一人で歩く。太陽はとうに暮れてしまっていた。聞こえるのは、鈴虫たちの弱々しい音色と、首にかけているヘッドフォンから弱々しく漏れる音だけだった。はぁ、と吐いた息はほわほわとした靄になって、紺碧の空へと溶けていく。時刻は七時を過ぎたところ。外出するには遅い時間に私が一人で歩いているのには、ちゃんと理由がある。まぁ、単純に私が家の鍵を持っていなかったことも理由のひとつで、丁度巴とつぐみから皆で集まらないか、とグループトークに提案されたからだ。気まぐれにいいよ、と打って返したら、既読のマークが一気に四つついた。ひまりやつぐみはともかく、巴とモカが直ぐに既読がつくというのが今まで中々無かったものだから、少しだけビックリした。
あおば「おっけー、どこに集まるのー?」19-5
ひま「モカと一緒だから、行くよー」19-6
巴「わかった。つぐみの家に集まってくれ。おじさんには許可とってあるから。」19-8
羽沢つぐみ「お店の方に来てね!ごはん食べてないなら、お父さんが作ってくれるけど、皆食べちゃった?」19-8
蘭「まだ。お願いしてもいい?」19-12既読3
あおば「あたしとひーちゃんの分も、おねがーい。あと五分でつくよー。」19-15
羽沢 つぐみ「はーい!皆の分、お父さんと作っておくからね!来たら適当に寛いでて!」19-16
私はあと二十分かかりそうだ。皆には悪いけど、少し待ってて貰おう。そんなことを想いながら、いつも通りの道を歩く。皆と共に歩いた道。
君の隣を、歩いた道。
出会ったのは、ただの偶然というか、なんと言うか。小学二年生の頃に転校してきた彼が、同じクラスで隣の席だった。それだけだった。その頃の私は、引っ込み思案だったけどまだちゃんと子供で、無邪気で、素直だった。彼も私と同じような感じ。引っ込み思案で、でもちょっと皆とは違った。なんと言えばいいのか分からない。男の子ともよく遊んでいたし、女の子とも話したりもしていた。最初はよく笑う子だな、と思った。だけど、彼の顔はいつもどこかひきつっていた。
「ゆぅくーん、おはよー」
ある日、モカが急に彼に声をかけた。つい昨日までは一言も言葉を交わしていなかったのに、突然に、あまりにもフレンドリーに。まるで、旧友にでも話しかけるように。
「おはよー、モカちゃん。」
私は驚いていた。モカの事にもだし、でもそれ以上に、ふにゃふにゃに破顔した彼の表情がずっと自然だったからだ。暖かくて、眩しい。お日さまみたいな笑顔。こんな風に笑うんだ、と幼いながらにどきりとした記憶がまだ鮮明に残っている。
そのあと、モカに呼ばれた私達は彼の前へと向かって、モカに促されるままに自己紹介をした。
「はい、モカちゃんのおともだちー。しゃべったこと、無かったよね?」
「宇田川 巴って言うんだ!よろしくな!」
「上原 ひまりでーす!甘いお菓子が大好き!よろしくねー!」
「羽沢 つぐみですっ!これからよろしくね!」
今より何割か増しで男らしい格好をした巴が、見た目通り、にかっとした快活な笑みを浮かべる。
ふわふわの服を着たひまりが、ほわほわとした笑顔を向ける。
まだあどけないつぐみが、弾けるような元気一杯の笑顔を咲かせた。
「…美竹 蘭。その、よろしく。」
ぼそぼそと小さい声で私はぶっきらぼうに言いはなった。
「えっと、小日向優季です。よろしく。」
小さく笑う彼は、とても優しい表情をしていた。
たしかそのあとしばらくした頃に、彼とモカの趣味が一緒であるということを聞かされた。なるほど、同じギタースクールに通っていたから接点を持ったのか、と納得した。モカ曰く、彼のギターはとても上手いのだとか。私はまだ上手い下手なんて分からない子供だったけど、彼とモカが演奏した曲に心揺れたのは覚えている。きっと、忘れない。
あの真剣な横顔も、コードを押さえる白い細い指先も、弦を弾くピックの色も。
彼の奏でた音は、やはり太陽のような輝きと暖かさを持っていた。モカの奏でた音は、それを支える澄んだ青空と言うべきだろうか。
二人には、なにか自分達とは違う絆のようなものを感じていた。
「モカちゃんとゆぅくんは仲良しだもんねー。」
けろりと笑う彼女に、幼いながらに嫉妬していたのだ。
私には、彼との共通点なんてなかったから。ただ、話したことがある程度の、知り合い以上友達未満。勝手にそうやって断じていた。だから、そのあとに続いた彼の言葉に、思わず頬が緩んだ。
「僕は、蘭ちゃんとも仲良くなりたいな。だめ?」
人懐こい笑顔を浮かべていた彼。そう考えると成る程、この時点で女誑しの才能の片鱗を見せていたのかもしれない。間違いない。彼のその言葉に私は彼に落とされたのだから。この日を境に私の彼に対する感情は、少しずつ変化していった。
それから二年後、四年生に進級してから少しした頃。四月十日。私の十歳の誕生日。家族皆で食事会に出掛けたときの帰り道に、毎年恒例と言っても過言ではない、子供だけの誕生日会を開いている、羽沢珈琲に向かった。昨年は用事でこれなかった彼は、私の誕生日会に参加するのははじめてだった。私自身、同い年の男の子に誕生日を祝われるのは初めてで、例年より少しだけおしゃれをしていった。母さんには、そんなにおめかしして、どうするの?とからかわれた記憶がある。
どきどきと脈打つ心臓をなだめ、本日貸切の札が掛けられた扉を開けた。
ちりんちりん、と、扉についたベルが薄暗い店内にやけに響く。いつもと違う雰囲気の店に踏み込んで、一言。
「こんばんは…ひゃぁ!?」
パァン、パァン、パァン、パァン、パァン、と大きな音が響いて、唐突な出来事にひどく驚いてしまう。びくりと震えた私の両後ろから、聞きなれた五つの声が聞こえてきた。
「「「「「誕生日、おめでとう」」」」」
「よし、こっちだ、蘭!」
いたずらが成功したときの子供のように笑いながら、巴とひまりが腕をつかんで席へぐいぐいと引き込んでくる。そこにはつやつやと輝く少し小さめのホールのチョコレートケーキ。そこには、数字の10をかたどったろうそくが立てられていた。チョコプレートの上には、
「蘭ちゃん、お誕生日おめでとう」
という文字がホワイトチョコで描かれている。周りに描かれたのは、デフォルメされた皆の顔で、中央の空白には私のデフォルメした顔が描かれていた。なんだか嬉しくなって、頬が緩んだ。
「私とつぐと優季で作ったんだ!全部蘭のだよ?食べてみて!」
にし、と笑うひまりと、照れくさそうに顔をそらしたつぐみと彼の口許はたしかに緩んでいた。皆を見ているとだんだんと私も気恥ずかしくなって、照れ隠しにケーキをぱくついた。甘くてひんやりとしたケーキと、コーティングされたチョコレートの優しい甘さが舌の上で踊った。上にかかっていたショコラパウダーの豊潤な香りが鼻腔を刺激した。次も食べたい、と、フォークをもつ右手はすでにケーキを切り分けていた。
「どう、蘭?美味しい?」
にこにこと微笑むひまりは心底嬉しそうで、悔しいけど私は素直に言葉にした。
「美味しい。ありがとね。ひまり、つぐみ、優季。」
ひまりとつぐみは満面の笑みで、彼は少し驚いたあとに意外そうに笑って見せた。
「いや、蘭ちゃんもそうやって笑うんだなぁ、って。」
失礼な。と思いながらも、そういえば彼の前ではいつも笑えていないことに気づく。どちらかというと、照れてむすっとした顔の方が多かったか。心の中で反省していると、頭にぽふん、となにかが乗って、手櫛で髪をすかれた。ぇう?と間抜けにもほどがある声を出した私が目線をあげると、そこにはにっこりと微笑む彼がいて、近すぎる距離に、触れあった場所がもった熱に頬が薄紅に染まったのが、自分でもわかった。
「うん。蘭ちゃんは笑った方がずっとかわいいね。」
満面の笑顔でそんなことを言われたら、どうしようも無いじゃないか。賛美を素直に受け取ろうとする自分もいて、でもそこから違う意味を見いだそうとする自分もいた。またまた照れ隠しで食べたケーキの味は、もうよく分からなくなっていた。
きっとこの時、私は既に彼に恋をしていた。