10 プロローグ Phantasm battle 幻想郷頂上決戦
「お仕事完了! 食料品の処分も完了! 少し早いが仕事納めと……これで後は冬服をあるだけ納品して土産を買ってと……よしっ! 財布と鍵も持ったし行くか!」
俺は店にしっかり施錠してから稗田家に向かい、商品と鍵を預けた。
そしてついでに留守の間の掃除などをお願いした。その分納品した分の商品を優先的に買うことを許可した。買占めはしないだろうと信用している。
俺は今から訪れる予定のお宅の家人が好きだと聞いていた物をいくつか人里で買ってから目的地へと向かう。
「さーて。多分感覚的にできる気がするから行けるはず……! はぁっ!!」
人里から離れた場所で旧神アトラク=ナクァの力を引き出す。
この神性は世界と世界の間の深淵に住み、それらを繋げる巣を作る。ここで重要なのはその深淵。つまりは世界間のスキマであると言えるだろう。
この能力ならあいつの根城に独力で辿り着けるはずだ。今回はその実験も兼ねている。
「……見つけた」
感覚で目的地を発見し、俺は地獄に糸を垂らした時と同じ要領で空間に穴を開けてそこに飛び込む。
穴の先には悪趣味な目がいっぱいの空間に繋がっていた。本当に不気味だ。人の目は二つ以上あったり一つの目が以上に大きかったりすると気持ち悪い。蜘蛛の方がよほどキモくなーい。
俺は力を戻し、周囲を見渡すと人が居た。
「驚いたな。本当に自力でここまで来るとは。ようこそ異界の妖怪。紫様がお待ちだ。こっちに着いてくるがいい」
八雲藍。あの女の式。式に使うには極上の素材を使った贅沢すぎる式だ。いや本当に過剰だろうと聞いた時には思った。
「ああ。そうさせてもらう。あとこれお土産です。知っている限りの好む物を買って来たからどうぞお納めください」
「これはご丁寧にどうも。ん? この匂いは? まさか……」
「お稲荷さんだ。あと猫用にお魚も用意した。後は甘味を色々。お口に合えば幸いです」
「……ありがたくいただきます。それではご案内します。どうぞこちらへ」
グッドコミュニケーション。
やはり相手の好物をプレゼントするのは良い。好感度がてっとり早く稼げる。権力者には媚を売るのが処世術だ。社会で生き抜いた俺はよくわかっている。
しばらく歩くと開けた空間が現れる。そこにはハンモックで横になった紫色の服を着た金髪の女、八雲紫がいた。
「ふふふ。いらっしゃい異界の妖怪。幻想郷にようこそ。貴方の作ったこれとっても良いわよ」
「それは結構なことでご愛顧ありがとうございます。だが、俺としてはそれのせいであんたに存在が露見したからなんとも言えない気分だよ」
自身の商品のお客さんなので頭を下げつつも恨み言も垂れる。
ハンモック事件。
俺に利益と多忙と再会をもたらした出来事は彼女との出会いも持って来た。はっきり言ってそんな物はいらなかった。
幻想郷の賢者。スキマ妖怪八雲紫。境界を操る程度の能力を持つ。
俺がこの世界に来た原因が向こうの八雲紫と言えるので、はっきり言って苦手だ。彼女の言い分が正しいのは理解しているので逆恨みなのはわかっているが、いまいち割り切れない感情もある。
「あら、そっけない。どうも嫌われちゃったみたいね。向こうの私がごめんなさい」
「いや。あんたが謝る必要はない。ちゃんと頭ではわかっている。向こうの八雲紫が悪くないこともな。あんたに至っては全く悪くない。ただ、どうにも印象というのは簡単に変わらないらしい」
「そう。それならいいわ。レミリア・スカーレットに聞いた時はどうしたものかと思ったけれど、流石に異世界とはいえ幻想郷に住んでいたことがあってか貴方の素行には全く問題は無くて感心しましたわ。管理者として貴方を正式にここの住人として認めます」
殊の外あっさりと許可が出た。ちゃんと大人しくしていたのが良かったか。それともハンモックか。ちょっと断言できない。一日十二時間寝てる女らしいし。
「それは助かる。レミリアの奴が勝手に人の事話したのは今度折檻するとしておいて……認めるということは俺の在り方を含めて認めてもらったということで良いか?」
「ええ。元々私はここを妖怪の理想郷にしたかったのだけど、そう上手くも行かなかったのよね、だから貴方が許容できる分だけ彼女達を幸せにしてあげてください」
ハンモックから降りてきた八雲紫がほんの少しだが頭を下げる。
驚いた。俺のイメージではこいつは絶対にこういうことをしない性格だと思っていたのに。
「ふふ。驚いているわね。本当に向こうの私は性悪ね。それとも今まで出会った人がそれほど変わらなかったのかしら? 自分で言うのも何だけど……ここまで幻想郷を平和にするのに苦労したのよ。きっと向こうの私も同じくくらいの苦労をしたと思うのよね。だから私もそろそろゴールしようと思うのよ?」
「紫さま!?」
「あら、間違わないでね藍、ここで言うゴールと言うのは女としての意味よ。しばらくどこかに控えていなさい」
八雲紫が八雲藍に向かって楽しげに言う。藍がスキマに消えるのを確認し、そしてこちらを見る。その眼は獲物を見る目となっていた。
「貴方は蜘蛛でしょう。八雲と蜘蛛。蜘蛛は足が八本だし
「否定はしないが俺の場合は元の四肢に加えて蜘蛛の足が八本出てくるから十二蜘蛛になるぞ」
「釣れない人ね貴方も。向こうの世界だと女にこれほど迫られて手を出さないなんて酷いことなのでなくて?」
「そう言われてもな。ごねればなんとかなると思われるのは困るんだ。こちらでは……な」
戦えなくなったら困ってしまう。気持ちも実態も。
「王子様は自分で捕まえろってことね。夢見る少女のつもりはないんだけど仕方ないわ」
「その少女臭いナリでよく言うよ。御託は良い。お前は最初から本気で相手してやる。来いよ! 蜘蛛の恨みは怖いぜ?」
「やっぱり恨んでるんじゃない。まあいいわ、私の魅力は二人の愛の生活でたっぷりわからせてあげるから」
「「勝負!」」
お互いが即座にスペルカードを発動する。
「結界『夢と現の呪』」
「戦陣『徘徊す蜘蛛の戦場』!」
陣巣の上位スペル。自身の強化と罠に加え、こちらに連動して常時援護射撃をしてくれる三位一体のスペル。
相手の小手調べの弾幕を容易く躱す。
「やはりそれ厄介ね。だけど編み物は私も得意なのよ? 結界『光と闇の網目』」
巨大な弾と小さな弾、それに照射ビームが入り乱れる弾幕が構成される。
「編み物を生業にしている俺には正直児戯に等しいな」
俺は弾幕をやはり手早く回避し、それが終わるまで逃げに徹する。当たらなければどうとでもなる。
「お前の弾幕はやはり厄介だ。ならば遊戯『スパイ「させないわ。罔両『ストレートとカーブの夢郷』」ダソリティア』」
「まずい! 出遅れたか!」
こちらのスペルカードよりも早く相手が宣言をする。
当然相手のスペルが発動し、弾幕が構築される。
「あらあら。やっぱりそれはこちらに先に発動されたら、むしろ自分の首を絞めるタイプだったわね。念のため天狗にも聞いておいてよかったわ」
「チッ! 白々しいやつめ!」
そう。その通りだ。このスペルは相手より先に出してこそのスペルだ。
これは本来相手より先に使うことで自分はこのスペルの恩恵を受けつつ、相手は使えない状況で確実にスペルカードの発動数で勝つという趣旨の効果だ。そしてこのカードで出る弾幕は他のスペルカードとかちあう場合は全体的に弾幕の性能が若干弱くなってしまう。
「安心してちょうだい? 私と夫婦になった暁には一人遊びする余裕がないくらいに絞り上げてみせるわ」
「戯言を!」
「これは本気なのだけど……」
余裕ぶっこいてやがる。あの女。殊勝な態度を取っていたから許しそうになっていたがやはりダメだ。容赦なくやる……!
「妖貌『八本足が迫る』! こっからは100%本気だ!!
俺は蜘蛛の姿をその身に顕現させつつ、雄叫びを上げてから同時に弾幕を各所から斉射する。
正面から照射ビームを出しつつ、各部の蜘蛛の足からも光線状の弾を連射。陣からも通常弾を放つ。
「なるほど……これが異界の妖怪の力ね。確かにかなりの力ですこと……式神『八雲藍&橙』来なさい!」
「はっ!」
「おまかせください!」
八雲紫は式たちと一緒に弾幕を放つ。
弾幕の濃さでは負けていないがやはり優秀な司令塔である八雲紫が的確に指示を出しているため、こちらの死に弾が多くなりあまり有利にならない。
「時間切れか……」
「こっちも時間切れね。二人ともご苦労」
お互いにスペルカードの効力が切れて、弾をひたすら撃ちあう乱戦が終わる。それでもまだ相手は立っている。お互い次のスペルカードを用意する。
その後もどちらもスペルカードを惜しみなく使いつつ撃ちあいを続けるが勝負は決まらなかった。
「はぁはぁ…………流石だ。お前らが作った決闘法とはいえ戦いでここまで楽しめるのは久しぶりだ。俺はやはり幻想郷に……この世界の幻想郷に来て良かった!」
「すぅーはぁー……それはお褒めに預かり光栄ですこと。そう面だって言われると管理者としても一人の妖怪としても嬉しい限りだわ!」
俺は…………やるべきだろうか。この楽しい楽園を失うかもしれない選択を。
「だからお前に俺の本性を……命としての
「それはそれは……夫の全てを知りたいというのは女の性ですからね。良いでしょう。貴方の全てを受け入れてみせます! 何て言ったって」
「
「ええ。それはそれは残酷な話ですわ」
はははははははははは!!!
ああ。こういう微妙に懐の深いところを見せられると躊躇してしまいそうになる。見せなければここにいられるのだから。
でも。だからこそ。ここはやっておいた方が良い。
「では……行くぞ。一応スペルカードにできた以上は弾幕しかできないはずだが、自ら前以て戒めも掛けておく。八雲藍に渡した土産袋の中にいざという時の対処法を書いた物も一応入れておいた。このスキマの世界からはその状態だと俺の力だけでは出られないだろうが、一応空間自体に封印も掛けてくれよ? あと念のため勝てないとふんで逃げる時は半日くらいはここに近づくな。わかったな?」
一息に注意を言う。我ながら長い。冗長だ。しかし必要でもある。
「え。ちょ、ちょっと待ってもらえる? そんなに注意が必要なことをするつもりなの?」
「まだ一度も使ってないスペルカードでな。俺自身の本性を原型と共に解放させる物だ。最近はそんなに溜まってないからすぐに解けると思うが、逆に言うと発散しきるまで解けない」
「え? 貴方そんなに危険なの……?」
「それをお前が確かめるんだよ紫。幻想郷は全てを受け入れるんだろ? 俺を受け入れろ。さあ本当に行くぞ。自信がないなら最初からスキマを開いて首だけ出していろ。俺は最初からトップスピードで移動するからスキマに入る前に捕食されかねないぞ」
「は? え? ちょっと準備するから、少し心の準備を!」
俺は紫の準備ができたのを確認してからスペルカードの発動を宣言した。
「さて、目が覚めたらお前がどんな顔をしているのか……今から楽しみだよ。できればギャフンと言わせたいものだ。さあ! 後は任せた! 本性『
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
重ね重ね注意をされた上で発動したスペル。それは本当に言うだけあって恐ろしい物だった。
彼の身体は人の面影を一切残さずに足の長い大きな大きな蜘蛛に変化した。
体は黒褐色で目も赤くなかった。彼の中に潜む力の具現とは全く違った姿だった。
あの姿はおそらくアシダカグモ。動物界節足動物門鋏角亜門クモ綱アシダカグモ科アシダカグモ族アシダカグモ種。蜘蛛としての糸や毒などの能力よりもその身体性能と捕食本能こそが特徴の蜘蛛。普通は茶褐色のはずだが体色は黒い。
何より大きさが恐ろしいほど違う。大きすぎる。体長は目測およそ25メートルで長さが100メートルを超えているだろう。その圧倒的な力が見ているだけでわかる。
私は即座に頭を入れ、スキマを閉じ、退避を選んだ。最後に一瞬だけ見えた景色は迫りくる一面の極光だった。
「ふう……危ないところだったわ。これは正しく自分の危険性を教えるための物ってことね」
あれほどの化け物……あれならあの時、博麗大結界の時の騒動の龍神様すらも殺すのではと思えるほどの存在。いや……きっと殺すだろう。あれはそういう類の力に特化したものだ。それに自ら戒めているといっていた以上、本当に解放した更に上があるはず。
あれと彼が同一の存在とは信じがたい。
よくもあんな本性を隠していられたなと感心しきりだ。
「藍。あの空間はどうなっているかしら?」
「はい。空間自体は問題ありません。健在です。しかし、内部では未だに客人が徘徊して絶えず弾幕をまき散らしている様子。あの方の言った通りにまずはきっかり半日近づかないべきかと」
「ええ。わかっているわ。正直それしかできないとも言えるわね。霊夢でもどうしようもないでしょう。攻撃する前に近づかれて殺されるだけ…………まあそれは私たちにも言えることだけど」
私はふと考える。彼の真意を。
「ねえ藍。彼はどうして私にあの姿を見せたのかしら。何故だと思う?」
「それは……勝ちを焦ったのでは……? あいつもなんだかんだ結婚などと耳触りの良いことを言っておきながらも負けが見えたのでああした……やはり所詮はただの男だったということでしょう」
「そう。貴女はそう思うのね。でも違うと思うわ。彼はきっと……」
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それから私たちは半日待ってからあのスキマの空間に戻った。そこにはぐったりとした彼が仰向けに倒れていた。疲労の色は濃いようだが赤い目が遠くからも確認できるので意識はあるようだ。
今なら強引に襲えば勝てそう……なんて考えが頭に浮かぶが、流石にそれをやるのはダメな気がするので頭から追い出す。
「……よお。どうだった? 俺の本気は……」
「完敗ね。だから賢者として命令します……あのスペルカード及びその元となった貴方の本体の封印を命じます。あれは危険すぎるわ。私が特別な許可を出さない限り使わないこと。いいわね」
「……了解」
彼は目を閉じて言った。その表情は物悲しげだ。しかしわかっていたようでもある。
「代わりに貴方にはこの幻想郷でその封印措置のために積極的に戦闘行為をすることを許可するわ。改めて認めるわ。存分に生きて。そして闘いなさい。アトラク=ナクァ」
「ああ……感謝するぞ。八雲紫。ありがとう……」
彼は今度は嬉しそうにこちらに笑いながらもそう言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「彼が幻想郷を追い出されても仕方のないような力をあえて私たちに見せつけた理由」
「きっとそれは私たちに対する信頼ではないかと私は思うのよ。藍」
「自身の見られたくないようなところまで全てを晒してでも彼はここにいることを選んだ。私はそう思うし。そう思いたいの」
「あちらの幻想郷に受け入れられなかったからこそ、ここでは全てを見せて、ここにいることの判断を委ねたのよ。だから信じましょう。ここに来て良かったと言った彼を。ここに来てもらえて良かったと私たちが思えるようになる日を」