『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
「由比ヶ浜が……来てないのかよ……」
「そう言ったつもりなのだけれど……やはり人語は解せないということなのかしら? ヒキガエル君?」
「おい、そこいきなり罵倒するのやめてね。身構えてないと結構ダメージあるんだからね」
相変わらず表情は乏しいが、少し嬉しげにも見える雪ノ下。なにお前まさかひとりぼっちだったのが寂しかったのかよ。どうでもいいけど、人の心にダメージを与えて満足するの勘弁してね、俺そっちの趣味に目覚めちゃいそうだから。
おっと、趣味の話はどうでもいい。
それよりも、由比ヶ浜の奴、来ていなかったのか。まあ、俺だって学校に来ていなかったわけだから人のことに口を出せた義理ではないが、いったいなんでだ?
確かに俺はあいつを罵ったが、それであいつが来ない理由にはならないように思う。
悪いのは完全に俺なのだし、俺を悪として集団リンチで成敗した方がよほどスッキリするはずだ。やられる俺としてはたまったものではないが。
だが、今日一日過ごした感じ、どうもあいつは俺を貶めようと動いた感じはなかった。
ほんの一本、スマホで友達に俺のことを訴えれば良いだけの話だ。そうすれば登校しなくたって、俺の所為で傷ついたから学校へ来れなくなったのだと、いくらでも物語を拡散することは可能なはずだ。だというのにそれをしていない?
なぜ?
俺がそう思考していたところへ、雪ノ下の声が響いた。
「私は……あなたと由比ヶ浜さんの間に何かがあったから……彼女もあなたも学校に来れなくなったのだと……そう思っていたのだけれど……」
「そ、そそそんなわけ、ね、ねえだろ。あるわけねえ……わけでもねえが」
めっちゃ噛みまくりだよ、まさにその通りだったわけだから全然否定できねえ。
「ふう……やっぱり……一匹狼を気取った、羊の皮を被った送り狼だったわけね、不潔」
速攻で本で口を覆ってから俺を睨む雪ノ下。
「いったいお前は何を想像してやがんだ? そもそも俺は本当に何もしてねえよ……その……ちょっと話をしただけで……」
まあ、あのまま良い雰囲気だったら、何もないなんて言えやしなかったわけだが、ごにょごにょ……
「その話した内容が最悪だったというだけのことでしょう。はぁ、由比ヶ浜さんも良い迷惑ね、人の優しさにかこつけて自分本位な意見を垂れ流されたりとかしたんでしょう、本当に可哀相」
「おい、さも見てきたようにそう言ってるが、全然違うからな? そ、そういうお前だって、あの時特に何も言わないでさっさとホテルに帰っちまったじゃねえか」
「あ、あれは……」
俺の言葉に一瞬息を飲んだ感じの雪ノ下。彼女は一度目を閉じ静かに息を吐いた後で言った。
「あの時は、気分が悪くなってしまっただけよ」
「そうか? 葉山に毅然と答えてたじゃねえか。まあ、あれはどう考えてみても葉山が異常だったわけだが……」
はっきり言ってあの行為はおかしすぎる。人の告白の邪魔をしただけなのに、それを正当化してしまったわけだしな。それなら、最初っからお前が全員を押さえつけておけって話だ。
その俺の言葉を雪ノ下は驚いた顔で見つめてきた。
「なんだよ?」
「い、いえ……、あなたがそう話すとは思っていなかったから、少し驚いただけよ」
「俺だって、おかしければおかしいということだってある。あんま人を見下すんじゃねえよ」
「そう……」
雪ノ下は何か辛辣なことを言うでもなく、ただ伏し目がちにして窓の方を向いた。
そして、まるで独り言のように言った。
「何も変わっていなかったから……それを悲しく思っただけ……」
誰に言おうとしている風でもなく、本当に口からこぼれたとでもいう感じで、雪ノ下はただポツリとそう言った。
「それはどういう……?」
その時だった。
ガラガラ
「やあ、急に済まないが失礼するぞ」
「先生、ノックを……」
「ああ、済まない。だが少し急ぎなんでな」
そう言いつつ入ってきたのは平塚先生だった。
この部の顧問にして、俺の担任。
俺をこの奉仕部へと放り込んだ疫病神のような教師である。
平塚先生は白衣をたなびかせて部室へと入ると、そのまま俺と雪ノ下の前に立った。
そしてすぐに入り口の方を向いて声を掛ける。
「入ってきたまえ」
「失礼します」「しまーす」
そこに立っていたのは二人の女子。
一人は確か、生徒会長のしろめぐりさんだか、くろめぐりさんだか言う人だったか。何度か全校集会で見たことがある。ほんわかしたにこにこ顔で入ってきて早々に俺へと手を振ってきた。ええ? なんで?
「比企谷君! 雪ノ下さん! こんにちは!」
「はぁ?」「こんにちは、城廻先輩」
どういうわけかこの生徒会長様、いきなり俺を名指しで呼んで挨拶してきやがった。なんで俺のことを知っているんだよ?
それがどういうわけかまるで分からなかったが、彼女は続けて理解不能なことを発言したのだ。
「文化祭以来だねー、元気してた?」
確かにそう俺に言ったのだ。
俺はなんと返事していいのか分からず、ただこくりと頷いて見せたわけだが、本当になんのことか分からない。文化祭期間中、俺はずっとボッチでクラスの出し物の受付をし続けていただけだったはずだ。なにしろ、クラスの他の奴に、この時とばかり受付変わってくれよ比企谷君! とか、そんなネコナデ声で頼まれ続けて、俺はほぼ一日の全てを受付に費やしていたのだから。
そんな俺が、こんな美人の生徒会長とどんな接点があったというのだ?
ひょ、ひょっとして文化祭期間中にコスプレとか仮装とかした彼女に、実はアプローチされていたとか?
いや、それ以前に、文化祭期間中は誰一人女子とは会話していなかったから悩むまでもなかった。はあ。
俺の反応に満足したのか、先輩はほんわかとほほ笑んで今度は自分の背後を振り返った。
そこにはもう一人小柄な女子が立っていた。
亜麻色のショートヘアーに小悪魔めいた大きな瞳の女子生徒。どうみても男を手玉に取る気まんまんな感じが窺えるぶりっこぶりっこしている感じの女子。俺に対しても自分可愛いアピールしてきているし。
本当に俺、こんな奴相手にしたくねえ。
そんなことを思いつつ、ひょっとしたら顔にでも出ていたのだろうか、ついさっきまで俺へとキュートアピールをしまくっていたその女子が、唐突に無表情になって俺から視線を離した。
あ、この反応馴染みがあり過ぎる。新しいクラスになった際などに、クラスの女子はみんな最初は愛想よくしてくれるのだが、ある瞬間を境にいきなり余所余所しい……というより、冷たい対応に変わるのだ。眼中にないよ、というより見えてないよ、と、その行為そのものが俺の存在を消去してくれるのだからある意味ありがたい。何もしなくても存在消せるとか、いったいどどんな特殊スキルだよ。
二人は先生の紹介の後、もう一度俺たちへと頭を下げた。
そして肝心の依頼の内容だが……
こういうことだった。
もうだいぶ遅れてしまっているそうだが、次期生徒会長がまだ決まっていなかったらしい。誰も立候補していなかったのだから当然で、では誰かを推薦して……と、そうなる予定だったところ、ある生徒が立候補した。
それが、この一年の一色いろはだったようである。
ならば、それで何も問題なく信任投票で一色が選ばれれば良いだけのことの様に思えたが、話はそんな簡単なことではなかった。
一色の立候補は他人が勝手に出したものだった。
クラスメートの数人が、立候補に必要な推薦人30名の署名を集め、彼女の名前で立候補した。
当然それに気が付いた一色は、それは間違いだから立候補を取りやめにしてほしいと担任に訴えたが、どうも担任は相当熱血だったようで、君ならできる、いい機会だから頑張れ! と逆に応援してきて話を聞いてもらえず、困った一色が現会長の城廻先輩に相談し、平塚先生経由でこの奉仕部へやってきたということらしい。
まったくいったいどんな虐めなんだか。
そもそも一度受理された立候補届は、申し出ても撤回出来ないことになっているらしく、本当に意味不明だが何が何でも一色は生徒会長選挙、もしくは信任投票に出なければならないらしい。
「まあ、そういうわけだ。私はいろいろと忙しいのでな、後は君たちでなんとかしてくれたまえ。ではな」
そう言って、まるっと全部を放り投げて先生は退出した。
そして後に残された俺たちと、城廻先輩と一色いろは。
とりあえず一色に色々と話を聞いてみれば、「生徒会長になりたくない」「選挙でしょぼい候補に負けるのは嫌」「サッカー部のマネージャーは続けたい」
以上! なめてんのかこの一年は。
いったいこれを俺たちにどうしろというのだ。
こいつの依頼を達成するためには、それこそ誰もが納得出来そうな候補を擁立する必要があるわけだが、その手のやる気のある奴がいるなら、とっくに立候補しているはずだし、今から探したところで応じてくれるかはほぼ絶望的だろう。では信任投票で一色を落選させればと考えてみれば、そんな負け方はカッコ悪くて嫌! ときた。そんなこと言われたって、そもそも俺の方が関わりたくないのだがな。
うーむと悩んでいると、雪ノ下が何やら怪訝なまなざしを俺へと向けてきた。
「なんだよ?」
「……普通に候補者を擁立するのは難しいでしょうから、一応比企谷君の意見も聞いておきたいと思ったのよ。ほら言うでしょ? 一寸の虫にも五分の魂って。あまり無碍にするのも可哀そうかと思って」
「そこでどうして俺を虫扱いするんですかね。無視されるよりはましですけど」
「なかなか上手いことを言っているようだけれど、私は無視する気はないわよ? 害虫は駆除しないといけないもの」
「ゴキブリ扱いマジやめてね」
にこりと微笑んでいる雪ノ下に殺意すら芽生えそうになるが、こいつがここまで流暢に話すのも珍しい気がして、つい俺も調子にのって話を合わせてしまった。
そんな掛け合いを、目の前の二人の依頼人は物珍しそうに眺めていた。
やめろよそんなわくわくした顔で見るの。マジで恥ずかしいから。
「あー、まあ、なら俺の意見を話すがな……そもそも依頼の『無難に選挙に落選したい』ってのが無茶なんだよ。そもそも、一色……さんは、周りの連中に嵌められて今の状況に陥ったわけだ。なら事実を暴露してその連中に謝罪させて、話そのものが陰謀だったと公言した方がいいんじゃないか? そうすれば聞いた全員が同情して理解してくれるんじゃねえか?」
「おお……確かに」
俺の言葉に一色が感嘆の声を上げて頷いている。や、やめろよ俺の顔を凝視するの。恥ずかしいだろ。
「で、でも、それはちょっと……問題もあるような……」
一色の隣で城廻先輩は唸りつつ小首を傾げていたのだが、そこへ雪ノ下が顎に手を当てた姿勢のままで顔を上げた。
「言いたいことは分かったけれど、具体的にはどうすればいいと考えているの?」
「例えばだが、一連の出来事を文章でまとめて教育委員会とか、校長とかに送りつける。首謀者の名前、それを容認した教師、それとどんな被害をどうこうむったか、出来たら医者の診断書もつけて精神疾患の疑いもあるとかなんとか、そんなことを添付して『今回の事件』を告発する。そうだな……直接本人がやって内申に響くのが怖いとかいうなら、『勇気ある匿名の学生』が送ったでもいい。メールとかなら誰が書いたかなんて分からないからな。一色の辞退を認めないなら、関係者全員の名前入りでマスコミにリークするとか添えれば……今はパワハラとか体罰ネタならすぐにみんな飛びつくからな」
「あくどいですねぇ、先輩」
俺の言葉に目を輝かせる一色……
だが、うちの部長様の反応はまるで違った。
「それをもし本気で言っているのであれば、私はあなたを心から軽蔑するわ。あなたのそれは紛れもなく『脅迫』よ」
「金品を要求するわけでもねえし、匿名なんだからやったのが誰かもわからねえだろ。一番安全に解決出来る方法だと思うがな」
そこまで言ったときだった。
「あなた……本当に比企谷君?」
「え」
言われて顔を上げて見れば、そこには俺へと悲しげな顔を向けてきている雪ノ下。
俺はその少し潤んだような瞳に思わず息を飲んだ。
「私の知っている比企谷君は、自分自身が無茶をしても、敢えて他人を貶めるような行為はしなかったわ。それでは安全な所から高みの見物をしているようなもの……いったいあなたに何があったのか分からないのだけれど、私は部長としてその案を飲むわけには行かないわ」
そう彼女は言い切った。
いったいなんだよ。
俺はただ最善と思える方法を言ってみただけじゃねえか。
俺の何を知っていると言うんだよ。
雪ノ下の真面目なキツイ言動に俺は内心のイライラを隠しきれなかったのだろう、雪ノ下は俺を見て不快な顔に変わっていた。
当然だが、雰囲気は最悪だ。依頼者の二人もどこか居心地悪そうにしながら、今日の話は終わりになった。
× × ×
無言のままで部室を後にした俺は、その場で雪ノ下と別れ、すぐに帰路に着く。
と、昇降口を出ようとしたところで一人の女子が待ち構えていた。
「せーんぱい」
手を後ろで組んで見上げるように俺を見る女子は、まぎれもなくさっきまで部室に来ていた依頼人の一色いろは。彼女は特に動じた風もなく、ごく自然に俺へと近づいてきた。
なんで俺に近づくんだよ。やめろよ、人目があって恥ずかしいだろうが。
そんなことを思いながら何も話さないでいると、とてとてと近づいた一色が俺のすぐ目の前に来て、言った。
「先輩って悪い人なんですか?」
「はあ?」
突拍子もない一色の言葉に思わず変な声が出る。
いや、何を言ってるんだこいつは。
一色はにこにことしたままで続ける。
「2年の比企谷先輩は女子を泣かせる最低な男子だって噂になってるんですよ?」
なにその噂超怖いんですけど。
まったく身に覚えがないわけでもないから、逆に戦慄するのだが、やはり由比ヶ浜を泣かせたことが広まっているということか? いや、それにしてはクラスでの反応はあまりにも素っ気なさすぎる気もしたが……
これはもはや、関わるのも嫌だから、噂だけで抹殺してやろうとか、そんな計画なのか?
や、やめろよ、こんな仕打ち。八幡本当に泣いちゃうからな。
一色は小悪魔めいた顔で微笑みながら口を開いた。
「ふふ……でも、先輩のおかげでなんでこんなにイライラしていたのかよく分かりました。私、みんなと先生に嵌められたんですよね? それならやっぱり復讐しなくちゃですものね! うんうん」
そう微笑む一色は俺へとぺこりと頭を下げた。
そして……
「だからありがとうございました。これで私もスッキリ出来そうですよ。それでは、失礼しますね! ではではぁ」
そう言って、片目をつぶってウインクをした彼女は正門の方へと向かって歩いて行った。
俺は……
ただ、目の前で何かの事態が進み始めていることを理解しながら、それがあまり小気味いい物ではないことを肌で感じていた。
そして事件が起こった。