『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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大分前に書いたものですが、加筆修正がようやく終わりました!!
千葉に住んでいる人なら、物語中の場所がなんとなくでもわかるかもです!!


嫉妬に狂う比企谷八幡の話。

 成長して得るものがある。身長、落ち着き、人生経験……そういった物を会得しつつ、人は大人へと成長していくものだ…。

 

 が、

 

 失いたくなくてしがみついてしまう物もある。そう……俺にとっては、まさに『これ』だ。

 

「何見てるの? ヒッキー…」

 

「うおっ! び、びっくりした……いきなり声かけんじゃねえよ」

 

 俺の背後から、茶髪お団子ヘアーで御馴染みのアホの子こと、由比ヶ浜結衣が声をかけてきた。こいつは俺と同じ部活のメンバーで、何かと崩れがちな場の調整を担っている。

 つーか、ここは教室。ランチを最高のボッチタイムで満喫して、さあ、残った時間でこのお楽しみをひっそりと……と思っていたところに声をかけやがって。

 俺の至福の一時を返せ。

 

「なになに? 『今季新作アニメ特集……注目度ナンバーワン作品』?」

 

 俺は慌てて参考書に擬装させたその『記事』を手で隠した。由比ヶ浜は、ちょっとムッとした顔になって俺を見た。

 

「何も隠さなくてもいいじゃん。ちょっと話したかっただけだし」

 

「って、お前な……クラスで俺に話しかけんなよ。緊張して変な汗でちゃうだろ」

 

 由比ヶ浜は急に笑顔になる。

 

「大丈夫だよ。みんな昼休みにバレーボールやろうって、体育館に行っちゃったもん。周り見てみて」

 

 そう言われて顔を上げると、確かに誰もいない。俺と由比ヶ浜だけだ……って流石俺、誰にも誘われずに取り残されたわけね。今日もオートステルスモード全開じゃなーい。うわーい、全然笑えなーい。

 

「ね!」

 

 ね! じゃねえ……ここに二人っきりって分かったら、余計に緊張しちゃうだろ!!

 そんな俺の焦りには、お構いなしに、由比ヶ浜が更にズイと顔を、俺の顔の真横に持ってくる……だから、ち、ちちちち近いんだよ!!!

 

「へえー、ヒッキーってこういうアニメが好きなんだ? 面白いの?」

 

 それ、『へー、こういうアニメを面白いと思っているひとなんだ?』に聞こえて死にたくなるから、マジでコメント控えてね。

 

「ああ、面白いね! なにせこのアニメの原作ラノベをもう5年越しで読んでるんだ。待ちに待ってたアニメ化なんだよ」

 

 ちょっとなにくそと思いつつ、そう言ってみれば。

 

「うわあ、ヒッキー……なんかキモイ」

 

 俺の横にあった顔が、一気に遠くに離れた。いや、反応が案の定過ぎてむしろ嬉しいよ、俺は。

 

「キモイ言うな! だから見せたくなかったんだよ。もう良いだろ、あっちへ行ってくれ」

 

「あ、あ……ち、違うの。あたしこーゆーの良く分からないから、スゴイなあーって」

 

 いや……キモイとスゴイは同義語じゃないですからね。

 もう勘弁してください。俺はちょっと目を細めて由比ヶ浜を睨んだ。由比ヶ浜は焦った様子で、まだ何か言おうとしていたけど、そこへクラスの連中が何名か戻ってきた。由比ヶ浜はなんとなくその流れに合わせて、自分の席へ。俺はそれをチラと見送りつつ、一人机に突っ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近は本当にろくなことがない。

 文化祭が終わって俺の悪評もピークに達しているし、正直クラスに居場所はないのだから。というか元々ない。

 その割には面が割れていないから、いきなりクレームをつけられることも少ないのだが、一番危険なのは放課後の部室への移動だ。 

 長い廊下を抜けて部室まで歩いている俺に、悪意剥きだしで突っかかってくる奴もたまにいるしな。まあ、クールな俺は相手にはしないんだが、内心では、超怖い。特にその相手が女子だったりすると、背中の変なところから汗がでてしまう。本当に勘弁してください、お願いします。

 だからというわけではないが、俺は今日もステルスモード全開で隠密移動に徹していた。いたのだが……

 

 あれ?

 

 渡り廊下に差し掛かると、見慣れた顔があった。

 そこに居たのは由比ヶ浜だ。バッグを肩に背負ったアイツは笑顔で、楽しそうに会話している。だが、その光景に不自然さを感じてしまった。

 話している相手が、一人の男子だったからだ。

 

 あれは誰だ?

 

 俺の知らないやつだ。茶髪を逆立てたガタイの良いそいつは、一見運動部系に見える。

 由比ヶ浜はアホだが社交性はずば抜けて高いのだ。クラスでもトップカーストに位置する『葉山グループ』のメンバーでもあるし、他の奴ともよく話をしている。

 ただ、放課後はいつも部室へ直行するし、男子と二人っきりで長く話しているところなんて、俺は今まで見たことがない。

 

 まあ、俺には関係ないか……

 

 さっさと部室へ行こう……

 そう決めて連中からだいぶ離れた個所を歩いていたのだかだが。

 

「あ、ヒッキー!」

 

 急に声を掛けられた。どうもコイツにはステルスヒッキーが通用しないらしい。俺はチラリと由比ヶ浜を見やる。

 

「今日部活行けなくなっちゃった……ゆきのんに言っておいてくれる?」

 

 軽い感じでそう言った由比ヶ浜は、俺に小さく手を振った後、その男子との会話に戻った。そいつはチラリと俺を見た後、口元をニヤリと歪ませてから視線を由比ヶ浜へと戻した。そして二人は談笑しながら、昇降口へ向かって行った。

 

 な、なんだ今のは……?

 

 言いようのない不快感に俺は襲われた。

 別にあの男子の顔がムカついたのは置いておくとして、由比ヶ浜が突然部活を休んで、しかも男子と連れたって歩いていくなんて…

 その初めての光景に俺は混乱していた。

 

 あの男は由比ヶ浜のなんなんだ?

 

 いや、別に由比ヶ浜が誰とどんな付き合いをしていても俺には関係はない。だが、無性に気分が悪いのは、俺の自意識の高さのなせる業なのだろう。我ながら思い違いも甚だしい。

 そうだ、関係ない。あいつらはただ普通にリア充と言うだけだ…

 

 モヤモヤした気分を拭いきれないまま、俺は部室へとたどり着きその戸を開けた。

 

「うす……」

 

「こんにちは」

 

 中に居るのは勿論、この部の部長であり、俺の天敵でもある『氷の女王』こと、雪ノ下雪乃。窓に近いところに椅子を置き、紫のブックカバーの文庫本をいつも通り手に持っていた。

 

「あら、今日は由比ヶ浜さんと一緒ではないの?」

 

「なんで俺とアイツをセットみたいに扱うんだよ。大体アイツは俺とは何にも関係ないんだ。それに、今日は休むとさ」

 

 雪ノ下は不思議そうに俺を見る。

 

「そう、お休みなの……。関係ないと言う割には、話しはしているようね」

 

「ああ? 別に、お前に伝言を頼まれただけだ……妙な勘繰りは止めてくれ」

 

「別に勘ぐってなどいないわ。ただ、貴方の捻くれも相当なものだと思っただけよ。ね、ヒネヶ谷(ひねがや)君」

 

「人のこと売れ残った野菜みたいに言うのやめてね? それに、一応言っておくけど、いつも結構傷ついてるからね」

 

 俺が憮然としてそう言うと、雪ノ下は大きくため息をついた。

 

「でも、そうなると……今日の部活はあなたと二人きりという事になってしまうわね」

 

「だから、なんだ? 今更『貞操の危機が』とか言い出すんじゃねえよ。俺は紳士だそんなことはしねえ」

 

「いいえ。そんな事ではないわ……ただ、二人だけだと……その……」

 

 雪ノ下は手元のカバンを抱えながら窓の方に顔を向ける。そして口籠りながら、何かを言おうとしていたのだが。

 

 その時、

 

 

 ガラガラ……

 

 

 急に部室の戸が開いた。そして、そちらへ目を向けると、一人の男子がにこやかな表情で立っていた。そいつの事は俺も良く知っている。俺達のクラスのリーダー的存在で、女子にモテモテのイケメン野郎……

 そう、葉山隼人だ。

 

「雪乃ちゃん……ちょっと……」

 

 突然の葉山のセリフに思わず息を飲む。雪乃ちゃん……だと!?

 驚いたのは雪ノ下も同じだったようで、一瞬訝し気な表情になった後、怒りを隠さない顔つきで立ち上がり、葉山に詰め寄った。

 

「葉山君。あなたにそう呼ばれる筋合いはないわ。いきなり現れてどういうつもり」

 

 葉山は雪ノ下にそう言われて、一瞬たじろいだ。が、その後、チラリと俺を一瞥した後で……

 

「ああ、すまない。失言だった……それより覚えていないのか?」

 

 葉山にそう言われて、雪ノ下は動きを止める。そんな雪ノ下を見て葉山が言った。

 

「今日は俺と二人で出掛ける約束をしただろう?」

 

 はあ? 葉山と二人で出かける? いったい何の冗談だ。雪ノ下と葉山の関係が微妙なのは俺だって知ってる。昔馴染みだか、なんだか知らないが、雪ノ下は葉山に対して嫌悪感すら抱いていたはずだ。

 それを葉山は分かっていないのか?

 そもそも、雪ノ下がコイツとそんな約束を交わすとも思えない。

 次に雪ノ下がなんと言うのか、俺は待ち構えていた。すると……

 

「そう……だったわね、ごめんなさい。では一緒に行きましょうか」

 

 は……い……?

 何? どういう事?

 

「あ、比企谷君……申し訳ないのだけれど、部室のカギを先生に返しておいて貰えないかしら? 今日はこれで失礼するわね」

 

「お、おお……」

 

 手早く荷物をカバンに片付けた雪ノ下は、それを持つと、入口に立つ葉山の側へ近寄る。そして軽く俺に向かって小さく手を上げると、少し穏やかな表情になり葉山を見つめながら、戸を閉めて出て行った。

 

 

 一人部室に取り残された俺は、とりあえず状況を整理しようと大きく息を吐く。

 

 由比ヶ浜は、あの茶髪運動部野郎と二人で帰っていった。

 雪ノ下は、葉山と二人で出かけて行った。

 そして俺は……

 

 晴れて『ボッチ』になったわけか。

 いや、戻ったと言うべきか?

 いやいや、何を考えてるんだ俺は……

 そもそもあの二人と俺にどんな関係があるというんだ? たまたま同じ部活にをしていて、依頼をこなして来ただけ。少し、他の連中よりも一緒に行動した時間が長いというだけじゃないか。

 ボッチに戻るとか、そういうことじゃない。もともと俺は一人だけだったってことだ。

 

 だが、この胸糞の悪い感じはいったい何だ?

 

 あの誰だかわからない野郎と仲良さそうに笑って話していた由比ヶ浜の顔……

 雪ノ下が見せた、葉山を見る安心したような穏やかな表情……

 思い出すだけで、胸の辺りがざわつく……

 こんな感じを味わったのは初めてかもしれない。

 俺が中二病を患っていたときに、会心のコスプレをかあちゃんに見られた時とも、俺が書いた異世界チーレム小説をクラスで音読で読まれた時とも、勘違いで女の子に告白してクラス中の笑いものにされた時とも……

 違う! もっと、気持ち悪い、もっと惨めなこの感覚は、一体なんだ?

 

 なんなんだ!

 

 

 ガラガラ……

 

 

 扉が急に開いて、俺は慌てて呼吸を整えてそっちを見た。

 

 そこに居たのは…

 

「むっふ~ん……比企谷八幡!! 早速だがここに新作がたんまりとある!! さあ、読んでくれたまへ!」

 

 剣豪将軍が分厚い原稿の束を持って、ふんぞり返って立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日は、結局材木座のわけの分からないファンタジー小説をひたすら読んで部活が終わった。いつもなら、面倒過ぎて、焼いて捨てたい原稿なのだが、昨日はモヤモヤした気分を紛らわしてくれた。だからといって、面白かったわけではない。読み終わった後、当然燃やして捨てたくなったのは言うまでも無い。

 

「あ、ヒッキー、やっはろー」

 

 廊下を教室に向かって歩いていると、後ろから由比ヶ浜が声をかけてきた。いつもと変わらない……いや、いつもより生き生きしてるように見える。

 

「お、おお」

 

「ヒッキー昨日はゴメンね、部活行けなくて」

 

「おお……まあ、気にするな」

 

 違う! こんな事を言いたいんじゃない。昨日のアイツは誰なんだ? 昨日は何をしてたんだ?

 そう聞きたくなっている自分がいた。マジで自分が気持ち悪い。

 いや、でもそんなことは関係ない。聞いてどうする? どうなる? どうなりもしない? それが分かってるから当然俺も聞かない。そんな事を思っていると、由比ヶ浜が話しかけてきた。

 

「あのさ、それで、ゴメンなんだけど、今日も部活行けないんだ。ちょっと約束が出来ちゃって」

 

 約束……

 俺の脳裏に浮かんだのは、昨日の男の顔……

 胸の辺りのざわめきが一層強く、激しくなる。聞いても仕方ない……でも……

 

「お前さ……約束って……だ、誰と会うんだよ」

 

 聞いてしまった。つい……うっかりと、口に出してしまった。くっそ、俺はなんでこんなことを……

 

 由比ヶ浜は、キョトンとした顔で俺を見て、少し頬を赤らめた。そして……

 

「ひ、ヒッキーには教えられないな……べ、別に、誰とでもいいでしょ」

 

 そう言った由比ヶ浜は俺を振り返らずに速足で先に行ってしまった。俺は……

 

 酷く苦しくなった胸を強く押さえ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 今日も授業は終わり。いつもなら何も考えずにこのまま部室へ直行する。だが、今日は二つの事が気になった。

 一つは由比ヶ浜のこと。今日は何故かよく目が合う。たまに様子を覗うと、アイツも俺の方に目を向けている。そんなことが結構続いた。そして帰り支度をしている今の由比ヶ浜は、とても浮かれているように見えた。俺に後ろめたいのか? でも、これからのことが、もっと楽しみで仕方ないということなのか……そんな考えがあふれまくり頭が痛くなる。

 もう一つ気になること。それは葉山だ。今日はアイツは休みだった。そのことが妙に俺の感情を騒めかせていた。

 

「あー? 雪ノ下なら、今日は休みだったようだぞ。どうする比企谷。お前ひとりで部室を使うか?」

 

 部室が開いてなかったから、平塚先生の所に来てみれば、こんな具合だ。正直今は一人であの部室に居たいとは思えなかった。

 

「そうですね……依頼も特にありませんし、今日は俺も帰ります」

 

 そうか……と、一言だけ先生は言って、くるりと向きを変えて仕事に戻った。職員室を出た俺は、そのまま駐輪場まで行き、自転車にまたがる。

 いつもなら部室で適当に過ごしている時間。急にぽっかりと空いてしまったこの時間をどう過ごせば良いものか。

 かつての俺ならばなんてことはないこの何もない時間を、今の俺は持て余してしまっていた。

 モヤモヤは昨日より酷くなっていた。由比ヶ浜は……多分今日もデートなのだろう。

 雪ノ下も、葉山も休み……二人で昨日から一緒に居るのだろうな、きっと……

 自転車を漕ぎながら、こんな訳の分からない妄想を考えてしまっている。

 材木座の小説といい勝負だなと思いつつ、気が付けば俺がいつも寄っている、千葉の書店の前まで来ていた。

 はは……ボッチの俺が一体何を悩んでいるのだか。

 無意識にここまで来てしまったことを自嘲しながら、せっかくだからと俺は自転車を降りて書店へ向かう。

 

 その時……

 

 通りの向こうを歩いて行く一組のカップルが目に入った。それを見て思わず全身が硬直した。

 一人は葉山……昨日と同じで学生服姿のまま。その隣で、少し項垂れ気味で葉山に寄り添って歩いている紺のワンピースの女性の方は、どう見ても雪ノ下だった。葉山は人目も憚らずに、雪ノ下の肩を抱いていた。

 

 そういうことかよ……

 

 雪ノ下が何と言っていたとしても、結局は葉山と付き合っていたということだったのだ。なんだ、やっぱりそうだったんじゃないか……

 あの二人は幼馴染だ。親同士も付き合いがある。どちらの家も上流階級だ。これ以上の組み合わせは無いだろう。

 俺は何も知らなかっただけだった……という事だ。

 俺は、締め付けられるような胸の苦しみから逃れようと、あの二人とは反対の方に向けて足を動かした。だが、次の瞬間さらに強烈な痛みを俺は受けることになった。

 俺が向かったのは、千葉駅の方角、そっちには映画館やショッピングモールもあるが、一歩その隣の通りに入れば、夜の店が立ち並ぶ歓楽街となる。俺はフラフラとその方向に向かうと…

 

 俺の前に制服姿のままで、二人のスーツの男性と並んで歩く、お団子ヘアーの由比ヶ浜の姿が目に入った。由比ヶ浜は今日も楽しそうな表情でその二人と話しているが、一緒に居る二人の男は、どちらも昨日の運動部野郎とは違った。もっと年上のサラリーマンのような……

 一瞬俺の脳裏に過った言葉は……そう、『援交』……

 

 俺はその場に立ち止った。もはや追いかけようとも思わなかった。

 信じていた物に裏切られた? 違う! 勝手にそう思って、理想を押し付けていただけで、それとは違う現実を見た瞬間に、勝手にショックを受けているだけだ。

 俺は昔から何も変わってなんかいないんだ。信じたつもりになって、信じられたつもりになって、勝手に裏切られた気になってるだけ。

 

 俺はあいつらの事……何も知らなかったんだな……

 

 そのことだけが頭に重くのしかかってきていた。足元が……大きく崩れて、奈落の底に落ちていく。そんな錯覚を陥っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の学校は酷くきつかった。誰に声を掛けられたのかも分からない。まるで夢の中を漂ってでもいるように、全てに現実感がなかった。

 白昼夢モードで半日が過ぎた頃、やっと俺は冷静さを取り戻せていた。

 放課後、俺は平塚先生に鍵を借りると、一人で奉仕部の部室に入った。そして、買って来たマッ缶をテーブルに置き、昨日購入したばかりの小説を開いた。もはや心に乱れはない。

 漸く分かった。

 俺はやっぱり一人なのだと。

 その酷く自虐的で、自己中心的な考え方で、やっと俺は本来の自分のあるべき姿を取り戻せた。例え彼女らに心を乱されていたのだとしても、それは俺の勘違いでしかなかったということだ。

 それが分かっただけでも俺にとっては救いだった。

 暫くページを読み進め、マッ缶に手を伸ばしたその時、入口のドアが開いた。

 

「あ、やっぱり先に来てた。やっはろーヒッキー」

 

「こんにちは、比企谷君。今日は随分早く来たのね」

 

「……………」

 

 二人は何も無かったかのように俺に近づくと、

テーブルに荷物を置く。そして、由比ヶ浜が椅子を俺のそばに寄せて、そこに座った。

 

「えへへ……昨日も休んじゃって、ヒッキー寂しかったでしょ? ごめんね」

 

「いや、雪ノ下も居なかったからな。俺もすぐに帰った」

 

「え? ゆきのんも居なかったの?」

 

「ええ……そうよ。今からそれを説明しようと思って……」

 

「いや、説明は必要ない」

 

 俺は語気を強めて、雪ノ下の言葉に被せた。二人は驚いた顔で俺を見る。別に、そんな顔しなくてもいい。俺はもう知っているというだけのことだ。

 だが、少なくとも、同じ部員、同じ活動をした一人として、言うことだけは言ってやりたい。いや、言ってやるべきなのだ。

 

「雪ノ下」

 

 テーブルを挟んで、俺と対角の位置に座る雪ノ下は、顔だけをこちらに向けていた。

 

「何かしら?」

 

「お前が誰とどんな関係を大事にしようと考えていても、そんなこと俺が口を出すことじゃない。でも、お前もまだ学生だ。好き勝手に休んだり、人目についたりすれば、内申にも響く。もう少し考えろよ」

 

 俺にそう言われた雪ノ下は、首を傾げながら俺を凝視した。そして、何かを言おうとしているのが、見てとれた。まあ待てよ。俺はまだ言い終わってないんだ。

 

「それから由比ヶ浜」

 

「ふぇ? 今度はあたし?」

 

「そうだ。俺はお前の方が心配だ。お前は見た目よりもっと良識があると思ってた。でもあれは駄目だ。お前があそこまで火遊びが好きだとは、思いもよらなかったが、あのままじゃ身を滅ぼすぞ。もっと自分を大事にしろよ」

 

 由比ヶ浜は、ポカーンと口を開けたあとで、俺を見た。

 

「あたし火で遊んでないけど」

 

 ま、俺が言いたいのはこれだけだ。関係ないとはいえ、知っている奴が道を踏み外していく様は見たくない。後はコイツらが考えて動くだろう……少なくとも人に知られて平気なはずはない。

 

 二人はお互いに顔を見合わせていた。そして、おもむろに立ち上がると、二人揃って俺のすぐ前に立った。

 

「何の話か見えないのだけれど、改めて説明を要求するわ」

 

「そうだよ、ヒッキー。あたし、火で絶対遊んでないからね。そんなん危ないじゃん!」

 

 なんだコイツら……まだ隠そうとするのか。

 それともそうやって俺を追い込んで遊んでやがるのか?

 ようし、わかった。それなら、全部暴いてやろうじゃないか。

 俺は雪ノ下を睨んでから、話した。

 

「分かった。ここだけの話で言ってやる。雪ノ下……もう俺たちには隠さなくていいからな、葉山と付き合ってることは。別に俺は誰にも言う気はないが、せめて卒業までは泊まりデートはやめておけよ、心証悪くするから」

 

「ええ! ゆきのん、隼人君と付き合ってたの!?」

 

「それから、由比ヶ浜。お前はすぐに援交止めろ。下手すりゃすぐに退学になっちまうからな」

 

「なんですって! 由比ヶ浜さんあなた、そんなことを!!」

 

 二人はお互いに驚いた顔で見合っている。そりゃそうだ。聞かれたくないことを暴露されたんだ、そりゃ辛いだろう。

 俺だって言いたくなんてなかった。でも、これで全部終わりにしよう。その方が気兼ねなく付き合いやすいからな。あくまで赤の他人としだが。

 雪ノ下達は一旦俺から離れた後、窓際で何かを囁き合っていた。暫くしてから、静かに文庫本を読んでいた俺のそばにまた戻ってきた。そして……

 

「どうやら、私達は貴方に最大級の侮辱を受けたようね。これは、お仕置きが必要だと思うのだけれど……由比ヶ浜さん?」

 

「りょーかい!」

 

 俺の後ろに周った由比ヶ浜が、突然両手で俺の目を塞いだ。え、ええい、や、やめろ! くすぐったい! 柔らかい! いい匂い! 

 聞こえてくるのは、プシュッ……と缶の口の開く音と、そのあとは、サラサラという、微かな掠れた音。

 

「さあ、目を開けていいわよ」

 

 由比ヶ浜の手が離れて、目の前が明るくなる。俺の正面には雪ノ下が立って不敵な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。そして、俺の目の前にはさっき買ってきたマッ缶……

 だが、なぜかその口が開いている。

 

「さあ、どうぞ……召し上がれ」

 

「召し上がれ……って、これ買って来たの俺だぞ」

 

「いいから早く飲んでよ、ヒッキー」

 

 由比ヶ浜が俺の肩越しに、胸をたゆんと揺らせて顔を近づけてきた。

 だから……近いっての……

 俺はそのマッ缶を、手にすると、恐る恐る口に運んだ。なんで大好きなMAXをこんなに怯えながら飲まなきゃならねえんだよ……そして……

 

 

 ゴックン……

 

 

「う……うあ、甘い、甘すぎる……半端ないぞこれ……」

 

 口の中がひりひりするほどの甘さ。MAXのさらに突破したその甘さに思わず俺は悶絶した。

 

「ふふふ……どう、美味しいでしょ? MAXミルメークコーヒーは。懐かしい味でしょ?あなた甘い飲み物好きだから、一昨日あげようと持ってきていたのよ。あ、ついでに練乳も追加で入れておいたから」

 

「は!? 何!? マッ缶にミルメークと練乳入れたのか? お、お前……なにしちゃってんの!?」

 

「ヒッキーが悪いんだよ。人に訳の分かんない文句言うから……あたしが援交なんかするわけないし」

 

「私だって葉山君とそう言う関係に見られていたということがショックだったわ……いくら何でもそれは耐えがたい苦痛よ」

 

「え? だってお前ら……」

 

 俺は微笑みながら俺を見下ろす二人を交互に見ながら、一昨日からの二人の事について、俺が見た事を話した。由比ヶ浜は頬を赤く染めながら、雪ノ下は、眉間に指をあてて、疲れた様子で聞いていた。話し終わった後、最初に口を開いたのは雪ノ下だった。

 

「比企谷君……まず言っておくわね。私と葉山君は幼馴染だけれど、お付き合いも何も、全く関係ありません。それから、本来ならこんな話をする前にお悔やみの一つでも貰いたいところだったわ。私……今本当に落ち込んでいるのよ」

 

「は? お悔やみだと……」

 

 雪ノ下は俺の右隣に椅子を置くと、そこに座った。由比ヶ浜はいつの間にかすぐ左隣に座っている。

 

「昨日ね……私の祖母が亡くなったのよ」

 

「はあ?」

 

 いきなりの雪ノ下の言葉にお悔やみどころか、相槌をうつのも忘れて、思わずそんな反応をしてしまった。それをジト目で見た雪ノ下は、構わず話を続けた。

 

「祖母はずっと入院していたし、もう長くはないことは分かっていたの。それで、一昨日、私は忘れていたのだけど、葉山君と一緒にお見舞いに行く約束をしていたのよ。葉山君も私も小さいころは、よくお婆さんに遊んでもらっていたから。それで急いで行ったのだけど」

 

 雪ノ下達がお見舞いに行って暫くして、急に容体が悪くなってしまったのだという。そして、雪ノ下達は家にも帰らず、おばあさんを看取るその時まで、病院に居たのだそうだ。

 俺が雪ノ下と葉山を見たのは、ちょうどその病院の帰りの所だったようで……

 

 雪ノ下は相当落ち込んでしまい、それを葉山が励ましていたのが実際のところらしい。

 

「じゃ、じゃあ……葉山と付き合っては……」

 

「何度も言わせないでちょうだい。そんな事実は一切ないわ」

 

 は、はは……なんだ、これ、俺の見間違い、勘違いだってのか……急に肩の力が抜けたと思ったら、突然由比ヶ浜が俺の手の上に本のような物をどさりと置いた。

 

「はい、ヒッキー! プレゼントだよ!」

 

「は?」

 

 手渡されたその白い分厚い本のような物を、目の前に持ち上げて眺めてみる。そこに書いてあったのは……

 

「お、お前! これ、あのアニメの第一話のアフレコの台本じゃないか。どうしたんだよ、これ……」

 

 由比ヶ浜は得意げな顔になって胸を反らした。

 

「ふっふ~ん……あたしの交友関係を舐めてもらっちゃあ困るよ! ヒッキーがあのアニメ好きだって言ってたから、陸上部の友達でお父さんがアニメの会社に勤めてるっていう人に聞いてみたの。そうしたら、制作会社の人を紹介してくれてさ、視聴者? 素人? アンケートみたいなのやってあげたら、これ貰えたんだよ。びっくりさせようと思ってヒッキーにナイショにしてたんだ。どう? 嬉しい?」

 

 じゃ、じゃあ、あの運動部野郎に会ってたのも、昨日のサラリーマンみたいなのと一緒に居たのも、全部俺の為だってのか……

 

 

 何、これ……

 

 

 つまり、全部俺の勘違い……いや、こいつらが俺の事を考えてくれているなんて微塵も思わずに、ただ一人で妄想して落ち込んでただけだってのか。

 マジで俺、サイテーじゃねえか……

 どんな表情で居たのかは俺には分からない。でも、その俺の顔を見ていた由比ヶ浜が、ポンと俺の肩を叩いた。

 

「どう? 少しはあたし達のこと、信じられるようになった?」

 

 屈託のない笑顔を向けられて、俺は思わず口籠る。本当はあまりの恥ずかしさに走って逃げだしたいくらいなのを必死で堪えているところだ。俺はつい、顔をそらした。

 すると、雪ノ下が小さく咳ばらいをして、赤い顔で聞いてきた。

 

「と、ところで……どうして貴方は、私と葉山君の関係が気になったのかしら? そこのところについて、もう少し詳しく……聞いてみたいと思うのだけれど……」

 

「あー! それならあたしも聞きたい! ねえヒッキー、どうしてあたしが他の男子と話していたのが気になったの? ねえ。おしえてよぉ」

 

 赤い顔をした二人が、一気に俺に詰め寄る。だ、だから、近すぎるんだって!!

 

 二人から漂う、甘い香りに包まれながら、俺はミルメークと練乳増量MAXコーヒーを一気に喉に流し込む。

 

 

 甘すぎだ……これ。

 

 

 凄まじい甘さに包まれて、今日も俺は奉仕部の部室に居る。

 

 

 

 

 

 

 

【補足】

 知らない方向けに補足させて頂きます。『ミルメーク』というのは、小学校給食などで出る、ふりかけのような形態の、牛乳に混ぜる粉です。色々な味があるのですが、コーヒー味はまさにMAXコーヒー(笑)私の地元は千葉なのですが、小学校6年間、月に2回は出ましたよ。

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