今回はかなりの難産だった。
途中まで書いたけど納得がいかず、何度か書き直してしまいました。
今回の話と、次回に投稿する話で京都編は完結予定です。
あとがきで語りますが…………今回もさらに不穏な空気が漂ってますので注意を。
——殺してやる!!
山吹乙女の亡骸を抱えて大粒の涙を流す中、家長カナの心が怒りと憎悪によって支配されていく。
自分から両親を、恩人を、幼馴染の父とその想い人を奪った元凶の一人。
山ン本五郎左衛門の耳・吉三郎。
奴良リクオが安倍晴明を倒すべき敵として見定めたように、カナはカナであの男を殺すべき敵として心に誓う。
だが、その感情はリクオのような使命感や仲間のためという決意とは異なる感情であることは否めない。
それはどこまでも果たしないほどに暗く、昏く、瞑く、闇く、黒い。
果たしてその感情が人として正しいものなのか?
それをしっかりと自身の中で考える隙もなく。
家長カナの意識は——そのまま、急速に遠のいていった。
「——………ん? う……ん? あれ……ここは……?」
目を覚ました時、家長カナの視界には天井が映っていた。その身体は布団に横たわっているらしく、服もいつの間にか入院服のようなものに着替えさせられている。
しかし、病院特有の消毒液のような匂いや、雰囲気は感じられない。カナが寝かされていた場所は畳の上であり、周囲の景観もどことなく見覚えのある屋敷の一室だ。
「ここって……もしかして、ゆらちゃんの家?」
そう、一瞬遅れて理解したように、そこは花開院家の一室。カナも一度は足を踏み入れたことのある、陰陽師たちの拠点である。
いつの間に弐条城から移動してきたのか?
何故、こんなところに寝かされているのか?
何一つ覚えていないカナは暫し呆然と固まるも、おもむろに布団から出ようと身体を起こそうとした——
「——っ!!」
だが、少し身を起こそうとしただけで全身に激痛が走る。あまりの痛みに呼吸すら止まり、悲鳴一つあげることもできずに彼女は自身の身体を抱き寄せる。
「い、痛っ……」
どうやら、相当体に負荷がかかっていたようだ。かなりきつめの筋肉痛に悶絶するカナ。
すると、起き上がった彼女の気配に気付いたのか。襖の扉を開け、二人の人物がカナに声を掛けてくる。
「——ようやく起きたか。寝坊助め……」
「——カナちゃん!?」
一人は呆れた様子でため息を吐き、もう一人は心底心配した様子で彼女の名を叫ぶ。
態度はそれぞれ異なるものの、どちらもカナの容体を気に掛け、その側へと歩み寄ってくれる。
「に、兄さん……と、凛子先輩?」
カナが兄と慕う少年・土御門春明。
それと友達であり、先輩である少女・白神凛子だ。
凛子は慌てた様子でカナの手を握りしめ、涙ぐみながらその無事を喜んでくれていた。
「よかった……ほんとうに、ほんとうに無事で。このまま起きないんじゃないかと……ずっと心配してたのよ……」
「り、凛子先輩……すみません、心配を掛けてたみたいで……? 目覚めなかったら?」
カナは凛子に心配を掛けてしまったことを察して咄嗟に頭を下げる。しかし、凛子の言葉のニュアンスにふと疑問を抱き、彼女は問いかけていた。
「先輩、わたし……どうしてここに? もしかして…………何日か、寝てましたか?」
「……二日だ、馬鹿」
カナのその疑問に、春明が呆れ気味に答える。
「あれから二日経ってる。色々大変だったぞ……」
そう、家長カナはあの後すぐに気を失い——それから二日も経っていた。
そしてその二日間。何があって彼女がここで寝かされていたのか?
春明はその経緯を静かに語り出していた——。
「——カナちゃん? おい!! カナちゃん!?」
奴良リクオの悲鳴が響き渡ったのは、二日前の弐条城でのことだ。
山吹乙女の亡骸を抱き抱えたまま、家長カナは突然気を失う。だが、それも考えてみれば当たり前のこと。連日連夜戦い続け、負傷した傷の手当ても騙し騙しの応急処置でここまで無理に身体を行使し続けてきたのだ。
妖怪であれば、もう少し踏ん張りも効いたかもしれないが、家長カナは紛れもない人間である。
当然その体力には限度があり、ここに来てその限界が一気に彼女の体に負担を掛けていた。
「しっかりしろ!! 今——」
崩れ落ちるように倒れ伏す幼馴染の身体を抱き止めようと、リクオは即座に彼女の元へと駆け寄ろうとした。
しかし——
「触んなや」
「——っ!!」
カナに触れようとしたリクオを牽制するため、土御門春明が陰陽術・木霊を行使する。木の根を針と化す『針樹』を用い、躊躇なくリクオへと突き刺してきたのだ。
「うおっ!? 土御門……テメェっ、何しやがる!!」
咄嗟にその攻撃を避けるリクオ。当たり前のことだが彼は抗議の声を上げる。
「リ、リクオ様、ご無事ですか!?」
「き、貴様!!」
「こんなときに何を!?」
リクオの側近である奴良組の面々も憤慨する。
長い京都での戦いが終わったと思ったこの瞬間に、まさかこのような暴挙に出るとは考えてもいなかったのか。対応が僅かに遅れるも、すぐにリクオの元へ彼を守るために集まってくる。
「……けっ」
しかし、そんな周囲の反応を大して気にした様子もなく春明はカナの元へ。彼女とリクオが一緒にいるのを阻止するかの如く、その眼前に立ち塞がる。
「何がしっかりしろだ。だいたい……どこの誰のせいで、こいつがこんなにボロボロになってると思ってる?」
「そ、それは……」
春明のその指摘に、特につららが責任を感じてか口ごもる。
カナの怪我や疲労の原因。一概に全てとは言えないが、やはり一番効いているのが土蜘蛛にやられた時の一撃だろう。土蜘蛛の拳、つららを庇って受けたあの一発が間違いなくカナの体力をごっそりと持っていった筈だと。
今になって春明がそのことで奴良組を責め、それに対して反論を述べることができない一行。
「こいつは俺が連れていく。テメェらは大人しく引っ込んでろ……」
そのように吐き捨てながら、春明はカナを一人で連れて行こうとする。
「……待ちな」
だがそれで大人しく引っ込んでいられるほど、奴良リクオは聞き分けの良い性分でもないし、大人でもない。
「俺はまだ、テメェを信用したわけじゃねぇ。カナちゃんの手当ては……俺の組のもんにやらせる」
リクオの視点からすれば、春明の方こそ決して信用できる相手ではない。このまま幼馴染を連れて行かれてたまるかとばかりに、彼は袮々切丸の折れた刀身を春明へと突きつける。
「ほう、折れた刀で粋がるじゃねぇか。俺にソイツを向けたってことは……やりてぇってことだよな?」
途端、リクオを見下ろす春明の視線により一層、冷たいものが宿る。
思えば、初めの頃から反りの合わなかった両者。共通の敵である京妖怪、家長カナを守るという共通の目的があったからこそ、今の今まで共闘することができていた。
だが、カナが動けなくなった今、もはや春明の方にリクオに手を貸してやる理由はないと。いつでも戦闘行動に移行できるよう、彼は狐面の面霊気を顔へと近づけていく。
「…………」「…………」「…………」
春明の敵対行動に対してリクオを含めて奴良組、遠野妖怪たちまでもが殺気立つ。
まさに一触即発。ここからさらに妖怪と陰陽師による一大決戦になるのか、と思いきや——
「——ええい!! アンタら、ええ加減にせえぇえええええええ!!」
今にも始まろうとしていたその無意味な争いを静止するため、彼女が——花開院ゆらが叫んでいた。
「そんなことしとる場合か!? 今は一刻も早く、この子を安全な場所で手当てするのが先やで!!」
「…………」「す、すまねぇ……ゆら!」
彼女の怒声と、全くもってその通りな正論を前に春明とリクオの二人が戦意を引っ込める。
確かにカナの身を第一に考えるのであれば、こんなところで不毛な争いをしても仕方がないのだ。
「とりあえず、この子はウチで預かる……それでええな、二人とも!?」
譲れない意思をぶつける両者の折衷案として、ゆらがそのように申し出ていた。実際に手当てするにしても、おそらく花開院の本家に戻るのが一番なのだから。
「…………まあ、いいだろう」
これにさすがの春明も折れ、大人しくカナの身柄をゆらたちに預けることになった。
「——いやいや、何やってるの!?」
そこまでの話を聞き終え、当の本人である家長カナが素っ頓狂な声を上げる。
「なんでそこでリクオくんと揉めるの!? 意味がわからないんだけど!?」
「……私も。今の話は初耳だけど……それはちょっとね……」
カナはリクオのことも、春明のことも信頼のおける相手として見ている。カナからしてみれば、どちらの保護を受けようとそれは問題ではない。だからこそ、なんでそこで彼らが揉めるのかいまいち理解できなかった。
一緒にその話を聞いていた凛子も同意見だ。本当に、どうしてそんなことでいちいち問題を起こすのかと。
男の子の気持ちや考えを分からないと、二人の女子は呆れた溜息を吐く。
「……うるせぇな、黙って続きを聞け」
二人の女子の冷たい視線に、春明はバツが悪そうにそっぽを向く。
とりあえず、この話題からは離れた方が賢明と考え——
彼は別の話——そのあとの展開について続きを語っていく。
「——いいんだな、リクオ……」
「——ああ」
家長カナの保護する先を花開院家と定め、奴良リクオが安堵するのも束の間。
ぬらりひょんが孫である彼に対し、もう一人の人物の処遇に関して念を押すように問い掛ける。
もう一人の人物。それはリクオにとっても、カナにとっても縁深い相手——山吹乙女その人である。
鴆が傷の手当てを施したことで、彼女は包帯だらけの痛ましい姿となっている。
既に呼吸も止まっており、その肉体からは妖怪にとっての生命線である『畏』も全く感じられない。
人間としても、妖怪としても。もはや生きている状態とはいえない、空っぽの器。
しかし、だからといって粗末に扱っていい亡骸ではない。
リクオはその亡骸を優しく抱き抱え——その身柄を京妖怪たちに差し出していた。
「…………いいんだね。アンタにとっても、この方は肉親みたいなもんだろ?」
これに戸惑いを見せたのが現時点での京妖怪の代表・狂骨であった。
本来であれば京妖怪の代表格とも呼べる面子は鬼童丸や茨木童子だ。しかし彼らは地獄へと向かった安倍晴明についていってしまった。今現世に残っている京妖怪は晴明ではなく、羽衣狐そのものに信を置くものたちだ。
羽衣狐をお姉様と慕う狂骨。同じく羽衣狐に心酔する巨大な骸骨・がしゃどくろ。
「すまない、恩に着る」
羽衣狐に拾われ、京の空を守護していた門番・白蔵坊もリクオに礼を言う。
その他にも。羽衣狐のために京妖怪の残党が集まり、敵であった奴良リクオの行為に感謝、或いは戸惑いの表情を浮かべていた。
何故、敵であった彼が自分たちのためにわざわざ羽衣狐の手当てを施し、その身を返してくれるのかと?
彼女は、リクオにとってもきっと大事な人である筈なのに。
その困惑に奴良リクオは答える。
「——こいつは……羽衣狐は、お前らの大将だろ」
奴良リクオの指摘した通り。羽衣狐は現世に残った京妖怪たちにとって唯一の拠り所。
行く宛のない彼らにとっての象徴、指針となるべき人物だ。たとえ物言わぬ骸となってもそれは変わらない。
もしも羽衣狐がいなくなれば、京妖怪は再び散り散りとなってしまうだろう。下手に集結されても問題だが、バラバラに好き勝手に行動されてもそれはそれで問題だ。
京妖怪たちが孤立して暴走しないためにも、これはこれで必要なことだっただろう。
だがそれ以上に——気持ち的な意味でも奴良リクオは京妖怪たちに羽衣狐を託すべきだと考えていた。
「京妖怪には……京妖怪なりに信念があった」
人間たちを苦しめ、多くの人を殺めた極悪非道な連中。
だが彼らにだって譲れないものが、信念や想いがあった。それは敵であれ、寧ろ敵としてぶつかったからこそ、リクオには痛いほど理解できた。
だからこそ、リクオは京妖怪に羽衣狐を——山吹乙女の身柄を預ける。
「……すまねぇ、カナちゃん。後で必ず詫びはする」
乙女と何かしらの因縁があるであろう家長カナが果たしてこの選択をどう受け取るか。
彼女が気を失っている最中にこんな大事なことを決めた後ろめたさを抱きながらも、リクオはこれが正しいことだと信じ、羽衣狐を狂骨たちに託していた。
「——そっか……乙女先生はやっぱり…………」
話の一部始終を聞き終え、カナが力なく項垂れる。
山吹乙女の亡骸に縋りつきながら気を失ってしまったカナ。もしかしたら、それ自体が全て夢だったんじゃないかと、ほんの少しだが期待していた部分もあった。
目が覚めたら何事もなかったかのように、意識と記憶を取り戻した山吹乙女が自分を出迎えてくれるのではないかと。そんなことを一瞬とはいえ夢想していた。
だが、全て現実だった。
山吹乙女は確かに息を引き取り、その亡骸は京妖怪たちに預けられたのだ。
「まったく……あの甘ちゃんめ。余計なことばかりしやがる」
春明はそのリクオの行為。羽衣狐を京妖怪たちに渡してしまったことに小言を漏らしていた。
これは実際、人間側——陰陽師の観点からすれば大きな問題行動である。
特に花開院家からしてみれば、残党とはいえ京妖怪を一掃できたまたとない機会だった筈。それをわざわざ見逃し、敵の象徴とも呼べる羽衣狐を返してしまったのはかなりの痛手である。
しかし——
「……ううん、これでよかったんだよ……」
カナは京妖怪たちの元に羽衣狐の亡骸が渡ったことに関し、特にリクオを責めようなどとは思わなかった。
カナにとっても羽衣狐——山吹乙女は確かに特別な存在だ。できることなら、彼女を自分の手で手厚く葬って上げたいとも思っていた。
それこそ、鯉さん——奴良鯉伴が眠る、あの池の中へと。
だが乙女を、羽衣狐を慕っているのは自分だけではない。
亡骸とはいえ、彼女を必要としているものがこの時代にいるのであれば、その者たちのためにも自分が我慢すればいい。
「大丈夫……リクオくんが任せたのなら……きっと大丈夫だから」
何より、誰よりも山吹乙女と縁深い身内同然のリクオが、信じて京妖怪たちに託したのだ。
ならばいちいち自分が口を出すべきではないと、カナは彼の判断を支持するつもりでいた。
「……ふん、そうかい」
カナの納得する様子に春明は気に入らなさそうに鼻を鳴らし、話は終わったとばかりに席を立つ。
ちなみに、彼はカナと山吹乙女の関係性についてはあまり関心がないのか。カナの口から出てくる「乙女先生」という意味ありげな呟きに、ほとんど無反応で詳しい説明を求めてこなかった。
興味のないことに対してはまったく関心を示さない、土御門春明という人間の在り方。
少しドライだが、余計なことを根掘り葉掘り聞こうとはしてこない。カナとしても一切気を使う必要がない。今の彼女にはそんな彼との距離感が有り難かった。
「……白神、後のことは任せるぞ」
そのまま、春明はカナの看病を白神凛子へと任せて部屋を出て行った。
×
「……凛子先輩が、ずっとわたしの看病してくれてたんですか?」
春明が立ち去ったことで、カナと凛子は室内で二人っきりとなる。
カナは凛子に対して、今まで正体を隠していた後ろめたさからどのように接していいのか分からず、やや居心地が悪かった。
だが、自分の看病をしてくれていたのはどうやら凛子だったらしい。彼女は慣れた手つきでタオルを絞り、カナの汗を拭ってくれる。
「礼を言われることじゃないわよ……私も心配だったし。土御門くんにも、頼まれてるしね」
「……兄さんに、ですか?」
花開院家にカナが運ばれて真っ先に——土御門春明は白神凛子を無遠慮に連れて来させ、カナの看病に当たらせたという。
当然、重症だったカナの手当のために医者の手を借りはしたが、それ以外の余計な面子。奴良組や花開院家のものたちに春明はカナの看護を任せなかった。
信用のおける人選として、彼は白神凛子を選んだのだ。
「はぁ~、まったくあの人は……けど、ありがとうございます先輩。おかげで助かりました」
変なところで未だに意固地な春明の態度にカナはため息を吐くが、凛子というカナにとっても信頼のおける相手を選んでくれたことは素直に嬉しかった。
そのせいで凛子に迷惑をかけているのではと思いながらも、カナは改めて彼女に礼を述べた。
「ところで……先輩たちは大丈夫でしたか? 皆は……清十字団の皆に怪我とかありませんでしたか!?」
ふと、そこでカナは清十字団のことを思い出し、その安否を凛子に尋ねていた。
それは決して忘れていたわけではなかったのだが、目の前の戦いに喰らい付くことに必死ですっかり失念していた友人たちの安否だ。
京都に来ている筈の清十字団。清継や島、巻や鳥居など。
彼らが京妖怪との戦いに巻き込まれていないかどうか。戦いが終わったあとだからこそ、今になって心配する余裕が生まれて不安が過ぎる。
「ええ、大丈夫よ。清継くんたちも、皆も何事もなかったから、うん……」
厳密に言えば凛子一人は京妖怪との戦いに巻き込まれたのだが、それはあえて口にしないでおく。少し怖い思いをしたが、実際に怪我などはしていないのでわざわざ話す必要もないと感じたのだろう。
「皆には……上手いこと誤魔化しておいたから」
「えっ!?」
「カナちゃんの怪我のこと……妖怪のせいなんて言ったら、怖がらせちゃうでしょ?」
凛子によると、カナがここに運ばれてきたことは清十字団にも知れ渡っているらしい。彼女が気を失っている間にも、何度か見舞いに来たとのこと。
だが、カナが妖怪との戦いで疲弊したいうことは当然ながら話していない。
凛子やゆら、リクオなどの事情を知るメンバーで話を合わせ、皆に心配を抱かせないようにしているそうだ。
「そうなんですか…………あの……凛子先輩は、わたしのことは……」
そう、事情の知るメンバー。その中に凛子が入っているということに、カナは今更になって恐る恐ると尋ねる。
彼女が自分の看病を疑問なくしていることから分かるように——
「ええ、聞いたわ……土御門くんから。一通りのことはね……」
「……そう、ですか…………」
奴良組の幹部や、ゆらが知ってしまったように凛子も知ってしまったのだ。
家長カナが抱えていたものを。彼女の過去を——。
「ごめんね……勝手なことして。どうしても知りたくて……知らなくちゃと思ったから……」
「いえ、そんな……わたしの方こそ今まで黙ってて……」
凛子は春明からカナの過去について、彼女の許可もなく勝手に聞いてしまったことを謝る。
しかしカナの方も、今までそのことを秘密にしていたことに負い目を感じていた。
「……秘密にしてたってほどじゃないんですけど……なんか……言い出しにくくて……」
カナとしては、凛子に自身の過去について知られることにそこまで抵抗はなかった。
リクオや他の清十字団とは違い、凛子はカナが妖怪世界に縁深いことを初対面の頃から知っていたし、特別隠し立てすることなど実のところないのだ。
けれども、さすがに己の抱えている事情を自分から大っぴら語ることには抵抗があったため、率先して話はしないでいた。
その結果が——今日の気まずい空気を生み出しているのだろう。
「…………」
「…………」
何を話していいか分からず、沈黙によって支配される部屋の空気。
カナも凛子も。会話のきっかけを失いどうしたものかと途方に暮れていた……………………のだが——
ぐぎゅるるる~
「…………えっ?」
「…………」
その間の抜けた音響に、気まずさから俯かせていた顔を上げる凛子。
それは長い間気を失い、何も食べていなかった家長カナの肉体が彼女の意志とは関係なく鳴らしてしまった——お腹の虫の鳴る音であった。
しかも相当に空腹なのか、音は鳴り止むことなくさらに二回、三回と鳴り響く。
「……ご、ごめんなさい!」
恥ずかしい、年頃の乙女としてあまりにも恥ずかし過ぎる。
家長カナはあまりの羞恥心から、真っ赤に染まる表情を必死になって隠そうと顔を手で覆う。
このときほど、カナは自身の正体を隠す面霊気を欲したことはなかったという。
「……ぷっ! ふふふ……あはははははははは!! ちょっとカナちゃん! 変に笑わせないでよ、はははっ!!」
「すいません……ほんとうにすいません!!」
しかし、結果的にそれがよかった。
先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように凛子が快活に笑い出す。カナも恥ずかしそうに顔を赤らめてはいるが、その表情は緩み、確かな笑みが浮かべられている。
ようやく、ようやく二人の少女はいつものように笑い合う穏やかな日常に戻った。
「はははっ!! そっか、そうだよね! お腹空いてて当然だよね。待ってて、今何か簡単なものでも作ってくるから!!」
凛子は笑いながら立ち上がった。
彼女はお腹を空かせたカナのため何か簡単な料理でも作ってこようと。花開院家の台所に向かおうと、襖を開けて部屋から廊下へと出て行く。
「あっ……」
「……? 先輩、誰か来てるんですか?」
すると、凛子は部屋の前。廊下で誰かと顔を合わせたのか、一度そこで立ち止まる。
カナからはそこに誰がいるかは見えない。いったい誰が来ているのかと、凛子に客人の様相を尋ねていた。
「……少し席を外してくるから。きちんと話し合ってね……」
凛子は、カナの問いには答えなかった。
彼女は部屋の前で鉢合わせた相手にそのように告げ、そのままそこから立ち去っていく。
「…………」
暫く、その見舞客は部屋の前で佇んでいた。
しかし、ようやく意を決したのか。『彼』はカナの待っている室内へと足を踏み入れる。
「あっ……」
訪れた人物を前に、カナの表情が一瞬揺れる。
だが既に覚悟を決めていたこともあり——彼女はすぐにその男の子の来訪を受け入れ、歓迎する。
「いらっしゃい、リクオくん。来てくれてありがとう……」
「…………カナちゃん」
そう、そこにいたのは奴良リクオ。昼間ということもあり、今は人間の姿。
夜の妖怪のときとは打って変わり。
どこか自信なさげな様子で、彼は部屋の入り口で一人立ち尽くしていた。
×
「…………」
「…………」
凛子といたとき以上の沈黙が、二人の間で流れる。
家長カナと奴良リクオ。普段であれば気兼ねなく笑顔を向け合う幼馴染の間柄だが、今の二人の表情はどちらも曇り顔だ。
それもその筈、二人は今から互いに『秘密』にしていたことを話し合わねばならない。
戦いの最中はそれどころではなかったと後回しにしていたことだが、戦いが終わった今となってはそれを放置しておくことは出来ない。
今後の憂いを払うためにも、この機会に話すべきことは話しておくべきだと。
気まずさの中において、とりあえずリクオが静かに口を開く。
「……カナちゃんは……ボクのことはいつから……その、知ってたのかな?」
一番最初にリクオは自身の秘密——いや、秘密にしていた思っていたこと『自分が妖怪であること』をいつから知られていたのか質問する。リクオとしては完璧に隠していたと思っていただけに、それを知られていたこと事態が割と衝撃的だったりする。
もっともこの質問に関して、カナもただ淡々と事実だけを述べていく。
「ええっと……リクオくんが妖怪だって知ったのは、私が浮世絵街に戻ってきた頃だから……再会して暫く経ってからだっけ……ほら、わたしってば、小学校の時に転校してきたでしょ?」
「ああ、あのときの……」
言われてリクオが思い出す。五年くらい前だったか、小学校に転校してきた家長カナのことを。
「あのときは本当にびっくりしたよ。だってカナちゃん、いきなり泣き出すんだもん!」
「あっ……あれは! その……う、嬉しかったから……つい……」
そのときのエピソードを思い出してか、思わず笑みを溢すリクオ。
それに対しカナは恥ずかしそうに顔を逸らしつつも、少し表情を緩める。
少しずつだがいつもの調子を取り戻してきた二人。そこからカナが、リクオがお互いにそれぞれの旅路——
如何にして自分たちが今日に至ったのか、その道筋を語っていく。
まずは——奴良リクオ。
彼は自分が妖怪任侠組織・奴良組の三代目。妖怪ぬらりひょんの血を四分の一受け継ぐ『半妖』であることを告白する。
その事実はカナにとって既知なことではあるが、自分の口から言い出すことでリクオは改めて己の秘密を打ち明けるという行為に躊躇いを失くしていく。
彼が妖怪として覚醒したのは四年前。それこそ、家長カナを始めとした友人たちを救うため、妖怪としての血を覚醒させた。
しかし、それから四年間はずっと人間であろうと必死に努力してきた。人間たちに仲間外れにされたくないと、人として生きる道をずっと模索し続けてきた。
けれども、それでは駄目だと。リクオは奴良組の幹部・牛鬼によって諭された。
自分が妖怪として、奴良組の三代目として、新たな魑魅魍魎の主として立ち上がらなければ何も守ることは出来ないと。
妖怪の仲間たちのためにも、そして人間が悪戯に妖怪たちに苦しめられないためにも、彼は妖怪としての自分を受け入れ、奴良組を引っ張っていく決意を固めた。
そこから、リクオは妖怪の大将としての道を進んで行く。
四国から侵攻してきた、八十八鬼夜行を率いる隠神刑部狸・玉章の撃退。
遠野へと連れていかれ、妖怪としての戦い方を命懸けの修行を経て会得。
そして友人であるゆらを助け、自らの過去、因縁に決着を付けようと羽衣狐と対峙するため、この京都まで遠征へと赴いた。
その激闘の最中で——彼は狐面の少女であった幼馴染の正体・家長カナのことを知ってしまったのだった。
「そっか……リクオくんも……やっぱり色々あったんだよね……」
それらの話、カナも一部は知っていることだ。
しかし、本人の口から語られる気持ちのこもったそれは、外から見ているだけでは伝わらないものをカナへと伝えてくれる。
リクオがどれだけ困難な道を歩んできたか。彼が——自分の正体を知ってどれだけ驚いたことか。
「わたしからも……全部話すよ」
「……大丈夫? 別に、無理をする必要はないんだよ、カナちゃん……」
今度は自分の番だと重い口を開こうとするカナに、リクオが無理はするなと気を利かせる。
教えてくれるに越したことはないが、そこまで無理はさせたくないと。
「ううん……話すよ。それが……これまでリクオくんや、何も知らない人たちに騙してきた……贖罪になると思うから……」
けれど、カナは話すと決心していた。
ずっと真実をひた隠しにしてきた幼馴染に、これまで自分が歩んできた道筋を。
それが嘘を付き続けてきた、せめてもの罪滅ぼしになると信じて——。
「——そ、そんな……カナちゃん。キミは本当に……そんなにも多くのものを背負って……」
「ちょっ、ちょっと、リクオくん!?」
カナは全てを語っていた。
リクオにこれまで起きたこと、経験してきたこと。
家長カナという人間の半生とも呼ぶべきそれらを——。
「ボクは……ボクは本当に、本当に……何も知らなかったんだね……キミのことを…………」
リクオもリクオなりに覚悟はして来たつもりだった。
カナが眠っている間の数日で、その過去を聞く心の準備を——。
全てはカナの口から直接聞くと決めており、リクオは既に彼女の過去の一部を知っている奴良組の幹部や、ゆらや凛子たちからも一切事前情報を仕入れずにカナと対面していた。
しかしリクオが思っていた以上に、家長カナという少女が歩んできた人生は過酷すぎた。
その過酷さに、彼女のためにも安易に同情はすまいと堪えていた涙がリクオの瞳からこぼれ落ちていく。
「も、もう……なんで、リクオくんが泣くのよ……大丈夫……私は…………大丈夫……だから……う、ううっ!!」
その涙に釣られてか。最初は健気に大丈夫と笑顔を強がっていたカナの表情もだんだんと曇っていく。
自然と彼女自身も涙ぐんでいき、気が付けばぐしゃぐしゃに泣きじゃくっていた。
けど、それでいい。
下手に誤魔化しの笑顔など振り撒かず、泣ける時にこそ泣いた方がいいのだ。
他の者ならいざ知らず、リクオにならばその弱みを見せることができると。
家長カナはこれまでの過去を思い返しながら、リクオの胸を借りて涙を流していく。
カナのこれまでの半生。
それは客観的な視点から見ても——過酷の一言で済ましていいものではないのだろう。
八年目から始まった苦難。
彼女は幼い頃、多くの人間たちが目の前で殺される光景を見せつけられ、その時に両親も失った。
辛くも自身は生き延びたものの、その光景がショックのあまり心を壊されてしまう。
生き残った彼女がたまたま拾われた先、半妖の里。
そこで信頼できる人々と出会い、長い長い療養生活を過ごすことで、ようやく人としての心を取り戻していく。
そして、里の総意によりカナは外の世界。元いた人の世に戻るため、故郷である浮世絵町に戻ってきた。
けれど、そこで穏やかな生活は取り戻すことはできず、まだまだ彼女の試練は続く。
自分の世話をするため、浮世絵町まで付いて来てくれた恩人を——彼女は目の前で殺される。
突如襲ってきた敵。リクオを苦しめるため、カナを殺そうと画策していた吉三郎という残忍な妖怪によって。
無力感に苛まれるカナ。
それでも彼女は立ち上がり、自らも戦う覚悟を決め、リクオを守るため『狐面の少女』として活動していく。
正体を隠し、影からリクオを守るために微力ながらも力を尽くしていく毎日。
けれど、やっぱり自分は無力だと。リクオや他の人たちの強さを前に彼女はまたも決心。
自分なりに戦う術を求めて、彼女は一から神通力の扱い方を学ぶために半妖の里へと戻り、その地を守護する大天狗の元で修練を積むこととなる。
そして、その修行の過程でカナは思い出すこととなった。
自身の前世にて慕っていた先生、山吹乙女と交わした約束を——。
幼い頃。異境の縁で出会ったリクオの父親、鯉さんこと奴良鯉伴と交わした約束を——。
二つの約束が、今のカナを形作っていた。
その約束を思い出したことで自分は強くなれた。力は勿論、心だって——と、勇んで京都へと馳せ参じることになったカナ。
なのに、それなのに。どうして、運命はどこまで彼女を苦しめるのか?
京都での戦いでさらなる試練がカナを打ちのめすことになろうと、いったい誰に予測できただろうか?
ようやくリクオの下で戦えると思った矢先に、カナの正体が彼にバレてしまった。
それでも、リクオがカナのことを受け入れてくれたと喜ぶのも束の間。
カナは山吹乙女と思いがけぬ再会を果たすことになり、そして——。
乙女の苦しみ、その身を利用されての悍ましい『陰謀』を知る、知ってしまう。
その元凶の一人とも呼べる存在。
どこまでも、どこまでも。カナの人生を苦しめるかのように追いかけてくる『奴』の影を——。
そして——彼女は決意することとなった。
「ぐす……ようやく話せたね。何だか……ちょっとスッキリした……かな?」
ようやく涙が収まり、ここまでのことの経緯を語り終えた家長カナ。
カナにとって、全てを曝け出すことは決して楽な時間ではなかったものの、何故だが不思議な解放感もあってか穏やかな笑みを浮かべていた。
もしもあのとき、自分の正体が暴かれていなければ、このような笑みを浮かべることもなかっただろう。
自分のこれまでの『嘘』が知られてしまうことは辛いが、正体を隠したままというのもきっと辛かっただろう。
結果オーライだが、これはこれで良かったと。カナは自分勝手かと思いながらも、全てを話すことでホッとしていた。
「……カナちゃん」
一方で、打ち明けられたリクオ。
想像以上に重い話。幼馴染の彼女の背負ってきた過去にすぐには気持ちを立て直すことができず、暫し呆然と立ち尽くす。
だが、それもほんの数秒だ。
「カナちゃん……ほんと、話してくれてありがとう」
「リ、リクオくん……!?」
彼はぐっとカナへと顔を近づけ、全てを話してくれた幼馴染の手を力強く握る。
いきなり手を取られたことにカナはびっくりして目を丸くするも、リクオは構わずに続けた。
「今まで気づくことができなくて本当にごめん!! だけど……もういい。もう……きみを一人にはしないから!!」
京妖怪との抗争という激しい戦いを終えたばかりもあってか、熱を帯びた口調のままリクオはカナへと己の気持ちをぶつけていく。
「もうこれ以上、キミが傷つく必要はないんだ! もう、誰にもカナちゃんを傷つけさせたりしないから……だから、だから——!!」
「リクオくん……」
意を決した覚悟で少年は、何かを少女へと伝えようとしていた。
少女もまた、少年が何かを伝えようとしているのを察して静かに彼の言葉を待つ。
何気なく『いい感じのムード』になっていたよう、だったが——
「——お待たせ、そろそろ話も終わったと思うから、食事でも……」
「——家長さん!! 目を覚ましたって聞い……」
そのタイミングで食事を運んできた凛子。
カナが目を覚ましたと聞き、見舞いにやって来た花開院ゆらが部屋へと入る。
襖を開けたまさにその直後だ。
彼女たちの視界には——少年と少女が顔を近づけ、手を取り合い見つめ合っている光景が飛び込んできた。
「……し、白神先輩……?」
「ゆ、ゆらちゃん………?」
乱入者の存在にビックリ、リクオとカナはその姿勢のまま硬直する。
「…………」
「…………」
凛子とゆらも、二人がいい感じになっているその現場を目撃し、その光景をガン見したまま硬直。
そうして、まるで時が止まったかのように両サイドとも動きを止める。
「…………ご、ごめんなさい!! お邪魔だったみたいで!!」
「ち、違っ!! 凛子先輩!!」
我を取り戻した凛子が恥ずかしそうにその場から離れていこうとするのを、カナが必死に止める。
「何や、チューか? チューでもするんか!」
「し、しないよ!?」
キスでもするのかと勘違いするゆらの誤解を、リクオがこれまた必死に解こうとしていた。
×
「……ごちそうさまでした。美味しかったです、凛子先輩」
「そ、そう? 口に合うようなら、よかったわ……」
その後。何とか誤解を解き、カナは凛子が持ってきた軽食を一通り食べ切る。もう何日と何も口にしていなかったため、とても美味しく感じられた凛子が手作りで作ってくれたお粥。
正直なところまだまだお腹は空いていたが、これ以上何かを摂取するのは胃に刺激を与え過ぎだ。食事を終えたカナはそのまま布団へと潜り込み、もう一休みすることにした。
「ふぅ~、ちょっと話しすぎて疲れたかも。ケホッ……少し休むね」
「えっ……あ、う、うん。わかったよ……」
咳き込みながら寝る姿勢に入ったカナに、一瞬何かを言いかけるリクオ。
しかし、彼女に長話をさせて負担を掛けたことを自覚しているのか大人しく部屋を立ち去る。
「それじゃ、私たちも……」
「家長さん、ゆっくり休んだらええで」
凛子もゆらも。カナの容態が一通り回復したことを確認し、安心して退室していく。
「——まったく、油断も隙もないで……奴良くんめ!!」
カナの見舞いを終えたゆら。凛子やリクオとも別れ、彼女は花開院家の廊下を一人で歩いていく。
彼女は御立腹だった。こっちの心配をよそに、いい感じの空気を作り出していたリクオとカナに。
あの瞬間、自分たちが部屋に入って来なければ本当にキスでもしていたかもしれないと、ゆらの脳みそがその情景を自動的に補完していく。
『カナちゃん……』
『リクオくん……』
「ええい、駄目や駄目や!! あんたらまだ中学生やろ!! チューなんてまだまだ早い!! もっと清い交際から……いや、そうやない! そもそも人間と妖怪が付き合うなんて……そんなの、そんなの!!」
「……ゆらちゃん。キミは何と戦っとるんや?」
そんな妄想と一人戦うゆらに、十三代目秀元が呆れた様子でため息を吐いていた。
先ほどから、秀元がピッタリとゆらの背後をついてきているのだが、まるでそれが見えていないかのように彼女は自らで作り出した妄想相手にツッコミを入れていたのだ。
「秀元!? あんた、まだいたんか!? もう戦いは終わったんやから、とっとと帰り!!」
声を掛けられたことで、彼女はようやく後ろの秀元に気づく。京妖怪との戦いが終わって尚、未だに現界を続ける彼にとっとと退場するように割と冷たく言い放つ。
「そ、そんなこと言わんといて、ゆらちゃん。ボクにだって、まだまだやることがあるんやで? 秋房くんにボクの持てる技術を伝えとかなきゃあかんのや」
「あ……そういえば、そやったな」
戦いが終わっても秀元にはやることがあった。
それは、奴良リクオの刀——袮々切丸を新しく作り出す手伝いをすることだ。
安倍晴明によって折られた、リクオの愛刀・袮々切丸。
リクオがもう一度晴明と戦うためにも、どうしてもその刀を復活させなければならない。
同じ刀ではダメだ。あの刀を超える新しい袮々切丸を——。
そのためにリクオとゆらが頼った相手が、花開院・妖刀造りの天才——花開院秋房だった。
秋房の妖刀造りの腕を見込み、リクオがゆらの紹介で彼に頼み込んだ。
『——あなたに、袮々切丸を超える刀を作って欲しい』
『——共に戦いましょう』と。
リクオの呼びかけに、秋房は涙ながらに喜んでいた。
『——わ、私でよければ。この力でよければ……』
それは妖怪に操られ、仲間である陰陽師たちをその手に掛けた秋房にとって救いに感じられただろう。
こんな汚れた自分でもまだ力になれる。安倍晴明打倒のために力を尽くせるのだと。
『——ボクも協力するで♡ 知ってること全部叩き込んだるよ♪』
かつての刀の制作者でもある十三代目秀元も、新たな妖刀作りに快く協力することを申し出てくれた。
それにより、リクオと花開院家は安倍晴明へと届く刃を手に入れようとしていた。
「——だったら、こんなところで油売ってないで、はよう秋房兄ちゃんとこ行って色々と教えてやり」
その時のことを思い出したゆら。
ならば尚のこと、こんなところで暇を持て余している場合ではないだろうと秀元に愚痴る。
「この屋敷内なら、わたしから離れてても自由に行動できるやろ。さっさと秋房兄ちゃんのところに行ってこいや」
破軍の一部である秀元はゆらの式神であり、基本的に彼女から離れて行動することはできない。
しかし、ゆらを中心としたこの屋敷内であれば十分に自立行動が可能であり、四六時中一緒にいる必要もない。ゆらはゆらでやらなければならないことがたくさんあるため、秀元が秋房相手に刀作りを教えるのであれば一人で行くべきだろう。
式神相手とはいえ女子として、男にプライベードを侵害され続け、そろそろ我慢の限界を迎えようとしていたゆらが突き放すように言い捨て、その場から急ぎ足で離れて行こうとしていた。
しかし——
「——ゆらちゃん、キミに……話しておきたいことがあるんや……」
「……っ!? な、なんや、そんな改って……」
秀元の、常に飄々としている彼にしては珍しく、いつになく真面目な口調で彼はゆらを呼び止めていた。その真面目な調子に、ゆらも黙って話を聞く態勢に入る。
そして秀元は周囲の視線を、廊下に誰もいないことを確認した上で、こっそりとゆらに耳打ちするように声を忍ばせながら語った。
「あの家長さんって子……もうこれ以上、無理に戦わせん方がええで」
「え……家長さん? なんで……アンタがそないなこと……」
話題に上がったのは——まさかの家長カナについてだった。
秀元の口から彼女の話題を振られるとは予想できず、ゆらは驚いていた。
しかし、さらに語られる内容に——ゆらは息を呑む。
「あの子をこれ以上戦わせてらあかん……いや、正確には『神通力を行使させたらあかん』って……言い直した方がええな……」
「——……ケホッ! ケホッ!!」
秀元がゆらにカナについて話をしていた頃。一人部屋で休むカナが激しく咳き込んでいた。
「なんだろう……風邪でも引いたかな? ……ケホッ! ケホッ!」
なかなか止まない咳。少し気怠さも感じたため、熱でもあるかなと。
カナは何気ない調子で起き上がり、自身の体温でも計ろうと額に手を当てようとしていた。
だが——
「ケホッ……ガ八ッ!」
嫌な音と共に————カナは手のひらを確認する。
反射的に口元を抑えていたその手には————血が付着していた。
咳に——血が混じっていたのだ。
「…………」
おびただしい血の量だった。
それは普通であればあり得ない異常事態。
これまでの人生、カナの身体にそのような形で不調が現れることはなかった。
確実に、家長カナという少女の身に何かしらの変化が起きている前兆。
それは当の本人である彼女自身が誰よりも理解できていた。
しかし——
「うん……何も問題ないよ……」
彼女はまったく動じなかった。
醒めた目で血だらけの掌を見つめながら、その口元には笑みすら浮かべられている。
その微笑みは、リクオや凛子たちに向けるものとは全くの別物。
どこまでも冷たい、刺すような鋭さを秘めた微笑み。
そんな微笑みを浮かべたまま、冷静な思考で彼女は誰もいなくなった部屋で一人呟いていた。
「……もう大丈夫。リクオくんに受け入れられた今……もうわたしに怖いものなんてない」
「アイツを殺すまで持てばいい、命だから……まだ、大丈夫だよ……フッ」
リクオたちへと正直な気持ちを伝えつつ、彼女の心はやはり憎しみに支配されていた。
自分の人生を、大切な人たちを苦しめてきた奴——吉三郎を憎むあまり、彼女は自身の体調の変化などどうでもよくなっていた。
この命を文字通り——使い潰すことになっても構わないという、心の在りようがその笑みにハッキリと表れていた。
「ふ、ふふふふふ! あはははははははははははっ!!」
どこか狂ったような笑い声が漏れる。
その異変、カナの『精神』に起きた異常と『肉体』に起きた異常。
現時点で、気付いた者は一人——。
「——あのペースで神通力を使い続けてたら、あの子……死んでまうで?」
「——なっ!? い、家長さんが…………死ぬ?」
その者の警告が虚しく、空しく花開院ゆらという少女の心を揺さぶっていた。
補足説明
カナの現在の精神状態について。
体調の方でフラグを建てましたが、精神面でも結構やばい状態です。
彼女の今の精神状態、不本意な形で連載が終了してしまった名作『アクタージュ』内のキャラ、山野上花子さんの台詞を借りて表現しておきます。
『女は面白いですよ』
『宝石のような綺麗な顔をしていても、皆腹の中に禍々しい炎を宿している』
こんな不穏なフラグを残しつつ、次回仮タイトル『さようなら、京都』です。
こっちでは京都編終了ですが、FGOでは京都編・地獄曼荼羅が始まる。
リンボ……てめぇ覚悟しろよ?