天界 有頂天にて
「うりゃー! 中々楽しかったけどお前もこれで終わりよっ!」
相手の得物を下段からの逆風で小気味いい音を鳴らして弾き飛ばし、相手の態勢を崩したところに緋想の剣を突き付けて勝負は決した。
「くっ! 降参です……まさかこの世に白楼剣と楼観剣よりも優れた剣があるなんて……!」
「この結果を武器の差のせいにするつもり? その考えは甘いよ! 武器を使わずに素手でどうにかする奴だっているんだからね! お前が今這いつくばっているのはそれだけ私とお前の間に差があったってことだ!」
比那名居天子は終始緋想の剣を思うままに振るい、二刀を操る魂魄妖夢を危なげなく下した。
これで比那名居天子が初戦で敢えて負けてやったリベンジがまたも果たされた。
それは魂魄妖夢だけでなく。西行寺幽々子、伊吹萃香、パチュリー・ノーレッジ、アリス・マーガトロイド、霧雨魔理沙、十六夜咲夜に対しても天子は短時間の内に連戦してなお見事打倒せしめたこととなる。
そしてその上でまだ彼女は活力に溢れていた。実際、天子はこの結果を天人の自分ならば当然と感じていた。
「見事だ天子。ほれ、次の相手を連れて来てやったぞ」
「はい師匠! さあ誰でも掛かってきなさい!」
闘いを終えた天子の元に師であるアトラク=ナクァが地上から次の対戦相手を率いてやってくる。次の相手は博麗霊夢であった。彼は新築の神社でいつもと変わらずごろごろしている霊夢を引っ張ってきたのだった。
「私は一回あいつ倒したんだけどなぁー」
なお、やる気はなかった。彼女の怒りは天子を一度叩きのめしたことで霧散している。そして今は広く、新しく、快適になった博麗神社で怠惰の限りを尽くしていたところを連行された。
「神社の建て替え費用を二回も出してやったろ? 頼むよ霊夢」
「うーん。それを言われると弱い……仕方ないわね。めんどくさいけど男に手を上げるよりはいいか。言っておくけどアトラクさんの相手はしないわよ」
「………………まあそこは譲ろう。今後の楽しみに取っておくさ」
「できれば未来永劫やめて欲しいんだけど。あーもう! さっさと掛かってきなさいよ。来た以上はぱぱっと終わらせて私も宴会参加したいから! 前みたいに軽く倒してやるわよ!」
彼が全く諦めていないことに勘弁してくれと思いながら、半ばやけくそで霊夢は天子へと啖呵を切った。
「黙って聞いてれば好き勝手言ってくれるじゃない! どっちが格上かわからせてやる!」
そう言って二人は戦闘に入る。
アトラクも嬉しそうに二人の闘いの観戦に入った。今回の異変は派手でよろしいと大変ご満悦である。
すると、魔理沙が近づいてきて先程の天子の言葉を問う。
「なあ、お前やっぱりあいつの師匠なのかよ? その割には技とかはあんまり似てないけど」
「あー、あの子からはそう呼ばれているな。確かにお前と最後に会った日から天界に上がってざっと三か月くらいみっちりシゴキをつけたから間違っちゃいないけど。まあ仙人を自称する以上は弟子の面倒も見るさ」
「それなんか関係あるのか?」
「一応、俺たちの慣習では仙人を名乗ることができるのは弟子となる道士を取った者だけだったからな。どんだけ偉かろうが強かろうが弟子を面倒だからと取らない奴は一生世間では道士のままだ。今は知らんけど」
「師匠、か……お前に師事したんだよな。だからあいつあんなに強いのか?」
(ん?)
魔理沙のその言葉にアトラクは何か別の思いを感じた。しかしそれが何かわからなかった。
「そうだな。元から天人だけあってかなり強かったけど……まあ数値で言うと倍くらいは強くなったかな? きちんと導かれれば人は伸びるもんだ。天子なんか元が良いからにょきにょき伸びたぞ。満足満足」
「そうか……私もまだ強くなれるかな? お前は未来の私を知ってるんだろ? 教えてくれ。お前から見て私はどうだったか」
(なるほど)
ここでアトラクは魔理沙の心情を把握した。なんてことない。彼女は強くなりたいのだと。彼にとってそれは良い流れだ。
たとえ彼女が自分という生餌に食いつかないにしても。
「ああ。俺の知っているお前は強かったぞ。あちらでも一度だけ挑んできたことがあったがそちらのお前は星と光だけでなく様々な属性の魔法を使ってきた。幻想郷でも特に優秀な、実に魔法使いらしい魔法使いだったと思う」
「そうか……私はまだ強くなれるんだな」
「俺の目が節穴じゃないならな。でもお前が強くなる必要はあるのか? 俺の争奪戦は不参加だろ?」
そう。魔理沙はアトラク=ナクァとはあくまで友達。ゆえに他の少女たちとは違い力を求める理由はやはり薄いと彼は考える。なにより妖怪退治には弾幕勝負。それなら彼女は今の力でも十分にこなせている。
「実はな。今回の異変で私もいろんな奴と闘ったんだ。だけど中々勝てなかった。霊夢は前から強かったけど、アリスもパチュリーも咲夜も妖夢も鈴仙もみんな強くなってたのが実際に闘ってみるとよくわかったんだ。レミリアや射命丸、紫や幽々子に萃香ですら前にやった時よりもずっと強かったんだ。前から馬鹿みたいに強かったあいつらがだぜ。あの天子に至っては露骨に手加減してきたよ。あいつ。さっきアトラクがいない時なんて『お前に負けるのは難しかったよ』なんて言うんだぜ? だから思ったんだ。私だけのんきにしてていいのかって」
魔理沙は心底悔しそうな表情を浮かべて、そう述懐した。そこには彼女の生の感情がありありと存在した。
「そうか。ならば感情に従うべきだろう。やってやれ。侮る奴はぶん殴ってやる方がきっとお前らしい」
「そうだよな! やってやる! 天子の奴を育てたアトラクに言われるとあれだけど!」
「馬鹿め。マッチポンプ上等だ。全員闘争の渦中に混ざることこそ我が望みよ」
「お前ってやつは……欲望に忠実な奴だな。マジで黒幕じゃないか……でもありがとな! よっしゃあ! そうと決まればなんか元気出て来たぜ」
魔理沙は晴れやかな顔で自分に気合を入れる。それを見て彼は満足気に頷いた。
(善きかな善きかな)
「じゃあどうするんだ? 俺も少しは魔法もわかるが師事してみるか? それともアリスとかパチュリーの魔法を真似るか?」
そして彼は早速具体的な内容を尋ねる。彼は強くなるためには妥協を許さない。
「いいや。私にも魔法を教えてくれた師匠がいる。最初はその人を探すつもりだぜ。どこにいるかわかんないけど」
「……ほう。それはそれは」
(俺の知らない人物まで出てくるか。本当にお前はいつだって最高の友達だよ魔理沙)
彼がかつての幻想郷に行って金庫に封じられてから、よく彼の居る銀行まで訪ねてきたのが彼女だった。
最初は色々な人物からあいつは金庫の金を狙っていると思われ特に警戒されていた彼女。
しかし、実態はただおしゃべりに来ていただけであったことを男は知っている。
彼女は彼の望む闘いのお話をしてくれた。彼はそれをとても楽しみにしていた。彼が世界を渡る決心ができたのは彼女の話が終わってしまったのも一因かもしれない。
「そういえばお前の他の弟子ってどんな奴なんだ? 前の世界での事ならもしかして男なのか? それとも普通に女? いややっぱ虫か?」
「お前たちにとって残念ながら女だよ。虫でもない。それこそかつてはお前も知ってるような種族の妖怪だった。というかそこに一匹いるだろ。あれと同族だ。あいつは最初はどうにも情けない奴だった。でも思えば初弟子ながら再会したら立派に育っていてくれたな。そう考えると自慢の弟子だとも言える。懐かしいな。あいつ、初めて会った時は人間に腕を取られて一人でめそめそ泣いていたんだぞ? 本当に懐かしいな。こっちでも幻想郷にはいるのだろうから今度様子を見に――」
アトラクが気持ちよくにこやかに思い出語りをしていると魔理沙がおずおずと若干の申し訳なさを浮かべ、話を遮って切り出した。
「あー。お前さ。話が長いんだよ。前に妹紅と慧音が屋台で愚痴ってたぜ? 見た目じゃわかんないけどお前もそれなりに年寄りなんだろ? 長話は気を付けろよー」
「…………マジで?」
完全な不意打ちで背後から刺されたような顔で彼は魔理沙に確認した。
「まじ。なんなら聞いてみろよ。多分慧音に説教されるから私はお勧めしないけどな」
その返答は無情なものであった。
かつては社会において人の上に立ち理想的なトップたるべく心がけていた彼にとって、その事実はショックな物だった。
彼は今度は苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱えて元気なく呟いた。
「……今度から気を付けよ」
「そうしろそうしろ。あ、おい見ろよ! 霊夢やられてるぜ! いやーあいつまじかよ!? 霊夢が勝てないなら諦めも……いいや! こういう考えがダメなんだよな!」
魔理沙が気を使って話題を転換するとそれを察したのか彼も元気を取り戻す。
「ふはは! まあ俺の弟子だからな! 魔理沙もあれくらいを目指してくれ。次の異変まででいいぞ?」
「おいおい無茶言うなよー!」
二人の友はこの世界でならばきっと幸せに楽しめるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私と巫女のバトルもまた私の勝利で終わり、その後も衣玖が地上から次々と案内してきた挑戦者と私は闘いそして当然のように勝った。
そうして、やはり最後にあの人が立ち上がった。
「うん。では最後の相手は俺がやろう。これでこの異変は決着だ。まだできるな天子?」
「はぁ!? お兄さんが最後っていくら天人でも厳しいでしょ? なぁ、あんたやめときなって。あたいもせっかくの宴会なのに仕事なんかしたくはないんだよ」
「死神は黙ってなさい! というか私が死ぬわけないでしょ!? 大丈夫です師匠! やれます!」
「というわけだ悪いな小町。お前のお世話にはならないよう加減するから飲みながら休んどいてくれ」
先程の対戦相手だった死神が私を止めようとしてくるがそんなことは知っている。
そもそも最高のコンディションで挑んでも勝ちが遠いのだからそれならいつやっても同じだ。むしろ限界に近い方が何かを見いだせるかもしれないだろう。
私は今日何度目かの開始位置に立った。
「……よろしい。では構えろ」
そう言うと師匠はいつのまにか自然と戦舞台に使われだした場所へと立ち、私に相対する。
こうして多くの奴らと闘った今ならわかる。やはり師匠が誰よりも強いと。それでも私は力を見せるのだ。それが師匠に対する弟子の務めだと思う。
「お願いします!」
「ああ。お前が勝てば約束通りだ。まあそっちも死なない程度に頑張れよ」
一礼をした私に向かって、師匠は穏やかにそう言う。でも約束なんかしただろうか。聞いてみよう。
「師匠。約束ってなんですか? 何かしましたっけ?」
「あれ? 言ってなかったっけか? 俺に勝ったら結婚してあげるよって感じの話を最初にしなかったか? 一応みんなにしてるんだけど」
「…………あ!」
そういえば。なんかかくかくしかじかで済まされた中にそういう文言があった気がするような。いやあった。あったことにしよう。この提案は素晴らしいので。なかったとしてもあった。もう決めた。
「え…………師匠と結婚なんて~。そんな~。いいけど~」
私は実際にその言葉を認識してしまって、身悶えしながらそういう未来を想像する。
良い。実に良い。寝る前にたまに妄想していたけどそれが現実になるとは。
最強の私に最高の夫。天界の一等地で庭に桃の木がある家を建てて毎日桃を食べたり踊ったり歌ったり桃を食べたりして夜は毎日一緒に寝て過ごすのだ。まさにこれぞこの世の全てを掴んだ天人に相応しい生き様だろう。
それが勝てば全て手に入る。手が届くほどに近くにある。まるで夢のようだ。
「あー。天子。戻ってこーい」
師匠が夢中になっている私を呼び戻す。いけないいけない。
目の前にあるのに遠くて高い壁を見据える。勝てるかはわからない。それでも私はやろう。そう決めた。
「はっ! 師匠! 結婚を前提に闘ってください!」
「帰ってきたな? ちょっとまだ怪しい気もするが、よしやるぞ! いざ勝負!」
驕りを捨てた、本気の私の長きに渡る最初の闘いが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今度は俺も剣を使ってやる! 見るがいい! 宝貝
アトラクは柄の両端から黄色の光の刃が伸びる剣をその手に握った。
その言の通りにどこぞの暗黒卿の使ったライトセイバーのような剣型の宝貝だった。
何故、彼がこのような宝貝を持っているかというと。
それは彼が名も無い一妖怪仙人だった頃、仙界を出る時に割とまじめだった彼は知り合いに頼んで当時の仙界の
この莫邪の宝剣Ⅱもその一つ。仙界大戦で散った仙人の得物の残骸から修復した物だ。できることは見たままで純粋にビーム刃で焼き斬ることのみ。本当に余所のビームサーベルとかと変わらない。
二人は天子の極光の気質が強く出た眩いばかりの空の下、お互いの剣で撃ち合う。ほんの数合競っただけだが天子は余裕をもって口を開く。
「師匠! もしかして素手の方が強いんじゃないですか!? 私に負けたいなら素直に降参してくれてもいいんですよ!?」
「あ、お前気にしてることを!」
一方でそれを各々が酒を片手に見守っている場外では……
「やっぱりそうなの、剣の師匠の妖夢?」
「あー……はい。幽々子さま。多分あの人は武器を使って闘うのはあまり向いてないのかもしれないです。振るう速さと力はあるのですが、それをどうにか対応できれば大した使い手ではないでしょう。太刀筋とかそもそも剣の扱いとか色々と並なんですよね。あれなら鉄の棒……せめて槍の方が百倍は良いでしょう。それなのにあんな扱いにくい形状の剣を使うなんて」
幽々子に聞かれてそう答えた妖夢。彼女は確かに彼に剣技を授けたし、彼も熱心に学んだ。それでもやはり才能はなかったらしい。そもそも必要なかったと言える。虎は剣なぞ持たなくても強い。彼も糸と肉体があるだけで強いのだから。
「ああっ! また自分を斬りそうになってる! もう怖くて見てられませんよ! アトラクさん! それ使うのやめてください!」
剣での立会いならばこの場の誰よりも見識深いので悲鳴混じりのアドバイスを飛ばす。
「うるさいぞ外野! 競技中は静かにご観覧ください!」
「! よそ見してていいんです――か!」
「おっと! それくらい余裕だ! 甘く見るな!」
注意を逸らしてもすぐに対応するアトラクだが、剣技ではもう完全に劣っているのがほとんどの者が見て取れた。
それくらいで負けるとは毛ほども思わないものの、やはり自分が最初に勝ちたいと思っているのが大半で彼の劣勢は見ていて少女たちには面白いものではなかった。
特にその姿を見て、いても立ってもいられない人物が一人いた。
「ちょっと!? 最初に勝つのがそいつなのは私は絶対許さないわよ!! アトラクさっさとそんなものポイしちゃいなさい! ポイ!!」
それは幻想郷の賢者だった。普段は淑女然とした紫も堪らず声を荒げる。というか既に半分キレていた。
「黙ってろ紫! これはかっこいいんだぞ! なによりあの高名な崑崙十二仙の……!」
「知らないわよそんなことぉ!! 早くやりなさい!!」
それを見た射命丸文は呆れつつも闘う二人にカメラを向ける。
「もう滅茶苦茶ですね。幻想郷の賢者ともあろうものがまるで子供の喧嘩のようです。……でも確かに糸よりは見映えが良いですね。今の内に適当に何枚か写真を撮っておきましょう。どこかで売れるかもしれませんし、アトラクさん写真集なんか売り出せばそれなりに売れるでしょう。どれだけマージンで持っていかれるかが怖いですが」
紫が天子への私怨からヤジを飛ばし、射命丸がなんとなく写真を撮る。観客も酔いが回ったのか徐々に混沌としてきた。
「うふふ。もしかしたらこのまま師匠に勝っちゃうかも?」
「ちっ。ちょっと有頂天だな天子ちゃん。仕方ない。わからせてやる。お前はここで俺に負けてもっと強くなるんだよ!!」
紫の言を受けてか剣を投げ捨てたかと思ったら、アトラクは速攻で天子へと殴りかかる。
やはりこちらの方が早く、鋭い攻撃だった。
「ふふん! しっかりガードすれば鉄の塊の如き天人の身に拳など効かな――」
「ふんっ!」
迫る拳に対して天子が前方に向けて両腕でガードの姿勢をしたが、アトラクは容赦なくノーガードの彼女の頭に拳骨を落とす。ゴチンと本当に鉄塊を殴ったような重い音が鳴るが残念ながらあの拳は鉄を砕くだろう。
当然それを受けた側は悶絶ものだ。
「いぃ?! ちょっと! 防御したんだからそっちを! 「ウラァッ!」 うひぃ!? 一回逃げ――ああぁぁぁくっついてるぅ!!」
かなりの痛みがあったのか天子は目尻に涙を浮かべて文句を言う。
だが、それは聞き入れられずにそのまま師は掌底での鳩尾狙いで応える。天子はすんでのところで躱し、そのまま一度離れようとしたところに糸を付けられていた。天子は逃げられない!
「行けー! ぎったんぎたんにしてやりなさーい!」
それを見た紫もヒートアップ。大変嬉しそうに師による蹂躙を拝んでいる。
「うわぁー、紫も恨み籠ってんなぁ。でもなんでだ? あいつなんかされたか?」
「私が知るわけないでしょ。きっと神社壊されたの根に持ってるんでしょ? 私としては紫には念願の新築をぶち壊された形になるからかなり複雑だけど。まったく、いくら要石が埋まってるからって紫に私の考えた最高の神社をぶち壊された時はあいつこそ退治してやろうと思ったわよ。アトラクさんがもう一度お金出してくれなかったら確実にぶちのめしてたわね」
かつての怒りを滲ませながらも霊夢は酒がなみなみと注がれた杯を呷る。
幻想郷で起きた異変にしては珍しく、派手な闘いを伴った宴会とともに今回の異変は終結した。彼女らはそれを楽しみながらいつもと変わらね調子で雲の上にて酒を飲んだ。
こうして緋色の天気を生んだはた迷惑な天人による
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天界での宴会が終わり。天には最初の三人だけが残った。
辺りはすっかり静まりかえり、時間にして三か月という彼ら彼女らの命と比べたらごく短いが充実した時間を過ごした生活拠点も何もなかったように片付いていることに少しの寂しさを感じる。
「師匠……帰っちゃうんですね」
天子は力なく問う。
矛盾するようだがこの子は修行後の疲れている時でも結構元気だったのでここまでなっているのは初めてだ。
「ああ。いつまでもこっちにいて野宿する訳には行かんしな。それにやっぱり天界は退屈だ。天狗の新聞すら読めないのは辛い。ご飯になるような獣もいないから狩りもできないし」
俺はいつも通りに答える。
「……私も一緒にそっちに行ったらダメですか?」
「総領娘様……お気持ちはわかりますが流石にそれは……」
天界の異変が終わるのだ。当然ここに俺がいる意味も無くなる。
それに次の異変はこんな空の上じゃなくて地の底なのだから。ゆえに俺は彼女らと別れて地上に帰る。
今はこうして天子と衣玖にお別れをしようとしていた。
「でも! こんな退屈なところにもう来てくれないかもしれないのよ!? 地上には楽しい事もいっぱいだし、桃以外の美味しい物もいっぱいある! 愚かで見た目も悪いけどおもしろい奴だっていっぱいいるのよ! いくら私がすごくたってこんなんじゃ分が悪いじゃない! 衣玖は仕事で師匠の所に行けるかもしれないけどさ!」
「むう……アトラク様。お願いします」
衣玖がへそを曲げた天子の説得を断念してパスしてきた。
普通に天子は好き勝手地上に来れないこともないと思うが頭にないらしい。まあそれに関してはどこかで気づくだろうから置いておいて、ここは師匠らしく一つ用事を任せることにする。
「元から渡すつもりだったが。天子にこれを」
「これは……桃の種?」
俺は天子に
何だかんだ言ってもそれが好きな天子は一目で正体を看破する。
そうだ。これは仙桃の種が入っている。それも一つではなく、かつて人間界に落ちていた物も拾っていたのでわりと大量だ。どこぞの有名仙人が好き勝手に食べては種を適当に捨てていたので回収には中々苦労したものだ。
それを天子へと預ける。
「これは俺にとって非常に価値のある桃の種だ。調べた限りおそらく植生などはここの桃とそこまで変わりはないと思う。きっと植えれば育ってくれるだろう。お前にこれを任せたい」
「これを?」
天子は袋を胸元で握りしめる。
「そうだ。お前は天界でこれを育ててくれ。そうしたら俺はそれを見に来るし、実が成れば収穫にも来る。桃は好きだろ? だから桃の木を約束にしよう」
「うん……うん! 私育てる! きっと立派な木に育てて見せる! だから来て! 約束よ!」
「ああ。約束だ。この種に誓おう。お前こそ枯らすんじゃないぞ? しっかりと調べてから育て始めるんだ。いいな?」
涙ぐみながら何度も首を振る天子を見て、衣玖はそっと微笑む。
「良かったですね総領娘様」
「衣玖も手伝ってよね! 貴女も一緒に約束よ!」
三人はそう約束してから別れた。また会うことだけを約束して。
なお、それから一週間も経たずに。地上にて。
「ししょー! 桃の木の育て方わかりません!」
「すいません、私もちょっとそういうのは疎くて……」
「ええー……」
地上の俺の店の前にて、三人は再会した。想定外の早さだった。
結局、約束などはいらなかったらしい。幻想郷は自由なのだ。天界もまた自由だった。
ちょっと自由すぎる気もするのだが。
「ウチは放任主義なんですよ! 好きなだけ外で遊んできていいって言われました!」
「……まあ息子ならともかく娘なんか外で好き勝手させておいてもなんら問題ありませんからね。総領娘様は特に馬鹿みたいに強いですしそうそう野たれ死ぬこともなさそうなので放任の極みですよ? 天界きっての不良天人ですからね」
「そう……じゃあ仕方ないな。まずは桃の木の育て方を調べに紅魔館でも行くか? 確かレミリアとは会ったことないだろ? 愉快な吸血鬼だぞ」
「あ、私それよりも地上のご飯食べたいです! 桃はやっぱり飽きました!」
「はいはい。じゃあ咲夜にでもなんか作ってもらうかね……じゃあ行くか」
三人は飛び立った。
夏の終わり。幻想郷に新たな愉快な住人がまた増えたのだった。
緋想天 完
風神録儚月抄妖精大戦争緋想天が詰まった長きに渡る欲張り四章完結です
劇中では何気に丸々一年経ってますやはりヤバい(確信)
あとはおまけを一話投稿して四章おしまーい!
当作品は整数原作準拠で章編成していて地霊殿の次が星蓮船(時系列でそれぞれ年末~春先)なので五章はおそらく短いです
まあその分原作以外の話をする余裕あると思えばいいでしょう
地霊殿編はまだ二話の途中までしか書き溜めてないのでいつ投稿できるかちょっとわからないですが四月までには星蓮船に入れたらいいなぁと思います