家長カナをバトルヒロインにしたい   作:SAMUSAMU

94 / 124
ふぅ~……ようやく書けた。
オリジナルな話なだけに大分時間かかったぞい!

前回は予告タイトルを『若菜恋物語』とさせて貰いましたが、直前になって『若菜鯉物語』と『恋』の部分を『鯉』にさせて貰いました。誤字じゃありませんのでご安心を。

『若菜』と鯉伴……『鯉さん』だから『若菜鯉物語』……我ながら洒落が効いてる!
 
とりあえず注意事項。
今回の話は原作になかった『若菜と鯉伴の馴れ初め話』を詳細に掘り下げている関係上、原作で不明瞭だった部分を作者の方で色々と設定させていただきました。
若菜さんの実家関係など。あくまでオリジナル設定であるということを承知の上でお読みください。


番外編② 若菜鯉物語

 今から十四年前。

 関東最大の妖怪任侠組織である奴良組は一人の男を大将に妖世界頂点の座に君臨していた。

 

 奴良組の二代目、ぬらりひょんの息子・奴良鯉伴である。

 彼こそが魑魅魍魎の主にして、闇夜の王。人間も妖怪も畏怖させる存在。

 

 彼は自身の支配領域である江戸——東京と名前を変えた大都市の上空にいた。

 大勢の妖怪たちをお供に、部下である巨大な百足妖怪の背中に乗って今日も優雅に空中散歩を楽しんでいた。

 

「——ねぇ、鯉伴さん……鯉伴さんてば!!」

 

 だがここ数日。いつもの夜の散歩に多少些細な変化が見られていた。

 

「もう……またそうやって暗い顔してる!!」

 

 静かな闇夜に響く、明るく元気な女の子の声。

 魑魅魍魎が蠢く中でその声は場違い感ながらも、当の本人はまったく気にした様子はない。彼女は妖たちの主である鯉伴の隣に腰かけ、彼に向って無遠慮に声を掛けていく。

 

「ねぇ、笑って!! 幸せは笑ってる人にやってくるんだよ!?」

「あ、ああ……」

 

 そんな少女の言葉に妖たちの王である鯉伴は困惑していた。

 言われたように、彼は口元に笑みを浮かべるのだが——何が気に入らないのか、少女はその笑みに修正を加えようと鯉伴の顔に手を伸ばす。

 

「違う、違う。笑顔っていうのはこうやって……ほら、こうするの!!」

 

 なんとも恐れ知らずにも、彼女は魑魅魍魎の主の顔をムニムニと弄くり回し、その手で無理やり笑顔を作ろうとしてくるのだ。

 これに周囲のお供の妖怪たちが呆然となる。恐れ多くも奴良組の二代目にそのような態度を取れるものなど、少なくとも妖怪たちの中には一人としていない。

 

「や、やめろって! こうか? これでいいのか!?」

 

 少女の行為にたまらず、鯉伴は自身の顔に無理にでも笑顔を作る努力をする。

 その笑顔は不敵な笑みでもなければ、人を食ったような笑みでもない。

 

 文字通り『ニッコリ』と笑う鯉伴の笑顔に、少女はようやく満足気に笑い返す。

 

「やった!! 鯉伴さんが笑った!!」

「は、ははは……」

 

 少女の強引な勢いのままに笑みを浮かばされ、鯉伴はニッコリ笑顔で固まったまま苦笑いを溢す。

 周囲の妖怪たちもそんな主のタジタジな姿にポカンと口を開けたり、笑ったり、冷や汗を流したりと。普段は見せないような表情を見せていく。

 

 いったい、誰が予想しただろう。

 たった一人の少女によって、鯉伴とその配下たちがこうまで振り回される光景など。

 

 その情景を生み出したのが、なんの変哲もない——ただの人間の少女だったということを。

 

「まったく……若菜には敵わねぇな……」

 

 鯉伴はその少女の名を呟きながら、やれやれと言った様子で笑みを浮かべる。

 

 そう、その少女の名は——若菜。

 当時はまだ高校生だったが、そう遠くない未来に彼女は奴良家に嫁ぐことになり、その名を『奴良若菜』と変えることとなるだろう。

 

 

 

 

「——じゃあ~ね~、鯉伴さん!」

「ああ……気をつけて帰れよ」

 

 数時間の夜の散歩を楽しんだ後、若菜は鯉伴に向かって笑顔で手を振りながら別れの挨拶をし、それを微笑みながら鯉伴が見送っていく。

 

 この頃、二人はまだ付き合うという関係ではなく、あくまで『親しい友人』といった感じで互いに距離感を保っていた。若菜も奴良家に住んでいるわけではなく、一応は帰るべき実家というものがあった。しかし——

 

「いや~……それにしても、無駄に元気な子だよな~」

「ほんと、ほんと……ものすげぇ、じゃじゃ馬だよ」

 

 鯉伴と一緒に若菜が家へと帰る背中を見送りながら、お供の妖怪たちが若菜ついて語っていた。

 

 ただの人間の少女が、自分たちの大将にして魑魅魍魎の主である奴良鯉伴に対し、あのような気軽な態度が取れるなど前代未聞であると。

 驚き半分、呆れ半分で若菜という人間の人物像を測りかねていた。

 

「それにしても……本当に変な娘ですな~」

 

 なにせ——

 

 

 

 

 

「——あの人間、両親がタチの悪い悪霊のせいで死んじまったんだろ? なのに、なんであんなふうに笑っていられるんでしょうな~?」

  

 

 

 

 彼女の帰るべき家には誰もいない。

 身内を全て失っていながらも、どうしてあんなにも笑顔でいられるのかと。

 

 

 妖怪である彼らからしても、若菜という少女は理解し難い存在なのである。

 

 

 

 

 

 数ヶ月前まで若菜という少女はとある武家屋敷に住まう、ごく普通の娘であった。

 当たり前のように両親がおり、当たり前のように幸せな日々を謳歌していた。

 

 だが、その幸せも。

 ある日、なんの前触れもなく音を立てて崩れ落ちた。

 

「——お父さん、お母さん……!?」

「——ヒャハハハ! 次はお前の番だぞ、小娘!!」

 

 その日、タチの悪い悪霊が彼女の家に押しかけてきた。

 その悪霊は瞬く間に彼女の両親を殺し、生き残った一人娘でさえも餌食にしようと襲い掛かってきたのだ。

 

 目の前で愛すべき家族が殺され、もはや抵抗する気力を失っていた彼女は己の運命——『死』を受け入れる覚悟で目を閉じた。

 そんな、危機一髪の状況の中。

 

「——おい、何やってんだ……テメェ!!」

「なっ、き……貴様は!?」

 

 少女の危機に颯爽と駆けつけてきた男がいた。彼こそが奴良鯉伴だった。

 

 彼はいつもの夜の散歩中、異様な妖気の気配を感じ取りその屋敷へと押しかけてきた。

 そして、その凄惨な現場を目にした瞬間、一切の躊躇なく彼はその悪霊を斬り捨てる。

 

「——ギャ、ギャアアアアア!」

 

 鯉伴からすれば悪霊の一匹や二匹、他愛のない雑魚に過ぎない。

 少女の命を救い、救われた少女も美男子たる鯉伴に救われた。めでたし、めでたし……

 

 などには、当然ならない。

 

「…………すまねぇ、間に合わなかった……」

「…………」

 

 悪霊を打ち倒したところで、失われた命は戻ってこない。

 少女の両親が『死んだ』という現実は変わることがなく、彼女の表情も凍り付いたままだ。

 

 呆然と項垂れる若菜を相手に、さすがの鯉伴も迂闊な慰めを口にすることができずにいた。

 

 

 

 

 その後、彼女の両親を救うことができなかった鯉伴は足繁くその屋敷に通い詰めた。

 せめて生き残った彼女が日常生活を送れようになるまでは面倒を見ようと。鯉伴なりに少女の未来を憂い、色々と気を使ったりと気苦労を重ねたものだ。

 ところが——

 

「……邪魔するぜ、若菜」

 

 まだ慣れない頃、鯉伴はやや遠慮がちにその屋敷の敷居を跨いでいたものだが——

 

「——あっ! いらっしゃい!! 鯉伴さん!!」

 

 そんな遠慮を吹き飛ばすような、元気いっぱいの表情で彼を迎え入れる若菜の笑顔がそこにはあった。

 

 両親が死んで数日間は、彼女とて塞ぎ込んでいた。実の両親が理不尽に殺されたのだから当然だろう。

 しかし、鯉伴が訪れるようになった、その一週間ほどの間に自身の気持ちに整理を付けることができたのか。

 

 

 彼女は揺らぐことのない微笑みを浮かべ、普段どおりの日常生活を送れるようになっていたのである。

 

 

「……大したもんだな」

 

 その立ち直りの早さには、さすがの鯉伴も驚かざるを得ない。

 

 悲しくない筈がない。不安がない筈がない。 

 親しい者たちを唐突に奪われた、理不尽に対する憤りがない筈がないのだ。

 

 それなのに彼女は、そんな不安や不満をおくびにも出さず笑顔を浮かべられている。

 それどころか、鯉伴に向かって「また暗い顔になってる!」などと駄目出しを言うほどだ。

 

 人間の身でありながら大したものだと。

 このときの鯉伴は改めて人の心の強さ、こんなときでも他者を気遣うことのできる彼女の優しさを強く実感していた。

 

 

「……それに比べて、俺は…………」

 

 そんな若菜の笑顔を前に鯉伴は——自分自身を自嘲していた。

 

 

 

 

 若菜は崖っぷちの絶望から立ち直った。

 鯉伴の存在がその手助けになっていたかもしれないが、最終的に彼女を立ち直らせたのは彼女自身の心の強さである。

 だが彼は、奴良鯉伴は数百年前の離別から未だに立ち直れていない。

 

 

 かつて妻だった女性との別れに、まだ折り合いを付けることが出来ていないのだから——

 

 

 

×

 

 

 

 若菜という少女と過ごす時間、それは鯉伴にとっても安らぎそのものだ。

 

 最初は彼女を慰めるために家まで通い詰めていた筈が、いつの間にか鯉伴自身が若菜と顔を合わせることに密かな楽しみを抱き始めていた。

 若菜も鯉伴と会えることが徐々に楽しみになっていたのか、ついには鯉伴のお供である妖怪たちと一緒になって夜の散歩へと繰り出すようにさえなっていた。

 二人の距離が日々、確実に近しくなっていたのは明らかだっただろう。

 

 しかし、二人の距離は——『親しい』という関係に踏みとどまっていた。

 

 それは他でもない、鯉伴自身が己の気持ちにブレーキをかけていたからに他ならない。

 鯉伴が男として、意識的に若菜と友人以上の関係になることを避けていた。

 

 彼は未だに彼女——山吹乙女の存在を忘れられないでいるのだ。

 

 ——……ああ……分かってるさ。

 

 ——俺は……きっと誰かを真剣に好きになっちまったら駄目なんだ……。

 

 若菜との時間で癒されれば癒されるほど、山吹乙女との想い出が思い返される。

 

 勿論、ここ数百年の間。一時でも鯉伴が乙女のことを忘れたことはない。彼が未だに新しい妻を迎え入れていないのも、乙女のことがあったからだ。

 乙女を幸せにできなかった自分が、他の誰かと幸せになって良い筈がないと。

 自分を罰するように、彼は『自分自身の幸せ』というやつを無意識に遠ざけていた。

 

 ——若菜とも、このままでいい……このままで……。

 

 だから、若菜ともあくまで親しい人間の友人という関係でいいと。

 その距離感を維持したまま、鯉伴は彼女との日々を純粋な憩いの時間として楽しむに留めていた。

 

 そんな、ある日のことだ。

 

 

 

 

「ん……?」

 

 その日、鯉伴は珍しく昼間に若菜の家の近くを通りかかった。

 彼は半妖として普段は夜型の生活を送っており、若菜も日中は高校生として学校に通っていた。

 

 しかしその日、若菜の実家の武家屋敷に大勢の人間たちが出入りしていた。

 家の前には大きなトラックが止まっており、統一した制服を纏った人間たち相手に若菜がにこやかな笑みで応対している。制服を着た人間たちは若菜の家から荷物を持ち出し、それらをトラックへと詰め込んでいる。

 

「……引っ越し、ってやつか……」

 

 現代の人間社会に対して、ある程度明るい鯉伴はすぐに状況を察した。

 それが引っ越し作業によるもの、出入りしている制服連中はその業者の人間たちといったところだろう。

 

「——それでは……荷物はお預かりしていきますね」

 

 既に作業が大方完了したところだったのか。

 引っ越し業者は営業用の愛想笑いを浮かべながら、荷物の入ったトラックでその場を走り去っていく。

 

「よろしくお願いしますね~……あれ? 鯉伴さん……」

「お、おお……」

 

 引っ越し業者に向かって手を振りながら、そこで若菜は鯉伴の存在に気づく。

 

 

 

 

「——この家を引き払う?」

 

 鯉伴は若菜の家にお邪魔していた。

 縁側で彼女の淹れてくれたお茶に口を付けながら、若菜が話してくれる事情に耳を傾けていく。

 

「ええ……この家もさすがに一人だと広すぎて。お掃除とか、管理の方に手が回らないのよ」

 

 表面上明るく努めているが、話す内容が内容だけに少し表情が暗い。

 両親との思い出の詰まった家ではあるが、さすがにこれ以上この家で暮らすことは効率面、心情面、経済面。あらゆる観点から困難であるそうだ。

 

「だから、学校の近くにアパートを借りようと思ってるの!」

 

 そのため家を引き払い、通っている高校のすぐ側でアパートを借りるとのこと。

 住む場所が変わる。それだけであれば鯉伴も「そうか……」と一言呟くくらいで済ませていたかもしれない。ただ——

 

「それから、アルバイトを始めようと思うの! お父さんたちが残してくれたお金はまだあるけど、今後の生活も考えないといけないから」

「——っ!!」

 

 引っ越すと同時に若菜はアルバイトを始めるつもりでいるらしい。両親の遺産があるとのことだが、やはりそれだけで今後の人生を生きていくことは難しいという。

 他に頼れる親族もいないとのことで、彼女は高校生にして自身で稼ぐことを考えなければならなかった。

 

「だから……今後は会える機会も減っちゃうと思うんだ……ごめんね、鯉伴さん」

「……そ、そうなのか……」

 

 謝罪と共に告げられたその事実に、鯉伴は内心ひどく動揺していた。

 若菜と会える機会が減る。今まで当たり前のように彼女との時間を過ごしてきた彼にとって、それは不意打ちに近い衝撃だった。

 

 しかし、今の鯉伴に彼女の生活に口を出す権利などない。

 所詮自分たちは赤の他人。親しい友人とはいえ、別に付き合っているわけでもないのだからこればかりは仕方がない。

 

「それじゃあ、ちょっと出かけてくるね」

 

 若菜はこれから不動産屋に赴き、さっそく住む場所を探してくるという。

 ついでにアルバイト先も。

 

「…………」

 

 鯉伴はそんな若菜の後ろ姿を黙って見送る——そうするしかないと必死に自身に言い聞かせる。

 だが、どれだけ理性で己の意思を思いとどまらせようとも——感情の部分で鯉伴はその選択を拒んでしまう。

 

 気が付けば若菜の腕を掴み、彼女を引き止めていた。

 

「鯉伴さん?」

「…………仕事なんて、探す必要はない。住む場所もだ……」

 

 戸惑う表情を見せる若菜に、鯉伴はその提案を口にしていた。

 

 

「うちで……奴良組に住み込みで働いてみないか?」

「……へっ?」

 

 

 いきなりのことで若菜もキョトンとしていたが、それでも構わずに鯉伴は続ける。

 

「知ってのとおり、奴良組は大所帯でな……家事のできるやつが大いに越したことはない。もし若菜が良ければ……うちで住み込みで働いてみないか?」

 

 住み込みであれば、わざわざ住む場所を探す必要もない。勿論、給料だってキチンと支払う。

 何より若菜が奴良組に来てさえくれれば、わざわざ会いにいく必要もなくなると。鯉伴は彼女が側にいることを期待していた。

 

「いや……済まねぇ。嫌だよな……妖怪屋敷の世話係なんて……」

 

 だがその提案をしてから、鯉伴は己の浅慮を反省する。

 

 奴良組で働く。それは即ち『妖怪に囲まれた生活を送る』ということだ。鯉伴との夜の散歩で妖怪慣れしている彼女とて、そのハードルはかなり高いことだろう。

 

 何より、彼女の両親の命を奪ったのが悪霊——妖怪なのだ。

 そんな彼女に対し、あまりにも配慮のない提案だったと鯉伴は心底から己の発言を後悔する。

 

 しかしだ。

 

「——いいの!? ほんとに!?」

 

 若菜は嫌がるどころか困惑する素振りすら見せることなく、寧ろ喜んでいた。

 そして、自分で良ければと。二つ返事でその提案を受け入れてしまったのだ。

 

 

 こうして——その日から若菜は使用人として、奴良組の世話になることとなったのである。

 

 

 

×

 

 

 

 今更語ることでもないが、奴良組は妖怪たちの総本山。数多の妖怪たちが住み着く妖怪屋敷である。

 

 数百年前まではぬらりひょんの嫁である珱姫、その妹分とでも呼ぶべき人間時代の苔姫などが住んでいたが、二人とも既に人間としての寿命を迎えてしまっている。

 そのため、現在は若菜以外に純粋な人間は誰一人住んでいない。

 そんな妖怪だらけの職場で、果たして若菜は上手くやっていけるかどうか——

 

「——若菜さん! 洗濯物お願いします!」

「——はぁ~い!!」

 

 などという心配、ほとんど無用であった。

 

 さっそく住み込みで働き始めた若菜だが、彼女はすぐにも奴良組に馴染んだ。

 鯉伴との夜の散歩で既に妖怪への耐性を身につけていたこともあり、まったくといっていいほど彼らに対する遠慮がない。持ち前の明るさ、社交性の高さ。テキパキと家事をこなすその技量に妖怪たちの方も、すぐに彼女の存在を受け入れていく。

 

「いや~、働き者ですな……」

「うむ、それにあの器量……これはひょっとして、ひょっとすると……?」

「ええ、もしや二代目もそのつもりで彼女を雇われたのでは?」

 

 そして、一部の妖怪たちは若菜の働く後ろ姿を見ながら、何やらコソコソ話をしていた。

 彼らの何人かは鯉伴と若菜、二人の関係に——何か特別なものがあると察し始めていたのだ。

 

 もしかしたらこのまま、使用人としてではない。

 別の形で——あの人間の少女が、この屋敷に住み続けることになるのではと、そんな期待を抱いていた。

 

「…………」

 

 もっともそんな期待に反し、鯉伴が若菜に手を出すようなことはなかった。

 奴良組で懸命に働く若菜を、彼はただそっと見守る、見守り続けることしかできずにいた。

 

 ——……今更、俺が結婚なんて……。

 

 ——そもそも……人間と妖怪じゃ、寿命が違うんだ。

 

 ——…………乙女、お前だってそう思うだろ?

 

 自分の中で何かと理由をつけては、自分自身を納得させるように鯉伴は己の心を閉ざす。

 自分は、自分などでは若菜を幸せにすることはできないのだと。

 

 数百年前の山吹乙女との一件が、柄にもなく鯉伴をすっかり臆病にさせてしまっている。

 

 しかし、そんな鯉伴の気持ちなど知ったことかとばかりに——

 

 

「——あっ、鯉伴さん!!」

 

「——ねぇねぇ、これ見てよ! 鯉伴さん!!」

 

「——もう!! また暗い顔してる……笑って! 幸せは笑ってる人にやってくるんだよ?」

 

「——……私もお母さんからそう学んだんだ。だから……そんな寂しそうな顔しないで!」

 

「——私、鯉伴さんより長生きして、ずっと見ててあげるから!!」

 

 

 若菜はいつだって鯉伴の心に寄り添い、彼の『傷』を気遣うような言葉を掛けてくれる。

 

「…………っ!」

 

 そんな彼女の優しさ、笑顔を前にこれ以上鯉伴は己自身の感情を、自分の気持ちを抑えることができなくなっていた。

 

 だからこそ。

 ついにその日、鯉伴は若菜へと自身の考え、ありったけの想いをぶちまけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——若菜……俺、お前のことが好きだ……」

 

 その日、鯉伴と若菜は二人っきりで夜の散歩に出掛けていた。

 彼らが訪れていた場所は、既に引き払った筈の若菜の実家である。手放してからそれほど日が経ってなかったため、まだそのままの形で残っている。

 かつて彼女と最初に出会ったその場所で、鯉伴は若菜に告白なるものをしていた。

 

 けれど——自分の想いを打ち明ける鯉伴の表情は決して穏やかなものではなかった。

 彼はまるで、己の罪も一緒に告白するよう、硬い表情で過去に出会ったとある女性のことを口にする。

 

「けど若菜……お前さんが生まれる数百年も前の話だが……俺、もう一回は結婚してんだ……今風でいう、バツイチってやつ……」

 

 若菜のことを二人目の妻として迎える以上、山吹乙女のことは伝えておくべきだろう。

 男のケジメとして、過去に愛した女性がいたことを隠しておくことが鯉伴にはできなかった。

 

「乙女って言うんだ。彼女は……俺のせいで……俺の前から姿を消して……そして……」

 

 彼は全てを打ち明けていた。

 

 山吹乙女と共に過ごした日々を——。

 跡継ぎができなかったという理由から、彼女が自分の前から去ってしまったことを——。

 そして彼女が既に亡くなり、この世から去ってしまったことを——。

 

「俺……ずっとあいつのことを引きずって、自分は幸せになっちゃいけねぇ……そう思ってた。一生、このまま一人で奴良組の看板を背負っていくことだけが、俺の成すべきことだと……」

 

 鯉伴は沈痛な面持ちで、己の心に溜め込んできたものを吐き出していく。

 

 魑魅魍魎の主、闇夜の王者。人間や妖怪たちからそう呼ばれ、尊敬され、畏れられる男。

 しかし、今の彼に本来あるべきような強者としての姿はない。

 若菜の前で本音を溢すその姿は、決して部下や敵対者には見せらない。

 

 人として、男としての弱い部分を——この月夜の下で彼は曝け出していく。

 

「…………」

 

 そんな彼の告白を、若菜は静かに聞き届ける。

 真剣な顔つき。笑顔こそなかったが、そこに鯉伴に対する失望の色などもない。

 

 彼女はただ、目の前にいる奴良鯉伴という男の全てをあるがまま受け入れていく。

 やがて、鯉伴の話を全て聞き終え、おもむろに彼女は口を開いていく。

 

 

「——私ね、ずっと思ってたんだ。鯉伴さん……なんか辛そうだなって……」

 

 

 もとより、鯉伴の背負っていた重い過去の存在に若菜は薄々勘づいていた。

 いつも飄々とした笑顔を浮かべ、仲間の妖怪たちからも頼れ、敵などいないとばかりに堂々と大将としての貫禄を見せつける奴良鯉伴という男。

 しかし、若菜は鯉伴との時間を重ねるごとに、いや……出会った当初から感じていた。

 

 決して弱気な姿を見せようとしないその一方で、どこか暗い影を落としている寂しい横顔を——。

 笑っているのに、どこか笑っていない。彼の本心を——。

 

 そんな彼の辛そうな顔を見るのが嫌で、若菜はずっと鯉伴を笑顔にしてみせようと、常に微笑みを絶やさないでいた。そう、若菜がずっと笑顔だったのも半分以上は鯉伴のためだ。

 

 彼に心から笑って欲しくて、若菜はずっと笑顔で彼の心に呼びかけていたのだ。

 

「……そうだったのか。ふっ、ありがとうな、若菜……」

 

 鯉伴は笑みを浮かべる。

 彼女の想いはしっかりと鯉伴に届いていた。若菜と出会ったこの数ヶ月間、それまで欠けていた安らぎを確かに彼は感じていた。

 

 こんな気持ちになったのは、それこそ山吹乙女と過ごしていた頃以来である。

 そんな安らぎを与えてくれる若菜の存在は、もはや鯉伴にとって欠かせないものになりつつある。

 

 だがやはりまだ、まだ——最後の一歩を踏み出せないでいる。

 

 乙女のことを幸せにできなかったことに——。

 若菜に乙女の代わりを求めているのではという後ろめたさに、彼は若菜に手を伸ばすことができずにいた。

 

 そんな、踏ん切りのつかない彼に——

 

「大丈夫だよ、鯉伴さん……」

 

 若菜の方から手を伸ばしていく。

 彼女はいつものように満面な笑みで——優しく鯉伴へと語りかける。

 

「言ったでしょ? 私が長生きして、鯉伴さんのことずっと見ててあげるって……」

 

 人間と妖怪。何事もなく一生を送れば間違いなく人間の方が先に寿命を迎えるだろう。

 鯉伴は半妖だが、寿命という点では妖怪に近い。二人がたとえ結ばれようとも、結局のところ鯉伴が一人取り残されてしまうことになる。

 けれど、若菜は自分の方が長生きすると。彼に取り残される寂しさを感じさせはしないと、自信いっぱいに言い切ってみせる。

 それは何一つ根拠のない発言だが、どうしてか若菜ならその通りになるのではという、不思議な説得力を感じてしまう。

 

「だから心配しないで……乙女さんへの気持ちだって、きっとそのままで構わないと思うの」

 

 そして、若菜は鯉伴が何より後ろめたさを覚えている『乙女への想い』も否定しない。

 

 

「私は、今も乙女さんへの想いを忘れないでいる……そんな優しい鯉伴さんのことを好きになったんだから——」

 

 

 若菜が好きになった鯉伴という人は、そういう人なのだと。

 乙女を愛していたこと。その人への想いを今でも捨てきれないところも、全部ひっくるめて好きなのだと。

 

 若菜は鯉伴の過去——その全てを受け入れる。

 

「若菜……っ、若菜!!」

 

 その言葉に背中を押され、ついに鯉伴は若菜へと手を伸ばす。

 

 彼女の手を握り、そのまま縋るようにその体を抱きしめる。

 堪えきれない想いが、双眸から雫となって零れ落ちていた。

 

 とても魑魅魍魎の主と呼べないような情けない姿かもしれないが、そんな彼ですら若菜は愛しいと抱きしめる。

 

「うん、いいよ……泣きたいときは、誰だって泣いていいんだから……」

 

 まるで泣きじゃくる子供をあやすかのように——

 

 

「私でよければいくらでも胸を貸すから……これからも、ずっと………」

 

 

 

 

 

 こうして。二人は互いの想いを打ち明けた末に結ばれ、若菜は使用人としてではなく、正式に鯉伴の嫁として奴良組へと迎え入れられた。

 

 人間である彼女を身内として受け入れることに、周囲からも特に反対する声などは上がらなかった。

 

 本家の妖怪たちは既に彼女に心を許しているものが大半であったし、過去に人間の娘を娶ったぬらりひょんにとっても今更のことである。

 

 幹部の中にはあまりいい顔をしないものもいたが、それ以上に驚いているものの方が多かった。

 

 あの鯉伴が、数百年もの間、女性と必要以上に親しくなることを避けていた彼が今になって新しい嫁を貰うことになるとは思ってもいなかったようだ

 

 結局、結婚に関しては大きな問題もなく。

 

 何より危惧していた——『跡継ぎ』に関しても心配する必要がなく。

 

 

「——おぎゃ!! おぎゃあ!!」

 

 

 結婚して一年も経たないうちに。

 若菜は鯉伴との間に子供を授かることとなる。

 

 

 その子供こそが——奴良リクオ。

 

 

 妖怪ぬらりひょんの血を四分の一受け継いだ、ぬらりひょんの孫。

 

 

 家長カナにとって、何より大切な友達である。

 

 

 

×

 

 

 

「——ふぅ~……まっ、こんなところかしらね。私と鯉伴さんとの出会いは……」

 

 長々と話をしていたため、すっかり日が暮れていたが、これで若菜の話は終わりだ。

 若菜は鯉伴との出会いから結婚まで、一通りのことを話し終えた。

 

「どうだった? 途中から、なんか惚気話っぽくなっちゃった気がするけど!」

「…………」

 

 若菜はなんでもないことのように、明るい笑顔で話の感想を聞き手であるカナへと尋ねる。

 しかしそんな感想を求められたところで——カナは言葉も出てこなかった。

 

 ——若菜さん……なんて、凄い人なんだろう……。

 

 カナは率直に驚いていた。

 

 若菜の悲しい過去、まさか両親が妖怪に殺されていたとは。カナも自身の両親を失っているだけに、当時の若菜がどれだけつらい環境にいたのか誰よりも共感できる。

 共感できるからこそ、カナは若菜がそこから自力で立ち上がった——その心の強さに驚愕していた。

 

 似たような境遇のカナでさえ、あのどん底から立ち上がるのに数年かかった。半妖の里で大勢の人の助けを借りた上で、それだけの時間を費やしたのだ。

 にもかかわらず、若菜は数日の間に自身の気持ちに折り合いをつけ、以前と変わらぬ笑顔を周囲に明るく振りまいていたのだ。カナだったらそんなこと、絶対に無理だったと断言できるだろう。

 

 ——それに、若菜さん……知ってたんだ。乙女先生のこと……。

 

 また、若菜が既に山吹乙女のことを鯉伴の口から聞かされていたことにも驚いた。

 自分が好きになった相手が、自分と出会う前に他の誰かを好きになり、結婚までしていたという事実。

 女性として複雑な想いを抱いてもしょうがない筈だ。

 

 けど、若菜はそれでも鯉伴を受け入れた。

 鯉伴が乙女との想い出を未だに捨てきれないという寂しさを、弱さを認め。

 

 その上でそのままで良いと——鯉伴の全てを彼女は受け入れたのだ。

 

 人間だからとか、力の有無など関係ない。

 もっと根っこの部分での芯の強さ、決して真似できない若菜の懐の広さにカナはただただ感服するばかりである。

 

「ん? どうかしたのカナちゃん? 私の話、何か分かりにくいところでもあった?」

 

 あまりの衝撃にカナが黙っていると、若菜が自分の話にどこか不備でもあったかと声を掛けてくれた。

 

「あ、ええっと……若菜さんが、凄いなって。鯉さんが若菜さんを好きになった理由が分かったような気がします」

 

 数百年もの間、乙女のことが忘れられずにずっと独り身を貫いていた鯉伴。

 そんな彼がどうして今になって若菜と結婚したのか。

 

 なんてことはない、若菜でなければ駄目だったのだ。

 

 若菜だったからこそ、鯉伴が負っていた心の傷を癒やし、彼に寄り添うことができたのだ。

 正直な感想として、カナはそれを口に出していた。

 

「ふふっ、ありがとう! でも、そっか……鯉さんか……」

 

 カナの素直な感想に礼を言いながらも、若菜は彼女のとある発言に着目する。

 

「リクオから話を聞いていたとおりね……」

「えっ?」

「カナちゃん……鯉伴さんと会ったことがあるって……」

「——っ!!」

 

 カナが『鯉さん』と、鯉伴の呼び名を親しげに呼んだことで若菜は察した。

 カナと鯉伴が、本当に顔見知りだということを。

 

 そう、幼少期にカナは奴良鯉伴と異郷の淵で不思議な出会いを果たしている。

 その話をカナは唯一リクオにだけしており、若菜はリクオからその話を聞いていたようだ。

 

 だが、カナが鯉伴に会ったという時期。既に彼は晴明と山ン本たちの卑劣な罠によって命を落としていた筈。

 死んだ者との会合。普通であれば一笑に伏すような与太話だろう。しかし——

 

「鯉伴さんは……元気そうだった?」

 

 若菜はカナの話をまるで疑っておらず、彼女が会ったいう鯉伴の様子を尋ねていた。

 

「は、はい。鯉さんは……少なくとも、わたしの前では笑ってました。けど……」

 

 カナが出会った鯉伴は、表面上では笑みを浮かべていた。夢中にお喋りするカナの話にうんうんと相槌を打ち、見守るように優しく微笑んでくれていた。

 

 しかし今思えばその笑顔もどこか影のある、寂しさのようなものを含んでいた気がする。

 子供の頃は気づかなかった。『宿命』の力で過去の記憶を振り返ったことで、カナはようやく鯉伴の本心の一部を察せたような気がした。

 

「そっか……鯉伴さん……やっぱり一人は寂しいよね……」

 

 カナがその印象を話すや、若菜はどこか遠い目で夜空を見つめた。

 

 

 その瞳からは——うっすらとだが涙が滲んでいるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 誰もいない夜道をカナは一人歩いて行く。

 若菜との話を終え、自宅アパートへの帰途につく道中である。

 

 夜遅くに家へと帰るカナに若菜は『ご飯食べてく?』と、屈託のない笑顔で提案してくれたが、それは丁重に断った。宿題の方もまだ完全に書き写していなかったが、正直それどころではなかった。

 

 若菜がしてくれた鯉伴との馴れ初め。

 

 若菜のカナと重なるような壮絶な過去、そこから早期に立ち上がった彼女の心の強さ。

 鯉伴の意外な一面、彼が若菜と結婚した理由など、色々と納得できる部分もあった。

 

 

 だが——最後に若菜が流していた涙。

 一人半妖の里で眠る鯉伴を悼む若菜の横顔に——カナはいたたまれない気持ちになってしまう。

 

 

 話の中にあった、若菜が鯉伴に対して言ったという言葉——『鯉伴よりも長生きする』という話。本当ならあり得ないことだが、奇しくもその通りになってしまった。

 

 半妖である鯉伴が若菜よりも先に亡くなり、人間の若菜が一人取り残されることとなった。

 きっと、若菜ならその悲しみすらも乗り越え、今のような笑顔の絶えない生活を送れているのだろう。

 

 けれど本当であったら、本当だったらもっと二人で生きたかった筈だ。

 もっと二人の時間を、愛する人と一緒に人生を送りたかった筈だ。

 

 そんな本心が——あの一瞬の涙に込められているような気がした。

 

 

「やっぱり…………許せないよね…………」

 

 

 暗闇の中を一人歩きながら、カナは呟く。

 その瞳に憎悪の炎が宿るも、それを目撃する者は誰一人としていない。

 

 別れたくなかった二人を、鯉伴と若菜のあり得た筈の未来を奪ったのが——やはり奴等なのだ。

 

 安倍晴明、山ン本五郎左衛門。そして——山ン本の耳・吉三郎。

 

「絶対に……許さない」

 

 若菜の話を聞いたことで、さらにカナの中の復讐心が滾ってくる。

 

 若菜のためにも、鯉伴のためにも。

 

 絶対に連中に、この世で一番憎いあの男に報いは受けさせなければならないと。

 

 

 

 

 彼女は改めて誓うのであった。

 

 

 

 

 




いかがだったでしょうか?
とりあえず、以前から予告していた若菜さん周りの掘り下げはこれで終了。
乙女に比べて影が薄いなどとこれならば言われないと、そう信じたいですね。

あと二話ほど。とりあえず繋ぎの回として短編を書く予定。
次回の話は——つららの師走回、そこに上手いことカナを絡ませていきたいと思います。

次回もよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。