『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
目の前に立つ、陰険な瞳の男神は口許をにやけさせたまま、俺達の顔をのぞき込んできた。
この前と一緒だ。すべてを見通されているかのような身の毛のよだつ感覚に俺は後ずさった。
「わわわ……せ、せんぱい……こ、こわいです……」
そう言った一色も俺の腰に抱き着いて震えている。
そりゃ、怖いだろうさ。なにせ相手は神。それも精神支配の権能を持つ、悪夢の化身。
この漆黒の瞳を見るだけでも、アスフィさんが危惧した通り廃人にでもなっちまいそうな予感があった。
イケロスはそんな俺たちの様子にはお構いなしに視線を向けたまま話した。
「そんなに怯えるなよ、別にお前らに何もしやしないさ。それより、俺をここに呼んだのはお前の方だろう?なあ……デカルチャーズ?」
その言葉に俺は心臓を握り込まれたような圧迫感を覚える。
今の俺たちの格好は執事、メイド服ではあるが、素顔を晒している。
つまり、比企谷八幡と一色いろはで居るわけだが、この姿で神イケロスと相対したことは当然ないし、正体を明かしたこともない。俺が会ったことがあるのは、デカルチャーズの姿で居た時だけのはずだ。
ということは、この神には俺達がデカルチャーズであることはもちろん、【ルビス・ファミリア】の一員であることも全部筒抜けだということ。
これはまずい……
一色をはじめとした非戦闘員も抱える俺達にとって、自分たちの正体を隠すことはなによりも重要な点なのだが、よりによって、今もっとも警戒しなければならない敵対関係にある【ファミリア】の主神に正体を知られてしまっているということは、もはや致命的と言わざるをえない。
この世界では、この後にもすぐ発生するわけだが、【ファミリア】どうしの抗争は日常的なものだし、防備の薄いホームでは、あっという間に襲撃されてたちまちに壊滅の憂き目に遇う。
だからこその変装であり、だからこそ、目立たないように水面下で行動していたというのに……
そんな不安を抱きながら何もしゃべれないでいる俺を、イケロスは変わらずニヤケタまま見続けていた。そして……
「どうもお前らの正体を知っている俺を警戒してるようだが、その必要はねえよ。ヒヒっ、お前らの正体なんて誰にも話しちゃいねえからな」
「え?」
俺の思考を見透かしたように目の前の男神は、事も無げにそう言い放った。
俺たちの正体を話してない?
なぜ?
意外なその言葉に俺はさらに混乱した。
そもそも、この神はデカルチャーズの俺たちとアンが一緒にいるところも見ている。
アンはこの【イケロス・ファミリア】が捕獲した商品としての
で、あれば、【イケロス・ファミリア】の全力を持って叩きつぶしにくるのが当然のことだと思うのだが、なぜそうしない?
というか、せっかく知った俺たちの情報を、この神はなぜ使わない?
わからん……
まったく分からん……
何も話すことが出来ない俺達を見つつ、大きくため息を吐いたイケロスは、手でジェスチャーしながらやれやれと首を横に振った。
そして、話し始めた。
「まあ、お前らが警戒するのもしかたねえか……。なら、俺から話すわ。さっき言った通り、デカルチャーズの正体を知りたがってたうちのディックス達には、何も教えちゃいねえ。というよりも、お前らの正体は分からなかったと言ってある。だから何も心配はいらねえ」
ちょ、それって……
と、問いかけようとした俺に向かって、イケロスは人差し指を立てて言葉をつづけた。
「それと、もうひとつ。お前らのところにいるあのゼノスな……あれを逃がしたのは、この俺だ」
「な、なに!?」
驚く俺を見つつ、イケロスはクククとおかしそうに口角をあげる。
「まあ、聞けや。うちのディックスはな……あ、お前らは知らなかったか……まあいい。うちの団長はな、なかなか可哀そうなやつなんだ。自分の中の血の呪いに縛られて、狂気に自分を墜としちまった。まあ、それ自体は奴の問題だからな、奴が乗り越えるしかねえわけだが、ゼノスの存在を知ってからは、さらに狂いやがった。あの野郎は復讐でもするようにゼノスを狩り続けた……そりゃあもう何の良心の呵責もなしにな……狂ってんだよ、うちの連中はな…………」
そう言いながらも目の前の神イケロスは冷ややかな笑みをたたえ続ける。
その陰鬱な眼差しは常に俺の精神を浸食してくるようだが、話している内容は、まるで逆。
まさに子を心配する父のごとき思いやりを感じさせた。
「だから何の心配もいらねえからよ、話してみろや」
その言葉で、俺は口を開いた。
「ま、まあ、あんたがそこまで腹を割ってくれるってんなら、は、話が早え……俺たちの要望は一つだけだ。この前捕まえたアンの……さっきあんたが言った、この前逃がしたハーピィの仲間を開放してほしい。その代償として「いいぜ」たちは、あんたの探してるデックアールブ……え?今なんて言った?」
にやけた表情のまま、神イケロスは答える。
「だから、いいって言ったんだよ。解放させてやる。あのゼノスどもを……」
「ほ、本当か?」
「ああ……だが、俺にもちょっと事情があってな、俺がそれをすることは出来ねえから、お前にこれをやるよ……ほれ」
と言って、ポケットに入れていた手を引き抜いたかと思うと、おもむろに、俺に向かって丸いものを投げてよこした。俺はそれを慌てて取ろうとして……
「うわっ、とっ、ととと……」
「せ、先輩!?ちゃ、ちゃんと取ってくださ……!?」
取り損ねて、俺の手からこぼれたその丸いモノを、隣にいた一色が慌てて掴んだかと思ったら、その途端に絶句。顔面蒼白でわなわなと震えだした。
俺はその一色が掴んだそれを見て仰天した。一色は何も言えずに口をパクパクさせたままだ。
「め、め、め、目玉~!!」
そう、目玉。
まさに眼球そのものを一色が手で辛うじて持っていた。その目玉のようなものは黒い瞳の部分に『D』の記号が浮かびあがっている。
俺は急いで一色からそれを取り上げた。そのままにしてたら、一色が倒れちまいそうだったし。
そんな俺達を見ながら神イケロスが言った。
「おいおい、大事にしてくれよ。そいつは、迷宮……『ダイダロスの迷宮』へのカギなんだぜ。そいつがなければ扉は開かねえし、それにそいつは、模倣品なんかじゃなく、正真正銘の『ダイダロスの目玉』なんだかならな」
「な、なに?模倣品じゃないって、これ、本当にダイダロスってやつの目玉なのか?」
俺のその問いにイケロスは答える。
「ああ、そうだぜ。あいつが死ぬ前に俺が貰ったんだよ。ちゃんと処理してあるから、においもねえし、腐りもしてねえから安心しろって」
と言った瞬間に、一色がフッと意識を失って倒れそうになったところを、俺が捕まえて抱きかかえた。
「あ、あんたなあ……なんてモンをよこすんだよ」
「まあ、仕方ねえだろ。ディックスが作った模造品の『ダイダロス・オーブ』だとすぐ足がついちまうし、こっそり連れ出そうっていうんならこのオリジナルの方が安全だ。模造品だと開けられる扉とそうじゃないのとあるしな」
こともなげにそう言う神イケロスは相変わらずニヤニヤしたままだ。
俺にはこいつが何を考えてるのかさっぱり見当がつかなかった。そのディックスとかいう団長のためなのか?それともアン達ゼノスに思い入れがあるのか……
抱き上げた一色を落さないようにしつつ、もう何を言えばいいのか分からなくなった俺は、単純な疑問をぶつけた。
「なあ、なんでこんなに俺達に有利な話をするんだ?これじゃあ、罠でもはってあるようにしか見えないし、そうじゃないにしても、俺はまだあんたの知りたがってる情報をなにひとつ言ってはいないんだけどな。そもそも、あんたが聞きたがってたデック・アールブだって本当は良く知らねえ。知ってるのは、銀髪のダークエルフの女のことだけだし」
俺のその言葉に、表情を変えないイケロスがおもむろに口を開いた。
「ひとつだけ教えろや。その……お前の見た、ダークエルフは……元気だったか?」
「はあ?」
その質問の意図が理解できず、思わず口をあんぐりと開いてしまった。
イケロスはまっすぐ俺を見たままだ。
俺は、少し冷静になってから再度話した。
「あんたが何を聞きたいのか知らねえが、その……元気だったよ。おまけに超美人だった」
その瞬間、イケロスの目がふっと優しく微笑んだように見えたが……。まあ、一瞬でもとに戻ったのだが……
そして彼は言う。
「そうか……なら、話はこれまでだ。もしゼノスどもを助けたいなら、早い方がいいぜ。明日の夕刻にはうちの団員が荷馬車で運びだす手はずになってるからな……ヒヒッ…………」
それだけ言ってうしろを向こうとする彼に、俺はもう一言声を掛けた。
「ま、待てよ……あんたの望みはなんなんだよ。それにあんたあのダークエルフとどんな関係なんだよ」
イケロスはにやけさせた表情を変えないままで、くるりと向きをかえて、俺から遠ざかっていった。
「お、おい……、あ、会わなくてもいいのかよ!?」
それに手をひらひらさせて答えたイケロスは……もう振り返ることはなかった。