『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(6)陽の満ちるこの部屋の中で

 つまりあれだ。男ってのは残念なくらい単純なんだよ。話しかけられるだけで勘違いするし。手作りクッキーってだけで喜ぶの。

 

 あー、俺、あの時相当ひどいこと言っちまったなー。

 そんな後悔を今頃するなんて、やっぱ、俺だなー。

 

 俺の言葉に拗ねた顔になった彼女は、色々文句を言ってきた。

 だから、俺は核心を言ったんだ。

 あいつが本当に相手に伝えないといけないことを……

 

 まあ、なんだ……。お前が頑張ったって姿勢が伝わりゃ男心は揺れんじゃねぇの?

 

『ヒッキーも揺れんの?』

 

 そうだ、あの時俺は何も考えずに適当に話しちまったんだな……

 

 あ? あーもう超揺れるね。むしろ優しくされただけで好きになるレベル。

 

『ふ、ふぅん』

 

 それから程無くして、彼女は俺にあのクッキーのようなものを投げて寄越したのだ。

 

『いちおーお礼の気持ち? ヒッキーも手伝ってくれたし』

 

 あの時の照れたような彼女の顔が忘れられない。

 俺はまったく素直じゃなかったな……

 内心ではもらえて本当に嬉しかったくせに、誰も見ていやしないのに余計なことしやがってくらいに思っていた。

 

 ああ、そうさ。いまなら分かる。

 あいつが何の為にあんなに努力したのか……

 気が付ないふりとか、聞こえないふりとか、そんなことで彼女の努力を全部無かったことにしようとしていた。

 一番卑怯なのは、この俺だった。

 怖がって、逃げ回って、まるで子供のように拗ねていた。

 それを自意識のなせる業だとか、勝手に良い方に解釈して、なんてことはない、単に向き合うことから逃げていただけ。

 結果を受け入れたくなくて、全ての努力を放棄したのだ。

 俺は、結局自分で大切な何かに手を伸ばしていかなかっただけだ。すぐそこにあって、掴むことの出来る距離にあったものだったのに、俺は自分から離れてしまった。

 

 でも……

 

 もし、もう一度そのチャンスが訪れるなら……

 

 その時こそ、俺は……

 

 

 

 

 きっと、手を…………。

 

 

――――――――

 

――――

 

――

 

 

「……先輩、せーんぱい!」

 

「ん……あ、ああ……」

 

 耳元で声がして顔を上げてみれば、そこにはエプロン姿の一色いろは。

 

「どーしたんですか? 疲れちゃいました?」

 

 そう言われて自分を見れば、壁沿いのイスで、壁にもたれ掛かる様にして眠っていたらしい。

 周りを見れば、そこかしこで笑顔でチョコを作る大勢の姿。

 

「ああ、わりぃ。寝ちまってたみたいだ」

 

「まあ、材料の買い出しとか頑張ってましたもんね」

 

「いや、一番に頑張ってたのは、俺じゃねえよ。サンキューな、一色」

 

「ふぇっ? なっ!?」

 

 雪ノ下が講師となってチョコの料理教室を開くと同時に、一色が人数を集めて生徒会のイベントにしちまいやがった。

 

 三浦や川崎のチョコを作ったりあげたりしたいという依頼を、雪ノ下がこのような形で解決しようと言った時は本当に驚いたが、今回は俺の出番はない。

 俺に料理は無理だし、そもそもバレンタインデーのチョコなんて家族以外からもらったことのない俺に、何が出来ようか。

 後ろを向いていた一色が、急に俺を振り返る。

 なに? なんだ怒ってんのこいつ? それに顔赤いし……そんなに熱いのか?

 

「ま、まあ……そうですね……先輩方のおかげでこんなに良い会が出来ました。ありがとうございました、と、いうことにさせてください」

 

「? お、おお……まあ、分かった」

 

「それよりも……えい!」

 

「んぐっ!」

 

 突然一色にチョコののったスプーンを口に突っ込まれた。

 なに、暗殺剣かよ!

 これ、毒だったら、即死だろ!

 

「お味はいかがですか?」

 

 きゃるんっ☆ とウインクした一色が俺にそう言ってくるが、当然旨いに決まっている。

 

「ま、ああ、旨いよ」

 

「ふふ、先輩のおかげで葉山先輩にもチョコ渡せましたしねー。これは、お礼ですよ、お・れ・い」

 

 そう言って、一色は俺にポンと可愛くラッピングされたチョコが入っているのであろう小箱を投げてよこした。

 それを慌てて受け取りつつ、一色を見やれば少し照れた顔をしている。

 俺はその時、一色に彼女を重ねて見てしまった。

 そして再び動けなくなる。

 

「先輩?」

 

「いや、なんでもない。ありがとうな、一色」

 

「どういたしましてです」

 

 そんなやり取りを見ていたのかどうか……壁沿いの方から大きな声が上がった。

 

「そう言えば、隼人は昔、雪乃ちゃんからもらったよね?」

 

 声の主は今日の講師の一人として来てもらった雪ノ下の姉、陽乃さん。となりにいる葉山に話しかけるようでいて、調理室全体に響くように通る声を張り上げた。

 それにその場のみんなが固唾を飲むのが分かった。

 目の前の一色もそうだ。

 かなり動揺しているのが見て取れた。

 そんなシンと張り詰めた空気の中、透き通るような涼やかな声音が響く。

 

「そうね。小学校に上がる前くらいに。姉さんに付き合わされて」

 

「懐かしいな」

 

 全く動じていない雪ノ下が、そう答えるのに合わせて、葉山もすぐに応じた。

 場の全体が安堵に弛緩を始めたかと思った次の瞬間、再び陽乃さんの声。

 

「雪乃ちゃん、今年は誰にあげるつもりなの?」

 

 またもや挑戦するようなそんな声に、緊張が増すかと思ったその時、

 

「渡したい人くらい、いるわ……ここに……」

 

 即答だった。

 俺を見つめる雪ノ下の瞳は真剣そのもので、でも、少し悲し気でもあった。

 

 俺は少しだけ胸に痛みを感じて、視線をそらした。彼女のまっすぐな瞳を見ていられなかったから。 

 

「……そっか、雪乃ちゃんはそうするんだね」

 

 ふうぅっ息を吐いた陽乃さんは、柔らかい表情で雪ノ下を見たあと、彼女に近づいて言った。

 

「もし一人分余ったらお姉ちゃんが貰ってあげる」

 

「嫌よ」

 

 その答えにどう思ったのか、微笑みを湛えた陽乃さんはすぐに振り返った。

 

「さってと……、仕込みもだいたい終わったし、そろそろ帰ろっかな」

 

 あ、待ってくださいー、と、一色が駆け寄って何事かを話していたが、彼女はしばらくして振り向いて雪ノ下に一言。

 

「またね、雪乃ちゃん……がんばってね」

 

 それがどういう意味なのか、雪ノ下は軽く頷いたあと、チョコ作りに戻った。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「お疲れさん」

 

「ええ……ありがとう……比企谷君……」

 

 着替えを終えて、表に向かってみれば、そこには壁ぞいに佇む彼の姿。

 片づけを一色さん達、生徒会の方が引き受けてくれたから私もそれに甘えたのだけれど、最後まで仕事を貫徹しなかった罪悪感が少しあった。

 それを見透かされてしまったのか、彼は優しく微笑んでいた。

 

「良いイベントだったな……お前のおかげだ、ありがとうな」

 

「そんな……わ、私は別に何も……」

 

「いや、俺一人じゃ、こんなことできやしねえよ。いつも助けられてばっかだ。本当に俺は……」

 

 そう言って彼は少し遠い目をする。

 

 また、彼女のことを考えているのかしら……

 

 私は鞄に入れた彼へのチョコに手を添えながら、でも、もう一歩近づくことが出来ないでいた。

 

 彼は変わってしまった。

 あの文化祭の後、突然部室に現れて泣き叫んで私に詰め寄ったあの日から……

 それまでの彼は、この世のすべてを憎んでいるかのように、怠惰で利己的で、全てのことを穿って見ていた。

 私にはそんな彼の気持ちなんてまったく理解できなかった。

 憎んでも……何も変わりはしない……

 変わらなければならないのは自分でなければならないのだから……

 私はそう、信じていた。

 

 それが……

 

 あの日……

 

 彼が彼女を探し始めたあの日から一変した。

 

 その時の私には、その変化は狂人の戯言の様にしか映らなかった。

 でも……

 彼がしたこと、彼が考えたこと、彼が教えてくれたこと……

 

 それまでの私には思いもつかなかったような手段で、彼は依頼を解決した。 

 正直言えば、わたしはそんな彼に嫉妬した。

 ひたむきに、真摯に、寡黙に……

 ひたすらに、依頼に、依頼人に向き合って前へと進んで行く彼が妬ましかった。

 私がしたことと云えば、努力する彼に罵声を浴びせ、嫌悪感を表情で表し、そして私の理想を押し付けていただけ……

 

 そんな彼が伸ばしてくれた手……

 

 彼はこんな私でさえも救い上げようとしてくれた。

 

 自分自身の受ける辛苦を省みることもなく……

 

 いつしか……

 

 私は、彼のことを想い慕うようになっていた。

 

 

 

「帰ろう……送るよ」

 

「ええ……ありがとう」

 

 ふたりで大分暗くなった道を歩く。

 

 彼は前を向いたままで特に話しかけてはくれない。

 でも、どこかで、これを渡さなくては……

 そして……

 そして私は彼に言わなければ……

 私が抱いている、この彼への想いを……

 

 でもなにも話せないままに時間だけが過ぎていき、そして、ついに私のマンションに着いてしまった。

 

 私は鞄の紐をぎゅっと握ったままで彼に笑顔を向けることしか出来なかった。

 出来なかった……私には……

 私には、やっぱり勇気がなかった……

 

「きょ、今日は本当にありがとう……じゃあ、おやすみなさ……」

 

「雪ノ下、これ」

 

「え?」

 

 突然差し出された彼の手には、ラッピングされた袋入りのチョコレート。

 

「こ、これは?」

 

「さっき、一色と一緒に少しだけ作ったんだ。まあ、男の俺が渡すのはなんかおかしいかな?とは思ったんだけど、お前には渡したかったんだよ」

 

 そう言って不格好なチョコを差し出す彼の表情は照れた感じで、私に向けてくれたそんな表情に胸が一気に熱くなる。

 

「ありがとう……大切に頂くわ……あ、あの……もし良かったら、わ、私の、ちょ、チョコも、貰ってくれないかしら……」

 

 言いながら、慌てて鞄のチョコを取り出して彼に差し出す。

 彼は、それを微笑みながら受け取ってくれた。

 

「ああ、さ、サンキュー……な……」

 

 その言葉に、ホッと安堵する。

 こんなに、焦ったり、ドキドキしたり、嬉しかったり、これがなんの気持ちからなのか私にはまだ良く分からない。多分、世間一般で言うところの恋とか愛とか言うものなのだろう……

 でも、それならば、その想いを伝えたところで彼に届くのかどうか……

 

 私は思い切って彼に切り出した。

 

 

「比企谷君……あなたを愛しているわ……」

 

 

 彼と私の間の時間が停まる。

 

 言ってしまってから、今口走った内容の重大さに気が付いて、脳内が沸騰でもしたように混乱してしまう。

 ど、ど、どうしてこんなことを言ってしまったのかしら……

 慌てて取り繕おうと、あれやこれや考え込んでいたら、急に目の前の彼が吹き出して笑った。

 それに呆気に取られながらも、私の告白を笑われたその羞恥がこみあげてきて、彼に詰め寄ってしまった。

 

「な、なぜ笑うのかしら?」

 

 彼はお腹を押さえてしばらくしてから顔を上げた。

 

「わ、悪い……笑うつもりなんかなかった。でも、すごくお前らしい不器用な感謝の表現だと思ってな」

 

「ち、違うわ……わ、私は本当に……」

 

 本当に……

 なんて言えばいいのだろう……

 彼を想うこの気持ちに嘘はないと思う。でも、それがどうしてこんな言葉になって喉をついたのか分からない。

 そんな不安を抱えて話せなくなった私に彼が言った。

 

「ありがとうな。お前にそう言われる日がくるなんて夢にも思わなかった。冗談でもうれしかった」

 

 その言葉に胸が締め付けられる。

 冗談なんかでは決してないのに。

 私の中で膨れ上がるあなたへの思いに嘘も偽りもないもの……

 

 でも……。

 

 私が想いを寄せるようになった今の彼に変えたのは、やっぱり『彼女』なんだろう。

 彼が教えてくれた、私の親友だったはずの彼女。

 私はそれを思いながら、彼に尋ねた。

 

「好き……なの?」

 

「それはよく……分からない……あいつと居るときに、そこまでの感情を持てるような関係にはなれなかった……でも……」

 

 誰についてかを言わないにも関わらず彼は即答した。もう、言葉にするまでもなく、私も彼も同じことを考えていたから……そして、彼は優しい言葉をくれた。

 

「大事なんだ。俺にとってなによりも……それは、お前も一緒なんだよ、雪ノ下」

 

「え?」

 

「今の俺があるのはお前達のおかげだ、感謝している。お前達がいなければ、俺はずっとどうしようもないただのひねくれ者のままだった。お前達がいなければ、俺はずっとぼっちのままで誰を信じることも出来ないままにいたはずだった。でも、俺が本当に欲しかったものはすぐ目の前にあったんだ。すぐそこにあって、俺が手を伸ばさなかったそれ……それがお前達なんだ。だからな、もう、失いたくなんかない。大事なお前たちとの関係は」

 

 私に気を使う彼の思いやりが伝わってきて、胸が苦しくなる。

 私には分かっていた。

 彼がいったい誰を一番に思っているのか……そして、その想いをどれだけ大切にしているのかを……

 

「でも……」

 

 ここには、『彼女』はいない。

 彼の知る私の親友はここには…… 

 

「もし、私だけを見て欲しいとお願いしたら、あなたは……、あなたはそうしてくれるのかしら」

 

 自分でも信じられないくらいに卑劣な言葉を私はついに言ってしまった。

 その言葉に彼がどれだけ傷つくのかを想像していたのにも関わらず、私は自分の気持ちを優先してしまった。

 

 彼は変わらずに微笑んでいた。

 その表情が、決して私のお願いを聞き入れてくれたものでないと理解しつつも、それでも自分の想いを遂げたくて、私は彼にそっと抱きついた。

 

 その時……

 

 

 私たちは光に包まれた……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「なにお前。イケメンすぎだろ、俺の癖に」

 

「はあ? 何を言っているんだ、八幡君。ハーレム作っている自分のことは棚にあげて。だいたいこの前はついに私にまで手を出そうとしたくせに。いくら生身に戻ったとはいえ、君は女の体ならなんでもいいのか?」

 

「は? にゃ、にゃ、にゃにを言ってんだフェルズ! 人聞き悪いこと言ってんじゃねえよ。そもそも、久々の肉体だー、飯だー、酒だーって、喜んで前後不覚になっておれの布団に入ってきたのは、どこのどいつだ! だいたい、俺はまだ誰にも手は出して……って、言わせんなこのバカ!」

 

「そ、そ、そ、それでは、私が欲求不満女みたいではないか!? さすがに聞き捨てならん!取り消したまえ!」

 

「うるせえよ、ハゲ! もとはと言えば、お前が転移魔法しっぱいしたのが原因だろうが! 少しは反省しやがれ」

 

「わ、わたしはもう、どこもハゲてなぞいないぞ! 心外だ。そんなに言うのなら、この『知識の額冠』を渡すから、自分でなんとかしたまえ! ほら」

 

「いらねえよ、そんな頭の痛くなりそうな冠。お前が貰いますって言ったんだから、最後まで責任もってつかいやがれ」

 

「あれは、あの時は君が『フェルズ、お前に任せていいか?』とか、イケメンボイスで言うから、こう……胸がキュンとなってだな……」

 

「勝手に勘違いしたのはお前の方だろうが!」

「私のトキメキを返してくれ!」

 

 ぐぬぬと、目の前の二人は額を突き合わせて睨みあっているし。

 

 光に包まれた俺と雪ノ下の二人は、その真っ白なその空間で抱き合ったまま立っていた。

 そして、目の前には、さっきから何事かを言い争っている二人の人間。

 

 一人は、真っ黒なローブで全身を覆い、頭に金のサークレットをつけた青髪ロングヘアーの美女。

 そしてもう一人は、全身を黒の鈍い光沢を放つ鎧のような物で包み、その背中に、幅広の大きな剣をくくりつけた男。

 だが、その顔は、どう見ても、俺そのものだった。

 

 一瞬閃いたのは、中二病御用達のコスプレ会場でばったりあったそっくりさん。

 まあ、そんなことが起こりうるかは別としても、そもそも俺は雪ノ下を家まで送っていただけで、そんなコスプレ会場みたいなところに入った記憶なんかはないわけで、その可能性は低いように思えた。

 

 そしてもうひとつの可能性。

 

 俺がこの『彼女』のいない世界に来てしまった以上、ひょっとしたら、ここは別の世界で、この目の前にいる、俺そっくりなやつらも別の世界の住民ではないか?

 

 もしそうであれば、まさにファンタジー、まさに中二設定なのだが……

 その可能性は、次の瞬間に現実のものとなる。

 

「貴方たちは誰なのかしら?」

 

 そう呟いたのは俺の傍らにいた雪ノ下。

 

 その言葉を受けて、いがみ合っていた目の前の二人はハッとなって視線を俺たちに向ける。

 そして、俺にそっくりな顔のやつが一歩前に出て話はじめた。

 

「あー、そうだな、放っておいて済まなかった。まあ、細かい話をしても理解できないだろうから、端的に説明してやる。俺は見ての通り、別の世界のお前だ。んで、このとなりにいるのが、元骸骨で、おっさんかと思っていたら、実は女だったフェルズだ」

 

「おっさんとは失敬な! まだうら若き乙女をつかまえて」

 

「うるさいよ! お前のしゃべり方が紛らわしいんだよ。あー、まあいい。それでだな、実は、俺たちは色々あって、次元転移をすることになったんだが、その時にこのフェルズのやつがその魔法を失敗しやがってな。いくつかの次元が重なっちまった様なんだわ。その時、この世界の俺と、また別の世界の俺……つまりお前だな……が入れ替わっちまったみたいなんだ。まあ、とは言っても平行世界でしかないから、基本俺たちはみんな同じような生活をしているわけなんだが、どうもこの世界には由比ヶ浜のやつがいなかったらしい。このままだと、転移したお前らや、その周囲の連中の記憶が消えたり、最悪存在事態が消滅しかねないらしくてな……それをなんとかしろとルビス様に言われて、それでお前を元の世界に戻そうと迎えに来たってわけだ。どうだ? わかったか?」

 

 一気にそう話す目の前の俺の言葉に、俺は一言も声がでない。

 次元?

 転移?

 由比ヶ浜……

 

「って、お前、由比ヶ浜のことを知っているのか?」

 

 俺のその言葉に、目の前の俺は当たり前だとでも言うように答える。

 

「当然だろ。同じ奉仕部で、今じゃ俺の彼女だ。あ、えっと、俺の世界の由比ヶ浜とだ。お前の世界のじゃないぞ。ええい、ややこしいな」

 

 由比ヶ浜が……居る……

 

 由比ヶ浜に……会える……

 

 俺ははやる気持ちのままに一歩踏み出そうとした。

 その時……

 右手を強く握られる感触に体が止まった。

 振り返ればそこには、泣きそうな表情の雪ノ下が……

 

「いか……」

 

 イカナイデ……

 

 彼女は出そうとした声を必死に飲み込んでいる。

 その白い頬を伝う滴に、俺の胸は握り潰された。

 

 俺は目の前の俺に尋ねた。

 

「俺が元の世界に戻ったあと、こっちの世界はどうなる?」

 

 その問いに、異世界の俺は腕を組んだまま答えた。

 

「お前を送ったあと、あっちの世界に行ったもう一人の俺をこっちに連れ帰る。要は全員元居た世界に戻るってことだな」

 

「もし……、もしも……」

 

「あん……?」

 

 俺は言いかけた言葉をグッと飲み込んだ。それを目の前の俺は怪訝そうな表情で見ている。

 

”もしも……俺が戻りたくないと言ったら……”

 

 そう、俺はこの世界で何度も失いながら、手にいれることが出来たこの新しい関係を大切に思う様になっていた。なにより、雪ノ下のことを……

 

 でも……

 

 思い浮かぶのは、悲しそうに微笑む『彼女』のあの笑顔……

 

 いつも真剣に、いつも真っ直ぐに、俺に届けようと頑張っていたその想い……

 俺が蔑ろにし続けてきたそれを、俺はいつか彼女にきちんとした俺なりの形で応えたかった。

 

 俺がこうして、今雪ノ下を大事に思えるのも、一色や葉山や、戸部や戸塚達を大切だと思えるのも……全ては『彼女』のおかげ……

 俺は『彼女』を取り戻したくて、『彼女』に返したくて、『彼女』を失いたくなくて、想い続けてきただけだ……

 

 俺は理解していた。

 俺の心が『彼女』を求め続けているのだということを…… 

 

 由比ヶ浜……

 

 俺は……

 

 俺は……

 

 俺はお前に……

 

 

 

 

 逢いたい……!

 

 

 お前と一緒に居たい!

 

 

 

 

 

 柔らかく微笑む『彼女』を思い浮かべたその時、俺に抱きつく雪ノ下が声を漏らした。俺の服を震えた手で握りながら……

 

「比企谷君……彼女に……由比ヶ浜さんに会いに戻って……あげて……」

 

 俺は彼女に視線を向ける。

 そこには嗚咽を堪えたままで涙を溢れさせ続ける雪ノ下の顔……

 

 俺は、大きく息を吐いて、少し自分を落ち着かせてから雪ノ下に向かいあった。

 そして、その涙で濡れた瞳を見つめながら話した。

 

「この世界でお前を初めて見たとき、俺はお前の姿に絶望した」

 

 途端に、雪ノ下の体がビクリと跳ねる。

 俺はその肩にそっと手を置いて続けた。

 

「でも、それでも、俺はお前が大事だった。それまでの時間、お前や由比ヶ浜と過ごしてきた時間を思えば、お前が変わっていたとしてもそんなのは問題じゃなかった。俺にとってもっとも大切なことは、お前たちとの絆を守ることだったから」

 

「でも、その貴方が大切に思う私や彼女は、別人でしょう? 私……私は……」

 

 震える雪ノ下の肩をしっかり抱いて言う。

 

「同じだよ。少なくともお前は、俺の大切な雪ノ下そのものだった。そりゃあ、口は悪いし、態度も酷かったし、生意気だったけど……それでも、お前はやっぱりお前だった。お前がいなければ、俺はとっくの昔に狂って自殺でもしていたよ。ホントだ。お前がいてくれたから俺は頑張れたんだ。なあ、雪ノ下……」

 

 俺は彼女の涙をそっと拭う。

 そして、なるべく優しく、そっと、花弁に触れるようにそのきれいな黒髪を撫でた。

 

「ありがとう。お前がお前でいてくれて、本当にありがとう」

 

 俺の言葉に雪ノ下はしゃくりあげながら微笑んで見上げてくる。

 

「ほ、本当に酷い人ね……そんな優しいことを言われたらもう……貴方を引き留めることなんて出来ないじゃない……」

 

「すまん……」

 

 胸に沸き上がる罪悪感からか、口をつくのは謝罪の言葉。目の前の彼女は首を横にふる。

 

「謝らないで……貴方が他の誰よりも由比ヶ浜さんのことを愛していることを私は知っているのだから……」

 

 彼女の涙をもう一度拭ってやってから、俺は続けた。

 

「雪ノ下……お前がお前だったように、きっとこの世界の俺も俺だ。こんな世界の俺だから、相当にひねくれているだろうし、自分勝手だし、コミュ症だし、重度のヲタクだろうけど、俺は俺だ。もし、可能なら、仲良くしてやってくれ。きっとお前を傷つけたりなんかはしないはずだ。というより、きっとお前を大事に出来るはずだ。だから……」

 

 俺は笑顔で彼女を見つめた。

 

「さよならは言わないぞ。これは新しい俺たちの始まりだ。それと約束する。俺はお前のことを絶対に忘れないし、この先もずっとお前を想い続ける」

 

「ええ、わかったわ……私もサヨナラは言わない。でも……お願いこれだけは……」

 

 俺を抱きついていた雪ノ下が、スッとその顔を俺に近づけてきた。

 一瞬何が起きたのか分からないままで、突然に唇に触れたその柔らかい感触に俺は身動き出来なくなっていた。

 その時、俺はようやくにも理解する。

 

 俺は、由比ヶ浜と同じように雪ノ下のことも愛しく思っていたのだと……

 

 俺は彼女にされるがままで、その大切な存在を見つめ続けた。

 そして……。

 

「好きよ……大好きよ……」

 

 頬を濡らして微笑みながら俺に想いを告白した彼女を、俺はきつくきつく抱き締めた。

 

「ああ、俺も好きだよ。雪ノ下……」

 

 しばらく抱き合いお互いの感触を確かめあった後、俺たちはスッと離れた。

 そして気恥ずかしさに頭を掻く。

 

「ははは……、どうすっか、俺……由比ヶ浜に会って最初にこのこと話して多分泣かせちまうな。それにあっちの世界のお前にも絶対叱られる」

 

「あら? 私は私なのでしょう? ならきっと、貴方達の関係を祝福するはずだわ。私にとって大切な貴方達と共にいるためならば……」

 

 その彼女の言葉を最後に、俺は向きを変えて異世界の俺の前に立つ。

 その俺も、顔を真っ赤にしたままで頭を掻いていた。

 

「も、もういいのか? な、なんか俺たちめっちゃ悪いことした気分なんだが……」

 

「そうだな、お前らのせいでとんでもない目に遭った。でも、もういい。俺にとって、大切な物が分かったから」

 

 その言葉にぽかんとなった、その俺が呟いた。

 

「なあ、お前ホントに俺か? イケメンすぎだろ!?」

 

 それには答えず、さっさとしろと目で促した。

 すると、隣に立っている青髪の美少女が手にもった杖を大きく振り上げて、何事かを唱える。

 すると、眩い光が彼女を中心に溢れだし、俺たちはその光に包まれた。

 そしてその光の粒子に溶け込むように、次第に俺達の体は掠れ始める。

 

 後ろには雪ノ下が居るはずだ。

 サヨナラは言わないと言った。

 それと、今の彼女の顔を見てはいけないことも理解していた……だって……

 

 絶対に俺と同じ顔をしているはずだから……

 

 涙と鼻水が漏れ続けたぐしゃぐしゃの顔のままで、体が震えるのを必死で抑える。そんな俺に向かって彼女が叫んだ。

 

「……あなたに逢えて、本当に嬉しかった……ありがとう! 比企谷君!」

 

 その必死に嗚咽を堪えて張り上げたであろうその言葉に、俺は何も喋れないままで、握り拳を突き上げることで答えた。

 

 

 その日……

 

 

 俺は、愛しい『彼女』が居る、懐かしいあの世界へと帰った。

 

 

 大切な想いの詰まったチョコを胸に抱いて……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 部室の窓を開けると、少しあたたかな風が舞い込んできた。

 もう、そろそろ春なのね……

 

 私は、窓辺のテーブルに置いたポットからお湯を注いで紅茶を淹れた。

 春風にたゆたいながらその香りが広がっていく。

 私は長机にティーカップを二つ用意して、それに丁寧に紅茶を注ぐと、それを持って長机の反対、そこに座る目付きの悪い彼のところへ行って、そのひとつを差し出した。

 

「紅茶を淹れてみたのだけれど……」

 

「お、おお……」

 

 彼はそれを一瞥しただけで取ろうとはしない。

 だから、私は声をもう一度かけた。

 

「飲まないの?」

 

「猫舌なんだよ俺は……」

 

 そう言ってから素早くカップを持ち上げて口に運んだ彼は熱さに体を震わせる。

 それを見ながら、思わず微笑んでしまった私に、彼は怪訝な眼差しを送って来た。

 そして、彼の斜め隣……そこに置いた椅子に腰を下ろしてから話始めた。

 

「さて、何から話そうかしら?あちらの世界の由比ヶ浜さんのこととか、わたしのこと?それとも、こっちの世界にいた最高にかっこいい貴方の話でもしましょうか?」

 

「悪い冗談だ。俺がかっこいいわけねえだろ」

 

「あら? いつだったか言っていたでしょう? あなた。目付き以外は標準以上だって……ふふふ……あなたが優しい人だってこと、もう知っているのよ」

 

「ああ、そうかよ……さて、じゃあ、話すとしますか……」

 

「ええ……」

 

 いつだって大切なものはすぐ目の前にある。

 

 本当にその通りなのかも知れないわね……

 

 私も、きっと大切なものを手に入れてみせるわ……

 

 本当にありがとう……

 

 

 

 ……私が初めて愛した、優しい……

 

 

 

 ……比企谷君……

 

 

 

 

 了

 




※この作品に出てきました、異世界の八幡とフェルズという二人は『八幡達のDQⅢから始まる異世界探訪。』シリーズのキャラクターになります。
このシリーズも後に掲載予定となります。
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