しかし歴史にはできるだけ忠実に。
常緑樹の茂る森の中。
杉の黒と対をなすのは雪の白。
その景色の中わずかな動きが生まれる。
最初は僅かに。
しかし動きは停滞なく速やかに動きを大きくする。
動き。風の流れに乗り、地表を覆う雪たちは煽られて地吹雪となり視界を遮る。
舞いあげられた結晶たちは光を乱反射し、まばゆい光達を辺りへと投げかける。
ざわ。と風に揺れる木々と、風切り音のひゅうという音の傍らで、それらとは違う動きが銀世界の中に生まれる。
動く姿は白。
周囲の景色に溶け込むための色だ。
白の物体は小さく。その動きは周囲をうかがうものだ。
こまめに立ち止まっては周囲を警戒する。
ひくひくと鼻をうごめかせ、長い耳をわずかでも異音のする場所へと向けるその姿は、兎のものだ。
用心深く周囲を確認しながら、その姿を森の切れ目から銀一面の雪原へと歩みを進める。
兎の身を隠していた地吹雪はその力を弱め、舞っていた雪の粒子が収まりつつある。
森から幾分か離れた所で、何度目かの警戒の為に体を起したとき……
タン、という炸裂音が長く音を引きながら響き渡った。
その事で起きる現象は劇的なものだ。
森と雪のモノクロの世界は、兎の体内から散った朱によってその様相を変える。
静謐なる冬の世界は、銃声によって起きた動物達の動きでざわめきを得る。
近くの泉からは鳥達が。森の中や茂みからは小動物が遠ざかり逃げゆく動きがある。
ざわめきの中ゆったりとした動きが白と黒の間際。森の際から身を起こす。
その体の色は白と僅かな茶に覆われている。周囲へと擬態するための迷彩服(ギリースーツ)を着込んだ人間だった。
厚着をしている為に性別は判らないが小柄な事は確かだ。
その人影は、ふぅ。と顔を覆うマスクから白い息を一つ吐きだすと、固まった体をほぐすかのような動きをしつつ獲物へと表面が凍てついた雪面上を歩く。
周囲の木々の様子からみるとその積雪量は2m以上あるはずだが、その足跡は浅いものであり、その人物の身長から見た体重と手にした銃の重さを考えても余程器用に歩みを進めているようだ。
ん。と声を洩らしながら腰を折り獲物を手にすると、マスクで覆われた顔の唯一露出した目元に笑みを浮かべる。
獲物を持ち帰った時の待ち人の笑顔を想像したのか。
それとも獲物を一撃で仕留めた事に満足しているのか。
ざわ。と再び梢が擦れ、風が吹きすぎて行く。
風は流れを強め、先ほどまで舞っていた表層の雪が再び宙を舞い始める。
その様を目を細めて見ていた彼は元居た場所へと戻り始めた。
彼が獲物を待ち受けていた場所は、雪を掘り下げて風よけとしていた場所だ。
そこには雪洞を覆い隠す為の大きな白布と、若干の手荷物と以前に捕えたであろう獲物達。
獲物はすでに毛皮と肉へと捌き終わっていて、それらはこの寒さでガチガチに凍りついている。
それらの荷物を身につけると、雪洞から身を乗り出して歩きだす。
足並みは軽やかに、リズムをとるように。
「さぁ。いこうか!」
湖沼都市ヘルシンキ 1939/芬蘭(フィンランド)
―ヘルシンキ―
それは、16世紀半ばスウェーデンの建国王グスタフ一世により、ハンザ同盟に加盟するエストニアの首都、タリンを牽制する目的で建設された港湾都市である。
当初ヘルシングフォッシュ(Helsingfors:川の狭まる場所)と呼ばれていたものが、後にフィンランド語でヘルシンキ(Helsinki)と呼ばれるようになった。
都市の建設と入植は困難を極めた。火事、疫病、飢饉、戦争この土地に古くから住む異族と精霊達との交流と対立。
――そして1710年、大神祭により壊滅的な打撃を受ける事になる。
土地に住む者の遺伝詞を乱し妖物化を起こし、人ならざるものへと変えてしまうこの異常地帯は、フィンランド戦争(第二次露瑞戦争)で軍事的要衝として土地の浄化と要塞化が進められる事になる。
戦後フィンランドはロシアに割譲。フィンランド大公国が建国された後に、スウェーデンに近いトゥルクからスオメンリンナ要塞の建設されていたヘルシンキへと遷都したことで、フィンランド随一の都市へと発展して行くかにみえた。その矢先再びこの都市を――否。”フィンランド”を神祭が襲う事になる。
1808年フィンランドと名を打たれた土地にて抑圧されていた小地竜が連鎖的に発生。大混乱の末、欧州五行総家の介入により平定される。
この件で無関係である多数の人狼と精霊、魔物が討たれたことが、後のボルドーゾン家襲撃へと繋がる事になる。
ヘルシンキのみでみられていた人の妖物化が、フィンランド全域で見られる様になったのもこれ以降の事である。
小地竜の食らった大地は多くの湖沼となり、特に強力な個性―都市概念―を得たヘルシンキとカレリアでは生まれ出る子供の多くが半精霊として生まれる事が多発した。
これらの事によりヘルシンキは―湖沼都市―と呼ばれる事になる。
飾り気のない部屋の執務机に就くのは痩身にめがねを掛けた人間種の男。
年輪を積み重ねた皺深い顔でまず目に衝くのは、深い知性と強靭な意志を感じさせるその瞳。
特徴的なモノクロを嵌め、白髪混じりの黒髪を後ろへと撫で付け灰色の軍服を身にまとっている。
ピンと背筋を伸ばした姿勢で黙々と積み重ねられた資料を閲覧してゆく。
シンと静まった室内に紙をめくる音のみが響くこと暫し。
ゴツンゴツンというノック音に続いて、筋骨逞しい灰と白の毛並みをもったライカンスロープが背をかがめて入室してくる。
ラフに着崩した軍服に、将官を示す階級章と略式徽章を胸元へと並べた姿は違和感を覚える人間も多い。
「パーヴォか」
「おうさ。御呼びに応じて参上したぜ」
書類から目線をあげて大男をねめつける視線は、泥に塗れた靴から油のこびりついた手腕、捲くり上げた袖から肌蹴た胸元へと徐々に上へと登っていく。
目を合わせた後にもう一度手元へと目線を戻すと、別にしてあった書類の束を手に取り男の前へと差し出す。
「これは?」
「国境警備隊からあがってきた報告書だ。
最近アジア系の兵士を見たと言う報告が多数入ってきている」
「アジア系……なんてこった赤共め本気でドンパチやろうって腹なのか」
手にした書類が元凶とでもいうかのごとく睨み付け、全身の毛を逆立て喉の奥で唸り声を上げる。
残り少なくなった紙をめくる手がピタリととまり、ある一文を繰り返し読む。
「親父……なんだこりゃ」
ひび割れ震える声を搾り出し、押し倒すような勢いで書類をつき付ける。
「動員計画要綱に問題――」
「そうじゃない、この部分ロッタ・スヴァルド協会の部分だ!
対空監視や後方要員はまではいい。だが補給や医療補助になると前線やその近くまで出張る事になる。
自衛できる風水師や五行師ならまだしも、女が戦場でどうなるか言わなくてもわかるだろう!」
「しかたがなかろう。
ノルウェーがドイツとの関係悪化を嫌って中立化を宣言したせいで、イギリスやフランスの支援が受けられなくなった。
これを補うために少しでも兵員を確保したいのだよ」
「……なんてこった。
女子供を守るために軍人になったてのに、この体たらくかよ。
まったく、泣けてくるぜ。」
「納得しろとは言わん。
だが現状を理解して最善を尽くせ」
「了解した。
ちょいと魔女の婆さんの所に出向いて話の細部を詰めてくるぜ」
肺の中の空気を、全て吐き出すかのような大きなため息をつく事で気を取り直し、目の前の老人に敬礼を行い背を向ける。
多くの血を流し勝ち取ったこの国の独立を守る。
その為にあえて鬼になろうとする、養父の刺すような視線を背に受けつつ。
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「ヘルシンキ」
最終更新 2012年7月15日 (日) 08:25版
以上の記事と川上稔氏の著作都市シリーズを参考に書き上げています。
手直し履歴
2012/07/27:微加筆&誤字修正