東方 あべこべな世界で戦う    作:ダリエ

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ちょっと遅刻


43 儚月抄 蜘蛛の毒

 最初、私は何が起きたかわからなかった。

 

 闘いが始まったと思えば、気が付いたら糸に巻かれて私はそのまま体勢を崩して倒れてしまった。直後に森を一瞬で素粒子レベルで浄化する風を起こす扇子を奪い取られ破壊された。依姫はわからなかったみたいだが完全に破壊されている。驚くことに彼の血には凄まじい穢れが含まれていた。彼は途方もない数の生と死をその身に宿している。そうまでなるほどに長きを生き、他者を食らい続けてきたのだろう。もし彼がロケットに乗って月に来ていたら被害は甚大だったはず。まさか地上にそれほどの存在がいるとは計算違いだった。

 

 いくらなんでも八意様が多数決なんかで負けて私たちを罠に嵌めるはずがないと考えていたが、八意様は私たちに彼の力を見せるために呼んだのだと今ならわかる。

 

 彼には手加減は不要だ。私たちの全力で彼を打倒し、私たちの力を見せつけて月から遠ざけなければいけないと判断した。

 

「なんとかして外れないかしら……!」

 

 この糸は外れない。フェムトファイバーほどじゃないだろうけど相当な強度の糸だ。自力での解放は厳しいかもしれない。これなら先に依姫に手を貸してもらって斬ってもらえば良かった。

 

 いいや。今からでも助けてもらおう。そして二対一で闘うのだ。やるべきことがはっきりした以上、男だ女だなどと言ってはいられない。二対一の形を作り、依姫が牽制し、私がフェムトファイバーで無力化すれば角が立たずに決着に持ち込めるはず。私はそう思い妹を呼んだ。

 

「依姫! 先にこの糸を斬ってちょうだい!」

 

 妹は男の前で無防備に立ち尽くしている。返事は無い。

 

「依姫?」

 

 反応が無かったのでもう一度その名を呼ぶ。

 

「…………ぁ……ぁぁ」 

 

 かちゃん――

 

 依姫が手に持っていた剣を落とした。私はここでやっと何か不味い事が起きていると直感し、糸で縛られ満足に動けないながらも行動し始める。まずは糸から脱出することを優先した。

 

「ぁぁぁぁぁ!」

「依姫! 待ってて! 今行くわ!」

 

 依姫はやっとこちらに反応するが声にならない音を発するだけで喋らない。いやこれは喋れないと見るべきだ。顔色もやけに悪い。瞳孔も開いている。毒を仕込まれた?いや、そんな素振りはなかった。含み針くらいでは月人には刺さらないし強力過ぎる毒なら彼自身が危険だ。一体全体何をされたかまるで検討がつかない。

 

「……ぃゃ……ぃや……いやぁぁぁ!!! こないで! たすけて! ねえさま! ねえさまぁぁ!!」

「依姫!」

 

 依姫は頭を抱えてその場で叫びだす。尋常じゃない様子だ。こんな姿は見たことない。

 

「アトラク?」

「まだ一分も経ってないから流石に大丈夫だと思うけど……」

 

 八意様が彼に問う。これが大丈夫なものか。やっぱりその眼は節穴なんじゃないだろうか。輝夜様を見てなんともない男の基準などアテにはならない。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 依姫は落とした剣を拾い、虚空に向かって乱雑に振るう。

 

「消えろ! きえろぉ!! キエロォォォ!!! 私のナカからでていけぇぇ!!!」

「依姫! しっかりして依姫!!」

 

 依姫は完全に錯乱していた。私の声も届いていない。

 

「ああ……! あああぁぁぁ!!!」

 

 依姫はいくら剣を振るっても意味がない事を悟ったのかそれをやめる。

 

 しかし、彼女は次に自分の胸に向かって剣を突きたてようとした。

 

「だめぇぇぇ!!!」

 

「ここまでだ」

「っ!!」

 

 刃が依姫の身体に突き立つかと思った時には彼女の剣は相対していた男が取り上げ、依姫ちゃんは体に掌底を食らって意識を失い、彼の腕に抱きかかえられていた。

 

 妹が無事だとわかり、私も急に力が抜けると、そのまま私の視界は黒く染まった。

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「ね、ねぇアトラク? 貴方一体何をしたの? ちょっと予想よりも凄い光景だったんだけど?」

 

 紫がそう尋ねる。綿月依姫は正気を失い発狂。綿月豊姫も倒れている。俺としては予想していた結果だが過程がショッキングだったようだ。

 

「紫。お前は俺の名乗っている『アトラク=ナクァ』はあくまで仮の名前で、本来この名は異世界におけるとある神性の呼び名の一つだとは知ってるよな?」

「ええ。それが? まさか!」

「今回。俺の中にあるその神性の力を一部切り離し、彼女に憑依させた。まさかこれほど強烈な絵面になるとはな……」

「うへぇ……あれを直接入れられたのね。私なんか見ただけでも結構怖かったのに。私を倒した憎い奴だけど流石にこれには同情するわね……可哀想に」

 

 一番根に持っていたっぽいレミリアすらも依姫に同情する。

 

 彼女は一時的に恒久的な1D100くらいのSAN値チェックの状態に陥っていたのだ。それで順に失語症。錯乱状態。なんらかの妄想や幻覚。そして最後に自傷行為に走ったのだ。幻想郷ではこういう精神攻撃してくる奴は少ないから観客的にも珍しかっただろう。

 

「そ、それは私たちにもできるものなのかよアトラク?」

 

 魔理沙が引きつり青褪めた顔で恐る恐る訊ねる。

 

「無理だろう。多分神卸しに適性のある彼女と霊夢にしか使えない裏技だと思う。俺への紐付けがかなり強いからな。普通の奴にはそもそも憑かない」

「私には絶対やめてよね! 絶対だからね! お願いよ!」

 

 俺がそう断言すると霊夢は半分泣きながら懇願してきた。あれを見せられたらそうだろうな。下手なホラー映画よりも怖かった。表情と叫びっぷりが本物だったからな。

 

「やらないさ。元から俺の力じゃない。今回も正直そこまで気は進まなかった」

 

 今回はリクエストがあったのと少し調子が悪かったからやってみたまでだ。本当ならやっぱりギリギリまで自力で闘ってみたかった。

 

「じゃああっちの豊姫はどうしたのですか? 縛られていただけなのにだいぶ疲弊しているようですけど?」

 

 今度は咲夜が聞いてきた。さっきから質問攻めが激しい。やはり闘いには解説役が必要だな。雷電みたいな。

 

「あれは俺の糸だからな。中まで穢れたっぷりだし、ずっと接触していて体調が悪くなったんだろう。月人には毒も同然だろうしな」

 

 結論。俺は月の住人とは相性が良い。糸というか俺という存在の内容物に穢れが含まれている以上唾の一吐きですら攻撃。厄介な綿月依姫もアトラク=ナクァ(蜘蛛の王)を貸し付けてやればこれだ。蓬莱人になり穢れを克服しなければ月人が俺に勝つのは不可能だ。

 

「とりあえず二人を診察室にでも運びましょう。治療をしてあげないと申し訳ないわ」

「そうだな。俺も運ぶのを手伝おう。まずは糸を解こうか」

「じゃあ私は先に行ってイナバ達に準備させておくわね」

 

 そう言って輝夜は紫に空間の出口を作らせて先に行き、俺と永琳は倒れた二人を慎重に診察室まで運んで行った。

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 残された少女たちは改めて確認した蜘蛛の恐ろしさを語りあう。

 

「……なあ紫。あいつに勝てる奴って本当に幻想郷にいるのか? 恥も外聞も無くみんなで囲んで叩くしかないんじゃないのか? 私は別にあいつと結婚する気ないからバトルはパスだけど」

「私も魔理沙の案に一票入れるわ。もう有志を募って夜にでも特攻仕掛けましょう? 数の力に頼るのよ」

「そうですねお嬢様。魔理沙の考えにしては良い考えよ。褒めてあげるわ。ついでにその気は無くても力は貸しなさい」

「いやいや。あんたたち頑張って弾幕の修行でもしてなさいよ……一度だけ見たけどあれくらいなら時間は掛かるけど弾幕に付き合ってくれるなら倒せない相手じゃないでしょ? それにあんたら妖怪は時間ならいくらでもあるじゃない」

 

 一同が霊夢を化け物を見る目で見つめる。彼女は弾幕に限れば倒せない者はほとんどいない。その中に彼もいただけのことだ。ここに至って幻想郷内で霊夢>アトラク≧その他という図式が確立されていた。

 

「霊夢。貴女は旦那様にも勝てるかもしれないからいいわよねぇ? でも私たち人間には寿命と言う制限時間があるの。まともに結婚して子供を生むなら早い方がいいの。わかる?」

「いや私も人間だからわかるけど……自分の結婚相手くらい自分の力で勝ち取りなさいよ。ねえ紫」

 

 八雲紫は表情をしかめながらも答える。

 

「ええ。霊夢の言う通りよ。出来る限り自力での打倒を目指しなさい。あいつに数で挑んだら原型(奥の手)を見せかねないから。そうなったら幻想郷が危ないの」

「なんだよそれ!? お前がそこまで言うようなそんな危険な奴と闘うなんてお前らそこまでして男とヤりたいのかよ!?」

 

 魔理沙がそう問うも。

 

「いやヤりたいでしょ。カマトトぶってるんじゃないわよ魔理沙。それに紅魔館のメイドに釣り合う男なんてそういないのよ」

「だいたい両想いになれるチャンスとかないわよ? 少なくとも私は五百年生きてきてこんなに男と話している時間は初めてよ」

「私もその倍は生きてるけど右に同じね。魔理沙みたいなお子様にはわからないのかしら?」

 

 滅多打ちだった。おまけと言わんばかりに霊夢からも突っ込まれる。

 

「魔理沙は霖之助さんがいるものね~。今回月に行く時も周りに霖之助さんを気にしてもらうように頼んでたし~。あ~健気なことで」

「ちょ、おい霊夢!? 私は別に香霖なんかなんとも思っちゃいないんだぜ!? ただあいつは私がいないとダメだからしょうがなく気にしているだけで……す、好きとかそんなのは……」

 

 追撃まで来た。どうやら彼女の味方はいないようだ。あたふたと弁解する。

 

「はぁーリア充はこれだから嫌なのよ。紅魔館(ウチの連中)には今度魔理沙が来たら容赦なく攻撃するように言っておいてあげるわ。パチェはきっと嬉々として歓迎してくれるわよ。ウフフ」

「勘弁してくれよレミリアぁ! いや、そうだ! おい霊夢! お前はどうなんだよ! お前だってアトラクのこと満更でもないだろう! 賽銭もらってからは毎日のように拝んでるだろ! あいつといたらお金の心配もいらないんだぜ!? お前なら弾幕でなら十分勝ちの目も……!」 

 

 パン!と紫が手を叩いて留める。それは心なしか彼女らの耳にはとても大きく響いたような気がした。

 

「はいそこまで。でも私も気になるわね。貴女はそこまで男に興味がないという訳でもないでしょう? 人並の性欲はあるはずよね。挑む気がそこまで無さそうなのはなんで?」

「……あんたがそんなこと知ってるのよ?」

「あなたの箪笥の一番下の秘密につい「わかりましたぁ! 話す! 話すから!」よろしい」

 

 霊夢は霊夢で紫になんらかの秘密をばらされる。人を呪えば穴二つ。

 

(一番下か……今度探ってみようっと)

 

 魔理沙は今度その謎を確かめようと決意した。

 そして後日探したが何も見つからずにそれが霊夢にばれて折檻された。

 

「はぁ……確かに……! 確かにアトラクさんもいいなぁと思った事はあるわ。なんなら使ったこともあるわ。でもね! 私は博麗の巫女なの。妖怪を退治する側よ。それがまさか妖怪と結婚して出産なんてどうなのよ? と思っているわけ」

「まぁ聞きましたかお嬢様? あの巫女素知らぬ顔して出産まで将来設計に入れてますよ。とんだムッツリですこと」

「そうね咲夜。まあ常に脇を露出しているような奴だもの。内心はド変態で間違いないわよ」

「それなら私も心当たりあるぜ。あいつと一緒に妖怪退治に行った時にぼそっと『あーあ。若い男が触手に凌辱でもされてないかしら。そうでもないとやる気でないわー』って言ってたんだぜ!」

「あら? あの子そうなの? 性教育失敗したかしら?」

 

「やめなさい! わかったわ! ちょうど良いからアンタ達全員この場でボコってやるんだから! そして脳内からその記憶を消し去ってやる! 掛かって来いやぁぁぁこのブサイクどもぉぉぉ!!!」

 

 霊夢は周囲に陰陽玉を浮かべ。お祓い棒が軋むほど握りしめて魔理沙たちに襲い掛かってきた!

 

「ヤバい!? 霊夢がキレたぁ!!」

「ちょ! どうするのよ!? やるの? やらないの?」

「おおお落ち着いてくださいお嬢様! こっちは四人です! やってやれないことはないはずです!」

「流石に死にはしないわ! きっと! ここは後々の為に闘いましょう! きっとアトラクと闘う時にこの闘いは役に立つはずよ! いいわねレミリア、咲夜!?」

「わかったわ!」「仕方ないですね!」

 

「え? じゃあ私逃げたいんだけど! アトラクとドンパチするつもりはないし!」

「スキマは閉じた。もう逃がさないわ! 貴女も一緒にやるのよ!」

「そんな~!!」

 

 紫たちの闘いは始まったばかりだ!

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「あ……れ? ここは……?」

「起きたか」

 

 綿月依姫が目覚めた。あの蹂躙からもう二日が経っていた。姉の方は数時間で起きて、その後は妹をできるだけ看病していたのだが流石に日をまたぐのは仕事に支障が出ると一旦帰ってしまった。

 

 その間は綿月依姫は永琳の指示の元、俺と永遠亭の住人で持ち回りで看護していた。

 

「貴方は……それに私は……?」

「覚えていないならそっちの方が良いと思う」

 

 正直他人の逆恨みでやるには度を過ぎた物だった。あの後で俺も永琳に怒られてしまったし反省している。人間の精神性にはあの悍ましき姿はさぞキツかっただろう。

 

「私は……?」

 

 どうも彼女はまだ意識が覚醒しきっていないようだ。今のうちに永琳か鈴仙でも探しに行こうと椅子から立ち上がろうとしたのだが。

 

「ん?」

「あっ……その……ごめんなさい」

 

 彼女に服の裾を掴まれてしまった。もう体が動かせるとは流石は月の民だ。頑丈である。

 

「少し出る。永琳を呼んできてやるから待っていろ」

 

 俺は彼女の手を振り払って退室しようとした。

 

「待って……ください」

「今度はなんだ?」

 

 また止められる。ここにはナースコールなんて便利なものはないのだから呼ばなければ医者は来ない。交代の時間もまだ先だ。通常なら輝夜が遊びに来るのだがさっきまで彼女の受け持ちの時間だったので今は部屋で寝ている。永琳と鈴仙は今の時間は外来用の診察室にいるので何か用がないとやっぱり来ない。

 

「あの……私みたいな女といるのは不快でしょうが……もう少し一緒にいては貰えないでしょうか……」

「……了解した」

 

 俺は戻って椅子に座りなおす。

 

 どうやら彼女を散々な目に合わせたので嫌われていると思っていたのだがこれはもはや記憶があるか怪しい。そしてそれ以上に彼女は孤独な方が怖いようだった。人が風邪を引いた時に心細く感じる時があるらしいがそれと類似した状態だろう。俺は風邪を引いたことないのでわからないが。

 

「あ……ありがとうございます」

 

 彼女はどうやらホッとしたようで、表情を和らげてからまた寝台に横になる。

 

「でもやっぱり医者は呼んでおこう。誰かいるか?」

 

 俺は眷属を呼んだ。すると寝台の下から一匹の小蜘蛛がでてきたので手に載せて頼みごとをしようとしたのだが。

 

「ヒィッ!? あ、痛っ!」

 

 綿月依姫が悲鳴を上げてこちらから逃げるように寝台の端へと逃げてそのまま向こうにずり落ちた。これはまさか。

 

「お前はお行き。おい。大丈夫か? 戻れるか?」

「大丈夫です。あの……蜘蛛はもういませんか?」

「ああ。あっちに行ったよ」

 

 彼女は少し手間取りながらもしっかりと自力で寝台の元の位置に収まった。

 

「お前は衰弱しているんだ。安静にしていなさい。お前らが持って来た桃がある。あれなら穢れもないし今のお前にも食べられるはずだ」

「ありがとうございます」

 

 俺は永琳にもらった医療用の糸で桃を切り分ける。やはり刃物よりもこちらの方が楽だし我ながら上手い。さて、切り終わったので俺の方でも問診してみよう。

 

「ほれ切ったぞ。わりと美味しそう。口開けろ。あーんだ。あーん」

「は、はい。あん。お、おいしいでしゅ……」

「そりゃ尊敬する師匠への土産に不味い物持ってくるわけにもいかんわな。ところで蜘蛛は苦手なのか?」

「いえ。特になんとも無いはずなのですが今はどうも怖くて……こんなこと無かったのに」

 

 綿月依姫はぶるぶると震えながら答えてくれた。

 

 はい確定。確実にトラウマ植えつけちゃってるよ。アラクノフォビア発症しちゃってるよ。しかも重篤。おのれレミリアと愉快な仲間たち。あいつらが勝てないくせして月なんか行くから。俺は自分の強さを恐れられるのは好きだがこういうのは好きじゃないんだ。やっぱりやめておけば良かった。今度彼女と闘う時には罪悪感でちょっと躊躇してしまうかもしれないじゃないか。

 

「……あ……そうだ私は……ぁぁぁああああ!!」

 

 やばい!記憶が戻った!

 

「落ち着け!」

 

 完全に錯乱する前に依姫を抱きしめる。

 

 私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった。なんて言うつもりはないしそこまでハンサムフェイスでもないが多少は効果があるだろう。というか彼女の性格とか全く知らないので下手に言葉で説得するよりも効果があると期待する。

 

「よーしよしよし。良い子だから落ち着くんだ。もう怖い蜘蛛はいないぞ」

 

 彼女の顔を胸に押し当て、頭を撫でながらそんなことを言う。正確に言えばここにいるというか俺だけど。でもちゃんと閉まっちゃったからいないんだ。そういうことにしておく。

 

「うぅ……本当ですか?」

「いないいない。ばあって出て来たりもしないから」

 

 俺は根競べとばかりに彼女が再び眠りに入るまで彼女をあやし続けることになった。

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「それでこうなったのね。やっぱり駄目ね。月でどれだけ頑張っても報われないのにここだと向こうから男が寄って来るんだから」

「その言い方はちょっと異議があるけど……確かに俺が行っているのは事実か……いやでも今回は違う」

「依姫ちゃんに先を越されるなんて……」

「んふふ~」

 

 こうなった。というのも俺の手には綿月依姫がくっついていた。そして体に頬ずりしてくる。そんな懐ききって牙を抜かれた動物みたいなことするんじゃない。

 

 依姫はあの抱きしめ撫で撫でコンボのメンタルケアをたっぷり六時間食らって完全にメス堕ちした。もうあの玉兎たちを鍛えていた凛々しい女教官はいなかった。

 

(まさか伝令を頼んだ蜘蛛が途中で羽虫を見つけてどこかに行ってしまうなんて……)

 

 俺の加護を受けたところで彼らの知能はそこまで上がらない。ゆえに個体の資質が大きいのだが今回は外れを引いたらしい。おかげで連絡できずに人が来るのを診察の終了時間まで待たねばならなかった。二匹目を呼ぶのは依姫の精神を考慮して控えねばならなかったし。

 

「うわっ……抱きしめて撫でられてただけでこれとか、私の元飼い主チョロ過ぎ……?」

「十分じゃない? 鈴仙だってそんなのされたことないでしょ」

「そんなことどうでもいいのよイナバども。さっさと離れなさい依姫? さもなくば貴女の目の前に私の顔を配置するわよ……!」

 

 輝夜のご機嫌と鈴仙の元上司への信用が凄まじい勢いで下がっている。

 

「ねえ依姫ちゃん? そろそろ帰りましょう? お仕事やらないと不味いの。八意様やそちらの人に迷惑を掛けてしまうわ」

「嫌です! 私はもう地上で永遠亭の子になります! そしてこの人と一緒に末永く暮らすんです!」

 

 綿月豊姫が説得するが依姫は渋る。

 

「私が男の子産んだらその子とお姉様の結婚を許すのでしばらく月で一人頑張ってください!」

「それはなんかいろいろと逆な気もするけど……とにかく帰るわよ! 言う事聞きなさい!」

「いやー!」

 

 駄々っ子か。駄々っ子だ。

 

 永琳は問答を行う綿月姉妹を尻目に輝夜と対応を協議する。

 

「はあ……どうする輝夜? 私は別に一緒に暮らしてもいいのだけど、この子が月の使者やってくれないと正直本当に不味いわよ?」

「適当に意識を奪ってその間に送り返すわよ。こいつがいたらアトラク様とのんびり過ごせないしはっきり言って邪魔よ。まだ妹紅のがマシよ。やるわよ永琳。イナバ」

「「はい!」」

「わかった」

 

「ああ。ちょっと待ってくれ」

 

 彼女らが行動を起こす前に口を挟む。

 

「何ですかアトラク様? まさかとは思うけどあれをここに置いておくなんて言いませんよね……!?」

 

 輝夜の堪忍袋が限界みたいだ。そして当然彼女を地上に残すつもりは無い。月はしばらくそのままの状態を保ってもらわねばいけないからだ。

 

「俺がやると言いたかっただけだよ。ほら折角の可愛いお顔が台無しだぞ輝夜。あと今度少し借りたいものがあるんだけどいい?」

「えへへ~そんな~しかたないですね~アトラク様は~」

「うわぁー姫様が可愛いとか」

「私は神経疑うね。ちょっと鈴仙、適当に薬でも飲ませてあげなよ」

「アトラクがわざわざ機嫌取ってくれたんだから黙っておきなさい二人とも。じゃあ任せるわよアトラク。ついでにそこの輝夜も任せたいけど持って帰るわ」

「あいよ。さて依姫。こっちにおいで」

 

 俺は依姫を招きよせる。少々可哀そうだが仕方がない。彼女には本当に酷い目ばかり合わせている気しかしない。

 

「は~い! なんですか~?」

 

 近づいて来た瞬間を見計らってばあ!と俺は背中から蜘蛛の足を出し、わしゃわしゃと動かす。

 

「ヒッ!?」

「依姫!」

 

 依姫は蜘蛛の足を見てから小さく叫び声を上げて、一瞬で意識を失った。豊姫が肩を貸してなんとか立たせる。

 

「よし。じゃあ連れて帰ってくれ」

「あ、はい。それじゃあ失礼します……あの、もしご迷惑でなければまたこの子と会ってあげてください」

「まあ偶になら。あんまりしょっちゅうは来るなよ。体にも悪いだろうし」

「そうですね。地上の穢れは私たちには危険な物ですので」

「ああ。それとこれプレゼント。一応二人分ある」

「それはありがとうございます。妹も喜ぶと思います。では私たちがしっかりと月の方は抑えますので八意様によろしくお願いしますね」

「それはまた今度来た時に自分で言うと良い。少なくともお前たちの師匠は二人のことを気にかけていた」

 

 豊姫は表情を和らげ、喜びの色に染める。

 

「それが聞けただけで私にとっては十分な収穫となりました。それではまた会いましょう」

 

 豊姫は海と山を繋ぐ程度の能力を使い、月へと帰って行った。正直その能力も羨ましい。

 

「月の異変の時には遊びに行くよ」

 

 それまでは是非とも仕事を頑張ってくれ。

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 そして後日談。月の都へと戻った綿月姉妹の二人は依姫が倒れていたことで滞っていた仕事も一段落し、数日振りに帰宅を果たせていた。

 

 二人は久方ぶりに自宅で人心地着く。

 

「はぁ……姉様。今度からは私がいなくても数日は仕事回せるようにしておいてくださいね? 起きて目が覚めたら仕事場なんて最悪ですよ」

「うふふ。ごめんなさい。あ、そうそう。そういえばあの男の人からお土産貰っていたのを忘れていたわ。家に帰ったら開けましょうか?」

「本当!? そういうのは早く言ってください! 早く開けて!」

「はいはい。そう急かさないの……あら可愛らしい」

 

 豊姫が受け取った袋から出てきたのは彼女らの両手に乗るサイズのデフォルメされた蜘蛛のぬいぐるみだった。デフォルメされている上にモチーフがハエトリグモなので蜘蛛っぽさとぬいぐるみ特有の可愛らしさやフワフワな触り心地が楽しい。

 

「く、蜘蛛……」

 

 依姫はそれでもなお微妙に恐怖を感じていた。半分ほど毛玉のようになっているがそれでも怖いようだ。

 

「まだ何か中に入ってるわね……ああ。依姫ちゃん宛てね。ええと『これを使って蜘蛛への恐怖を克服してください』だって。依姫頑張ってね!」

「……努力します」

 

 依姫が貰った一つのぬいぐるみは壮絶に悩んだ挙句に部屋に飾られたのだが、豊姫の元に行ったもう一つのぬいぐるみは依姫の恐怖の克服の為、悪戯に頻繁に使われることになったらしい。

 

「頑張ってねー依姫」

「勘弁してください……」

 

 依姫のリハビリは終わらない。




やっぱり続きできてないのでしばらくお休みします
前よりは早めに再会するとは思います

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