『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
これはいったいなんだ?
なにがどうなっているんだ?
俺は目の前の光景に正直絶句した。
部室の場所はいつもと同じ場所。人気のない特別棟の三階で間違いなかったはずだ。だというのに、中はまるで別世界。
普段であれば、窓辺に椅子を置いて、そこにあの絵になる無表情部長様が姿勢正しく腰を掛けて読書をなさっておいでのはずが、確かに部長様はいらっしゃるのだが、そこは窓辺ではなく、会議用の長机を置いてその端に腰を下ろしていたのだ。
いったいどこから調達したのやら、高価そうなティーセットに香しい紅茶を淹れて、それをカップへと注いでいるのだ、しかもにこやかに微笑みながら。 そしてこともあろうにこの俺にむかって『こんにちは』等と挨拶までよこしてきた。
それだけでも異常事態すぎるというのに、そこにはさらに驚異の異物が存在していた。
微笑む雪ノ下が紅茶を淹れている相手がそこにいた。
彼女の隣に腰を下ろしていたのは丈の短いスカートに着崩した制服姿の明るい茶髪の女子生徒。雪ノ下と楽しそうに会話するその女子は、笑うたびに結ったお団子がひょこひょこ揺れて、見ていて面白くもあるが、どうみても真面目ではない系のビッチ属性肉食女子。なに? 依頼者?
あのお堅い雪ノ下といったいどういう接点があるというのか? どう考えても友達になどなれそうもないのだが、二人の会話は弾んではいるようだ。
いや、そうではなく、もっと重大な事案として、このビッチ女子、こともあろうに初対面のこの俺に対して、いきなり訳の分からない呼びかけを放っている。
なんだっけ?
あっはろひっき? やっほろにっき? ひょっとして
こいつは一体何語をしゃべっているんだ? 意味わからん。
いやいやそうではなくて、そもそもなんでこいつは俺に向かって話しかけてきやがったんだ。
意味不明だとはいえ、いきなり躊躇なく男に声をかけるのは流石に節操なさすぎだろう。なに? まさか俺のこと好きなのか? つまり美人局か? そんなんで引っかかる俺ではない、舐めるなよ。まあ、もう一押しされたら間違いなくころっと行ってしまいそうではあるが。
「何をしているのかしら? 早く座りなさい」
「ひゃ、ひゃいっ?」
悶々と思考していただけの俺は、急な雪ノ下の声で現実に引き戻された。が、いったい何をどうすれば……
普通に考えれば、そこの空いている椅子に腰をおろせということなのだろう。目の前の長机には椅子が全部で三脚置かれていて、一番向こうの椅子に雪ノ下、そしてその隣にあの正体不明の茶髪お団子女が座っていて、残る一つは雪ノ下の対極、一番廊下側で少し離れた位置に置かれていて女子二人からは少し距離があるにはあるのだが……
女子と同じ机について、果たしていいものやらどうか……
ごくり。
思わず緊張から唾を飲み込んだ俺は、高速で考える。
この状況はどう考えてもおかしい。
普段と全く違う挙動の雪ノ下もそうだが、この机などのセッティング……明らかに俺を嵌める気まんまんのポジショニングではないか。
これはあれだろう、俺が構わずにそこの椅子に座った途端に、そこの茶髪女が、『うわ、なに普通に座ってんの? キモ!』とか言って、仰け反って逃げるあれだろう?
いや、これだけの大掛かりのセットだ、そんな単純なもので終わりはすまい。
多分、廊下や、教室の影に他にも女子が隠れていて、俺が椅子に座った途端に一斉に現れて、『キモイ、うざい、〇ね!』三連コンボを叩きつけつつ、引きつってしまった俺の顔をパシャパシャ写メに収めて笑いの種にしようとかっていうあれだろ?
ふふふ……そうは問屋が卸すものか。その程度の攻撃、既にマスターレベルで経験済みだ。どこから来ようとも俺は決してそのターゲットになる気はない。
つまり今俺がなすべき最適解とは……
このまま帰ってしまうこと。
そう、これだ。
あ、用事を思い出した! と、すっとぼけつつ、くるりと向きを変えて部室を後にすればいい。たったそれだけで、俺はこの窮地を脱することが出来るのだ。
くっくっく……
俺を罠に嵌めようったってそうはいかない。簡単にひっかかってなるものか!
「あー、俺な……」
「紅茶……冷めるわよ」
「お、おお……」
俺の前まで雪ノ下が歩み寄って、ことりと置いた紙コップに紅茶を注いでそんなことを言うものだから、思わず返事をしちまった。
そこはさっきから見ている空いた椅子の前。
つまり、とにかくここに座れというわけだ。
ええい、ままよ。
俺は覚悟を固めてその椅子に座る。
そしておそるおそる視線を彼女達の方へと向けてみると……
「そういえばさー、修学旅行京都なんだよねー? あたし沖縄が良かったなー」
「あら、京都だって見るところは色々あるわよ。この国の文化を直に見て、触れて……」
そんな風に普通の会話を続けているし。
あれ? これは俺を嵌める罠じゃなかったのか?
いや、そもそも、なぜ俺を罠に嵌める?
たいして面白いリアクションをとれるわけでもない俺を、衆人環視も何もないこの状況で嵌めても、それほど面白いというメリットはない。
ということは、まさかこれは本当になんでもない、ただのお茶会?
俺は目の前で湯気を上げて香る紅茶を見つつ、そっと手を伸ばした。
ひょっとしたらこれも何かの罠で……
と、思えなくもなかったが、あまりにも非日常すぎて最適解を得ることが出来ず、今は思考を放棄して成り行きに身を任せようと思い始めていたのだから、俺はそれを飲むことにした。
そして、紅茶のカップを口に運んだその瞬間……
「うあっち!!」
滅茶苦茶熱かった。
すっかり俺が猫舌だってことを忘れていたのだが、そんな俺のリアクションに、振り向いたお団子さんがとんでもないコメントを入れてきた。
「ヒッキー大丈夫? 気を付けて」
「へ?」
その声は罵倒でも、侮辱でも、嫌悪でもなんでもなく、ただの心配……?
明らかに不安そうに俺を見つめてくる彼女は、今にも俺に手を伸ばしてきそうな感じで顔を近づけてきた。思わず仰け反って逃げたわけだが。
へ? へ? どうして俺を心配してるんだ、こいつは。
いったいこいつはなんなんだ? 誰だ? どこのどいつだ?
まじまじと見つめてくるその顔立ちは整っていて間違いなく万人が可愛いと評するだろう、そんな彼女が気安く俺へと語り掛けてきているこの状況に、心拍数が跳ね上がるばかり。
本当になんなんだ。ハニトラならもうそれでいいから、さっさと終わらせてくれ。もうこんな状況耐えられない。
俺はこの緊張状態から逃れようと、思い切って彼女に聞いてみることにした。
もうこれしか方法はないと思えたから。
「なあ、お前はいったい……」
その時だった。
ガラガラ
「やあ」
入口の戸が開いて現れたふたつの影。
そこに居たのは、茶髪イケメンのいかにも青春を謳歌していそうな二人の男子の姿だった。