『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
「ああ、小諸さん。なんで、ここにいるんだ?」
「それを聞きたいのはこっちです? って、あ、あれ? そ、そちらの方って、ひょ、ひょ、ひょひょひょひょっとして、彼女さんですか?」
小諸さんは由比ヶ浜の方を見てそんなサイボーグGちゃんみたいな
由比ヶ浜はといえば、なぜか怯えた感じで俺を見ているし。
しゃーねーなー。
「いや、違うよ。別に俺達はつきあってねえ、ただの友達だ。それとこのウェアはたまたま同じメーカーだったってだけだ」
そう俺が言った瞬間、由比ヶ浜は視線を床に落とした。それとは対照的に小諸さんはぱあーっと明るい笑顔になる。
「そーなんだー。ほっとしたー。あ、えと、べ、べべべ別に深い意味とかなくて、なんにもなくて。その」
「んで、なんでここにいるんだ? この前なんかクリスマスがどうたらこうたらって言ってなかったか?」
「あ、それなんだけどね、予定がキャンセルになっちゃったから、おじさんに頼まれていたバイトに来ることにしてね、ここにいるんだよ。あ、スキースクールだったよね、今日はもともと人も少ないから私が教えるけどいい?」
「え?小諸さんが教えてくれんのか?スキー出来たんだな」
「あ、うん。もともと雪国育ちだしね。スキーは得意だよ。でも、ほんと偶然だねー。ここで会えるなんて」
「ホントだな。じゃあ、今日はよろしくたのむわ」
「はい!じゃあ、この申し込み用紙に名前を書いてください。あ、えと、そちらの方も……」
「あ、うん!小諸さん。あたしは由比ヶ浜結衣です。今日はよろしくお願いします」
思いっきり笑顔でお辞儀をして、たゆんと揺れた由比ヶ浜の胸に、小諸さんも目が釘付けだな。あれはな、初見では確かに破壊力ありすぎだ。
そんな由比ヶ浜とふたりで申込書を書いて、そしてしばらく待っても他に参加者は現れず結局俺達だけで教わることになった。
× × ×
スキー教室と言っても、座学や何か高尚な教育があるわけではなかった。基本的なスキーの履き方から歩き方、進み方、それと、重心の取り方とかの基本を教えてもらうわけだ。
流石に雪の上で滑る板を履いたままバランスを保つのは難しく、最初の内は二人でなんども転んでいた。由比ヶ浜なんか、生まれたての小鹿のようにプルプルと内またで震えていて、思わず爆笑しそうになった俺も、実は同じポーズで震えていたわけなんだが。そんな感じだったが、小諸さんの教え方が上手いおかげで、次第に変に力まなくなって、楽に動けるようになってきた。
そして、最後にはゆっくりとだが滑れるようになっていた。
「うん。ふたりともすごく上手だよ。重心の取り方もうまいし、この分なら、すぐにどこでも滑れるようになるよ」
「えへへ、礼美ちゃん本当に褒めるの上手すぎだし~。そんなに言われたらあたし調子に乗っちゃうよー」
「結衣さんなら大丈夫てすって。もう教えることないですもんー」
えへへー、うふふーと女子二人が仲良くお話中。
ほんとうにいきなり仲良くなったな君たち。
最後にふもとまで滑ってきてそこでスクール修了。
「比企谷さんたちはいつまでいるんですか?」
「ああ、2泊3日の予定だから、帰るのは明後日だな。25日に帰るよ」
「え?じゃあ、明日の夜もいるんですね?」
「ああ、そうだけど……」
言った途端になぜか小諸さんが小さくガッツポーズ。なにしてんだこの人。
「できたらまた明日も来てください。明日も私が教え……」「明日はっ!!」
小諸さんの言葉が終わる前に、隣の由比ヶ浜が大きな声を出した。なにごとかとそっちを見れば、由比ヶ浜も驚いた顔になっているし、いや、お前が叫んだんだろうが。
そんな彼女はその後、ぽしょぽしょとつぶやいた。
「あ、明日はね……その、や、約束があるから……ヒッキーと……」
ん?約束?そんなもんあったか?
はて?と考えつつ由比ヶ浜を見れば、小諸さんに見えない位置で俺のウェアをくいくい引っ張っている。
そんな彼女を見つつ、俺は答えた。
「ああ、そうだった。明日は約束していたんだ。わりぃ、小諸さん。そういうことだから」
「あ、え、えーと、その、だ、大丈夫ですよ。こっちは。いいお客さんがへっちゃって残念だなーってくらいのことですから。どうぞ、楽しんできてくださいね。ではー」
にこりと微笑んだ小諸さんを見送りつつ、俺は無言の由比ヶ浜と並んで初級者コースの二人乗りのリフトに乗った。
座ったあとも、うつむいたままの由比ヶ浜。俺はさっきのことを尋ねた。
「なんであんな嘘を吐いたんだよ?」
彼女はしばらくしてから俺に顔を向けてきた。
「ごめん……どうしても一緒に行きたいところがあって」
「そうか……」
苦しそうに俺に言葉を紡ぐ由比ヶ浜……
俺は彼女を前方を向いたままで息を吐いた。
「まあ、別にいいぞ。どこだか知らんけど、ああ言っちまったしな」
「ごめん……ありがと」
謝る由比ヶ浜とよれよれとリフトを降り、あやうく転びそうになってリフトを止めてもらった。これ、超恥ずかしいな。
その後、何度か滑り、それからゲレンデのコテージの食堂で昼食。
なんでこんなに高いんだ! という感じのカツカレーを食べて、少し休憩してから、今度はもう少し上のコースを滑ろうと二人でさらに上のリフトに乗った。
このころになると、由比ヶ浜もさっきのもやもやは吹っ切れたらしく、ことあるごとにコロコロ笑っていた。
リフトの上は景色が本当にいい。遠くの山並みも、ふもとの町の景色も、何か映画のワンシーンでも見ているようで不思議な気分になる。
ふと由比ヶ浜を見れば、俺と同じように遠くの景色を微笑みながら見つめていた。
こんな穏やかな時間を俺がすごせるとは思いもしなかった。
そう、こんなことは……
俺には本当に似合わない。
× × ×
「ただいまー。やっぱりスキーは楽しいね。八幡達はどうだった?」
大分早い時間にペンションに戻った俺と由比ヶ浜は、着替えてから一回のレストランでコーヒーを飲んでくつろいでいた。
そこへ、他の4人がドカドカと床をスキー靴で踏み鳴らしながら帰って来た。
「やっはろーみんな。うん、楽しかったよ。ねえ、ヒッキー」
「ああ、少し滑れるようになったしな。あ、明日は戸塚と一緒に滑れそうだぞ」
俺のその言葉に、戸塚はそわそわとしはじめ、そして頭を掻いた。
「あ、えとね。明日はボク上級者コースの回転の大会に出ようと思ってるんだ。材木座君も一緒に、ねえ?」
「ふえ?あ、わ、我、そんなこと聞いてな……」
「あははははは……やだなあ材木座君。さっきそうしようって言ってたじゃない」
「そ、そう……でした……そうであった……我泣きそう、ぐすん」
「なんか無理矢理言わされてないか?まあいいか。なら、一色、雪ノ下、お前らはどうだ?」
今度は雪ノ下がそわそわし始め、首をぶんぶん振ってなぜか一色を見ているし。一色は一色で、急に脂汗を浮かべている。
「あ、えーと、あーと、その……あ、そうそう、そうでした。明日は実はゴンドラでこの上のスキー場へ行こうって雪ノ下先輩と話していたんでした。あっちはパウダースノーですっごくふかふからしいので。ねえー雪ノ下先輩?」
「そ、そうなのよ。私も新雪の上を滑ってみたくて、ちょっと遠出してくることにしたの」
「へー。なら、俺達も一緒に……」
「だ、ダメですよ、先輩たちは。だって、まだそんなに滑れないじゃないですか。上まで行ったら、途中上級者コースを何か所か下りないとですし、角度30度ですから、こんなですから、崖ですから」
言って、一色が腕で斜面を模すが、どう見てもそれ30度じゃなくて85度くらいありそうなんだが。
「まあ、じゃあ仕方ないか。明日また由比ヶ浜と二人で滑るか」
「「「「ふぅ……」」」」
「ん?なんだ?」
「な、なんでもないわ」
何故かみんな一様に安堵の顔をしているし。
由比ヶ浜はと言えば、俺の向かいの椅子で苦笑してコーヒーをすすっている。
確かに俺は明日、由比ヶ浜と一緒にその行きたいところってとこに行く約束をしているしな。由比ヶ浜は俺がそれを必ず守るって信じているってことか……
そんなことを考えつつ、俺もコーヒーを口に運んだその時、
「ただいまー。みなさんお待たせしましたー……って、あれぇ?ひ、比企谷さん?え、うそ、ここに泊まるの?」
なんかさっきと同じ反応なのだが、現れたのは当然この人、小諸さん。
腕に板を抱えて店内に入ってきた。
「やあ、レミちゃん。ひさしぶり」
「え?あれ?ひょっとしてサイカちゃん?わー懐かしい」
と、戸塚と小諸さんが手を取り合って挨拶している。もう、女の子同士できゃっきゃうふふしてるようにしかみえないのだけどな。
そうか、小諸さんも戸塚も、『おじさん』の関係でここに来たって言っていたもんな。ということは……
「あ、紹介するね。僕のいとこの小諸礼美ちゃん」
「小諸です。あ、比企谷さんと結衣さんには不要ですね。今日はここの手伝いにきています。みなさんゆっくりしていってくださいね」
言って、彼女はタタタッと厨房の方へと消えて行った。
「先輩、あの人知り合いなんですか?」
近づいてきた一色が俺にそうぽしょりと囁く。
「ああ、俺と同じ学部の同期だ。同じ科目をとっているから、大学でよく会うんだよ」
「へえー、そ、そうなんですか。なんか、年下妹枠を奪われそうな感じの可愛い人ですねぇ」
「何言ってのお前。そもそも俺と同い年の上に妹ですらねえだろ。妹は天使小町がいるからもう枠はねえよ」
「誰がガチレスしろっていいましたか、ああいう小柄で可愛い系っていう見た目の話をしただけですよ、私は」
またもやぷんすか始める一色。そんな奴を見ていたら、いつの間に来ていたのか由比ヶ浜が俺に声を掛けてきた。
「ヒッキー、ちょっといいかな」
「なんだ?」
言われて俺は由比ヶ浜についていく。
そして、乾燥室の脇の廊下まで誘導されて、そこで由比ヶ浜はもじもじしながら俺を見上げてきた。
「あのね、明日今日滑ったコースの隣の上級者コースに行きたいの」
「え? それがお前の行きたいとこなのか? って、そりゃ無理だろう。俺にはあんな急角度の斜面滑れる自信なんかねえよ」
うん、さっきの一色の腕ほどじゃないが、確かにかなりの角度があった気がする。しかもゲレンデの中央に超巨大なモミの木があって、それの所為で多分先の方が見えない。恐ろしすぎるだろう。
でも、そんなことは当然こいつも分かっているか。
「どうしても行きたいのか?」
「……うん。どうしても……、どうしても明日行きたいの」
「そうか」
由比ヶ浜の縋るような目に、俺は頷いた。
「いいよ。一緒に行く約束はもうしているしな、気にするなよ」
「うん、ありがとう、ヒッキー」
由比ヶ浜は少し寂しそうな笑顔をしたのだった。
小諸さんが給事してくれた夕食を摂ったその日の夜。
風呂にも入り、布団を被った俺はなかなか寝付けないでいた。
明日……
明日だ……
明日言おう、彼女に……
そう、それでようやく……
俺のこのモヤモヤは解消されるんだ。
たった一言、『それ』を言うだけ。そんな簡単なことをするだけなのに、俺の心はざわめき続ける。
寝返りを何度かうちながら、隣で響く材木座の凄まじいいびきが、実は眠れない原因なんじゃなかろうかと、思わず材木座の鼻を洗濯ばさみでつまみたくなった。
「眠れないの?」
「あ、戸塚?」
顔を戸塚の方に向ければ、目がぱっちり開いていて超かわいい。
そんな戸塚は、がさりと布団をあげて起き上がって俺に言った。
「ちょっと下に行こうよ」
× × ×
階下のレストランに行くと、そこには本を読みながらグラスでワインを飲んでいるおじさんこと、マスターの姿が。戸塚は何かを注文すると、俺の座っているテーブル席へと戻ってきた。
「ホットミルクを頼んだよ。あれを飲めばぐっすり眠れるはずだから」
「ああ、サンキューな」
戸塚はテーブルの上で指をいじりながら俺に視線を向けてきた。
「ねえ、八幡。八幡は由比ヶ浜さんのことどう思っているの?」
「なんだ、戸塚もか」
「え?」
「そのことな……雪ノ下にも聞かれたんだよ」
「そうなんだ。それで、どうなの?」
珍しく語気を強くした戸塚が俺にそう迫る。俺はキッチンから漂ってくる甘いミルクの香りに鼻をくすぐられながら、口を開いた。
「優しいやつだ……って思っているよ。一緒にいて嫌じゃないし、俺みたいなやつ相手にも普通に接してくれるし」
「ふ、ふーん。じゃあ八幡は由比ヶ浜さんとずっと一緒にいたいって思っているんだね?」
「…………」
「あ、れ?は、八幡?」
それには俺は答えられなかった。
もうとっくの昔に決意していたことなのに、彼女に言う前にそのことを他人に話すのはやってはいけない気がしたのだ。
「明日……明日な……由比ヶ浜に俺の気持ちを伝えようと思うんだ。だから、わりぃ戸塚。今はそれに答えられない」
「あ、そ、そうだよね。うん、気にしないで、ほんと。」
ことり
と、俺達の前にホットミルクの入ったマグカップが置かれた。
俺は置いてくれたその優しそうな山男に軽く会釈した。
すると、ここに来てから初めて、俺はその人の言葉を初めて聞いた。
「このスキー場にはある言い伝えかあってね。明日、クリスマスイブにゲレンデ中央の大きなもみの木の下で愛を誓い合うと、その恋は永遠のものになるって言われているらしい。だから、ここを訪れる恋人は多いんだよ」
「へー、そ、そうなんだね」
言いながら戸塚は目が凄まじい速さで泳いでいるし。
マスターは、優しい目のままで続きを言う。
「でもな、永遠の恋なんてものはこの世にはないんだよ。人は変わっていくものだし、情熱はいつか必ず冷める。だから誓うんだ。今の気持ちが変わってしまうことが何より本当に恐ろしいから。まあ、そういうことだよ、お兄さん」
微笑んだ彼は、そのままキッチンに戻った。そして、多分またワインをやりだしたのだろう、カウンターのむこうで椅子に腰かけたようだった。
「あ、あ、ごめんね八幡。おじさんてばいきなり変なこと言って……き、気にしないでね、本当に」
慌てた様子の戸塚は俺に向かって手で頭を掻いている。
「いや、問題ないよ。それよりも、そのもみの木って、リフト二つ登った先の上級者コースにあるやつか?」
戸塚は一度視線をはずしたあとに再び俺に向き直った。
「そうだよ。あの大きなもみの木がそうみたい。ねえ、八幡。さっきも聞いたけど、由比ヶ浜さんのことを大事にしてほしいんだ、僕は。だって、彼女はずっと八幡のこと……」
「ああ、わかっているさ」
短くそれだけ答えた俺に戸塚は少しだけ不安げな表情を作った。
でも、それは一瞬のことで、その後にこりと微笑んで、湯気の立ち上るマグカップへと手を伸ばした。
おれもそれに倣ってホットミルクを口へと運ぶ。
仄かに薫るこの甘い香りはブランデーかな?
冷えていた体に染み渡るような濃厚な味。
俺は、気持ちがスッと落ち着いてくるのを感じた。
今俺ができること。
今、彼女のために俺がしなければならないこと。
それを明日、実行に移そう。
そう俺は再び決意を固めた。
「そろそろ寝るか」
「うん、ごちそうさま、おじさん」
二人で廊下へ出て階段を登る
そして階段先の女子たちの部屋から、笑いあう声と、『にゃー』という猫の鳴き声が聞こえたことに関しては忘れることにした。
ただ、俺には、キッチンを出るときに見た、幸せそうな顔でワインを飲むマスターの横顔が、俺になにかを語りかけているようで、妙に心がざわついた。でも……
俺はしなくてはならない。彼女のためにそうすると決めたあの『告白』を……
そう……
俺と永遠に別れてくれ……と。
【次回、『由比ヶ浜結衣の小さな願い』】