『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
どうやら、今のお兄さんの言葉を冗談ということで受け取ったかのようで、方々から乾いた笑い声が漏れ出し始めていた。
でも、それが冗談でもなんでもないことを知っているあたしとしては、背中に嫌な汗が流れるだけだったのだけど。
「ぎ、儀二亜須……様。御戯れを……皆、不安になってしまっておりますぞ」
隣に居た
「誰も遊んでなどいないぞ、
「なっ……」
絶句して震えだしてしまった羽門さん。
無理もないよね。
羽門さんからしたら一世一代の大舞台と言ってもいいイベントだもの。お亡くなりになった愛菜さんたちのご両親に変わって彼らの面倒を見た上で、樺太家という名家を盛り立て続けてきていたのだもの。
それなのに、こんな大舞台で守ってあげていたはずの主の息子さんに裏切られて……
このままではこの場に招待したのであろう、各地の有力者から反感を買ってしまうことにもなるし、今後樺太家という家自体が落ちぶれてしまうことは目に見えてしまっているのだし。
彼はいったいどれだけ傷ついてしまっているのか……
そんな羽門さんを冷めた瞳で見下ろしているお兄さんに、今までずっと沈黙を守っていた大柄な白衣装の男性が口を開いた。
「おいおいギニアスよぉ。いくらなんでもこれはねえだろう。羽門の
「勇利……」
お兄さんに発言したのは、愛菜さんのフィアンセでもある勇利さんという人だった。
筋肉の盛り上がった腕を組んでお兄さんの前に立ったのだけど、背の高いお兄さんよりも更に大きくてその威圧感たるや、本当にすごかった。
そんな彼を見上げるようにして、お兄さんが言った。
「勇利、お前も今回の婚約は望んでいたことではなかったはずだ。それなのにお前は徳介の肩を持つのか。ここは破棄になって良かったと思って引き下がるところだろう」
「そういうわけにはいかねえんだよなぁ。なにしろ、今はお前が当主と言っても、この北海道で樺太家の威光は以前よりも増しちまってるからな。それもこれも全部羽門の小父貴のおかげなんだけどよ。そんな小父貴に請われて俺だってここに来ているんだ。ああ、これでもう終わりでいいや……なんてことにはできねえんだよ」
「そうか……ではあくまでお前は愛菜と結ばれたいと……そう受け取って良いということだな」
その瞬間、彼らの背後の愛菜さんがびくりとその身体を震わせた。
そして視線をそっと目の前のお兄さんへと向ける。
お兄さんはちらりと一度愛菜さんを見た後で、今度は壇上下にいるヒッキーと、その連れの女性へと向けた。
すると、それに頷いたヒッキーが、その金髪の女性の手を取ってゆっくりと壇上へと上って行った。
それを見て……
「あ、あー!! あれ先輩じゃないですか!! なんであんなところに……っていうか、あの金髪美人は誰なんですかっ!! どういう関係!? なんで先輩っていつも女の人が周りに……」
口をあわあわともたつかせているいろはちゃん。あたしはまあまあ落ち着いてと彼女の肩を叩いたわけだけど、なんであれを許すんですか! 浮気ですよ浮気!! と更に詰め寄ってくるいろはちゃんにどぎまぎしてしまった。
ひぇ。
そうこうしている内に、階段を上っているヒッキー達の元に黒服の男性たちが駆け寄ってきていた。
そして、ヒッキーの連れている女性に向かって声を掛けた。
「申し訳ございませんが、本日は招待状をお持ちの方のみの会となります。招待状のないお方はどうぞお引き取りを……」
「ほらよ、これが招待状だ」
黒服の一人が言い終わる前に、自分の胸ポケットからそれを取り出したのはヒッキーだった。
彼はそれを黒服の男性に見せてから再度言った。
「シンシア……様? ええと……そのようなお名前は窺っておりませんが……」
そう言う黒服の男性にヒッキーが。
「ああ、彼女は俺の連れだよ。きちんと了解ももらってるぞ、そこの羽門さんにな」
そう言ったあと、その男性は羽門さんを見た。
羽門さんはすっかり消沈してしまっていて、まるで幽鬼の様になってしまっている羽門さんが、顔をヒッキーの方へと向けてこくりとうなずいた。
「事実だ。そこの彼に、友人を連れてきても良いと申したのも、ここに通したもの、この私だ。まさか、シンシア嬢を連れてこられるとは夢にも思わなんだが」
「へえ、あんたはこの人のことを知っていたのかよ」
「無論。愛菜だけでなく勇利様のご交友関係もくまなく調べておりますれば。当然、シンシア嬢のこともですな」
そう断言する羽門さんに、その場の全員が息を呑んだことが分かった。
そして、ひそひそとうわさ話のようなものが漏れ始めていた。
あの女性は
あれはきっと深い関係だろうな。
どこの輩かしら。金目当てに近づいたのよ、きっと。
汚らわしい。
まったく酷い茶番だ。
酷い言葉が四方八方で飛び交っていて、次第と怒りが込み上がってきていることをビンビンと肌で感じた。
中には本当に怒って会場を後にする人も出てきていたし。
こ、これ、どうやって収集する気なの?
「シンシア……なんできちまったんだよ……」
「勇利様……申し訳ありませんでした。でも、私、どうしても耐えられなくて……」
ヒッキーの傍を離れたシンシアさんに、勇利さんが声を掛けていた。ふたりとも気まずそうにはしているのだけど、これはやっぱりあれだよね、二人はそういう関係だってことだよね、やっぱり。
後ろの愛菜さんはといえば、真っ青になってお兄さんを見つめるだけで、ことの成り行きをおそるおそる見守っている感じだった。当然だけど、時折材木座君の方を眺めては辛そうな顔になってしまっているし。
そんな混とんとしてきた状況にあって、儀二亜須さんが大声を張り上げた。
「さあ、お集りの皆さんにお話ししよう。今回の婚約はあくまで樺太家の力を固辞するためだけのセレモニー、当の主役たる妹の愛菜と、そこな私の友人でもあり、好敵手でもある勇利君もともにただ巻き込まれたにすぎないのですよ。それはこの状況を見れば一目瞭然でしょう。勇利君にはここにいる彼の秘書でもあるシンシア嬢という愛する女性がいて、愛菜もまた、他に愛する男性がいるのですから」
そう言った途端に会場がざわめくと同時に、愛菜さんが愕然となって兄を見た。だが、お兄さんは衣にも介さずに暴走し続けた。
「さあ、お判りでしょう。好き合っている者同士が結ばれるのはごく自然なことであるのですよ。それが例え家の方針に背くことになるとしてもね。さあ、これで勇利君も晴れて好きな女性と結ばれることとなったわけだ」
「ギニアス、てめえ……何をいけしゃあしゃあと……お前はうちの面子を潰しやがったんだぞ。何を偉そうにほざいていやがる」
「ほう……感謝されこそすれ、その様に小言を言われるとは心外だな。君がシンシア嬢とただならぬ仲であることを、私はすでに承知しているのだよ」
「そうだとしてもだ、家の体裁を潰すてめえのやり方は納得いかねえ」
「なら、どうするというのだ? 君は私に何かしらの制裁を課そうとでもいうのか? ふはは。お笑い種だな。樺太家の財力を当てにして、このような一旦消えてしまっていた婚約話を持ち出して乗ってきた浅ましい輩は何処の御方だったかな?」
「てめえ、マジで許せねえ」
勇利さんが眉間に青筋を立ててお兄さんに掴みかかろうとした時のことだった。
「やめて!! もうやめてください!!」
そう言って二人の間に割り込んだのは愛菜さんだ。彼女はその眼に涙を湛えて儀二亜須さんにむかって叫んだ。
「なぜこんなことをしたのですか!? 私達の為に、徳介おじ様や、会社の方々や、勇利様、多くの人が尽力してくれているのですよ! それに報いなければならぬとなぜ考えつけないのですか!! お兄様、今からでも皆様に謝罪いたしましょう。そして、もう一度仕切り直しを……」
「くだらぬ……、それこそくだらぬことだよ、愛菜。私は、お前の為にこんなことをしたわけではないのだ」
「え?」
お兄さんの発言に絶句する愛菜さん。
彼はその顔を愉悦に歪めて本当に嬉しそうに言った。
「私は私の理想を実現するためだけに日々邁進しているのだからな。だからお前が誰と結ばれようがどうでもよいことなのだ。だがな……」
お兄さんは一度言葉を区切ってから勇利さんを見た。
「この男はダメだ。こいつはただの獄つぶしだ。こんな奴に家に入られたら、それこそこの私の研究の全てが台無しになってしまう」
「てめえ、いわせておけば……俺との婚姻を羽門の小父貴たちが進めたのは、病弱なてめえのことを心配してのことだろうが、なんでそれがわからねえ」
「私が死んだあとの家督の維持の話か……ふふふ、それこそ無意味だ。私は樺太家を存続させようなどとは微塵も思っていないのだからな」
「な、なんだと!?」
これには、勇利さんだけでなく、羽門さんも愛菜さんも、その他大勢が一様に凍り付いてしまった。
もはやこの男性のことを理解できる人はこの場にはいなかったから。
彼は愛菜さんを見て優しく微笑んだ。
「さあ愛菜。お前が決めなさい。誰の元に嫁ぐのか、どう生きるのか、お前が勝手に決めればいい」
「お兄様……」
彼女は何も話すことができなくなって、そのまま固まってしまった。
彼女の決意は固い。
そのことを、あたし達は誰よりも知っていた。
彼女は人の為に生きようと決めたと言う事を、あたしたちは直接声を聞いたのだから。
愛菜さんはまたチラリと材木座君を見た。見てそしてすぐに自分の足元に視線を落とす。きっと様々な葛藤に苦しんているのだと思う。
でも、このままでは彼女は何も決めることもできないままに、全てを失ってしまう。
あたしにはそんな風に思えた。
材木座君を見た。
彼は、真剣な顔で愛菜さんを注視し続けた。
でも、何も話さず、ピクリとも動かずにただジッとしているだけ。
良くみれば、その手足は小刻みに震えていて、何かしらの恐怖を感じているのだろうことだけは察することが出来た。
それを見て、あたしは彼に声を掛けようとした。
今だよ……
今しかないよ……
愛菜さんを救い出せるのは今を置いて他にはないんだよ。
そんな言葉が脳裏をよぎって、あたしはそれを彼に伝えようとして……
「愛菜たんっ!! わ、我と……」
あたしが言う直前のことだった。
震えて動けなかった筈の材木座君が、その足を踏み出していた。踏み出して、そして歩みつつ彼女へ向けて言葉を発した。
「我と……」
「…………」
その言葉をきいて、彼女はがばりとその顔を上げた。
その瞳には彼女へ向かってまっすぐに歩いて来る一人の男性の姿が。
今まできっと一度だってこういうことは起きなかったのだと思う。
材木座君は愛菜さんのことをずっと男性だとおもっていたというし、愛菜さんも自分の恋心を隠し続けた。
ここ最近ようやく二人きりでいる時間も出来るようになっていたのだけど、それだって、お互い自分を偽って初対面のようなふりをしてのお付き合いだったんだもの。
それが、こんなふうに真剣な顔で見つめ合って歩み寄る関係になるなんて……
ひょっとしたら、彼女は奇跡を見ているとでも思ったのかもしれない……
そんなことを思ってしまっていた。
その時、唐突にその青い影が彼ら二人の間へと割り込んだ。
それは、今の今までずっと動けないでいた初老の男性の姿。
彼はそのうち沈んだ表情の奥に、何か強い意志を含んだ瞳で、まっすぐに材木座君を見据えていた。
そして言い放った。
「材木座義輝殿! ジャマをしないでいただこう」
「は、はぽんっ!!」
突然きょどった材木座君。
あ、あれ? さっきまでのカッコよさはどこに?