『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(2)比企谷八幡は静かに決意する

『でもあたしはもっと知りたい、な……。お互いよく知って、もっと仲良くなりたい。困ってたら力になりたい』

 

 花火大会のあの日、俺は浴衣姿の彼女と一緒に歩いた。彼女は履き慣れない下駄に不自由しながら、俺はそれを助けながら。

 あの日……

 あの時、初めて雪ノ下の姉の陽乃さんから、雪ノ下のその時の状況を聞いた俺たちは、そのことを話していたのだが、彼女は一も二もなく雪ノ下を心配したのだ。

 距離を取るべきだ、と俺は考えていた。触れられたくないこと、知られたくないことは誰でもあると俺は知っていたから……

 

 でも……

 

『ヒッキー。もし、ゆきのんが困ってたら、助けてあげてね』

 

 俺が彼女を助けたように、雪ノ下のことも助けてほしいと……

 俺はきっと助けると……

 その言葉はその時の俺にはただの重荷でしかなかった。

 ただの知り合い、少し一緒に活動したことがあるだけの同じ部活にいる存在。

 そんな友達未満でしかない俺に、なんで期待をかけられるのか……

 なんで、そこまで信じられてしまうのか……

 それが俺には、苦しかった。

 

 そんな傲慢な彼女の物言いも、彼女の熱い眼差しも、なにより……

 

 彼女の期待に応えられる自信が全くない俺自身の弱さが苦しかった。

 

 でも、こんな卑屈な俺に彼女は言う。

 その時になれば、俺はきっと助けると…… 

 こんなにもひねくれた俺を信じて……

 

『だってヒッキー言ってたじゃん。事故がなくても一人だったって。事故は関係ないんだって。……あたしも、こんな性格だからさ。いつか悩んで奉仕部つれてかれてた。で、ヒッキーに会うの』

 

『そしたら、ヒッキーがまたああやってくっだらないバカ斜め下すぎる解決法だしてさ。助けてもらうんだ、きっと。それでさ、』

 

『それで、きっと……』

 

 その時、ヴヴっと、携帯の振動音が響いた。

 

『あっ……』

 

 彼女は震える携帯を見ながらも、話を続けようとしていた。それなのに……

 

『あたしは……』

 

 携帯、いいのか……

 

 俺が……俺が遮ったんだ。彼女の言葉を……

 

 あの時……

 

 彼女が続けようとした言葉……

 今ならなんとなく分かる気がする……

 きっと……

 

 彼女は望んだんだ、次の関係を……

 

 ただの知り合いではない、もう少し近付いた関係を……

 

 きっと……

 

 でも……

 

 

 

 

 あの時……

 

 

 

 

 逃げ出したのはやっぱり俺だった。

 

 

――――――――――

 

――――――

 

――

 

 

「いきなり現れて何を言い出すのかと思えば、そんな居もしない女性のことをなぜ私に聞くのかしら? 妄想と現実の区別もつけられないのならば、すぐに病院へ行くことをお勧めするわ」

 

 その時、俺の中の何かが弾けた。

 

 目の前の雪ノ下はいつも通りの澄ました顔。

 そう、ただそれだけだった。

 なんの感慨も、なんの動揺も見せないままに、誰よりも雪ノ下のことを心配していた彼女のことをそう言われ、その時俺は、絶叫していた。

 

 いつも笑顔で俺たちに接してくれた。

 誰よりも俺たちのことを考えてくれていた。

 俺たちの心に踏み込んでくれていたのだ……

 

 それなのに……

 

 どんな言葉を吐き出したのかは記憶にない。

 ただ、ただ……

 ひたすらに込み上げる感情をそのままに叫び続ける俺の目の前で、雪ノ下は恐怖に顔を歪ませていくだけだった。

 そして、次第にその表情が、自分の涙で見えなくなってきた頃、たまたま部室へやってきた平塚先生に俺は取り押さえられた。

 

 

   ×    ×    ×

 

 

 それからのことは、あまり覚えていない。

 『彼女』がいないという現実が信じられず、呆然自失となった俺は平塚先生の言葉もろくに理解できないままでいた。

 しばらくして深くため息をついた先生が、もう帰って休め……と言ったことはなんとなく分かったから、俺はそのまま鞄を担いで廊下へと出た。

 

 今朝から感じていた違和感。

 どことなくいつもと雰囲気が違うということを、俺は気がついてはいた。

 とは言っても、所詮ぼっちの俺に、そんな些細な違和感は分かっても、コミュニケーションをとれる存在がいないのだから確認のしようがない。

 ただ、いつもなら顔を合わせれば笑顔を向けてくれる戸塚には、目が合ったのにすぐに視線を逸らされ、逆に文化祭から特に酷くなったクラスの女子からの、俺を忌み嫌うような侮蔑の眼差しはまったく無くなっていた。というより、俺に興味がないという感じだった。

 そんな奇妙な感覚の中で、教室へ入って見れば、昨日とは違う席の配置。

 

 一瞬、俺がいないうちに、わざといじめで席替えをしたのかとも考えたが、そこまでして俺を嵌める価値はないだろうし、全員とくに普段と変わらずに騒いでいるし、俺の席もすぐに見つかった。

 

 だが、決定的に違うことがひとつだけあった。

 

 どこに視線を送っても『彼女』の姿がない。

 

 朝の出席確認でも、『彼女』は呼ばれることはなく、休み時間にいつもならワイワイガヤガヤとしているあの、葉山達のグループの中にもその姿はない。そして、誰一人としてそれに疑問を感じている風ではなかったことに俺は戦慄する。

 

 俺は一人奈落に落ちるような恐怖を味わっていた。

 

 昨日までは確かにあった『彼女』の後ろ姿。

 

 昨日、確かにあいつは俺に気恥ずかしそうに微笑んでいた。そして、『またね』と、いつもの様に笑顔で手を振っていた。それなのに……

 

 焦る気持ちだけが先に募り、ろくに授業を聞くこともできない。

 そして次第に膨れ上がる不安を抱えたままで、俺は雪ノ下へと詰め寄ったのだ。

 

 

 平塚先生から解放された俺は校内をさまよう。

 どこかに『彼女』の痕跡があるのではないか……

 

 『彼女』の最初の依頼をこなした調理室。

 戸塚の依頼で一緒に使用したテニスコート。

 一緒に昼飯を食べた、俺のベストプレイス。

 いつもあいつと歩いた部室までの廊下や階段。

 そして、そこにあるはずのあいつの下駄箱を見て、それが全く別人のものであることに俺は絶望した。

 携帯で電話してみれば、使用されてないと言われ、送ったメールはメーラーダエモンさんに送り返される。

 

 笑えない……

 本当に笑えない。

 

 誰も気がついていない。

 誰も覚えていない。

 

 彼女がここに居たという事実をどこにも確かめられないでいた俺は、いつの間にか、いつか浴衣の彼女を送り届けた、あのマンションの前に立っていた。

 

 俺はしばらくそのマンションを見上げたままでいた。

 『彼女』の部屋の番号など当然知らないし、急に訪ねていくだけの勇気もない。

 でも、なんとかしなければという焦燥感に駆り立てられ、そこに居続けた俺の前を、その女性が通りすぎたとき、俺は思わず声を出してしまった。

 

「ゆ、由比ヶ浜……?」

 

「は~い~?」

 

 くるりと振り向いた女性は、間延びするような柔らかい声音で返事をして俺を微笑みながら見る。

 見た目も、雰囲気も、似ていた……

 一瞬『彼女』かとも思ってしまった……

 でも……

 

「す、すいません、人違いでした」

 

 俺はすぐにその人に頭を下げた。

 いくら似ているとはいっても、別人。

 いきなり呼び掛けて、こんなに失礼なことはない。

 

 だが、その人は可笑しそうに『ふふふ』と笑いながら、俺に言う。

 

「あら? オバさんも由比ヶ浜というのよ~。ふふ、ナンパされちゃったかと思ったわ~」

 

「え?」

 

 俺はその言葉に絶句。

 そうか、間違いない。

 この人はきっと、『彼女』の身内なのだ。

 母親……ってことはないか、こんなに若いし、なら、姉妹は……いないと言っていたな……なら、従姉妹か……

 とにかく、これで、あいつが今どうなっているのか分かる。

 俺は、口の中がカラカラに乾いたままで、唾を飲み込んでその女性に問いかけた。

 

「あ、あの……このマンションに、俺、いや、ぼ、僕のクラスメートの『由比ヶ浜結衣』という子が住んでいるはずなんですが、ご、御存知ないですか?」

 

 背筋を流れる嫌な汗を感じながら、俺は恐る恐るそう問いかけた。

 彼女は微笑んだままで俺を見つめている。

 

 俺は、返事をじっと待った。

 

 そして……

 

 その女性は口を開いた。

 

 

 

 

「ごめんなさいね~、そういう子は知らないわ~。ここに由比ヶ浜は私たちだけだし~、うちには娘はいないし~……」

 

 

 

「あ、りがとう……ございました……」

 

 

 

 お礼もそこそこで、俺は振り返って歩き出す。

 

 足取りは重く、まっすぐ歩くこともできない。

 思考は停止したままで、もはや怒りや嘆きを表に出すこともない。

 ただ、ここまで探してきたことをひとつひとつ振り返りながら俺はある答えに辿り着いていた。

 

 

 そして、理解する。

 

 

 

 

 

 

 この世界から、『彼女』は完全に消えてしまった……

 

 

 と……。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 『彼女』が消えてしまってから、俺はあまり奉仕部の部室へは行かなくなった。

 何かのきっかけでまた雪ノ下を責めてしまうのも怖かったし、なにより俺自身がこの訳のわからない事態を受け入れたくなかったから。

 部室へ行ってしまえば、そこに『彼女』がいないという現実があるだけ。

 俺は暫くの間、無為に時間を過ごしていた。

 

 世界は確かに変わった。

 

 『彼女』がいないだけではなく、『彼女』と歩んだ数々のことが消えてしまっていた。

 身近なことで言えば、戸塚のことがそうだ。

 彼女が戸塚の問題の解決に乗り出そうとしたことがきっかけで、俺と戸塚は交友関係を築くことが出来た。

 だが、『彼女』のいない今は、俺と戸塚との関係はただのクラスメート。何一つ接点なく、ここまで来てしまっている。

 大きな違いで言えば、もうひとつ。文化祭だ。

 俺たちが身を粉にした文化祭のサポートは、この今の世界では何もしていないことになっている。

 というよりも、依頼そのものが存在していなかった。

 文化祭の実行委員長に名乗りを挙げたのは、うちのクラスの相模ではなく、他所のクラスの、本……本なんとかっていう男子だった。

 彼は生徒会長の城廻先輩と協力して、今までにない素晴らしい文化祭を執り行ったと平塚先生は言っていた。当然、そんなことは、俺は知らない。

 俺も、雪ノ下も、あれだけ傷ついてボロボロになって、乗り越えたあの文化祭自体が無くなってしまうなんて、冗談にもほどがある。

 そしてなにより、そんな思いを共有できる存在が、ここに誰一人存在していないことに、俺はこれ以上ない寂しさを感じるのだ。

 きっとあいつがここにいてくれたなら、俺に優しい言葉の一つでもかけてくれたのかもな……

 

「はやとくーん、今日のプレイもサイコーっしょ!これで今度の試合も余裕って感じ?」

 

「いや、戸部。それはないよ。とにかくみんなで練習頑張ろう!」

 

 おうっ! と、威勢の良い掛け声がグラウンドから聞こえた。空き教室で本を読みながらなんとはなしに見下ろせば、戸部と葉山のいるサッカー部の練習風景。

 

 うちのクラスのトップカーストを陣取る葉山達は、いつもと変わらず青春を謳歌しているように見える。

 あのグループにいるはずの『彼女』が存在していないにも関わらず、なんら変わらなく見える彼らに、俺の胸はチクリと痛んだ。

 きっと、人が一人いないくらいどうってことはないのだ。

 変わらぬ日常は、変わらぬ明日を運んでくるだけ。

 『彼女』の存在が消えたことの意味も知らないままでも、彼らの日常は繰り返されるのだ。

 それが当然。

 それが自然。

 そのことを俺がとやかく言ってしまっていいことだとは思わない。

 

 でも……

 

 

 それだけで本当にいいのか?

 

 

 俺の中の何かがそう囁く。

 

 この世界から消えてしまった『彼女』に目を向けることができるのは、記憶を失わなかった俺だけだ。

 

 今、この世界のなかで、唯一『彼女』の確かな存在を実感できるのは俺をおいて他にない。

 

 『彼女』の考えてきたこと。

 『彼女』が大切にしてきたこと。

 『彼女』がしたかったこと……

 

 お前だけが、あの娘の存在を証明出来る。

 

 不意に脳裏に浮かんだ『彼女』の笑顔に、俺は胸を締め付けられた。

 

 

 このままで良いわけがない。

 ああ、そうだ! このままで良いわけなんてないのだ。

 消えてしまった『彼女』の存在を、俺の手で全て消し去っていいなんてことはどこにもない。

 

 沸き上がるこの強烈な使命感に、俺は似合わないなと思いながらも、『彼女』の為に出来ることがあると思い付いて歓喜した。

 これにどんな意味があるのかなんて、どうでもいい。

 俺は一人で嘆き苦しみことよりも、なにかをすることで先に進む道を選びたかった。

 

 彼女の証明。

 彼女の生きた証し。

 

 それを俺が代わりに実現する。

 

「俺と一緒に居てくれ……由比ヶ浜……」

 

 俺は窓から外を眺めながら、静かに決意した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 修学旅行……

 

 俺たちの今回の目的地は京都。

 本来ならば、何の感慨も持たずに、観光地巡りをして一時の浮かれた満足感を得ることしかできないイベントなのだが、一歩踏み出すことを決めた俺にとっては重要な人生の分岐点となるのかもしれない。

 

「おい、戸部」

 

「あれ、比企谷(ひきがや)君?」

 

 新幹線のデッキで戸部を見かけて声を掛ける。他の奴同様に、やっぱり浮かれてはいるが、俺を見た戸部はしっかりと決意を固めた表情になっていた。

 

「あれ、役に立ちそうか?」

 

 俺の言葉に、戸部はニカっと笑ってサムズアップ。

 

「ホントに感謝感謝でしょう! あの『告白スケジュール』マジっべぇえーーー! ホント、っぱないわぁ!? 比企谷君には、感謝しかないわぁ」

 

「そうか……なら良かった」

 

「いやぁ、今回はぁ、隼人君もあんま協力してくんなくて、俺もマジでビビってたからこれは本当に百人力だわぁ」

 

「まあ、断っちまったとはいえ、もともとは依頼だしな。俺に出来ることはこんなことくらいだ。でもな、一つだけ言っておく。要はお前次第だ。どんな結果が待っていても、どんな未来に繋がっていても、どこに進むかはお前の行為で決まる。だから、流されるな」

 

「う、うん……でもなんか、それ聞いてちょっと不安になってきたぁ」

 

「不安を煽ってんだよ、俺は……後悔はしたくなかったら、これだけは覚えていてくれ」

 

 俺は息を深く吸い込んでから言った。

 

「……もう二度と機会は来ない……もう二度と、目の前の彼女には会うことが出来ない……だから、この言葉は今しか言えない。そう思って告白するんだ……そうすれば……」

 

 戸部はごくりと唾を飲み込む。俺はそれを見ながら続けた。

 

「きっと、想いだけは……届く」

 

 戸部は表情を引き締めて、大きく頷いた。

 

「おっしゃ、気合いはいったわぁ。ありがとう比企谷君! 俺、絶対やりとげてみせるわぁ!」

 

「おう、頑張れよ」

 

「それにしても比企谷君? そのアドバイスって、自分の経験? そんな過去あったん? そんなん見えないけど」

 

「大概失礼だなお前……まあそうだよ、そんな告白の経験はないな。女子と付き合ったことだってない。でも……」

 

 思い浮かぶのはあの笑顔。

 俺は窓の外に流れる景色に視線を移して話した。

 

「大事な奴を失ったことはあるから……」

 

 その言葉にどう思ったのか、戸部は急に動揺する。

 

「な、なんか、悪いこと聞いちゃってごめんなぁ」

 

「お前、なんか勘違いしてるだろ。別に気にしなくていいから、とにかくお前が頑張れ」

 

「うし! ホントサンキュー!」

 

 そう言って笑顔で席に戻る戸部を見ながら、俺もホッと安堵に胸をなでおろした。

 

 これで……良かったんだよな? 由比ヶ浜……。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 俺は戸塚の待つ自分たちの班へと戻った。

 そんなに仲も良くなく、もともと話すこともあまりしなかった俺がすぐに他人と打ち解けることは不可能だ。

 それでも、この連中は嫌な顔一つせずに俺と普通に接してくれた。

 俺は窓の外を見ながら、最低限の受け答えに終始してその時を過ごした。

 

 『彼女』の想いを俺が代わると決めたあの日、俺は戸部の為に告白までのシナリオを描いて、それを一冊のノートにまとめた。

 その名も『告白スケジュール』。

 目前に迫る修学旅行は、男女の関係を深めるには絶好の機会だ。

 吊り橋効果や、思い出共有など、男女ともに意識し合うにはイベントが多い。

 俺は、神にーさま宜しく、修学旅行の全行程をゲームに見立てて、告白までのチャートを作り上げた。

 ま、とは言っても、俺はこんな恋愛ゲームマスターなわけではなく、まあ、ちょっとラブでプラスな+さんを齧った程度だから、これで完璧などとは全く言えはしないのだが、それでも何もないよりはマシといった程度か。

 

 『彼女』にとって戸部も海老名さんも大事な存在のはずで、そんな彼らを大切に思うからこそ、きっと応援することを選ぶと俺は思った。

 だから、俺はこれを実行に移した。

 告白すると決意した戸部の為に、最善策のシナリオを作り、そして、決意が揺るがぬように念を押した。

 後は戸部次第だ。

 

 

 修学旅行の日程は何も問題も起きずに過ぎていく。

 問題が起こらないように先生達が目を光らせているからだろうが、戸部の様子は、別部屋、別行動の俺には全く分からないでいた。

 そして、ついに訪れた告白決行のその日、戸部が葉山を連れて俺の前に現れた。

 

「比企谷君! 俺、これから海老名さんに告白する。ここまで、ホント助かったわぁ。お陰でちょっとは、良い感じになったと思う……だから、最後ビシッと締めたいから、俺の応援に来て欲しいんだけど……」

 

「いまさら俺に出来ることなんかなにもねえよ。それに頑張ったのも、頑張るのもお前だ。別に俺は関係ねえ」

 

「それでも! そんでも比企谷君には見届けて欲しいっしょ。ここまでしてくれた友達には!」

 

「とも……だ、ち?」

 

 手をパチンと併せて俺を拝むようにする戸部にそう言われて、俺は後ずさる。

 今までこんなにすんなりと友人認定されたことのない俺には衝撃の一言だった。

 それもこのチャラい見た目の戸部にだ。そもそも全く接点なんかなかったし、少なくとも俺の記憶の中では俺はこいつらの笑い話の種くらいの存在だったはずだ。

 それなのに、こうもスルッと俺のうちに入られて俺は固まってしまったのだ。

 

 でも、

 

 悪い気はしない。

 素直に感謝されることも、友人として扱われることも……

 

 ひょっとしたら、これなのかも知れない。

 これが『彼女』がいつも見ていた世界なのかも……

 

 俺はそれを感じて、胸がじんわりと熱くなった。

 

「ま、まあ見に行ってやるよ……その……お前が振られる様を……」

 

「っべーーーー! そりゃないっしょー。ここは応援するとこっしょー」

 

 そう言いながら、笑顔の戸部に肩を叩かれて、俺はこいつらと一緒に外に出た。

 

 

 告白の場所。

 

 そこは俺が予めリサーチした竹林だった。

 

 修学旅行の行程の中で、唯一夜間に長い自由時間があって、さらにその宿泊場所の近くで雰囲気のある場所……

 戸部はそこに海老名さんを呼び出していた。

 

 戸部はその淡いライトで浮き上がった幻想的な竹林の中に一人で立ち、じっと彼女が現れるのを待った。

 

 俺は葉山達のグループに混ざって一緒に隠れて様子を伺う。

 不意に、これまで一言も話さなかった葉山が声を出した。

 

「なぜ君は、こんなことをしたんだ?」

 

「は?」

 

 戸部を見据えたままの葉山が俺にそう問いかける。

 

「なぜもなにも、最初に奉仕部に依頼してきたのはお前らの方だろうが」

 

「でもそれは、部長の雪ノ下さんが断った。それなのに君は独断で戸部の告白を手伝っている。なぜだ?」

 

 普段の冷静に見える葉山と違い、今の葉山は少し怒気を孕んだ声だった。

 

「お前が何を聞きたいのか知らねえが、戸部のやつは本気だった。それなら、応援してやって問題ねえはずだろ?」

 

 俺の言葉に葉山が答える。

 

「君は何もわかってない。不可能だと分かっていることに敢えて挑戦して、傷ついて痛みをうけることに、何の意味がある? そんなことをして今の関係まで壊れてしまったら、もう取り返しがつかない。君がしたのは、そういうことだ」

 

「はあ? お前、何を言って……」

 

 突然の葉山のその言葉に、言い返そうとしたその時、竹林の小径の向こう側から、海老名さんが現れた。

 彼女はゆっくりと歩み寄ると、戸部の正面で立ち止まる。

 戸部が大きく深呼吸するのが見えた。

 暫く会話もないままに見つめあった二人……沈黙を破ったのは、戸部だった。

 

「あの……」

 

「うん……」

 

「俺さ、その」

 

「……………」

 

 拳を握りしめて言葉を続けようとする戸部だが、そのあとが続かない。

 海老名さんはお行儀よく腰の前で手を組んで静かに聞いている。表情は透明で無機質な笑顔。

 また暫くの時間がすぎ、そして震えながら正面を見つめた戸部が再び口を開く。

 

「あのさ……」

 

 その時……

 

 俺の横の葉山が、突然立ち上がり、彼らに向かって歩み寄ろうとした。

 一瞬の動き……

 だが……

 俺は葉山が足を出そうとするよりも早く、咄嗟にその腰に飛び付き、葉山を押し倒した。

 

「な、なにしてんだ?」

 

「隼人くん大丈夫か!?」

 

 いきなり俺が葉山を押し倒したことに驚いて、俺たちと同じように隠れていた大和と大岡が近づいて、俺を引き剥がそうとした。

 俺は葉山に組みついたままで、小声で声をかけた。

 

「お前、今何をしようとした!? なぜ戸部の告白の邪魔をしようとする! 言えよ、葉山!」

 

 最初は簡単に振りほどけると思っていたのだろう、葉山は俺の腕を剥がしにかかっていたが、渾身の力で抱きつく俺を離せないと分かって、今は力を抜いている。

 そんな状態で葉山は言う。

 

「このまま、黙って戸部が傷つくのを見ていられない」

 

「っざっけんな、葉山!」

 

 その時……

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

 俺たちのずっと前方……海老名さんに向き合った戸部が、そう言って頭を下げるのが見えた。

 それを見て葉山は力無く項垂れる。

 俺はただ、じっとその様子を見守った。

 

 戸部が言ったその言葉。

 それは、俺が渡したノートに俺が書いた定型の告白の言葉だった。

 告白された海老名さんは黙ったまま、戸部を見つめていた。

 そして、暫くして口を開く。

 

「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」

 

 その言葉に葉山がため息をついた。

 

「こうなることは分かっていたんだ。彼女は距離を取っていたし、今心を開くとは思えなかった……」

 

 言いながら立ち上がる葉山は、寂しそうな表情のままで俺を見下ろす。

 そして、俺に手を差し出してきた。

 

 俺は……

 

 その手を振り払った。

 

「何様だ、お前。なんでお前がそんなことを決めるんだ。お前は戸部か? それとも海老名さんか? 違うだろ! お前があいつらの気持ちを語ってんじゃねえよ!」

 

「いや、俺はただ……」

 

 口ごもる葉山に俺は立ち上がりながら言った。

 

「それに、まだ終わっちゃいねえだろ」

 

「え?」

 

 疑問符まじりに顔を上げた葉山は目を見開いた。

 俺も、そっと首を二人に向けたとき、ようやく、あいつの想いが聞こえてきた。

 

「まだ話終わってねーよ、海老名さんっ!」

 

 そう叫んだ戸部の声に、去ろうとした海老名さんが再び振り返る。

 戸部は一歩足を踏み出して、言葉を続けた。

 

「俺、今までずっと海老名さんのこと見てた。海老名さんが、いつも空気読んで俺達に気を使ってるのも知ってる。それに、わざとふざけて際どいこと言ってるのも。俺、こんなチャラいキャラだけどさ、いっつもふざけてばっかだけど、海老名さんと居て超楽しかったんだ」

 

「とべっち……」

 

「でもさ、海老名さんが無理してるの、分かっちゃったんだ。みんなを盛り上げて、みんなを楽しませて、なんか必死に自分の場所守ってるみたいで……それさ、本当に楽しかったけど、やっぱ見てて辛くてさ。だから、俺も頑張った。いーっぱい頑張って、みんなを盛り上げて、海老名さんを笑わせて、みんなを笑わせて、それで少し楽になれたんだ。やっぱさ、いーじゃん? 楽しーの。俺、やっぱ、海老名さんの笑った顔が好きなんよ」

 

「………」

 

「俺、ホント頭悪いし、フザケてばっかだし、だから、こういう時なんて言って告白すればいーかわかんなくて、さっきは比企谷君に、教えてもらった告白の言葉言っちゃったけど、正直、あんなんで俺の気持ち伝わるとか思えないし、それに人の言葉じゃ海老名さんに失礼だと思ったし、だから、もう一度言い直します」

 

 あのバカ、俺の名前出しやがって……

 戸部はまた深呼吸をしてからまっすぐに海老名さんを見て言った。

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

 って、おま……

 

 ふざけてんのか大真面目なのか……、戸部はもう一度頭を下げた。

 それを呆然と見つめていた海老名さんは、そっと口許に右手を持ち上げる。

 そして……

 

「ぷっ……ぷくくっ……い、いやだ、と、とべっち、それ、さっきと一緒だし……」

 

「あ、あれ? っかしーな、ちゃんと俺が考えた言葉のはずなのに……」

 

 どうやら至ってまじめだったらしい。こいつアホだ。

 暫く笑っていた海老名さんが、表情を引き締めなおして正面の頭を掻いている戸部に向き直る。

 そして、言った。

 

「私、酷い女だよ。みんなに言ってないことばっかりだし、嘘もつくし」

 

「そんなの誰だって一緒でしょー。そんなんで俺は嫌いになんてならないし」

 

「それに、私面倒くさいよ?わがままだし、自分勝手だし」

 

「それに合わせられるの、俺しかいないと思ってるし」

 

「あと、男子同士がいちゃつくの大好きだけど、男の人と付き合うのは苦手だし」

 

「そ、それ言われても、期待に応えられないこともありそうだわぁ~、でも、俺は海老名さんのことならもっと頑張りたいって思ってるし」

 

「私、腐ってるから」

 

「なら、俺が消毒するし」

 

「ぷっ……ぷぷっ……」

 

「な……ん?」

 

 再び笑ってしまった海老名さんを前にして、戸部がうろたえてしまう。

 そんな奴を見ながら、海老名さんが言った。

 

「とべっち、必死すぎ~。これじゃ、もう私、何も言えないよ」

 

「あたりまえっしょー。俺、もうこれが海老名さんとの永遠の別れになると思って告白してるし。だから当然真剣だし、絶対付き合いたいし。っていうかぁ、付き合ってくれるまで、逃がさないし。全部が好きです。俺と付き合ってください。オナシャスッ!」

 

 その言葉に、彼女は目を丸くする。

 そして、再び微笑を浮かべた。今度は、本当に嬉しそうに……

 

「わかった……」

 

「え?」

 

 ふたりの間の空気が変わった。

 穏やかで、緩やかで、暖かで……

 そんな空気が漂った。

 

「うん、私、こんな風に告白されたの初めてだよ……こんなに嬉しかったのも……ありがとうとべっち……きっと私、とべっちに嫌な思いたくさんさせちゃうと思うし、絶対嫌われる自信あるの。でも、逃がしてくれないんだよね?」

 

「え? それって……」

 

 笑顔の彼女は言った。

 

「だから、これは期間限定。とべっちが私を嫌いになるまでのね」

 

「え? え?」

 

 まだ分からないのか、戸部の奴……

 反応の鈍い、戸部を見ながら、海老名さんはもう一度答えた。やさしく微笑みながら……

 

「”こちらこそ宜しくお願いします”。これでいい?」

 

 その言葉に戸部の肩が震える。そして……

 

「え? え? えぇーーー! ぃーーーーーーやったーーーーーーーーーーー!! ヒャッハーーーーーーーー!」

 

 歓喜に震えた戸部が、飛び跳ねつつ夜の竹林に吠えた。

 俺の目の前には喜び狂う戸部と、照れて頬を染める海老名さんの二人の姿がはっきりと映っていた。

 

 良かったな……戸部……

 

 想いの全てを言葉に乗せた戸部の気持ちが、確かに彼女に届いた。

 俺には、ただただ、それが嬉しくて、結ばれた二人を見続けた。

 

 そしてある人物の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

 きっと、これを見たら喜ぶだろうな……

 

 俺は今ここにいない彼らの大切な友人の『彼女』に想いを馳せた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「色々すまなかった……」

 

 ホテルに帰った俺に、葉山が頭を下げた。

 こいつがなんで謝るのか、その理由も当然わかる。

 でも、俺はそれを許してやりたいとは思えなかった。

 

 葉山が危惧したのは、行動することで変わってしまうその後のことを怖れてのことだ。

 戸部があのまま振られていれば、同じグループに居辛くなるし、それは海老名さんも同様に言える。そうなれば、人間関係も崩れてしまうし、今までと同じようにとはいかなくなる可能性もある。

 だが今回、二人は結ばれて、それはそれでグループ内にカップルが誕生することになったのだが、それで交友関係が崩れることはなかった。むしろ、今まで以上に打ち解けることが出来たように思う。

 

 あの後すぐに、俺を引きずり出した戸部が、海老名さんに向かって俺のことを恋のキューピッドなどと抜かして紹介しやがった。おかげで、いきなり彼女は『まさかの彼氏NTR!?』『禁断のとべはち!!』とか叫んで鼻血吹いて倒れやがるし。こいつ全然ぶれねえな、マジで。

 

 大和や大岡もすぐに戸部を囲んでお祝いムード一色になったし、あの時は葉山も笑顔で戸部たちを祝福していたが……。

 

 

 俺は葉山に言った。

 

「なんで戸部を信じてやらなかった? 戸部の想いは本物だった。なら、うまく行こうがどうだろうが、想いを遂げさせてやるのが筋じゃないのか?」

 

 葉山は首を横に振る。

 

「今回はたまたま上手くいっただけだ。もし、ダメならもっと酷い人間関係になっていたと俺は思っている」

 

「それは、お前の考えの押しつけだろう? 俺は付き合い長くねえが、戸部はいい奴だと思うぞ。それに、そんな程度で壊れる関係ならいっそない方がいいだろ。本音を言い合って、初めて本物の関係になるんじゃねえのか?」

 

「なら、君にはそれが出来ているのか? 失うのを怖いと思うことはないのか?」

 

 その葉山の言葉が胸に突き刺さる。

 そんなの当然怖いに決まっているし、失いたくなんてない。

 だけど、それよりなにより、俺は取り戻したかった。

 

「お前に言っても分かんねえかもだが、俺はもう大切なモンを失ってんだよ。だから、逆に俺はそれを取り戻したい。もう後悔なんてしたくねえんだ。なあ、葉山……お前が何に怯えてんのか知らねえけど、これだけは言っておく」

 

「………………」

 

 

 

「人の気持ち……もっと、考えてやれよ」

 

 

 

 全く動けず、全く答えることのできなくなった葉山を置いて、俺は戸塚たちの待つ部屋へと戻った。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 京都駅の屋上からは京都の街並みが一望できる。

 そこから古の神社仏閣と最新の近代建築の入り混じった景色を眺めながら、俺は人を待っていた。

 新幹線までの時間……他の連中はきっと土産を買ったり、修学旅行最後の時間を友人と思い出造りに費やしていることだろう……

 

「待たせたわね……」

 

 そう言われて背後を振り返れば、そこには、きっちりと制服に身を包んだ我が部の部長の姿。

 雪ノ下雪乃がそこに立っていた。

 

「いや、今来たところだよ」

 

「そう……あなたでも気を使うことができるのね。感心してしまったわ」

 

「おい、そこは『ありがとう』って微笑むとこじゃねえの?」

 

「あら、さっきからあなたをずっと笑っているのだけれど、心の中で」

 

「やめて! それ冷笑だから、傷ついちゃうから」

 

 まったく、いきなり何を言い出すのかと思えば、いつも通りの良く切れまくるリップサービスじゃん。ジャック・ザ・リッパーかよ、どこの殺人鬼?

 

「んで? 俺に話ってなんだ?」

 

「聞いたわ、戸部君の依頼のこと。あなた私に内緒で勝手に手伝ったそうね」

 

「内緒……というより、言わなかっただけだ」

 

「奉仕部として断ったのは、あの依頼が独善的過ぎて、手伝うに値しないと私が判断したからよ。なのに、それをあなたは覆した」

 

「い、いや、俺はただ、真剣だった戸部を助けてやりたいと思っただけで……」

 

「貴方がそこまで他人に尽くすタイプだとは思わなかったわ。いつも自分の我を通してしまうことは知っていたけれど」

 

「そ、それに……きっと由比ヶ浜ならこうするって……」

 

「またその話?」

 

「……」

 

 雪ノ下は、眉を吊り上げて俺を睨む。

 そして、怒りを露にしたまま、俺に詰め寄った。

 

「貴方の妄想の中の素敵な彼女が、いったいどれだけのことをしているのか、解らないし考えたくもないけれど、私……」

 

 雪ノ下は拳をぎゅっと握ったまま続けた。

 

 

 

「あなたのそのやり方……嫌いだわ」

 

 

 

 侮蔑、軽蔑、それと、もっと違う何かをもか、雪ノ下は明らかな嫌悪感をその瞳に宿したまま俺を睨む。

 そんな目で見ないでくれと、懇願したいのに、今の彼女にかけられる言葉を俺は持っていなかった。

 確かに俺は彼女に黙っていたし、今の彼女はきっとどんな言葉も聞き入れることは出来ないと、断じていたのは誰であろう、この俺なのだから……。

 

「そんなに、私のやり方が気に入らないのなら、もう部室へ来なくて結構よ。それじゃ……」

 

 雪ノ下は、それきりで振り返らずに階段を降りた。

 俺は……

 胸にポカリと空いてしまった喪失感に、ただ空を見上げた。

 

「はぁ……」

 

 あの暖かな日だまりの部室は、ずっと遠かった。

 

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