『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
だが、そんな表情の変化は一瞬のことだった。
彼女はすぐに笑顔になって、気安い感じで言った。
「あれあれぇ? ひょっとしてデートだったかな?」
「ち、違いますよ」「そんなんじゃないです」
由比ヶ浜とほぼ同時に否定する。
いや、まさにその通りでデートではないのだが、相手にこうまで必死に否定されると聊か傷つくというか、ショックというか……
だがここはそうするしかあるまい。
雪ノ下さんはといえば興味津々といった感じで俺を見ているし。
「うーん……必死に否定するところが怪しいなぁ」
「そんなこと言われても違うものは違いますから」
追及されまくりだからこう返しているわけだが、この人なんで俺ばっかり見ているんだよ。由比ヶ浜だっているんだから、そっちへ声をかけろよ。女子は女子同士の方が良いだろうに。
そう思うのだが、彼女は由比ヶ浜に話しかけるどころか視線一つ向けはしない。
由比ヶ浜もかなり緊張している様子で、一言も話せなくなっていた。
そして、そんな追及の問答が何度か繰り返されてから、雪ノ下さんは椅子に深く腰を掛けて伸びをして黙りこんだ。
ようやくこれで終わりか?
そう思ったのもつかの間。
「比企谷君、なんかおもしろい話しして」
無茶ぶりすぎるだろこの人。
そもそも俺達はなんの約束もしていないままにこの人と一緒にいるのだ。普通に空気読んで退散してくれよ、こういうときは。
「あー! 比企谷君のその超嫌そうなリアクション! 期待通りだなぁ!」
そう言いつつ再び俺を見る雪ノ下さん。
俺は特に何も言わないままでいたそこへ、彼女は身を乗り出して聞いてきた。
「それで……雪乃ちゃんは元気?」
「あ、はい! ゆきのんは元気ですよ。今回も生徒会長選挙頑張ってましたし」
「…………」
そう即答した由比ヶ浜へ、笑顔を向けるも、でも何も言わない雪ノ下さん。
そして、またもや俺へと声をかけてきた。
「そっか……めぐりも漸く引退だねぇ……。どうせめぐりのことだから雪乃ちゃんに生徒会長やってくれって頼んだんじゃないの?」
「いや……そういうことはなかったですね。今回は一年で立候補した女子に決まりましたし、俺達も手伝いましたから」
とりあえずそう答えた俺に彼女は言った。
「なーんだ、つまんないの。私が生徒会長やらなかったからさ……雪乃ちゃんがやってくれたらいいなってね……」
「え?」
なにやら遠くを見ているような感じの雪ノ下さんがそんなことを言うのだが、一体なぜこんな言葉が出てきたのか一瞬理解できなかった。理解できないままで彼女の顔を覗き込んでみれば彼女はさも気だるげに口を開いた。
「はぁ……つまんないなぁ……」
「…………」「…………」
当然だが、そんなことを言う彼女に俺と由比ヶ浜は何も反応できない。
というか、いったいなんなんだこれは? どういうことだ?
いきなり現れた雪ノ下さんはまさに傍若無人な振る舞いで俺へとひたすらに話しかけるのだ。そう、俺に。
すぐ目の前に由比ヶ浜がいるというのに、まるでその存在を知覚していないとでもいうかのように、彼女とは会話を行っていない。むしろ無視していると表現した方が合っているだろう。
由比ヶ浜は居たたまれないのか、さっきから下を向いて固まってしまっているし。
いや、これはちょっと酷いだろう? 特に由比ヶ浜が何をしたわけでもない。いきなり現れた雪ノ下さんにこんな対応を取られるいわれもないはずだ。
ではどうすればいいのか……
ここはやはり撤退しかないだろう。
もともと由比ヶ浜を連れてきたのはこの俺だ。
であるなら、ここから彼女を連れ出すことになんの問題もないはずで、俺にはそれを行う義務がある。
そう考えてみたことで俺の決意は固まった。
まだ何も食べていないし、買った商品はもったいないような気もするが、このままここで食べることこそ無茶だろう。だからこそ俺はすぐに行動に移ることにしたんだ。
「あー、雪ノ下さん、俺達他にもちょっと用があって……」
「あれ? 比企谷?」
「え?」
その声は唐突に俺の耳に届いた。
「うわぁ、超懐いんだけどぉ、レアキャラじゃない?」
「お、折本……」
そこに立っていた二人組の女子の内の一人は、紛れもない俺の知り合い。いや、中学の同級生だったのだ。
中学の同級生なんて、遠い記憶の淵に打ち捨てられているものとばかりと思っていたのに、折本かおりの名前はすんなりと出てきてしまった。
彼女は俺達のテーブルに近づきつつ俺に声を掛ける。
「あれ? 比企谷って総武高なの?」
「お、おお……」
「へえ? 頭良かったんだぁ、知らなかったぁ。比企谷全然人と話してなかったもんね……ん?」
言うだけ言って、俺の隣の雪ノ下さんと正面の由比ヶ浜を見る折本。彼女は気軽な感じで言った。
「彼女さん?」
「い、いや、違う」
「だよねー、絶対ないと思った」
「はは……」
何を愛想笑いしてんだ俺は、気持ち悪い。
そんな俺を見ながら雪ノ下さんが聞いて来る。
「もしかして比企谷君のお友達?」
その言い方だと、友達居たの? に聞こえるのは気のせいですか、そうですか。
「中学の同級生です」
「折本かおりです」
そう自己紹介する折本を見ながら陽乃さんも口を開く。
「あ、私は雪ノ下陽乃ね。で、こっちが……」
と、急に水を向けられた由比ヶ浜が慌てて声を出した。
「は、はい。由比ヶ浜結衣です。比企谷君のクラスメイトです」
「で、私は……ねえ比企谷君? 私達ってどういう関係なのかな? 恋人とか?」
その声に由比ヶ浜がびくりと反応したのが分かったが、この人のいい加減な言動に踊らされてばかりなのは確かに癪なのだ。
「普通に高校の先輩でいいんじゃないですか?」
「それじゃつまんないよ。あ! じゃあ、恋バナぁ~お姉さん、比企谷君の恋バナ聞きたいなぁ」
唐突にそんなことを言い出す雪ノ下さんに俺の肝は完全に冷え切った。
当然だ。なにしろこの目の前の相手に俺は……
困った感じの表情をしていた折本だったが、やはり彼女は素直だった。
「ええ? あ、そういえば、私比企谷に告られたりしたんですよぉ」
「うっそぉ」
一緒にいた友達らしい女子が大声で驚いているが、彼女達の言葉の一つ一つが確実に俺の心を削っていた。
「それ気になるなぁ」
「それまで全然話したことなかったから超びびって……」
話したことだってあった、メールだってした。
お情けでもらったメールアドレスにどうでもいい理由をこじつけてはメールをし、返ってくるか否かに一喜一憂し、そんなことがあったことも折本は知らないし、覚えてもいないのだろう。
心が抉られ傷ついた俺だからこうやって覚えているのだから。
「へえ、比企谷君が告白ねぇ」
「まあ、昔のことなんで……」
「だよねー、昔のことだし別にもういいよねー」
軽く流してくる折本。心の中に真っ黒い靄が広がり始めているのを感じていたそのとき、テーブルの下の俺の膝に何かが触れた。それが正面に座っている人物の膝なのだと理解して、すっと顔を上げてみれば、俺をまっすぐに見て心配そうにしている由比ヶ浜の顔が。
彼女は特に何を言うでもなく俺を見ていたが、そんな気遣いに俺の気持ちは少し楽になってきていた。
急な乱入者がありはしたが、やはりここは退散するのが吉だろう。
俺は由比ヶ浜に目配せをしてからスッと立ち上が……
「ダメだよ、比企谷君」
「う……」
立ち上がった俺の腕をぐいと引っ張る雪ノ下さん。彼女は微笑みの中に鋭さを仕込ませた瞳で俺をまっすぐに見ている。俺はそんな彼女の行動に驚愕すると同時に、ここに逃げ場はもうないのだと悟った。
そんな俺に向かって折本が聞いてきた。
「あ、そういえば、総武高なら葉山君って知ってる? この子超葉山君のこと気になってるし」
葉山? ってあの葉山か?
ついこの前の修学旅行であいつは自作自演によって戸部の告白を潰した。俺達への依頼を完全に裏切る形で。俺には奴の気持ちなんてまったくわかりはしないが、確かにあいつはイケメンの好青年なのだ、見た目だけは。
「まあ、一応」
そう答えた俺に歓喜する折本とその友達。だが、俺には葉山を呼ぶ気は一切なかった。そもそも電話番号しらねえし。
そこで終わるかとおもっていたのだが。
「おもしろそ! はーい! じゃあ、お姉さんが紹介しちゃうぞ!」
俺達の困惑お構いなしに、雪ノ下さんが携帯で葉山を呼び出したのだった。
× × ×
話の流れは簡単なものだ。
雪ノ下さんに呼び出された葉山が折本達と仲良さそうに話をして、そして満足した彼女達が帰っていった。ただそれだけのこと。
俺と由比ヶ浜はといえば、ずっと無言のままでその場に座り続けていた。
葉山はなぜか今回由比ヶ浜に声を掛けなかった。
それは、気をつかってのことなんだろうが、クラスでは同じグループのメンバーとして色々話をしているのを俺は知っているだけに、今回の葉山の行動は異様に映っていた。
折本達が帰った後、そのテーブルに残った葉山は深く沈み込むように座り、嘆息していた。
「どうしてこんな真似を? 彼らは関係なさそうだけど」
「そんなことないよ? あのパーマの子ね、比企谷君が昔好きだった子なんだって。あー、面白かった」
簡単に暴露してしまう雪ノ下さんに俺はもう何も言葉はない。いや、ずっと無言ではあったけどな、俺も由比ヶ浜も。結局は遊ばれているだけだ。
それは葉山も同じなのかもしれない。こんなところに急に呼び出されて、しかもそれが彼女のただの暇つぶし……もう呆れはてて言葉もない。
スッと立ち上がって帰ろうとしている雪ノ下さんを見ながら、俺もさっさとここを出ようと荷物を纏めていた。由比ヶ浜も暗い表情のままで立ち上がろうとしていたのだが、その時、雪ノ下さんが急に言った。
「あーそうだ、隼人。比企谷君とガハマちゃん、付き合ってるんだって」
「え」「は」
唐突にそんなことを言われ、俺と由比ヶ浜は同時に顔を上げた。
そして答えた。
「いや、だからそうじゃないっていいましたけど」
「うん、聞いた」
「なら、なんで……」
「わからない?」
すっとまた彼女の瞳から表情が消える。
そしてその虚ろな瞳がまっすぐに俺達を射抜いていた。そして……
「比企谷君、ずっとその子のこと心配してたでしょ? 早く二人で帰りたいってオーラ全開だったもの」
「そ、それが、なんです……か?」
彼女は薄く微笑んで答えた。
「変わったよ、比企谷君。すごく……」
俺はその後の彼女の言葉に戦慄する。
「すごくつまらなくなった」
「え?」
はっきりと断定的に、そしてその言葉の奥底に確かに怒りの様な感情をにじませつつ、彼女は言ったのだ。
「その子が好きだからって……分かり易すぎるから。今の君はまるで盛りのついた犬みたいでさ……」
「陽乃さん、いい加減にしろよ」
冷めた表情に笑顔を貼りつかせてそう言い放った雪ノ下さんに、今度は葉山が怒りをあらわにしてそう言い返したのだ。
正直俺も相当に彼女の言葉には堪えた。まさかここまで痛烈な言葉が出てくるとは夢にも思わなかったのだから。
それは由比ヶ浜も同様か。何もいえず、ただ、その場で震えていた。
激しい剣幕の葉山を一瞥してから、雪ノ下さんは店の出口に向かって歩き始める。
俺達はただそれを見送ることしか出来なかったのだが、俺はそんな彼女の微かな独り言を確かに聴いたのだ。
「雪乃ちゃんは今回も選ばれなかったんだね……」