『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(6)モミの木の下で

「お、おい、由比ヶ浜は戻ってねーか?」

 

「え? 帰ってきていないのだけれど、一緒ではなかったの?」

 

「ああ……くっそ」

 

 床を蹴った俺の隣で、小諸さんが事情を説明。

 

「実は、結衣さんが転んで気を失ってしまったのでレスキューのスノーモービルで救護所へ運んだんですけど、特に大きなけがもしてなかったのでそのまま帰したらしいんです。でも、さっき一度ここに見に来ていなくて、他も探したのですけどやっぱり見つからなくて……」

 

 それを聞いた全員がどよめいた。

 そして雪ノ下が俺の眼前に立って、詰問してきた。

 

「一応聞いておくけれど、あなた、由比ヶ浜さんに何かひどいことしたのではないでしょうね」

 

 その問いに俺は即答した。

 

「ああ、してないよ……まだな」

 

「まだって!?」

 

 驚いた顔になる戸塚たち。再び雪ノ下が俺に詰めよった。

 

「あなた、まさか彼女のことを……」

 

「ああ、俺は今日、由比ヶ浜と完全に縁を切るつもりだった。もう二度と俺に近づくなと、あいつに……」

 

 パァアアアアアアアアアンと乾いた音が辺りに響く。

 

「最後まで言わせろよ」

 

「はぁはぁ、貴方って人は……」

 

 思いっきり平手で俺の頬を叩いたのは雪ノ下。目を真っ赤にして俺を睨む。

 

「は、八幡、なんで……」

 

「なんでですか、先輩。なんで、そんなに酷いこと……、ゆ、結衣先輩はずっと先輩の事……先輩の事だけをずっと見続けてきたんですよ、それなのに……」

 

「はわわわわ……」

 

 この険悪なムードの中で右往左往しているのは材木座と小諸さんだ。ま、仕方ないだろうがな。

 

「だから、最後まで聞けって言ったんだ。俺はそんな『告白』をするつもりはもうねえよ。一応言うけどな。でもそれはあいつを突き放したいからじゃない」

 

「比企谷君……」

 

「俺はな、雪ノ下。俺ほどどうしようもない奴はこの世にはいないと思っていた。俺なんかと一緒にいればきっとそいつも嫌われ者になっちまう。だから、俺はずっと一人でいることを望んだ。それはお前も分かっていたんだろ? 雪ノ下」

 

 コクリと頷く雪ノ下。俺は続けた。

 

「でもな、その考え方自体が俺の一人よがりだってことにようやく気が付けたんだ。俺は俺。でもずっとあの頃のままの俺じゃない。変わっていくんだよ、俺も、あいつも。だから、俺は覚悟を決めたんだ。諦めるってことじゃない。これから始めるって覚悟をだ。俺を、俺自身を変えていくって覚悟をな。だからな……お前ら、本当にありがとう」

 

 俺はみんなに向かって一気に頭を下げる。

 今の俺にはこんな事しか出来はしないのだ。

 この舞台を用意してくれたのは間違いなくこいつらだ。

 由比ヶ浜がこいつらにいったい何を言ったのかは知らないが、こんな俺達のためにこいつらは俺達の関係が進むシチュエーションを考えてくれたのだ。

 言葉にできないくらいの感謝の想いを俺は今胸に沸き上がっていた。

 

「貴方にお礼を言われるなんて夢にも思わなかったわ。そう……ようやく、本当にようやく心が固まったということなのね。本当……遅すぎるわよ」

 

 その雪ノ下の言葉に俺は頭をあげられない。当然だ。

 俺は今まで近づこうとするあいつから逃げ続けていた。いったいどれだけ彼女を傷つけていたのか……

 それでもあいつは……由比ヶ浜はこの二日間、いや、いままでずっと俺との時間を大切にしようとしていた。

 楽しもうとしていたんだ。

 きっと知っていたのだろうな、雪ノ下は。

 

「でも……」

 

 穏やかな口調の雪ノ下が俺の手を取った。

 

「これでやっと彼女は前に進むことができるのね。あの日、私が止めてしまった由比ヶ浜さんの時間がようやく……」

 

 顔をあげた先の雪ノ下の瞳には、うっすらと滴が堪っている。

 俺は今、彼女にかける言葉をもっていない。

 ただ一つ、俺だけが後悔を持ち続けていたわけではなかったのだということだけを、しっかりと理解した。

 そんな俺に、今まで黙っていた戸塚が声を掛けてきた。 

 

「でも、由比ヶ浜さんはどこに行ってしまったんだろう?」

 

「だからそれが分かれば…………あ、そうか!モミの木だ」

 

 俺の声に戸塚も飛び上がる。

 

「あ、そうだね!きっとそうだよ。あのモミの木には伝説があるんだもの。由比ヶ浜さんもすごく行きたがっていたし」

 

「でも、もう真っ暗ですよ?いくらなんでもあんな上の方に行くなんて……」

 

「いえ、由比ヶ浜さんならきっとあそこへ行くわ。彼女もずっと苦しんでいたもの。だから、比企谷君」

 

 雪ノ下が俺の手を取った。そして言う。

 

「お願い、由比ヶ浜さんを迎えにいってあげて」

 

「ああ」

 

 俺は急いでスノーブーツに靴を履き替えて出かける用意をした。

 そんな俺に、雪ノ下と一色が近づいてきた。

 

「これで私もようやく自分の心にけじめがつけられるわ。私は……してしまったようなのだけれどね……」

「私もです。いつまでも可愛い彼女を待たせるなんて本当に最低な先輩……でも、本当に……でした」

 

「へ? な、なんですか?お二人とも、なんでいきなり比企谷さんにコク……もがもご、みたいな……もごもぶ」

 

「まあまあレミちゃん。そこは突っ込んじゃダメなところだからね」

 

「うっう~……な、なんか2重3重に失恋した気分ですぅ」

 

 戸塚に口を押えつけられた小諸さんが涙を流している。

 俺はみんなに向き直った。

 そして決意を込めて言ったのだ。

 

「行ってくる」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 スキー場の夜は暗い。

 一番下のゲレンデだけはナイターをやっているから明るいしリフトも動いていたけど、モミの木はそこからもう一つリフトを使って、そしてさらにその上の急斜面の途中にある。

 正直この月や星の出ていない中を上るのは相当にしんどい。

 

「はあ、はあ」

 

 吐く息が一瞬で凍るほどの寒さに、全身が震える。

 それでも、筋肉痛に震える足を必死に動かして、俺はまっすぐにモミの木を目指して上って行った。

 

 動いていないリフトの出口から大きく左に迂回し、上級者コースへと入る。

 すると、正面にあのモミの巨木が暗がりに聳えているのが確認できた。

 あと少しだ。

 そう思いながら急こう配の斜面をゆっくり上って行った。

 そんな中、ちらちらと舞い始めたのは、雪……?

 まるで宙を舞う綿毛のように、ひらりひらりと俺の周りに浮かんでいる。

 その幻想的な音のない世界で、俺はようやく彼女と再会できた。

 

「由比ヶ浜……」

 

「……? ……ヒッキー? あは、本当にヒッキーだ」

 

 モミの木の幹に寄り掛かる様にして座っていた彼女は、昼間のスキーウェアのまま。膝を抱えて身を縮めていた。

 俺はそんな彼女に静かに近づいた。

 それに応じるように、一度右方向に視線を送ったあとで彼女もそっと立ち上がった。そっちになにかあるのか?

 

「ヒッキーならきっと来てくれるって信じてたよ」

 

「ああ、約束したしな。色々言いたいことはあるが何も言わないでやるよ。怪我はだいじょうぶか?」

 

「うん、ありがと。怪我は平気、ちょっと血が出ちゃっただけだし……えへへ、ヒッキーはやっぱ優しいな」

 

 モミの巨木の下には雪は降って来ないが薄暗い。そんな暗がりの中に浮かぶ由比ヶ浜の表情は、昼間のはしゃいだ顔とはまるで違って、静謐なものだった。

 そんな優しい瞳が俺をそっと見つめてきている。

 俺は由比ヶ浜にすぐに触れてしまえそうなくらいまで近づき、そして向かい合った。

 彼女はふうっと大きく息を吐いてから微笑みながら口を開いた。

 

「あのね、ヒッキー。今日は本当にありがとう……あ、違うか、今日も、昨日も……ううん、この旅行だけじゃなくて、これまでずっと、ずうっと長い間、あたしのわがままを聞いてくれて、本当に……本当にありがとうね」

 

「…………」

 

 震えるでもなく、焦るでもなく、穏やかなままに滔々と言葉を紡ぐ由比ヶ浜。その声はまっすぐに俺の心へと届き、そして沁み渡っていく。

 俺は言葉もなく彼女を見つめ続けた。

 

「あたしね、どうしてもここにヒッキーと二人で来たかったの。ヒッキーはもう知ってるよね、このモミの木の話。クリスマスの日にこの木の下で愛を交わした二人は永遠に結ばれるんだって……えへへ、本当にロマンチックだよね。ホント、そんな恋人関係っていいなって、あたし憧れちゃったんだ。だから……」

 

 由比ヶ浜は自分の手袋を脱ぎ、そして俺の手袋も脱がすと、それを両手で包み込むように抱え込んだ。

 凍ってしまったかのように冷えきった彼女の両手。まだ温もりのある俺の手で、彼女を温めてやりたい。そんなことを想い、彼女の手をさすりながら俺はもう少し、抱きついてしまうくらいまでの距離まで近付く。

 

「うわぁ、あったか~い。ヒッキーの手、とってもあったかいよ~。わぁ、嬉しいな。本当に嬉しい、本当に……」

 

 満面の笑顔で囁くその声に、俺は握る手の力を強めた。

 

「ごめんね」

 

 そして彼女は俺の胸に自分のおでこを埋めてきたんだ。そのままの格好で彼女は言う。

 

「あたしね、ずっと分かっていたんだ。ヒッキーがあたしのことで我慢していたってこと。いつも自分勝手にヒッキーに電話したりさ、ヒッキーに会いにいったり、ヒッキーを連れ回したりね、すごく嫌だったでしょ? それでも、優しくしてくれるヒッキーにあたしずっと甘えてた。これがヒッキーの大嫌いな偽物の関係だって、そんなの酷いことだって分かっていて、でも、あたしはそれでも一緒に居たかった……だから……ごめんね」

 

 違う……

 

 彼女は俺の胸に額を押し付けながら続けた。

 

「あたしには偽物でも良かった。そう良かったの、あの時は。あたしの思いを伝えられなくても、一緒に居させてくれるならもうそれで良いって、余計なことをしてヒッキーに嫌われたくないって、ずっと怖かったの。そう、あたしはずっと……ヒッキーをだまし続けていたの」

 

 違う違う。

 

「でも、気がついたらあたし、変わっちゃってたんだ。ヒッキーといつでも話が出来て、ヒッキーと一緒にいることが出来て、ヒッキーとおでかけも出来るようになったらあたし……あたしはいつの間にかね……ヒッキーのこと……そんなに考えなくなっちゃってたの。本当に酷いよね。せっかくヒッキーが我慢してくれていたのにさ、あたしがヒッキーの大事な時間を奪っちゃってたのにさ、前は、ヒッキーと一緒にいるだけですごくドキドキできてたのに……今はもう……ダメなんだよ」

 

 違う違う違う……

 

 なんでそうなる。なんで全部お前が悪いって思っているんだ……。逆だ。俺なんだ。お前が苦しんだすべての原因は俺にあるのだ。俺がお前の努力をないがしろにし続けてきていたのだ。だから……

 やめてくれ……

 そんな顔しないでくれよ……

 寂しそうに微笑む彼女の口調は穏やかなままだった。俺は自分の心が何かに握りつぶされているかのような圧迫間を感じていた。

 でも俺は黙って聞いた。

 彼女の思いを全て受け取ろうと覚悟を固めていたから。

 そんな俺を前にして由比ヶ浜は再び微笑む。

 

「あたし……あたしね……もう……ヒッキーのこと大事に思えなくなっちゃったみたい……」

 

 言いながらその両目から涙の粒をぽろぽろと零し始めた。

 そして慟哭する。

 彼女は堰を切ったように溢れる感情をそのままに激しく嗚咽をあげた。

 頬を滴る熱い涙が俺の手に触れ、そして一気に冷えていく。

 まるで、この彼女の想いを表しているかのようで俺の心は打ちのめされた。

 

 しばらく俺の胸で泣き、そしてそれが収まりを見せ始めたころ、彼女は胸のポケットからハンカチを出してそれで自分の涙を拭った。それから俺のことを微笑んで見上げてくる。

 

「ごめんね、急に泣いちゃって……あは、恥ずかしいな」

 

 震える声でそう言った彼女はこてんと俺にその頭を寄せて、そして再び話し始めた。

 

「あたし、これで最後にする。もうこれでヒッキーに嫌な思いさせちゃうことも止めるから。でも、どうしても最後に一つだけあたしのワガママを聞いて欲しいの。ずっとずっとそうしたくて、でも、出来なくて、いつか諦めちゃっていたそれ。あたし、自分がヒッキーのそばに居られた証をどうしても残したいの。だから昨日も今日もヒッキーと二人で居たの、いろんなことしたの、思い出がたくさん欲しかったから。偽物かもしれないけど、あたしにとって、本当に大事なことだったから。だからあたしはここに居るの。だから……お願い、今回は頑張って最後までちゃんと言うから、聞いてください、お願いします」

 

 証……

 俺と一緒に居た証……

 俺との思いで……

 

 俺は由比ヶ浜をまっすぐに見つめて頷いた。

 もう分かっていたんだ。

 由比ヶ浜がここに来た理由も。

 俺に何を望んでいたのかもを。

 

 そう……すべては、あのときに戻るため。あの卒業式の時、お互いがお互いを避けてしまったあの時から、俺と由比ヶ浜の時間は止まってしまっていたのだから。

 俺も、そして由比ヶ浜も、自分ではどうしようもできなかった。

 どんなに一緒にいても、どんなに言葉を交わしても、あそこから俺たちは一歩も踏み出すことができなかった。

 

 なぜ?

 

 怖かった。

 そう、怖かったからだ。

 

 俺も由比ヶ浜も恐れていたのだ。この今の関係が失われてしまうことを。

 

 だから俺はいっそ自分の不甲斐なさを言い訳に、それを壊して逃げ出そうとずっと考えていた。

 由比ヶ浜は全てを自分のうちに押し込めそれを隠すことを選んだ。

 まったく違うことを想いながら、俺達二人はお互いに気を使い、お互いをだまし続けてきたんだ。そうやって成り立っていた今の関係。偽物の関係……

 なぜ今由比ヶ浜がそうしようと思いいたったのかは俺には分からない。でも、それがついに……崩れるときがきたのだ。

 

 俺は、彼女の両手を取って、まっすぐに見つめ返す。

 決して茶化しちゃいけない。絶対に逃げてもいけない。

 今こそ、俺は彼女を真剣に受け止めなければいけないときなのだ。

 そう、俺は覚悟を固めた。

 

「ヒッキー……」

 

 すうっと彼女の小さな口が開いた。

 由比ヶ浜は息を大きく吸うと、涙を湛えた目で俺を微笑みながら見上げてきた。そして……

 

「……大好き……ヒッキーのこと、世界で一番、大好き…………だったよ……」

 

 ……『だった』……、彼女の言葉に胸がずきりと痛む。でも、俺は黙って彼女を見続けた。

 

「あは……言えた。やっと言えたよ。ずっとこの想いを伝えたかった。嬉しい、本当に嬉しい。もうこれで後悔はなにもないよ、うん。ヒッキー、本当にありがとう……今までずっとそばにいさせてくれて……もう……これで、本当に『バイバイ』ね……ヒッキーが……あたしを本当に嫌いになる前に、あたし……行くね。じゃあ……『サヨナラ』……」

 

 泣きながら口を押えた由比ヶ浜が走って去ろうとする。

 

 俺は、そんな彼女に手を伸ばして無理やり捕まえて引き寄せて、そしてきつく抱きしめた。

 

「痛い……痛いよヒッキー……やめてよ……あたし、あたし、ヒッキーに嫌な思いしてほしくないの。あたし絶対ヒッキーに酷いことしちゃう。あたしの所為で傷つくヒッキーを見たくないよ、お願い……」

 

「いや、ダメだ」

 

「え?」

 

 嗚咽する由比ヶ浜に俺は言った。

 彼女の気持ちは分かった。言いたいことも大体は。

 だからこそ、このままここで終わりになんて絶対できない。

 

「由比ヶ浜……その『サヨナラ』は無効だ」

 

「な、なんで」

 

「なぜって、俺はまだ、お前の『告白』に答えてないからな。お前は俺を『大好き』だと言った。なら、俺もそれに答えなくちゃいけない。そうでなければ、そんなものはただの独り言と一緒だろう」

 

「え、でも……」

 

「それに、お前ひとりだけが言いたいこと言うのかよ。俺は何も言っちゃいけないのかよ。『告白』しちゃいけないのかよ」

 

「ヒッキーが? 『告白』? え?」

 

「ああ、そうだ。『告白』だ。俺だって言いたいことはある。俺にも言わせろよ」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は息を飲んだ。こんな事態はまるで想定していなかったんだろう、少し不安そうにも見える。

 俺はしっかりと彼女の肩を抱く、そして。

 

 

 

 

「由比ヶ浜……俺もお前が好きだ。だったじゃない。ずっと好きだ。今も好きなんだ」

 

「‼」

 

 

 

 言った瞬間、彼女はその動きを完全に止めた。

 止まってしまった。

 俺も動かずにただジッとそうしていた。

 暫く見つめ合ったその後で、彼女は唐突に叫んだ。

 

「絶対嘘だ。ヒッキーは嘘をついているんだ!あたしがこんなんだから何とかしたいって、言いたくないこと言ってるんだ」

 

「お、おい……」

 

 由比ヶ浜の鋭い剣幕に俺は押される。

 

「だってそうでしょ。だって今までずっとそんなこと言ってくれなかったじゃん。あたしがずっと、ヒッキーのそばに居ても、ヒッキーは言わなかったじゃん」

 

「それはあれだ。こんな告白普通いつもしないし、それに俺はお前を好きだって想いをずっと、『違う、ただの自分の勘違いだ』って自分に言い聞かせてきていたんだ。わかっている俺がいけないんだ。俺が間違えたんだ。俺は、お前にも、俺自身に対しても、ずっと俺の本心を隠し続けてきたんだ」

 

「そんなの分からないよ。じゃあ、なんで今なの? なんで今まで言ってくれなかったくせに今言うの? そんな言葉……信じられないよ」

 

「当たり前だろ、俺だって、ついさっきまでお前に『もう別れてくれ』って言う気まんまんだったんだぞ。そんな俺がなんにも無い時に思い付く分けねーだろうが」

 

「だったら別れてくれって言えばいいじゃん。そんなんでころころ言うこと変えるなんて本当にサイテーだよ。嫌いなら嫌いって言ってよ」

 

「いうわけねーだろ、俺はお前のことが『大好き』なんだ!」

 

「あたしだって、ヒッキーのこと『大好き』だよ!」

 

「このバカやろうがぁ」「ヒッキーのばかぁ、ばかばかばかばかばかぁ、うわぁああん」

 

 気がつけば俺は由比ヶ浜をヒッシと抱き締めていた。

 泣きながら彼女は俺の背にまわした手にぎゅうっと渾身の力を込める。

 俺は、そんな彼女の頭をそっと腕で抱えた。

 

 不思議な感覚だ。

 

 こんな子供のように泣きじゃくる由比ヶ浜を見るのは初めてのはずなのに、なぜかそんな彼女を抱いていられることが何より幸せに思えた。

 嬉しいという感覚。

 愛しいという感覚。

 彼女の存在が今まで感じたことがないくらい大きく、そして俺の中を埋め尽くしてきていた。

 

 しばらくそうしていると、由比ヶ浜もいつの間にか嗚咽が収まっていた。

 無言で抱き合ったままの俺たち。

 すごく寒い筈なのに、全身が火照っていた。そして、彼女の温もりを分厚いスキーウェア越しに俺は確かに感じていた。

 

「ヒッキー……なんか、あたし、今すっごくドキドキしてる……」

 

「ああ、俺もだよ」

 

「変なの……、あたしもうヒッキーにはこんな風にときめくことなんてないと思ってたのに……」

 

「酷い言われようだな」

 

「えへへ……だって仕方ないし。ヒッキーと居て嬉しいし楽しかったけど、もうドキドキなんてしなくなっちゃってたし。あたしね、初めてヒッキーを好きになったとき、毎日ドキドキが酷くて眠れなかったんだよ。ヒッキーが話しかけてくれたーとか、ヒッキーと目があっちゃったーとか、いっつも胸が苦しいくらいだった」

 

「なにそれ、超恥ずかしいな」

 

「うん。そだね、恥ずかしかった。だから、あたし……」

 

 言って、彼女は少し身を離した。

 そして再び暗い顔に戻って俺を見た。

 

「あたし、ヒッキーのこと大好きだよ。大好きだったのに、だんだんそのドキドキがなくなってきちゃってたの……だから、ひょっとしたらあたしはヒッキーのこと嫌いになって来ちゃっているのかも? って、そう思うようになったの」

 

「それは当たり前だろ。そもそも俺がお前になにもしてこなかったんだ。お前には悪いことしたって反省しているよ」

 

「ううん。そうじゃなくて。あたしはさ、信じていたの、このヒッキーを好きだって思いが絶対に永遠のものだって。なのに、そうじゃなかったから……怖くなっちゃって……」

 

「『永遠の恋なんてものはない』って」

 

「え?」

 

「戸塚のおじさんに昨日言われたんだよ。『永遠の恋はない、情熱はいつか冷める、だから、そうなるのが怖いから誓うんだ』って。昨日の夜はよくわからなかったんだ。でも今ならわかる。お前がずっと怖がっていたとしても、そしてまた同じ気持ちになってしまうんじゃないかって怯えているとしても、そんなのは関係ない。俺はここに誓うよ。『俺、比企谷八幡は由比ヶ浜結衣を一生愛し続ける』……ってな」

 

 言ってから由比ヶ浜を見れば、湯気が出るんじゃないかってくらい真っ赤になっている。そして、

 

「あ、あたしも誓うし。『あたし、由比ヶ浜結衣は、永遠に比企谷八幡を愛していきます』……って、は、はわぁ……、な、なにこれ、超ドキドキしてる」

 

 その時……

 

「「え?」」

 

 急に辺りが明るくなった。

 見れば、俺たちのいるモミの木に空から光が差し込んでいるらしい。

 慌てて二人でゲレンデへと出れば、木の葉のように舞う大きな雪をキラキラ輝かせながら、雲の切れ間から月の光が届いていた。

 そんなモミの木は、月光に煌めく雪がまるでイルミネーションのようで、それはまさに……

 

「クリスマスツリーだぁ……きれい……」

 

「ああ、そうだな」

 

 煌めく雪の飾りの一番上には、まるで星のように瞬く月光が。

 俺たちはそのあまりの美しさに言葉もなくただそこに居続けた。

 

「大好きだよ、結衣」

 

「あたしも大好き、八幡」

 

 

 二人でぎゅうっと手を握ったままで俺たちは見上げ続ける。

 そのときの俺たちには、もう迷いも、不安も、恐れもなにもなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ただいま~。みんな心配かけてごめんね~」

 

「結衣せんぱーい!」「由比ヶ浜さん!」

 

 チリンチリンと店のドアを開けて中へ入ると、そこには雪ノ下や一色たちが全員で待ち構えていた。

 俺たちはパッパっと肩についた雪をお互いに払いあう。にこぉっと微笑んだ結衣の頭を撫でたあとに、みんなを振り返ると、なぜか全員座った目でこっちを睨んでいるし。

 

「あ、わりぃ。遅くなって悪かったな。って、お前らなんでそんな目してんだ?」

 

 結衣と手をつないでみんなの前にたっていると、唐突に一色が声を出した。

 

「はあっ、ま、別にいいんですけどね?こうなるために今回みんなで頑張ったんですしね?でも、そこまで自然にラブラブされると、なんというか、怒りが沸々と沸き上がってくるというか……」

 

「まったくその通りね……あれほどどうなるかヤキモキしていたというのに、これではまるで道化だわ」

 

 そんな二人に戸塚が近づいた。

 

「ま、まあまあ、雪ノ下さんも一色さんも、そんなこと言わないであげようよ。八幡も頑張ったみたいだしさ、ね?ね?」

 

「ふむぅん、まさか本当に八幡が上手くいってしまうとはな。我は八幡の傷心を慰めようと色々準備していたというのに。これでは一人オールナイトラブライブになってしまうではないか」

 

「嫌ならそんなのやんなきゃいいだろ?」

 

「何を言う、ちゃーんと八幡の分までサイリウムを用意していたのだぞ!ファンはいつでも心で応援を!はむぅん、えりぃーーーーちかぁーーーー!今日も尊ぉーーーーい!」

 

「おい、やめなさい」

 

「もう先輩、そんな材津先輩は放っておいて、何があったか教えてくださいよ。私たちは結衣先輩に泣きながら助けて助けてって相談されて、色々頑張ったんですからね」

 

「はわわわ……い、いろはちゃん、それ言わないでも……」

 

「そうなのか?」

 

 慌てる結衣に聞くと、めっちゃ気まずそうに小さくうん、と頷いた。

 

「そうか……悪かったなみんな。迷惑かけた」

 

 そう言って頭を下げたのだが、一色たちは、

 

「あ、べつにそんなの良いですから、何があったか教えてくださいよ。よっぽど大変だったんですよねー? そもそも拗れた原因はなんですか? 浮気ですか? それともお金の使い込み? まさか、他所に子供ができちゃったとか? 先輩はいったい何をしちゃったんですか?」

 

「は? んなわけねーだろ。そもそもなんで全部俺が原因みたいな言い方なんだよ。そんなことするわけねーだろ」

 

「え? だって、結衣さんは『もうだめだ、ヒッキーのこと考えられない。もう死にたい』とまで言っていたのよ。よっぽどのことがあったと思うのが当然ではないかしら?」

 

 そんな一色と雪ノ下に言われ、俺は正直に話す方がいいと感じた。だから隣の結衣へ、説明してやれと目で促した。

 結衣はこくりと頷いて二人を見る。

 

「うん、ゆきのん、いろはちゃん、心配かけて本当にごめんね。あたしね、ヒッキーのことずっと好きだったはずなのにね、最近全然ドキドキしなくなっちゃってたの。もうそれがすごく死にたいくらい悲しくて。でもね、さっきヒッキーがあたしに『大好きだ』って言ってくれて、なんかすごく幸せな気分になれてね。信じられないくらいドキドキしちゃったの。それで、あ、あたしまだヒッキーを好きでいられるんだ。これからも一緒に居ていいんだって思えて凄く嬉しかった。もう本当にみんなのおかげ。本当にどうもありがとう……ってあれ?」

 

 改めて説明されるとなんか物凄くむず痒かったが、これで俺たちの決着はついたわけだ。そうなんだが、どうも聞いていた雪ノ下達の様子がおかしい。

 さっきよりも鋭いジト目になっているし。

 

「えーと、結衣先輩? つまり、今回の原因は、先輩の浮気でも、暴力とかそんなんではなくて、ただ、結衣先輩が先輩を見てもドキドキしなくなったのが原因……ということでいいですか?」

 

「うん、そう!」

 

「もうひとつ補足して聞いておくわね? 比企谷くんと由比ヶ浜さんはずっと同じアパートに住んでいるようだけれど、何日おきくらいに会っていたのかしら?」

 

「えーとね、だいたい毎日会ってたかな? ヒッキーが一日バイトの時は、駅まで迎えに行って、そこから家まで少し居るくらいだったけど、えへー」

 

 と、屈託なく笑う結衣。

 

 そんな結衣の顔を、だだだーっと近づいてきた一色と雪ノ下ががっしとつかんだ。そして、

 

「「それは、ただの『倦怠期』よ(ですよー)ーーーー」」

 

「い、痛い、痛いよ二人とも。ぐりぐりはやめてぇー」

 

 おおぅ、あれは痛いやつだ。

 

「って、なんで倦怠期なんだよ。俺たちはつきあってなかったろうが」

 

「はあはあ……、バカなんですか先輩は。付き合う付き合わない以前に、それだけ毎日顔会わせてたら、恋人どころかすでに家族じゃないですかぁ、っていうか、その結衣先輩の感じだと、もう夫婦ですよ、夫婦‼」

 

「「夫婦!?」」

 

「ふう……まったくその通りね。まさかそんなデレデレ状態だったとは夢にも思わなかったわ。ドキドキしなくなった? 当然ね。人の恋愛感情のメカニズムは単純で、カーッと熱くなる一目ぼれ状態はその瞬間を頂点にして尻つぼみで最長3年しか持たないと学術的に証明されているわ。ちなみに由比ヶ浜さんは比企谷君に恋をして何年目なのかしら?」

 

「え、えーと、好きになったのは高校2年のときで……えへへ……いやだヒッキー、こっち見ないでよ……、あ、ご、ごめんゆきのん、いろはちゃん!おしぼり投げないで‼え、えとね、今大学2年だから、ちょうど3年……あ」

 

「ということよ。むしろ、3年目でまだドキドキがあったというなら、それこそ奇跡だわ」

 

 なんというか雪ノ下の恋愛脳解説ですべて腑に落ちてしまった件。

 

「つまりあれか?要約すると、結衣が俺に対してドキドキする感情が減って怖くなったから雪ノ下達に相談したと。で、戸塚だよな多分、このスキー場のクリスマスの誓いのモミの木の話に乗っかって、今回俺と結衣の関係の修復をするためにこのツアーを開催したと。そういうことか……なあ、なんか別にここまで来なくてもよかったんじぇねえか?」

 

「「「「お前が言うな‼」」」」

 

 おっしゃる通り、ごもっとも。

 

「ほら、でもこれで全部解決。丸くおさまったんだからさ、スキー旅行最後の夜を楽しもうよ。雪ノ下さんも、由比ヶ浜さんも、一色さんも、八幡も、材木座君も。ね、ちょっと遅くなっちゃったけど、レミちゃん達が食事作ってくれているし、いっぱいいろんな話をしようよ。レミちゃん、食事をお願いしまーす」

 

 と、可愛い戸塚がみんなの前で音頭をとる。うーん、本当にとつかわいいなぁ。うん。

 はーいと厨房から声がして、じゃあ食事だなと、めいめい動き出したところで俺は結衣に声を掛けた。

 

「それにしてもお前、一人であんな真っ暗なところにいて怖くなかったのか?」

 

「え?一人?ううん、違うよ。あたしの隣の方にもう一人待っている人いたでしょ?金髪の綺麗な外国人の女の人」

 

「え……?」

 

 その時、レストランの入り口のベルが鳴った。

 

 ちりんちりん……

 

「やあ、遅くなったね、みんな本当にごめんね」

 

 声がして開いた入口のドアの方を見やれば、もこもこのダウンのコートを羽織った頭の禿げあがったおっさんの姿が。

 

 だれ?

 

「あーー!もう遅いですよ、おじさん。私一人で本当に大変だったんですからね」

 

「いやあ、すまんすまん。どうしても新規事業の引継ぎがうまく運ばなくてね、抜けるに抜けられなかったんだ。いやあ本当にすまなかったね。おや、あれ?ひょっとしてサイカ君か!?いやあ、びっくりした。お母さんにそっくりな美人に……あれ?男の子だったよね、あれ?」

 

 入ってくるなり、エプロン姿で料理を並べ始める小諸さんと戸塚に気安く話しかけてくる謎のおっさん。

 というか、なんだこの会話?何かおかしいぞ?

 そう思ったのは俺だけではなかったようで、戸塚も雪ノ下も驚いた顔に変わっている。

 

「な、なあ、戸塚。今小諸さん変なこと言ったよな。『私一人で本当に大変だった』とかなんとか」

 

「うん、言っていたね。それにあの人のこと『おじさん』って。でね、八幡、なんとなく思い出してきたんだけど、僕のおじさん多分、あの人だ。昔の顔思い出してきたし」

 

「で、では昨日、私たちがここに来た時にいらした、恰幅の良い優しそうな紳士は……」

 

「あのぅ、比企谷さん、本当に良かったですね。私的には微妙な感じなんですけどね。それより、どうしたんですか、皆さん、変な顔して。もう食事の用意できましたよ?」

 

 そう言って青い顔になってる俺達に声をかけてくるのは小諸さん。

 俺達はお互いの顔を覗い合ったあとに、思い切って聞いてみることにした。

 

「な、なあ、小諸さん。昨日小諸さんがここに来た時、キッチンにもう一人いたよな?山男風の身体の大きな人?」

 

「え?そんな人いませんでしたけど?」

 

「「「「!?」」」」

 

 その瞬間俺達全員は、その場で腰を抜かしたのだった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 これはあの後、おじさん(本物)に聞いた話だ。

 

 このスキー場に伝わる、クリスマスの愛の伝説は、あのモミの木の下で愛を交わすと『その愛が永遠のものとなる』というのは今の解釈であり、本来は『あの木の下で二人が別れても永遠に思い合い続ける』という話が本来の内容であったらしい。

 そのもとになった説話を聞いた。

 

 昔、このスキー場が出来る大分前、この辺りの山村にはアメリカから海を渡ってきた宣教師の家族が住んでいた。

 山村で排他的な典型的な田舎の集落であり、そんな異邦人に対しての風当たりは相当に強かったらしい。

 そんななかだが、村人を束ねる村長はかなりの人格者であったらしく、外国人の宣教師のことも篤くもてなしたのだという。

 その宣教師には幼い一人娘がいた。

 その髪は輝くブロンドで、瞳は煌めく宝石のような青、まるで天女の様に美しかったのだと言われている。

 そして、村長のところにも年若い青年が。

 村長に似た気立てのいい一人息子がいて、なにかと宣教師一家の世話をあれやこれやしていたようだ。

 家を行き来するうちに、その年の離れた娘と青年はやがてお互いを好き合うようになっていった。

 何年か経ち、娘が大きくなったころ、二人は大きな時代の流れに翻弄されることになった。

 戦争が激化したのだ。

 当時の日本は米英との開戦のため、国内での米国人に対しての風当たりがますます強くなってきていた。

 それはもともと内向的であったこの集落でも顕著に表れることとなり、以前から住んでいたとはいえその姿は外国人のそれ。宣教師の家族は次第と迫害されるようになっていた。

 そのころ、元村長の息子は、なんとか宣教師家族が無事にすごせるようにと、地元の人を説得してまわったり、協力を仰いだり努力を続けていた。だが、もはや個人の力でどうすることもできず、そして、いつしか、彼は疲れ切ってしまい、好き合っていたはずのその娘とも会うのを拒むようになっていった。

 彼女もそんな彼の気持ちをおもんばかり、逢いたい気持ちを必死に堪え、耐えていた。

 そんな中で事件が起きた。

 外国人というだけのことで、彼女は暴漢に襲われてしまったのだ。

 幸いにも通りかかった警察官のおかげで大事には至らなかったが、それを知った青年は激しく自分を嫌悪した。

 彼女を守れなかったどころか、彼女を避けていたという自分に悲嘆したのだ。

 だから彼は、それを決意した。

 彼女達宣教師一家を国外へと脱出させる。

 このまま日本にいても彼らが無事でいられる保証はどこにもなかったし、旧家の長男である自分がいつまでも非国民的な行動をとることはできない。

 多方面へと手をまわし、安全に彼らを脱出させる手はずは整った。

 そして、その脱出決行の前夜、クリスチャンにとって最も大切な家族と過ごすクリスマスの日に彼はあのモミの木の下に彼女を呼び出したのだった。

 青年はひげをたくわえた逞しい姿に、少女は見目麗しい美女へとその姿は変わっていた。

 彼は彼女にわびた。自分が彼女を拒み続けたことを、彼女を守れなかったことを。

 彼女は彼にわびた。自分のせいで彼を苦しめてしまったことを。彼を幸せにしてあげられなかったことを。

 そして二人はそこで誓い合ったのだ。この愛が永遠のものであることを。たとえこの先一生会うことが叶わなくとも、二人の心は永遠にひとつだと。

 誓い合った二人はそして、永遠に別れることとなった。

 無事にアメリカ行きの船に乗ることができた宣教師一家は、その航海の中で、潜水艦の魚雷によって船もろとも海の藻屑となった。

 彼らを脱出させた青年は、村の重役であったにも関わらずついに招集され、南方の孤島にて戦死することになった。

 青年の死後、彼の手記が見つかり、そしてこの宣教師一家との交流が明るみに出た。そして、彼が永遠の愛を誓ったそのモミの木のことも。

 

 以来、この村ではそのモミの木を『誓いの木』と呼び続けてきたのだという。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「あの時、あたしをずっと励ましてくれたのが、その好きだった女のひとだったんだね、きっと」

 

「ああ、そうかもな。俺は俺で、永遠なんてものはないんだ、人は変わっていくものなんだ、ってその人に教えてもらえたんだ。感謝してもしきれないよ」

 

「だね。でも……すごく悲しいお話だね。二人は今一緒に居るのかなぁ?」

 

「ああ……きっと……一緒にいるさ」

 

「うん……そだね」

 

 俺と結衣はふたたびあのモミの木の見える赤い屋根のロッジに来ている。

 昨日と同じように窓際のテーブルに座って、またパフェを食べた。

 が、昨日とはちがい、もう何も遠慮はしていない。ふたりで食べさせあったり、写メを撮り合ったりしている。もはやただのバカップルだ。

 今日は最終日、昼にはここを出発する予定だが、もう一度だけあのモミの木を見ておきたかった。俺と結衣が永遠の愛を誓い合ったあの場所を。そして、俺達をあそこまで導いてくれた、あの人たちの想い出の場所を。

 

「さてと、もうそろそろ行かないとな。戸塚たちも待っているだろうし」

 

「うん、ヒッキー……」

 

「なんだ?」

 

「また一緒に来ようね」

 

 にこりと微笑んだ結衣が俺の腕に抱き着いてそう言う。

 それにどう答えるかなんてもう決まっている。

 

「ああ、必ずな」

 

「うん‼」

 

 今度来るときは土産も持ってこなくちゃな。

 俺と結衣がどれだけ幸せになれたかって報告と……

 あんたの好きなワインとブランデーを必ず持ってくるよ。

 そう、モミの木を見上げながら、心の中でそっと呟いた。

 

 モミの木は、ただただ静かに、俺達を見下ろしていた。

 

 

 

 

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