その日は曇天だった。
降り頻る雨が地を叩き、雷は轟音を響かせ雲の中に光っている。鬼も逃げ出してしまうのではないかと錯覚するほどの悪天候、こんな日に態々外出するような愚か者は誰一人として存在しなかった。
その彼女―――バニラもそのうちの一人。彼女の住む村は特にその雷雨が酷く、一瞬でも外に出ればその身が雷に焼かれてしまうのは頑なに想像できるだろう。
「はぁ…雨の日って憂鬱ね」
思わず彼女は一人、そう愚痴た。しかし今年でバニラも二十歳。一般的に考え、一端の大人であることは火を見るよりも明らかである。いつまでもこうしてはいられない―――と、お気に入りである臙脂色の傘を手に取った。
今日は週に一度の村会議の日。もはや限界集落となりつつあるこの村で、唯一開かれる集会だ。その会議内容は多種多様。自分の家の畑の調子はどうだとか、誰と誰が交際しているだとか、真面目なことから下らない下世話までと振り幅は広い。
そしてこのバニラも、彼氏はできないのかと嘆かれることは毎週のように行われている。さすがの温厚なバニラをしても、あまりのしつこさに業を煮やしていた。
もしまた今日からかってきたら一発叩いてやる―――人知れずそう決意しながら、バニラはふと外に目を向けた。
「また雨が強まってる…傘だけじゃ物足りないかな」
そう彼女は呟くと、使い古されたタンスの2段目から合羽を取り出し羽織った。
「よし、これで大丈夫……行くか!」
気合を入れ、雷雨轟く外界へとその身を投げ出した。合羽を着て濡れないとはいえ、さすがの合羽でも雷は防御できない。死んでしまう前に早く集会場へ―――そう思い、彼女は一心不乱に走った。
今更ながら、こんな悪天候の日に集会は行われるのか、と不安になるも、行かないで怒られるよりならいいかな、という安易的判断で迷うことなくその場を駆ける。
あと二つ家を越えて、大きめの建物が見えてきたらそれが集会場だ。そう思考しながら前を向いていると、遂に件の建物が見えてくる。
(ふぅ、走ったからかいつもより早く着いた…って、え!?)
集会場まできた彼女は、思わず心の中で驚愕の声をあげてしまう。なぜなら、集会場の扉の前に人が倒れていたからだ。
見たところ、自分と同年代―――そう認識した彼女は、名も知らぬ男性を担いで集会場の中へと入っていった。
ちなみにどうして軽々と男性を持ち上げられるのかというと、幼き頃よりほぼ毎日励んできた畑仕事によるものが大きい。主に鍬を振ることで上腕部の筋肉が発達したのだと彼女は予想している。
「さてと…予想はしてたけど皆来てないね。そして―――」
―――この男は、誰だ。
これほどの歳ならば、週一の集会に現れていなければならないだろう。そうにも関わらず見たことがないというのは不自然すぎる。さらにいえばその風貌だ。顔から歳は判断したが、身に纏っているのは草臥れて、所々穴の空いた簡素な麻の服である。今どきこんな服を着る人間は中々見ないし、若干興味も深い。
「んっ…んん……」
「お?起きたかい?」
と、気がつけば、男は僅かに呻き声のようなものをあげ、身じろぎをしている。起きたのだと思い男を揺するバニラ。色々と聞きたいことはあるのだ。知的好奇心の高い彼女だからこそ気になるところは多い。
「ところで君は―――」
「…誰だ?」
「―――誰だい……ってそれこっちのセリフだから!」
開口一番、そう言い放つ男にバニラは声を荒らげた。雨の中、明らかに風邪をひくだろという格好で外に倒れていた彼をここまで運んだのは自分なのだ、先に誰だと聞かれるとはありえない。そうバニラは多少の憤りを覚えるも、最初からこんな調子ではダメだと切り替える。
倒れていたことから混乱状態、もしくは状況の把握を求めているのだと自分を納得させ、彼女は男の問いに応えた。
「私の名はバニラ。君は?」
「バニラか、わかった。俺はビルという」
男の名前は『ビル』というらしい。意外と違和感なく受け答えするビルに、バニラは逆に違和感を感じた。
「ここがどこだかわかる?」
「いや……わからない」
「そう。元々この村の人間?」
「……違う」
「……ふーん。どこから来たの?」
「……遠くだ」
「いや遠くって……」
あまりにふわふわとした、確証を得ない応え。俄には信じ難いが、ここでビルが嘘をつくメリットとデメリットを彼女は推し量ると、嘘ではないと捉えた。
「……腹が、空いた」
「いきなりね……まあ、幸いここにはキッチンもあるからなにか軽く作るわね。そこのストーブの前で温まってて」
「ああ……恩に着る」
「どういたしまして」
ここで謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉が出てくるあたりは、非常に好印象だ、とバニラは思う。善性の高い彼女にとって、感謝されることはこの上ない喜びであるのだ。
コンロに火をつけ、油を引く。作るのはベーコンエッグだ。冷蔵庫にあったもので作れる簡単な料理といったらこれであろう、とバニラは即決したのである。数少ない趣味の一つである料理を、鼻歌を口ずさみながら宛らプロのような手つきでこなしていく。
ベーコンの油のみでベーコンに火を通し、塩を少々振る。その上に卵を落とし、ひと回し水を入れたら蓋をして蒸していく。そして出来上がったベーコンエッグにブラックペッパーをかければ完成だ。
「はいどうぞ〜」
「…!?なんだ、これは!!」
「え、何その食いつき……ベーコンエッグだよ。食べたことないの?」
「っ……あ、あぁ」
「珍しいね。さあ、たんと召し上がれ」
お祈りなどもせず、すぐさまベーコンエッグに食らいつくビルを、バニラは眺めていた。目を輝かせ、一心不乱にベーコンエッグを食している。ただ、気になるところはあった。
それは、ベーコンエッグを知らないということ。そして今現在ビルは―――手掴みで食事をしているということである。
まるで人の世に紛れ込んだ獣人のようだとバニラは感じ取った。
「もしかして、獣人だったりする?」
その問いかけはバニラにとって、ただの冗談であった。否、冗談のつもりだった。
彼―――ビルが、目に見えて警戒心を表したのである。
「え、何その反応。冗談のつもりだったんだけど」
「……冗談、か。そう、だよな」
「でもその反応で大体想像つくわよ」
「んなっ!」
「やっぱり獣人は少し思考力が鈍いのかもね」
完全にペースを掴んだように饒舌となるバニラ。しかしこれは俗に言う『はったり』である。獣人である根拠など何も無いし、そもそも獣人とは空想上の生物だ。ビルを獣人だと決めつけて話すバニラは、第三者が見れば異常であると言わざるを得ない。
「そうか、バレていたのか……君は勘が鋭いな」
ここにきて、バニラはこの事態の異常性をようやく理解した。いや、理解してしまった。
―――目の前にいる至って普通に見える男は、亜人であるのだ、と。
「……そ、それで、何の動物なのかしら?」
「ああ。俺は人狼さ」
その驚愕を自慢のポーカーフェイスで隠し、臆することなく種族を尋ねたバニラ。かなり落ち着いているよう見えるだろうが、内心では心臓が早鐘を打っていた。
(いや、本当に獣人……しかも人狼だなんて)
「それで、どうした倒れていたの?」
「……何者かに追われていた」
「え、追われて!?」
「ああ。顔は見られていない。命からがら、なんとかここまで逃げてきたんだ」
そしてバニラの思考は高速回転する。ここでビルの所在をどうすべきかだ。人狼などという存在は、当然架空の生物であるというのが世の理。もしビルの存在が世に出回れば、その身は国家なり研究所なりに幽閉、及び監禁されるのは想像に難くない。
たった数分一緒にいただけだが、ビルはとても優しい人であるとバニラは確信していた。元来お伽噺などを好んで読むバニラにとって、人狼であると正体を明かしたビルは恐怖の対処ではなかったのである。
「私決めたわ」
「……?あぁ、そうだ。迷惑だろうからこれで俺は―――」
「―――ビル、あなたを軟禁します!」
「……は?」
ここから二人の奇妙な生活が始まったのだ。
―――〇●〇―――
「……あら?」
あたし―――バニラは、どうやら寝てしまっていたようだ。
今現在、あたしは七十二歳となる。二十歳に出会った彼―――ビルさんとは、あれから良好な関係を築いていた。
良好というか、結婚している。
ちなみにビルさんはあたしの二歳上の七十四歳だ。出会った当初は同い年であると思っていたが違ったらしい。
ふと隣に視線を向けてみると、愛用の安楽椅子で寛ぐビルさんを見つけた。
じっとその横顔を見ていると、とても七十四歳とは思えないほど凛々しく若々しい。しかしそれも仕方がないのだろう。なぜなら―――あたしの目は、失明寸前であるからだ。
「ん…どうしたんじゃい、婆さん」
「ビルさん……懐かしい夢を、見ていたんです」
「ほぉ……一体何の夢じゃ?」
「あなたと、出会った日の……あたしの、人生が変わった、あの日です」
懐かしむように、遠い昔に思いを馳せる。あの頃はあたしも美人だった。自分で言うが、村一番の別嬪であったと自信を持って断言できるほど。
思えばあの時、ビルさんを匿うと言った理由はなんだったか。純粋に助けたいという気持ちだけではなかった気がする。
「ああ…一目惚れ、だったんですねぇ」
考えてみれば簡単なことだった。
あのときあたしは、ビルさんに恋心を抱いたのだ。そして、その頃から変わらぬ整った顔立ち。皺は年齢を重ねる毎に増えてはいったが、若かりし頃はハンサムだっただろう、と誰もが想像できる容姿である。
「婆さんや……あまり無理するでないぞ」
「ええ、はい。わかっていますよ」
「ワシも、なるべく付き添うからな」
「ありがとうございます。愛してますよ」
「なぁに、ワシの方が愛しとる」
二人、目を合わせて笑い合う。
こんな日が、永遠に続けばいいと何度も心の中で思っていた。
しかし、あたしの目はそろそろ景色を映し出さなくなるだろう。耕された畑も、木で出来たお気に入りのウッドハウスも、そして何より―――ビルさんの顔も。
それがどんなに辛く、苦しく、悲しいことだと、視界を失う前の今ですら想像がつく。
―――ああ、嫌だ。
「ビルさんの顔。今のうちに刻みつけておきますね」
心に。
「そうじゃな。まだまだ沢山生きるんじゃ。そして死ぬ時はお互い笑顔でな」
「ええ、そうですね」
しかしなんと不思議なことだろう。
ビルさんと会話するだけで心の内に燻っていた不安は消え去り、妙な自信に満ち溢れてくる。だからこそ、泣いてなどいられないのだ。
「ビルさんのことは、あたしが守ります」
「ワシも、婆さんのことは死んでも守る」
「ふふ、死んでしまったら守れませんよ」
「む、言葉の綾というやつじゃよ」
やっぱり安心する。
―――あたしは、絶対にビルさんを守る。
ビルさんは人狼だ。何歳になっても、その希少性は変わらない。もしこのことが周囲に知られれば、良くて監禁、悪くて処刑だろう。
(絶対に、ビルさんは、処刑させません)
たとえこの目が見えなくとも。
ずっと側にいたあたしならば。
―――きっと。いや、絶対に。
「あなたを守って見せます」
バニラ『狂信者カミングアウト』
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