『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
ただ茫然と雪ノ下さんを見送った俺たち。
由比ヶ浜も心ここに非ずといった風でただ目を伏せていた。そんな俺達にもう一人の同席者が声をかけてきた。
「いったいどうしたんだ? なんで君が目の敵にされているんだ。君は雪ノ下さんに一目置かれていたと思っていたんだが……」
そんな訳の分からないことを言う葉山。
「はあ? そんなわけないだろう。ただ遊ばれてるだけに決まってるだろう」
「あの人は興味のないものにちょっかいだしたりしないよ。何もしないんだ。好きなものをかまいすぎて殺すか、嫌いなものを徹底的につぶすことしかしない」
「なら俺を嫌いで潰そうってことなんだろうよ。おお怖い」
そう考えてちらと考えたのは由比ヶ浜のこと。
確かに雪ノ下さんは俺を敵視したのだろうが、同時に由比ヶ浜にも俺とは別の形でダメージを与えている。葉山の言葉を借りるとするならば、興味がない……ということになるのだろうか。なんにしても、最悪の気分だ。
俺はさっさとここを出ようと由比ヶ浜へと視線を向ける。すると、一瞬目が合って彼女はすぐに逸らして言った。
「あ、あたしももう帰るね。今日は……誘ってくれてありがとう」
「お、おう」
何がありがとうなんだかさっぱりわからない。こんな居たたまれない空間に閉じ込めて途中で抜けることも叶わずに彼女はずっとそこに居続けたのだから。そんな彼女は荷物を小脇に抱えてそそくさと俺と葉山の間を縫うようにすり抜けようとした。
俺も一緒に店を出ようとしていたところだったのだが、そこに再び葉山の声が。
「修学旅行の時は……巻き込んでしまって本当に悪かった」
それこそ今更の話だ。
あれによって俺達は何の被害も受けてはいないのだし、むしろ葉山の方が影響が大きかったはずで、それに対して俺は何を言うつもりもなかった。
だが……彼女は違った。
「なんで?」
「え?」
唐突に由比ヶ浜が言った。
その言葉はか細いが、確かに強い意志を感じさせられるもの。そのまま彼女は葉山へと続けるのだ。
「なんで謝るの? なんで自分が悪いと思ってるの? 思ってるのになんであんなことしたの? わからない……あたし、分からないよ……何を考えているのか全然、葉山君のことも……比企谷君が考えてることも!!」
え? 俺?
咄嗟にでた俺の名前に、俺は慌てて由比ヶ浜を見るも、彼女はまたもやぽろぽろと涙の雫をこぼしていた。今は葉山の話をしていたはずでそれは分かる。でも、どうしてそこで俺の名前を出したのか、本当に理解できなかった。
「本当に……ごめん」
葉山はそうもう一度謝り頭を下げた。
俺は……
どうしていいのか分からず、ただ由比ヶ浜を見続けていた。見続けてそして、堪えきれなくなったのだろうか、嗚咽しそうになった由比ヶ浜が両手で口を抑えると、そのまま小走りに店を出てしまった。
「由比ヶ……」
そう言いつつ追いかけようとして、でも追いついて何をいえばいいのか全く分からず、俺はその場にとどまってしまう。どういうことなんだこれは。本当に訳が分からない。
雪ノ下さんに散々弄ばれ、俺の黒歴史ともいえる過去まで暴露され、そのうえで由比ヶ浜のこの仕打ち。俺はいったいどうすればいいというのか。
「追わなくていいのか?」
何も動けないでいた俺に、葉山がそんなことを言ってくる。それが妙に癪に障り、俺は思わず奴へと怒鳴っていた。
「うるせいよ、お前には関係ないだろ。知ったような口を利くんじゃねえよ」
また何か俺へ小言のようなことを言ってくるのか……そんなことを思っていたところに、葉山は思いもしないことを言ってきた。
「陽乃さんは君に期待していたんだと思う。俺は……あの時『彼女』を選べなかったから……」
「はあ? いったいお前は何を……」
だがそれっきりで葉山は何も言わなかった。
俺は全てを見透かしたかのようなこいつの言動にいよいよムカついてきていたが、ただ黙って下を向く奴にもう何も声を掛ける気も起きなかった。
だから俺も、何もせずに店を出た。
× × ×
「ただいまー」
「おっかえりー! おにいちゃん!」
「おぉ!?」
家に帰って早々いきなり玄関で待ち構えていたのは、エプロン姿でお玉を持ったきゃぴきゃぴした我が妹小町ちゃん。なに、お前新妻なの!? そんなお迎えされたらお兄ちゃん色々期待しちゃうよ! いや、単に夕飯のメニューについてだけなんだが。
「ずいぶんテンション高いですね、小町さん」
「むっふっふー。聞いたよお兄ちゃん!! 今、結衣さんと付き合ってるんだって? いつの間にそんなリア充みたいなことになったの? これはあれだね! 小町のおかげ」
「はあ? つ、つきあって……? お、お前それ誰から聞いたんだよ?」
「戸塚さんに決まってるじゃん! 戸塚さんお兄ちゃんと結衣さんお似合いだって、すっごく喜んでたよぉ」
「と、戸塚? なんで戸塚がそんなこと……いや、そもそもお前戸塚のことなんで知って……、いやいやいやそうじゃない、お前、由比ヶ浜のことだってなんで知ってるんだよ?」
「へ? なんで……? なんでもなにも、前から知り合いじゃん? 小町と結衣さんと雪乃さん達」
「そ、そんなわけねえだろ、そもそも俺は一度だってお前に話したことはないだろう」
「? どういうことか良く分かんないけど、一緒に千葉村にも行ったでしょ? 忘れちゃった?」
「ちば……むら……」
何度も繰り返し出てきたその単語……俺はそれを聞いて再び戦慄する。
俺の知らない場所、知らない思い出。
雪ノ下も由比ヶ浜も話していた。そして今度は小町まで……
俺が知らないのにも関わらず、みんなはそこでの俺との思い出を持っている。そのあまりの異様さ、奇妙さに全身の肌が粟立っていた。
「どしたの? お兄ちゃん」
得体の知れない恐怖に包まれたままでいた俺は震えてでもいたのだろうか。小町は俺へと声を掛けてくるもそれに上手く答えることができない。だから俺は身を抱くようにして急いで自分の部屋へと逃げ込んだ。
「もう! お兄ちゃん、調子悪そうだけど、少し休んだらテーブルまできてね。ご飯もうじき出来るから」
そんな声が聞こえていたが、俺は自分のベッドのへりに腰を下ろして身を縮めていた。
そして自然と声が漏れた。
「世界が……違う……のか……、ほ、本当に?」
室内を見回してみる。
なんの変哲もないただの俺の部屋。
その認識に間違いはないのだ。
だが、ここも何かがやはり違う。
本棚の本の位置が俺の記憶と別の場所に仕舞われていたり、押入れの中の物の位置が変わっていたり。
最初は母親か小町が片づけでもしたのだろうくらいに思っていた。だが、そうではないのだ。
位置の変わっている本のうちで、長らく読んでいなかった本はやはり埃をかぶっていたのだから。じっくりその本を見て見ても、動かした形跡がまったくない、埃に塗れて部屋のオブジェと化しているだけだ、つまり……
ここは俺の部屋ではない!
そう、俺は今、確かにそれを認識してしまったのだ。
いや、部室でのやりとりで確かにそんな話は出ていた。
由比ヶ浜が言ったのは、俺が別人で、俺とは違う別の俺が実際にいて、そいつと俺が入れ替わってしまったのではないかという話。
客観的な証拠はいろいろあった。材木座の小説もそうだし、俺の記憶にない過去の様々な事象についての他の連中の記憶もそう。
だが、それでも俺は心のどこかで、ひょっとしたらそれは間違いなのではないか、みんなが適当なことを言っているだけなのではないかと、思い込もうとしていたように思う。
そうしなければ、俺が俺であることに自信が持てなかったから……
現実におかしなことが起きているにも関わらず、雪ノ下や由比ヶ浜はおかしな話をしているだけ……そう、思い込もうとしている自分がどこかにいて、そんな足元のおぼつかない中で俺はただ、目の前の状況にその身を置いていただけなのだ。
だが、そんなまやかしも今の小町とのやりとりで全部吹っ飛んでしまった。
何しろ俺は、小町に高校の話を一切していないのだから。
雪ノ下のことはもちろん、訳の分からない奉仕部なる部活に入ったことすら伝えてはいない。女子と二人きりの部活動……などと言えば聞こえは良さそうだが、あいてはあの最強超人の雪ノ下。俺などが敵うはずもなく、さりとて部を辞めることもできないこんな状況を、どうして愛しい妹に言えようか‼ 情けなさすぎて涙しかでない。
つまり、どんなに情報通の小町であっても知り用がないはずなのだ。特に今まで一切の接点のなかったはずの由比ヶ浜のことは……
それなのに小町は知っていた。
もはや疑う余地はない。
俺は頭を振ってから今までの出来事に想いを馳せる。
異変が起きたのはあの日の奉仕部の部室から……実際はもっと前なのかもしれないが、明確に違っていたのはあの部屋で由比ヶ浜に遭遇した時からなのだ。
そして俺は様々なやり取りの末、由比ヶ浜が提示した、俺異世界人説を了承し、少なくともあの場にいた、雪ノ下、由比ヶ浜、一色は俺の存在をなんとなくでもおかしな存在だと認定していたのだ。だというのに俺ときたら……
頭の隅で、いやおかしいのは周りの連中だ、お前はおかしくない。と、そう自分に言い聞かせていたようにも思う。
「くっそ、なんだってんだよ」
思わず口をついたそんな言葉に、俺は頭を掻きむしった自分の両手を目の前に持って来てそれをまじまじと見た。
「俺は……『偽物』なのか……」
そう自分で思えてしまったことで、心に大きな穴が開いてしまったようなそんな寒々しい思いに囚われた。
由比ヶ浜は言っていた。
俺は別人だと。俺はヒッキーではないと。
だからあいつは俺を『比企谷君』と苗字で呼ぶようになったのだ。つまりあいつにとっての本物は『ヒッキー』であって、この俺、『比企谷君』はあくまで偽物……
そうだというのに……そうだったというのに、俺はいったい何を勘違いしていたのだ!
優しくしてくれる由比ヶ浜に甘え、あいつにべったりな毎日だった。いままで俺は女子と碌に会話だってしたことはなかったんだ。なのに、あいつのあの優しさに触れて、俺はそれを俺に向けられた好意だと、錯覚してしまっていたのだろう。
『まるで盛りのついた犬みたい』
雪ノ下さんがああ言ったことも当然だ。だってその通りなのだから。
全身を恐怖で蝕まれながら、俺は自分をズタズタに引き裂きたいほどの衝動に駆られて声を殺して身悶えた。そしてそのまま様々な後悔に蹂躙されながら俺はただ布団の中で身悶えることしか出来なかった。
しばらく経ち大分落ち着いてから、俺はあることを決断した。
由比ヶ浜に会って謝ろうと。
あいつが本当に会いたい相手のことを俺は知らない。知っているのは俺と似ているというだけのことだから。それは似て非なるものとも言えるのだから。
俺は由比ヶ浜の気持ちをまったく考えていなかった。いまなら少しだけわかる。
あいつがは会えなくなってしまったことに、酷く傷ついているのだ……と。
しかも、その理由が、入れ替わってしまったであろう俺の所為なのだ……と。
だからこそ、俺はもう一度謝りたいと思った。そして、あいつのためにヒッキーを……本物を取り戻す方法を探してやらなければならないのだ……と。
それが多分……『偽物』としての俺の役目なのだと。
そう思えた時……
俺は漸くに眠りにつくことが出来た。
× × ×
そして翌日、俺はすぐに由比ヶ浜に会うことになる。
学校の正門をくぐり、教室を目指していたそこへ、なぜか部室のある特別棟から走り出てくる由比ヶ浜に遭遇した。
だから俺はすぐに由比ヶ浜へと近づいて頭を下げようとした。
もう、どうやって話を切り出すかも考えていたのだから。
だが、そうはならなかった。
なぜなら、そこにいた由比ヶ浜はもう平常ではなかったから。
「た、大変だよ比企谷君‼ ゆきのんが……ゆきのんが……」
俺に掴みかかってゆすりながらそう叫ぶ由比ヶ浜の青白い顔を見下ろしつつ、俺はただ成り行きに任せるほかはなかったのだ。
そして彼女は言った。
「ゆきのんが学校を辞めちゃうかもしれない!」