『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
竹林で涙を流す由比ヶ浜を見ながら俺は胸を締め付けられるような思いに陥っていた。
こいつが今何を思っているのか……
鈍感な俺であっても何となくは分かる。
さっきのあの告白劇……いや、告白をしてはいないのだから、それこそただの寸劇でしかないだろう、あの二人と、それを取り巻く連中の行為、その全てに俺も嫌悪感を抱いていた。
告白しようとあの場に立った戸部。
そして、それに応じる為に現れた海老名さん。
だが、そこで行われるはずだった告白は乱入者によって有耶無耶にされてしまった。
葉山がなぜあんなことをしたのか?
その理由も明快だ。
あいつがここにきて恐れていたのは人間関係の崩壊。
告白して振られれば、戸部だって海老名さんだって今までのように友人としては付き合うことは無理だろう。どちらかが去る……いや、二人ともが葉山達のグループから離れてしまうかもしれない。
あいつはただ、そうなることを防ぎたくて、さっきのようなことをしたんだ。
いや、ひょっとしたらそれを俺たちにしてほしかったのかもしれない。あいつは何度も苦しそうに俺を見ていた。つまり、あの時本当は俺たちに……
やめよう……
あいつが自分から動いた今となってはどうでも良い話だ。
結果として戸部の告白はなかったこととなり、そして人間関係は一応元通りの形で落ち着いたということなのだろう。
まったく……
不愉快千万だ。
そう分かっていても、俺は目の前の由比ヶ浜になんて声をかけていいのやらわかりはしなかった。
俺には泣いている女性の扱いなんか分からないし、そもそもたいした付き合いでもない彼女にどう接していいのかまったく分からなかった。
でも、なんとなくだが、こいつが俺に好意のようなものを抱いているようには感じていた。
初対面のあの日から、由比ヶ浜は事あるごとに俺へと話しかけていた。そしてそれを雪ノ下がサポートしていたようにも感じていた。
これはひょっとしたら、『由比ヶ浜の依頼』なのではないか?
俺という何の接点もない男にどうにかアプローチしたい……と、そう考えて奉仕部の戸を叩いたのではないか?
そして、たまたま俺が部員であることを知り、雪ノ下と共謀して同じ部員としてこうやって一緒に活動しようと思っていたのではないのか?
考えれば考えるほどに、それが正解のように思えてくる。
なるほど、そう考えれば、今回の戸部の恋愛相談に乗り気であったことも理解できる。
戸部の応援と称して、この俺と一緒に行動することで俺との親密度を上げていきたい……と。
そうなると、この前のあの『約束』のことも理解できるのだ。
あの約束の下りはつまり『ブラフ』!
俺との間に何かがあったように演出することで、俺が由比ヶ浜に興味を持つように誘導されたのだ。なるほどなるほど、これはやられちまった。
俺はてっきり過去に何かがあったのかと思い込んでいたが、こいつがそう画策したと考えた方がむしろ自然だ。
そうか、由比ヶ浜は俺のことが好きだったのか。これは参った。あははははは。
俺はひとしきり思考したところで、改めて彼女の横顔を見た。
収まりつつある涙を拭うその仕草は非常に愛らしくて、本当に可愛いと思えた。
むしろこのレベルの可愛さの女性と言えば、雪ノ下部長と戸塚くらいしか思い当たらない。あ、戸塚は性別戸塚だったな。
そうか、こんな可愛い子が俺を好きなのか……これは、紳士らしくきちんと対応しなくてはな。
そう思った時だった。
彼女は泣き笑いのような顔で俺を向いた。
「あはは……ご、ごめんねヒッキー、急に泣いちゃって……こんなのおかしいよね? 誰も傷ついてないし、みんな元通りになって、それで笑っていたのにさ……でも……、なんでかな? あたしね、すごく……すごく悲しいの……やっぱりおかしいね」
「い、いや……」
瞳にまだしずくを溜めている彼女の微笑みは本当に綺麗だった。
俺はそんな彼女の顔をドキドキしながら見つめ、そして二の句が継げない俺を見つめたままで、彼女は言った。
「こんなの……嫌だよ……」
その言葉が心に刺さる。
彼女の純粋さ、素直さが直接的に俺の心を揺さぶった。
そして同時に、これ以上ないくらいに彼女のことを愛しいと思ってしまった。
そうだ。今、彼女は酷く傷ついている。そして一人ではどうしようもないくらいに弱っている……はずだ。
ならばお前はどうするんだ!
好意を寄せられているお前は、今彼女を支えてやらなければいけないんじゃないか? 彼女を守ってやらなくてはいけないんじゃないか?
それが好きになられた男のすべきことなんじゃないか!
俺の中で様々な思いが駆け巡り、そして答えを導きだしていく。
そう、今、俺は彼女を救ってやらなくてはならないのだ。
この暗い竹林にはもう俺と由比ヶ浜しかいない。こんな遅い時間に彼女を一人にはできはしない。だからこそ今俺はこうして一緒にいる。よし。男としての第一の関門はすでに突破している。
では次だ。
泣いている彼女の心を癒してやらなければならない、そのためには……『言葉』だ。
つまり慰めなければ……
俺は大きく深呼吸をしてから、彼女へと口を開いた。
「あ、あのさぁ。あ、あんまり気にするなよ……お、お前は何も悪くないんだ。お前は苦しまなくて、だ、だだだ大丈夫だから……」
なんとなく頭に思い浮かんだ語句を必死に推敲しまくって一連の文章へと変えてみた。かなり噛んだが問題あるまい、恋される男のカッコよさを残しつつの、彼女をいたわる内容だしな。
そうは思っても、こんなセリフを今まで吐いたことなんか一度もない。
果たして、これで由比ヶ浜はどんな反応をするのか……
少しドキドキしながら見てみれば、
「あ、ありがと……」
頬を朱に染めて、そんな返事を寄越してきた。
よっし! よぉっし! これで第二関門もクリアだ。
と、同時にこれでほぼ確定したな。由比ヶ浜は間違いなく俺に好意を持っている。となれば、もうこんなまどろっこしいことをしている必要はないだろう。
さっさと彼女の好きという気持ちを達成させてやって、俺という存在を大きくして安心させてやらなければ。
ああ……
この時、俺がこんなに浮かれていなければ……
この時、俺がもっと自分の置かれた境遇を認識してさえいれば……
きっと、彼女はあんなことにはならなかった。