『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(12)『八幡』と『もう一人の八幡』

「ヒーロー?」

 

「そう、ヒーロー」

 

 由比ヶ浜があっさりとそう口にして、優しく微笑んでいた。

 俺はその無警戒な表情にドキリとしていることに気が付く。と、同時に、いたたまれなくなって気が付けば質問をしていた。

 

「な、なんでそう思うんだ? そいつが……いったい何をしたって? あ、あれか? 犬を助けたとかってやつか?」

 

 そう、俺は言いながら先ほど聞いたことをいろいろ思い出していた。

 入学式の朝、この世界で俺は由比ヶ浜の飼い犬を助けたらしい。

 犬を連れて早朝に散歩していた由比ヶ浜は、たまたまリードが切れて走り出してしまった犬を追いかけるも、交差点に飛び出したそこに黒塗りの大きな車が差し掛かり、愛犬があわや轢かれてしまうところであったそうだ。

 だが、そこに飛び出したのがこの俺。

 通学中で自転車に乗っていたらしい俺は自転車が壊れるのもお構いなしに車の前へと飛び出して、犬を抱えたままその車に撥ねられたということの様だ。

 正直、俺がそんなことをするなんて想像することも出来ない。

 人のためどころか、犬のためにそんなことを俺がしたのか? いったいどういう心境だったんだか訳が分からないが、そのせいで入院までしたらしいし、そりゃあ、それならヒーローなんて思われることもあるのかもしれない。俺はそう思っていたのだが……

 

「あ……うん、それも……ある……かな? でも、最初は本当にヒッキーに申し訳なくて、どうすればいいんだろう、どうしたら許してもらえるだろう……ってそればっかり考えてたの」

 

 由比ヶ浜はそう言いながら本当に申し訳なさそうに下を向いて頬をポリポリと掻いていた。

 俺はそんな彼女の次の言葉を待った。

 

「あたしのせいでケガをして入院までしちゃって……絶対怒っているだろうな、きっと許してはくれないだろうな……そう思いながら謝りに行ったけど、結局会うことも出来なかったし、それで怖くて……気が付いたらあっという間に一年経っちゃって……だから、最初はヒッキーに会うのが本当に怖かったの……きっとあたしのことを軽蔑しているだろうな、凄く怒ってるだろうなって思って」

 

 由比ヶ浜は笑っていた。だが、その瞳は今にも涙が溢れそうなほどに潤んでしまってもいた。

 俺はそんな彼女からそっと視線を外した。

 

「それでも……あたしはヒッキーにちゃんとお礼もお詫びもしたかった。あたしのせいであんな目に遭ったのに、一度もきちんとお話もしたことがなかったから……でもね!」

 

 そこまで言った彼女は、たんっと俺の正面に飛び跳ねてこちらを向いた。そして微笑んで言ったのだ。

 

「2年になったらヒッキーと同じクラスだったの! だからね、これでやっと、ヒッキーに謝れる。謝って許してもらえたら、きっとこのモヤモヤした怖い思いも消えるはず。そう思ってたんだけど、ヒッキーってば全然目も合わせてくれないし、話しかけようと思うとすぐにいなくなっちゃうし、誰も友達いないみたいだし……」

 

 一体何をやっているんだヒッキーは! ……って俺のことか。はあ、まったくその通りなことを俺はもう長いことずっとやってきたのだ。

 誰にも興味ない風を装って話しかけられる前に逃げていたし、自分から他人に対してのアクションは起こさないように気を使っていたくらいだし。ただ、その反面、周りの連中の観察だけは続けていた。それは自分がそこに関わらないようにするための情報収集ではあったけど、同時にくだらない話や行為に興じている連中を見て鼻で笑い小馬鹿にしたりしていたのだ。

 周りの連中はバカばかりだと決めつけ、その反面、どんな奴らなのか知ろうともしてこなかった。

 由比ヶ浜はそんな俺に声を掛けようとしていたのか……

 無理に決まっているじゃねえか。俺は完全にシャットアウトしていたんだからよ。

 

「それで、お前は奉仕部の戸を叩いたのか」

 

 俺への『お礼』をなんとかしたくて……

 由比ヶ浜は微笑んだままで俺を見上げた。

 

「そう……でもそうしたらね、そこにヒッキーがもう居たし、本当にびっくりしたの。なんでここにいるの? どうして? って混乱しちゃって……でも、依頼でって来ちゃったからもう後に引けなくて、それであたし、ゆきのんとヒッキーに手作りのクッキーを作るのを手つだってもらったんだよ。あはは、あげたい相手に手伝ってもらうなんて、そんなのないよね。それにあたし、今まで一度もクッキー作ったことなんかないもん、上手にできるわけないよね、だけど……」

 

 彼女は少し頬を染めて照れた感じで続けた。

 

「ヒッキーは貰ってくれたの。あたしが作った、真っ黒な、美味しくない、変な匂いもする出来損ないのクッキーを。それであたし、思ったんだ。ああ、優しい人だなって」

 

 そう語る由比ヶ浜に、だが俺は全く違う感想を抱いていた。

 そうじゃないだろう。俺はその時、きっとただ舞い上がっていたのだ。女子と碌に接点もなく、会話だって殆どしたことがなかったのだ。そんな俺が女子から贈り物をもらったのだとしたら……

 もう考えるまでもない。この前の修学旅行の時の俺と同じだ。

 良い雰囲気だったから、ひょっとしたら俺に好意があるのかもしれない。

 そんな手前勝手な俺自身の欲望そのままに行動したに過ぎない。思いを乗せて俺へと手渡した由比ヶ浜の気持ちを思っていたわけでもないし、ましてそこに彼女への許しをのせた優しさなんかなかったはずだ。

 ただ、俺は彼女を傷つけないように行動していただけなのだと思う。優しい振りをしていただけ。

 俺は彼女を騙していたのだろう。

 それが手に取るように分かって、俺は自己嫌悪に陥った。

 

 だが、由比ヶ浜は俺の変化には気が付かないままに話をつづけた。

 

「それからあたしは奉仕部でヒッキーとゆきのんともっと仲良くなりたくて、いっぱいいっぱい頑張ったの。まだヒッキーにきちんと謝ることも出来てなかったし、あの事故のことも話せてなかったから。だから、もっと仲良くなれればきっと、ヒッキーにちゃんと謝れるはず。そうするのが一番なんだって……そう思ってたけど……結局は途中でヒッキーがあたしと事故の事に気が付いちゃって……それで凄く嫌な思いをさせちゃったんだけどね……あの時は、辛かったな……あはは」

 

 由比ヶ浜は乾いた笑いのままに視線をそらした。そらして、だがそのまま言った。

 

「でもね……一緒にいろんなことをして、ヒッキーにいろんなことをしてもらって、ヒッキーといっぱい話をして、それで……それで、ヒッキーに助けられて、あたし……ヒッキーともっといたいな……ヒッキーともっと仲良くなりたいな……と、特別な関係になりたいな……って、思うようになったんだ」

 

 彼女は一度目を閉じてから静かに呟くように言った。

 

「頑張ってるヒッキーは……あたしのヒーローなんだよ」 

 

 そう聞いた瞬間、俺のことでもないはずなのに、顔が燃えるように熱くなる。

 こいつ、なんでこんなことをすらすら話せるんだよ。

 

「お、お前な……そんなこと言うなよ、は、恥ずかしい」

 

「あ、え、あ、そそそういえば、そうだよね。あはは、あ、あたしなんでこんな話しちゃってんだろ、あはははは」

 

 急に由比ヶ浜も真っ赤になって胡麻化し始めたが、もう遅すぎるからな。

 いったいどれだけそのヒッキー君が好きなんだよ。好きだとか、私のヒーローだとか、やめろよ本気で恥ずかしいよ、俺は。

 

 二人して校庭済みで真っ赤になって立ち止まったまま、動くことが出来なかった。

 いったいなんなのだ、この状況は!

 俺はただそのヒッキーのことを聞いていただけなのに、いつの間にか、こいつの惚気話みたいになっちまって、しかもその相手が要は俺のことで……

 なんでこいつは自分が気になっている相手にこんなふうに話せるんだよ!

 混乱したままの俺は彼女を見た。

 

「お、お前がそのヒッキーを大好きなのは良くわかった。完全に了解した。でも頼むからその、す、好きだとか言うの、そういうのはちょっと控えてくれよ、お願いだから」

 

「そ、そうだよね。おかしいよね、ほんとうに」

 

 まだ笑っている由比ヶ浜だが、彼女はポツリと言った。

 

「変なんだ。比企谷君がヒッキーじゃないって思ったら、今までヒッキーに言えなかったことも言っていいみたいに思っちゃって……」

 

「お前な……女子に好きな男子の相談される、そのただの友達の気持ち考えたことある? あれは下手に告白して振られるより、よほどダメージ大きいんだぞ」

 

「ほ、本当にごめん」

 

 女子にねえねえって仲良さげに近寄られて、良い感じになったと期待に胸を膨らませていたら、その口から飛び出したのは他の男の話。完全に俺眼中ないって言い着られているような状態で、しかもアドバイスしてやならないといけないとかどんな拷問だって話だが、男ってこういうとき、必死に良い人になっちゃうんだよなー、全然もう脈ないのに。比企谷君には話しやすいんだよねー、もっと私の話聞いてとか……うへへ……いや、ただの妄想です。俺は経験したことまったくありませんです。

 とはいえ、今回は特殊だ。

 なにしろ、由比ヶ浜の思い人は『もう一人の俺』のことで、俺とほぼ同じスペックなのだという。

 それなのに、そのもう一人を好きよと言われることのショックの大きさよ。

 ん?

 ショック大きいか? いや、そんなにショックはないな。確かにお前よりあっちの方がとは言われているが、別にそこまで悪い気はしない。むしろ、由比ヶ浜がもう一人の俺のことを好きでいてくれて、誇らしいとさえ感じる。

 んんん? 俺いつからこんなに大人になったんだ?

 

 おどおどした由比ヶ浜に俺は言った。

 

「いや、俺も言い過ぎた、悪い」

 

 俺のことをほめてくれるような物なのに、俺も少し言い過ぎたな。そう思ったからこそ、彼女にフォローの言葉を言ったのだが、そんな俺を見ながら、彼女は優しく微笑んでいた。

 

「やっぱり比企谷君もやさしいね。ヒッキーと一緒だね」

 

 その花咲くような微笑みに……

 俺の心は確かに弾んでいたのだ。

 それの正体が、人から認められることによって生じた『自己肯定感』の現れなのだろうなと、勝手に結論づけつつも、俺はこの笑顔が何よりの救いにも感じられた。

 だからだろうか……

 俺はすでに、話してしまっていたのだ。

 

「そ、それならよ……その……俺で良ければ、もっと聞くよ……その……」

 

「え?」

 

 なにやら不思議そうに見つめてくる由比ヶ浜。俺は彼女へと言った。

 

「ヒッキーの話……俺で良ければもっと聞くよ。いや、教えてくれよ、もっとたくさん」

 

 言いながら、彼女がどんな反応を示すのか、次第とそれを恐ろしく感じるようになりながらも俺は由比ヶ浜の返事を待った。

 そして……

 

「うん! いっぱい話そうね!」

 

 力が抜けた。そして安堵した。

 笑顔の彼女が本当に眩しく、そして俺の提案を受け入れてくれたことがなにより嬉しかった。

 ただ、嬉しかった。

 俺は……

 このとき、またもや間違えた。

 分かっていたはずなのに、俺はやはり……浮かれていたのだ。

 だから気が付けなかった。

 

 由比ヶ浜が必死に笑顔でいようとしていたということに……

 

 彼女が助けを求めていたということに……

 

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