『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
由比ヶ浜に言われた事が本当に理解できなかったが、俺は特に何をするでもなく、今までと同じように過ごしていた。
確かに奉仕部は変わってしまっていた。近づくなオーラを放ちまくっていた雪ノ下部長は紅茶を嗜みつつ世間話に興じるほどには軟化していたし、例の由比ヶ浜も当たり前の様に毎日部室に来ていた。
そして俺はそんな二人から少し離れた場所で本を読む。
その行為自体は以前と変わらないものではあったが、時折二人から……とくに由比ヶ浜から一言二言質問をされるようなこともあり、俺はそれに適当に答えるようになった。
普通の女子の反応であれば、そもそも気持ち悪がって俺に近づくことすらないというのに、こいつときたら俺が何を言ってもきちんと応答するのだ。よくもまあ、こんなに色々と話を振ってくるものだと、そのコミュ力の高さに感心してしまうところだが、それがそんなに嫌でないと思っていることに俺も気が付き始めていた。
雪ノ下もまた、由比ヶ浜と話すときには、柔らかな表情になっているし、これがあの氷の女王と同一人物だとは到底思えなかった。
俺はこの今の関係が、まるで以前からずっとこうであったかのように思い始めていた。
そして、この居心地の良さに自分でも知らず知らずのうちに、奉仕部へと向かうことを楽しみに感じるようになっていたのである。
人に受け入れられているという感覚が、こんなにも安らかな気持ちをもたらせてくれるのだということを、俺は初めて知ったのだ。
だが……
それがただの身勝手な思い込みであったのだということを……
俺はすぐに知ることになる。
× × ×
幾日かが過ぎ、修学旅行の当日を迎えた。
俺は新幹線に乗り、例の『戸塚君』と並んで座っていた。いや、マジで驚いた。
こんなに可愛い『男』が実在するなんて……
まさにリアル男の娘。もうこの世界に女は不要だろう。もう戸塚がいればそれでいい。あれ? 俺は禁断の扉を開いてしまったのか? いや違う! 戸塚は男じゃなく、性別戸塚だからセーフだ! 戸塚~~~~!
そんな風に浮かれてしまったのは、非日常的なこの修学旅行という空間の御蔭なのだろう。俺は普段よりも気持ちが弾んでいることを自覚しながら珍しくこの行事を楽しんでいた。
だが、それだけではだめなのだ。
今回は奉仕部として、件の依頼をこなさなければならない。
うちのクラスの戸部の告白の手助けを。
具体的には、戸部と海老名さんの二人を一緒に行動させて、その都度戸部が良く見えるようにサポートをする。
とはいえ、そんなこと、人づきあいの苦手な俺に出来ようはずもなく、ほぼ由比ヶ浜におんぶに抱っこで任せきりではあったのだが。
当の由比ヶ浜はなぜかずっと俺の傍にいた。
実はこいつ……
俺と同じクラスだった。
まさか一緒だとは思わなかったが、流石に半年間気が付かなかったことについては、やはり俺の防御の厚さの為せるわざと言えるだろう……俺はいじめなどの被害に遭わないようにと、万全を期して目立たないように、息をひそめ続けていたのだから。
流石、俺!
だが、今回は無視するわけにもいかず、一緒に行動しているわけだが、行くところ為すところ、カップルが行くとこばかりで、まあ、例の戸部の恋愛の手伝いをしているのだから当たり前なのだが、俺は本気で恥ずかしい思いしまくりだった。
例の葉山とかいうイケメンも一緒に行動だったわけだが、本当にこんなことで告白成功するのかね?
俺は由比ヶ浜に引きずられるように、ただ移動を繰り返していた。
そして思い知ったこと……
それは、結局俺ではなんの役にもたちはしないのだということだけだった。
当たり前だろう……なにしろ、恋愛に関して百戦錬磨っぽい由比ヶ浜でさえ禄に二人の仲を取り持つことは出来ていないのだから。
だから俺は成り行きに任せることにした。
要は『何もしない』。
俺は由比ヶ浜たちが作った手順書に従って、ただ修学旅行の班行動を共にするだけにした。
やはり俺に恋愛話は重すぎる。
今まで一度だって告白は成功したことはないし、そもそも女子とどう向き合っていいのか分からないのだから。
だから、あえて踏み込んで行動したりもしなかった。
ホテルで雪ノ下と売店で遭遇した時も俺からこの依頼の進捗について話すこともなかったし、同室の戸部にアドバイスをいれることもしなかった。
そう、俺はただ、成り行きに任せたのだ。
人の好きや嫌いに関してなど、それこそ他人からすれば本当にどうでも良い事で、そもそも、その成果を人に擦り付けようという行為そのものが烏滸がましいのだ。
戸部は戸部、俺は俺。
由比ヶ浜のように、あえてこの依頼を戸部の望む形で達成してやる必要なんかは当然ない。
あの葉山とかいうイケメンマスクや、他の連中と同じように、ただ頑張れよと応援だけしてやっていればいい。
俺はそう、断じていた。
× × ×
修学旅行の最後の夜、俺達はとある観光スポットでもある竹林に居た。
その小路で震えながら佇むのはあの戸部だ。
それを俺と雪ノ下、由比ヶ浜、それに、葉山たち戸部のグループの連中も隠れて静かに見守っていた。
みんな一様に緊張した面持ちであることは分かる。
だが、この結果は容易に想像できる。
戸部はまずまちがいなく振られるだろう。
これは俺の経験側からも判断できることだが、海老名さんの戸部に対しての接し方は友達としてのそれの延長線上にしかなかった。それをこの数日間、俺はまざまざと見てきたんだからな。
友人としての関係を維持したいと考えるのなら、一歩踏み込んだ関係になるのは悪手でしかない。周りの見る目も変わるし、自分もそれに合わせて対応を変える必要が出てくる。彼女がそれを望んでいるとは到底思えなかった。
まあ、戸部の気持ちは分かったが、無理なものは無理。いっそこのまま振られて永遠にお別れした方がいっそうすっきりするだろうよ。
それよりもこの状況だ。
いくら依頼だとはいえ、このせまいところに、女子二人とほぼ身体を密着させて隠れるのはさすがにやばい。良いのかな、俺このままで。
俺実は今、人生で一番女子に近づいてるんじゃないか?
「あ、きたよ」
小声でポソリとそう言った由比ヶ浜の言葉にハッと我に返る。あぶないあぶない、女子の傍に居られて思わずニヨニヨしていたなんて、知られるわけにはいかねえからな。気を引き締めねえと。
そう思いながら、表情を引き締めた俺は、それを見守った。
竹林の小路の向こうから現れたのは海老名さん。彼女は戸部の前まで静かに歩み寄ると、顔を見つめながら足を止めた。
その表情は、透明で無機質な笑顔。喜びも、困惑も、何一つその表情には現れてはいない。
あ、これはもう駄目なやつだな。ご愁傷様、戸部。
「海老名さん、俺……、俺さ……」
「うん……」
緊張しつつもなんとか告白しようとしている戸部。
それを静かに聞いている海老名さん。
俺はもう結果の見えたその光景をただじっと眺めていた。
そんな俺は、誰かの視線を感じて、ふとそっちを見た。そこには、俺を苦しそうに見つめてくるあのイケメンマスク葉山の顔。
なんでこいつ、俺にこんな縋るような目をむけてんだ? いったいどういうつもりだよ……
「あの……俺さ!」
葉山の視線の意味が分からないままでいたところに、戸部の声がもう一度響いて、俺はそっちを見た。
と、その時だった。
「やあ、戸部、姫菜……話し合いは上手くいってるかな」
緊張して時を止めていた二人の前に突如現れたのは、さっきまで俺を見ていたあの葉山。
奴は爽やかな表情のままで二人へと近づいた。
「二人とも怖い顔してるけど大丈夫だよ。姫菜も戸部のこと嫌ってないし、戸部は今までもずっと姫菜との関係を大事に思ってきたんだから。だから、ここで無理して自分の想いをぶつける必要はないよ。大丈夫、ふたりとも、もっと仲良くなれるから」
「隼人くん」
「隼人くーん」
にこりと微笑んだ葉山に、海老名さんも戸部もホッと安堵した顔に変わっている。
そして他の男二人も木陰から現れて戸部たちの周りへと集まって声を掛け始めた。
海老名さんも含めた全員が笑い合っているが……
なんだこれは?
俺は正直、目の前の全員の行為が全く理解できなかった。
確かに全員穏やかで楽しそうにしているように見えるが、これは完全な茶番だ。作られた笑顔だ。
誰も心から笑ってなんかいない。
決意した戸部は、その想いを吐き出してもいないし、海老名さんだって、その戸部の心中は知らないままだ。
他の男にしたって、戸部を応援しているだけで、会話を合わせているだけ。
葉山にいたっては、考えるまでもない。
こいつは自分の言葉ひとつでこの関係を構築しやがった。
戸部の気持ち、海老名さんの気持ちを作文しながらこの関係に導いた。
この上っ面な関係に……
そんな葉山が、俺をちらりと見た気がしたが、俺はそれを無視した。
「色々ありがとう、雪ノ下さん。手伝ってくれて感謝しているよ」
葉山はそう言って雪ノ下へと頭を下げる。
それに雪ノ下は静かに応じた。
「依頼はあくまで戸部君の告白のお手伝い……だから、今回は何の役にもたっていないし、それに、この結果を貴方が望んだのであれば、むしろ私達は見当違いであったことになるのだから、お礼を言ってもらう必要はまったくないわ」
「それでも……ありがとう」
きゅっと一度唇を噛んだ葉山が、でもすぐに表情を笑顔にもどして、例のグループに戻っていった。
雪ノ下もまた、『もう帰るわ』としかめっ面になって元来た道をすたすたと歩み去ってしまう。
それを俺と由比ヶ浜は、ただ、呆然と見つめていた。
暫くして誰もいなくなってから、俺はまだ立ち尽くしている由比ヶ浜を見やる。
正直こんな夜に女子と二人になってしまった事実にドギマギしていたのは事実。でも、そんな様々な破廉恥な思考は、ぽろぽろと涙を流し続けている彼女の横顔によって全部吹っ飛んでしまった。
俺はただ、彼女のその顔を見つめていた。