既に公式からネタバレ解禁OKが出ていますが……内容に関しては何も言いません。
まだ行ってない人は、感染防止対策をしっかりした上で……神話の終わりをその目で見てきてください。
私が言えることは一つ。エヴァンゲリオン、ちゃんと終わったよ……。
さて、予告通り。今月から『百物語編』を開始します。
とりあえず最初の話として——『切裂とおりゃんせ』の話をとある人物の一人称視点で書かせてもらいました。
自分は本来、三人称視点で小説を書くようにしていますが。今回の所謂——『怪談系』は一貫して、誰かの視点から物語を書いていきたいと思います。
何故かという理由に関しましては……一つに自分自身の勉強のため。
また、そっちの方がなんとなく怪談ぽい雰囲気が出るかなと思ったからです。
この辺りは一話完結方式でサクサク進める予定です。
本作のカナちゃんの活躍に関しましては……暫くお待ちください。
第九十一幕 切裂とおりゃんせ
「横谷先生、さようなら!!」
「はい、さようなら……気をつけて帰るのよ!」
放課後。廊下で生徒たちとすれ違いながら、私は戸締りをしに理科室へと向かっていた。
私の名前は——横谷マナ。浮世絵中学で理科教師をしている。
今年で三十になるアラサー。親からはそろそろ結婚しろなんて言われてるけど……まだその気はない。だって私には子供たちがいるから。教師として、毎日元気いっぱいな生徒たちに囲まれた日々を送っている。
あの子たちといられるなら、結婚はまだ当分先でいいかなと。そんなことを考えながら、私は理科室の扉を開ける。
「……スゥ~、スゥ~……」
「あっ、またこんなところで寝てる。奴良くんってば……」
部屋に入った瞬間、誰かが寝息を立てているのが聞こえる。もしやと思えば案の定、そこには一人の男子生徒がいた。
奴良リクオ。私が担任務めるクラスの生徒だ。
担任として彼のことを一言で評価するのであれば——『とても良い生徒』だろう。
日頃から、彼は常に誰かの役に立とうと動いている。日直の仕事や掃除など、当番でもないのに率先してこなしては他の生徒たちに良く感謝されている。教師間からの評判も高く、本当に模範的な生徒だ。
あえて問題点を挙げるとすれば、そうした人への奉仕が……少しばかり度が過ぎてるところかもしれない。
掃除の手伝いくらいならまだしも、明らかに雑用を押し付けられていたり、購買部までパンを買いに行かせられていたり。挙句の果てには、実力テストですら解答用紙を丸写しさせるなど、明らかに親切の領分を超えている。
あまりにも『過ぎた親切』は他の生徒たちの成長の妨げになるかもしれない。そういった部分は少し控えさせようと、今後の生徒たちとの関係を考えながら私は彼の元へと歩み寄る。
「……グゥ~、グゥ~……」
私がすぐ側まで近づいてもその気配に気づいた様子もなく、彼は呑気に寝息をたて続けている。
かなり疲れを溜め込んでいるのかもしれない。そんな彼の顔を覗き込みながら——私はあの夜のことを思い出す。
そう、それは数日前の出来事。
私が——奴良リクオという生徒の『もう一つの顔』を知ることになる事件。
切裂とおりゃんせ——そう呼ばれていた怪異を、彼が見事に撃退した現場に遭遇したときのことだ。
その日も、奴良くんは理科室で寝入っていた。
どうやら彼にとって、放課後は理科室で眠ることが習慣化しているらしい。
あまり良い傾向とはいえない状態に、私は溜息を吐きながら彼に声を掛けていた。
「奴良くん、奴良くん……起きてください」
「う~ん、ごめん、つらら。もう起きるよ……」
私のことを『つらら』という女子と勘違いしたのか、彼は寝ぼけ眼を擦りながら呟く。
私はそんな彼の眠気を払ってあげようと、ちょっとだけ意地悪な気持ちを込めて囁いた。
「ふふ、つららって……誰のことかしら?」
「わっ!? よ、横谷先生!?」
勘違いに気づいたようだ。これでもかと取り乱す奴良くんに、私は笑みを向けながら注意する。
「ほらっ、もう理科室占めるよ! もうとっくに放課後なんだから、早く帰りなさい」
「は、はい!!」
「あ……奴良くん、こんなところにいた~」
すると、そのタイミングで一人の女子生徒が理科室に顔を出す。奴良くんのことを探しに来たのだろう、親しげな笑顔で彼の元へと歩み寄る。
そんな少女の笑顔に——私はピンと来てしまった。
「あら、あなたがつらら?」
この子は……確か、隣のクラスの及川さんだったかしら?
奴良くんと一緒に歩いているところを偶に見かける子だ。なるほど……そういう関係ね。
「えっ、どうしてそれをっ!? リクオくん、秘密をバラしたのですか!!」
及川さんもひどく驚いていた。秘密……まあ、問い詰めるだけ野暮だと思うが、最近の中学生はませていると聞くし、つまりはそういうことだろう。
——……あれ? けど、奴良くんって……家長さんと……?
しかし私はそこで思い出してしまう。奴良くんと仲の良い子といえば、同じクラスに家長カナという女子がいることを。
聞いた話、彼女とは幼馴染だという。付き合っているという噂も聞くし、まさか二股…………いやいや、まだ付き合っているとはっきりと明言されたわけじゃないのだ。生徒の恋愛事情にそこまで首を突っ込むのも、それこそ失礼だろう。
でも奴良くん。どちらにせよ、中学生の間は清い交際で済ましてくださいと、私は心の中でお願いしていた。
「——えっ!! 若が寝言でそんなことを!?」
「——い、言ってないよ! そんなこと言ってないよ!!」
私はそのまま奴良くんたちと一緒に帰ることにした。
校門へ向かう途中も、二人は何やら仲良さげにはしゃぎ回っている。
「ふふ……なに? 若って……流行ってるの?」
及川さんは奴良くんのことを『若』と呼んでいた。若……少なくとも、他の生徒たちからは聞いたことがない渾名だ。二人だけの間で通じる呼び名かなと、互いの関係性に微笑みを溢していたのだが……。
「——若……ちょっといいかい?」
「……っ!?」
校門に差し掛かったところで、いきなり見知らぬ青年が私たちに声を掛けてきた。
物凄く大きな人だ。歳自体はまだ若く感じられるが……とにかく身長が大きい。しかも白髪にところどころが赤い髪と、かなり特徴的な髪の染め方をしている。
「しょ、猩影くん!?」
「あっ、親戚なんです、この人!」
私がその青年を前に唖然としていると、及川さんと奴良くんが慌てた感じで説明してくれる。奴良くんの親戚らしいその人、私は少し戸惑いながらもその青年に頭を下げていた。
「ど、どうも……」
「…………」
青年は返事こそしなかったが、軽い会釈で返してくれた。見た目が少し怖いが……奴良くんの親戚だけあって礼儀はきちんとしている。
「そ、それじゃ、奴良くん……私はこれで……」
「はい、先生。気をつけて帰ってください!!」
親戚同士の会合を邪魔してはいけないと思い、私は奴良くんにさよならを言ってその場から離れる。正直、その猩影という青年が少し怖かったこともあり、私は足早に立ち去ろうとしてしまっていた。
人を見かけで判断するのなど、教師としてあるまじき態度だ。冷静になった今であれば、あのときの自分の対応に落ち度があったと反省ができる。
もっとも、そのすぐ後に私はまったく冷静になれない事態に直面することになるのだが——。
「——若、うちのシマにある……『切裂とおりゃんせ』の怪って……知ってますか?」
——…………えっ?
猩影という青年の口から聞こえてきた、その怪談話に私は耳を疑った。
だってそれは……私にとって決して忘れられない事件。
私が——親友である綾子を失った。
十五年前の事件とまったく同じ怪談の名前だったからだ。
×
切裂とおりゃんせ。
埼玉県の川越という土地にある横断歩道。そこに決まった時間に行くと、どこからか聞こえてくるという『とおりゃんせ』の歌。
そして、その歌は子供にしか聴こえないという。
かくいう私——横谷マナも、過去にその歌を聴こうとその場所へ訪れていた。十五年前も昔、私が高校生のときの話だ。
『——横断歩道を渡るとそこは神社。鳥居を潜れば『細道』よ……マナ』
あの日の出来事を、私はつい最近のように思い出せる。
あのとき、私の隣には親友である綾子がいた。当時は引っ込み思案、何をするにも自信がなかった私と違い、いつも自信に満ち溢れていた綺麗な子だった。
私は綾子の提案でその都市伝説の真意を確かめに行き、とおりゃんせの怪に遭遇してしまった。
『綾子……聴こえる? ねぇ、怖いわ……』
もっとも、遭遇したと言っても私自身はとおりゃんせの歌を途中までしか聴いていないし、その歌と共に現れるという『切裂とおりゃんせ』という怪人にも遭遇していない。
私はあの日、ずっと目と耳を閉じていた。
怪談が怖くて……目を逸らし、耳を塞いでしまっていたのだ。
『綾子どこ……? 綾子……?』
全ての感覚を遮断したまま、私は隣を歩いている筈の綾子に声を掛ける。見える筈はないのに、何故か頭の中には彼女の『怖がりね、おバカなマナ……』と笑っている表情が浮かんでいた。
けれど私はその後、綾子の顔を二度と見ることはなかった。
『綾子……あ、あやこ……?』
私がそっと目開けたとき、そこに綾子の姿はどこいなかったのである。
「切裂とおりゃんせ……あの都市伝説、まだ残ってたのね……」
私は電車に揺られながら、スマホで切裂とおりゃんせについて検索していた。私が遭遇したとされるのは十五年も前の話だったが、この都市伝説、今も地元ではそれなりに有名らしい。
寧ろ、ここ最近はホットな話題としてネットを中心に広まっている。
「どうして、今になって……」
何故今になってこの怪談の知名度が上がっているのかは分からない。けど奴良くんたち、この都市伝説について話していたと思う。
そういえば……彼は清十字団とかいう、ちょっと怪しげなクラブのメンバーだったか。清十字清継という生徒が中心になって妖怪やら、都市伝説について調べ回っていたと思う。
「まさか……奴良くん……!!」
私は嫌な予感を覚え、急いで電車を乗り換えた。行き先は私の住まいとは逆方向——埼玉県の川越だ。
もしも、彼があの頃の私たちのように興味本位、クラブ活動の一環でとおりゃんせについて調べようとしているとしたら——。
「と、止めないと……教師として!!」
教師として……ううん。
過去に愚かな過ちを犯した一人の人間として、奴良くんたちに同じ思いをして欲しくないと彼らを追いかけていた。
そうして、私は十五年ぶりにその場所へ訪れていた。
埼玉県の川越、とおりゃんせの歌が聴こえてくるというあの横断歩道に——。
「……何も変わってない。あの頃のままね」
綾子がこの場所で行方不明になったあの日以降、私はここへ来るのを恐れていた。
単純に怪談が怖かったというのもあるが、それ以上に……ここへ来ると己の不甲斐なさが思い出されてしまうからだ。
あの日、私は耳を塞いだ。目を閉じ、何も見ることなく一人生き残ってしまった。
もしかしたら、私一人が無事だったのはそのおかげかもしれない。『歌』を聴かなかったから、『怪人』の姿を目にすることがなかったから、連れ去られなかったのかもしれない。
「……っ!! この歌はっ……!?」
そんなことを考えながら横断歩道へと足を踏み入れるや、私の耳にあの歌が聴こえてきた。
とおりゃんせの歌だ。もう子供という歳でもないのに、何故か私の耳に鮮明にその歌詞が響いてくる。
「…………」
ここで耳を塞ぎ、目を閉じればまたあのときのように何事もなく済むのかもしれない。
このまま、回れ右をしてこの場から立ち去れば——また明日から平穏な日々を送ることができるのかもしれない。
「……っ!!」
けれど、私は横断歩道へ。その向こう側にある鳥居を潜り、細道へと駆け出していく。
ここで逃げるのは簡単だ。けど、この先に私の生徒が……奴良くんがいるかもしれない。
それに……綾子。
十五年前に消えてしまった私の親友が、もしかしたらこの歌の先にいるかもしれない。
「もう……逃げない!!」
そうだ!
逃げてばかりでは何も変わらない! 何も守れない!!
私は過去の罪悪感と向き合うためにも、怪異に巻き込まれているかもしれない生徒を助けるためにも。
この怪談を——『切裂とおりゃんせ』を正面から見据えなければならないのだ。
×
「はぁはぁ……奴良くん! いるのなら返事をして!!」
私はとおりゃんせの歌が響いている中、神社の境内を駆けながら奴良くんに呼び掛ける。
ひょっとしたら、とおりゃんせなど調べずにとっくに家へ帰ったのかもしれない。それならそれで良い。この心配が杞憂であるのならばそれに越したことはない。
けどもしも……もしもここに来ていて、とおりゃんせの怪に巻き込まれているとしたら。
その可能性が僅かでもある限り、私は何一つ安心できない。生徒が無事だという確証が欲しく、私は無我夢中に奴良くんの名を叫び続ける。
「奴良くん!! 奴良くん——」
「——おい、あんた」
そのときだ。後ろから聞き覚えのある声が私を呼び止める。
「あ、あなたは!?」
奴良くんの親戚の青年。猩影くんと言ったか。
彼がここにいるということは——やはり奴良くんもここに来ている!?
私は慌てて彼に奴良くんの行方を尋ねた。
「……目の前から、一瞬で消えちまった」
「!! そ、そんな……」
猩影くんは困惑した表情で首を振る。
一足遅かった! 奴良くんも、綾子と同じようにとおりゃんせの怪人に連れ去られてしまったのだ!!
「くそっ!? どうなってんだ!!」
あの頃の私のように猩影くんが困惑している。
あの当時と同じ悔しさを、私と同じ思いをきっと彼は感じているのだろう。
「わ、私が!! あのとき目と耳を塞いだばっかりに……!」
「!? ど、どういうことだよ?」
困惑する彼に、私は当時の状況を思い出しながら説明を試みる。
しかし心が浮き足立っているせいか、うまく言葉にまとまらない。
「あ、あのときと同じなんです!! 十五年前に私の目の前から消えた綾子と……今度は奴良くんも……私の生徒が連れて行かれたら……私……私……!!」
「お、おい……落ち着けって……」
なりふり構っていられない私に、彼は冷静になるように諭してくれる。けど、落ち着いてなんかいられない。
綾子に続いて、奴良くんまで……。
もしも彼までも行方が分からなくなってしまったら——もう、私は自分で自分を許せなくなってしまう!
と、私が途方もない罪悪感に押し潰されそうになっていた、そのときだった——。
『うっうっ、しくしく……帰れないよお……』
「——!!」
声が聞こえた。
間違いない、間違う筈がない。
この声は——
「綾子!! 綾子ね? どこにいるの!?」
綾子の声だ。この十五年間、一度だって忘れたことがない親友の泣き声が聞こえてくる。
強気だったあの彼女が、弱々しい声で啜り泣いている。
助けを求めているのだ——。
「今助けるから!! 絶対、助けるから!!」
私はその声を頼りに綾子を探す。
あのときのように、一人で逃げたりしない。たとえ何があろうとも彼女を見つけ出してみせる!!
けれど、私一人では駄目だった。
私一人では、声を聞くことができても綾子が囚われていたという『異世界』とやらに足を踏み入れることが出来なかったのだ。
そこへ行くために——彼の力を借りる必要があった。
「——どいてろ」
「えっ?」
猩影くんが私を下がらせる。
彼は能面を被っていた。そして——どこからともなく巨大な太刀を取り出し、それを振りかぶろうとしている。
「!! なっ、か、刀……」
目を剥いて驚く。いったいどこから、何故そんなものを持っているのか?
そんな疑問が脳裏を過るが——彼は構わずに太刀を振り下ろす。
「大猿・狒々の大太刀……そこだ!!」
何かを目印に気合を込めて一閃。次の瞬間、眼前の空間が——裂けた。
空間に亀裂が生じ、その割れ目の向こう側に——彼が、奴良リクオくんがいた。
「——な、ブッ!? 〈小生〉の影を斬っただと……」
奴良くんは地面に倒れており、巨大な鋏を持った怪人らしき人物に襲われていた。猩影くんの放った太刀の一撃によって怪人が吹き飛ばされ、何とか事なきを得たようだ。
しかしどこか負傷でもしているのか、奴良くんはそこから動く様子を見せない。
「奴良くん!?」
私は慌てて倒れている彼に駆け寄ろうとするが……それを猩影くんが静止する。
「若なら大丈夫だ……あんたは下がっててくれ」
「だ、大丈夫って……」
あんなに恐ろしげな怪人に襲われたのだ。大丈夫な訳ないではないか。
けれど、猩影くんの言葉には奴良くんに対する——信頼のようなものが感じられる。
彼は被っていた能面を外しながら、奴良くんに畏まった口調で声を掛ける。
「——お待たせしやした、三代目」
「なん……?」
三代目? それはどういう意味なのか。
私どころか切裂とおりゃんせの怪人ですら戸惑っていた——。
次の瞬間である。
「——ガハッ!!?」
切裂とおりゃんせの怪人が——突如として吹っ飛んだ。
何者かに背後から頭部を容赦なくぶっ叩かれ、ゴロゴロと転がっていく。
「えっ……?」
私は唖然とした。
とおりゃんせに一撃を見舞った人物、それは先ほどまでその怪人に襲われていた当人だったからだ。
「ぬ……奴良くん……?」
疑問系になったのには理由がある。確かに彼は奴良くんだ……奴良くんだった筈だ。
だが奴良くんだった彼は……明らかに私の知る奴良くんではない。
背丈が伸び、眼光が鋭く。髪も後ろに伸びていく。
そして何より、纏う空気がまるで違う。
優しい穏やかな笑顔が特徴的な真面目な少年が、瞬きの間に別人へと様変わりしている。
彼は、その青年はとおりゃんせの怪人に対し、どこからか取り出した日本刀を突きつけ——吐き捨てるように宣告していた。
「俺のシマからどいてもらうぜ……とおりゃんせの切裂魔よ!!」
×
「奴良くん……奴良くん、なのよね……」
いまだに状況の呑み込めない私は奴良くんと思しき青年。そして、彼が対峙する『切裂とおりゃんせの怪人』へと目を向けていた。
怪人は——軍服らしき格好、顔には包帯をミイラのようにぐるぐるに巻いている。怪人らしく口元は牙が剥き出しになっており、その手には巨大な鋏が握られていた。鋏は、ところどころ乾いた血の色で滲んでいる。
切裂魔として、これまで刈り取ってきた人間の血だろうかと……そう考えるだけで戦慄してしまう。
「シマは返してもらう……そして、ここの女も全員連れ帰らせてもらうぜ」
「お、女……あっ!?」
奴良くんの言葉に私は気づく。切裂魔の側に——顔のない女性たちがいたのだ。パックリと表情に当たる部分だけがくり抜かれている女の子たち。服装などから、皆が十代の女子であることが推察できるが……。
「あ、綾子!?」
その女子たちの一人に見覚えのある制服を着ている子がいた。私の学生時代の制服と同じもの。他の子同様に顔を切り取られていたため表情を窺い知ることはできなかったが……あの染めた金髪!
十五年前にとおりゃんせに連れ去られた綾子だ。
私はようやく、彼女を見つけ出すことができたのだ。
「——おたくら二人共……〈強そう〉であり〼ねぇ……」
だが私が感傷に浸る間もなく、とおりゃんせの怪人が奴良くんや猩影くんを見ながら呟く。
「ここは一旦〈引かせて〉もらいますよ」
怪人という狂気的な存在でありながらも、どこか冷静に状況を分析する。
私はともかく前門に奴良くん、後門に猩影くん。刀を構えた二人に囲まれて己の不利を悟ったのか。
しかし、とおりゃんせは——引くと口にしながらも、何故か顔のない女性たちへと近づいていく。
「い、いったい、何を……はっ!?」
とおりゃんせの行動に訝しむ私だったが——息を呑む。とおりゃんせは女の子たちに近づきながら、纏っていた黒い外套を広げる。
その外套の下には無数の『顔』があった。
絶望と苦痛に満ちた——女性たちの顔だ。皆が『怖い』『帰りたい』『助けて』と啜り泣いている。
「あ、あれは……まさか……」
顔のない女性に、顔だけが貼り付けられているマント。
考えるまでもなく明白だ。あの顔こそ……目の前の女の子たちから、とおりゃんせが奪い取った顔だ。
あの顔を奪われているため、綾子を始めとした女性たちはここから逃げ出せないでいるのだ。
そして怪人・切裂とおりゃんせは、略奪したその顔の一つを——いきなり握り潰した。
『えっ……』
『ヒ……ヒェ……』
『え……え……』
血だらけになる顔を前に、他の顔たちが怯えている。
顔がない体の方も明らかに戸惑い、戦慄している。
しかも、そんな奇行に走りながらも、切裂魔は『とおりゃんせの歌』を愉快そうに口ずさんでいく。
い、意味が分からない。理解不能な恐ろしい行動を前に……私は背筋が凍った。
「——帰すわけねぇだろ。ここはとおりゃんせの細道であり〼」
『ヒィ……ギャアアアアアア!!』
『い、いやあああ! やめてぇえええ!!』
だが顔を奪われた女性たちの恐怖は私の比ではない。彼女たちは皆、とおりゃんせに恐れをなして悲鳴を上げる。そんな彼女たちの絶望を喰らうように——奴は高笑いを上げた。
「そうだ、叫べ!! 〈小生〉を恐れろ!!」
その叫び声に呼応するかのように、切裂とおりゃんせの手にしていた鋏が『巨大化』する。
血だらけのあの鋏が——より禍々しく、より凶悪なフォルムへと変貌を遂げたのだ。
「畏の再点火……であり〼」
とおりゃんせはその鋏を手に、してやったりと語る。
「〈恐れ〉が我らを強くする。そうであり〼でしょう?」
「妖怪の強さ……それは恐れられ、〈語られる〉こと……」
「怪談のように、都市伝説のように……〈百物語〉のように」
妖怪——人ならざる魔性の存在。
私たち日本人にとっては馴染み深い、この国の文化的象徴だ。
だが正直、私は妖怪というものに対して特に思うところはなかった。
切裂とおりゃんせの存在も妖怪というより、怪人・通り魔という認識でいた。それまでの人生、真剣に彼ら妖怪のことに関して考えたり、理解しようなどと思ったことはなかった。
けどこの瞬間、私は確かに感じてしまっていた
あのとおりゃんせが……妖怪が怖い、恐ろしいものだと。
あんな恐ろしい真似を平然とできてしまう怪物の存在に、私は心底から恐怖していたのだ。
「貴公らも〈小生〉の世界で永遠にさまよひ続けろ!!」
とおりゃんせは巨大化した鋏で再度、私たちに襲いかかって来た。私はそれに悲鳴を上げることすらできないでいる。とおりゃんせの思惑どおり、私は奴に恐怖心を『おそれ』を抱いて動けなくなってしまった。
きっと私は、とおりゃんせの世界とやらに心を囚われてしまっていたのだろう。
だが——
「——てめぇも、そうか?」
そんな恐ろしいとおりゃんせを前にしながらも、恐怖以上に怒りを滲ませながら『彼』は呟く。
彼は……奴良リクオくんは毅然とした態度でとおりゃんせに立ち向かっていく。
「猩影……鬼纏うぞ」
「!!」
そこから先は、何が起きたのか私には理解できなかった。
ありのまま起こったことを話すのであれば——『まるで猩影くんが奴良くんに向かって、流れるように吸い込まれた』といった感じだろうか。
私が気づいた時に——奴良くんは巨大過ぎる大刀を手にし、それをとおりゃんせに振りかぶっていた。
「テメェの畏は……それっぽっちかよ」
「な、何? が、ガハッ!!?」
大太刀は、肥大化した鋏諸共に怪人を一刀両断に切り捨ててしまう。
あれだけ恐ろしかった怪人が、奴良くんの凄まじい一撃を前に呆気なく沈黙する。
「恐怖で得た〈恐〉なんざぁ……〈畏〉の一面にしかすぎねぇんだよ……」
「————————」
私は言葉を失っていた。
先ほどまでは、確かに妖怪であるとおりゃんせの怪人に恐れをなし、恐怖を覚えていた筈だ。
しかし崩れ落ちていくとおりゃんせにも、それを倒した奴良くんにさえ、私は『怖い』という感情を抱かない。
彼も、奴良くんもきっと人ならざるモノ、妖怪なのだろう。
だが怖いと思うより、恐怖を抱く以上に。私はその堂々とした背中を前に——
不覚にも——「かっこいいな」と。
ヒーローショーに感動を覚えてしまう、子供のような憧憬の念を抱いてしまっていたのだ。
『……ありがとう。あの男を退治してくれて……』
とおりゃんせが倒されたことで、顔のない少女たちの元へ顔が戻っていく。
少女たちは、自分たちを解放してくれた奴良くんに穏やかな表情で礼を言っていた。
『これで……帰れます』
とおりゃんせの呪縛から解放され、そのままあるべき場所、帰るべき場所……『天』に向かって帰っていく。
そう、彼女たちの命は——当の昔に尽きているのだ。
きっと、とおりゃんせに顔を奪われた時点で、彼女たちの尊い命は失われていたのだろう。
だからこそ、彼女たちは死者としてあるべき場所へと——その魂は天へと還っていく。
「綾子……あやこぉおおお!!」
本当は黙って見送るのが正しいのかもしれない。彼女たちの行き先がどこであれ、その魂に安らぎがあることを祈るしかないのかもしれない。
だけど、私は成仏していく一人の少女の……親友の名を叫んでいた。
ここまで来たのだ。少しでもいい、最後くらい……彼女と言葉を交わしたかった。
「マ……ナ……?」
綾子は私の存在に気づいてくれた。十五年ぶりでも私のことをちゃんと覚えていてくれた。
私の呼び掛けに振り返り、応えてくれた。
私は慌てて綾子の元へと駆け寄り、そのまま彼女の胸元へと飛び込んでいく。
もはや魂だけの存在である筈なのに、確かにその身からは温もりが感じられた。
「ごめんなさい……!! 十五年間、ずっとずっと……探し出せなくて……」
堪えきれない涙と共に私は十五年もの間、ずっと溜め込んでいた後悔を吐き出していた。
十五年間、綾子のことを忘れたことなど一度もなかった。だけど私には、彼女を見つけ出すことができなかった。
今更になって、これだけの時間を掛けた今になって、ようやく綾子が囚われていたことを知ったのだ。
それまで何もできなかった自分の不甲斐なさに、心の中は罪悪感でいっぱいだった。
「……心配してたの。私がいないと……あんた何も出来ないから……」
けれども、綾子は私を責めなかった。
それどころか、ずっと私のことが気に掛かっていたと、優しい穏やかな表情で語ってくれる。
自分自身のことよりも、私のことを心配していたと言ってくれたのだ。
「綾子……うん、ホントそうだね……」
その言葉に——私は救われたような気がした。
単純かもしれないけど、許されたような気がしたのだ。
十五年間、ずっと背負い込んでいたものを下ろすことができた——そんな気持ちだった。
「……あれ、教え子なんだ」
最後の最後。綾子はチラリと奴良くんの方を見ながら呟く。
私の生徒、とおりゃんせを倒して綾子たちを救ってくれた彼の存在に、ちょっとだけ愉快そうに口元に笑みを浮かべる。
「一人で大人になっちゃって……」
そう、私だけ先に大人になってしまった。
綾子が子供のまま成仏してしまうことが、私も寂しいと思ってしまう。
本当だったら、私も彼女と一緒に歳を取りたかった。大人になって、おばあちゃんになって。
だけどそれは……もう叶わぬ願いだ。
「じゃ……もう……逝くね……」
「綾子……!!」
そして、今度こそ本当に最後。
最後まで笑顔を浮かべながら——彼女は天へと昇っていった。
「見つけてくれて……マナ、ありがとうね」
×
「…………奴良くん、なのよね」
「ああ……」
とおりゃんせも消滅し、綾子たちも成仏していったことで境内には私と奴良くん、猩影くんだけが取り残された。
奴良くんは、私の指摘に少しだけ困ったような表情を浮かべている。先ほどの勇ましさはどこへやら、教師である私に色んなところを見られ、内心では不味いと思っているのか。
「済まねぇ、先生……このことは学校には黙っててくれ……その、色々と事情があってな……」
学校に知られるのは困ると、萎縮した様子で私に頭を下げて来た。
ちょっとだけホッとする。見た目や口調がガラリと変わっているが、やはり彼は私の知る奴良くんだと。何気ない仕草や、畏まった態度から不思議とそれが実感できた。
「……分かってるわよ、秘密なんでしょ?」
私も詳しいことは聞かなかった。
妖怪だとか、三代目だとか。色々と気になるワードがあったが、私の方から詳細を聞くようなことはしない。
彼が相談してくれるならば喜んで応えるが、話さないということはきっと大丈夫なのだろう。
きっと大丈夫……彼は、彼自身の事情や世間との向き合い方など。自分なりに答えを出しているのだから。
そんな生徒の覚悟を信じ、私も黙って彼の学校での生活を見守ることに決めた。
教師として、出来ることをしていくと——。
「済まねぇ、恩に着る!」
「………ありがとうございやす、先生さん」
私の答えに奴良くんも、猩影くんもがさらに深々と頭を下げる。
「ううん……私の方こそ、今日はありがとう」
だが礼を言いたいのは私の方だ。怪人とおりゃんせを退治し、綾子と再開させてくれたのは彼らなのだから。
きっと、私一人なら何も出来ずにずっと苦しみ続けることになっていただろう。
けれど、こんなふうににお礼を言われて悪い気はしなかった。
あんな怪人を倒してしまうほどに強い彼らにも、年相応に子供らしい部分があるのだと。
大人である私を頼ってくれているような気がして、とてもありがたい気持ちでいっぱいだった。
「……教師、頑張るよ……綾子」
私は天へと昇っていた親友へと改めて決意表明する。
これから先の人生も、私は教師として生きていくと。彼女の分まで、しっかりと地に足をつけていくと。
気がつけば自然と口元に笑みが浮かぶ。
涙はもう……流してはいなかった。
「スゥ~……グゥ~……」
「ふふ……それにしても、よく眠ってるわね」
そして、私は今日も教師として奴良くんの目の前にいる。
私があの時の出来事を思い出している間も、理科室で眠る彼は一向に起きる気配を見せなかった。
やはり疲れが溜まっているのだろう。もしかしたら、とおりゃんせのような妖怪と夜な夜なあの姿で戦うことが彼の日課のようなものなのかもしれない。
そのために肉体を行使し、人知れず疲労を溜め込んでいるのだろう。
「ふぅ~……しょうがない子ね……」
教師としては、本当ならばそういった危険な行為自体を辞めてほしいところだが、こればかりは仕方がない。
きっと彼は綾子のように苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちのためにああやって戦ってくれているのだ。
今は寝顔の可愛い少年だが、いざとなればあの勇ましい青年の姿となって——。
私なんかが思いもつかないような危険な目に遭いながらも、彼は戦い続けているのだろう——。
「……もう少し、寝かせてあげようかしらね……」
ならばせめて、この学校での一時が彼の安らぎになるようにと。
私は彼を起こすことなく、側で見守ることにした。
それが私に出来る、『教師』としての役目だと信じて——。
「本当に……いつもお疲れ様……奴良くん」
彼の苦労を労いながら、とりあえず風邪を引かないようにと私の白衣をそっと奴良くんの肩へ掛けようとした——
「——リクオ様!!」
その直後である。
例の彼女——及川つららさんが道場破りのような勢いで理科室へと飛び込んできた。
「私……とっておきの新技を思いつきましたよ!! ハァッ!! ホァ!!」
彼女は興奮した様子で——いきなり手から雪を生み出し、理科室に雪像を作り出していく。
私が唖然とする間もなく、瞬きの間に雪の像が……何十体と理科室を埋め尽くしていく。
ていうか……この子も、妖怪だったのね。
雪を生み出しているということは……ひょっとして雪女かしら?
「どうです!? 総勢四十八体のリアル雪像!! 臨場感が上がって、私の物真似も冴え渡るってもんです!!」
まるで芸人のようなことを言いながら、そのまま物真似芸を披露しようとする及川さん。
……どうでもいいけど、少し静かにしてくれないかしら。こんなに騒いでしまったら、奴良くんが起きてしまう。
私は及川さんを注意するよう、ジト目で彼女のことを見つめる。
「ヒィ!! し、しまった!! だ、誰かいた!!」
そのときになって初めて、彼女は私が奴良くんの隣にいたことに気づいたようだ。
物凄く取り乱して狼狽している。
「つ、つらら!! せ、先生!? こ、これは違うんです! だ、駄目じゃないか!!」
「ヒィ……すみません、若!!」
当然ながらその騒ぎに奴良くんが目覚め、私の前でありながら迂闊にも妖術を行使した彼女を叱りつけている。及川さんは涙目で反省……まるで漫才のようなやりとりだ。
既に奴良くんの正体を知っているからよかったものの、それ以外の人が見ていたらどうするつもりだったのかと思いつつ……私はふと考えた。
「この娘も妖怪。う~ん……この学校には、あと何人くらい妖怪の子がいるのかしら……」
こんなことで頭を悩ませる教師は、日本でも私くらいかもしれない。
あるいは、案外結構いるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、とりあえず……私は今日も教師としての仕事を果たそうと、奴良くんたちに声を掛けるのであった。
いつものように、いつも通りに——。
「——ほらほら、二人とも!! 理科室占めるから。今日も校門まで……一緒に帰りましょ!!」
人物紹介
横谷マナ
超久しぶりの登場!
今作における、リクオやカナの担任。
個人的に好きなキャラ。原作ではとおりゃんせの話にだけ登場するゲストキャラですが、今作ではこの『百物語編』において彼女に重要な役目を背負ってもらう予定です。再登場を期待していてください。
とおりゃんせ
切裂とおりゃんせの怪人。現代の切裂ジャック。
この怪人の存在感も含め、このとおりゃんせの話は個人的にかなり好きなエピソードです。例の噺家も「ありゃよかった」と太鼓判を押すほど……。
次回タイトルは『人を喰らう村』です。よろしくお願いします。