『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
「そ、それはどういうことかしら?」
雪ノ下が困惑した顔でそう由比ヶ浜へと声を掛けている。それは俺も全くの同感で、いったい由比ヶ浜が何を言いたいのか皆目見当がつかなかったから、ただ彼女が何を言うのか待った。
そして、一色を撫でてその身体を離した由比ヶ浜が言った。
「えーとね、あたし、そこの比企谷君に俺の前から消えろって怒鳴られたの」
「はいっ!?」「ええっ!?」
当然俺も跳びはねたわけだが、雪ノ下と一色の二人も猛烈に反応して俺を見た。
まあ、その表情はまったく違うもので、一色は喜色満面興味津々、雪ノ下と言えば、明らかに俺を軽蔑した様子でキッと睨んでいた。
そりゃそうか。なにしろ、由比ヶ浜が学校に来れていなかったわけを、この俺があいつに何かしたと雪ノ下は考えているわけで、俺はこの一連の経緯を黙っていたのだから当然訝しむに決まっているのだ。
もう、布団被って隠れたい気分満々だったが、逃げも隠れも出来るわけもなく、俺はただ冷や汗をだらだら掻きながら表情が変わらないように必至に取り繕って固まっていた。
「比企谷君、あなた……」
そう雪ノ下が言いかけて、それを由比ヶ浜が即座に遮った。
「ゆきのん、違うんだよ! 大丈夫だから。それを今から説明するから」
由比ヶ浜はそう言って、椅子に座り直して大きく深呼吸した。そして俺達を見ながら口を開いた。
「あたしね、ここ最近のヒッキーがなんかおかしいなってずっと思ってたの。修学旅行に行くちょっと前くらいかな? なんだか変に余所余所しいし、話しかけても前と違う答えを言うこともあったし……」
そう言われてみれば、俺に話しかけている時の由比ヶ浜は何か思案しているような様子の時が多々あったような気がする。その都度考えながら俺へと話しかけていたような……
それはつまり、質問を投げかけてその反応を試していたということなのか……でも、いったいなぜ?
俺がその話を不思議に思っていたところで雪ノ下が質問した。
「そう……だったかしら? 私にはいつもと変わらないように思えていたのだけれど。そう、いつもと同じで中身のない話しのオンパレードだったような……」
「今はっきりお前の中の俺の存在を認識できたよ、雪ノ下。そろそろ本気で泣いちゃうからね」
そう反応した俺に彼女はクスリと微笑んだのだが、由比ヶ浜は全く違うことを言った。
「そうなんだよ……話している感じはいつもとあまり変わらなかった。でも、前にあたしと話したことに触れるとね、それを全然覚えてないの。文化祭のことも、夏休みのことも。それと……あの私たちが初めて出会った、事故のことも……」
またそれか。いったい何のことだか……
と、少しイラッとして問い詰めようとしたその時、今度は雪ノ下が怪訝な顔を俺に向けてきた。
「それは本当なの?」
「なにがだよ」
「だから……あの事故のこと……あなたは本当に覚えていないのかしら? 入学式の日のことを……」
「はあ? 入学式だぁ? 何かあったのかあの日に。何もなかったような気がするが」
入学式入学式入学式……いや、いろいろ思い出してみるがまったく何もねえよ。
そもそもだ。俺はあの暗黒の中学時代の黒歴史を払拭しようとしてこの学校へ進学したんだ。確か、あの頃は偏差値の高いこの学校に入学出来て、心機一転頑張ろうとか、かなりやる気まんまんだった気がする。
だが、何もねえはずだ。女子との出会い……はおろか、入学式から今に至るまで友達らしい友達を作ることすらできなかっ……いや、つ、作らなかったんだからな……くぅ。
我が身を振り返ってどんよりしていたこの俺のことを、何やら雪ノ下が困惑顔で見つめ、そして由比ヶ浜も満足げに頷きつつ見ていた。お前らこっちみんな。
「ね、言ったとおりでしょ?」
「し、信じられないわ」
「だから何がだよ」
こいつらのあんまりな反応にだんだん怒りがこみあげて来たわけだが、それに構わずに由比ヶ浜が爆弾を投下し続けた。
「あたしね、おかしいなとは思っていたけど、トベっちの応援のこともあったからずっと比企谷君と一緒にいたの。でも、最後あんな風になっちゃったでしょ? だからあの時泣いちゃって……、それで比企谷君と二人きりになった時にちょっといい雰囲気になってね、それで告白されて……」
「ちょちょちょちょーっと待った! いや、待って! ねえ待って! ゆ、ゆゆ由比ヶ浜!! な、なんでそれ言っちゃうんだよ‼ 言うなよめっちゃ恥ずかし……」
「落ち着いて比企谷君! まだ終わってないし!」
「ぬぅ!!」
何故か冷静にそう諭す由比ヶ浜。一色はきゃーっと頬を染めてわくわく顔なままだし。
こ、こいつ、こんなに計算高いやつだったのか! 人に合わせるのが上手いことはなんとなく知っていたが、まさかここまで人を手玉に取るのが上手かったとは。俺の人生……オワタかも。
「続けるね、それで告白されたんだけど、本当にヒッキーが言ってくれてるのかもって思ったらあたしもどうしていいのか良く分からなくなっちゃって、それで、あの時あたしとヒッキーだけが知っている話をしてみたの……そうしたら……」
「はあ? ちょ、ちょっと待てお前。お前と俺が知っている話? いや、違うぞ。あの時お前は意味不明なことを言っていた。俺は本当に知らなかったし、そもそも俺とお前はまだ会ったばかりだったじゃねえか。それなのに、なんでこんなことを言われ……あれ?」
俺が話すごとに、正面の雪ノ下の表情が強張っていくのを確かに感じ、そして俺は何も言えなくなった。
そんな雪ノ下を見ていた由比ヶ浜は……
「ね? こういうことだよ」
穏やかだが、冷静に彼女は言い切った。
そして雪ノ下。
「本当のこと……なのね……。まさか記憶喪失……ではなさそうね、あなたの行動が平常すぎるし、会話も理路整然としすぎているもの。では……あなたは……いったい……誰?」
まさかの雪ノ下からの誰なの発言。これには正直俺も混乱した。
ほぼ初対面の由比ヶ浜だけならともかく、既知の雪ノ下からも同様の反応があると本当にへこむ。まさか俺は本当に『別人』なのか? 意味がわからん。
俺は普通に自宅で暮らしているし、両親も妹の小町もいるし。それに自分で進学したこの総武高へも通っているし、クラスだっていつもと変わってはいない。
変わっていたとすれば、この目の前の由比ヶ浜だ。今までまったく知らない相手だったのに、ここ最近は妙に馴れ馴れしく、当たり前のように一緒に行動していた。
そう考えると、俺には由比ヶ浜の存在が空恐ろしく感じられて……
感じられたが……同時に何やら腑に落ちたような気もし始めていた。
いや確かに完全な理解ではないが、俺の中の過去の日常と、今の日常では若干……なにやら差異が生じていたことも事実であったのだから。
困惑した俺に対して、雪ノ下と由比ヶ浜はお互い見つめ合ってからコクリと頷いた。そして、由比ヶ浜が立ち上がって椅子を並べ直し始め長机を挟んだ俺の対面に一番左に腰を下ろし、雪ノ下は窓辺に置いた自分の鞄からノートとペンを取り出してきて対面の中央の椅子に……そして何故かその右隣の椅子にわくわく顔の一色も並んで座って……
「って、なんだこの座る配置は? 俺は取り調べを受ける容疑者か!」
そう言った直後に雪ノ下が鋭い眼差しを俺に向けてきた。
「それでは取り調べを開始します」
ノリノリだな、おい。
× × ×
「つまり比企谷君A……あなたは、特に友人も作らないまま2年に進級して、平塚先生に目を付けられ、この奉仕部へと入部することになった……そこの部員は部長の私一人だけだった。そこまでは間違いないわね?」
「ああ、そうだよ」
雪ノ下はサラサラとノートにメモをとりながら、本当に尋問官のように俺へと端的に質問を繰り返した。俺はそれに都度都度答えているわけだが、その『比企谷君A』とか本当にやめて! どっかの巨人ヒーロー物とかSFロボット物とか、王子様物の野球マンガのタイトルみたいで超恥ずかしいから。
そんなことおかまいなしに雪ノ下は続けるわけだが。
「で、比企谷君Aは奉仕部員となった後、主に材木崎君と交流が深くなり、彼の小説の寸評などをおこなっていた……と」
「材木座な。いい加減覚えてやれよ可哀そうだから。お前と違って俺は特にやることもなかったからな。一度あいつの小説の評価をしてやってからはほぼ毎週のように俺のところに通ってきてたから間違いない」
「仲が良いわね……付き合ってたの? お嫁さん?」
「ちげーよ。ただでなくてもボッチで蔑まされてるのに、そんな噂流されたらマジで死ねるからな」
マジで勘弁してください。あいつとそんな噂流されたらもう俺この学校来れないから。というか本当に死ぬ。
なぜか楽し気な雪ノ下に良いようにあしらわれつつ、あれやこれや聞かれ、気が付けば目の前の女子三人はまるで習字のお手本の様に綺麗な字で書かれた雪ノ下のノートへと視線を落としていた。
「こう見るとせんぱいって、本当に何もしてなかったんですねー。学校来てて楽しかったんですか?」
それ生きてて本当に楽しいの? って聞こえちゃうからね、一色さん。
一年にまで疑問に思われる俺の高校生活……なんだろう、涙が。
そして由比ヶ浜だ。
「えっと……で、比企谷君があたしと初めて会ったのは……」
「だからさっき言ったろ? あれだ、体育祭が終わってしばらくしてからだよ。ちょうど修学旅行の班決めをしてた頃で、俺が部室に来たら、お前が雪ノ下と一緒にいたんだよ」
「だよね……だからさ、やっぱり……」
由比ヶ浜は再び雪ノ下達を見つめる。
そして言った。
「そこが『
そして、ドンと先ほどから手に持っていた妖しさ満点の月刊誌『ム〇』を取りだした。そしてそれを徐に開くと、ペラペラとページを送り、とあるページに辿り着くとそれを俺達へとバンと広げて見せた。そこには……
「なになに……『パラレルワールド? ……世界は現世を一面として、数多の並行世界を伴って存在している。その世界は似て非なるもので、様々な因果の選択の果てに変わっていく様がもう一つの可能性の存在としての世界として残り続け……』なんだこれは? 何を言っているのかさっぱりなんだが」
もはや書いてあることがスピリチュアル過ぎて、理解が本当に追いつかないのだが、それを一緒に読んでいた雪ノ下が端的に言った。
「つまり、私達がいる世界の周囲には私たちの世界とは違う歴史、過去を辿った似た世界がたくさんある。ということかしら?」
そう断定的に述べた雪ノ下に、うんうんと頷いた由比ヶ浜が応えた。
「そうそれ!」
端的過ぎて逆に不安になる反応なのだけどな。
「つまりお前は……『この世界と似ているけど違う世界』から……俺がやってきたと……そう言いたいわけだな」
「うん!」
そして由比ヶ浜は大きく頷いた。
ま、マジかよ……
愕然となっている俺の前で由比ヶ浜が続けた。
「あのね、最初はあたしもそんなことあるわけないって思ってたの。あの告白の時、比企谷君が酷い事言ったのは何か別の理由があったんじゃないかって。事故に遭って記憶喪失になったとか、本当はいじわるで、あたしを傷つけようとしてたんだじゃいのか、あたしの方が壊れてて、あたしが勝手に比企谷君のイメージを作ってただけで、それを本物だと思い込んでいただけなんじゃないか……って。あはは、でもいろいろ考えてたらね、本当にすごく悲しくなっちゃって、あたし学校に来れなくなっちゃったの」
明るくそう笑う由比ヶ浜だが、でも確かにそれは辛そうだ。自分の記憶と違うことが目の前で繰り広げられる。まるで自分の頭が壊れてしまったのかも……そう思って平常で居られるやつはやはりいないだろう。
「でもね、何日か休んで、色々悩んで、色々考えて、そうしたらやっぱり色々おかしいって思えてきてね、それで思い切ってパパに相談してみたの。『今まで仲の良かったあたしの友達があたしのことを全然覚えてないのはなんで?』って。そうしたらね、パパがこの本を見せてくれたんだ」
言いながらタンと『ム〇』の表紙を見せる由比ヶ浜。
「って、おい!」
おいおいおいパパガハマさん。いったい何を娘さんに見せてるんでしょうかね? どこの世界に悩んだ年頃の娘にオカルティック大爆発な本を差し出す父親がいるんだよ! せめて赤い方をだそうよ‼ 科学の方!
「パパの部屋の本棚、この本いっぱいでね、これ貸してくれる時、パパ本当に嬉しそうだったんだ。あ、ママには内緒だよとも言ってたけど、そういえばなんでかな?」
パパン……自分の密かな楽しみを娘さんと共有したかったわけですね。なんだろう……泣ける。
「あたし色々調べてみたんだけど、他にも可能性があって、『宇宙人に捕まって改造された』とか、『ヒッキーに誰かの霊が憑依している』とか、『実はヒッキーにそっくりなモンスターだった』とかね! でもなんとなく、その辺のことは違うような気がしたんだよね」
「なんとなくじゃなくて、間違いなくそんなわけないからな。そもそもその本だけで調べるの完全におかしいから」
「それで……由比ヶ浜さんは比企谷君・異世界人説を唱えたわけね」
「うん、そう!」
「なるほど……」
いやいや、お前ら完全に俺のこと無視しているよな。やめろよそんなので俺を判断するの。なんだか、俺が本当におかしいみたいだろうが。まあ、言われれば言われるほどにどんどん自分の記憶とかに自信がなくなってくるわけだが。
「でもそれだけでは証明にはならないわ、由比ヶ浜さん。だって、それはあくまでこの目の前の『比企谷君A』が今までと変わっていたことに対しての考察だけじゃない。貴女の言う通りであればもう一人、今までここに存在していた所謂『比企谷君B』がこの世界から消えた証明……もしくは、もう一つ別の世界があるということを証明する必要があるわ。そうでなければ、それはやはり、ただのオカルト……戯言の域を出ない推察でしかないわ」
「そ、それは……」
口ごもる由比ヶ浜だが、雪ノ下の意見はもっともだ。
今のままなら、俺や由比ヶ浜が単にアルツハイマーの様な症状で現状把握を出来ていないだけ、ただの妄想の世界にいると言っているようなものだ。むしろ普通ならそう考えて、病院などで診断されれば、精神疾患、現実を認識できない精神障害とか、そんな風に診断されて、隔離病棟行まちがいなしだろう。
いや、だったら普通を装って生活しますよ、俺は。別に過去の認識が違っていたって、俺には痛くもかゆくもないのだから。
由比ヶ浜を見れば、すこし気落ちした様子で項垂れてしまっているし。
俺と違って由比ヶ浜はどうもこの件をもっと深刻にとらえているのかもしれない。だからこそ、こんな怪しい本まで持ち出したのだろうし。
まあ、今はどうしていいのかはまったく想像つかない。この際もう暫く時間をかけて彼女の話を聞いてあげる必要があるかもしれないしな。
い、一応お互い告白しあった仲だしな……あの後、いろいろあったけど、これでまた上手くいったりしたら儲けものだし、ごにょごにょ……
「なあ、由比ヶ浜……今は慌てないで……」
そう慰めようと思った時だった。
「むっふーん! と気合を込めて我参上! 我が心の
「いや、それもう夏前に読んでやったじゃねえかよ? 話の設定がありきたり過ぎのうえに、ほぼ全編過去の名作の完パクだったやつじゃねえか。一発でくそ駄作って蹴っ飛ばされるって忠告してやったろ? っていうか、いきなりはいってくんな」
「はぽんっ!? 我がこれを八幡編集に持ち込むのはこれが初めてのはずであるが……というか、くそ駄作って、酷いっ! 読んでもいないのに八幡ひどいいいいいいっ!」
「誰が編集だ……もうそんな駄作二度と読みたくなんか……あれ?」
見れば、由比ヶ浜と雪ノ下、それに一色も俺へと興味深げな視線を送ってきているし。
そして一色がポツリと言った。
「あの……これって異世界の証明になるんじゃないですか?」