『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(3)そして彼女と彼はひとつになる

“続きを観なくてもいいの?”

 

 そんなゆきのんの声が聞こえた気がした。

 

 ノートパソコンで再生されていた動画を、あたしは静かにマウスを動かして停止させて、その画面を閉じた。

 そして、さっきゆきのんから手渡されたその動画のデータの入っている青いSDカードを丁寧に取り外す。

 

 あたしはそのカードを両手で包み込んで、そっと胸に抱いた。

 

 

 隣にはゆきのんがいるはずだけど、今のあたしには彼女に気を回すことは出来なかった。

 だって……

 あたしの心は、言い様のない戸惑いと気恥ずかしさと嬉しさに…………たくさんの彼への想いに満ち満ちていたから。

 

 

 画面の中には彼がいた。

 彼はあたしに向かって、これ以上ないくらいの素敵なたくさんの言葉を贈ってくれた。

 最初に感じたのは困惑だった。

 彼はゆきのんを好きだったはず……だから、あたしはこんなに苦しんでいたというのに……

 それに、あたしは彼らにとって、必要ない存在だと思っていた。それなのに、彼はあたしを必要だと言ってくれた。

 そして、あたしを失いたくないとも……

 

 どうして……

 

 ついさっきまで、絶望のドン底にいたはずなのに……。

 こんなどうしようもないあたしに、こんなに優しい言葉をたくさんかけて貰えるはずなんてないのに……。

 

 でも……

 

 画面の彼はいつもの彼だった……

 緊張して、顔を強ばらせて、いつも以上に真剣な表情をしてはいるけど、彼が紡ぐ言葉の数々はいつもと同じ……思いやりと優しさに溢れていた。

 

 彼の言葉の一つ一つが胸に染み込む。

 彼の言葉の一つ一つがあたしの心を解かしていく。

 

 戸惑いや、不安の波の中、ただただ聞き入る彼の言葉に、あたしの心は慰められ、癒され、そして満たされた。

 

 溢れる涙で視界が滲んでいく……それが今まで流していた涙とは違うものだって気がついて、あたしの心は油を継ぎ足したランタンのように、明るく、熱くなっていった。

 

 そして……

 

 気がついた。

 

 このヒッキーはあの時のヒッキーだと……

 

 あたしが、打ちひしがれ、恐怖して、絶望したあの時の……

 彼の本当の姿なんだと……

 

 あたしはそれを知って、歓喜に打ち震えると同時に、これ以上ないくらいに彼を信じられなかったことへの悔恨に苛まれた。

 どうしようもなく、揺らいだ心であたしは続きを見ることが出来なくなり、溢れる出る彼への想いを押しとどめようと、目の前の動画を止めたのだ。

 

 胸に迫るのは恥ずかしさと、切なさと、際限のない彼への愛しさ。

 

 あたしは彼の想いの詰まったこの贈り物をおし抱いて、とどまることなく流れる涙の筋をそのままに、静かに彼への想いを募らせた。

 

 ふと、目を向けてみれば、窓からは柔らかな日差しが差し込んで来ていた。

 この数日間、空全体を覆っていた闇のように重たく垂れ籠めた雨雲は、ようやくにも消え去り、世界は明るく晴れやかな息吹を奏でているようだった。

 

 

   ×   ×   × 

 

 

「大丈夫?由比ヶ浜さん」

 

 じっと項垂れていたあたしに、隣のゆきのんが静かに声を掛けてくれた。その声がとても優しくて、心に沁みる。

 あたしは、顔を上げて彼女を見た。

 きっと涙と鼻水でぐしゃぐしゃだと思うけど、そうしないといけないとあたしは思ったから。

 そんなあたしを見て、ゆきのんは微笑んでいた。

 

「やっぱり彼と一緒……、貴女も……彼のことを好きだったのね。本当に良かったわ」

 

「え? それって……」

 

”そう……貴女も……好きということね”

 

 さっき、ゆきのんがあたしに言った言葉……

 ゆきのんもヒッキーを好きって意味じゃなかったんだ。

 ヒッキーがあたしを好きなように、あたしもヒッキーを好き……ってことだったんだ……

 

 もう……紛らわしすぎるよ!

 

 今更に遅すぎる理解をして、安堵に一気に肩の力が抜ける。

 

「ふふ……やっと貴女らしい顔になったわね。貴女にはやっぱり笑顔が一番似合うわ」

 

「うーーー、ゆきのん、ひっどい。絶対今変な顔してるのに」

 

「あら? さっきまでの沈んだ顔より、今の方が何倍も素敵だと思うのだけれど。これで、由比ヶ浜さんの問題も少しは解決されたのかしら?」

 

 そのゆきのんの言葉が胸を打つ。

 彼女の心からの優しさが本当に嬉しくて、思わず涙が溢れそうになった。

 

「あ、ありがとう、ゆきのん。うん、も、もう、大丈夫……大丈夫だよ」

 

 そのあたしの言葉に彼女はにこりと微笑んだ。

 

「本当に良かったわ。でもこれも全部比企谷君のおかげかしら?そう思うと何か釈然としないのだけれど」

 

「あはは……そんなこと言ったら、ヒッキーが可哀そうだよ……あとヒッキーの悪口はやめてね。あたし、これでもヒッキーのこと好きなんだから」

 

「ええ、だから言っているのよ。これからは彼への文句も貴女に言うことにするわ」

 

「そ、そ、それって、なんか……あたしヒッキーの奥さんみたいじゃ……」

 

「それは大分気が早いのではないかしら?貴女はその前にやるべきことがあるのだと思うのだけれど……」

 

「あ、そ、そうだった。ヒッキー!ヒッキーに会わなくちゃ……」

 

 慌てて立ち上がろうとするあたしの手を、ゆきのんが急に掴んだ。

 

「落ち着いて由比ヶ浜さん。学校に行っても今日は比企谷君は来ていないわよ」

 

「え?どうして?じゃあ、ヒッキーはどこ?」

 

 ふう……と、ゆきのんは大きくため息を吐いて言う。

 

「実は、貴女に連絡が取れなくなってから、彼はかなり動揺してしまって……その……、雨の中をずっと貴女を探しまわっていたの……。ここに来たのかもとも思ったのだけれど、この感じでは彼はインターホンも押してはいないようね」

 

 ヒッキーがすぐそばまで来てたの? じゃあ、なんであたしに会いに来なかったのかな……あ……

 

”失いたくなかった”

 

 さっきの動画の中のヒッキーの言葉。

 きっと彼はあたしとの関係を守ろうとして、一歩踏み込むのを躊躇ったんだ。きっとそうだ。こんなことになるのなら、きちんと電話に出ればよかった。

 

「そ、それで、ヒッキーはどこなの?」

 

 あたしの言葉にゆきのんは大きく嘆息。

 

「比企谷君は今、憔悴しきって自宅にいるわ……由比ヶ浜さんとは連絡もとれないし、貴女のお母様も詳しくは教えてくださらなかったから……、彼、貴女の身に何かあったんじゃないか、貴女が危険な目にあったんじゃないかって、かなり荒れたのよ。小町さんの話しでは、食事も取らずに呻いているようね」

 

「あ、あたし、すぐに行かなきゃ」

 

「だから、待って……落ち着いて」

 

 焦って飛び出そうとするあたしをゆきのんは再び引き留めた。でも、こんなこと聞いて、もうじっとしてなんかいらんないよ。

 彼女はベッド脇のチェストから、あたしのケイタイを持つと、それを差し出しながら言った。

 

「いきなりでは彼も驚いてしまうわ。まずは、貴女から連絡をしてあげて……」

 

「そ、そっか……そだよね。うん」

 

 急いで充電コードを差して、あたしはケイタイを起動。そして溢れる着信履歴の数々を見ずに、一番大好きな彼のアドレスを選ぶ。

 そして、急いでメッセージを打ち込んだ。

 

「はい、そーしんっと!」

 

「ず、ずいぶん早いわね」

 

「うん? だって今は、一秒でも早くヒッキーに会いたいんだもん」

 

 それに……

 

 書く言葉はずっと前から決めてたから……

 

「そう……なら、送ってあげるわ。今日はこうなるんじゃないかと思って、都築さんに表で待ってもらっているから」

 

「あ、ありがとう、ゆきのん。今日は甘えさせてもらうね」

 

「ふふ……さっきまでは本当に死にそうな顔をしていたのに……本当に現金ね。薬がちょっと効きすぎてしまったかしら?」

 

「うん! そうかも……本当にありがとう」

 

「あ、ま、待って……急に抱きつかれると……へ、変な気に……その……」

 

「ゆきのんのその反応……可愛い、可愛すぎだよ」

 

「うーーーーーー。も、もう……いい加減にしてくれないかしら……あ、相手を間違ってるわ……よ……も、もうっ! 行くのでしょう?」

 

「うんっ!」

 

 照れるゆきのんが本当にかわいくて、やっぱり大好きなんだと再認識しながら抱き締めた。

 それから、喜びと興奮に胸をはずませ、信じられないくらい浮かれているのを自覚しながら、あたしは急いで支度をして部屋を出た。

 そして、リビングであたしを待っていたママは、あたしに優しく笑顔で「いってらっしゃい」といつも通りに言ってくれる。

 それが堪らなく嬉しくて再び目頭が熱くなった。

 

 苦しみに耐えられなかったあたしを守ってくれたママにいくら感謝してもしきれない。

 全然表情には出さなかったけど、あたしを見て、きっと凄く辛かったんだと思う。

 

 ママは強いな……

 

 にこりと微笑んだママに見送られて家を出た。

 ホントに敵わない。

 ママは素敵だ。

 いつも笑顔で、優しくて、あたしの全部を包んでくれる。

 あたしもママみたいになれるかな?ううん、なりたい。なって、絶対、ママみたいに素敵な家庭を築くんだ。だから、今日があたしのその第一歩。

 

 あたしの夢を叶えなきゃ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いらっしゃーい、お待ちしてましたー」

 

 ヒッキーの家に着いて、インターホンを押した途端にこの反応。思わずあたしはゆきのんと顔を見合わせる。

 小町ちゃんだ。相変わらず超元気。

 

 それで、すぐに飛び出てくると思って、玄関ドアが開くのを待っていると……

 

 ガチャ……

 

「あ……」

 

「よ、よお……」

 

 中から出てきたのは背の高い猫背の男性。

 彼を見間違えるはずなんてない。あたしが会いたくて会いたくてずっと恋い焦がれてきたその人なのだから……

 彼は微笑んであたしを見てくれた。でもその顔はやつれて疲れ切っている。

 何が彼をここまで追い込んだのかを考えるだけで、あたしの胸は酷く締め付けられた。

 

 あたしの所為……あたしが彼を苦しめてしまったんだ。

 

 あたしの中にたくさんの後悔が確かにある。でも、それでも、あたしは彼に会えたことが何より嬉しかった。

 

「や、やっはろー、ヒッキー……」

 

「おう……」

 

 すぐにでも彼に抱きつきたくて、でも、彼に心配をかけさせてしまった罪悪感にあたしは動けないでいた。

 立ちすくんでお互い見つめ会うだけの時間の中、急に、ヒッキーの背後から可愛らしい大きな声があがった。

 

「ああ! いっけなーい……小町ってば今日お父さんとお母さんにお使い頼まれてたんだったー。あーこれは大変だなー、今から千葉まで行くの大変だなー、誰か送ってくれないかなーーーーーーーーー雪乃さん?」

 

「はい?」

 

「え? 良い? いやあ、すいませんねー助かりますぅ。あ、じゃあ、小町これから出掛けるけど、すごくすごーく時間かかるから、お兄ちゃんと結衣さんでちゃんとお留守番してくださいね。あ! それと、お父さんとお母さんも帰ってくるの絶対深夜になるようにするからね。あ、おやつは戸棚にカールととんがりコーンはいってるから、それと、冷凍庫の雪見だいふくは小町のだけど、今日は特別に二人にあげるから食べてね。じゃあ、いってきまーす。ほらっ! 運転手さん、早く早く!」

 

「は、はいっ!」

 

 ばたんっ!

 

 と、喋りながらゆきのんを車に押し込んだ小町ちゃんが自分で車の後ろの戸を閉めると、そのまますごい勢いで走り去ってしまった。

 小町ちゃん、お父さんたちになにかするようなこと言ってたけど……あれって……

 

 あ……

 

 急にヒッキーがあたしの手を掴んで引いた。

 

 その突然の出来事に混乱しつつも、彼がしてくれた初めての行為が嬉しくて、あたしは固まってしまう。

 

「まあ、ここで立ち話でもなんだから、中、入れ」

 

「え、あ、うん」

 

 ヒッキーに誘われて、あたしは家に入らせてもらった。

 

 玄関に入ると、すぐに彼はあたしを振り返って、不安や安堵の入り交じった視線を送ってくる。

 きっと胸中ではあたしに問いかけたいこととか、自分の思いとか複雑に絡まってるんだろうな。

 動画の中じゃあんなにスラスラと語っていたのに、今はきっと緊張が勝ってるんだろうな……

 

 こんな時、ママならどうするのかな?

  

 きっと話せるようになるのを待ってあげるんだと思う。

 

 それとも、励ましてあげるのがいいのかな?

 

 あたしは声を出せないヒッキーの前で彼に声をかけることにした。

 この前知った、元気が出るおまじないを。

 

「大丈夫? おっぱい揉む?」

 

「へぁ? にゃ、にゃにゃにゃにを言ってんだ、お前?」

 

「へへー、やっと喋った」

 

「ふ、ふざけるなっ、ホントに揉むぞ!」

 

「ヒッキーなら……いいよ……」

 

「……!」

 

 グッと唇を噛んだヒッキーがあたしを見下ろしている。

 あたしは彼を見上げながら謝った。

 

「心配かけちゃって本当にごめん。あたし、自分のことしか見えてなかった。ヒッキーがどんな思いしてたか、考えられなかったの」

 

「い、いや、それは俺も同じだ。急にお前がいなくなっちまって、俺は自分の何が悪かったのか、ダメだったのかって、ずっと自分を責めてた。もし、お前の身に何かあったらって……俺は、俺は……」

 

 そう言ってくれたヒッキーが本当に愛しくて、また涙が……。

 あたしの為に傷ついてしまった彼の心に触れたくて、あたしは緊張して硬直する彼の胸に静かに抱きついた。

 そして、この数日間彼を思い、苦しみ続けてきたことを思い出しながら、背中にまわす腕に力を籠める。溢れようとする涙を止めることが出来ずに、あたしはそのまま嗚咽した。

 

「ごめんね……本当に、ごめんね……」

 

「いや……いいんだ……お前と会えたから……」

 

 その言葉はすごく優しくて、あたしの髪をなでる彼の手も温かくて、嬉しさに体が震える。

 

「ヒッキー……」

 

 見上げるとそこには優しく微笑んだ彼の顔。

 恥ずかしさよりも何よりも、今は彼がこうしてあたしを包んでくれていることがなにより幸せだった。

 そして、自然と二人の唇が近づく。

 今はもう、何も言葉は要らなかった。

 

 好き……

 大好き……

 

 言葉にならない愛の言葉を唱えながら、あたしとヒッキーは初めての口づけを交わした。

 

 何度も何度もお互いの存在を確かめるように唇を吸い、そして、強く強く抱きしめあう。

 不安や後悔はすでになく、恥ずかしさや照れもないままに、もはや自分の分身としか思えない彼と溶け合うように求めあった。

 服を剥ぎ、愛撫しあい、吸いあう中、あたしは彼の荒い息遣いを聞きながら、吐息交じりに囁いた。

 

 

「ご、ごめんね……ん……ひ、ヒッキーのプレゼントの動画見ちゃった……よ……」

 

 その言葉に彼も……

 

「ああ……いいんだ、別に……俺も嬉しかったよ、お前のメール……」

 

「ヒッキー……んっ……」

 

 二人で絡み合い、求めあいながら、もう二度と二つに分かれないようにと、あたしたちはその全てを重ねた。

 

 ”大好き”

 ”ああ……俺も好きだ……結衣……”

 

 

 想いをぶつけるように漏れ出る言葉を交わしながら、全ての苦しみや寂しさや愛しさを綯交(ないま)ぜにしたまま、そしてあたしたちは一つになった。

 

 

 様々な想い……

 後悔や自責の念に苛まれてきたけれど、今のあたしの想いはたったのひとつ。

 この世界でなによりも愛しい彼を、誰よりも愛する覚悟をあたしは固めた。

 初めて彼へと書いた『ラブレター』……

 本当は、きちんと手紙に自筆で書くべきだったのかもしれない。

 でも……

 きっとこんな簡素なメールであっても、きっと彼は大事にしてくれる、大事に思ってくれる。そう、あたしは信じた。

 

 彼へ送ったあたしの想いのすべてをこの一言に込めたのだから……

 

 

 

『ヒッキーを世界で一番好きです』

 

 

 

 




このお話の後日談、『ラヴ・レター アフター』は下記URLです。
R-18ですよ!

https://syosetu.org/novel/87888/
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