『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(7)黒歴史

「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん! ごはーん! 出来てるよー!」

 

「うう……」

 

 耳に押し当てた布団越しに、世界で一番可愛い存在の声が届いていた。だが、俺はそれには返事をしなかった。いや、出来なかったのだ。

 俺は身を捩って更に布団を深く被った。

 これですべてが解決されるなどとは思ってはいなかったが、今はただ、あの可愛い天使が静かに玄関を開け放って出かけてくれることだけを祈った。

 そして鳴り響いた音、それは……

 

 ガチャっ!

 

「もう! お兄ちゃんさっさと起きる! 小町もうどうなっても知らないよ!?」

 

 はい、最悪の結果でした。

 ドアが確かに開いたが、それは俺の部屋のドア。そして、そこに現れたのは紛れもなく俺の実妹、マイスウィートシスター小町で間違いなかった。

 

「ほら、お兄ちゃんさっさと起きる!」

 

「う、うう……あ、あたまぁ、い、いたいぃ」

 

 俺は枕に口を押し当てたままで、敢えてしゃがれた声でそう答えた。

 小町は一度はぁっとため息を吐いた後で、俺へと言い放った。

 

「お兄ちゃんが仮病なのもうバレバレなんだからね? もう三日目だよ? いい加減にしないと本当にやばいよ」

 

 そう小町は言うのだが、俺の言っていることだってあながち間違いではないのだ。確かに俺は色々痛いのだ。特に心が。この俺の痛みを分かって欲しいものだが、心を見せるのはなかなか容易なことではないからな。そう詩的な感じで考えつつ、口は黙っていたのだが……

 

「じゃあ、お母さんの伝言ね。『高校行く気がないなら入学金と学費と迷惑料全部現金で払いな‼ 高校生にもなって引きこもりしてんじゃないよ、恥ずかしい』だってさ」

 

「い、行くに決まってんだろうが」

 

「おお! 流石お母さん! 本当にこれ言ったらお兄ちゃん起きた」

 

 うう、あの母親め! 人の弱みに付け込みやがってマジで悪魔じゃねえのか? 被扶養者の俺にそんなもん払える訳ねえじゃねえか。そもそも学費は分かるが、迷惑料ってなんだよ? 俺が生まれたこと自体が悪かったみたいな言い方しやがって。俺本気で泣くぞ!

 

「本当にお兄ちゃんは……今までもずっとおかしかったけど、修学旅行から帰って来てから特におかしいよ。なんかあった? っとと、そうだ! 今日は早くいかなきゃいけなかったんだ。じゃあ小町先に行くからちゃんとご飯食べて食器洗ってゴミ出して電気消して戸締りして出てね! じゃあね! いってきまーす!」

 

 元気にそう言った小町がバタンとドアを閉めて飛び出していった。

 本当に明るく元気で忙しい妹で、俺の妹にしておくのは惜しいくらいだ。惜しいくらいだが、正直もうしばらくそっとしておいて欲しかった。

 いやまあ、もう暫くが、一日なのか、一週間なのか、一か月なのかもわからないのだけど……うう、俺はもう二度と立ち直れないかもしれないくらいに傷ついているんだから。

 

「うう……くそ……」

 

 俺は内心本当にきつかったがそれを推して立ち上がる。そして、時計を見て、今から食事をしても十分学校に間に合うことを確認してがっくり項垂れたのであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 なんで俺がこんな状態になっているのか……

 修学旅行から帰宅して、振替休日を終えて尚、風邪と偽って三日も学校を休んだ理由……

 それはいたって簡単だ。

 

『恥ずかしくて学校に行きたくなかったから』

 

 もうこれに尽きる。

 俺は今回信じられないレベルの黒歴史を製造してしまった。

 あの竹林で良い雰囲気になって由比ヶ浜に告白したまでは良かった。

 なにしろ、あいつもその直後に俺に告白して、なんと『両想い』であることが分かったのだから! これはあり得ないくらいの奇跡だった。なにしろ俺は今まで女子と交際どころか、友達にもなったことはなかったからな、はっきり言って奇跡以外の何物でもなかった。

 でも、そこからは最悪だ。

 由比ヶ浜が俺の知らない俺との思い出を語りだし、それに恐怖した俺があいつを散々罵倒してしまった。あれはない。告白したばかりの相手に、しかも、お互いこれからお付き合いを始めようと思っていた矢先に、何もあそこまで言う必要はなかった。

 確かにあいつが話した内容は怖かったしまったく理解できなかったが、なぜあいつがあんな話を持ち出したのかを考える方が先だったのだ。

 俺はただ恐怖から由比ヶ浜を突き放してしまった。これは言い逃れのしようのない事実で、彼女は泣きながら俺の前から立ち去ったことからも、最悪の選択であったことは間違いなかった。

 俺は自分がした告白のフォローも吐いた悪態のフォローも何もできてはいない。

 つまり俺は……

 

『由比ヶ浜に告白して罵倒したクズ』

 

 として、クラスはおろか、学校全体にそう認知されていておかしくはないのだ。

 俺の今までの経験からして、人に……特に、男に嫌がらせされた女は、まず間違いなく群れ(グループ)の他の女子に自分が受けた仕打ちを話し、同情を誘いつつ、自分を貶めた相手に対して報復するものなのである。

 現に俺もそうやってクラス中からバカにされ、言葉の暴力にさらされた経験があるのだから。

 今回もまず間違いなくそれが起きているはずである。

 俺に罵倒された由比ヶ浜は、それを他の女子に話し、俺に対しての怒りを増幅させているに違いない。

 それが分かっているのに、どうして学校に行けようか?

 ただでなくても居場所が少ないこの俺が、こんな状況で学校へ向かえば、まず間違いなく針の筵決定だ。というより、休み時間のたびに呼び出され、そこかしこで俺の行った行為を、『最低』『キモイ』『〇ね』と言われ続けるに決まっているのだ。

 

 しかし……

 

 母親の言うことももっともである。

 いくらそんな虐めが怖いとしても、高校にはあくまで通わせてもらっている身の上。俺はやはり金を出してもらっている両親の為にも、学校を卒業する必要があるのだ。

 それを思うと、やはり虐め如きを怖れて不登校になるわけにもいかないのだ。

 決して、金を払うのが嫌だからとかいう理由ではないことだけは付け加えよう。あの親……きっと何が何でも払わせるに決まっているのだが……

 

 まあいい。

 

 とにかくもう決めたことだ。

 どんな状況が待っていようとも、俺は学校へ行かねばならないのだ。

 

 そして着替えた俺は、家を出て、自転車で学校へと向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 駐輪場に自転車を置いた俺は恐る恐る教室へと向かった。

 過去の経験からして、廊下で見かけられたりするこのタイミングからひそひそと囁かれることは間違いないのだが、びくびくしつつ周りを覗うも、俺を見止めて怪訝な顔をするやつはあまりいなかった。

 逆に言えば、少しはいたのだが、面白おかしく数人で噂を言い合うというよりは、単に訝しい目つきを向けてくる程度だった。そのような反応は、今までも同じであったからあまり気にしなくていいといえば、良いと思う。

 そして教室だ……

 俺は修学旅行前から数えて、およそ一週間ぶりに自分の教室へと入り、そして自分の机についた。

 はっきりいってここが最大の山場だ。

 なにしろ由比ヶ浜は同じクラス。

 ここがもっとも危険が多く、中学の頃であればすでに机は落書き尽くしであったのだから。

 だが、そんな幼稚な嫌がらせはなかった。

 机は綺麗なまま、引き出しやロッカーにはゴミが少ししか入れられていなかった。これもまあ、通常の範囲内だ。

 そして休み時間などのクラスの連中の対応。

 

 結論を言えば、俺は今日一日、誰からも嫌がらせを受けることはなかった。

 というより、誰の会話にも俺がやり玉に上がってはいなかったように思う。

 無視という嫌がらせを受けているとも言えたが、無視するも何も、今までがずっと無視状態であったのだから、それこそ今更だし、そもそも無視しながらも普通ならひそひそと敢えて聞こえるように悪口を言うもんだしな。

 ふ……流石俺、嫌われることに関しては一日の長があるボッチマイスターに小細工は通用しないのだよ。

 あれ? 目から汗が……

 まあ、嫌がらせは確かに受けなかった。

 しかし、奇妙な点がいくつかあった。

 一つは由比ヶ浜だ。

 クラスのどこをさがしてもその姿はなかった。クラスが同じなのはもう明白で、あいつの机の位置も今では把握しているのだが、その席は今日一日ずっと空席だった。つまりいないのだ。

 気になることはもう一つ。

 昼休みが終わるころ、一人のみょんみょん金髪縦ロールの背の高い女が俺の机の傍までつかつかと歩み寄ってきた。その気配を感じて顔を上げたそのとき、彼女は鬼の様な形相で俺を睨んでいたのだが、俺の元に辿り着く前に、例の戸部に告白され……なかった、眼鏡の女が腕を掴まえて、そのまま引きずって連れ帰っていた。いったい何をしたかったんだか?

 

 ともかくだ。

 

 特に俺は今日一日妙な嫌がらせを受けることもなく平穏に過ごすことが出来たのだ。というよりも、三日間も休んだことを戸塚がわざわざ心配だったと言いに来てくれたりと、いつもより良い感じであったとも言える。

 いずれにしても、俺はかなり肩透かしを食らったかっこうになったわけである。

 

 放課後……

 

 特に何も起きはしなかったが、部室には行ってみることにした。

 

 ひょっとしたら雪ノ下からはキツイ罵詈雑言があるかもとは思ったが、どうせいつまでも放置は出来ないと思い極め、俺は奉仕部の部室へと足を踏み入れた。

 すると……

 

「あら……来たのね。比企谷君、こんにちは」

 

「お、おお……」

 

 俺は小さく返事をして、長机の一番端にある椅子へと座る。

 当然だが、今は雪ノ下と二人きり。クラスにもいなかった由比ヶ浜はいなかった。

 俺はちらと本を読んでいる雪ノ下を見てから、俺も鞄からラノベを取り出そうとした。

 そのとき、彼女から声を掛けられた。

 

「由比ヶ浜さんは来ないのかしら?」

 

 そう問いかけられて、俺はもう一度彼女へ視線を向けた。

 

「いや、今日は休みみたいだぞ」

 

「そう……由比ヶ浜さん、今日()お休みなのね」

 

「は?」

 

 俺はその雪ノ下の言葉に思わず変な声で応じてしまった。だが、彼女はそれを特に気にした風でもなく、なんでもないように答えた。

 

「あら? 知らなかったの? 由比ヶ浜さんもあなたと一緒で、修学旅行からずっとお休みなのよ」

 

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