『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
「こんにちは、比企谷君」
そう言って微笑む制服姿の雪ノ下は、うちの玄関前で、買い物袋を提げて立っていた。
「これは、あれか……目の錯覚か?」
「あいかわらず現実と妄想の区別もつかない腐った死体の目をしているということね、ゾンビ谷君」
「おおう、その毒舌、まさに雪ノ下、リアルだったか……ずっと家に居たからホントに妄想かと思っちまった」
「あら? あなたに妄想でこんな美少女を思い浮かべることが出来るくらいの創造力があったことに驚きだわ」
「それは褒められてんのか? ……っていうか、自分で美少女とか言うんじゃねえよ、痛すぎるから」
「あら、当然のことを言うことになんの問題があるというのかしら?それにこんなことを言うのはあなたの前だけなのだけれ……ど……」
言って、真っ赤になって俯くし……
そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしくなるじゃねえかよ。
「売り言葉に買い言葉で話してっから、そんな目に遭うんだよ。ったく、お前、頭良いんだから、もっと上手くやれよ」
「そうね、本当にごめんなさい」
「え?」
うつむいたまま、俺に謝る雪ノ下の雰囲気は一変していた。
彼女は頭を下げたまま動けなくなってしまっていた。
”ごめんなさい”
きっと、彼女は何をおいてもこの言葉を俺に言いたかったんだろう……
プライドがーとか、羞恥心がーとかの次元ではもうない。
彼女はきっと晴れることのない罪悪感を抱えてここに立っているのだ。
でも、もしそれを言うのならば……
「お前が謝るんじゃねえよ。むしろ酷いのは俺の方だ。あれだけ大勢の前でなんの根拠もない言いがかりで罵倒しまくって、あげく選挙も落選させちまった。マジで、最悪だ。だから、まあ……悪かった……よ」
雪ノ下はすっと顔を上げた。
そこには少し困惑したようなはにかんだ笑顔。
くっそ、なんでそんな可愛い顔しやがるんだよ。ドキドキしちゃうだろ……この前までのクール&キルの邪眼はどうしたんだよ!
まあ、ボッチ10段の俺には関係ないがな。
”気をつけろ 人の好意と 勘違い”
思わず川柳で標語作っちまったじゃねえか。
さて、さっさとお帰りいただくか。
俺は雪ノ下に向かって言った。
「だからそういうことで、もうこれで貸し借りなしだ。あと、謝りにきてくれてありがとうな、それじゃあ……」
言って家に入ろうとした俺に雪ノ下が声をかけてきた。
「上がらせてもらえないかしら?」
「はい?」
雪ノ下の声に思わず聞き返してしまった。
今、何か胸がトゥンクしちゃうようなことを言われた気が……
「だから、貴方の家に上がらせてもらえないかしら?せっかくここまで来たのだし、もう少し話したいし」
雪ノ下は頬を赤らめながら、俺を上目遣いでみながら言う。
だーかーらー、そんないきなりしおらしい態度になるんじゃねえっつーの!俺はかーちゃんの奴隷じゃねえっつー……、ま、まあいいか、別に……
「じゃ、じゃあ、まあ、上がれよ……散らかってるけどな……」
「ええ、ありがとう」
そう言って、雪ノ下は俺の脇を通って玄関に入る。
俺もどうしていいか悩みつつ、雪ノ下をリビングへと案内した。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
って、なんで『どうぞ……お嬢様』みたいに、執事風の対応しちゃってんだ……ハヤテ君か俺は! 相手がマジモンのお嬢様だからか? なんて流されやすい俺。
くっそ、もう調子狂うわ。
雪ノ下とリビングに入った俺は、とりあえず昼飯を食べる前だということを思いだして、こいつにも声をかけてやることにした。
「俺、これから飯食うんだけど、お前も食べるか?」
「そうね……私もご一緒させていただくわ。でも、何を食べる気なの?」
首をかしげる雪ノ下の目の前で、俺は茶碗にご飯を盛って、その上にぐにゅぐにゅっと魂の食べ物を乗せた。
それを見て雪ノ下が驚嘆する。
「ええ? あなたご飯に味噌ピー載せて食べるの?」
「はあ? 食べるに決まってんだろ? お前は食べないのかよ、味噌ピー」
「た、食べるわよ、味噌ピーくらい。でも、ご飯には載せたりしないわ」
「バッカお前、ご飯に味噌ピー、定番中の定番じゃねえか。給食で出ただろ? フリカケみてえに、小袋で」
小学校の頃は年中出てたな。うん。
間違いなく、みんなごはんに載せてたし。さすがにボッチの俺でも、こればかりは県民の常識だと言い張りたいとこだ。
「わ、私の通っていた学校では出たことないわ。それにそんな甘いのご飯に合うとは思えないのだけれど?」
「何気なく千葉の県民食ディスってんじゃねえよ。じゃあ、お前はどうやって食うんだよ」
「そうね……パンに載せたり……とか、そのままおかず……とか?」
「普通だな。それに、ちゃんとおかずとして食ってんじゃねえか。だから味噌ピーご飯でなんも問題ねえんだよ。いらねえんなら、俺一人で食べるからな」
「そ、そんなことは言っていないわ。そうではなくて……そう! それだけではきちんとした食事とは言えないということよ。まったく……すぐに用意するから、お台所を貸して頂けないかしら?」
「は? なに、お前飯、作ってくれんの?」
「ええ、もともとそのつもりでいたし、食材も少し買ってきてあるから……」
そう言って、手に持った買い物袋を掲げて見せる。
「い、いや、それはなんか悪いな……」
その俺の反応に、雪ノ下は微笑む。
「別に気にするようなことではないわ。さっきここに来る途中のお魚屋さんで、背黒鰯が安かったからちょっと、買ってきただけよ。何か簡単な物を作るわね」
「って、お前それ同級生の家に持ってくる物のチョイスじゃねえだろ。何『鰯』って」
「あら、私の想像通りの不健全な食生活をしていた貴方に言われたくはないわね」
雪ノ下は袋をキッチンに持っていきながら、制服の上着を脱ぐ。
別に、ただそれだけのことなのだが、女子が服を脱ぐのを間近に見るのはなんかソワソワする……
それから彼女は、鞄を開いて、中から青いエプロンを取り出すと、それを身に付けた。その胸元にはパンさんのアップリケがばっちりと自己主張している。
それをぼーっと眺めていたら、頬を朱に染めた雪ノ下に無言で睨まれてしまったので、すぐに視線を逸らしました。
なんか、これすげえ居心地悪い……
自分ちなのに!!
俺はとりあえず食べる前の味噌ピーご飯にラップをかけて、ソファーでラノベを読みながら待つことにした。
× × ×
『うわー、本だらけだね』
この部屋に入って由比ヶ浜はすぐに引いた様子でそう口を開いた。
まあ、由比ヶ浜は本をそんなに読まないだろうしな。こんなに本ばっかあれば、そりゃ引くだろう。
そんな由比ヶ浜は旅行に行くからって理由でうちに愛犬のサブレを預けに来ていた。
小町経由で!
なんで、俺に直接言わないのかは悩むまでもない。
俺が間違いなく断るからだ。
さすがに由比ヶ浜も俺の習性は掴んできているなと、なかば感心してしまったが……
彼女のどこか気恥ずかしそうな顔がはっきり見えて、胸がチクリと痛んだ……
本当にそうだったのか?
俺の習性を理解してたからそうしたのか?
由比ヶ浜はあの時、別の理由でうちにきたのではないのか?
俺は……
その理由を分からない振りをしていただけだったんじゃないのか?
脳裏に焼き付く由比ヶ浜の寂しそうな顔に俺の心は締め付けられる。
いつだって、俺ははぐらかしてきたし、誤魔化してきたし、逃げていた。
それだけは俺も理解していた。
そして、場面はあの夕焼けに染まる部室に変わる。
目の前の由比ヶ浜は、泣き出しそうな顔で俺を見ている。
『……なんでそんな風に思うの? 同情とか、気を使うとか、……そんな風に思ったこと、一度もないよ。あたしは、ただ……』
ただ……
あの後、彼女は何と言おうとしたんだろうか……
由比ヶ浜に誕生日のプレゼントを渡すときに言った不要な言葉。
俺はあの時、あいつの後ろめたさを消してやるつもりで、このプレゼントで貸し借りをなしにしようと、これで、関係を終わりにしようと提案した。
それを、あいつは反発したのだ。
当然……だったのかもしれない。
『これで終わりなんて……なんか、やだよ』
由比ヶ浜の思いはいつもひとつだった。
見ないふり、聞こえないふりなんかで消し去ることはできないその思い。
手を伸ばせば届いたかもしれないそれを、何もしないままで、俺は全てを失ってしまったのだ。
優しい女の子は嫌いだ……
だって……
この世界の何よりも大切な存在になってしまうから……
× × ×
ピピピピ……ピピピピ……ピピピピ……
「う……ん? あれ? 寝てた……のか?」
「あ……ご、ごめんなさい……」
ソファーに沈み込むような姿勢のままで、俺はキッチンの方に目を向けた。
どうやら、完全に眠ってしまっていたようだが、目を向けた先の雪ノ下の挙動に違和感を覚える。
良く見れば、その手には俺の携帯が握られていた。
雪ノ下は慌てた感じで弁解を始める。
「あ、あの……急にあなたの携帯のアラームが鳴り出したから、その……と、止めようと思って……」
しどろもどろの雪ノ下は俺にそう弁解した。
「あー、それはあれだ……たいしたことじゃないから気にすんな……」
「そう……あの、ご飯今出来たから、一緒に食べましょう」
「お、おう……」
そう言われて、テーブルを見れば、そこには様々な料理が所狭しと並んでいる。
味噌汁とご飯は言うに及ばず、色とりどりのサラダに、焼き魚に、酢の物みたいなものまである。
あ、なんか、ごはんの脇に味噌ピーが添えられているのには、『べ、べつに味噌ピー嫌いなわけじゃないんだからね! ふん』みたいなツンデレさんが見え隠れして微笑ましい。
「お前、ちょっと本気出しすぎじゃねえか?」
「そう? それほどの物でもないのだけれど……お味噌汁は背黒鰯を煮込んだだけだし、残った鰯をタタキにして、サラダは適当に葉物にミックスビーンズとアボガドのせてドレッシングしただけで、あとは秋刀魚を焼いたくらいよ」
おいおい……
そうは言っても、どれもこれも料亭で出てくるような盛り付けだぞ。
こいついったい普段どんなもん作ってんだか。
「はい、これ」
まじまじと食卓を眺めていた俺に、雪ノ下が俺の携帯を差し出してきた。
「ごめんなさい、見るつもりはなかったのだけれど……」
「ああ……ま、気にするな……」
おずおずと渡されたその携帯の画面には、俺がアラームと一緒にセットした文字が並んでいる。
そこに書いてある文字……
それは……
”由比ヶ浜結衣を思い出せ”
俺は頭を掻きながら彼女に答えた。
「まあ、そうは言ってもお前も気になるよな……わりいな、こんな気持ち悪いもん見せて……」
「気持ち悪いなんて……今は思っていないわ」
俺の目をまっすぐ見て、雪ノ下はそう言った。その瞳には決して他人を嘲るような色は無かった。
俺はそれに胸が熱くなるのを感じ、そして自然と笑みが零れてしまったことに気づく。
「サンキューな、雪ノ下。でも今はこのご馳走をいただくよ。せっかくの旨そうな料理がもったいない」
「そ、そう?そう言ってもらえると……作った甲斐があったわ」
気恥ずかしそうに俯きながら話す雪ノ下と一緒に、俺は食事をとった。
× × ×
雪ノ下の飯はめっちゃ旨かった。
正直今まで食べたどの料理をも越える旨さだ! と言っても過言ではないレベル。
まさかこいつの手料理を食わせてもらえる日が来ようなんて夢にも思わなかったが、それと同時に、味噌ピーご飯を食べた雪ノ下が『美味しい』を連発したのにはこれ以上ない至福を感じてしまったがな。うむ!さすが小鳥ちゃ……げふんげふんっ!
「いやあ、旨かった。お前マジで店開けるレベルなんじゃねえか?」
それを聞いた雪ノ下は、カチャカチャと食器を洗いながら微笑んでいる。
「そう? 喜んでもらえて、良かったわ……その……今の私には、こんなことくらいしか……出来ないから……」
俯いたままの彼女の表情は今は分からないが……声にはまったく力が無かった。
「だから……あれは悪いのは俺であってだな……」
「全部、聞いたわ……一色さんと葉山君と……姉さんから……」
「うっ……」
まあ、そんな気はしていた。
人の口に戸は立てられない。いくら俺があいつらを口止めしたところでそれはやっぱり不可能だったか……
それに……
あの結末になってしまったことを何より悔やんだのは、あの3人なんだろうしな……
俺はもう一度キッチンの雪ノ下に顔を向けた。
「お前……、そんなに気にしてるのかよ……」
「ええ……気にするなという方が無理よ……本当に……ごめんなさい」
室内に食器を洗う音だけが響く。沈黙が俺達を包んでいた。
俺は先程雪ノ下が淹れてくれた紅茶を口に運びながら思いに耽る。
と、いうか、本当に準備いいな、雪ノ下は……
まあ、いい。
あの時、あの生徒会長選挙の時までにしたことに俺は思いを巡らせた。
× × ×
結論から言えば、俺は葉山達3人を騙した。
だが、ただ単純に嘘をついただけではない。
もっと酷いことを俺はあいつらにしてしまった。
順を追って振り返るとしよう。
あの折本に遭遇したあの日、俺は葉山と陽乃さんの二人に計画を話した。
その時の主な内容は、こうだ。
『雪ノ下の悪評を払拭するために、全校生徒を説得したい』と……
そう言って、俺は葉山と陽乃さんを説得しにかかった。
もとより俺にそんなカリスマ性があるわけではないし、今までの俺の悪辣な解決方法を知っていれば、間違いなく二人は俺のこの提案を蹴っていただろう。
だが、目の前の二人はそれを知らない。
あの文化祭の数々の暴挙も、千葉村での非人道的な解決法も、それら全てはこの改変された世界では起きていないのだ。
というよりも、俺自体がほぼ目立つ行動に移っていないため、その時の二人には、『心から雪ノ下を心配する優しい同級生』という風にでも映ったことだろう。
そして、そもそも二人はこの時点で打つ手を無くし途方にくれていたと言った方が解りやすいのかもしれない。
葉山も陽乃さんも、もはや雪ノ下を説き伏せる言葉を持ち合わせていなかった。
それほどまでに頑なな決心の上で、雪ノ下は今回の行動に移ったのだ。
二人は一も二もなく俺に賛同した。
俺はそのあと、葉山を連れだって1年の一色の元に向かう。そして、彼女に、雪ノ下を助けるために、きっちり生徒会選挙に臨んでくれと頼んだ。
彼女はこれをどう受け取ったのか、『先輩達に貸しをつくれるなら頑張ります!』と、快諾。
実際の所は俺にとって一色の選挙の如何はすでにどうでもよく、選挙に勝とうが負けようが、雪ノ下の今の状況を回復出来さえすれば良いと思っていたから、俺は一色を手駒として使うことにした。
そしてここから……
まず陽乃さん経由で城廻先輩にネゴしてもらい、選挙の演説会に関しては生徒主体でやるようにお願いしてもらった。
これは、一重に俺の行動の邪魔が入らないようにするための配慮だったが、その辺りをどう陽乃さんから聞いたのか……城廻先輩は快く了承してくれたようだ。
それから、葉山に頼んで、特に雪ノ下の陰口を叩いている奴を数人探りだしてもらった。
葉山には、俺がその連中と話し合うことで事態の終息を図りたい云々とお願いしたわけだが、実際のところは違う。
快く応じた葉山は様々なつてを使って数人のアンチ雪ノ下を洗い出してくれたわけだが、俺は裏でそいつらと会い、そして金を渡してあることを頼んだ。
選挙演説の日に、誰よりも早く雪ノ下へ非難のヤジを飛ばしてくれと。
そう……
全ては俺が仕組んだことだ。
あの結果を導き出すために……
あの日……
あの演説会の始まる直線に、俺は一色と葉山の二人を呼び出して言った。
なにがあっても絶対俺を止めるな……と。
そして、今回に関しては、俺がみんなを説得するのだから、絶対に雪ノ下に何も喋らせるな……とも。
あの場で、一言でも雪ノ下が俺の言葉に反応すれば、俺と雪ノ下はグルとされ、全てが水泡に帰す可能性もあった。
一色はそれをよく理解していたように思う。
あの俺の罵声を聞きながら、一色は号泣しつつも雪ノ下を必死に抱き締め、なにかを囁き続けていた。
きっと、あの時、瞬時に俺の行動を理解してあいつは俺との約束を果たしてくれたのだろう。
そして、葉山……
葉山は動かないでいてくれた。
あいつの言葉の力は100人の凡人に勝る。
もし、あいつがあの時一言でも何かを訴えていれば、俺の決死の行動は徒労に終わっていたかもしれない。
いずれにしても、俺が頼んだ全ての協力者は俺の言をしっかりと守ってくれた。
そして、俺は……
そんな俺に信頼を託してくれた全ての人を裏切った。
『悪』を滅ぼすのは『正義』だ。
いつの時代であっても、これは否定しようのない真実であり、真理である。
だからこそ皆は『正義』を掲げる俺に協力してくれた。
だが、『悪』の数は多い。
毎週のヒーロータイムの怪人の様に、一人ずつならば正義は必ず勝つだろう。
しかし、そのヒーローの活躍の影で、必ず別の『悪』は蔓延る。そして、俺はそんなヒーローではない。
それを知っていたから、俺は『悪』を倒すもうひとつの方法を使った。
それは……
より強い『悪』によって、『悪』を吸収してしまうこと。
『悪』の権化が大魔王と揶揄されるように、小さな『悪』など、強大な『悪』の前では塵も同じ。
俺は、あの場にある全ての『悪』を俺の物とした。
それは、あの場の全ての人間の罪を解放し、そして、その罪を俺が一身に受けることで、全員を『正義』へと転じさせるほどの効果があった。
滅ぼされるべきは、いつの時代であっても『悪』なのだ。だから、俺は滅ぼされるべきだったのだ……
なぜなら……
俺は『裏切り』という、最大の罪を犯したのだから……
× × ×
「すまなかった」
「謝る相手は私ではないと思うのだけれど」
「そうだな……」
洗い物を終えた雪ノ下が俺の対面に座った。
そして、俺の空になったカップに紅茶を注いでから、自分のカップにも注ぐ。
そしてそれを手にしながら言った。
「あの後姉さんが、父や母に全て事情を説明したの。あなたがどうしてあんな無謀な行為に及んだのかも、うちの家族は全員理解してくれたわ。それと、平塚先生も……先生……泣いていらしたのよ」
「え?」
意外だった。
どんな時でも、男らしく切り抜けるあの先生が泣くなんて……あ、でも、自分の身の上考えては泣いているか……
「あなたと話した時に、貴方のことを止めるべきだったと後悔していらしたわ」
「ああ……あのときか……」
雪ノ下の現状を聞きにいったあの時、先生は何かを言おうとして止めていた。
それは、俺の心情を察して俺が無茶をするかもしれないと予期があったからかもしれない。でも、この世界では俺は多分まだ無茶をしていなかったのだ。まさか、ここまで俺が無茶苦茶だとは先生でも夢にも思わなかったのだろう。
「それから、城廻先輩も、一色さんも、葉山くんも、みんな酷く落ち込んでしまっているわ。みんな、何がいけなかったんだって……自分達を責めているの……でも、それもこれも全て私が原因だというのに……」
「それは違う」
俺は即座に雪ノ下に返した。
雪ノ下だって本来はこんな無茶をするやつじゃないんだ。きっとこうなるきっかけがどこかにあったのだ。そして、それは多分俺……
「もし、原因云々をいうのなら、お前だけじゃない。俺もだ。俺とお前の二人ともが悪い。だから、なんでも一人で抱え込もうとするなよ」
その言葉に雪ノ下は瞳を潤ませる。
「本当に酷い人……冤罪だというのに、あれだけの罰を受けておいて、その罪をまだ自分で持とうとするなんて……」
「俺はどうせこんなことしか出来ないやつだ。でも、そんな俺でもどうしてもなんとかしたい時はある。そして、それが今回だったってだけの話だ。だから、もうお前は気にするな」
「そうはいかないわ」
「何でだよ」
俺を見つめる雪ノ下は、その視線をまっすぐに俺に向けている。少し緊張しているのだろうか、肩に力が入っている様に見える。
そして、少し間をおいてから囁いた。
「私は……貴方に嫉妬していたの……」
「…………」
俺は黙って彼女の言葉を待つ。
雪ノ下は胸に手を置いて、思いを吐き出すように続けた。
「貴方はある時突然変わってしまったわ。話し方も、雰囲気も、なにより考え方が。私にはその変化に恐怖も感じたのだけれど、正直その後の貴方の行動の方がもっと恐ろしかった」
彼女の雰囲気は一変していた。
その言葉は普段とちがう熱を帯びているようにも感じる。
「貴方は私の思いもつかない方法で依頼を解決した。そして、友人と呼べるような存在をどんどん作っていった。私は……それを見てまるで取り残されてしまったようで……怖くて……貴方は、私と同じ存在であったはずなのに……」
身を捩る彼女の瞳には後悔の念がはっきり表れている。
きっと、悩み苦しんできたのだろう……
ずっと、一人で……
「私は、貴方に負ける訳にはいかなかったの……。私は、私を認めないこの世界を変えたかった。私の存在を知らしめたかった。でも、いつも上手くいかなくて……それなのに、貴方はいとも簡単に私を飛び越えて、手の届かないところへ行ってしまった……。私は……私は……、悔しかったのよ」
嗚咽混じりに吐き出すように言った雪ノ下は、肩を震わせながら涙を流していた。
後ろめたさに、酷い悔恨……雪ノ下のそれは間違いなく懺悔だった。
でも、そんな思いも俺にはよく分かった。その苦しみは俺がずっと抱えてきたものと同じであったから……
「簡単じゃなかったさ」
「え?」
俺はかつて友達とも呼べないクラスメート達と自分との、埋めることの出来なかった距離感を思いながら話した。
「俺はお前と同じ、ただのボッチだ。人が俺に向けるのは悪意だけだと思っていたし、人の行為には全て裏があると疑ってかかっていた。そうすることで自分を守ってきたんだよ、俺は。だけどな、それだけじゃないんだって教えてくれた奴がいたんだ」
雪ノ下は涙を拭いながら俺を見る。
「それって、もしかして……」
「ああ、由比ヶ浜だよ」
俺は自分の携帯の画面にまだ映る彼女の名前を見つめながら続きを話した。
「あいつはアホだし、頭悪いし、空気を読むしか取り柄のない奴だけど、いつも自分に正直で素直だった。こんな捻くれた俺やお前に、まっすぐに自分の言いたいことを言うやつなんだ。そんなあいつの言葉に何度救われてきたか……俺はな、雪ノ下……そんなあいつと、お前と3人でいる記憶しかもっていないんだ。それなのに、忘れそうになるんだよ……あいつのこと。それが、堪らなく苦しいんだ」
忘れたくなんかない。
俺にとって何より大事なあの奉仕部での3人の記憶。
俺が唯一持っていた、人との絆が確かにあった場所。
俺がこの時どんな顔をしていたのか……
雪ノ下は俺を覗き見ていた。
そして、彼女は言ってくれたのだ。
俺がもっとも聞きたかった言葉を……
「教えてくれないかしら? 私に……由比ヶ浜さんのこと……」
「え?」
その途端目頭が、ぎゅうううんと熱くなる。
今まで俺はずっと一人で耐えてきた。
ボッチだから平気だとか、そんなのは関係ない。
俺はずっと、この気持ちを共有したかった。
他の誰でもない、この雪ノ下と……
そう……俺は理解して欲しかったのだ。俺が一人でいることを。大切な存在を失ってしまったのだということを。
それが、漸くにも、『今』、叶う。
雪ノ下が俺を見ながら不思議そうに言う。
「なぜ泣くの? 私はそれほど変なことを聞いたつもりはないのだけれど」
「バッカ、お前!これは泣いてんじゃねえよ。こ、心の汗が目から出ただけだ」
「それを涙というのよ……相変わらずの捻くれ具合ね、比企谷君。ねえ、由比ヶ浜さんはどんな子なの? どんなことが好きで、どんなことを私たちとしてきたの?」
雪ノ下の瞳に涙はもうない。
純粋に俺にそう尋ねる彼女は、まるであの部室で、楽しそうに『彼女』とお喋りをするそれだった。
俺は不覚にもそれを思って涙を流しそうになり、慌てて目を擦って誤魔化した。
「よ、よし……なら、教えるぞ。なら、まずはこの携帯を見てくれ……こ、これにまだ由比ヶ浜からの着信メールとかが残っているんだ……」
俺は話した。
由比ヶ浜のこと……あいつの性格や、あいつが俺や雪ノ下につけたあだ名のこと、それに、俺達3人が巻き込まれた全てのことを……
俺達が積み重ねてきた全ての大切な思い出を雪ノ下に。
彼女はそれを興味深そうに、そして、驚きながらもじっくりと聞いてくれた。
この日、俺達は、随分と暗くまるまで……帰宅した小町が雪ノ下を見て腰を抜かすまで話し込んだ。
そう、俺はこの変わってしまった世界で初めて取り戻すことが出来たのだ。
あのかけがえのない日常を……。
この日、俺と雪ノ下の中に確かに『彼女』は居た。
笑顔の彼女が……
俺にはそれが何より嬉しかった。
『やっはろー! ヒッキー!』
彼女の明るい声が、俺にははっきりと聞こえていた。