、前世の過去の言葉を取り消すことはできない。

 

『どうしたの、乙女先生? どこか痛いの?』

『ううん……何でもない、何でもないのよ……お花ちゃん』

 

 あのとき、彼女は泣いていた。

 誰にも相談できないものを抱え込み、それを必死に悟られまいと隠して気丈な笑顔を振る舞っていた。

 

 もしかしたら——その時点で乙女の心は限界に悲鳴を上げていたのかも知れない。

 そして——その心にトドメを刺したのが、お花との『あの約束』だった。

 

『お花ちゃん。一つ、お願いが——』

『私の旦那さん……鯉伴様っていうんだけど——』

『いつかあの人と私の間に、子供が、ううん——』

 

 

『——たとえ相手が私じゃなくても………』

 

 

 いったい、どれほどの覚悟であの言葉を絞り出したのだろう。

 そんな覚悟のほどもわからずに、幼いお花はすっとぼけた顔で首を傾げている。

 

「や、やめろ……! その先を……言うな!!」

 

 お花にその言葉の先を言わせてはならないと手を伸ばすも、もう手遅れだ。

 

 それは、カナにとっては大事な約束。

 けれども、山吹乙女にとっては最愛の人との別れを決心させてしまうかも知れない言葉。

 

 その言葉を——ついに彼女たちは口にしていた。

 

『お花ちゃんが大人になった後でもいい。そのときは……仲良くしてあげてね。いつかきっと生まれてくる、その子と——』

 

 駄目だ……!

 その先は、駄目だ!!

 

 返事をするなと過去の自分に向かって願うが、その願いが叶えられることは絶対にない。

 

 

 

 

 

 

『——うん、いいよ!!』

 

 

 

 

 

 残酷にも無邪気に頷く、無垢な少女。

 その少女の返答に——。

 

『————ああ、ありがとう……お花ちゃん』

『——少しだけ…………決心がついたわ』

 

 決心。

 

 

 あの人の元から去る覚悟が付いたということだろう。

 

 

 その数日後に——彼女は山吹の一枝と古歌を残して鯉伴の前から姿を眩ましたのだ

 

 

 

×

 

 

 

「あ……ああ………」

 

 再び、真っ白い空間へと戻ってきた。

 何もないその場所で、家長カナは過去の己の愚かさによって生まれた悲劇に泣き崩れていた。

 

 

 

「ぜんぶ……全部……わたしのせい……?」

 

 

 

 カナは、鯉伴と乙女の二人が別れることになった原因が自分にあるのではと、罪悪感に胸を締め付けられる思いだった。

 

 

 もっとも、それはカナの考えすぎな部分もある。

 狐の呪いがある限り、結局のところ二人の離別は決して避けては通れない未来だったろう。

 遅かれ早かれ、似たような結末になることに違いはない。

 

 だが——背中を押したのは彼女が原因だったかも知れない。

 あのタイミング、あの時代に二人が別れたのは確かにお花の言葉が、約束があったから。

 

 将来、生まれてくる子と友達になる——。

 

 その約束にお花が何の迷いもなく『うん!!』と返事をしたからこそ——山吹乙女は、未練を残しつつも鯉伴の前から姿を消すという選択ができてしまった。

 

 

「……う、くうう………」

 

 それを理解してか、カナは涙を堪えられなかった。

 既に彼女にとって前世の記憶は他人事ではない。精神的にいくらか大人になりもしたが、それでもこれはあまりにも心に込み上げてくるものがあった。

 

「……ふん! 馬鹿な女じゃ……」

「!!」

 

 だがカナがそうしている一方で、羽衣狐は不愉快そうに吐き捨てる。

 彼女は自分と同じ顔である山吹乙女に対し、どこか侮蔑的に言葉を放つ。

 

「妾の呪いがある限り、妖怪であれば誰であれ子供などできよう筈がないものを! それを……自分のせいと、勘違いして好いた男を諦めて立ち去るなど。まったく、本当にどうしようもない……愚かな娘じゃ」

「は、羽衣狐!! あなたはっ!!」

 

 その言い分に、さすがのカナもキレかけた。

 先ほど羽衣狐自身の過去を見ていたこともあり、彼女にはある程度の親しみが生まれていた。だが、そんな好意的な感情すら吹き飛ばすほどの怒りを、カナはその言葉に抱く。

 たとえ誰であれ、あの二人の別れをそのように侮蔑されることが許せなかった。自分に怒る資格などないと分かっていながらも、カナは鋭い視線で羽衣狐を睨み付ける。

 

「ほんとうに……馬鹿な、娘じゃ。愚かで……一人よがりで……」

 

 もっとも、カナ如きの視線でびびる羽衣狐ではない。

 彼女はまるで自分に言い聞かせるよう、繰り返し、繰り返し、乙女を罵りながらも——

 

 

 

 何故か、その顔はとても苦しそうだった。

 

 

 

「……何故じゃ? 何故……あのような馬鹿な小娘に……こうまで心を締め付けられるのか……!」 

「は、羽衣狐……さん」

 

 馬鹿だ馬鹿だと言いながらも、彼女は苦しそうに胸を抑えている。

 頭に血が昇っていたカナも、そんな羽衣狐の様子に途端に冷静にさせられる。

 

 

 そう、本来であれば他人事である山吹乙女の境遇に苦しむ羽衣狐。

 それは——羽衣狐の中に、未だ乙女の心が僅かにでも残っている証拠である。

 

 やはり、カナの見立ては間違いではなかった。

 彼女は——羽衣狐であると同時に、山吹乙女でもあるのだ。

 

 しかし、そうなるとやはり疑問が湧いてくる。

 どうして、妖怪であった筈の山吹乙女の体を依代に、羽衣狐が現代に蘇っているのか。

 

 ここにきて、カナは当初の疑問へと立ち返る必要性に迫られた。

 

 

「——きたっ!?」

「……!!」

 

 

 すると、その疑問の答えを開示するよう、宿命が新たな記憶へとカナと羽衣狐の二人を導く。

 ぐちゃぐちゃになりそうな感情に心を乱されながらも、くるであろう場面転換に覚悟を決める両者。

 

「…………」

「…………」

 

 ここまできたら、せめて最後まで見届けよう。

 立場の違いこそあれど、奇妙なことにその想いだけは通じ合っていた家長カナと羽衣狐。

 

 

 

 そして、この最後の回想にて——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナは——真に倒すべき『悪』が誰なのかを知ることになるだろう。

 

 

 

 

 

 




補足説明

 山吹乙女の過去に関して 
  鯉伴と乙女の馴れ初めなどは作者の想像も入っていますが、二人の出会いの場所や、乙女に最初は名前がなかったことなどは、原作の設定に寄せてあります。
  詳しくは原作コミックス16巻のカバー裏。山吹乙女の解説を読んでいただければ。


 次回予告——『宿命—黒幕たちの記憶』です。
 次回は少し長めに、宿命編も終わり、また物語が動き始めます。

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