『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(4)約束を果たすトキ

 雪ノ下は生徒会長選に正式に立候補した。

 

 俺がその事を知ったのは、あの部室で仲違いしてから数日経ってからのことだ。

 正直に言えば、俺は少しホッとしていた。

 動機がなんであれ、雪ノ下が自分から進んで選んだ道であるのなら、俺はそれを認めたいと思っているし、応援したいと心から思っていた。それに彼女ならきっと、かつてない、誰よりも優秀な生徒会長を務めることができるだろうという実感もあった。

 

 ただ……

 

 それはきっと奉仕部の消滅を意味してしまうのだろう。

 

 雪ノ下が生徒会長になることで、一色いろはの依頼も達成され、そして、俺も約束通り部を去ることになる。

 もとよりそこまで嫌われてしまっているのなら、部を去ること自体別に構わないと思ったし、部に残らなくとも、雪ノ下を見守ることは出来る……

 『彼女』との約束は果たすことはまだ可能だと信じていたから。

 

 それでも、胸に残る違和感に、俺は不安を感じずにはいられなかった。

 雪ノ下は俺の知る雪ノ下とはまるで別人だった。

 あれほどまでに他人を拒絶し、自分の主義主張を押し通す性格だとは思いもしなかったのだ。

 

 俺の記憶の中の雪ノ下は、こだわりはあったにしても、周囲にあそこまで自分の意見を強要しなかったし、少なくともあそこまで拙速に自分を晒したりすることはなかった。

 いや、きっとその性分はもともとあったのかもしれないが、3人で居るときの彼女からそこまでの気配を感じることはなかった。

 

 俺には『彼女』が心の重要な支えになっていたように思えてならない。

 でも、今ここに『彼女』はいない。

 俺にとっても大切な存在……

 彼女の不在がこれ以上ない焦りを俺にもたらしていた。

 

 そして、そんな俺の不安は現実のものとなって現れることになる……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「比企谷君、一緒にメシ買いに行くべ」

 

「イヤだよ俺は、お前らだけで行けよ」

 

「連れないわぁ、寂しいわぁ」

 

 昼休みに入ってすぐに、今日も戸部が俺に声を掛けてきた。

 だが、俺はそれを一も二もなく拒否。

 もともと俺にはそんな馴れ合いの関係でつきあうこと自体が苦手だし、そうなろうとも思っていない。

 だが、戸部はこうやって毎回断っているにも関わらず俺に声をかけるのだ。

 こいつがどうしてこんなにナチュラルに俺に接するのかが不思議で仕方なかったが、それがそんなに嫌な気分でもないことに俺自身驚いていた。

 

「ねえ、八幡。ボクもいくから、一緒に行こう」

 

「え、戸塚も行くのか? なんだ、そうなら早く言ってくれ。よし行こう、すぐ行こう、二人で行こう」

 

「ちょ、ちょっと、比企谷くぅん、そりゃねえっしょ。さそったの、俺だしぃ」

 

「うるさいよ戸部、お前は海老名さんがいるだろ? だから俺は戸塚と行く」

 

「いやいやいや、校内でデートみたいなのやっぱハズいべ? 昼くらい男同士で行こうって~。その方が海老名さんも喜ぶし~」

 

「って、お前、何影響されまくってんだよ。それ聞いて余計に行きたくなくなったわ」

 

「あははは」

 

 そんな戸塚の笑い声を聞きながら俺は席を立った。

 戸部は、俺だけでなく、とうぜん葉山や他のグループのメンバーにも同じように接している。

 そのおかげなのか、みんな俺に多少気安く話しかけてくれるようになった。

 もっとも、俺に上手く話す自信がないから、簡単な受け答えに終始しているのだが。

 そして、戸塚だ。

 あの修学旅行で同じ班で行動出来た甲斐もあって、俺達は友情を深めることが出来た。お風呂とか、お風呂とか、お風呂とかで!

 なにせ、これだ。

 ついに俺は戸塚に名前で読んで貰えるようになったし。

 大分遅れてしまったが、神様本当にありがとう。これ以上の喜びはないデス。もう、戸塚ルートでいいと本気で思ったし。

 

 俺がこんな一般生徒のようなポジにつけたのは、戸部のフレンドリーさもさることながら、あの文化祭の一件が消滅したことが大きいと思う。

 俺はあの時、自信を無くし、甘え、すがり、逃げようとして仕事を放棄した実行委員長の相模を、舞台に戻すべく、葉山たち観衆がいる前で相模に罵声を浴びせて糾弾した。

 そうすることで、俺という『悪』が居たせいで相模が動けなかったのだと、奴に逃げ道を用意してやったわけだ。

 おかげで俺は、『頑張る委員長をつぶした極悪人』というレッテルを貼られ、学校中の嫌われものになったのだが、まあ、別段嫌われたところで、俺の生活がどう変わるわけでもない。

 そう考えた時、一瞬『彼女』の悲しげな顔が脳裏を過った。

 そう……確かに少しだけ、後悔はしたのだ……

 

 でも今は違う。

 あの文化祭は存在しない。そして、俺のあの悪評も。

 

 だからなのか、俺はこんなにも容易に戸部達と打ち解けることができた。

 

 こんな友人関係ってやつも、まんざら悪くないな……

 そんな感慨を持った俺はやはり世界に改変されかかっているのかもと、不意に沸いた不安に体が強ばった。

 

「それにしても比企谷君。比企谷君のいる奉仕部の部長の雪ノ下さん、あんま評判よくねえけど」

 

「え?」

 

 歩きながら戸部にそう言われて、思わず声を出してしまった。

 戸部は世間話でもするようにその話を続ける。

 

「なんか、いろんな男子と付き合ってるとか、4又5又くらいしてるとか、VIP相手に売春してるとか、なんか酷い噂ばっかだけど、あれ、マジなん?」

 

「ちょ、ちょっと、戸部くん……」

 

 戸塚が、戸部に何かを言いながら俺の顔を見て青くなった。戸部も同様だ。

 俺はいったいこの時どんな表情をしていたのだろうか……

 沸き上がる激情に俺は冷静に自分を振り変えることも出来なかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「雪ノ下を呼んでくれないかな」

 

 俺のその言葉を聞いて、目の前に立つその男子は卑しそうな笑みを浮かべた。

 そして、クラス全体に響くように声を張り上げた。

 

「雪ノ下さーーーん、また、男のお客さんだよーーーーー」

 

 そいつのその言葉を聞いて、その教室にいるほとんどの生徒がクスクスと可笑しそうに笑い出す。俺はその情景に激しい嫌悪感を受けながら、彼女が現れるのをじっと待った。

 異常だ。どうしてこんなあからさまな嫌がらせが起きているんだ?

 クラス中から向けられる好奇の視線の中を彼女はいつもと変わらず悠然と歩く。

 そして、俺の前に立ち言い放った。

 

「いったい何のようかしら? 貴方に話すことはもうないハズなのだけれど」

 

「いいから、ちょっとこっちへこい」

 

「ちょ、っちょっと、やめてくれないかしら……」

 

 あくまでいつも通り、高圧的に話す彼女の手を無理矢理掴んで、俺はそのまま廊下の窓際まで連れていった。

 そして尋ねる。

 

「お前……今いったい、どんな噂が流れているのか知ってるのか? なんでこんなことになってる? なんで対処しない? 言えよ、雪ノ下」

 

 彼女はそれでも態度を変えずに答えた。

 

「そんなことは貴方には関係ないわ。私はいつも通りにしているだけ……周りがなんと言おうとそんなことはどうでも良いわ。私には何もやましいことはないし、それを否定する必要性も感じていない。言いたい人には言わせておけばいいのよ」

 

「良いわけねえだろうが! お前生徒会長に立候補してんだぞ……完全にネガティブキャンペーンの的になってんじゃねえか。お前……このままだと選挙どころか、学校にも居られなくなるぞ」

 

「だから、なぜ貴方がそれを心配するの? 私とあなたは勝負の最中よ。それこそ、私が不利な状況なら、あなたは喜ぶべきではないの? でもおあいにく様、最後に勝つのは私よ」

 

 あくまで強気に、あくまで平静を装おうとしている雪ノ下は俺の話をまったく聞こうとしない。

 俺は焦る気持ちを必死に押さえ込みながら、言葉を選ぶ。

 今の雪ノ下を説得できる言葉……

 今の雪ノ下が聞き入れることができる言葉を……

 

「なあ、雪ノ下。お前、応援演説は誰がやるか決まったのか?」

 

 その俺の問いに一瞬彼女は怯む。

 だが、すぐに表情をもどして、俺に返す。

 

「そうね……すると約束してくれた人は居たのだけれど、さっき断られてしまったわ」

 

「そ、そうか、なら、俺がやってやる。まかせろ、俺がなんとかしてやるから……」

 

 その言葉に雪ノ下は目を丸くした。

 だが、そのあと、すぐに……。

 

「そう……そうやって私の妨害をしようというのね。でも、おあいにく様、もし誰も居ないのならば、私が自ら主義主張を明らかにすればいいだけのこと。むしろその方がスッキリするわ」

 

「お前……全然分かってねえじゃねえか。約束してくれた奴に反故にされるなんて、そういうの完全に四面楚歌っていうんだよ。なあ、今からでも遅くない。俺と一緒にもう一人候補者を擁立して、なんとか事態を収めよう」

 

 なるべく言葉を選んだハズだった。

 なんとか彼女を引き留めたかった。

 

 でも……。

 

「比企谷君……貴方はもう自分の勝利を確信しているのね。そうね、それならば、そんな見下した物言いも理解できる。でも……」

 

 雪ノ下は俺を再び睨んだ。

 

「貴方に自分から敗けを認めるのはまっぴらごめんだわ」

 

「………………」

 

 もはや、雪ノ下はなにも聞く耳を持っていなかった。

 そして、彼女はそれ以上何も言わずに教室へと戻る。

 あの居心地の悪そうな空間へ。

 

 俺は自分の無力さに歯噛みした。

 頑なに心を閉ざす彼女を、俺はどうにもしてやれないもどかしさに……。

 

 

   ×   ×   ×

 

 あのあと、俺はすぐさま平塚先生のもとに走った。

 そして尋ねる。いったいどうしてこんなことになってしまったのか……と。

 先生はため息まじりに教えてくれた。

 最初のきっかけはなんだったのかは良く分からないようだが、雪ノ下が立候補する段になって、彼女は自分のクラスで推薦人や応援演説をしてくれる人を探した。

 そこまでは良かったようだが、今までろくにクラスの奴とコミュニケーションをとってこなかった雪ノ下は、選挙に対しての姿勢の違いなどでクラスの大部分と対立してしまったようだ。

 後は推して知るべしと言ったところか……

 退くことも、顧みることも難しい雪ノ下には、一度拗れた人間関係の回復は難しかった。それでもまだ、彼女の味方をしてくれる人もいたようだが、今度は雪ノ下が逆にその子達を拒絶。

 たぶんいつものボッチ特有の癇癪を起こしてしまったのだろう。

 そして、それに輪をかけるように、もともと高嶺の華として憧れる存在であった雪ノ下が失墜したことで、これまで彼女に好意を寄せていた男子がこぞって彼女の排斥に動いたようだ。多分だが、雪ノ下に袖にされたり、軽くあしらわれた経験があったのだろう。

 とにかく、彼女はクラスのほとんどを敵に廻してしまったようだ。

 先生はそれの解消に動くべく、ひとりひとりに指導を進めているようだが、肝心の雪ノ下があれでは進むものも進まない。

 最後に先生は何かを俺に言おうとしていたが、結局はなにも話さなかった。

 いったい、何を言おうとしていたというのか……

 俺は目の前に立ちふさがった大きな問題に再び苦しめられることになった。

 

 

 その日の帰り、俺は真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、ひとりフラフラと千葉駅の周囲をぶらついていた。

 本来なら、本屋を冷やかしたり、ゲーセンで上海に勤しんだり、マンガ喫茶で甘いコーヒーをひたすら飲みながら、渋くてダークなJ〇J〇の第一部を読みまくったりしようものだが、今はとにかく気が滅入り何もしたくなかった。

 

「はあ……」

 

 傾いてきた日差しの中、俺はさ迷うのに飽きて、ジェントルメン御用達っぽい名前のドーナツショップへと入った。別に、紳士でなくても入店は当然できる。

 適当に見繕って購入し、それを持って2階に上がると……

 

「げっ……」

 

 階段を上ったその先には、真っ直ぐこちらを見るニットのカーディガンを羽織ったロングスカートの美人、雪ノ下の実の姉、雪ノ下陽乃さんがそこにいた。

 これは厄介な人に会っちまった。

 いや、でも落ち着け。この改変された世界では俺はこの人には遭遇したことはないはずだ。

 だから、あくまで赤の他人を装って適当にしていれば、あの人は関わってこない……と思う。

 俺はそう考え、視線を逸らしつつ、雪ノ下さんからかなり離れた窓際のカウンター席に腰を下ろす。

 と、同時に隣にも誰かが座ったので、なんだよ、邪魔だなと思いながら顔を向けると、そこに居たのはまさかの雪ノ下姉。にこにこ微笑んで俺を見ているし。

 

「無視することないでしょ? 連れないなぁ、比企谷くんは」

 

 あ、はい、初対面じゃなかったんですね。

 

「なんすか? 俺に用はないでしょ?」

 

「おろ? そんなことないよぉ。聞いたよぉ、雪乃ちゃんが生徒会長に立候補したこと」

 

「え?」

 

 不敵な笑みを浮かべて俺を見る雪ノ下さんは、俺を探るように見つめてくる。

 いったいこの人は何を知ってるのだか。

 雪ノ下はあの性格だから自分からこの姉に相談するとは思えないし、となれば、関係者……、そういえば、城廻先輩と雪ノ下さんは先輩後輩で仲良かったか……だったら、その線か……

 そんな俺の視線をどう感じたのか、雪ノ下さんは言った。

 

「そんな怖い顔しないでよぉ。可愛い妹が大変だって聞いたら当然気になるでしょ? で、比企谷君はどうする気なの?」

 

 そうか……雪ノ下の今の状況もある程度知っているのか……

 

「どうするもなにも、あいつが決めた事ですから、俺が言えることはもうないですよ」

 

「へぇー。比企谷君は雪乃ちゃんが自分でどうにかできるって思ってるんだ……」

 

「そ、それは……」

 

「まあね、比企谷君にはもともと関係ないもんね」

 

 その威圧的な物言いに、俺は心を揺さぶられた。

 

「関係なら……ありますよ」

 

「え?」

 

 俺の言葉に今度は雪ノ下さんが息を飲む。

 そして俺を覗き見るようにしながら、顔を近づけてきた。

 

「ねえ、それって……」

 

 そして、彼女がなにか言おうとしたその時……別の方向から声を掛けられた。

 

「あれ? 比企谷?」

 

 それは予想しないところからの、ざりざりと脳髄を削るような声だった。

 

 振り向けばそこには、うちの家からも近い海浜総合高校の制服に身を包んだ二人の女子高生。

 見慣れた姿ではないというのに、その声を掛けてきたパーマを当てたショートボブの女子の名前がすぐにわかってしまった。

 

「……折本」

 

 中学時代の黒歴史の代名詞とも言える彼女の出現が、俺の決心を固めるきっかけとなった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「え? 比企谷って総武なの?」

 

「あ、ああ」

 

 久々の再開と言っていいのかは別として、折本は中学時代と変わらずに俺に気安く接してきた。

 俺の暗黒時代。

 まだ男としても、ボッチとしても未熟だったあの時、俺はこの目の前の折本に告白をして振られた。

 それは勘違いと言ってもいいくらいの単純な思い込みからの見当違いな行為だったことを、今の俺なら理解できる。そして、その俺の想いは彼女に届いていなかったということも。

 あの告白した翌日、二人きりのときに言ったはずのあの告白は、クラス全員の知るところとなっていた。そしてそれをネタに俺は酷い言葉の暴力にさらされた。

 彼女に悪意があったわけではないだろう。でも、あの後のクラス全体からの疎外感は忘れることはできない。

 あの時、俺は理解したのだ。

 人は勝手に分かり合えることなどできないのだと。

 

 折本達は、陽乃さんと色々楽しそうに話し込んでいたが、急に別の話題を口にした。

 

「ていうかさ、総武高なら葉山君って知ってる?」

 

「ああ、まあ一応」

 

「マジ!? ねえ、紹介してよ、この子とか会いたがってるし」

 

「えー。わたしはいいよー」

 

 折本は隣にいる子を、肘でうりうりと突きつつ、俺に懇願する。

 そんな会話の中に、陽乃さんが割り込んできた。

 

「はーい、じゃあ、お姉さんが紹介しちゃうぞ!」

 

 そう言って、彼女は携帯電話を取り出して、葉山を呼び出したのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 暫くして現れた葉山は折本達二人と仲良さそうに話をして、時折、俺や陽乃さんにも視線をよこして、無難な会話を続けた。

 こういうとき、当然だが俺に出番はない。

 みんなが慕うイケメンリア充の前に割って入るような無粋な真似は決してしない。できないのではなく、しない。これ重要。

 そしてある程度話して満足したのか、折本達は立ち上がって帰ろうとしていた。

 

 葉山と話して幸せいっぱいといった感じのその友達が名残惜しそうに準備をしているその間、先に席を立った折本に声をかけた。

 

「なあ、折本。ちょっといいか?」

 

「あ、アドレス交換してほしーとか?」

 

「バ、バッカ、ちげーよ」

 

「だよねー、比企谷ならそう言うと思った。ウケるー」

 

「別にウケねーし……ちょっと聞いてみたいことがあっただけだよ」

 

 俺の言葉に折本はコクりと頷く。

 俺は真っ直ぐに彼女を見据えて問いかけた。

 

「例えば……お前のクラスで、お前がよく知らないクラスメートが、お前の友達とかに虐められてたらどうする?」

 

「なにそれー」

 

「いいから答えろよ」

 

 折本は口に人差し指を当ててうーんと唸る。

 

「友達を……止める……かな? でも、そんな経験ないから分かんないや」

 

 まあ、そうだろうな。

 微笑む彼女に邪気はまったくない。

 当然だ、彼女に悪気は一切ないのだから。俺はそれを知っている。

 たとえあの告白の後、俺が酷いイジメと疎外感に苦しんでいた事実があったとしても、それを折本が気づかなくても仕方ない。俺はひたすら一人で耐えていたのだからな。

 でも、俺が聞きたいのはそんなことではないのだ。

 俺はすかさず次の質問をした。

 

「なら、次の質問……まあ、これが最後なんだが……お前の目の前でその苛められている奴が殺されそうになったら……どうする?」

 

「え? 殺す、殺されるとか、マジヤバイじゃん! 警察、警察! すぐ逃がさなきゃ」

 

 こんな意味不明な質問に即答で答えてくれる彼女の人柄に改めて救われた思いになる。そして、狼狽えた感じの彼女の返事はまさに俺の期待通りのものでもあった。

 

「ああ、そうだよな……サンキューな折本、これで……覚悟が固まったよ」

 

 そう言った俺を折本は不思議そうな顔で覗きこんできた。その瞳は物珍しそうで、興味深そうで。

 

「なんかさ、比企谷変わったね。なんか格好よくなった……気がする。好きな人出来たでしょ」

 

 あっけらかんとそう話す彼女に俺は躊躇いなく答えられた。

 

「ああ、そう……かもしれないな」

 

「だよねー! ウケるー!」

 

 照れや恥を感じることもなく、俺は大切な二人を思い浮かべながらそう答えた。

 そうだ……

 俺はこんなことで足踏みしている場合ではないのだ。

 自分の過去の呪縛に縛られている余裕は一切ない。俺は今、自分のできることをやらねばならないのだ。

 

 折本達二人を見送ったあと、その場に残った陽乃さんと葉山の二人を見ながら口を開いた。

 

「俺は雪ノ下を助けたい。力を貸して欲しい」

 

 真顔でそう言って頭を下げた俺を見て、陽乃さんは真剣な表情に、葉山は面食らった顔に変わる。そして陽乃さんが俺を見つめながら言った。

 

「お願いするのはこっちのほう。今雪乃ちゃんが大変なのは知っているけど、学校の外からじゃどうしようもないの。だからお願い、雪乃ちゃんを助けてあげて」

 

 珍しく焦燥感を表に出した陽乃さんはそう言ったあと、ちらりと葉山を見る。葉山はその視線に一瞬身じろぎ、そして、苦しそうに俺を見た。

 

「比企谷……君がどうして雪乃ちゃ……雪ノ下さんをそこまで助けようとしているのかが俺には分からない。君と彼女に確執があることも知っているしな……でも……それは俺も同じだ。俺では彼女を助けることはできないこともわかっている。だから、比企谷……俺も協力させてくれ」

 

 二人のその答えに、俺は改めてまっすぐ見据える。そして言った。

 

「わかった。これから色々頼ませてもらうけど、その前に、ひとつだけ言っておく」

 

 俺は葉山に念を押した。

 

「なにが起きても、絶対俺を止めるな」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 俺は他のクラスの連中と一緒に講堂に移動してきていた。

 見渡せばゾロゾロとたくさんの生徒が入ってきているのが見える。みんな思い思いにおしゃべりをしたり、携帯を弄ったりと、いつもの全校集会とは違った雰囲気を醸していた。

 それもそのはずで、今日のこの場は選挙管理委員会主体で運営することになった、生徒会選挙の代表演説会。ここに教師はいないはずだ。

 講堂の壇上。そこにはすでに候補者の雪ノ下と一色、それと一色の応援だろうか、女子が二人後ろに控えていた。当然だが、雪ノ下は一人きりだ。

 

「なんか緊張するね、八幡」

 

「……ああ、そうだな……」

 

 俺の隣で戸塚が囁くのに俺は軽く相槌だけをいれた。

 一般の生徒からすれば、俺たちとほぼ同い年の奴が選挙に名乗りを上げることには畏敬の念にも似た感動が多少なりともあるのだろう。

 だが、そんな良い面だけが人の全てではないことを俺はもう知っている。

 そう……すでに、この会場のあちらこちらから、囁く声が漏れ聞こえてきているのだ。

 壇上の雪ノ下へ向けての……

 

「……ねえ……本当に一人でいるわ……」

 

「……よく人前に出れるな……」

 

「……恥ずかしくねえのかな……」

 

 まだ声は小さい。

 だが、そこに含まれた憎悪や妬みそねみの感情は膨大で、獲物を狙い、今か今かとその牙と爪を光らせていた。

 

 お前らに何がわかる。

 お前らが雪ノ下の何を知っている。

 

 悪意に晒された今の雪ノ下は、もはやどう足掻いてもこの出所不明の噂を払拭することが叶わないところまできてしまっていた。

 

 雪ノ下……

 

 俺は表情も変えず、ただ沈黙を守りながら壇上に佇む彼女を見守り続けた。

 

「えー、ではー、そろそろ生徒会長選挙の候補者演説を始めたいと思いまーす」

 

 マイクを持った城廻先輩が壇上にあがり、そう宣言する。生徒一同は、先生もいない開放感からか、やんややんやと囃し立てる。

 もともと人気のある城廻先輩だからこうなって当たり前だが、少し会場が落ち着いてきてから、先輩は声を出した。

 

「では、まずは2年J組雪ノ下雪乃さんからどうぞー」

 

 そう促された雪ノ下は、ゆっくりと立ち上がり、マイクへと向かった。

 

 雪ノ下……

 お前はいつも正しい……

 そして、いつでも誇り高く気高い……

 俺はそれを知っているし、お前にはそうであって欲しいと願っている。

 そして、いつかきっと、由比ヶ浜のことを思い出してくれると、俺は信じている。

 

 そう、俺は……

 

 

 ”お前を助けたい”

 

 

 彼女がマイクに向かってスピーチを始めようとしたその時。

 

「雪ノ下さーん、今日の夜のご予定は~?」

 

 群衆の中のどこからか、そんな間延びしたような声があがり、そして、クスクスと笑い声がこぼれる。

 

 そして、そんな声が少し収まったかと思ったその時また別のヤジが。

 

「淫乱生徒会長はいらねー」

 

 その声に、さっきよりも多くの笑い声が漏れ聞こえ始めた。

 

 雪ノ下がまだ一言も発するその前に、ついにその時は訪れた。

 

「なんで、人前に出られるのー」

「恥ずかしくないのかよ」

「総武の恥さらし」

「金持ちだから好き勝手やっても平気なのかよ」

「いったい何人と寝たんですかー」

「援交でいくら稼いだのー」

「ジャニーズとやったって本当?」

「もういいから帰れよ」

「なんでそこにいられんの」

「お前むかつくんだよ」

「お高くとまってんじゃねーよ」

「なんか言えよ」

「…………」

 

 

 群衆心理……

 赤信号……みんなで渡れば……怖くない……か……

 

 先生がいない開放感もあってか、過激な言葉が四方八方から飛び続けた。

 周囲を見れば、戸塚の様に萎縮して震えて肩を竦めている者もいるが、それとは真逆に、近くの奴と笑いあって、我先にと声を張上げるやつも多かった。

 まるで、自分の意見が一番正しいとでも言いたいかのように……

 

 救えねえ……

 

 こいつらは本当に救えねえ……

 

 お前らに、雪ノ下の何が分かる?

 

 お前らに、なんで雪ノ下を糾弾できる?

 

 声を張上げるお前らの誰か一人でも、雪ノ下の本当の姿を知っているやつがいるのか?

 

 こいつは、こう見えて猫とパンさんが何より好きだ。でも、それを好きな自分を知られるのが怖くて隠している臆病なやつだ。

 

 頭は良くて、いつも学年トップなのは、それだけ必死に勉強しているからだ。

 

 スポーツも得意でなんでもできるが、体力はなくてほとんど役にたたねえ。

 

 家が厳しくていつもその重圧に耐えて、でも、それでも負けじと踏ん張っているやつなのだ。

 

 友達は少ねえが、何よりその友達を大事に出来る奴で、不器用だけどそいつのためになんかしてやりてえと必死に悩んで、弱音は吐けねえくせに、でも、そいつから離れられなくて、そんで、そんな弱い自分を変えたいって必死にもがいてる奴なのだ。

 

 この有象無象のバカどもの中で、一人でも雪ノ下のことを理解しているやつがいるのか?

 理解して言っているのか?

 

 

 

 お前らに……

 

 

 

 

 雪ノ下を汚させはしねえ……

 

 

 

 俺はじっと壇上の雪ノ下を見つめていた。

 彼女は身じろぎもせずにただマイクの前に立っている。

 そして、誰も止めに入らないその群衆からは雪ノ下へ向けて帰れコールが沸き上がっていた。

 

 そんな中、雪ノ下が、マイクに話しかけようとしたその時、俺は大声で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女に向かって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ねよぉ! 死んじまえよ雪ノ下ぁ! このくそビッチがあぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キィィーーーンと甲高いマイクのハウリング音が響いて、今までの帰れコールが嘘のように静まり返る。

 熱に浮かされたように声を張り上げていた連中の顔からは笑顔が消え、今の声の主を探すように首をまわし始めた。

 

 

「なにが生徒会長だ!てめえみてえなくそ女に務まる分けねえだろうがぁ!!」

 

 

 俺は声を張り上げながら、群衆を掻き分けて前へ前へと進んだ。

 

 

「みんなの言う通りなんだろ? くせえ親父とセックスして楽しんでたんだろう? なあ、おい! 聞いてんのかよてめえっ!!」

 

 

 誰も俺を止めるやつはいなかった。ただただ俺が叫ぶ内容を全員が注視している。

 この時、俺が見据える雪ノ下の表情は明らかに激変した。俺の聞くに耐えない罵詈雑言の数々は確かに彼女の心を蝕み続けている。

 

 

「なにが部長だ。なにが部の方針だ! 全部てめえがやりたいようにやってただけじゃねえか! ふざけんじゃねえよ、俺はてめえの奴隷じゃねえんだよ。このくされビッチ!」

 

 

 俺は一歩、また一歩と壇上への階段を上る。

 

 

「もううんざりなんだよ雪ノ下。てめえのお陰で俺は万年貧乏くじだ。だからさ、さっさと死ねよ。消えろよ、むかつくんだよてめえぇ!」

 

 

 雪ノ下のすぐ正面に立って、俺は彼女に吠えた。

 彼女は……

 いつもの冷静な表情のままで……

 熱い滴をその両の美しい瞳から溢れさせ続けていた。

 

 いいぞ……それでいいんだ……雪ノ下……

 

「お、おい、あいつ……ちょっと言い過ぎじゃね」

「あれは酷いだろ……いくらなんでも……」

「ちょ、ちょっと、先生呼んできた方が……」

 

 俺たちの足元の方から、ちらちらとそんな声が聞こえてきた。俺はすぐさまその場にいる多くの生徒に向けて叫ぶ。

 

 

「ふざけんなよ、てめえら! てめえらだってさっきまで言ってたじゃねえか。今さら吐いた唾飲み込もうとしてんじゃねえよ。ほら、お前らも言えよ! 死ねよ、雪ノ下! 死ね、死んじまえ!」

 

 だがだれもそれには続かない。

 当然だ。

 誰が堂々と人の死を口に出来るものか……

 

 さて……

 

 仕上げといくか……

 

 

「なんで誰も言わねえんだよ! さっきはあんなに言ってただろ? 知りもしねえくせにあんだけ、ビッチだヤりマンだ言ってたじゃねえか! あんなうわさ、俺が流したただのデマだってのによ! お前らみーんな、俺のあの嘘で踊ってただけだ、ぶぁーーーーーーーーーか……くくっ……くくく……くはは…………」

 

 

 俺は笑った。

 

 心の底からこの目の前の愚か者どもを嘲り笑った。

 これは本心だ。だからきっと、今の俺は本当に愉快に笑っていることだろうな。

 

 その時……

 

 俺の体に衝撃が走った。

 

 

「比企谷君、いい加減にしろよ」

「おい、みんなで抑えろ」

 

 何人かの生徒が俺を押さえつけにかかる。

 その一人に戸部の姿があった。

 

 わりぃな戸部……

 お前、良くしてくれていたのに、このこと言わなくて……

 それから戸塚……

 そんなに悲しそうな顔すんじゃねえよ。

 せっかくの可愛い顔が台無しじゃねえかよ……

 

 

「はなせっ! はなせよっ! くそがぁっ! てめえらも同罪だろうが! あのくそ女にムカついてんじゃねえのかよ! いてえよ!はなせっ……」

 

 

 目の前の雪ノ下は、隣にいる一色に抱き締められながら、俺を見つめてその顔をくしゃくしゃにして嗚咽をあげていた。

 

 そうだ……それでいいのだ……

 

 これで……ようやく……

 

 

 

 

 

 お前を助けられる……

 

 

 

 

「死ねよ! ビッチ! 死ねよ! 雪ノ下!! 死ね、死ね! 死ねえぇ!!」

 

 

 

 わめき叫ぶ俺を周りの連中は殴り続けた。

 痛みも、苦しみも、全て俺は受け入れた。

 ただ……

 こんな俺を見て、きっと雪ノ下と同じように泣いてしまっているだろう、『彼女』を想い、それだけを後悔する。

 

 わりぃ、由比ヶ浜……

 

 でも、今回だけは許してくれ……

 

 俺はどうしても雪ノ下を守りたかったんだ……

 

 

 

「お前ら……やめろ、やめるんだー」

 

 駆けつけた先生達が俺たちの間に割って入り、この騒動は幕を閉じた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 これは後に聞いた話だ。

 

 この騒動の後、泣いて何も喋れなくなった雪ノ下の演説は中止。

 逆に一色は朗々と所信表明を行い、この会は幕を閉じる。

 そして行われた生徒会長選挙では僅差となってしまったが、一色が当選することになった。本来は圧倒的な勝利を一色に期待していたが、やはりというか、もともと優秀で人気もあった雪ノ下に同情票以上の票が加算されたらしい。もっとも、雪ノ下はもとより辞退するつもりではいたようだが。

 一番気になっていた雪ノ下のその後の様子については、噂がまるで嘘のように終息し、そしてクラス内でも彼女に同情する声が上がっているとのことだ。

 そして意外だったのは一色の交友関係の改善。

 元々はあいつを嵌めるためにクラスメイトが共謀した苛めが発端だったのだが、この異例の生徒会長選挙を終えてからというもの、クラス内での陰湿な苛めはなくなった様だ。

 まあ、そうだろうな。

 人を貶めた代償を目の当たりにしてしまえば、その境遇に自分から進みたいなんて思うことはまずないだろう。

 あれだけ惨めで、情けない姿を見ればな。

 

 そして、俺は……

 

 

 2週間の停学処分となった。

 

 

 人前であれだけのことをすれば、そりゃそうなる。

 ま、警察沙汰にならなかっただけマシなのかもだが、ばっちりあの暴言は動画で撮影され、それがかなりの範囲に拡散してしまっていた。

 それでも逮捕されなかったのは、雪ノ下の両親がこれを問題にしなかった為だ。

 そして、未成年のプライバシー保護ということで動画の削除も進み、今では完全なアングラ動画と化した。

 もっとも俺みたいな男の動画を楽しんで見るやつなんか……

 あ、いたな。

  

 身震いしながら、そんなことを考えつつ、腹が減った俺は冷蔵庫を開ける。

 でもすぐに食べられそうな物は無かった。

 

「うーん」

 

 とりあえず保温のままのジャーにはご飯がたっぷり入っていた。

 となればおかずになるもの……と、見回すと、テーブルの上には千葉のソウルフードが!

 

 

 

ピーンポーーーン……

 

 

 

 玄関のチャイムが鳴り、また宅配便かとため息をつきながらドアを開けると、そこには意外な人物が立っていた。

 

「こんにちは、比企谷君」

 

「雪ノ下……」

 

 俺は、柔らかく微笑む彼女に、思わず見惚れてしまったのだった。

 

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