家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

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 お待たせしました。
 今回の話でタイトルにあるとおり、カナちゃんにはバトルヒロインとしての片鱗を見せてもらうことになります。
 ですが、その前に一つだけ注意点を。

 今作において、彼女自身の戦闘力は決して高く設定しておりません。
 あくまで、そこそこ戦える程度に留めております。
 徐々に強くなるようにプロットを組んでおりますが、最終的にもそこまで無双ができるようになるわけではありません。
 それでも良ければどうぞ、お楽しみください。


第八幕 魔の山に仕組まれし罠

「「「ようこそ、当旅館へおいでくださいました!!」」」

 

 玄関から清十字団を出迎えた旅館の従業員の女性たちが、恭しく頭を下げる。

 三人の女性たちの声は不気味なほどにピッタリとハモっており、綺麗なのだが、どこか人間離れした雰囲気を漂わせていた。

 

「なに、世話になるよ」

「「お世話になります!」」 

 

 そんな彼女たちの雰囲気にも気づかず、やはりどこか偉そうな態度で応対する清継に、ずっと楽しみにしていた温泉旅館にテンションうなぎ登りの巻と鳥居。

 今の彼女たちからは、先ほどまでの怯えた様子など微塵も伝わってこなかった。

 

 

 

 三十分ほど前のことだ。

 

 化原先生の梅若丸伝説をよくある昔話だと笑い飛ばしていた一同だったが、彼がこの山、梅楽園改め――捻眼山に確かに妖怪が存在する証拠――もげた巨大な爪を見せつけてしまったことで、巻と鳥居は涙目になっていた。

 あんなにも禍々しい爪を持つ化け物がいる山になど、一秒だっていたくないとばかりに、彼女らは帰ることを提案。

 リクオも、その提案に乗る形で皆に帰るように促したのだが、清継の「暗くなって山をおりる方が危険!」「降りても、バスはもう出ていない!」という、至極もっともな意見に足を止めた。

 

 また、目と鼻の先にある『高級老舗旅館の暖かい温泉と、豪華な会席料理がただで味わえる』という誘惑に、皆の心が揺れる。

 それでも帰ったほうがいいと提案するリクオの不安を打ち消すかのように、化原先生が笑った。

 妖怪先生いわく、旅館には妖怪セキュリティが整っているから大丈夫だという話だ。

 

 ――妖怪相手にセキュリティ?

 

 と、その場の全員が疑問を持ったことだろう。だが続く清継の言葉に、皆の表情が一気に明るくなる。

 

「――何があったとしても、我が清十字団には陰陽少女! 花開院ゆらくんがいるじゃないか!!」

 

 結局、その言葉がとどめだった。

 清十字団一向の合宿続行が決定し、彼らは今日一日この旅館に泊まることを決めたのである。

 ちなみに、その旅館に化原先生の姿はない。

 旅館の場所を伝えたあと「役目は終わった」と言い残し、静かにその場を去っていった。

 

 

 

「来てよかっただろ、普通ならなかなか泊まれない高級旅館なんだぞ! 化原先生のコネがあったから取れたんだ!」

 

 従業員の一人に部屋まで案内されながら、まるで自分の手柄のように誇る清継。

 残り二人の従業員は玄関から一歩も動かず、遠ざかっていく彼らをじっと見つめていた。

 

「あの、温泉ってすぐに入れますか?」

 

 鳥居が歩きながら、従業員の女性に尋ねる。

 

「ええ、天然かけ流しの露天風呂は、いつでも入り放題ですえ!」

 

 従業員のその返答を聞くや否や、鳥居がカナの手を取り、駆け出していく。

 

「ヤッホー!!」

「温泉だ!!」 

 

 巻も、ゆらとつららの背を押しながら後に続く。

 温泉に向って一直線に直行する女性陣の姿を、男性陣が呆気にとられる様子で見つめていた。

 

 

 

×

 

 

 

『女湯』と書かれた暖簾をくぐりぬけた巻と鳥居は、速攻で衣服を脱ぎ捨て、温泉へと通じる扉を開いていた。

 

「うわー!!」

「渋い!!」

 

 目の前の露天風呂に、浮かれた調子で彼女たちは声を上げる。

 TVの旅番組などでしかお目にかかれないような光景に、理屈抜きで彼女たちのテンションが上がっていく。

 

「カナ遅いぞ!」

 

 少し遅れて、カナも露天風呂へと足を踏み入れる。

 

「及川さんとゆらは?」

「あれ……さっきまでいたんだけど?」

 

 口ではそう言いつつも、カナはつららが温泉に来れない理由をなんとなく察する。

 本人が気づいているかどうか知らないが、彼女からはときおり冷たい冷気のようなものが放出されることが間々あるのだ。そのため、カナはつららが雪女、あるいはそれに属する類の妖怪であると推測していた。

 温泉に浸かれば溶けてしまうであろうことは、容易に想像ができる。

 

「んー! 極楽極楽……」

「温泉、最高!」

「ゆらもつららも入ればいいのに、勿体ない!」

「ねえっ!」

 

 温泉に浸かりながら、いつものように仲良さげな会話をする巻と鳥居。

 温泉のマナーとして、ひととおり体を洗い終えた彼女たちは、露天風呂の居心地に一息ついていた。

 硫黄の匂いと湯気が立ち込める屋外の浴場は、想像していたよりずっと広く、他に客がいなかったことが彼女たちをさらに開放的な気分にさせている。

 カナもまた、温泉の気持ちよさに今日一日の疲れを癒していた。

 

 しかし――カナは注意深く辺りを見回す。

 

 ――……やはり妙だ。

 

 この山に入ってからというもの、彼女は常に違和感のようなものを感じていた。

 まるで、何者かに監視されているかのような、突き刺すような視線。

 最初は気のせい、あるいはリクオの護衛か何かの視線だと思っていた。

 しかし、リクオと離れた今でも、その視線を感じる。

 違和感の正体を探ろうと、静かに目を閉じ精神を集中させるが――

 

「――カナ? カナってば……」

「えっ?」

「どうしたの、アンタ?」

 

 巻と鳥居がじっと自分に視線を向けていることに気づいた。

 カナが感じた違和感に気づいた様子もない彼女たちは、不思議そうな顔でカナの顔を見つめてくる。

 自分たちが監視されているかもしれないなどと、二人に言うわけにもいかないカナ。

 暫く考え込んだ結果、彼女はおもむろに湯船から立ち上がった。

 

「ごめん……私、もう出るね!」

「早っ!」

「もっとゆっくりしてきなよ、ねえってば……」

 

 そのまま、そそくさと浴場を後にするカナを、二人の少女は少しだけ寂しそうな表情で見送った。

 

 どちらにせよ、こんなタオル一枚の状態では彼女たちを守ることはできない。

 カナは万が一に備え、脱衣所まで戻りに行った。

 

 複数の武器が入った、自身のバックを取りに―― 

 

 

 

 

 

 

 陰陽師であるゆらは、一人で旅館内を散策していた。

 すでに案内された女子部屋に荷物を置き、浴衣にも袖を通してある。

 勿論、懐に式神の入った護符を忍ばせておくことも忘れずに。 

 

 ――やっぱり、変やここ……。

 

 ゆらもまた、奇妙な違和感を感じていた。

 漠然とした――不安。

 明確に言葉で表現できないような、そんな違和感がゆらの全身を包み込んでいる。

 

 ――他の客も、いてへんみたいやし……。

 

 自分たち以外に客がいないことが、さらにゆらの不安を煽った。

 緊張した面持ちで、油断ない足取りで辺りを見渡していく中――不意に、人の気配を感じ、勢いよくそちらの方を振り返る。

 

「ゆらちゃん? こんなところで何してるの?」

「……なんや、家長さんか」

 

 目を向けた先にいたのがカナだったことに、ホッと胸を撫で下ろす。

 カナの格好は先ほどまでと同じ服装だったが、頬が上気しており、髪もかすかに濡れている。

 ゆらは一足早く先に、彼女たちが温泉に入っていたことをすっかり失念していた。

 

「ううん……なんでもあらへん。温泉はどやった?」

「うん、すごく気持ちよかったよ! ゆらちゃんは入らないの?」

 

 ゆらは、カナに心配をかけまいと、微笑みながらいつもの調子で会話をする。

 しかし、カナは気分が優れないのか、どこか浮かない表情をしていた。

 何か気がかりなことでもあるのか、それを問い質そうと、ゆらが口を開きかけた瞬間――

 

 押さえつけられていた黒い空気が、一気に解き放たれるかのように旅館内を駆け巡っていく。

 

「! ゆらちゃん、今のは?」

 

 カナも自分と同じものを感じたのか、不思議なほどに凜とした声でゆらを見つめてくる。

 陰陽師であるゆらは、駆け巡った黒い空気の正体を瞬時に察した。

 

 ――間違いない、妖気や!!

 

「――ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

「――うわぁぁぁあぁっ!」

 

 間髪いれずに、少女たちの悲鳴が廊下へと響き渡る。

 

「巻さん!? 鳥居さん!?」

 

 カナは悲鳴が、露天風呂の方から聞こえきたことから、それが誰のものかを理解したのか少女たちの名を叫ぶ。

 

「家長さんは、部屋にいて!」

 

 カナに向って手早く指示を出し、ゆらは急いで浴場まで駆け出していく。

 

 女湯に到着するや、ゆらは露天風呂へと続く扉を一気に開け放った。

 扉を開けた先、ゆらの目に飛び込んできたのは――巨大な妖怪たちが二人の少女を襲う光景だった。

 彼女は素早く懐から式神の入った護符を取り出し、妖怪たちめがけて解き放つ。

 

禄存(ろくそん)!」

 

 白い煙を立ち昇らせながら、エゾジカの式神『禄存』が顕現する。

 禄存は顕現すると同時に、巻と鳥居に襲いかかろうとしていた複数の妖怪たちをその角で突き飛ばす。

 

「「ゆらちゃん!!」」

 

 巻と鳥居が希望に満ちた声を響かせる。

 二人の少女は、裸にタオル一枚というあられもない姿で妖怪たちに襲われていた。

 そんなタイミングで襲撃してくる妖怪に、陰陽師としてではなく、一人の女子として憤慨するゆら。

 怒りを吐き出すかのように、彼女は叫んでいた。

 

「入浴中の女子襲うやなんて、ええ度胸やないの!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ゆらは改めて、妖怪たちを観察する。

 人間を見上げるほどの巨体、牛や鬼を連想させるような顔つき、蜘蛛のような胴体。

 彼らのほとんどは一様に同じような姿をしていたが、その中に一体だけ、まったく異なる姿の異形がいた。

 

 その異形は少年だった。

 

 もっとも、彼をただの少年と呼ぶには、あきらかに不自然な点がある。

 

 一つ、少年は馬の骨を被っていたこと。

 二つ、少年は巨大な異形の頭の上に立っていたこと。

 

「怯むな、やっちまえ!!」

 

 三つ、少年は異形の上から他の妖怪たちへ命令を下していたこと。

 以上の三つから、ゆらは少年をこの妖怪たちの頭目と判断した。

 

「二人とも下がっとき!」

「う、うん……」

 

 巻と鳥居の二人を後方に下がらせ、目の前の敵に集中するゆら。

 

 数体の妖怪たちが、禄存めがけて一斉に飛びかかる。

 自分に組み付いてきた妖怪たちをものともせず、禄存は自らの角を振り回してそれらを払い飛ばす。

 ゆらは妖怪たちの注意を引くため、一歩前に躍り出る。

 その行動に気づいた少年は、他の異形たちをけしかけ、ゆらに向かって突撃させる。

 応戦しようと攻撃用の護符を取り出し、投げかけようとした。まさに、その刹那だった――

 

 ヒュン――と短く、鋭い風切り音がゆらの耳に聞こえてきた。

 

 彼女と異形の間を割って入るかのように、槍が一本、地面に突き刺さったのだ。

 

「え……?」

 

 どこからともなく降ってきた槍に、ゆらと妖怪たちの交戦が強制的に中断される。

 そんな、彼女たちの困惑をよそに、『それ』はその場にふわりと舞い降りてきた。

 

 真っ直ぐ大地に突き刺さったその槍の上に――その少女が。

 

 突然、空から舞い降りてきた少女に、その場にいた全ての存在が戸惑いの表情を浮かべる。

 彼女は神社に勤める女性たちが着ているような、巫女装束の格好をしていた。

 白い髪を風になびかせたその姿は、どこか儚げで、神秘的な雰囲気をかもしだしていた。

 

 ――いったい何者や、新手の妖怪か?

 

 その少女が自分たちの敵なのか味方なのか。ゆらは値踏みするかのようにその少女を注視する。

 だが、少女の表情を読み取ることができない。

 彼女の顔にはお面が――狐の顔を模した狐面が被せられていたからだ。

 ゆらがどう対処しようかと、判断に迷っていると――

 

「なんだお前、どこの組のもんだ? ここは牛鬼組の縄張りだぞ! あのお札が見えないのか!」

 

 馬の骨を被った少年が、とあるものを指差しながら叫ぶ。

 少年が指し示したものは、旅館のいたるところに張られていた妖怪除けのお札――妖怪セキュリティだ。

 

 こちらに向けて牛がお尻を振っているその絵は、どうみても子供の落書きにしか見えないのだが、そのお札は妖怪にとっては大きな意味を持つ。

 少年の張ったそのお札は、そこが妖怪・牛鬼の縄張りだということを示す、他の妖怪を近づかせないためのマーキング。他の妖怪を除けるための――妖怪のためのセキュリティだったのだ。

 しかし、そんなことは人間であるゆらや、その謎の狐面の少女には与り知らぬことであり。  

 

「……今すぐ、この場から立ち去りなさい」

 

 少女は、まるで子供をあやすかのような口調で静かに告げていた。

 

「な、なんだと、ふざけやがって!」

 

 その言葉を聞き、少年が怒りをあらわにする。

  

「行け、うしおに軍団!! 根来(ねごろ)宇和島(うわじま)、こいつもついでにやっちまえ!!」

 

 声高らかに叫びながら、近くにいた妖怪たちに指令を送り、その指示に妖怪たちが狐面の少女に襲いかかる。

 そんな妖怪たちを迎撃するためか少女は懐に手を伸ばし、『なにか』を取り出していた。

 

 

 

 

 

 

 骨を被った少年――馬頭丸は心中でかなり焦っていた。

 妖怪・牛鬼の腹心の部下である彼は、同じく腹心の部下である牛頭丸とともに奴良リクオ暗殺の命令を受けていた。牛頭丸がリクオとその側近を始末している間に、それ以外の人間たちを片付けるのが彼の役割だったのだが、

 

 ――牛頭丸のやつ! 何が「三代目がいない方が楽だ」だ! しっかり強ぇのがいるじゃねえか!!

 

 この場にいない相方に向って、毒づく馬頭丸。

 ただの雑魚だと思っていた人間たちの中に、式神を操る陰陽師がいたことに狼狽し、さらに畳み掛けるかのように、狐面の少女まで乱入してきたのだ。

 馬頭丸の胸中が、焦燥感でいっぱいになるのも無理はなかっただろう。

 

 ――と、とにかくさっさとこいつらを片付けて、牛頭丸よりも早く牛鬼様に勝利の報告をっ!

 

 馬頭丸は、自分の主に託された使命を全うすべく、必死に行動を再開した。

 まずは、無遠慮に乱入してきた少女を片付けるべく、配下の妖怪――根来と宇和島をけしかける。

 すると、少女が懐から『なにか』を取り出した。

 

 ――……団扇(うちわ)

 

 鳥の羽でできたような団扇だった。

 少女は手に持った団扇を、妖怪たちめがけて無造作に扇いだ。

 

 瞬間――大気が震える。

 

 団扇から扇いで発生した風が、突風となって妖怪たちをまとめて吹き飛ばした。

 いや、妖怪たちだけではない。露天風呂のお湯や岩、森の木々など。前方の空間にある、ありとあらゆる全てのものをけし飛ばしたのだ。

 

「なっ!?」

 

 あまりのすさまじい風の威力に、馬頭丸は絶句し、狐面の少女の後方にいた人間たちも、呆気に取られた顔をしている。

 

「…………」

 

 そして、その団扇を扇いだ当の本人である狐面の少女。

 彼女は数秒間、何かに驚くように固まっていたが、すぐにその団扇を懐に戻し、地面に突き刺さっていた槍を引っこ抜き、近接戦闘の構えに移行した。

 

「くそ……なめやがって!!」

 

 馬頭丸はそんな彼女の行動を嘲りと判断した。

 そのまま団扇を扇ぎ続ければ、自分たちなど、簡単に蹴散らせるであろうに。

 そうはせずに武器を槍に持ち替えて応戦し始めた狐面の少女。

 お前たちなど、これで十分だと――そう、侮られた気分だ。

 

「お前ら、ビビってんじゃねぇぞ! 根来と宇和島の仇とったれ!」

 

 残りの妖怪たちをそのようにけしかけ、馬頭丸は再び攻撃を再開した。

 

 

×

 

 

 

 ゆらは狐面の少女が団扇らしきものを仕舞って。正直ホッとした。

 あんなものを何度も使われたら、自分たちの身の方が危ない。

 どういう意図で使わないのかは知らないが、こちらとしてはその方がありがたかった。

 

 狐面の少女が、向かってくる妖怪相手に、手に持った槍で応戦し始める。

 舞うような動きで攻撃をかわし、疾風のような槍捌きで技を繰り出す。

 しかし、少女の槍の攻撃では致命傷にはならないのか、妖怪たちはいまだ健在で、再びゆらたちにも襲いかかってきた。

 

「「きゃぁぁぁ!!」」

 

 狐面の少女と、ゆらの隙を突くように、妖怪たちの一部が巻と鳥居へと牙を剥く。

 ゆらは彼女たちを守るため、別の式神を出そうと護符を放とうとしたが、

 

「――ふっ!!」

「ぐおぉぉぉぉ!?」

 

 あの狐面の少女が、巻と鳥居の危機に駆けつけるかのように、槍を一閃。

 その一撃に怯む妖怪たちを尻目に、少女は巻たちに語りかけていた。

 

「大丈夫?」

「えっ………う、うん……」

「………」

 

 少女の問いに鳥居が静かにうなづき、巻が呆然とする。

 二人を庇い、助けたその行動にゆらが安堵の溜息を洩らす。

 

 ゆらの中で、すでに彼女に対する疑念がかなり薄まっていた。

 彼女自身もよく分からなかったが、狐面の少女は敵ではないという、不思議な直感が働いていたのだ。

 巻と鳥居をその少女に任せ、ゆらは目の前の敵に集中することにした。

 妖怪の頭目である少年へと狙いを定める。

 

「観念せよ 爆!!」

 

 攻撃用の護符を少年に放つ。だが、その一撃を空中に跳んでかわす少年。

 

「ええい、ちょこまかしよ――!?」

 

 ゆらが苛立ちながら叫び、さらなる追撃をすべく少年が逃げた中空へ目を向け――

 そこで、彼女は異変に気づいた。

 

 空が――空が渦巻いていた。

 今にも雷が落ちてきそうな不穏なオーラを、禍々しい雲が放っている。

 

「ふえ?」

 

 その異変に少年も気づいたようで、呆けたような声を洩ら――

 

 そんな少年の元へ、『それは』落ちてきた

 

 雷ではない。黒い三つの影が、雷の如き速度で、巨大な異形たちの頭上へと降り注いだのだ。

 すさまじい衝撃に、舞い上がる温泉の水しぶきでゆらの視界が奪われる。

 その視界が回復し、あたり一帯が静まり返った頃には、全てが終わっていた。

 巨大な妖怪たちは地に伏せ、少年も足場を失い温泉に落ちたらしく、その体をびしょびしょに濡らしていた。

 

「なにしやがる、てめぇら何者だ!!」

 

 影に向かって吼える少年。

 

「――小僧……自分が誰に口を聞いているのかわからんのか」

 

 影の一つが、静かに口を開く。

 ゆらはそこで、ようやく突如として降り注いだ影の姿を目の当たりにする。

 

 ――カラス?

 

 黒い羽毛に鋭いくちばし、人の姿をしているものの、その出で立ちは、まさに鳥でいうところのカラスそのものだった。

 そのカラス人間は一人ではない、三人いた。

 甲冑を着たもの、着物を羽織っているもの、どこか女性的な雰囲気のもの。

 それぞれがそれぞれの黒い翼を羽ばたかせ、頭上から少年を睨みつけていた。

 

「ワレら鴉天狗一族の名を、知らぬわけではあるまい」

「カ、カラス天狗! 本家のお目付け役がなんでここに?」

 

鴉天狗(からすてんぐ)

 陰陽師たちの間でも、かなり知名度の高い、天狗の一種である。

 古くからその存在が確認されているが、実際に目にするのはゆらも初めてだった。

 

 ゆらは、自らの敵になるかもしれない新手の妖怪たちを前にして、動けないでいた。

 自分や狐面の少女があれだけ手こずっていた敵を、ああもあっさり蹴散らしたカラス天狗の力に驚愕していたのだ。

 今の自分では、彼らに向っていっても返り討ちにあう可能性が高い。

 とりあえず、何が起こっても対応できるようにと、油断なく身構える。

 

「陰陽師、ここは一時休戦だ。身内が世話をかけたな」

「え?」

 

 しかし、カラス天狗たちは骨を被った少年となんらかのやり取りをした後、ゆらに向かってそのような提案をしてきた。

 思いもよらぬその提案に、呆気にとられるゆらであったが、そんな彼女を尻目に、カラスたちは別の人物へと目を向ける。

 

「貴様は何者だ? 牛鬼組のものではなさそうだが……」

 

 狐面の少女へと、その場にいた全員の視線が向けられる。

 カラス天狗たちからは若干険しい警戒の色が、巻や鳥居からは恐怖よりも色濃い戸惑いの色のこもった視線が、それぞれ向けられる。

 

「………」

 

 それらの視線に晒された少女は、一瞬だけゆらたちに目を向けたように見えたが、お面のせいではっきりとはわからない。

 彼女はその場で背を向けると、高々と飛び上がり、そのまま夜の闇へと消えていってしまった。

 

「待て!?」

「放っておけ! それより今は……」

 

 着物を着たカラスが少女を追おうとしたが、甲冑をまとったカラスがそれを制した。

 どうやら三人の中のリーダーは、真ん中の甲冑を着たカラスのようだ。

 リーダー格の男は、少女が消えた闇から少年へと視線を戻す。

 

「うおい……やめろ、やめてくれ~……おろしてくれ!」

 

 骨を被った少年はいつの間にか足を縛られ、逆さづりの状態にされたまま、カラスたちが黒い翼を羽ばたかせる。

 

「聞けないね! 窮鼠事件のこと、若の居場所。洗いざらい吐いてもらうまではね」

「いくぜ、兄貴」

「ああ……」

「ちょ、ちょいまち!?」

 

 ゆらは慌てて静止の声を上げるが、彼女の言葉は届かず、カラスたちは自分たちの会話に夢中になっていた。

 そのまま少年を連れ、カラスたちもまた夜の闇へと飛び去っていってしまう。

 

「うおおーい! 助けろ陰陽師~~。こいつら、退治してくれ!」

 

 少年がゆらに向ってなにかを叫んでいたが、彼女の耳にその言葉は入ってこなかった。

 

 

 全ての異形の者たちが消え去り、露天風呂内に静かの平穏が戻ってくる。

 

「なんだったの、いったい?」

「と、とにかく……助かったん、だよね?」

「よ、よね?」

 

 巻と鳥居がお互いの顔を見合わせ、自分たちが助かったという事実を確認しあい、生還できた喜びに抱き合う。

 ゆらは、しばらくの間、カラスたちが飛び去った方角を見ていたが、すぐに視線を狐面の少女が消えた闇へと向ける。

 

「あの子は、いったい?」

 

 その問いに答えられるものなど、その場には誰一人いなかった。

 

 

 

×

 

 

  

 捩眼山の夜の空を、優雅に飛び回る狐面の少女。

 彼女は周囲に誰もいないことを確認した後、近くの森の中へと着地する。

 

『カナ、もういいぞ……誰も見ちゃいない』

「……うん」

 

 狐面の――面霊気の言葉に安堵し、少女はその場で仮面を脱いだ。

 その瞬間、神秘的な雰囲気を漂わせていた白髪が茶髪へと変色し、少女――家長カナはいつもの彼女へと戻っていた。

 

 カナは旅館の廊下でゆらと別れてすぐ、部屋には戻らず、旅館の外へと飛び出していた。

 そして、自身の荷物から数枚の護符と面霊気、羽団扇(はうちわ)を取り出し、急ぎ露天風呂へと飛んでいったのである。

 

「ふぅ……」

 

 カナは一息つきながら、着ていた巫女装束と、手に持っていた槍へと念を込める。

 次の瞬間、装束と槍は光を帯びながら、だたの護符へと戻っていた。

 

 この二つの装備は、春明が陰陽術で作った式神の一種であり、カナの意思一つで自由に出し入れできるようになっている、彼女の戦装束だった。

 彼女はその護符を、ズボンのポケットにねじ込み、羽団扇を私服の懐へとしまい込む。

 この羽団扇は式神ではなく、とある妖怪からカナが譲り受けた品物であり、今回の合宿のため、危険を承知で持ち込んできた代物だ。

 

 というのも、この『天狗の羽団扇』――カナには未だに繊細なコントロールができない、文字通り、手に余る代物なのである。

 この羽団扇の本来の持ち主は、風の大小、威力のコントロールなど上手く加減していたが、カナにはまだ、そのような微細な調整ができない。だからこそ、一度牽制の意味合いで使ってすぐに懐に仕舞い、普通の槍で戦うことを選択したのだ。

 そして、面霊気ことコンちゃん。これは言うまでもなく、カナの正体を隠すために必要な相棒だ。

 その彼女へ一緒に来てくれた礼を述べながら、そのまま懐に仕舞い込み、森を抜けるべく歩いていくカナ。

 

「ちょっと……遠くまで来すぎたかな……」

 

 彼女が着地した場所から、旅館まで大分距離があった。

 あのカラスたちが後をつけてこないかを、確認してから降りる必要があったためだ。 

 

 ――それにしても……。

 

 と、カナは歩きながら考える。

 先ほどの戦闘――結局、自分の加勢が必要だったかどうか疑問が残った。

 ゆら一人でも、なんとか凌ぎきることができたかもしれないし、最後には奴良組の妖怪であろう、カラス天狗たちの手により、事態は終息した。

 そのカラス天狗たちも、自分のことなど眼中にないのか、追ってくる気配すらない。

 

「ほんと、私なにやってんだろ……」

 

 自分の未熟さに、溜息をこぼすカナ。

 そんな風に考え事をしながら歩いている間に、森を抜けたらしく、彼女の前にはどこまで続く長い石段が広がっていた。

 この石段を下りて行けば、旅館へと戻ることができるだろう。

 彼女は何事もなかったように皆に合流するべく、ゆっくりとその石段を下り始める。

 

「――?」

 

 だが不意に、カナの足が止める。

 最初に感じたのは――光だった。

 辺り一帯が、わずかだが明るくなったように感じたのだ。

 気のせいかと思ったが、その考えを打ち消すかのように、それはカナの視界の中に飛び込んできた。

 

「………人魂?」

 

 石段の上の方から、青い炎が揺らめきながら、宙を浮いていた。

 しかも二つ――その人魂が、少しづつだが、確実にこちらの方に近づいてくる。

 

 石段の上からこちらへと歩み寄ってくる、人影を照らしながら。

 

 カナはその現状を前に、恐怖よりも警戒心を持って身構えた。

 

 ――来る!!

 

 ポケットに忍ばしてある護符に手を伸ばし、いつでも武器として取り出せる体制を整える。

 そして、人影は近づいてくる。その姿が鮮明に見えるところまで――

 

「…………――えっ?」

 

 その人物を視界に入れた瞬間、カナの口から戸惑いと驚きが入り混じった声が漏れる。

 

「貴方っ、あのときの!?」

   

 後ろに伸びきった長い髪、鋭い眼光、着物を見事に着こなした長身の男。

 見間違える筈がない。

 彼女が小学生のときに一度、そして先日の窮鼠と呼ばれていたネズミ妖怪に攫われたときにも、自分たちを助けてくれた『彼』。

 

 その『彼』が、今こうして自分の目と鼻の先にいる。

 

 ――なんで……ここに?

 

 突然の出会いに混乱するカナ。 

『彼』は彼女の間近まで迫ると、そこで一度歩みを止めた。

 じっとカナを見つめてくるその眼差しを、彼女は戸惑いながらも静かに見つめ返す。

 時間が止まったかのように、二人の視線が交わる。

 

 先に時を進めたのは『彼』だった。

 さらに一歩、また一歩とカナへと近づいてくる。

 唐突な出会いに思考が追い付いてこないカナは、思わず後ずさり――

 

 ガクン、と足を踏み外した。

 

 「あっ――」

 

 カナの体が、後ろへと反れる。

 彼女のいる場所は階段だ。段差ごとの幅も決して広くない。足元へ目も向けず動いた結果として――当然のように階段を踏み外してしまった。

 

 ――落ちる……。

 

 混乱しながらも、どこか他人事のようにその事実に呆然となる。

 手を前に突き出しながら、落ちていことするカナ――

 

 その手を――『彼』が掴んだ

 

 ――え?

 

 落ちていこうとするカナの手を掴み、優しく彼女を助け起こす。

 掴まれた手を通じ、『彼』の体温が伝わってきた。

 

「気をつけな……新月の夜は人間には暗すぎる」

 

やんわりとした口調で注意を促す『彼』の言葉に、なんと反応すればよいか分からず、カナはただうなづくしかない。

 何とも気まずい、微妙な間が二人を包み込む。

  

「おっと!」

 

 カナの体がなんとか元の体勢に戻ったのを確認し、『彼』はその手をカナから離す。

 そこで初めてカナは気づく。『彼』の両手に、大切そうに抱えられている少女の存在に。

 自分を助け起こすために片手を使ってしまったせいで、その少女を危うく地につけてしまいそうになったのを『彼』は支え直した。

 

「えっ、及川さん? なんで……」

 

 その少女は皆と一緒にこの合宿に来ていた、及川つららだった。

 奴良リクオの護衛である筈の妖怪の少女が、気を失って『彼』に介抱されている。

 今頃は旅館でリクオとともにいると思っていた。何故、こんなところで『彼』に抱えられているのか、疑問を浮かべるカナ。

 

「ちょうどいい、こいつのことを頼めるか? 俺には行くところがある」

「え、ええ……」

 

 その疑問に答えることなく『彼』は一方的につららをカナに手渡す。

 そんな、いきなりの頼みに戸惑いながらも、カナは黙ってうなずくしかなかった。

 そして、彼女を手渡された際に、つららが何かを持っているのをカナは見つけた。

 彼女の持っていたもの、それは――メガネだった。 

 

「これ、リクオくんの……リクオくんは!?」

 

 そのメガネが誰のものかを理解した瞬間、カナの表情が凍り付く。

 まさか自分たちのようにこの山の妖怪に襲われたのかと、不安が彼女の胸の内を支配する。

 しかし、そんな彼女の心配をよそに、なんでもないことのように『彼』は言葉を綴った。

 

「奴なら心配いらねぇよ。それより、早く戻ったほうがいい……ふっ!」

 

 そういうや、その場を照らしていた二つの人魂を手元まで引き寄せ、『彼』は息を吹く。

 その息をうけた人魂が、カナたちの眼下の石段へと飛んでいった瞬間、石段の両脇に無数の人魂が等間隔に配置されていく。彼女たちの帰り道を、明るく照らすかのように。

  

「空が荒れてきやがったな……」

 

『彼』のその言葉に、カナも空を見上げる。

 つい先ほどまでとは打って変わり、空が荒れ始めてきた。

 今にも一雨降ってきそうな不穏な空気に、『彼』はカナへと優しい口調で語りかける。

 

「大丈夫だ、カナちゃん……怖けりゃ、目つぶってな」

「えっ? ど、どうして、私の名前……?」

 

 率直に疑問に思う。

 彼には何度か助けてもらったが、そのときにお互いに名前を名乗り合った記憶などない筈なのに。

 

「知ってるよ、昔からな……」

 

 カナの疑問に、『彼』は静かに答える。

 

 ――昔、から?

 

 それはどういう意味だろうと、カナは視線で『彼』に問いかける。

 しかし、その疑問に答えることなく『彼』もまた、静かにカナを見つめ返した。

 凜と真っ直ぐに向けられた瞳。その瞳は優しさに満ちていたが、少しだけ寂しさや悲しみが入り混じっていたようにカナには感じられた。

 再び時間が止まったかのように、二人の視線が重なり合う。

 

 またしても、先に時を進めたのは『彼』だった。

 カナに背を向け、一人石段を登っていく。

 

「あっ、待って!?」

 

 咄嗟に静止の声を上げるも、『彼』は立ち止まることなく、振り向くことなく闇の中を進んでいく。

 後を追いかけたい欲求に駆られたが、自分の胸の中にいるつららが落ちそうになるのを、慌てて支え直す。

 彼女を抱えたまま、追うことはできなかったし、置いていくことなど論外だった。

 カナは黙って『彼』を見送ることしかできなかった。

『彼』の姿が完全に見えなくなり、その場に静寂だけが残された。

 

 取り残されたカナは、自分の今の感情に戸惑っていた。

 

 ――どうして……なんで、こんな、懐かしい……っ。

 

 過去に助けられたから、というわけではない。

『彼』が自分へと向けた言葉、視線、息遣い。

 その全てが、彼女には懐かしい……というよりも、どこか馴染み深く、それでいて決して触れることのできない、どこか遠くにいるような哀愁の念を感じさせる。

 

 自分自身でも、どう表現していいか分からぬ気持ちに、カナはただ茫然が『彼』が消えていった闇へと手だけを伸ばす。

 そこから先の闇へと足を踏み入れることを、自分自身の体が拒むかのように――。

 

 

 

×

 

 

 

『………………』

 

 二人の会合に、カナの懐に仕舞われていた面霊気は一度も口を挟まなかった。

 下手に自分がしゃしゃり出ればカナの正体が露見してしまうかもしれないというのが一番の理由だったが、『彼』が立ち去った後も、彼女は何も話さない。

 

『彼』の言葉の意味、その事情もすべて知っていたが、それをカナに話す気にはなれなかった。

 

 彼女はただ静かに、己の胸中で祈る。

 

 

 

 できることなら二度と、あの姿で『彼』と彼女が出会うことがないように、と。 

 

 

 

 




補足説明

 鴉天狗たち――三羽鴉。
  甲冑――黒羽丸 「国際派のCROWな長男」
  着物――トサカ丸「親に似たワイルドな次男」
  女性――ささ美 「今夜はとり鍋、ヘルシーなささみ肉――なんで一人だけそんな名にした!!」 ※詳しくはコミックスカバー裏、六巻をお読みください。

 今作におけるカナちゃんの装備
  式神で作った槍――つららとの差別化を図るため、薙刀ではなく槍にしました。
  巫女装束――単純に可愛い、イメージがしやすいと思ってのこと。
  天狗の羽団扇――強力な武装。今のカナには手に余る代物。
  面霊気ことコンちゃん――正体を隠すため必須のアイテム。
 
  空を自由に飛行する彼女自身の能力について
   能力の名前は決まっていますが、今は非公開。
   今後の話で明かしていきたいと思います。

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