幻想郷の暦の上で四月末 天界――
二人の女が何もない、ただただ雲と空があるだけの場所を歩いている。彼女たちの歩む先にも後にもただそんな退屈な天だけがあった。地上で例えるなら砂漠か荒野か。それでもその二人の内の一人。桃が乗った黒い帽子を被り、空を映したようなスカートを纏う小柄な少女はなんら迷いなく道なき道を往き、もう一人はそれに付き添う。
「総領娘様。言っておきますけどこっちはなんにもないですよ?」
「前はね。でも今は違うわ」
少女のことを総領娘と呼ぶ、こちらも黒い帽子だが触覚のような赤い布がついており、身に纏った羽衣とやけにぴっちりした服が特徴の女性――竜宮の使いである永江衣玖は少女を諌める。
衣玖はその勤勉な勤務態度から彼女の親に特別に頼まれ、お目付け役としてこんな天界の辺境にまで一緒に来ていた。こんな不良娘のワガママにまで付き合ってくれる者は天女と呼ばれる竜宮の使いでもそうはいない。
「貴女達龍魚だって噂は知っているでしょ? こっちの方に何かがいるって最近噂になってるの。もう尾ひれが付きまくって最初は
天人、比那名居天子は実に軽くそう言った。
「……はぁ。言ってもダメみたいですねいつも通りに。まあいいですよ。私も少しだけ気になりますし。どうせ正体は枯れ尾花とかでしょうけど」
「あんたつまらないこと言うわね。そんな退屈な女だから結婚できないで行き遅れるのよ。衣玖も他の奴みたいなのやったら? なんだったっけ……あの羽衣使ったの」
天子からすると特に悪気のない発言だったが衣玖には癇に障ったらしく刺々しく言い返す。
「……私はまだそこまで歳じゃありません! 若いです! それにあんなのはチャラい天女の中でも後先考えていない馬鹿しかやりませんよ。大体結果も不確定すぎるんですよ。なんですか羽衣拾った人間が男の可能性に賭けるって! そもそも運よく男が里の外にいることが無いんですよ! 考えた人馬鹿なんじゃないんですか!?」
「ああ、そうね若い若い。あんたも結構ストレス溜まってるわね…………ねえ? ここだけの話衣玖がタイプの男ってどんなの?」
「なんですか急に」
「いいからいいから! どうせしばらく目的地まで着かないし。暇だからいいでしょ?」
実際に目撃証言がある噂の根源と思われる地点はさらに先だ。そのくらいの話を語り切る時間は二人にはあった。
「仕方ないですね。私も言いますから総領娘様も教えてくださいよ?」
「教えるわよー。なんなら私から先に言うわ!」
「じゃあどうぞ」
「ふふん。そうねーやっぱり私に釣り合うような高貴な男じゃないと。ただの人間や妖怪じゃダメね。人間だったら王族とか。まあ普通に天人か、せめて仙人とか小人でも一芸があるやつじゃないと! 私が必要な物は基本全部持ってるからそれ以外で強いて言えば顔が良ければ言うことないわ!」
彼女は自信満々、胸を張ってそう言った。
「へえ、総領娘様にしては要求が少ないですね……正直もっと男の人に求めるモノは多いと思っていました。男の天人や仙人や小人がそもそも全くいないってことは置いておきますけど」
「さあ! 私は言ったから次はあんたよ衣玖!」
天子に促されて衣玖は指を折りながら欲望をひけらかしていく。
「私ですか。私としてはそうですね……まず性格ですね。優しくて良い人がいいです。それに向上心があって、活力に満ちていて覇気がある人。それで普段は私が甘やかしてあげるんですけどいざ私が困っていたら颯爽と助けてくれる人がいいです。それと私を蔑ろにしないことも外せませんね。仕方ないことですけど他の女性とも関係を持ってもちゃんと大切にしてほしいですもんね! 体はこう抱きしめられた時に私の全身が包み込まれるくらい体格が良いと嬉しいですね。筋肉もしっかりあってちょっとやそっとじゃ抜け出せないくらいがベストです。夜の方もこっちが満足できるくらいがいいですね。あ、当然イケメンですよ? ああ、社会的には地位が高いのもいいですけど忙しいと二人の時間が取れないかもしれないのでそこそこでも。でも高収入であることは望ましいです。今の仕事やめたいので。家族構成は母親や姉妹がいないと最高ですね。私は面倒みたくもないし親戚付き合いもしたくありませんので。そう考えると友達付き合いもあんまり盛んじゃない方がいいですね。家事とかはできれば手伝ってもらえると。料理の腕なんかはできるけど私よりも少し下くらいがプライドが守れて良い感じです。えーと、あとは……」
敢えて再び述べておくがここは男性自体が少ない世界だ。
その為男は幻想郷、外界問わずに男性としての役割を果たすのならそれだけで優遇されて生きていける環境、慣習ができている。外見を整える努力や性格の矯正などはともかくとして収入を得たり、料理などの練習などしないし、できる者は基本皆無だ。
確かに一部は暇を嫌ってそういう趣味に走る者もいるが、そもそも一夫多妻が基本なので複数いるであろう妻が家事や仕事などの役割をして男は子守りでもしつつ家にいるならば極論死ななければ何していてもいいとはいえ、そんなやはりスキルは無駄である。
つまるところ衣玖の言っていることは「何言ってるんだこいつ」というべき内容でしかない。某神社の風祝より酷い。あれは普段の言動や内心の下ネタはともかく一般的な常識は確かに弁えていた。ちょっと性に関して旺盛なのも人間の思春期であることを加味すればセーフラインの内側にいる。やはりアトラクさんはわた早苗と結婚すべきでは?
……変な電波が混じったが、あんまりにも長くメルヘンな事をのたまう衣玖の言葉を天子は遮った。
「あー、うん。そうね! もういいわ。とりあえず貴女には結婚は無理そうだとわかったわ! 貴女は一生一人でいなさい。それが世の為人の為よ」
「総領娘様ひどい!」
「いやいや! あんた重いのよ! 要求も多い!」
「これでもまだ全然ですよ!?」
「これで全然!? 馬鹿言ってんじゃないわよ! 頭おかしいんじゃないの!? 異性の好み聞いたらがっつり家族構成の事までペラペラ喋りまくるなんて誰が思うか!」
「? 結婚を視野に入れれば普通では?」
「視野に入れればね! 好みの話してるのにそんな現実感ある話普通の神経じゃ出ないわよ! あんた今まで異性と付き合ったこともないでしょ! 前から思ってて言わなかったけどはっきり言ってやるわ! あんた処女臭いのよ!」
「はぁー!? べ、べべべべ別にそんなの関係ないでしょ! だいたい総領娘様こそないでしょ! 知ってるんですからね! というかご両親から年頃の良い男知らないか聞かれるんですよ?! こっちが知りたいわ!!!」
「あの二人ぃ~! ふんだ! 私はあんたと違って現実見てるもん! 大丈夫だもん!」
二人が罵り合いを続けている間に彼女らは退屈せずに目的地に着いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……とりあえずさっきの話は今は聞かなかったことにしてあげるわ。感謝しなさい」
「……ええ。ええ。それがよろしいかと。現実の見えていないお子様な総領娘様にはね」
「こいつ……! まあいいわ。警戒しなさい。ここには絶対何かがいるはずよ!」
天界。その辺境に二人の来訪者が到達した。ここは中でも特に辺境に当たる場所。ここには誰の物でもない自生した桃の木くらいしか存在しない場所だった。そう。俺が来るまでは。
この近辺は有頂天あるいは非想非非想天と呼ばれる場所となっている。この先の異変の舞台の一つだ。そこにいる者は
「少し待ったがやはり早かったな。退屈していたと言うのは本当らしい。まあそうでもなければ思い上がった天人が下界まで降りることも無いだろうからなぁ」
「出たわね! さあ姿を現しなさい! この天人比那名居天子が成敗してあげるわ!」
俺は潜んでいた木々の中から一瞬で彼女らの前に姿を現す。既に天界でのんびりと静養したことで100%の力を取り戻しているこちらは最初から道士服を纏いやる気満々仙人モードだ。相手もそれを一目で看破したようで身構えた。
「えっ!? まさか!」
「!? その恰好と感じは仙人!? それも男ですって!?」
が、それでも比那名居天子と永江衣玖はやはりと言うべきか、驚きのリアクションをとった。
「ほう。やはり天界でも男は珍しいのかな? 実際ここ何年も道士すら全く見ないけど」
「そりゃあね。それで。一体何の用があって仙人風情が
比那名居天子はどこまでも上から目線でにこやかに笑う。確かに彼女は並の仙道なら余裕でボコれるだろう。ただ相手が悪かった。
「精進などとうに終わっている。そも高いところで桃食ってクソしているだけの連中がどうしてそこまで驕り高ぶれるのかが理解できないんだが?」
「な!? て、天人は厠には行かないからね!?」
比那名居天子は俺の言葉に衝撃を受ける。どうにも幻想郷では天人は仙人の格上らしいが俺から言わせてもらえばありえない。精進もせずにだらけているような奴らだ。かつてがどれほど上等な存在だったとしてもこうなってはおしまいだと思う。
「むしろ俺がお前に稽古を付けてやろう。掛かってこい不良天人。お前を退屈から救いに来てやったぞ?」
「天人を侮辱した上で私に向かってその態度! 男だから少し可愛がったらお家に帰してあげようと思ったけどもう許さないよ! 打ちのめしてから連れ帰ってペットにしてやる! 衣玖!」
「は、はい! なんですか総領娘様!? 縄は流石に持っていませんよ!?」
比那名居天子はこちらを呆けたようにずっと眺めていた従者の女性に声を掛けた。従者はハッとしてからすぐに返事をするが、見当違いの発言をしたらしく主の少女に叱責を受けた。
「違うわよ! 緋想の剣を使うわ! さっさと離れてなさい!」
「なんで貴女はそんな物持って来てるんですか!? 許可は!?」
「そんな物ないわ! 誰も使ってないなら私が使ってあげようって思っただけよ!」
「ああ! また名居様に怒られますよ……?」
「やかましい! あんたはとにかく離れてなさい! 緋想の剣よ! 気質を……」
「俺の気質は見せん。よからぬ宇宙の深淵の一端が漏れかねんからな。ぼうっとしている様ならこちらからだ」
緋想の剣の刀身が揺れ、その力を発揮しようとした刹那に俺は仕掛けた。
相手はかなり堅い女だ。適当な武器では到底通用しないのでこの体を使って気を通すように闘っていく。相手はまだまだ未熟。しかも慢心までしている。こちらの方が格上であるにも関わらずだ。勝負は貰った。
「ぐっ……こいつ! 強いっ!」
「総領娘様!!」
俺は気質が漏れ出ない様に気を引き締めながらひたすらに打撃を叩き込んでいく。天子も剣を振るったり、光弾を飛ばしたり、要石をぶつけようとしてくるも全て防ぎその悉くを躱す。
普通の妖怪なら既に気絶して倒れているはずのダメージなのだが流石に良い物を食っているだけありしぶとい。天人と言えどそろそろ倒れてくれてもいいのだが、どうもかなりの根性があるようだ。
「なによこの男! 仙人とか言っておきながら噂で言われてた魔王の方がよっぽど近いんじゃないの! 緋想の剣を持ってるこの私が素手の男に負けるなんてありえないんだからー!」
どうやらあの剣が心の拠り所らしい。なら奪ってしまおう。剣を握っている手を狙い、はたき落す。
「ああっ!?」
「これが緋想の剣か……どれどれ」
「ふっ! それは貴き天人だけが使える物よ! あんたには使えないわ! わかったらさっさと返しなさい!」
そんなことを言われるが持った感じだとそうでもなさそうだ。宝貝に近いものを感じる。これならば普通に武器としてなら使えるだろう。気質を集めることは無理そうだが今はそれで十分。
俺は緋想の剣をしっかりと握り、力を込める。剣はそれに応えた。
「これで負けるなら言い訳も出来るだろ?」
「嘘……」
「天人と仙人にそこまで違いはない以上両者には互換性がある。そしてその違いが強いか弱いの差であるというなら……俺は天人よりも上だ!」
緋想の剣はその不定形の刃を巨大な光の柱の如き巨大さに伸びて、俺は彼女に向かって振り下ろした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
体が痛む。全身くまなく隙間なく念入りに殴られたような痛みだった。そしてその痛みで私は目を覚ます。
「やあ。おはよう天子」
「!?」
目を開けるとそこには先程私を掌底でボコボコに殴ってくれた憎き仙人がいた。ムカつくことにほれぼれするくらいの笑顔だ。そしてやけに顔が近い。私に気があるなら最初から言えば良いのに…………いやそれは無いか。
そうだ。衣玖はどうしたのだろう。見当たらない。無事に逃げ切ったのならいいけれど……いや、主を置いて逃げるのはどうかと思うが今回は仕方ない。いやいや。そんなことより私も一度こいつから離れなければ。
「まあまあ落ち着け。そう急ぐなよ」
起き上がろうとしたが動いた瞬間、即座に額を抑えられたせいで私は起き上がり損ねた。再びこの男の膝の上に逆戻りする。
(ん? 膝の上?)
何という事だ。よもや私はこの男に膝枕されているらしい。やっぱり私に気があるのだと今確信した。はぁ全く、この私の貴重なファースト膝枕を奪ったのが不遜な仙人風情なんて。外見は文句ないのでせめてもう少し従順であるなら私も心安らかでいられたのに。いや、あれは不器用なコイツの必死のアプローチなのだろう。そう考えると好意ゆえの事、この澄み渡る天のような広く寛大な精神で私は許してあげましょう。
本当は今すぐにでも女のプライドの為にリベンジを仕掛けたいところだけどおそらくこのままではさっき二の舞だ。体も痛いし。だから聡明で賢い天子ちゃんはこいつから話を聞き出すことにした。
なあに心配はいらない。男の人なんてお父様と近所の桃好きの爺様以外まともに話したことも無いが私に気があるコイツならその辺の男に生まれただけの運の良いことしか取り柄のない凡愚と違い無下にはされないはずだ。
「……ねえ」
「ん? なんだ? お腹空いたか?」
「違う。あんたなんなの? 勝手に天界まで入ってきて仙人を名乗った挙句この天人である私を倒すなんて。何が目的? まあ目的はわかってるんだけど……」
「あー。さっき衣玖には説明したんだが……こんなことならお前が起きるまで待つべきだったか。俺はな……」
かくかくしかじか
私は事情を把握した。なるほどなるほど――
「はぁ!? あんた頭おかしいんじゃないのぉ!?」
「と思うだろう? でもお前が緋想の剣を持ち出したのは退屈しのぎの為に幻想郷で地震を起こしてそれを異変と感じた者たちがお前を倒しに来るように誘導するためってこともまるっとわかってるんだ。それで気質を集めてな。どうだ? 信じるか?」
「…………ふんっ」
図星だった。なるほどこれは認めざるを得ないかもしれない。いや、でもここまで私の事に詳しいということはやはり素知らぬ顔をしているものの私に興味津々なのかもしれない。もう少し様子を伺ってみよう。
私はそっぽを向けてるため背けていた顔を再び正面にあわせた。
「じゃあなによ。あんたは地震を起こさせない為にわざわざ下から来たって訳? ご苦労なことね」
しかし話が本当なら最悪だ。こいつに睨まれていたら何もできない。また退屈な日々を過ごすことになってしまう。私の派手に地震を起こしてその後なんやかんやする計画がご破算だ。
しかしコイツはそれをはっきりと否定した。
「いいや。お前の望み通り計画通りに幻想郷で遊んでくるがいい。ただし……その前にちょっと稽古を付けてやろう。下の奴らもかなり強くなっているから今のお前だと何人かには本当に負けかねんからな」
「はぁ? 地上の人間や妖怪ごときに? 流石に舐め過ぎよ。仙人や神というなら謙虚に百万歩譲ってもいいけどね」
「そういうのすら倒すのが下にはいるってことだ。どうせ暇なんだろう? 少し体験していっても良いんじゃないか? 何よりも俺はお前に勝った実績があるだろう?」
「ぐぬぬ……」
反論できない。どれだけ私の方が凄かろうとあいつの方が強いのはもうわかっている。緋想の剣が使えれば勝てるかもしれないけど私は多分あそこまで力を引き出せない気もする。なのでここでこいつの修行を受けて強くなった後で叩きのめしてやると私は決意する。別にコイツとしばらく一緒にいられるからではない。
「いいじゃない! やってやるわよ!」
「ふふふ。じゃあ決まりだな! 短い間だがたっぷりと鍛えてやろう」
私の長い人生で初めてとなる男との……もとい修行の時間が始まった。